この城は美濃国守護・土岐氏の城で古城山(標高408m)にあります。築城は鎌倉時代で土岐頼芸が斎藤道三に追放されて焼かれるまで存在していたとされています。
2020年から山県市が発掘調査を行っており、昨年の調査では巨石を用いた城門などが見つかっています。今年の調査では、伝台所の発掘が行われ、今回一般公開されたのですが、庭園らしき遺構が発見されました。その最大の根拠は“玉石”が敷き詰められた遺構が見つかったということです。玉石は二か所から見つかっているのですが、黒い玉石が敷き詰められた場所と白い玉石が敷き詰められた場所に分かれています。要するに、建物から眺めた時にその色彩を意識しているのです。
今回の調査では多くの遺物も見つかっています。主なものを挙げると中国製の青磁・白磁、天目茶碗、土師器皿(かわらけ)、燈明皿、花器、銅銭、玉石などです。時期は16世紀前半のもばかりです。なので土岐頼芸の時代にはここに人々が居住していたんでしょうね。
現在発掘中の岐阜県郡上市の篠脇城からも山上に庭園や大桑城と同様の遺物が見つかっており、戦国期の山城は戦時に立て籠るのではなく常に居住している人がいた可能性が出てきましたね。
しかし、この城も解明されていない謎がたくさんあります。例えば、主郭が小さすぎます。せいぜい櫓が一つ建つぐらいの広さしかありません。それから、谷部にある曲輪群。なぜ谷部に曲輪が並ぶのでしょうか。城ではなく寺ならその立地でもわかりますが、城なら普通そんなところに建物並べないですよね。そして、16世紀前半の遺物しか出ていないこと。鎌倉時代に築城されたなら、もっと古い時代の遺物が出てもよさそうなものですが、どうしてなんでしょう。
いづれにしても今後の調査に期待しています。
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