松山城は酒田市(旧松山町)にある鶴岡藩酒井家の支藩松山藩の城。松山藩三代藩主忠休は長年幕府の要職を勤め、その功により築城を許された。城は本丸を中心に北・東・南側を二の丸が、さらに西・南側を三の丸が囲み、土塁・水掘りで区画する縄張であった。
築城は天明元年(1781)に始まり、翌年には三の丸櫓門(大手門)が完成するが、本丸は藩主忠休の死去、藩の財政難や凶作・飢饉により着工されないまま天明七年に終了したと云う。まさに天明の大飢饉(1783~88)が日本全土に及んだ時期であり納得できる。
城址はほとんど市街化されているが、かつての三の丸の一部が「松山歴史公園」となっており大手門と堀、土塁の一部を見ることができる。蛇足ながら「富原文庫蔵陸軍省城絵図」(2017戎光祥出版)には「松嶺城」として三の丸絵図が掲載されており、堀に囲まれ、大手門の正面に馬出、土塁上には白塀、横矢かかりなど廃城以前の姿が判りやすく描かれているのでご覧いただきたい。
駐車場は「松山文化伝承館」駐車場が利用できる。
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