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higekam

さすが丹波三大山城のひとつ (2021/07/25 訪問)

一日かけても回り尽くせないくらいの規模。
今回は全体感をつかみながら、特に残存石垣の探索をメインに城域を徘徊。明智光秀が奪い取ったのち補強した石垣も無残な姿ではあるが、思ったよりも残っていた。

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higekam

高石垣に感動 (2021/07/20 訪問)

丹波平定を目指した光秀の意気込みを感じる高石垣! 高さにも驚いたが、単なる四方形ではない多角形の技巧も駆使した石垣だ。

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キンヤ

守護畠山氏の拠点になったと考えられる紀北で最大規模の山城 (2014/12/14 訪問)

故郷の和歌山県の城を紹介したいですが、コロナ後は帰省できておらず、蔵出しで申し訳ございませんが投稿させて頂きます。

住宅地「城山台」の背後にある山城で、私が通っていた高校の通学路沿いにあり、祖母の実家が戦国時代に仕えていたと聞いている城で思い入れがあります。

牲川氏により築かれた詰の城と云われ、守護畠山氏の支配下になって拡張され、畠山氏の拠点になったとも考えられるそうです。

東の城・西の城・出城が一つの城域に含まれた「一城別郭」と呼ばれ、紀北で最大規模とされ縄張りは広く、一通り見学するのに1時間半位かかりました。

全ての尾根が堀切や竪堀でしっかり守られていて、紀北では屈指の山城だと思います。

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高岡城 (2021/08/09 訪問)

日本百名城

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新宮城 (2021/08/03 訪問)

続日本百名城

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和歌山城 (2021/08/01 訪問)

日本百名城

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赤い城

跡地に建つ食品会社は築城者の末裔 (2021/08/01 訪問)

鬼怒川西岸の舌状台地にあります。
跡地には食品会社が建っていて門の前に石碑が立っています。
門の入口から奥に向けて土塁が残り、奥に行く道が堀跡のようです。
敷地内にも遺構はあるようですがお仕事の邪魔にならないように。
石碑の前の道に駐車スペースがあります。
結城氏家臣の多賀谷氏に属した渡邊氏の居城。

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小城小次郎

潔い石碑一本の城 (2021/05/29 訪問)

応永年間に吉加波入道なる人物が築城したという古記録と「城ノ内」という字名とがあり、寺本城の花井氏も吉川城を使っている。状況証拠は十分だが遺構は見つかったことがない(調べたことがない)そうだ。潔い石碑一本の城、だ。

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higekam

石垣が多く残る城跡 (2021/04/02 訪問)

城跡にはやはり桜だ。

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higekam

光秀渾身の城 (2021/08/11 訪問)

5年ぶりに登城。伐採されて石垣が見学しやすくなっていた。感謝。

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higekam

桜満開の姫路城 (2021/03/31 訪問)

念願が叶う

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tshimojima

The World Heritage (2015/04/24 訪問)

世界遺産として有名な姫路城ですが、やはり写真ではお城のような巨大建造物の実際の大きさはわからないものです。

この時はアメリカ人の友人をつれてきたのですが "Oh my goodness! This is SO HUGE!" といって目を丸くしていました。

戦国期の建物はすべてアメリカが建国される前のものなので、ことあるごとに「アメリカよりも歴史があるな・・・」とつぶやいていました。カナダ人の友達も「カナダより古い・・・」とことあるごとに言います。

せっかく日本に来てもらうんですから、自国の歴史の中にほかの国の人に自慢できるものがあるって素直に幸せなことだと思います。

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tshimojima

お城とお庭はワンセット (2012/05/19 訪問)

子供のころはお城は戦いのための防御施設だと思い込んでいました。しかし戦乱が終結に向かい統治の時代になると「威厳」や「権威」を示すシンボル的な存在になっていくので「見た目のよさ」も重要だとわかってきました。

彦根城は外国人観光客には「天守が小さい」とあまり評価が芳しくないところもあるようです。関西圏は姫路城や大阪城があるので仕方ないかもしれませんが、それは「日本の城の楽しみ方がわかっていない」と私は言いたいです。

彦根城は玄宮園と一緒に楽しんでこそ価値がわかります。天守がそれほど大きくないのも、ちゃんと平和な時代に向かう過渡期であることの証ですし。

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まーやん

湖城を守った京極の築城 (2021/06/19 訪問)

若狭湾のほぼ中央にあり、昔から京都と深い繋がりがある小浜の地に、大津合戦で功を得た京極高次が築城を開始。移封後、酒井氏の時代に天守閣が完成したらしい。
京極は湖城から海城へ。小浜城は北川・南川と若狭湾に挟まれた要害であり、現在城域には天守台や石垣が残り、跡地には酒井神社が鎮座する。
幕末尊皇攘夷派の志士梅田雲浜はここ小浜の出身。ついでに言えば、近くの若狭高校は元阪神川藤選手の母校として有名…?(笑)
小浜から鯖街道を通り運ばれる海産物により、内陸の京都で独自の魚文化が花開いた。
若狭の国一宮若狭姫神社と合わせてどうぞ。(最近一宮巡りにも目覚めつつあります)

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まーやん

一色氏終焉の地 (2021/05/04 訪問)

峰山から丹後半島を一周し丹後一の宮元伊勢籠神社参拝の後、国道178号から府道に入り岩滝小学校南向かの弓木城跡へ向かった。
室町幕府四職である一色氏の配下稲富氏の居城で、一色氏終焉の地となったところ。
天橋立に仕切られた阿蘇海を東に望む街道が交わる要衝の地に立地している。
小規模ながら急峻な切岸や横堀、郭が残り公園としてよく整備されている。小学校辺りに北の郭があったとかなかったとか。
どこか福知山の猪崎城と似た堅固な土の城だ。

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モコみち

徳島城 (2021/08/04 訪問)

資料館と石垣と堀と庭園

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まーやん

峰山と言えば野村克也‼️ (2021/05/04 訪問)

出張やドライブで何度も通っている峰山だが、いつも多忙でスルー💨意を決して訪問した‼️
元々は後背の吉原山(権現山)に一色氏が山城を築城したのが始まりで、その後細川氏、京極氏と変遷。京極氏時代に山城を廃し陣屋とし、高知が子に遺領として三分割したうち高通が引き継いだのが峰山藩だ。
丹後半島の中心地として栄えたが、この地域は丹波と国を分けるまでは元々丹波の中心地だったらしい。古代丹後は交易で繁栄し重要な土地であったらしい。
少し離れた所に丹波の地名が残り丹波の名を冠した小学校がある。
そんなことより、峰山高校は野村克也の母校として有名って誰も聞いてないか(^-^;)(出身地は大宮町)

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じゅんじん

大浜陣屋 (2021/07/21 訪問)

出張前にちょいより。以前は児童公園だったはずですが整備されています。城址碑や兜は当時のまま。前回は10年以上前だもんね。

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じゅんじん

公園 (2021/07/17 訪問)

子供がボール遊びできる公園です。駐車場も完備。ただ草ぼうぼう。

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じゅんじん

6年ぶり (2021/07/17 訪問)

博物館でパンフレットを入手。近場のお城も手に入ります♪。ここは館跡ですが大きいです。土塁も大きい。ヤマユリがたくさん咲いていました🌼

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