飛鳥期に役行者が開いた松尾寺が南北朝期に城郭化したもので、最盛期には寺領7千石、僧兵数千人を擁したとされますが、織田信長の高野山攻めの際に焼き討ちを受けて全山焼亡。その後、松尾寺は豊臣秀頼により再建されて現在に至ります。
松尾寺は紅葉の名所でもあり、近くに来たついでに紅葉狩りがてら登城しました。松尾寺の駐車場に車を駐めて石段を上って行くと、左手に源義経が一ノ谷の戦いの死者の菩提を弔ったと伝わる首堂があります。首堂の少し上には江戸中期築の立派な山門があり、楼上に文殊菩薩、門の左右に増長天と持国天が配されています。見ごろの紅葉を眺めながら境内を進むと、豊臣秀頼の寄進により四天王寺から移築された金堂が建っています。金堂の近く、鐘楼の脇には長諭和尚の碑があり、信長の焼き討ちの際に本尊や寺宝を護って難を逃れた功績が顕彰されていました。
松尾寺の裏山、児童遊園と春日神社の奥には松尾寺の僧坊であり松尾寺城の曲輪と思われる削平地が多く連なり、堀切状の地形も見られました。また、金堂の裏手には新池と呼ばれる溜池があり、仮に往時からのものとすると水の手兼水堀的な位置付けかなぁ、などと妄想しながらの探索でした。
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