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昌官忠

妻と二人で養老渓谷紅葉鑑賞の帰り② (2020/12/01 訪問)

妻と二人で養老渓谷紅葉鑑賞の帰りの2城目は根古屋城です。高塔城からの転戦です。
城址入口付近(35.638651、140.258762)に邪魔にならないように車を寄せて攻城。

先人の皆さんの私有地情報があり、私有地らしき所は避け(民家が見えたら引き返す)て攻城しましたので、1郭の天神社付近が中心になりました。それでも土塁と堀の確認はできます。攻城時間は20分くらいでした。

あと、モトさんの投稿メモにあった「寝釈迦」の確認もできました。確かにお釈迦さまが寝ているように見えます。
寝釈迦が見える場所は(35.637509、140.257966)です。城址入口付近から徒歩1~2分の場所です。

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昌官忠

妻と二人で養老渓谷紅葉鑑賞の帰り① (2020/12/01 訪問)

前日に北海道の稚内から帰ったばかりでしたが、妻の紅葉が見たいというリクエストにより養老渓谷に行った帰りに寄りました。
城址入口(35.354680、140.347643)付近に車の駐車スペースがあります。
城址入口から登城路を数分登れば1郭に着きます。
「余湖くんのお城のページ」の図面によれば、6郭や7郭方面にたくさんの堀がありそうなので向かおうとしましたが、2郭や5郭からの道が籔がひどくて見つけられずに断念しました。
見学は1郭/2郭/3郭中心で撤退しました(堀切と土塁は確認できました)。攻城時間は30分くらいでした。

養老渓谷の写真も併せて投稿しますが、今年の紅葉はサッパリダメでした。(地元の方も嘆いていました)

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でんのすけ

福島盆地が一望できる山城 (2020/11/30 訪問)

南に小川、北に赤川、東に摺上川に囲まれた山に築城されています。
本丸の脇まで車で登ることができる山城です。
公園として整備されており、空堀や土塁跡、井戸跡などの遺構の案内板も設置されています。
本丸には、吉川英二撰文の大鳥城誌碑、佐藤基治公一族供養塔、大鳥神社祠などがあります。
本丸からの眺望は、信夫山をはじめ、麓の飯坂温泉、福島市街地や伊達市の桃園など福島盆地が一望できます。

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イオ

総石垣の巨大山城 (2020/11/21 訪問)

丹波国支配のため、京と若狭を結ぶ周山街道と大堰川(桂川)の水運を押さえるべく明智光秀が築いた城で、山崎の戦いの後は一時 羽柴秀吉が領しましたが、ほどなく廃城となったようです。

城山山頂から四方にのびる各尾根に曲輪群を配した大規模山城で、山頂の本丸には天守台跡と思しき石塁が見られ、天守台の北西部(本丸北側虎口脇)には石組みの窪地があり、貯水施設とも堀とも考えられます。本丸東側虎口から二ノ丸に至る坂道には苔むした石材が散乱していますが、これは両脇に設けられていた竪石塁が破城により崩されたもののようで、南尾根の曲輪群にも崩れた竪石塁が見られます。

本丸の周囲は石垣で覆われていますが、東尾根の二ノ丸や兵糧蔵、二ノ丸北下の曲輪、北尾根の曲輪群、南曲輪群など、中心部だけでなく曲輪群の先端に至るまで石垣が設けられており、多くは破城で崩されてはいるものの、こんな山中にこれほどの規模の総石垣の山城が存在していたということに驚かされます。その極めつけが西尾根の曲輪群で、石垣造りの喰違い虎口を抜けた先の小姓曲輪には石垣が状態良く残っており、北側の高石垣は往時の壮麗な総石垣の姿を今に伝えています。また、小姓曲輪から北に少し下りて行った先には石組みの井戸があります。

さて、周山城は東側の総石垣の城だけでなく、西曲輪群から尾根伝いにさらに西に進むと、西の城と呼ばれる土の城があります。
(続く)
 

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橋吉

数度にわたり朝倉郡を籠城戦で撃退 (2020/11/01 訪問)

佐柿国吉城は若狭武田氏の重臣である粟屋勝久の居城です。
武田氏の内部分裂、衰退後は越前の朝倉義景によって数度にわたり攻められますが、籠城戦で撃退しています。
1570(元亀元)年の織田信長による越前攻めの際には、信長はこの城を本陣としました。
その後、木村定光、浅野長吉、京極高次が支配しましたが、「元和の一国一城令」で廃城となりました。

無料駐車場にバイクを駐めました。。

続日本100名城スタンプは、若狭国吉城歴史資料館の入り口で押すことができます。
ここは、移築された旧田辺半太夫家住宅の母屋と佐柿町奉行所の座敷が使われています。
佐柿国吉城についての展示解説はもちろん、全国の御城印や天主のペーパーモデルも展示されており楽しむことができました。

資料館脇からいざ登城
戦国時代の山城らしく
麓に城主の居館があり、山の上に詰城が置かれています。
頂上に本丸、尾根沿いに西曲輪群、少し下に二ノ丸が配置されていました。
資料館でゲットしたパンフレットはポケットサイズであり、使いやすいです。

資料館も含め、現地の所要時間は1時間くらいでした。

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todo94

工場の入り口に (2020/10/31 訪問)

工場の入口に立派な城址碑と土塁があります。工場の敷地に入らなくても土塁が確認できるのはありがたい限りです。

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HideHide

三重周遊時に訪問 (2020/11/20 訪問)

昼間に訪問したが、ライトアップの為の模擬天守風構造物や石垣にコードがあった。

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三重周遊時に登城 (2020/11/20 訪問)

車で田丸城より訪問

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HideHide

庭園の紅葉が良かった。 (2020/11/20 訪問)

神社に参拝後、庭園を散策、本丸には登城せず。

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じっぱ

八王子城 (2020/11/15 訪問)

東京からの帰りに予定してなかったが、八王子経由で登城して帰ることにした。眺望は素晴らしいです。本丸跡を攻略した時点でタイムオーバーにより御主殿跡を制覇することができなかった。山上部分は平地の少なさを感ずるが、まだ見ぬ山麓部ではあるが合わせるとその巨大さが想像できる。次回を楽しみとしたい。明日は予定通り山中城へ!

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キンヤ

和歌山県の山城で珍しい県指定史跡 (2009/12/12 訪問)

城びとで投稿がお一方のみでしたので、ずいぶん前に行った時のもので恐縮ですが投稿させて頂きます。

金屋中学校の裏側に登山道の案内があり、階段を上ると直に城の説明板があります。
登山道はよく整備されていて30分位歩くと主郭の下に着きます。
そこから東側へ進むと祠へ登る通路があり、祠の背後に土塁と石垣がありますが、ここの石垣は後世のものかと思います。
その土塁の北側は急斜面となっていて天然の要害です。
祠の南側下に石垣があり、こんな山上に石垣があって嬉しかったです。
この先の東側の曲輪に向かおうとしましたが、道の真中に生々しい猪か何かの境域に入るなと言わんばかりの大量のフンがあり危険を感じたので、これ以上進むことを断念しました。
戻って主郭に登ると、割と狭い平坦地で所々に岩がありました。
更に西側の曲輪に向かったのですが、かなりの藪でしたので途中で引き返しました。
でも東西に伸びた尾根筋の山城ということは分かりました。
城からの眺望はとても良かったです。

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朝田 辰兵衛

JR北陸本線で途中下車,再び。 (2020/11/16 訪問)

再びの途中下車です。今回は,JR武生駅で10:28~13:10。駅前のセンチュリープラザに観光・匠の技案内所があり,レンタサイクル&キャリーバッグの預かりを引き受けてくれます。
途中,建設工事中の北陸新幹線の下をくぐります。直線が長いためか,ちょっと遠くに感じられます。
なお,本丸の南200mほどのところに野々宮廃寺跡があり,土塁が形良く遺っております。ぜひ,お忘れなく。

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赤い城

常磐線が通っている (2020/11/28 訪問)

土浦駅から徒歩で30分くらい。
JR常磐線に沿ったところに説明板が立っています。
周囲は名産の蓮根畑。(蓮根は嫌いだけど)
説明板から地下道を進むと石碑があるらしいが立入禁止となっていたので自重しました。
線路を渡って少し進むと信太範宗の墓もあります。
この周囲も城域ですが蓮根畑。
遺構はなさそうでした。

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国重

備中 石蟹山城 岡山県新見市の城 (2020/11/09 訪問)

 石蟹(いしが)山城は、標高310mにあり、12の郭をもつ本丸と3つの郭を持つ出丸とからなる連格式山城です。本丸の五の壇北側に虎口があり、上の曲輪と下の曲輪を区分しています。また南東側には武者走りがもうけられ、本丸と出丸の間には堀切があります。
 天文の頃(1532年~)石蟹与兵衛元宜の名が登場します。尼子の先鋒庄為資と三村家親とが備中の覇権を争っていた時代です。石蟹与兵衛元宜は、天文の初め出雲の富田城に13年間蟄居していました。その間新見左京が城代として居城しています。
 石蟹城へは、藤木神社(岡山県新見市長屋797)をめざしいくと神社手前の山側に登山口があります。駐車は藤木神社の鳥居を過ぎた路肩が広くなっているのでそこに駐車できます。藤木神社からも登れますが遠回りになるので神社手前の登山口から登って藤木神社に降りてくれば効率よく回れます。

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国重

備中 赤坂城 岡山県新見市の城 (2020/11/25 訪問)

 赤坂城は、山地に築かれた館城です。主郭の広さは600㎡で城の斜面は切岸によって厳しく作られています。城は、郭・堀切・土塁などがよく残っています。
 赤坂城は、文安4年(1447年)に土豪間加部常春によって築かれたと伝えられています。はじめは備中守細川氏に属していましたが、永正14年以降は尼子氏の勢力範囲となりました。永禄9年(1566年)間加部近江守常国の時に毛利方の三村元範によって攻められ落城しました。備中兵乱で三村氏が滅びると備中は毛利領となりました。
 赤坂城へは、日吉神社(岡山県新見市千屋花見851)をめざします。神社の横に駐車できますが、神社周辺は道が細いので注意してください。神社から10分ほどで主郭までいけます。

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昌官忠

クラブツーリズム「カニフルコース さいはての稚内」妻と二人で2日間② (2020/11/30 訪問)

稚内訪問の事前調査で、城びと未登録ですが礼文島に、久種湖南岸の台地上にアイヌ文化期の「沼の沢チャシ」、久種湖北側に「オショナイ遺跡」があることがわかりました。
今回、礼文島には行きませんが、ノシャップ岬から礼文島の島影が見えることを期待していきましたが、あいにくの曇天&雪の降る中、利尻島の島影は見れましたが、礼文島および樺太(前日の宗谷岬からも見ることはかなわず)は見れませんでした。天候には勝てません。

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昌官忠

クラブツーリズム「カニフルコース さいはての稚内」妻と二人で2日間① (2020/11/29 訪問)

稚内は3回訪問しています。
1回目は40年くらい前に出張で何度(10回以上)も訪れた札幌から一度だけ足を延ばして列車で訪問しました。
2回目は妻と二人35年前に、タクシーで北海道一周した際に訪問(新婚旅行です)。
3回目が妻と二人でカニを食べる為に今回訪問しました。

ツアーで宗谷岬を訪れることはわかっていたので、43Km離れた樺太についてお城があるかどうか事前に調べた結果、城びと未登録の樺太(今はロシア領だが昔は南樺太は日本領だった)には、奴児千(ヌルガン)城・クオフオ城(樺太南端の前進基地)・白主土城(中国長城伝統の版築)があったことがわかりました。間宮林蔵は2度にわたり樺太を探検しているそうです。
宗谷岬から樺太を遠望したいと思いましたが、訪問当日はあいにくの曇天の為、見ることが出来ませんでした。残念です。

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城好きのメガネ

「桟原城」 (2020/03/27 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
1660年に着工し、1678年に完成した平城である。金石城に代わって新しく府城となったため、対州府城または府中城とも称したとされる。1869年に対馬府中を厳原と改称してからは厳原城とも呼称する。朝鮮通信使の饗応の舞台として活用された。城跡には陸上自衛隊対馬駐屯地が置かれているため写真撮影の際には注意が必要である。現在、移築高麗門(対馬市立厳原幼稚園)、石垣などが遺されている。

<アクセス>
対馬やまねこ空港よりタクシー30分

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カズサン

木造復元御楼門公開なる (2020/11/23 訪問)

 今年4月に焼失から147年経って鶴丸城大手門なる御楼門が木造復元され公開されました、タイミング的には城廻りの一番良い時期直ぐにでも駆け付けたかったのですが今回の武漢コロナウイルス禍騒ぎにて出掛けられなくて、雪前に下越東北を廻った後今回台風も来ない11月に鶴丸城御楼門メインの九州城廻りを企画しやっとの思いが叶い見学する事が出来ました、大きさ立派さ見事なものです大感激でした、同時に復元計画の有る御角櫓の木造復元が待たれます。
 人の出の少ない日の出後を目指したのですが当日は生憎の曇り採光が良くありません青空では有りませんが気持ちを込めた写真を投稿させて頂きます。
 木造復元された鹿児島県の皆さんありがとうございます。

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todo94

城址碑 (2020/10/31 訪問)

2014年1月19日に壮大な模擬天守には入館していたのですが、城址碑と説明板は今回、初めてチェックすることができました。

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