お城ではないですが。。。
2020/9/12、長崎県庁跡地発掘調査見学会での写真です。水が溜まってるのは明け方大雨が降ったため。
石垣の一番古い部分は1610年代のものだそうで、それから明治までいろんな時代で手が入れられているようです。
あとは埋め直すとのこと。
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2021/09/05 22:34
2021/09/05 21:22
諏訪神社→諏訪城→諏訪神社 (2021/09/05 訪問)
元々諏訪神社ったのを金森長近によって追い出され城館が立てられたけど、金森氏の転封で、諏訪神社が戻ってきました。だから今は諏訪神社になっています。
城跡あるあるですが、結局今地表面に残っている遺構はどの時代のものかわからないんですよね。まあ、基本的には上書きされてるから新しいものが残っているのですが…
発掘調査も一部されているみたいですね。それで金森時代の遺構も見つかっているようです。
香川元太郎氏の復元図が看板になっていたのには驚きました。
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2021/09/05 21:08
どいう縄張なのかよくわからなかった (2021/09/05 訪問)
桜洞城跡の存在を示す下呂市教育委員会の標識がなければどこに城があったのかわかんないですね。
土塁っぽい土の高まりとか、堀っぽい溝はありましたが、城の構造はよくわかりませんでした。
車は桜谷公園の駐車場を利用しました。そこから徒歩10分です。
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2021/09/05 20:54
お城を中心とする中世的景観が辿れる場所なのかも (2021/06/12 訪問)
静岡県の同名のお城が有名だが千葉県の高根城もなかなか。付近の高根寺(こうげんじ)を含めた一帯は高城一族が拠点を構えていた時代に遡るものが点在するようだ。開発著しい首都圏にあってそれはとても貴重なのではなかろうか。
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2021/09/05 18:17
成城学園前駅から徒歩15分 (2021/09/02 訪問)
成城学園前駅から徒歩で向かいました。
まわりに目標があまりないので分かりにくいですが、
慶元寺を目指して歩きました。城址の感じはないですが
江戸氏ゆかりの地であることが分かります。
近くにある治太夫堀公園は古民家園等があり
一緒に見ていく価値ありです。
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2021/09/05 11:01
玉前神社のすぐ近く (2021/08/29 訪問)
大多喜城の後、近くなので再訪。
上総一ノ宮の玉前神社に近いです。
雨模様だったので武道館がある主郭からの展望も今ひとつ。
少し散策、模擬大手門そばの水堀跡のところにある竹藪に入ると空堀?がありました。
当時の遺構なのかはわかりませんがそれっぽい感じです。
逆サイドの畑にも土塁っぽい藪がありました。
詳細は不明ですが江戸時代には一宮藩の陣屋が置かれました。
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2021/09/04 22:44
古川小学校の敷地内にある平城跡 (2021/09/04 訪問)
「君の名は。」で使われた古川駅から南に歩いて10分ぐらいの所にあります。
平城なので残っている遺構は限られています。
小学校の改築工事の時に発掘調査が行われているみたいですね。
水堀と石垣はなかなか見ごたえはありますね。
北側の石垣は新しいですが、南側の石垣は野面積みなので戦国時代の遺構と考えて良いのでしょうね。
こじんまりしていますが一見の価値ありです。
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2021/09/04 22:33
山崩れに埋まった謎の城 (2021/09/04 訪問)
写真は現在石碑のあるところですが、
実際にどこにあったのかは明らかになっていません。
テレビ愛知で特集もやっていて、
奈良大学の千田先生や元滋賀県立大学の中井先生が出演して
いろいろ推測されていました。
そのテレビで扱われてた場所は写真の所じゃないですけどね。
ちなみに、荘川ICを降りて帰雲城跡に向かう途中に「遠山家住宅」に寄ってきました。
合掌造りの素晴らしい住宅であるとともに、
民具の展示や江戸時代から昭和にかけての生活についての説明展示があってとても面白かったです。
帰雲城跡からさらに北へ行くと白川郷ですね。こちらの合掌造り群は壮観ですね!!
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2021/09/04 20:09
2021/09/03 23:01
根古屋城・栗山城 千葉県大多喜町 (2021/08/29 訪問)
大多喜城には何回か登城してましたが周辺を歩いたことはなく、根古屋城となる栗山城ヘ登城しました。
根古屋城は田園地帯の中にあり、民家の側の高台に石碑が立っているのみで遺構はありません。
武田氏が里見氏の侵攻に備えて築いた城とされます。
さらに栗山城。
こちらがもとの大多喜城とも云われています。
民家脇の細い道を登って行くと畑があり、この辺りが城域となります。
曲輪と土塁が残っています。
大多喜城駐車場から尾根伝いに繋がっている城でここも元の大多喜城とも。
大多喜城に行かれる際、模擬天守だけでは勿体ない。
散策をお勧めします。
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2021/09/03 21:53
隅から隅まで完璧主義 (2021/06/05 訪問)
隅から隅までよく手が入っていることには訪問するたびにつくづく感心する。全山くまなく要塞化された完璧なお城だが、やっぱり謙信の性格が反映されていると思うとこんな上司の下では働きたくない、とも思う。
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2021/09/03 20:29
ぜひ復元してほしいお城です。 (2020/07/11 訪問)
舌状台地の要衝にあり、本丸跡には碑が残るのみです。
遺構が、そこら中にある感じで、散策しながら見て回るとかなり巨大だったことがわかります。
歴史館に、在りし日の古賀城の写真がありました。
河川法などで復元が難しいのでしょうが、復元されて欲しいお城の一つです。
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2021/09/03 20:19
神社になっています。 (2020/07/11 訪問)
境内があるあたりが本丸でしょうか。
遺構は、一部の土塁が残っている程度です。
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2021/09/03 07:51
2021/09/02 23:05
大きな空堀が見応えあり、城山全体に曲輪を多数配置した城 (2021/08/30 訪問)
9年ぶりに行きました。
田峯城の菅沼氏の支城として築かれ、美濃・信濃との国境に近い要衝の地で、道の駅「どんぐりの里いなぶ 」の直ぐ東側に城山があります。
武田勝頼が長篠の戦いで敗れた後、落ち延び、梅酢湯を飲み一泊したと伝わります。
本丸背後には土塁の櫓台があり、城山神社が祀られています。
本丸の南側は自然地形も活用しているかもしれませんが大きな空堀で分断されており見応えがありました。
城山全体に曲輪を多数配置した規模が大きな城でした。
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2021/09/02 22:05
水野が戸田で戸田が水野で (2021/05/29 訪問)
水野氏と戸田氏とが相争う中、水野出身の守信が戸田を名乗る一方で戸田出身の光康が水野を名乗っており、縁戚関係と利害関係の複雑さが垣間見える。結局富貴城主が誰なのかが(戸田法雲という伝承はあるが)よくわからなかった。
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2021/09/02 19:02
青ヶ台=阿王ヶ台。 (2021/05/02 訪問)
鎌倉幕府の執権で北条家一門の、金沢 貞顕さん貞冬さん親子の「青ヶ台城」です。
どちらかと言うと、貞冬さんの居城のようです。
住所検索して向かいましたが、『青ヶ台』の名がありません。
住所で到着した場所は住宅街と団地です。
近くに公園があり、気付きました。
『青ヶ台』=『あおうがだい?』=『阿王ヶ台!』
です。
阿王ヶ台公園には土塁のような物がありましたが、遺構かは分かりません。
サッカーの練習をしている阿王ヶ台キッズが元気にボールを追いかけてました。
『青ヶ台』の方が読みやすいのに、なぜ『阿王ヶ台』に改名したか気になる「青ヶ台城」攻めでした。
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2021/09/02 18:49
織田信長の父、信秀が晩年拠点とした城、そして反信長派が集まった城 (2020/10/12 訪問)
名古屋地下鉄本山駅から歩いて数分と、広大な尾張平野に広がる名古屋市内の小高い丘に城跡はあるが、そこそこ遺構が残る。
当時しのぎを削っていた三河方面へも近く、深い空堀、土塁、切岸を駆使して守り堅固な城としたことがわかる。本丸周辺の空堀が見どころ。
信秀は北の斎藤道三と戦いながらも、拠点は勝幡城、那古野城、清洲城、古渡城、そして末森城と三河方面の領土確保、拡張に重点をおく。
信長は父に反してひたすら北上し上洛を目指す。今川義元を討ち果たしても松平元康と同盟して三河方面を任せたのはご承知の通り。信長は早くから天下布武を意識していたと思いたい。
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2021/09/02 11:55
広島城112万石から萩城36万石で再スタートした毛利輝元 (2021/04/14 訪問)
■萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれ、
山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城。
本丸には高さ14.4mの五層の天守がありましたが現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめています。
*天守台の石垣と背後の指月山、天守台跡の背後には詰丸があった指月山がそびえています。
扇のように勾配をもつ高石垣が美しい天守台は一見の価値有り!
*指月山は、花こう岩でできた山で、萩城には白い石が石垣としてたくさん使われています。
*西郷隆盛を擁する薩摩藩(鹿児島県)とともに幕末の主人公に躍り出る長州藩(山口県)。
周防(すおう)国と長門(ながと)国を合わせた二国の中心として栄えた萩城。
*穴太衆(あのうしゅう)の技術で築かれた天守台の石垣は「扇の勾配」と呼ばれています。
*城跡は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産「萩城下町」に含まれる。
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2021/09/01 23:05
涌谷要害 (2021/07/04 訪問)
JR石巻線涌谷駅から数分。かつての外濠、江合川の向こうの小山、石垣の上に模擬天守(町立史料館)が見えてきました。よき眺めです。土塀風に設えられた堤防も静かな城下町の田園風景に溶け込んでいて、暖かな春に白壁に映える満開の桜が目に浮かびます。
城址に向かう途中の側道に茅葺の門が見えたので行ってみると涌谷伊達氏宿老、千石家の薬医門でした。表札も掲げられたままで、木戸はなくてもがっちりした骨組みや大きさに風格を感じます。
涌谷神社への参道が登城路のひとつでしたが、鳥居崩壊の危険があるため通行禁止。ここから石垣を間近に見ながら模擬天守と現存太鼓堂に向かいたかったのですが我慢です。ちなみに太鼓堂脇からの下り道も通行止めでした。
現存の石垣はこれぞ城壁といった存在感と反り。史料館内のパネルで知ったのですが、この石垣は2003年の宮城県北部連続地震の被害を受けたあと、伝統工法により復旧工事を行い、復元したのだそうです。
史料館の展示では涌谷伊達家の史料が大変興味深かったです。また、購入した「伊達騒動と伊達安芸宗重」「伊達安芸宗重書状~伊達騒動を中心にして~」のほかに、フォーラム資料など数冊分けていただきました。一般書店に流通していない書籍や、その土地に暮らし歴史を受け継ぐ人たちによって綴られたり編纂されたりした資料や史料を手にすることも史跡めぐりの楽しみのひとつです。
天保4年(1833年)再建と伝わる太鼓堂は天守史料館に並んでいることもあってか遠慮がちに見えますが、屋根に頂いた鯱は仙台藩一門の象徴。参道下の鳥居のあたりから見上げるとシンプルにしてシンボリックな二の丸隅櫓としての存在感を十分に感じることができました。
江戸末期には多くの建造物が建ち並んでいたという二の丸広場を抜け、現在涌谷神社があるのが本丸。宗重公胸像が見守っていました。そして太平洋戦争犠牲者慰霊碑とその傍らの小さな戊辰戦歿諸士招魂碑。この地にも幕末維新の波に翻弄されつつ戦った人たちがいたことを知りました。
【お城川柳123】
石垣を見上げてワクワク涌谷城♪
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