愛川中学校前にある説明板に「城址には石塁跡と守護神の八幡社があり…」と書かれていたので学校の裏山にまわってみましたが、左手の墓地の先の川を見下ろす平場は耕作地で、八幡社も石塁跡もこちら側ではなかったようです。中学校のお隣の竹林や大きな桜の木があるあたりは当時の何かを留めているのかもしれないという雰囲気がありました。
中学校まわりの散策を切り上げてグラウンド横の道から三増合戦場跡碑へ。黄砂で空がどんよりとしていましたが目の前には菜の花畑が広がり、遠くの山には満開の山桜も望め、春の空気がとても穏やかでした。
10分ほど歩いたところに合戦場碑や四阿の整備された一角があり、合戦のあらましと陣立図の傍らにはフレグランス線香の香りが爽やかな新しい供養塔。主戦場だった桑畑で今から20年前に見つかった人骨をここに埋葬したとのことです。現在ののどかな風景からは想像しがたいのですが近くに首塚もあり、犠牲者が4,000人を超える激戦地だったということに思いを致します。
田代城の狼煙台へも行けそうだったので地図を頼りに登城口らしきところを探して踏み跡のある道を少し入ってみましたが、確信が持てないうえに藪。しかも近くの茶畑に刺してあったたくさんのマネキンの首が450年前の合戦で果てた人たちの首級に思え、時空を超えて落ち武者狩りにあうかもしれないという恐怖で退散しました。戦場のリアルはその経過や結果を知識として得るだけではなくて、ひとりの人間の生き様死に様に思いを馳せることで見えてくるものもあるのではないかと思った次第です。
…最後はちょっと怖かったけど、でもやっぱり狼煙台や石塁、八幡社、胴塚、信玄の旗立松、卵菓屋さんと心残りのところがいくつもあるので再訪したいです。
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