諏訪原城が楽しくては5週連続で通ってしまった。やはり、武田時代と徳川時代の両方がその特徴を生かして現在しているところが本当に魅力的だ。いくつか自分の中で課題があった。まず武田時代だが、今は一騎掛けになっている土橋がどうやって本曲輪に行ったかについて。竪土塁を経由して水の手曲輪に出ただろうと実際に歩いてみて感じた。諏訪原城には非常に堅固な出曲輪があり、当時の出丸は出曲輪の後方支援の役割もあったのではないかと想像する。城山延命地蔵尊参道入口から出曲輪にも行ってみたが、非常に堅固で要塞だ。東から来た敵は出曲輪で撃退出来るくらいだ。諏訪原城は西から見れば平城だが、東から見ればまさに武田の山城そのもの。東斜面ゾーンが整備されて、見事な内堀や縦堀を見る事ができる。諏訪原城を東斜面から見上げると、作手町で見た古宮城そっくりだった。ニの曲輪東馬出やニの曲輪南馬出し付近から鉄砲弾が発見されているのも魅力的だ。次に徳川時代だが、ニの曲輪北馬出の復元した門の位置関係がどうしても納得いかなかったが、先月末に島田工業高校から素晴らしいジオラマがビジターセンターに寄贈され、一目瞭然で理解した。1573年に信玄公が亡くなった年に築造された城なので、いわば全盛期の武田方の築城技術が結集された山城で整備も常に行われており、本当に素晴らしい史跡だ。
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