天守閣に登るのが大変なところでした。
お濠が近くって本当にきれいなお城でした。
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2021/09/20 10:30
上るのが大変 (2018/04/18 訪問)
天守閣に登るのが大変なところでした。
お濠が近くって本当にきれいなお城でした。
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2021/09/20 10:27
三重県のお城
近くですのでちょくちょくお邪魔しています。
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2021/09/20 10:24
天守閣が怖かった
風が強く天守の周りを歩くのが怖かった思い出があります。 大した風ではなかったのですが、元来臆病な私にはそのように感じられたという思い出のお城でした。
名鉄に乗ること自体滅多にないことでしたし、付近も珍しいことばかりでした
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2021/09/20 10:19
唐津のお城から眺める景色 (2019/11/03 訪問)
虹の松原は素晴らしいです。桜の時のお城のあたりの絶景・秋の唐津くんち、いい街です。
唐津くんちを見に行く事が念願でやっと果たすことができました。その後コロナで中止・・・残念です。
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2021/09/20 10:11
よく行くお城
彦根は近いこともあり何度も訪問しました。桜もよし、グルメよしです。
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2021/09/20 00:39
仙台藩21要害を訪ねて 人首要害 (2021/09/12 訪問)
旧仙台藩21要害訪問二ヶ所目は人首要害。ここも上口内要害と同様、南部藩に対する藩境警備を担っていた。盛街道/県道8号線の人首の街並みは昭和の面影が色濃く残り、懐かしい雰囲気。その中ほどから東側に入る小路があり、進むと「人首城跡入口」の看板があり、程なく大手門跡の標柱と曲輪跡に至る。
この城の築城年、築城者はともにはっきりしない。葛西氏統治の時代には岩谷堂城主江刺氏の家臣人首氏の居城であったと云う。「仙台領古城書上」には江刺郡人首村の項に「一 人首城 東西十一間 南北十二間 城主阿蘇修理」との記載もある。仙台藩領となって慶長十一年(1606)に沼部氏(一族1000石)が配され、明治維新まで10代263年間続いたと云う。
縄張は比高50m程の丘陵先端部に三つの曲輪が並ぶ。一番西端の曲輪が本丸と云われ、北・西・南側は高い切岸となり幅15m程の腰曲輪が取付く。南西側に枡形虎口の大手門跡が残る。本丸東側に一段下がって、現在水道施設がある曲輪が続き、更にその東側に空堀で隔てた東西35m南北50m程の曲輪がある。この曲輪は城内の最高所であり切岸・土塁が残り、古い時代の本丸と考えられる。
富原文庫蔵陸軍省城絵図では「江刺郡人首村旧舘絵図面 長サ七拾八間 横 四拾四間」、本丸に三基の建物と門、腰曲輪の南西側にも門が描かれている。現在本丸跡には「招魂社」が、東の最高所の曲輪には石碑四基と四阿が建てられている。東北自動車道水沢ICから24キロ(30分)本丸東の曲輪跡に2~3台駐車可能。
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2021/09/19 21:21
2021/09/19 21:12
2021/09/19 17:23
下坂氏館 (2021/07/23 訪問)
【下坂氏館】
<駐車場他>専用無料駐車場あり
<交通手段>車
<見所>表門・母屋・土塁
<感想>暑さを避ける湖北城巡り3城目。頂いたパンフレットを要約すると下坂氏は近江国坂田郡下坂庄の村落領主で南北朝時代には武将として活動していたそうです。戦国時代には近江守護の京極氏や浅井氏に仕え信長の小谷城攻めには籠城しました。浅井氏滅亡後は帰農しましたが江戸時代は郷士身分として地域で影響力がありました。
館跡は90m弱四方の方形居館で主郭部分は北の五井戸川から引き込み、水掘りの2重土塁で囲んでいます。入館料は大人個人300円ですが館内をくまなく案内してもらえますので十分楽しめます。敷地内に下坂氏菩提寺の不断光院というのがあり下坂氏専用のお寺さんがあります。本堂の裏に歴代下坂氏のお墓が並んでいます。
<満足度>◆◆◇
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2021/09/19 12:40
姫路城訪問 (2004/09/25 訪問)
過去のお城巡りの振り返り、第12段は兵庫県姫路市の姫路城。
姫路は奈良時代から播磨の国府が置かれ、山陽道の中継地点である上に、津山・鳥取・豊岡・京都へ放射状に道が伸びる扇の要の地。
また瀬戸内海へは飾磨津の港を擁したエリア。
播磨平野の小さな姫山に建つ城は、室町時代に守護の赤松氏が築いた砦が始まりとされ、戦国期の主な城主は黒田官兵衛、羽柴秀吉。
関ヶ原の後、西国の抑えとして池田輝政が大規模に拡張し、本多忠政が西の丸を整備。その後は越前松平氏、榊原氏、酒井氏などが城主を務めました。
現在は、内堀内側の北半分が江戸期の様子を強く残す有料ゾーン。南半分が広場や公園、動物園。
その周囲の学校や博物館などが建つ中堀までが特別史跡とのこと。
12城目にして、そろそろ日本一の城へと訪問した姫路城。
菱の門から西の丸を経由し、いくつもの門を潜って天守へ。この多数の現存門と、右に左に折れ曲がる登城路が守備力の高さを主張。特に天井が低く狭い上に、出口で右に折れる「にの門」は気に入った防御施設でした。
巨大な天守群は、ここでは何も語る必要がないでしょう。400年前にこれだけの建築ができた技術力に興味が尽きません。
滞在時間は3時間半。それでも時間が足りない名城でした。
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2021/09/19 11:30
有名な心霊スポットだとか (2021/09/12 訪問)
勝田ゴルフ倶楽部に沿った山道を登ったところにあります。
城址公園になっていますが駐車場はありません。
入口のところは少し広くなっているので路駐して攻城。
一の木戸、二の木戸と進み主郭に到着します。
それにしても案内板の下地が赤色なのは微妙。
心霊スポットでなくても怖さを感じる。。。
主郭には土塁が付いていて郭を囲んでいます。
北に向けて二郭、三郭と並び浅いけど堀切も残ります。
さらに北の四郭には狼煙台もありました。
多良崎三郎と呼ばれていた大掾氏一族の吉田里幹の築城とされています。
とりあえず霊の感じはありませんでした。
ほっ。
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2021/09/19 11:02
釣山公園城跡、麓の藩庁館跡に絵図が有り (2013/05/11 訪問)
平成25年5月連休明けフルムーンパス利用兄弟夫婦東北旅行3日目、前日平泉観光を終えて東北新幹線移動に便利な一関市泊り。
駅前のホテルでしたので朝食前に釣山の釣山公園一関城城山に登る、ホテルから500mから1kmの範囲内で釣山は目視出来、山に向かってて徒歩移動途中に市の施設、駐車場に藩庁館の絵図の案内解説板が有り確認撮影、釣山公園登城口より遊歩道を頂上に向かって散策確認、麓に向かって曲輪が階段状に連なってる、藩主井戸、頂上に広い平場、櫓台と思しき烽火台、田村神社も鎮座、坂上田村麻呂築城とかの言い伝えも有るとか?
寛文年間(1661年~1673年)伊達政宗の十男伊達宗勝が3万石で一関藩を立藩、伊達騒動で領地没収1代で消滅、天和12年(1682年)伊達氏分家田村氏が一関藩を再興し明治まで継承。
降りて磐井川に架かる橋辺りで釣山、一関城を見る、ホテルに帰る途中一関藩家老沼田氏屋敷を外から見学、釣山公園入口下には専用駐車場が在りました。
この後レンタカーで私夫婦は藤原の郷、胆沢城、同史料館、高速を飛ばして横手城と廻りました、兄夫婦と弟夫婦は秋田の乳頭温泉と分かれての旅と成りました。
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2021/09/19 07:01
経山城 (2021/09/12 訪問)
総社市北の鬼ノ城と同じ山塊に経山城があります。鬼ノ城の南西1kmくらいの高まりで、総社の平野の北側にそそり立っています。大内氏が立地に目をつけて城を築いたとあります。大手は、南の急坂を登るようですが、搦め手は、砂川公園から鬼ノ城に登って行く車道からアクセスできます。その地点で既にかなり山中です。
尼子勝久の1万あまりの軍が備中を攻めた際に、経山城の中島氏は、千人ほどで守り切りました。鬼ノ城は、経山城の出城として使われていたとのこと。
車道となっている谷の道から、搦め手の尾根に至るまでの登りは200mほどで、小さな渓谷状。さらに花崗岩が風化し、滑りやすい急坂です。尼子の大軍はここを突破できず、包囲戦に変更。その後、中島氏の奇襲成功もあり、尼子軍は、備中北方へ退却したと。
山頂にはけっこう広い平坦部があり、堀や土塁、石垣が見られます。比較的単純な造りで、守りは急峻な自然地形に依っているようです。
経山城探索のあと、道の先の鬼ノ城に行ったところ、コロナ禍により閉鎖中。20kmほど高梁川を遡った、備中松山城も閉鎖中です。
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2021/09/19 00:16
2021/09/18 20:08
悲惨な歴史がここにもあった (2021/07/03 訪問)
安政年間に奥州各藩が蝦夷地防衛のための陣屋を次々と築いたのよりも半世紀近く前、津軽藩は幕府の命でシャリ陣屋を築き、派遣された100名の藩士のうち70名以上が冬を越えられずに命を落としたという。
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2021/09/18 18:35
何かの石碑 (2021/08/15 訪問)
この石碑の説明を読んだのですが、なにか忘れてしまった…。
結構見つけにくいとこにありましたよ。
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2021/09/18 18:08
2021/09/18 18:01
河後森城 (2021/09/18 訪問)
続55城目。
車で城跡近くの駐車場に到着しました。
しっかりと道も舗装されていましたので車の場合はそんなに苦労はしません。
駐車場から10分程度で本丸に到着できました。
スタンプは途中の「十曲曲輪」に設置されておりました。
(無人の設置場所は最近では珍しいです。。。。)
本丸からの景観も素晴らしいかったですが、
その近くに飾られていた子供達が作った資料も大変興味深かったです。
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2021/09/18 17:07
フルスケールで残っていたら興奮ものです (2021/09/11 訪問)
江戸時代の前に廃城になっていたようです。
主要部分の本廓・二の廓は中学校となっていて残念ですが
二つの廓の東側土塁が残っています。
堀の底から見上げるとかなり高く
堅固な要塞だったことを感じられなす。
三の廓も高校になっていて残っている部分は
三分の一程度のようです。
雨上がりだったため
すべってお尻ドロドロ気をつけましょう
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2021/09/18 16:33
【陸奥・高館】岩手県西磐井郡平泉町 義経を偲んで (2013/05/10 訪問)
平成25年5月出羽・上山城、新庄城を終え、銀山温泉泊まり朝風呂は滝見の貸切露天風呂で昨夜の痛飲をリフレッシュ、山形新幹線で新庄に下り奥羽東線で古川、東北新幹線で一関、在来線で平泉駅へ、平泉観光は兄弟夫婦三家族意見が一致して二日目は一緒に巡る。
平泉で昼食後散策しながらの名所めぐり、毛越寺、中尊寺、金色堂、高館、高館で歩き疲れてタクシーで平泉駅へ、私は歩きで柳之御所も考えてたのですが皆と行動し柳之御所は次回の探訪へ。
高館は中尊寺、金色堂から約1km程の南東、北上川沿いの小高い丘陵に位置します、現在義経堂が祀られ資料館も有り源義経の勉強が出来ます、義経31歳終焉の地、結構な要害の地なので結構戦えたのでしょうが弁慶の時間稼ぎを得て自害したと伝わって居ます、一代の英雄のはかなく散った地に立ち北上川を見下ろすと小学生の頃叔父のお古の絵本日本の歴史義経のページが甦り懐かしく思いにふける良いひと時でした。
パンフレットに由ると義経堂は天和3年(1683年)仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てたとの事、また奥の細道の途中芭蕉がこの高館に立ち詠んだ句が「夏草や 兵共が 夢の跡」との事、この故事は初めて知りましたが古城、山城に登るとこの句が頭をよぎります、流石に心にしみる名句です。
平泉と言えば時代を遡り、源頼義、義家と安倍貞任との戦ぶりがまた偲ばれます。
周辺観光では金色堂の素晴らしさ、月見坂の急でしんどさ、毛越寺の遺跡池を眺めて案内板の想像絵図を観ながら往時を甦らすのも一興です、半日の散策ツアーは結構しんどい。
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