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todo94

妙心寺から歩いてアプローチ (2020/01/12 訪問)

京の冬の旅の妙心寺の特別公開(仏殿・明智風呂と玉鳳院)を見てから、歩いてアプローチしました。船岡山全体が国史跡に指定されていて、中腹には織田信長を祀った建勲神社があります。応仁の乱の西軍による築城とのことです。

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山口駿河守幻夢斎

北条氏に従い、北条氏と運命を共にした井田氏の古城跡 (2020/01/20 訪問)

坂田城は、上総と下総の境界に位置し、三谷氏を倒してこの地を支配した井田氏の居城と言われています。

井田氏は、北条氏に従い、その命令の下、各地に援軍に駆り出され、その軍役の負担に苦しんだとされます。

その後、北条氏滅亡とともに、井田氏も滅び去り、城もその役目を終えたと考えられます。

毎年、坂田城の見事な梅林をめでる、坂田城梅まつりが開催されるのですが、その時はとてもきれいに整備された坂田城跡を見ることができます。
城跡には、JR横芝駅から徒歩25分くらい、または坂田池親水公園に広い駐車場が完備されています。

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タイ

情報少ない (2018/12/18 訪問)

遺構はわかりにくい

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中川藤兵衛尉

大坂本願寺 (2020/01/26 訪問)

写真の真ん中に見える横長の建物の右端やや左から、大坂本願寺時代のものと見られる石垣が検出されたそうです。早く本願寺時代の全貌が明らかになって欲しいですね。南無阿弥陀仏

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中川藤兵衛尉

大坂城 (2020/01/26 訪問)

城の北西側に、復元石垣や移築復元石垣がありました。嘗ては三の丸と考えられていましたが、研究者さんたちの精査により、京橋口馬出曲輪であると判明したそうです

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くっしー

曲輪がしっかり残っていて面白かった。 (2020/01/26 訪問)

今年に入って攻めた城の中で、一番面白かった。
本丸・二の丸・三の丸・堀切・切岸・枡形虎口と中世城郭の構造を勉強するためにあるような城です。
しかもそれらの構造を一通り見て回るのが、30分ちょっとで可能です!!
個人的には、枡形虎口が一番良かった。「攻める側」「守る側」の両方から観察できて、こんなに明確に枡形が見える山城はなかなかないと思います。
あまり期待せずに登ったこともあって、興奮しました!!!

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エヌ

石垣が素晴らしい (2020/01/18 訪問)

石垣にそこまで興味がなくても、行く価値あります。
タイムスリップしたような(笑)
そんな気分になりました。

周りの景色も手伝ってか、ゆっくりと時間が流れる感覚でした^ ^

御城印は村山龍平記念館で、無料で頂けます。
しかも、スタンプを自分で押して作れて楽しいです。
紙も頂く事ができました。

アンケートを記入すると、シールももらう事が出来ました。

所要時間は30分から1時間程
入り口にトイレあり。

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BUGTI

蒲生氏により改修された山城 (2020/01/25 訪問)

坂尾の喰違い土塁を見た後、大手側から登城しました。大手門あたりの土塁や堀は良い雰囲気です。道路が通っていて、破壊されたところも多いですが、石垣が残っているのはありがたい。天守曲輪は狭く、ここには立て籠るのは無理があるような。神社の裏手は巨岩が連なる石倉につながっており、矢穴の残された岩もありました。城下町には鍵の手の道路が残り、笠間稲荷の賑わいもあり当時の雰囲気を感じさせます。

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姫街道

西は三河、北は信濃まで治めた中泉陣屋 (2020/01/26 訪問)

この地域は、今はJRの磐田駅南口から100mの位置にあるが、少し前までは沼ばかりの湿地帯だったと聞く。
そんな所に、江戸時代の初めと言うから家康が天下を治めた頃に遠江を中心に西は三河、北は信濃まで治める代官陣屋が置かれていた事に驚きを感じる。東海道からは少し外れているし、いくら昔は磐田が遠江の中心地だったと言っても、遠江国分寺からは約2キロ南にあり、決して便が良くはなかったはずだが。。。
家康がここら辺で鷹狩りを楽しんだのは知られているが、そのための御殿まであり、江戸時代初期は明らかに重要拠点であったと思われる。

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BUGTI

佐竹氏と入れ替えで常陸へ来た秋田氏の城 (2020/01/25 訪問)

末廣稲荷神社が建つのが本丸の土塁跡だという。少し南に行ったところにも折れのある土塁が残っていました。また神社の裏手の保育所跡地の入口に案内標柱がありました。

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姫街道

高天神城の攻防に翻弄されたであろう城 (2020/01/26 訪問)

横須賀城の真北、高天神城の真西、各々への距離もほぼ等しく、高天神城をめぐる武田対徳川の攻防に翻弄されてたであろう城だ。現存は城の最南端の一部しか残っていない。不思議なのは、最も重要な本丸が突き出た形で最南端にある事だ。しかも、本丸に土橋で接続している馬出しまである。
本丸を見た後、当時の城全域を車で走った。おそらく現存の道路付近が、当時の外堀だっただろう、城全域をぐるりと回れた。

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姫街道

当国第一の要塞 (2020/01/26 訪問)

当国第一の要塞と言われた久野城。縄張りを見ると、周囲を大きな堀が囲んでいる。この地域は今でも水田地帯なので、当時は当然堀に水を張ったいただろう。パンフレットに台風で周囲が水没した時の写真が載ってるが、当時はその時のように、湖に浮かぶ城のような雰囲気だっただろう。
現在の久野城は、背の低いササが少々ある程度で各曲輪が綺麗に整備されていて、縄張りがわかりやすい。しかも、曲輪の数が凄く多いので、居住している人も多くいて賑やかな城だったのだろう。
また、大手門ははっきりわかる城の形状をしていて、隅櫓の跡も当時の雰囲気がよく伝わってくる。それだけ外堀が広く堅固だったと思われる。

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赤い城

山上碑の近くです (2020/01/25 訪問)

この日は倉賀野駅から徒歩で50分。
最寄りは上信電鉄の山名駅で山上碑を目指すと良いです。
山上碑は上野三碑のひとつで駐車場もあります。
山名城は山上碑から少し登ったところ、説明板が立っている先を右に進むと城跡となります。
郭と堀切を見ながら進むと主郭に。
主郭と西側の郭の間の堀切は結構深い。
主郭には石碑が立っていて公園っぽくなってます。
主郭の東側にも郭があり、急な切岸を滑り降りるとここにも横堀。
その先が2郭、3郭と続いているようですが、恐らくこの辺りは夏は藪と思われます。

根小屋城方面にハイキングコースにはハイカーも何人かいましたがここは独り占め状態。
冬晴れで気持ち良く探索することができました。
地元は山上碑推しですが城メグラーとしてはやはりこちらでした。

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OKZ桑名

整備されている歩道にしっかりとした良い遺構 (2020/01/26 訪問)

先に可児戦国山城ミュージアムに寄ってから登城しました。予習してから登城するとよく分かります。まずは、麓の米倉跡の圧巻の石垣を見て思わず後退りしてしまいました笑 整備された道を登っていくと所々に曲輪が見られたり小規模な石垣を見ることができます。本丸には枡形虎口が佇んでいます。ここからの眺めは素晴らしいです。帰りは南腰曲輪→二の丸→三の丸の順番に下りました。この城は私のような初心者でも楽しめるので超おすすめです!

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ひろ

天守閣 (2014/08/07 訪問)

天守閣

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ひろ

天守閣 (2020/01/24 訪問)

庭園がきれいです

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ひろ

天守閣 (2010/06/18 訪問)

きれいです

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イシテル

三河屈指の堅固な山城 (2019/01/25 訪問)

主郭・二の曲輪を守る数々の腰曲輪と竪堀、それに連なる尾根上に配置された各曲輪。
想像していた以上に大規模の山城であり、また各遺構も整備され綺麗に残されています。
主郭・二の曲輪は何段もの腰曲輪、帯曲輪で囲まれており、物見曲輪も造られ、軍事的要地として固く守られていたことが良く解ります。登城道も遊歩道として整備され、非常に歩き易く慣れていない方にも楽しめる山城です。
名電山中駅で降り、歩いて登城しました。登城口(舞木口側)は、思っていたより駅から近く、15分ほどで到着。
獣除けの柵の扉を開け中に入ると遊歩道となっており、登り始めから、これも15分も掛からずに尾根に配置された曲輪群に辿り着きました。約1時間ほど各曲輪を廻って遺構を堪能し、東尾根の曲輪に戻り途中で山中八幡宮側の登城口へ向かい下城。山中八幡宮でお参りをして帰りました。山中八幡宮は徳川所縁の神社で三河一向一揆で門徒に追われた家康が隠れた洞窟「鳩ヶ窟」があるそうです。
今回は舞木口から登城しましたが山中八幡宮をお参りしてからこちら側の登城口(神社の駐車場有)を登るのも良いかと思います。
舞木口側の登城口近くにある山中城用駐車場と山中八幡宮側登城口の写真をUPしておきますので、これから登城される方が参考いただければと思います。
遊歩道、山城の各遺構を整備いただいている地元の方々に感謝致します。

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ぴーかる

松坂城 (2020/01/04 訪問)

【百名城50城目】
<駐車場他>城跡横の松阪市駐車場無料
<交通手段>車

<見所>天守台・石垣・城番屋敷
<感想>新春1泊2日伊勢攻め城の旅4城目。約5ケ月ぶりの百・続百名城の攻城。蒲生氏郷の石垣造りの城を見るのは初めてで、いつも以上にアドレナリン出まくりの中訪城、期待通りのいい石垣遺構でした。まず表門から資料館にて押印と御城印購入、資料館には松坂城の古写真や金箔鬼瓦等が展示されています。資料館自体も明治時代に建てられたものなので文化財になっている。資料館後に二の丸(陣屋跡)、裏門跡・隠居丸跡石垣を見て本丸跡へ。
 天守台は本丸上段の西隅にあるが、入口階段はきたい丸という広い郭側にあり、きたい丸・帯郭と合わせると天守はど真中にある感じになり蒲生氏郷の城造りの意向が読取れた。また天守階段最上段に古墳の石棺蓋が使用されていた遺構は知らなかったので新知識が増えた。きたい丸から北側に抜けて藤見櫓跡、きたい丸の帯郭から石垣を観察、ここの石垣も11~12㍍程はある高石垣で見応えある。またきたい丸西側の帯郭には土塁が見られる。その下方は石垣でなく切岸になっていた。
 きたい丸南側から隠居丸南側に抜けて二の丸の石垣を観察、東側の太鼓櫓石垣に「すだれ」のある石垣がある。織豊期にも化粧の石垣はあったのだろうか、後からつけたものなのか江戸期に造りなおしているのかちょっと疑問に思った。東側の長石垣も見応えある。
 城跡をひとめぐりした後城番屋敷を見学、長屋で一軒だけ見れてあとは個人宅になっているのでした。米蔵も現存で内部非公開でした。ここを見て終了、本居宣長館には行かなかった。
 松坂城は安土城を真似たと言われるが、松坂城の方が郭の削平地が広く郭の土居を石垣で囲む等してあまりそうは思わなかった。中心部の郭配地は似ているかも。これにて百・続百名城の伊勢国制覇、攻めも50/100城目で後半戦も楽しむぞ。

<満足度>★★★★☆

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こるまろ

初めての広島城 (2011/01/22 訪問)

広島城初訪問は出張のついでに観光気分で。

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