みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

todo94

立入禁止 (2020/10/31 訪問)

つくば献血ルームに向かう前に立ち寄り、説明板を難なく見つけることができました。その説明板に石碑の位置が明示されていたので何の疑いもなく地下道を通り抜けてしまいましたが、JR東日本は通行を許可していなかったのですね。申し訳ありませんでした。

+ 続きを読む

奥河内の楠公、畠山氏所縁の城を巡る (2020/11/23 訪問)

河内長野で一番高い山(比高200m)。楠木七城の一つで、その後、畠山義就が立て籠り、畠山政長と家督争い。応仁の乱の2年前となる前哨戦と。
登山口から案内板、道表示がよく整備されていた。猪避けの柵の扉脇に携帯用の小さなベルが用意してある。主要部の草刈りもされていて、ありがたい。
東の大阪湾、西の金剛山方面の眺望もすばらしい。
同じ山体の北側、龍泉寺城(嶽山城)に山づたいに連絡しているはずだが、道が心もとないので、一旦下山して山の東側に回り込んで嶽山城を目指した。猪避けの柵の扉内側に、整備のための協力募金箱があったので、募金しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

奥河内の楠公、畠山氏所縁の城を巡る (2020/11/23 訪問)

烏帽子形城、仁王山城から、河内長野駅にとって返し、金胎寺城へ。さらに、山体の東に回り込んで、龍泉寺城(嶽山城)へ。
山頂に簡保の宿があり、テニスコートがまさに頂にある。東斜面には、みかん畑が拡がっており、金剛山や葛城山も近くに見える。金剛山尾根にある赤坂城も見えている(はず)。東には平地を隔てて烏帽子形城があり、この辺りの城を一望できる要所。
車道をひたすら登り、テニスコートに着くと、「工事中で、城跡には入れません」と😞
西側へ降り、初芝高校脇を経て、滝谷不動駅へ。石川を渡る橋に、石川川床にアケボノ象の足跡が発見されたことの紹介があった。「金剛山が今ほど高くなかった頃」と。一日、よう歩きました。

+ 続きを読む

ふゆづき

曇天の下で (2020/11/21 訪問)

天気予報では曇天ということだったので、雲海が期待できないことは解っていましたが、その分「密」を避けることができるであろうという判断で、竹田城を訪問しました。
鉄道で行きましたので、先ずは竹田駅で下車。駅のホームから城の石垣が見えるので、気分は高まります。

往路は、竹田駅から10:05発の天空バスに乗車して向かいましたが、駅では空席がありましたが、山城の里で多くの乗車があり、積み残しが出たようでした。
山城の里から竹田城跡までの自動車道は、散策がてら歩いている人もかなりありました。
バス停を降りて、整備された歩道を歩くこと約15分で、登城口に到着。ここで御城印を頂きました。
ただし、雲海の入った御城印は、展望台、山城の里又は駅前の小物屋さんで扱っているとのことで、ここでは入手できませんでした。
写真のとおり、城内の人出はそれほどではなく、ゆっくり見ることができましたが、雲海を期待しないのであれば、午後から登城という方法もあったように思いました。
私としては、南千畳から天守閣方面のアングルが印象的であったように思いました。
城内の滞在時間は1時間というところです。

復路は山道を下りましたが、ゆっくり下って、駅まで約30分というところだと思います。
登山道の途中にも、そこここに石垣があり、注意していないと見過ごしそうです。
途中で紅葉が綺麗でしたので、写真に撮りました(最後のものです)。
登山口を降りると、寺院が並んであり、この城の麓が寺院で固められていたことが解りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

火ノ島豊後守正宗

米子城 (2020/11/27 訪問)

続43城目。
米子城に到着。
あいにくの曇天でしたが、山頂からの米子市街地は絶景でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑩ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の10城目(ラストです)は二連木城です。
帰りの新幹線の時間まで余裕があったので、吉田城近くの二連木城を急遽攻城しました。
現在城址は大口公園として整備されていますが、駐車場ありません。仕方なく路駐(34.770445、137.414999)し、急ぎ城址碑の写真を撮って撤退しました。本丸を囲む土塁が残っていましたが、見学している余裕なし。何しにきたのやら。攻城時間は5分もなかったと思います。
帰りは豊橋駅からの帰宅なので、駅で名物の「豊橋カレーうどん」を食べてきました。

+ 続きを読む

昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑨ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の9城目は吉田城です。続100スタンプは鉄櫓で押しました。
車は豊橋公園の駐車場(34.770546、137.395463)に駐車し、裏御門から本丸の鉄櫓を目指しました。(スタンプを置いてある鉄櫓が15:00閉館なので急ぎました)
石垣や空堀、土塁が良く残っています。特に本丸付近の石垣は見事でした。背後を流れる豊川は美しかった。攻城時間は50分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー28城目 (2020/10/31 訪問)

スタンプ置き場が土浦市立博物館に変わっていました。入館料を支払わなくてもスタンプを押せますが、土浦城東櫓に入館するには博物館の入館券が必要です。東櫓で入館料を支払うことはできませんのでお気をつけください。博物館の入館料は105円です。土浦市立博物館の展示を拝見するのは今回が初めてでした。また、木田余城攻城の後に移築高麗門をチェックすることもできました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑧ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の8城目は長篠城です。100名城スタンプは長篠城址史跡保存館で押しました。
車は長篠城址史跡保存館駐車場(34.923358、137.560144)に駐車しました。
長篠城は「長篠の戦い」に先立ち、激しい攻防戦が行われたことで知られています。
本丸付近に空堀や土塁を確認することができますが、城址内を電車が走っていることに驚きです。
馬場信房公の墓を見学する為の車の駐車空スペース(34.924023、137.554133)はありますが、歩いてもそんなに離れていません。攻城時間は40分くらいでした。(本丸付近の見学だけなら、そんなにかかりません)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

重要文化財の素晴らしい櫓が二基もある海城 (2019/01/01 訪問)

先ずは重文の月見櫓から巡りました。
水手御門と合わさってとてもカッコいいです。

もう一つ重文の艮櫓は、石落や鉄砲狭間を備え戦闘的かつ美しかったです。
もとは、東の丸の北東の隅櫓でしたが、太鼓櫓跡に移築されています。

解体修理が終了した天守台は立派で、CGにあるような南蛮造りの天守が復元されたら、ぜひ再訪したいです。

綺麗な水堀には鯛が泳いでいて、いかにも海城って感じでした。

さすが、日本三水城とされるだけあって良い城で楽しかったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑦・文殊山城 (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の7城目は城びと未登録の「文殊山城」です。
古宮城攻城後に行った「作手歴史民俗資料館」で入手した作手戦国絵巻の資料で作手地区には、6つの城址があることがわかりました。
 ①文殊山城址②塞之神城址③石橋城址④亀山城址⑤古宮城址⑥川尻城址
③④⑤は攻城済でしたので、時間の都合で残り1城しか攻城できない為、攻城時間が短い①文殊山城址を教えて頂き、急遽攻城するこにしました。
文殊山城直下の空スペース(34.969052、137.414978)に駐車可能ですが、グーグルでGPS座標入力すると車で行けないルートを指示されます。車で行くには作手診療所近く(34.974832、137.420948)を入力すれば文殊山城跡の標柱がありますので、そこから車で登ってください。
文殊山城は奥平氏によって一夜にして築かれたので一夜城とも呼ばれています。攻城時間は15分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑥ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の6城目は古宮城です。古宮城を攻城する前に作手歴史民俗資料館」(34.976177、137.423451)に寄りましたが、10時前で開いていなかった為、近くのYショップ(34.978624、137.424101)で続100名城のスタンプを押して古宮城に向かいました。
古宮城の駐車場は白鳥神社近くの空きスペース(34.971829、137.428762)に2~3台は駐車可能です。
古宮城は竹田信玄が馬場信春に築かせた城です。「長篠の戦い」に先立つ1573年に武田氏を離反した奥平氏と徳川氏によって落城させられています。
土塁や空堀が綺麗に残っているのに遺構の説明がないのは残念でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

岐阜愛知遠征2日間⑤・石橋城 (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の5城目は石橋城です。
石橋城は城びと未登録です。亀山城からの転戦ですが、転戦といっても「道の駅 つくで手作り村」の国道301号線を挟んだ前の「石橋山慈昌院」が城址になりますので、そのまま徒歩で攻城。
石橋城は奥平家2代当主・奥平貞久の次男、石橋弾正久勝の居城です。この人、謀反を企みましたが事前に露見して攻められて討ち死にしたようです。慈昌院の奥に土塁があるようですが、自分は未確認です。攻城時間は5分くらいでした。

+ 続きを読む

昌官忠

岐阜愛知遠征2日間④ (2018/11/24 訪問)

岐阜愛知遠征2日間の4城目は亀山城です。
前泊した豊橋駅でレンタカーを借りて「道の駅 つくで手作り村」(34.963658、137.420876)に駐車して攻城しました。亀山城は「道の駅 つくで手作り村」の裏手になります。攻城口近くにも駐車場はありますが、道の駅前の国道301号線を挟んだ「石橋城(慈昌院)」も見学したかったので、こちらの駐車場を利用しました。
亀山城は奥平貞俊によって築かれた城で奥平氏が5代居城し、江戸時代には作手藩1万7千石として松平忠明が城主をつとめたようです。国道301号線から「亀山城趾」の大きな看板が見えます。こじんまりした城跡ですが、堀や土塁が確認できます。攻城時間は30分くらいでした。
ちなみに前泊した豊橋の駅のイルミネーションが綺麗でしたので、そちらの写真も投稿します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Dokuganryu

国宝犬山城 (2020/02/03 訪問)

名古屋からのアクセスは意外によい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Dokuganryu

石垣山一夜城 (2020/11/22 訪問)

穴太衆による野面積みの石垣が素晴らしい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

怖くない仁王様。 (2020/11/07 訪問)

秩父って山奥!のイメージでしたが私が住む東京の端っこから車で1時間30分で到着しました。
高速も使わず、山道も急カーブが少なかったので楽々ドライブでした。
電車なら西武鉄道、秩父鉄道と秩父駅までならアクセスが良さそうです。

「永田城」は築城時期が不明です。
おまけに城主も永田 林四郎さん、諏訪 右衛門さん、寺尾 彦三郎さんの名前は出てきましたが、どんな活躍をした お城かは不明のままです。

「永田城」は住所でナビ設定したら写真⑥の場所に到着しました。写真の橋は「秩父ハープ橋」です。バンジージャンプできそうな高さです。
ナビを頼るより「22番札所 永福寺」を目指して下さい。秩父三十四箇所巡礼でお参りしている方々がいらっしゃいます。お遍路さんです。
道路沿いに『◯◯番→』とありますので、迷わないと思います。
「永田城」=永福寺には駐車場があります。
山門があり仁王様を覗くと、とぼけたお顔の仁王様。
写真①の説明板の中に「永田城」が記載されてました。
童子堂の彫刻が素晴らしく長い時間、見させていただきました。
「永田城」を忘れ、しばし「永福寺」に没頭してしまいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

新田氏館 [群馬県太田市世良田町3201−4] (2014/09/28 訪問)

太平記の舞台となる南北朝時代、鎌倉幕府の北条政権に立ち向かうべく新田義貞が数騎で新田荘を出て、徐々に仲間を増やし、鎌倉へ攻め入る頃には大軍になって鎌倉幕府討伐に繋がった・・・っていう歴史は戦国時代好きなお城フリークの方々にはいまいちピンと来ない出来事かもしれません。

自分も千早城攻略の際にこの時代の復習をするまで興味無かったのですが、今や太平記の主人公と言っても良い楠木正成ファンになってます(江戸城の騎馬像初めて見た時、「誰?」と思ったのが遠い昔の想い出www)

そんな太平記に登城する、残念な人物として挙げられる事の多い新田義貞の地元が群馬県世良田地区の新田荘になります。

その中で今は總持寺になっている場所が新田氏館跡地になります。
歴代の新田荘家の人物がここに住んでいた事から、新田義貞もここをスタートに鎌倉に乗りこんだんでしょう。

残念ながら遺構は残っておらず、總持寺の山門の所に碑石と解説があるのみです。
(お寺の山門や梵鐘櫓がそれらしく見えるのは良かったです(^_^)b)

更にここから南東にある世良田東照宮を含む歴史公園内にもかなりの見所があります。
そもそも世良田氏は徳川の祖の血筋であり、結構重要な場所なんじゃないでしょうか?


近場にも新田氏関連の史跡(反町館や江田館等)多く、新田義貞の像は自分が知っているだけでも太田市内に3体はあります。

公共交通機関では回り辛いので、車でまとめて訪問されるのが良いかと。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

奥河内の楠公、畠山氏所縁の城を巡る (2020/11/23 訪問)

南海電車河内長野駅から高野街道をたどり、烏帽子形城は近い。烏帽子形城から西方の仁王山城を目指した。この辺りの高台は、○○台とか○○が丘と名付けられた宅地がたくさんある。元は平坦な土地を川が侵食した地形に思われる。
仁王山城がある、旭ヶ丘は、烏帽子形城の麓も流れる石川が東側と南側を削り、急斜面を成している。仁王山城の比高は、70mほどであるが、比高の元の旭ヶ丘が既に高台である。地図を見ると、旭ヶ丘内の南東の小山が汐の山城と。仁王山城は、旭ヶ丘団地を全部含む大きさだったとあるから、仁王山城の一部であろう。仁王山城本郭では、堀切(らしき)と頂上の平削地を認識した。
旭ヶ丘から見た烏帽子形山は、烏帽子に見えないことはない。河内長野駅側からは、なだらかな外見だが。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

BUGTI

関東郡代伊奈氏の拠点城 (2020/11/24 訪問)

赤山陣屋とも言われるが、城域は広くて立派な城である。廃城後は田畑になったようだが、空堀がきれいに整備されていてわかりやすい。特に北堀は当時の面影をよく残している。

+ 続きを読む

ページ1120