石倉城に行ってきました
注意書き
・ここの石倉城二の丸公園(石碑があるところ)は
地蜂らしきものがいます。地面にあるあなは巣なので
そこはふまず、さらに公園に近寄るのは避けてほしいです
ここは1485年に長尾憲景が築城しました。
堀は利根川の水を久留間川を利していれていたといわれている
その城主長尾憲景が総社長尾氏と白井長尾氏と長野氏との戦いの
新井城の戦いで戦死し、三男の長景が城主となったが
石倉城が関東要衛であるため信玄に攻められ落城し、
内藤修理亮政豊及び外記親子が城主となりました
ですが内藤修理亮政豊が長篠で戦死すると外記は
厩橋城代北条高広の軍門に降り北条家臣寺井左馬助が守りました
この間80年間は度重なる攻防凄惨な流血を繰り返して
1590年に德川進行により寺井左馬助が
松平康国との井野川の戦いで奮戦したが負け、石倉城に退きました
ですが一応松平康国は戦死、勝った理由は弟が1000騎馬で攻めまくり、
勝ったと言われている。そして負けた左馬助は城に火を放ち自害し
石倉は廃城となった
〔城情報〕
・築城年代 1485年
・形体 平城
・築城者 長尾憲景
・主要城主 長尾氏、内藤氏、寺井氏
・主な遺構 消滅
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