平成24年10月俱利伽羅峠古戦場、松根城を終えて鳥越城へ、道の駅一向一揆の里に在る鳥越一向一揆歴史館を目指すが月曜日で休館、そこから北山稜に在る鳥越城に登る、登城口に案内板、標柱、道路標識が有り細い登城路を車で登ると後二の丸北下に広い駐車場が在る、そこを利用する。
駐車場から後二の丸と後三の丸の間の登城路枡形空間の様、井戸代わりのアヤメ池、門徒宗殉難の碑、西に回り込むと石垣と復元門、櫓が目に入って来る、復元城門を入り枡形、本丸の櫓門を入って本丸、発掘調査の成果、建物跡地表展示、井戸跡、柵列復元、土塁、麓の眺めは素晴らしい、中の丸、二の丸、復元中の丸門、発掘成果の建物跡地表表示円柱、板葺きの建屋が一軒復元、戻って後二の丸、本丸間の堀、土橋、後三の丸二段構造を探訪、南方向の三の丸には降りて居ません。
探訪時は草も刈られ整備は行き届き見学しやすく復元建物もだいぶん経年変化してるがしっかり残って居り写真写りもばっちり、これだけの構造物を造り残ったものだと感心、発掘調査復元整備が成果なのでしょう、地元の方々、白山市の教育委員会に感謝いたします。
歴史的には加賀は守護大名、戦国大名を倒して一向宗門徒の国として戦国期栄える、朝倉氏浅井氏を倒し北陸に進行した織田軍と一向門徒宗は攻防を繰り返す中、鳥越城は加賀一向一揆白山麓山内衆鈴木出羽守を大将に築城し抵抗の拠点と成り織田軍の柴田氏佐久間氏の攻防で取ったり取られたりを繰り返し本能寺の変1年前に佐久間盛政によって鎮圧、その過程でなで斬り、磔に処され一向宗門徒の殉難の歴史が刻まれた。
三年後平成27年に一向一揆歴史館に寄り資料館見学と資料の収集を果たしました。
+ 続きを読む










