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昌官忠

越後遠征2日間⑤ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の5城目は高田城です。御館からの転戦です。100名城スタンプは三重櫓入館券売り場で押しました。
車を高田公園第7駐車場(37.111042、138.254730)に駐車して攻城。

高田城は2回訪問しています。
1回目は2017/4/8にクラブツーリズムの「高田夜桜 信州8つの桜吹雪」ツアーで訪問。
2回目が今回の訪問です。

江戸時代の築城にも関わらず、石垣はなく土塁が採用されており、これは「大阪冬の陣」直前の工事を急いだことが原因だと考えられているようです。
現在は高田公園として整備されています。1回目の訪問時は三重櫓に入館しなかったので、今回は入館するとともに周辺の水堀や土塁を見学しました。攻城時間は40分くらいでした。写真は今回と前回の夜桜分も併せて投稿します。

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昌官忠

越後遠征2日間④ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の4城目は御館です。春日山城からの転戦です。
現在は御館公園として跡地が残っていますが、駐車場所がない為、公園周辺に路駐(37.167326、138.235309)し、説明板と石碑の写真を撮って、速攻で撤退しました。攻城時間は2~3分でした。

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昌官忠

越後遠征2日間③ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の3城目は春日山城です。100名城スタンプはものがたり館で押しました。
前泊した上越妙高駅でレンタカーを借りて春日山城へ向かう前に上越妙高駅前の謙信公像の写真を撮影。若かりし頃の謙信公なのか女性ぽく感じます。

その後、ものがたり館駐車場(37.153030、138.222577)に向かい、まずは100名城スタンプをゲット。
ものがたり館周辺の復元土塁と堀、東城砦、春日神社等を見学した後、春日山の山城二向かいました。
車は謙信公銅像下の駐車場(37.146603、138.209610)に停めました。

山城は千貫門コース(春日山神社➡千貫門➡空堀➡直江屋敷➡毘沙門堂➡本丸➡大井戸➡景勝屋敷➡御成街道➡二の丸➡三の丸➡謙信公銅像前)で巡り、ものがたり館周辺見学と併せて攻城時間は2時間30分くらいでした。

訪れたのが紅葉時期でしたので、山城は紅葉映えで綺麗でした。山城の謙信公銅像は恰幅が良くたくましい感じでした。

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todo94

ゴルフ場内に二重堀切 (2020/10/31 訪問)

この日の締め。圏央道をくぐって城址とおぼしき丘の近くまで歩いてアプローチしてみました。ゴルフ場内に二重堀切があるそうですが、一生、ゴルフをする気のない私が拝むことはできそうにありません。

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R.K.C

絶景

麓のお寺から徒歩40分~60分。かなりきついですが、頑張ればご褒美が待っています。なお、お寺の方が作成されているのでしょう、お寺の前にガイドマップがあるのでそれを参考に登るとよいです。

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姫街道

三河一向一揆に加担した城 (2020/11/29 訪問)

寂しい遺構。やはり城主が三河一向一揆に加担して家康と対峙していた。「三河武士」というと、強い忠誠心と団結力をイメージするが、織田との戦いの最中に裏切ったり、一揆に加担したりと内情は苦労してた事がわかって面白い。榊原康政誕生之碑がまだ新しいのに斜めになりながら建っているが、城主に仕えていた康政は小姓として家康に見いだされ徳川四天王の一人になった方。筋金入りの三河武士も出た城だ。

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姫街道

岡崎城の支城的役割か (2020/11/29 訪問)

遺構は残っておらず、神社があるのみ。
ただ、立地的には岡崎城に対して北の抑え的な位置にあり、近くには井田野古戦場跡や千人塚など、三河・尾張の士豪が100年間にわたって戦場となった地。この井田城は空堀や土塁に囲われた屋敷形状の城だったという。
公園の形がかろうじて面影を写す。
城の東側は山手となっているが、あまりに宅地化が進んでいて、現状では要塞であったか否かはわからない。

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姫街道

14代400年この地を治めた中根氏の城 (2020/11/29 訪問)

道根六郷(箱柳、小呂、田口、板田、岩谷、中畑)村をこの城を拠点に長年に渡り支配していた中根氏。城も川を渡ってうっそうとした竹藪の中にある。周囲を石仏遊歩道として整備してあるようで、古い歴史を感じる。
竹藪の中、石積み上に「箱柳城跡」の小さな看板が立つが…後世の段々畑跡の雰囲気も若干あり…
勿論、この地に由緒ある城があった事は疑いようもない。岡崎は〇〇松平が多いなか、この中根氏の城は一見の価値あり。

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姫街道

織田対今川・松平の激戦地 (2020/11/29 訪問)

安城古城に行ってから安城城へ登城した。
松平氏というのは、織田に熾烈なまでに攻撃を受けていたのだろう。なんと10年間で3度に渡って安城城争奪戦が繰り広げられたとある。その中で松平方は今川に頼らざるを得ない状況だったのだろう。
遺構は、本丸が寺で二の丸が神社となっている。立派な歴史博物館が隣接しているので、城巡りというより博物館へ行くとした方が良かったかも。

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姫街道

対織田における松平の前線 (2020/11/29 訪問)

城びとの地図でいくと住宅街の中、狭い交差点付近にたどり着く。北を向くと竹藪と、いかにも城道っぽい狭い道。少し竹藪に向かって歩けば、そこが古城跡であった。古城らしくギリギリの土盛。ただ、市指定にしてあるところは、さすが安城市。織田信長の父織田信秀対家康の祖父松平清康の勢力争いがこの地であった事に想いを馳せる。

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姫街道

遺構がほとんど残ってないワケ (2020/11/29 訪問)

安城市はさすが家康公のお膝元、どこも遺構がよく残ってると感じていたが、どうもここだけは、遺構がほとんど無い。。。調べてみると、城主であった桜井松平氏の祖、信定がどうも一癖あった方みたいで、家康の祖父である松平清康とソリが合わなかったようです。なるほど納得。
けど、まだ公園になってるだけマシです。

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姫街道

三河一向一揆の拠点 (2020/11/29 訪問)

家康公に激しく対決した遺構は、ことごとく潰されていると思いきや、国指定をもらってます。寺の裏が魅力的だと伝え聞き散策した。土塁が大きく回っていて素晴らしいが、何となく立ち入り「迷惑」っぽい雰囲気。
寺の裏手な池だったのか、腐葉土で埋めつくさているが、落ち葉の上を歩くとズブズブと沈んでいくので注意が必要。ただ、寺の中庭は紅葉も色付き圧巻の雰囲気。堀に蓮子が咲く時期にも来てみたい。

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姫街道

3つの顔を持つ城 (2020/11/29 訪問)

今川時代の大浜城、家康時代の羽城、江戸時代の大浜陣屋。結構、似たような場所にあったのでしょうが、基本的には大浜陣屋跡として公園化してあります。
陣屋周辺の道も狭く、当時が忍ばれます。
陣屋でも殺伐とした雰囲気の所もありますが、ここは車通りがあるスーパーのまん前にある殿様的な雰囲気がする陣屋。
ただ、位置的に舟運の重要拠点であったのは間違いなく、陣屋周辺の散策とセットで楽しみたかった所。

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姫街道

屏風折れの土塀と土塁 (2020/11/29 訪問)

見所満載で、観光地としてもお手軽人気の西尾城だが、私の注目ポイントは「屏風折れの土塁」です。
何となく駿府城や浜松城から屏風折れは石垣のイメージがありますが、ここでは土塁も綺麗に折れてます。ライトアップもしているようで、夜はさぞかし綺麗だろうなと思います。
西尾城の特徴として、ニの丸に天守があります。ニの丸の櫓と屏風折れ土塀に1億を超える予算をかけたとか。。。
天守台の石垣も準備万端ですし、近いうちに天守再建が見られるかも。

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小城小次郎

脇の甘さを露呈した (2020/10/17 訪問)

三好氏の遠い親戚として武田信顕が招聘され三好氏の脇を固めるはずだったが肝心の信顕は長宗我部と三好の間を行ったり来たりと脇の甘さを露呈した。蜂須賀時代には重臣の稲田氏が入り、名脇役(阿波九城)として機能した城でもある。

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姫街道

土塁の虎口に櫓門が収り納得 (2020/11/29 訪問)

虎口における土塁形状の意味がここまでわかりやすい城は初めてで勉強になった。「虎口で横やりをどう打つか」門の手前と、門を突破された場合、イメージがつきやすいように土塁の復元をしてくれてあり、初心者の私には本当にありがたい城だった。遺構も全体的に手入れが良くわかりやすい!!いつも感じるが、帯曲輪が整備されている城は例え小ぶりでも広く見えるし綺麗だ。平山城と呼ぶにはピッタリのサイズ感。好きな城で、また来ます!

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ふゆづき

特別公開(昼と夜、2度訪問しました) (2020/11/28 訪問)

熊本城の特別公開に昼・夜の2回訪問しました。
土曜日に訪問したので、昼と夜のルートが一部異なり、本丸では夜の方がより詳しく見ることができました。
天守はとりあえず外観復興は終わったようですが、宇土櫓も外見では殆ど被害が無いように見えましたが、本丸方向から見るとかなり痛んでいる様子が見て取れました。
また、石垣の崩落は酷く、あちらこちらに積み直しを予定している個々の石の番号が振られて保管してありましたが、完全な復旧までには未だ10年以上かかるそうです。
スタッフの方のお話では、未申櫓とこれを支える石垣のみは被害が無く、落ちない櫓として受験生に評判になっているとのこと。
せめてもの支援と考えて訪問し、御城印などを購入しました。

なお、スタッフの方々は親切・丁寧に対応されており、訪問者に何とか楽しんで貰おうという姿勢を感じました。
限られた範囲ですが、訪問させて頂き、この名城の復興を心から応援したいと感じました。

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城好きのメガネ

「清水山城」 (2020/03/27 訪問)

<オススメ>★★★★★
清水山城は1591年に文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に際し、本営である名護屋城(佐賀県唐津市・日本100名城)と朝鮮半島の釜山を結ぶ輸送及び兵站の中継拠点として秀吉の命により築城された。宗義智を主に相良長毎、高橋直次、筑紫廣門らが合力したとされる。現在、横矢桝形や内桝形虎口など織豊系城郭の特徴が遺されている。

<アクセス>
対馬やまねこ空港よりタクシー30分

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城好きのメガネ

「金石城」 (2020/03/28 訪問)

<オススメ>★★★★☆
1528年に宗将盛(宗家第14代)によって築城され、宗家代々の居城となった。朝鮮通信使を迎えるために、近世城郭に改築したとされる。1669年に宗義真が櫓門を築き、天守の代用としていた。「旧金石城庭園」は国指定名勝、日本遺産構成文化財にも指定されており「殿様の池」としても知られている。併せて散策することをオススメしたい。現在、石垣などが遺されている。

<アクセス>
対馬やまねこ空港よりタクシー30分

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カルビン

北条幻庵屋敷 [神奈川県小田原市久野1590] (2015/02/07 訪問)

伊豆箱根鉄道大雄山線沿線の遺跡巡りをした際、岩原城→沼田(古)城→西念寺(徳川幕府三奉行・どちへんなしの天野康景墓所)と回った次に北条幻庵屋敷跡へ向かいました。

自分は五百羅漢駅から向かいましたが、小田急線足柄駅からも同じくらいの距離・・・徒歩30分強とちょいと距離あります。
(駅の案内には20分と書いてありましたが・・・余程健脚の人ベースにして無いかい?(汗))

以前籠城期間にしりとりでも掲載しましたが、改めて投稿させて頂きます。


現地には特に遺構が残っている訳ではありませんが、入口に立派な碑石があり、ちょっとした庭園(幻庵池と言うそうな)と小さなお堂(北条幻庵の廟所)があり、しっかりとした解説版もあります。


北条幻庵と言えば伊勢新九郎(早雲)の4男と言われ、歴代の北条家の主君に参謀として仕え、新九郎の息子(氏綱)や孫(氏康)、ひ孫(氏政)、玄孫(氏直)と、北条5代目の時代まで生きた人物になります。
北条家に仕えた風魔一族は実質幻庵個人に仕えていたともされており、幻庵亡き後すぐに北条家滅亡したくらい重要人物だった様です。

あくまでも色々な小説に書かれた幻庵像しか知らないので、刷り込まれた感はありますが、個人的にはやはり好きな武将に入ります。


どうも自分は主君タイプより陰で支える参謀的な人物が好きな様です(ー∀ー;)

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