JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の19城目は鈴岡城です。
上野城から転戦。鈴岡城址公園第1駐車場(35.482810、137.825977)に駐車しました。
築城された年は不詳ですが、南北朝時代に小笠原貞宗の次男・宗政により築かれたようです。
宗政は分家としての鈴岡小笠原家を興したようで、後に小笠原政康が居城としますが、宗政の子孫ではありません。政康は府中小笠原氏の三男なので、養子として鈴岡城に来たと考えられるようです。
1442年、守護・小笠原政康が没すると府中(深志)小笠原氏、松尾小笠原氏、鈴岡小笠原氏に別れて対立しました。(100年近く内紛は続きます)
1554年(天文23年)の武田信玄による伊那侵攻のときに、落城しました。
1582年、武田勝頼が織田信長に滅ぼされ、越後に逃れていた小笠原長時の弟・貞種が、上杉景勝の助力を得て深志城に復帰しました。
同年、織田信長が本能寺の変で自害し、甲斐・信濃両国では周囲の徳川家康、北条氏直、上杉景勝らによる争奪戦が繰り広げられました。
深志城は徳川家康の意を受けた小笠原貞慶(長時の子)が叔父・貞種から奪いました。松尾城の小笠原信嶺は武田氏滅亡時から徳川家康に仕えており、所領を安堵されています。
1590年、鈴岡城は廃城となりました。
松尾城の小笠原信嶺が徳川家康の関東移封に伴って武蔵本庄へ移りました。小笠原氏が移った後は、豊臣秀吉の家臣・毛利秀頼が飯田城10万石の領主となりました。
現在は鈴岡城址公園として整備されており、曲輪や堀の案内板が多く歩きやすいが、急な強雨の為、急ぎ足で見学した。
攻城時間は25分くらいでした。
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