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ヨッシー

黒田氏の居城 (2018/05/22 訪問)

福岡城は、元々鴻臚館という平安時代に外交や貿易の役割をになっていた施設跡地だったらしい。
昔から重要な場所だった様である。

黒田長政公が、隆景公の居城だった名島城に入り、福岡城の築城に着手し、
転居する際に、建物や石垣を移築した経緯がある為(名島引け)、
名島門が存在する。

天守台からの夜景は、とても綺麗でオススメ。
(照明が少ないので、少し暗いかも・・)

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イオ

畝状竪堀群と切岸と (2020/01/19 訪問)

鎌倉中期に遠山景重が築いた城で、明知遠山氏が代々城主となりましたが、戦国後期には武田氏と織田氏の争奪戦の舞台となって落城と奪還を繰り返し、武田氏が滅び織田氏が衰退した後も、豊臣氏と徳川氏の争いの中、城主(城代)は何度も入れ替わりました。関ヶ原の戦いにおいて、東軍についた遠山利景は小里氏らとともに明知城を奪取、その功績によりようやく旧領に復帰することができましたが、その十数年後、一国一城令により明知城は廃城となりました。

最高所の本丸と東下の二の丸、そこから南に土橋を渡った出丸の3つの曲輪を中心に、その周囲を横堀(と堀切)がほぼ一周し、横堀からは多数の竪堀が放射状に伸びています。特に、本丸北側の畝状竪堀群は規模も大きく状態も良く見事の一言! また、出丸をはじめとする各曲輪の切岸も高く急峻で、猿戻しと呼ばれるのも納得です。他にも、出丸の巨石列に柱石(旗竿石、手水鉢とも)、搦め手の貯水池や稲荷神社登城口付近の土塁など、見どころ盛り沢山です。

竪堀と横堀と堀切で敵の移動を制限した上で、急峻な切岸の上の曲輪から狙い撃ち。山城(土の城)の基本をこれ以上ないほどの形で見ることができ、大いに見応えがありました。大河ドラマ効果か、先達の投稿にある藪もきれいに刈られて見やすくなっていますし、今年が見ごろでしょうか。
 

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カルビン

駅近物件現る (2020/01/19 訪問)

仙台駅から船岡城のある船岡駅に行く前に、途中の岩沼駅に下車して駅からすぐ近くにある鵜ヶ崎城に寄り道しました。

住宅街の小高い丘・ちょっとしたエリアが鵜ヶ崎城(岩沼要害)になります。。。駅から徒歩5分ちょっとで到着出来る駅近物件です。
但し駐車場は無いのでご注意を。

城域の1/3は公園になっており、そこが帯曲輪と推定。
その上に土塁があり、更に上が主郭と思われる場所。。。見学時間も15分もあれば見きれると思います。

周辺は広い平野が続いている場所なので、主郭にある高台からは周辺が良く見渡せる事から、もしかしたら狼煙台・物見台の役割をしていた場所なのかもしれません。


白石~仙台間は思った以上に電車の本数多く、ちょっと立ち寄って次かその次の電車に乗れる(滞在30分程度)、お城を沢山巡りたい人には有りがたい場所かもですね(笑)

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my

ガイドブックには記載がないが (2020/01/30 訪問)

50号線を水戸方面へ進み、才木の次の信号を右に曲がると坂尾の土塁があります。井筒屋の方から教えていただき足を伸ばしました。駐車スペースもあります。
車であれば笠間城跡、真浄寺と併せて見ておいても損は無いかと思います。

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あとりえ

絶対おすすめ

雨の苗木城も見ごたえあるけど、今度は晴れたときにみてみたい。とにかく絶景‼️
資料館も見ごたえあり。

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あとりえ

雨もしたたるいいお城

全部を見ようとすると相当時間がかかります。
少し雨が降っているぐらいが、石垣の苔も映えて良いかんじです。

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todo94

明智光秀ゆかりの地 (2020/01/18 訪問)

日曜日に所用が入っていたので家でおとなしくしているつもりでしたが、この日まで岐阜城の天守台石垣の一般公開が行われることを知り、急遽、日帰りドライブで岐阜に赴くことにしました。朝駆けで向かったのが、西高木家陣屋。上石津は岐阜県の南西端に位置しますが、大垣市の飛び地になっています。下屋敷から曳家で移築された長屋門が現存するなど、国史跡に指定されるだけの素晴らしい陣屋でした。別名・多羅城。明智光秀生誕の地を謳っていました。

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エヌ

松坂城 (2020/01/19 訪問)

隣に松阪市の駐車場があり、
無料で駐車できます。
駐車場にはトイレもあります。
スタンプと御城印は同地の歴史民俗資料館に
あります。

歴史民俗資料館に蒲生氏郷公の
鯰尾の兜がありました。
よく見ると鯰ですね。
じーくり見てると、だんだん可愛く見えてきた笑

そして野面積みの高い石垣は見どころでした。
景色も良く、松阪市内が一望です。

散歩をしていると、
一際目立つ長屋の棟が目を引きました。
御城番屋敷でした。武家屋敷です。
屋敷の中に入る事が出来て、屋敷の住人が
当番で案内をしていたのも驚きでした。
たくさんお話しを聞かせて頂き、
一番驚いたのは、この御城番屋敷は
賃貸になっており借りる事が出来るらしいのです。

私が訪問した時は1件空き家になっており、
賃貸すれば住めるようです。
賃貸物件になっているとは本当に驚きました(°▽°)
いい経験出来そうですね。

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にのまる

空に吸はれし… (2019/12/07 訪問)

 帰りにちょっと寄るには広すぎて全てを見ることはできないのは覚悟のうえで、帰りにちょっと寄りました。
 前回訪城時とは別のところの石垣が修復中でした。この規模の石垣ですから、常にどこかを補修し続けなければならないのかもしれません。
 日没間近の中途半端な時間で、どうせならもっと明るい時間か、逆にライトアップされた時間の方が石垣の美しい姿を拝めるのだと思いますが、日の入りを城内で迎えるのも嫌いではありません。(除:山城)
 石垣の大きな扇形や歯型のような矢穴がどうしても暗殺教室の殺せんせーの口元に見えてしまいます。そしてここに来ると、私が好きな石垣の部分は、「水抜き穴」なんだと気づきます。

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姫街道

遠州随一の広さを誇るであろう魅力的な山城 (2020/01/29 訪問)

菊川水系の山城は起伏が激しく、堅固な山城が築けて魅力的だ。横地城は、地形が破壊される事が少なかったのか、非常に大規模な山城として保存状態も良いです。
さて、攻城は二つの池の間からスタート。険しい山道を登ると、パッとメインストリートに出ます(笑)そのメインストリートは今まで見た事ない長さの一騎掛けで、西の城〜中の城〜東の城をつないでいます。
しかも、西の城のさらに西には詰めの城。東の城のさらに東には石原峰と、いわば詰めの城〜石原峰が1本の一騎掛けでつながっていたのではなかろうかと思うほど、東西の長い尾根上をメインに城が構築されてます。
構造的には本丸があった東の城から堀切に向かっては何重にも曲輪があり感嘆の声が出てしまうほど見事で、見晴らしは全周。ニの丸がある西の城は象の鼻と呼ばれる土塁と壕が防御を固め、見晴らしは北側。中の城は、千枚敷を備える。見晴らしは南側。
今回、東端は石原峰の手前で行く手を遮られ、西端は詰め城までで、三光寺跡までは攻めなかった。次回は、石原峰や三光寺跡へも行ってみたい。

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赤い城

三の丸に市役所 (2020/01/25 訪問)

高崎駅から徒歩で10分 、高崎市役所周辺が城跡となります。
烏川東岸に築かれた城です。
市役所のあるところが三の丸。
土塁や堀が残ります。
本丸の辺りには公共の施設が建っていますが乾櫓や三の丸東門が移築されていて見所はあるかと。
市役所の最上階は展望ロビーになっていて城跡を見下ろすことができます。

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ぴーかる

犬山城眺望 (2020/01/11 訪問)

【伊木山城】
<駐車場他>伊木山公園内駐車場(2020年3月末くらいまでは工事中の為車両進入禁止)
<交通手段>車

<感想>小牧山城→犬山城で御城印購入→犬山城の眺望とを兼ねて登城した。伊木山入口道路にバリケードがされていて工事中で入れません。代替えの駐車場の案内がありますが、私はそのバリケード前の道路脇に1台くらい停めれそうだったので停めました。
 
 城跡は舗装道路から登山道の脇道に入り登る。山頂へ行くルートは数本あるので迷うことはない。私は最短の心臓破りルートを選択(さほどでもない)して登った。
頂上は城跡の主郭部分になるのであろうが、周辺を廻ってみたが、電波塔があるのみで城跡碑もなければ特に郭らしい遺構も見受けられなかったので見所ある遺構は見る限りではないように思います。主郭から尾根づたいに下っていくと「キューピーの鼻」という展望広場があり犬山城は勿論、伊那山、御嶽山が見えて良い眺望です。

 後日に伊木山城を調べて築城者の伊木忠次という人物、名前だけ聞き憶えはあったが池田家(池田恒興・輝政)を支えた、つくったと言っても過言ではない名家老だったのですね。知らなかった人物を知って勉強になった。

<満足度>◆◇◇

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チェブ

丸、確認できず。 (2020/01/03 訪問)

家康さんが鯛の天ぷらを食べ、寿命を縮めてしまった話は有名です。
こちらの「田中城」でいただいたそうです。
もともと今川家の一色氏が築城したのが始まりです。
信玄さんに攻略され、改築。「田中城」と改名もしました。
そして家康さんが「田中城」、7年の間に15回も攻めてますが、落城しません。武田家が滅亡して説得をして開城させたそうです。

みんなさんの投稿で丸型とあり楽しみに向かったのですが、お休みでした。
近くの小学校や街中にも「田中城」の遺構を見られるようです。
家康さん、やっと手に入れた「田中城」で苦しい思いをするなんてトホホですね。

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イオ

妻木城士屋敷跡 (2020/01/19 訪問)

(前編・妻木城編から続く)

関ヶ原の戦いの後、妻木頼忠により妻木城北麓に御殿や士屋敷が整備され、以降、妻木氏の居館兼政庁として機能しましたが、妻木氏本家が3代で無嗣断絶となると、山上の妻木城と併せて廃城となりました。

御殿跡は石垣により三段に区画され、石段や井戸跡、池(庭園)跡が見られるほか、南側の斜面は石垣で囲まれています。御殿跡西側を通る車道の両脇には門跡が残り、その西側にも石垣が状態よく続いています。また、県道を挟んだ北側は家臣の屋敷跡で、屋敷を区画する石垣が明瞭に残り、井戸跡も見られます。

士屋敷跡から北側の大門跡を抜けて徒歩約8分の崇禅寺は妻木氏代々の菩提寺で、山門は妻木城(士屋敷)の移築門とされますが、茅葺きであまり城門っぽくはありませんでした。

それにしても、屋敷跡などは藪と化していて区画がかろうじて見て取れる程度のことも多いところ、明智光秀ゆかりの地(正室の実家)として、大河ドラマ放送開始にあわせてか、下草まできれいに刈られていて大変見やすかったですし、士屋敷跡には観光バスでも数台駐められそうな大きな駐車場も整備されていて、大河ドラマ効果の大きさを感じます。
 

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エヌ

藤堂高虎公が大改修した津城 (2019/12/30 訪問)

藤堂高虎公が大改修した津城に行って来ました。
年末に行ってきました( ^ω^ )

続日本100名城のスタンプは、
隣の高山神社で押せます。
年末も押せました。

しかし御城印は津城では売っていないのでご注意!
販売場所は、近鉄津駅の1階
観光案内所です。
しかも年末年始は休み(>ω<、)
後日
御城印だけ買いに行きました^ ^

藤堂高虎公が大改修した津城
私の好きな武将の1人です。

見どころは、
石垣とお堀と藤堂高虎公の立派な銅像です。
あと、模造櫓もあります。

高虎公の銅像は写真で見るよりも、
大きく感じました。
しかも、この兜は秀吉から頂いた
黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)
今は、伊賀上野城て展示しています。
ウサ耳兜じゃないよ💧

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山口駿河守幻夢斎

何度訪れても素晴らしい、心躍る城跡 小幡城跡 (2020/01/20 訪問)

個人的に、今まで訪れた城跡で、いちばん好きな城跡。

台風の影響で、入場制限されていたようですが、解除されたそうなので、何度目かわからないくらいですが、行ってきました。

土浦駅からレンタカーで一時間くらい。

地元からはやや遠いのですが、両手に迫るくらい、何回も訪れているが、何度訪れても感動する。

迷路のような深い空堀が最大の見どころ。

ここも、比較定期整備されているので、夏場でも訪城可能。

最寄りのバス停から、20分以上歩くので、公共交通機関での訪問は厳しい。案内板の手前に数台の駐車可能。城跡までの道幅は狭いので注意。

先日、訪れたところ、新しく駐車場ができてました。案内看板も新しくなっていました。

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おうごんたまご

見返り坂を登らずうろうろ (2020/01/24 訪問)

城跡碑を撮り、二の門、鏡石、一の門、観光案内所、一の門内部の見学と城の下部ををうろうろしました。

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todo94

三櫓同時公開 (2020/01/13 訪問)

1月16日まで、名古屋城の重文の三櫓同時公開が行われていると知って京都からの帰路、急遽、立ち寄っていくことにしました。西北櫓と東南櫓は今回初めて中に入ることができました。朝一番で櫓に直行したので、初めての二つの櫓はたった一人で櫓の内部を楽しむことができました。中国人観光客なんかは、本丸御殿がお目当てですからね。

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スミヤキ

岐阜が熱い (2020/01/17 訪問)

令和の発掘調査で発見された、織田信長が築いたと見られる岐阜城の天守台の石垣が、一般に公開されるとのことで初登城してきました。

石垣を斜めに積み上げたり、石材の隙間に「間詰め石」という小石を詰める技術は、信長期の特徴らしく、岐阜城天守が日本最古の可能性が高まったようです。

また麓にある岐阜市歴史博物館では、「麒麟がくる」の大河ドラマ館もオープンしており、併せて楽しんできました。明智光秀にゆかりのある岐阜県可児市や恵那市にも大河ドラマ館が開館しているそうです。

「ぎふ戦国きっぷ」という、バスの1dayフリーきっぷと大河ドラマ館入場券、金華山ロープウェー往復券と岐阜城入場券がまるごとセットになったお得なチケットも販売されています。公共交通機関を利用される方におすすめです。

午前中に訪れた関ヶ原古戦場にも7月に記念館がオープンするようですし、今年は岐阜が間違いなく熱いです。たくさん楽しみましょう。

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にのまる

木製兜、水桶になる。 (2019/12/07 訪問)

 徳丹城は川の氾濫で水害の多かった志波城に代わって造営された、律令制最後の城柵です。(資料の中には水害のせいだけじゃない説もありました。)
 幹線道路を挟んで両側に城柵跡が広がっていますが、ちょうどいい場所に歩道橋があり、歩道橋の上から全体を俯瞰できました。志波城や払田柵の推定復元の門のようなシンボルとなる建物はありませんが、政庁跡や各区画はイメージしやすく説明展示されていました。
 小さな井戸の底から出土した、水桶に転用された木製の兜。人々の暮らしを思い浮かべるだけでわくわくしてきます。未解明な部分が多い城柵・官衙遺跡はそのミステリー性も含めて妄想自由なところが大好きです。
 歴史民俗資料館では、資料の見学をしている間にロビーの大きなストーブをつけて暖めてくださっていて申し訳なかったのですが(他に見学者いないので)、一日中屋外を歩きまわり芯まで冷えきっていた体にはとてもありがたく、しばらくストーブの前から動けませんでした。そしておかげさまで元気復活したので、もう一か所寄ってから帰ることにしました。

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