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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅰ④:福星寺城➡城びと未登録(千葉県四街道市) (2020/01/31 訪問)

中山城から徒歩5分/0.4Kmで県道66号の吉岡福星寺入口(35.646625,140.1980)に着きました。

福星寺城の築城時期、築城者など詳細は明らかではありませんが、臼井氏の一族である吉岡氏が居城し、臼井城の支城として機能していたと考えらています。
城址に福星寺が建立されたのは1616年(元和2年)權僧都宥照という僧によるものなので、それ以前どう呼ばれていたかは不明です。
現在も福星寺を中心に土塁や櫓台などの遺構が残っています。
なお、福星寺のしだれ桜は徳川家康ともゆかりのあるサクラとして有名で、毎年3月中旬から4月上旬が見頃です。

小さな城址ですが空堀や土塁は規模が大きいです。
深い空堀を写真に撮ろうとあちこち廻ってみましたが、いい場所を探すことが出来ず倒木と折れた竹で埋まった空堀の写真を撮りました、残念です。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅰ③:中山城➡城びと未登録(千葉県四街道市) (2020/01/31 訪問)

和良比堀込城から徒歩45分/4Kmで県道66号沿の墓付近入口(35.6459342,140.1955163)に着きました。

中山城の詳細は不明ですが、以下3つが想定されるそうです。
①福星寺城の西300mにあり縄張りも似ていることから臼井氏の一族で在地土豪の吉岡氏の手によるもの
②臼井城の支城(支砦)として原氏によって築かれたもの
③本佐倉城の千葉氏に関係したもの
現在城址には土塁や空堀などの遺構が残っていますが、主郭内部が立入禁止となっていました。

空堀は2郭、主郭前にありますが竹藪が邪魔をして、うまく写真を撮ることができません。深い堀だけに残念です。
主郭内は倒木や折れた竹で入ることができませんでした。「地蔵菩薩の怒り」の看板はちょっと怖いです。
攻城時間は20分くらいでした。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 14城目 (2020/11/24 訪問)

福井から北上しようと思ったが金沢から富山にかけて前線が停滞し雨模様なので南下することに。
小谷城や玄蕃尾城の比高を考えると、いまいち踏み切れない。  どうも疲れてきたようだ。

楽な城はないか、あれこれ考えながら走っているうちに岐阜まで来てしまった。
美濃○○城といえば・・・、どこ?     浮かんだのが美濃金山城だった。

何か所かある駐車場のうち、森蘭丸の産湯の井戸が再建されている蘭丸広場に停めた。
整備された広場には近くの幼稚園児たちが遠足にきて楽しそうに走りまわっている。  
城跡を望む一面には桜の木が植わっており、その季節にはここも満車になりそうだ。
桜を愛でる散策路を登っていくと駐車場となっている出丸の石垣が見えてきた。
この城で一番大きな石垣とのことだが、造られた時代から考えるとかなりのものだ。
織田家にとっての、この地と森家の重要度のほどがうかがえる
散策路を外れ近くに行きたかったが、子供たちの手前そうもいかず遠くから見ることに。

本丸へ向かうにつれ、ほとんどの石垣には破城の痕跡が残っている。
崩落の危険防止や現状保存のためだろうか、ロープで囲っている箇所が多い。
このような箇所は、このまま現状保存をしていくのだろうか?
それともいつかは積み直しをするのだろうか?

本丸への虎口を横目に東腰曲輪へ向かっていて、突然固まった。
イノシシか!!  と一瞬思ったが、なんとニホンカモシカと遭遇した。
写真を撮りつつ見つめ合っていたが、飽きたのかあちらが何事もなかったかのように
地面を食み出したので、そーっと後ずさりしながら本丸へと登る。
しばらく上から写真やら動画を撮ってみたが、動きが小さくて動画はすぐに止めた。
ひととおり本丸を見て引き返してみたら、まだなにか探しながら食べている。

「おーい。 そっちに行きたいのだけど、退いてくれる~。」  と、試しに声をかけてみた。
ちょっとこっちを見上げたけど、すぐにまたなにやら食べだした。
「あっ、シカト しやがった。」       「ヘヘッ、シカトだって・・」。 と、ひとり笑い。

なので、東腰曲輪は未踏。   しかも、本丸虎口もしっかりと見れていない。

二の丸で下草を刈る作業をしていただいている地元の方にカモシカの事を話すと、
「子供だった?」     「カモシカを見たのは初めてなので大人か子供か、分からない」と私。
「親子で二、三頭 いるのだが、そういえばこの頃は一頭しか見ないなー」 と。

家族がどうなったのか少し気になりながら駐車場に戻り、幼稚園の先生や子供たちに
カモシカがいたことを話すと、やはり知っていた。
この辺りでは有名人(?)みたいだ。

破却痕の残る戦国後期の山城であり、野生のカモシカにも遇えるこの城は、お勧めです。

存在を知らなかったので私は行っていませんが、麓の街中に【戦国山城ミュージアム】や
【観光交流館】いう施設があるようです。

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小城小次郎

今でも市が開かれている (2020/11/29 訪問)

織田信秀の居城は今や本願寺別院となって跡形もないが、境内では定期的に朝市が開催されているそうだ。親子二代で商業振興に力を注いだ織田氏のお膝元で今でも市が開かれているというのはさすがと言えばさすがではないか。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅰ②:和良比堀込城➡城びと未登録(千葉県四街道市) (2020/01/31 訪問)

鹿渡城から徒歩30分/2.4Kmで公園入口(35.657801,140.165941)に着きました。。

和良比堀込城の築城時期は不明ですが、臼井氏の一族である蕨氏(和良比氏)が築城したと考えられています。
この周囲は1500年代前半、古河公方と小弓公方が争っていた場所であり、足利義明が里見義通に当てた書状の中にある「蕨」が和良比堀込城であるようです。
小弓公方勢が古河公方勢で本佐倉城の千葉氏を攻める際の前線基地だったようです。
しかし、その後の和良比堀込城の歴史については未詳で、廃城の時期なども不明です。
現在は宅地化のため城址のほとんどが消滅していますが、一部が「堀込城跡緑地」として保存されており、土塁や空堀などを確認することができます。

小さな城跡ですが、宅地造成で形が変わってしまったようです。土塁と空堀は確認できます。石積みらしきものがありましたが後世のものでしょうか?
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅰ①:鹿渡城➡城びと未登録(千葉県四街道市) (2020/01/31 訪問)

自宅最寄り駅からJR四街道駅で下車。そこから徒歩25分/2Kmで城址入口(35.669688,140.1828)に着きました。

鹿渡城は臼井氏の一族である鹿渡氏によって築かれたと思われますが、鹿渡城の歴史については全くの未詳で、鎌倉時代、臼井氏の一族の中に「鹿渡太郎」「鹿渡小太郎」等の名が見られるだけです。
戦国時代にはおそらく、臼井城の支城として機能していたと考えられていますが、臼井城を攻撃する際に上杉氏や里見氏らの対抗勢力によって築かれた城であった可能性もあるそうです。
一時は「郷土の森公園」として整備されていましたが、現在は私有地となっており閉鎖されています。

縄張り図がない為、ひたすら歩き廻りました。空堀はかなり深く印象的でした。
土塁、虎口も確認できましたが、いたる所に立入禁止のロープが張ってあり、立入禁止外の場所も倒木が侵入を阻みます。
攻城時間は25分くらいでした。

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todo94

島津義久の隠居城 (2017/11/19 訪問)

現状では行ける県が雪国ばかりなので今年の初城詣ではまだできていません。仕方ないので過去の攻城から。島津義久が築城し、富隈城から移ったという城とのことです。

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佐田城 (2021/01/28 訪問)

佐田神社と合わせて歩いた。
佐田小学校と公民館の道向かいに城跡への看板がある。矢印通り階段を上がる。
尾根伝いに急登で、落ち葉が多い。堀と城郭がはっきり残っていた。

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牛若丸

行ってみたかったお城 (2020/12/13 訪問)

前から一度は行ってみたかったお城で、念願叶い昨年末に登城。
ちょっと離れた川沿いから見る犬山城が最高でした。
中も、現存天守なだけあって、昔ながらの姿を残していました。
余談ではありますが、城下町で食べたお団子が、香ばしくモチモチしてて美味しかったです。

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ふゆづき

湖城のある公園 (2020/12/27 訪問)

日本三大湖城の膳所城を訪問しました。
車で行ったので、道路を挟んで反対側にある公園の駐車場に駐車して城内を散策しました。
湖城ということもあり、高石垣はありませんが、天守台の付近などに少し低層の石垣が残されています。
往時を偲ぶことは難しいかもしれませんが、石垣の端が琵琶湖に浸されているのを見ると、それなりに楽しめるように思います。
最初の写真は「膳所城址」の石碑ですが、一寸解読が難しいですね(写真を大写しにすると解ります)。
攻城時間は30分ほどでした。

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ぴーかる

篠の丸城 (2020/12/13 訪問)

【篠の丸城】
<駐車場他>城跡駐車場<35.010142, 134.538046>7台分程あり。
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪
<感想>日帰り宍粟市攻城の旅3城目。パンフレットによるとこの城は南北朝時代、赤松貞範の子顕則によって築城されたと伝えられており、その後守護代宇野氏の拠点となった。長水城と同じように1580年秀吉の播磨攻めによって落城し、ご存じの黒田官兵衛が1584年改易された神子田正治の宍粟郡5万石をあたえられこの地の領主となっているが、官兵衛がこの城を居城としたかどうかは定かではない。元領主宇野氏所縁のものは黒田氏に仕官して福岡藩士として明治まで続いている。
 登城口からの登山道(800㍍程か)は整備されストック等は不必要だが、城跡内の北側や西側の曲輪群下段の方まで降りて見る方は必須です。城跡は広い主郭の西側に横堀を備えている。主郭南西側から西に二の丸が伸びていて、更に二の丸の西側に3重堀切(ちょっと薄くなっている)がある。二の丸北側と主郭北西側にかけて畝状竪掘り群が広がっているらしく降りてみたが、落葉の堆積で私の目では全くわからなかった。主郭北側から5段程の階段状の曲輪が連郭していて、段差も明確で攻め応えあります。この城跡からは石垣遺構が出ていないので、私見では官兵衛は宍粟在地3年間しかなく、島津攻めやらこの時期全然ここにいなかったので、この城はあまり重きを置いていなかったように感じた。

<満足度>◆◆◇

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麓に敦賀運河遺構 (2021/01/23 訪問)

琵琶湖東岸を北上する国道8号線と西岸を北上する161号線が合流する地点で、昔からの交通の要所にある。敦賀は日本海側の良港である。8号線や161号線を走り、敦賀には何度となく行ったが、国道を逸れて疋田の町並みに入るのは初めて。
雪が残っているなか登城。街道側は笙の川が削った急斜面、反対側の今は北陸本線側は、堀で守っている
本丸登り口脇に手作りのポストあり。登城メモや敦賀周辺の城の紹介パンフが備えられていた。パウチされた地形、遺構図が置いてあったので参考になった。
疋壇城下の街道沿いに、敦賀運河の遺構が整備されて残っていた。これも初めて知った。運河沿いの道も石畳ふうにして整備されている。
古来、敦賀港から、京都、大阪に物資が大量に運ばれ、琵琶湖と淀川の水運が活躍していた。敦賀と琵琶湖の間の山は300〜400mと比較的低く、平清盛の時代から、ここに運河を通す構想が何度もあり、着工されたものもある。敦賀運河遺構は、黒船襲来の時代のもの。日本海から、標高70mの疋田まで運河を作り、人が綱で引いたり、竿で押したりして平底舟を引き上げたと。説明板の写真を添付したので詳しくはそちらをどうぞ。

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昌官忠

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」⑨ (2017/02/19 訪問)

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」の9城目は高知城(ラスト)です。徳島城からの転戦です。
2回目の攻城を2020/11に攻城予定でしたが、新型コロナの影響でキャンセルしました。

1601年(慶長6年)山内一豊土佐国に入国し、築城着工
1603年(慶長8年)本丸と二ノ丸の石垣工事が完成。本丸・詰門・廊下門・太鼓櫓が竣工。初代藩主山内一豊が入城
1611年(慶長16年)三ノ丸が完成し、着工以来10年目にしてほぼ全城郭が整う
1664年(寛文4年)追手門を再建
1727年(享保12年)城下町の大火で追手門を残し天守はじめほとんどの建物を焼失
1729年(享保14年)再建に着手
1746年(延享3年)本丸の再建着手
1749年(寛延2年)天守が完成、現在の天守はこの時のもの
1753年(宝暦3年)三ノ丸完成し、着手以来25年目にしてほぼすべての建物が整う
1801年(享和元年)追手門の大修理を行う
1846年(弘化3年)天守の修理を行う
1873年(明治6年)廃城令により天守等の本丸周辺建造物と追手門を残し城郭建造物がとり払われた
現在、高知公園として整備されています。

追手門から天守閣が見えますが、追手門から天守閣まで石段登りが結構大変かも。
天守閣の忍び返しは、ここだけにしか残っていないとのこと。
天守最上階からの眺めは最高です。撮った写真は115枚。この中から選んだ10枚を投稿します。
攻城時間は120分くらいでした。

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昌官忠

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」⑧ (2017/02/19 訪問)

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」の8城目は徳島城です。高松城からの転戦です。
2回目の攻城を2020/11に攻城予定でしたが、新型コロナの影響でキャンセルしました。

1585年(天正13年)蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波1国18万6000石で入封し築造開始。
1586年(天正14年)完成。以後、大坂の陣の戦功等により淡路7万1千石の加増がされ、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石7千石の居城となり、明治維新を迎えます。
創建当時の天守は元和年間(1615年–1624年)に取り壊されたといわれており、まもなく、城山の中腹にある東二の丸に天守代用の御三階櫓が構えられます。
東二の丸天守は、天守破却後に天守の代用として建てられ、当時は御三階櫓と呼ばれていたものです。
1873年(明治6年)廃城令により存城処分となります。
1875年(明治8年)には鷲之門を除く御三階櫓以下、城内のすべての建築物が撤去されました。
現在は徳島中央公園として整備されており、太平洋戦争中で焼失した鷲之門が復元されています。
また、公園内には蜂須賀家政の銅像も建てられています。
国の名勝に指定された表御殿庭園に隣接する徳島城博物館では徳島藩と蜂須賀家の歴史資料が常設展示されています。

建物は残っていませんが、独特の石垣が楽しめます。御殿の庭園の美しさも必見です。
攻城時間は120分くらいでした。

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愛してやまない松山城 (2020/01/02 訪問)

僕が愛してやまない松山城を紹介します。
写真は、たったの10枚。毎日のように通ってる松山城の写真はまだまだ有るのですが…
賤ヶ岳の七本槍で有名な加藤嘉明が築きました。
松山城には、全国的に珍しい登り石垣が良好に残っています。県庁裏の登城ルートから良く見えるので、お勧めのコースです。
そして20メートルほどの高石垣に現存天守。床はピカピカです。
重要文化財の数は21棟あり、姫路城に次いで2位です。日本3大連立式天守の一つでもあり、日本3大平山城でもあります。
まるで、迷路のように寄手を惑わせます。
なんと言っても、本丸からの景観は圧巻です。
360度、松山市の街並みが見渡せます。遠くには瀬戸内海もご覧頂けます。
ほぼ毎日登城してますが、飽きる事はありません。
体力に自信がない方は、ロープウェイかリフトを利用すると良いでしょう。
場内にトイレや自販機は多数あります。
御城印は300円、御城印帳は2700円、天守入り口切符売り場にて販売されています。
僕が愛してやまない松山城。またまだ、見どころは満載です。
是非、ご来城し、その後は道後温泉で、温まってください。

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ながす

清洲城 (2021/01/09 訪問)

御城印5つ目は清洲城!!
清洲会議!!
カッコいい天守!

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ながす

関ヶ原古戦場 (2020/12/27 訪問)

天下分け目の戦い!!
新しくできた関ヶ原古戦場記念館行けて良かった!

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にのまる

早川口遺構など (2021/01/02 訪問)

<続き>
 城山公園メインの総構ウォーキングから一旦小田原駅に戻り、二宮神社の土塁と伝・障子堀をチラ見して早川口遺構に行きました。その途中にあったのが<秋山真之終焉の地>の案内板と記念碑。年末に3年にわたって放映されたNHKの「坂の上の雲」を思い出しました。もう10年も前だ…。
 
 早川口遺構は公園になっていて、どっしりとした土塁を見ることができました。説明板には明治以降この場所は別荘地などとして使われたとあります。現在見られる玉石垣や枯山水庭園にありそうな大きな石、礎石のように地面に埋まっている石もかつては虎口を固めていたものかもしれないと思うと、石は歴史の生き証人だ…という思いを強くします。
 
 けっこう歩いたのでそろそろ帰ろうと思ったのですが、せっかくなので御幸の浜に出てみました。ちょうど日没の時間で夕日が石垣山にかかり、空をオレンジ色に染めていきます。美しいです。あそこからここまで…歩いてみたい(*゚▽゚)ノ
 
 帰りは幸田口門土塁を通り抜けました。この土塁は私の小田原巡りの定番経路になりつつあります。先月駅前にオープンした「小田原城下町」。今回は寄りませんでしたが、いつかゆっくり見てみたいです。
 
 総延長9㎞の総構の中に点在する遺構をひとつひとつ探して歩くのは宝探しのようで楽しいです。町全体がお城ってほんとにすごい。テーマパークのような町です。まだ見ていない現存土塁も何か所かあるので制覇したいです。

 
⭐︎写真⑩は籠城生活の友です\(^o^)/

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ながす

犬山城 (2020/12/20 訪問)

御城印4つ目は犬山城!
国宝現存天守!!素晴らしい!
城下町も良き!

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ながす

桶狭間古戦場 (2020/12/12 訪問)

近世の曙!桶狭間の戦い!!
観光案内所の方が丁寧に教えてくれて楽しかった!

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