福井城の前身の北ノ庄城ではなく、近江の北乃庄城です。
豊臣秀次の八幡山城の北の峰続きの岩崎山にあるこの城は、築城時期も古く歴史の舞台にも登場しない“謎の城”で、日本城郭体系にも詳細は収録されていません。
しかし、山城愛好家には割と名の知れた“マニアックな城”で、そんな謎に満ちた部分がかえって興味をそそるのかも知れませんね。
…と、いう事で、八幡山城の北の丸を起点に訪城します。
尾根筋にはトレッキングの遊歩道があって、利用者が多いのか良く踏み固められているので、迷う事も無く歩けます。
多少のアップダウンはありますが、30分も歩くと城址看板がありました。
縄張り図で見る限り、意外に本格的な城ですよ…。
さらに進むと、土橋の有る堀切と土塁が明瞭に現れました。此処から城内ですね。
城内も尾根(土塁上)を歩くのですが、城址としての整備はされてなく、カメラに撮った縄張り図を呼び出して確認しながらの難行です(^^;
下には曲輪の平場がある筈ですが、草木が繁って、わずかなフラット感しか判りません。
さらに進んで行くと、拓けた高台に出て、琵琶湖の景色が一望できます。
『あぁ~、なるほどね!』
謎の城と聞くと謎解きしたくなるのが人情で、歩きながらもずっとその事を考えていましたが、眼下に見える長命寺の湊と水茎岡山城を見て、繋がりました。
永正17年(1520)、六角定頼は水茎岡山城に籠る守護代の伊庭貞隆を攻め、滅ぼしていますが、“島城”だったので長命寺湊から安宅船を出して攻めています。
この城はたぶんその際の指揮所ですね。
三日ぶりにシャンプーしたみたいにスッキリした頭で、最後にこの城の名物の七ッ池を探します。
水の手に掘られた小さな溜池なのですが、近年はなかなか見つけにくい様です。
該当地あたりに着きましたが、果たして、一面が笹竹に覆われて手強い藪になっています(-_-;)
それでも、笹の上面を透かして見ていると、かすかな凹みが有るのが判ります。
『あれだ!』と、藪コギで強引に分け入って見ると、ありました♪
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