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織田晃司

新幹線 (2020/11/28 訪問)

小早川隆景が城主の城で唯一新幹線による破壊の無い城です。
(三原城は新幹線・山陽本線により分断。高山城と新高山城はトンネルにより真下を新幹線が通過)

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BUGTI

眺望の良い城 (2020/11/28 訪問)

案内図によると連郭式の細長い形をした山城のようだが、今では畑や藪になって曲輪の様子は良くわからない。堀切もだいぶ浅くなっているが、標柱があるのでかろうじて気付くことができた。松田駅から歩いて30分ぐらいで着きました。車道をショートカットする階段は藪と倒木がありお勧めしません。天気が良いと相模湾や富士山の眺望が楽しめます。

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BUGTI

障子堀が見どころの城 (2020/11/28 訪問)

いいとこばかりの城です。駅から近い。立派な障子堀を見ることができる。城跡から小田原方面の眺望がよい。整備に力を入れていることがわかります。そんなに高い山ではないのに、こんな障子堀があちこちにあって防御が堅い良い城です。

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赤い城

市民の憩いの場 (2020/11/28 訪問)

土浦駅から徒歩で15分。亀城公園となっています。
スタンプは隣接する博物館の入口にありました。
博物館の入館料は105円、これで東櫓にも入れます。
定番の櫓門など現存の門が3つと復元された東櫓、西櫓に土塁と堀が残っています。
二の丸では近所の方がグランドゴルフを楽しんでいらっしゃいました。
近世城郭として残っていますが戦国期は小田城の支城。
小田氏治が佐竹氏の攻勢から逃れて入城しています。

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ぴちょまる

大多喜城 (2020/11/29 訪問)

歩きなら、大多喜高校の校舎とグランドの間の道を抜けて、階段で登っていくことができる道がある。
夷隅川を濠とし、断崖の上に建つ平山城。
実際に天守があったかどうかは不明らしいが、城下から見上げて見るシンボルがあるのはやはり良いと思う。

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小城小次郎

溢れんばかりの才を持つ重臣の生き様 (2020/10/17 訪問)

溢れんばかりの才を疎まれ主君に討たれる三好重臣・篠原長房の生き様は、扇谷上杉家宰・太田道灌のそれにも重なって見える。長房が最期を遂げた城跡は、道路崩落を乗り越えるも草と雨とに阻まれて主郭に辿り着けず無念の撤退。

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いんげん丸虫

遺構が良く残っている平山城。 (2020/11/08 訪問)

専用の駐車スペースがあり、案内看板があります。小山城の支城のようです。方形の区画に横堀が巡って横矢がかかってます。見易い遺構です。

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チェブ

軽自動車で突撃。 (2020/11/07 訪問)

秩父市の「諏訪城」、軽自動車でヘトヘトドライブでした。皆さんの投稿にあるように細道です。対向車が来ない事を祈り前進しました。

「諏訪城」の築城時期は不明です。
日本100名城「鉢形城」城主 北条 氏邦さんの家臣 諏訪 民部さんの居城のようです。諏訪さんを調べましたが、どんな方だったのか検索してもヒットしませんでした。

ナビ設定し出陣すると、ここ入って大丈夫かな~と不安になる道を案内されますので、心の準備が必要です。「諏訪城跡入口」の標柱を見つけたら、更に細道前進です。
「諏訪城」=「諏訪神社」です。
鳥居の前に駐車しました。Uターンもできる広さがあります。向かって左側に遺構らしきコンモリ発見。
、、、なんだか分かりません。
奥に「諏訪城」の説明板があります。
静かな「諏訪城」と思いきや、勢いのいい水の流れる音が聞こえます。
荒川と横瀬川の合流地点の高い場所に「諏訪城」があります。天然要害です。
「鉢形城」も荒川が、お城横を流れていたので、川を使っての物資輸送などにも利用していたのかもしれませんね。
と、今度は電車の音が聞こえます。秩父鉄道です。
こちらは明治から、石炭やセメントを輸送してしまいました。秩父市はセメント工場があったので現役中ですね。
ちなみに来年の大河ドラマの主役 渋沢 栄一さん、セメント工場に資金を援助しているので、登場するかもしれません。(諏訪城は難しいですけど、、、)

無事、Uターンして細道を通過しました。
実は「諏訪城」の遺構は緊張して運転した畑の細道周辺のようです。
「諏訪城」攻めは歩いた方が良いかもしれませんよ。

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織田晃司

安芸の宮島 (2020/11/28 訪問)

宮島桟橋からすぐ近くにある要害山(宮尾城)

毛利元就が陶晴賢を破り中国地方の覇権に近づいた厳島合戦。

写真は僅かに残る石垣と堀切跡

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キンヤ

今は小学校の敷地にある織田信治の城 (2020/11/28 訪問)

織田信長の弟である信治が城主であったと云われます。
かつての城域は東西300m、南北200mと大きな城であったそうですが、遺構は残っていません。

今は開明小学校になっていて気を使いましたが、大人も子供も城跡と認識されている為か、石碑と説明板の写真を撮っていても、不審がられずに助かりました。

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刑部

リゾートマンションに囲まれた城址 (2020/11/23 訪問)

本丸だけ遺して周りはマンションや宿、よく遺してくれましたね感謝! 土塁と空堀はしっかり本丸を守ってます。

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キンヤ

岩倉城落城の後、山内一豊が頼った浅井政高の城 (2020/11/28 訪問)

尾張浅井氏の政高による築城とされます。
政高は岩倉織田氏の家老 山内盛豊の従兄弟で、岩倉城落城の後、盛豊の息子である一豊が頼って行ったとも云われる城です。

かつては二重の堀を巡らせていたそうですが、遺構は残っていません。
城跡は珍しく自動車学校となっており、その端に立派な石碑が建っています。

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刑部

たくさんある石碑 (2020/11/23 訪問)

至る所に石碑〔標柱}があります、いったいいくつあるのかな?

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キンヤ

立派な石碑が建つ中島氏の居城 (2020/11/28 訪問)

鎌倉時代以来、中島氏の居城と云われます。

遺構は残っていませんが立派な石碑があります。
同じ名称の名古屋市緑区の中島砦の石碑を思い出し、形状と色が似た石碑だなと思いました。

この少し西側にも立派な中島廃寺跡の石碑があり中島城との関係が気になります。

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イシテル

柴田勝家の築いた渾身の陣城 (2020/11/21 訪問)

柳ケ瀬トンネルの敦賀側出口で出て直ぐ右折し、玄蕃尾城に向かう林道へ入り約2kmを走ると登城口へ到着。
昼前から登城口の駐車場(5台ほど駐車可能)が混み合うとの情報があり、9時半に到着する予定で出発しましたが、途中の高速で事故渋滞に巻き込まれ、2時間遅れで11時の到着。その時は、2台の車の駐車で何とか混み合う前に駐車。奥のトイレの前に設置されている続100名城のスタンプを押し(パンフレット在庫切れ・残念)、登城口から約20分ほど登ると南郭へ到着。
虎口から入り、土橋を渡り、虎口郭、馬出郭を見て過ぎると主郭へ入った。主郭の奥には櫓台があり、櫓台上には櫓が建てられていた跡の礎石が残されている。主郭は3つの虎口があり、土塁、堀で囲まれている。北側の主郭虎口を抜けて左に進むと馬出がありその先に大きな搦手郭があり、ここも空堀と土塁に囲まれ配置されいる。空堀は深く、土塁上まで3m程の高さがあり、陣城ですが規模の大きい山城であったと想像できます。高い土塁と堀で巧妙に郭を囲み、柴田勝家が築いた高い防御性の高い、渾身の陣城。
30分ほど遺構を見て回り、登城口に下りると情報どおり駐車場が混み合っていて、ギリギリの時間で到着していたと安堵。
この城は、携帯もラジオ(熊よけ)も全く電波が届かず、役に立ちません。「熊の棲みか」とガイド本にも注意が書いてあり、熊鈴、ラジオ、撃退スプレーまで用意して万全な対策をしていましたが、思ったより登城者が多く、休日昼頃の登城でしたら大丈夫そうです(平日は準備万全で)。

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イシテル

遺構の全てが凝縮した醍醐味のある山城 (2020/11/21 訪問)

久しぶりに投稿します。
新型コロナウイルスの感染を恐れて公共交通機関での移動を避け、しばらく城廻を中止していましたが、巣籠の我慢が限界となり、心ならずもレンタカーを利用して行ってきました。
鎌刃城には麓に専用駐車場があり、その駐車スペースも大きく、10台ほどの車が駐車していましたが、後10台は停められるほどのゆとりがありました。案内板も駐車場に設置されており、地元の方の取り組みに感謝します。
まず、続100名城のスタンプのあるCafe&Gallery「源右衛門」へ向かいました。スタンプを押し、案内パンフレットボックスの中のパンフレットと御城印を購入。到着が14時半でしたので、御城印が残り1枚だけでしたが手に入れられました。でも、後で判ったことですが、北ーⅤ曲輪にも案内パンフレットボックスがあり、その中に数枚の御城印が収められていました。もしCafe&Gallery「源右衛門」に無くてもここで手に入りますので、大丈夫です。
駐車場方向に戻り、案内板に従い約3kmの登城を開始。この季節、どの山城もそうですが落ち葉が多く、足が滑りそうになりながら、40分程、登って行くと北の大堀切に到着。
そこから右に廻って行くと大石垣が見られます。大石垣から尾根筋へ登り、その途中で水の手(大甕に水が流れ込んでいる)を見ながら北ーⅤ曲輪。そこから主郭を目指して尾根を南方向へ登って行くと幾つかの北曲輪(Ⅳー2、Ⅳー1、Ⅲ、Ⅱ、Ⅰ)を過ぎ、主郭前面の虎口へ到着。虎口は石垣で囲まれ、その石垣は石と石の間を粘土で詰めた練積みで作られています。
主郭を通り過ぎ、南曲輪へ進むと土塁と深い堀切が続き、この難所を歩き最後の堀切を降りると最大の水の手である青龍の滝に辿り着きます。途中の七つの堀切は攻め手を阻む醍醐味のある遺構。山城好きは一度体験されることがお勧めです。
青龍の滝に着いた時点で16時前になっており、日没を考えると急ぎ下山が賢明であると思い(野獣の餌食!)、西曲輪に行くのを断念。
時間削減のため戻りは堀切を通らず、横のトレッキング用の道を歩き、何とか、熊に会うことも無く、16時半に無事下城しました。
大堀切、大石垣、土塁、主郭虎口の練積み作りの石垣、連続する堀切、畝状竪堀群(時間切れで未体験)、水の手(青龍の滝)など、遺構が全て見られる醍醐味のある山城です。
但し、獣、山ヒル(上から何かぬるっとしたものが頬にあたって手で掃い難を逃れた!)とアップダウンの連続がありますので、シッカリとトレッキングの装備(熊鈴、服装、靴、ステッキなど)を忘れずにご準備下さい。時間の余裕も...、ここは、舐めたらあかん。
案内パンフレットボックスの中のパンフレットは、良く出来ていますので、登城前に確認しておくことをお勧めします。

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いんげん丸虫

羽生田城 栃木県下都賀郡 (2020/11/08 訪問)

はにゅうだ城 本丸は羽生田小学校となってます。三の丸に空堀と土塁が残ってます。深さ10mはあるしっかりとした堀が巡ってます。

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カルビン

曽我城 [神奈川県小田原市曽我谷津] (2017/11/26 訪問)

一族の相続の処置に恨みを持った工藤祐経が刺客を放って、親族・伊東祐親を狙ったものの、結果祐親の嫡男・河津祐泰が巻き込まれて討たれてしまう。
刺客はその際に討伐されたが、主犯の工藤祐経はのらりくらりと躱して生き残る。

この時は助かった伊東祐親だが、後に平氏支持だった為に源頼朝に捕えられ自害。
逆に工藤祐経はいち早く源氏に鞍替えして、後に頼朝の寵臣になる。

河津祐泰の息子の曽我十郎と五郎の兄弟が苦労を重ねて元服した後に工藤祐経を討伐したのが、日本三大仇討の1つ・曽我兄弟の仇討となっております。

自分が読んだ小説では、曽我兄弟は工藤祐親を討った後源頼朝を狙って返討に遭うところまでが一連の物語りになっておりました。


そんな曽我兄弟の拠点となるのがJR御殿場線下曽我駅から徒歩10~20分圏内にある城前寺を含むエリアにあった曽我城になります。

遺構は現在城前寺の裏手にある曽我兄弟とその親・河津祐泰夫妻の墓が建つ所の土塁くらいしか残っておりませんが、他にも宝塔やエピソードになる石等が周囲に転在しております。

また城前寺の入口に解説があり、ここが曽我城の大手だった事も書かれており、更に曽我兄弟之史跡碑もあり、また先に書いた曽我兄弟とその両親のお墓、その脇に曽我兄弟幼少期像も城前寺御本堂裏手にあります。

その他の遺構はおそらく田畑整備の影響で無くなったか同化したものと思われます。


周囲はそんなに発展しておらず電車の本数も少ないです。。。車でも訪問可能ですが、曽我城周辺は道が狭く、車を停める場所にも苦労しそうである・・・以上の事を念頭に訪問して下さい。

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todo94

説明板のみ (2020/10/31 訪問)

つくばでの献血後、モスバーガーで昼食をとってから赴きましたが、説明板を確認したのみです。また機会があったら再訪したいと思います。

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にのまる

大隣寺 (2020/10/03 訪問)

 〈続き〉二本松城をあとにして、丹羽家菩提寺で、二本松少年隊の墓所のある大隣寺に向かいました。松坂御門(城内と城下を区分する4門のひとつ)跡を過ぎてからの山沿いの区画は何だか屋敷跡のように見えました。その先には下馬の碑。行きに歩いた大手門の通りには作事屋跡もあり、城下町を含めた縄張の広さを感じます。

 大隣寺の境内案内図は写真④のとおりですが、山門下の少年隊副隊長と隊士戦死の地の碑で足が竦み、お墓の前ではまた箕輪門下の少年兵と母の像が浮かんできて…。

 歴代藩主の霊廟は境内奥の森閑とした中にありました。手前には内室陰墓、家族の墓。説明は写真⑦です。ここには母を思う子の姿がありました。

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