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ふゆづき

織田家の末裔 (2020/11/21 訪問)

織田家の末裔が築いた柏原陣屋を訪問しました。
JR.柏原駅から徒歩10分かからないところに所在します。駅を降りると織田家の木瓜が記された飾りをあちらこちらにみることができます。
小藩であったため、陣屋で執務していたようですが、現存するのは往時の1/5の大きさとのことです。
陣屋の前には長屋門があり、唐様式の御殿の玄関と併せて往時を偲ばせてくれます。
陣屋から少し離れた処には太鼓櫓(商店街の中にあり、注意しないと見逃しそうです)と織田神社(観光案内所の前)がありますので、訪問するのを忘れないようにしてください。
陣屋と太鼓櫓だけならゆっくり見学して1時間少々というところだと思いますが、八幡宮をまわるとなるともう少し時間が必要かと思います。

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カズサン

神武天皇東征所縁の地に在る海城 (2020/11/21 訪問)

 中津耶馬渓に在る白米城(平田城)を終えて耶馬渓景観を楽しみながら降りた上毛SICより東九州道を通り日向ICを降りICより約4km程の大御神社駐車場、隣の観光案内所駐車場(宮崎県日向市伊勢ケ浜186)にナビを合わせる。
 今回の鶴丸城御楼門九州未踏の城廻り第3弾伊東氏48城の日知屋城を初登城、駐車場は七五三参り、観光客で両方とも満車、空き1台をやっと確保し駐車出来ました。
 神社駐車場に日知屋城の石碑、案内図が有り遊歩道完備道に沿って、登城門、虎口門、本丸下、柱状節理の岩盤が石垣の様、東の曲輪、同土塁石塁、岬に出て岩礁の絶景を眺める、頂上部の曲輪と東屋、下に降りて本丸へ、もう一度東の曲輪を通って枡形、西の曲輪、堀切、土塁、東屋を通って大御神社参拝。遊歩道がよく整備され案内板も有り探訪しやすい城跡ですが大御神社の方が超有名です。
 大御神社は神武天皇東征の折りに祈願されたと伝聞あり、東征出港はここより南の美々津浜と伝わっています、この神社には君が代に歌われてる日本最大級のさざれ石が祀られてる、神代の時代と柱状節理の奇岩の景勝地です。
 寄りませんでしたが龍神伝説の鵜戸神社が海岸側に在りTV等で放映された岩盤切込逆光の昇り龍が有名です。

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ねりきり

どこから観ても麗しい✨ (2020/11/28 訪問)

紅葉の美しい秋のよく晴れた日に登城してきました。

破風や花頭窓など装飾性の高い天守は、どの角度から観ても見惚れてしまいました。隠し狭間があるなんて、とても想像つきません。
現存する建造物が多い中でも日本で唯一の馬屋もとても良い状態で残っていたり、天秤櫓も威厳があり圧倒されました。

天守同様に見惚れてしまったのがひこにゃん。思ってた以上にゆるくて可愛かったです。毎日、3回も登場するらしく「なんて働き者なんだ!」とそのサービス精神に感銘を受けました。尊いです。

ひこにゃん、博物館、玄宮園とお城以外の見所も多いので所要時間4時間で足りなかったです😅玄宮園は閉園間際に入ってしまったので、日が暮れかけていて天守があまりよく見えなかったです。晴れている日中かライトアップされる夜間に行けば良かったなと反省。


夢京橋キャッスルロードの【政所園】の抹茶ソフトクリームも歩き疲れた体に丁度良いです🍦

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カルビン

村上氏館 [長野県埴科郡坂城町坂城1148] (2015/04/30 訪問)

武田晴信に2度の大敗を与えた村上義清の主城は葛尾城ですが、葛尾城はあくまでも詰めの城。
本拠地となる村上氏館の跡地がその山城の麓・満泉寺になります。

訪問した日、既に砥石城と松尾古城を攻略済で肉体疲労・・・というより高所恐怖症の中の2城攻略による精神疲労で葛尾城にアタック出来る状態では無かった為、せめてもの麓の村上氏館の見学となりましたw

村上氏館としては遺構は残っておりません。
代わりにお寺のところにある周辺マップに満泉寺が村上氏館跡である事が書かれておりました。


ここから南東にちょい行った場所・田町十王堂には村上義清の供養塔があります。

村上義清は武田晴信に追われ長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って領土回復を目指したものの、第四次川中島合戦で重症を負い、この地での復興を諦め、越後の地で亡くなった様です。

猛将も武田晴信の甲州金の利用方法等での調略に開眼された後は一気に落ち目になっていったんですね。。。
(とはいえ村上義清も周辺を治める為に汚い手を何度も使ったようなので、晴信狡し!とは言えなかったでしょうな(汗))


ちなみに葛尾城の本丸近くまで車で行けるのを知ったのはこの後結構時間経ってからでした・・・
が、4WDの軽自動車でなければ結構厳しい林道みたいなので、改めて麓から登るしかないかな・・・(途中に姫城もあるし)

コチラは世間が落ち着いて、体鍛え直してからの挑戦になりそうです(何時になる事やら・・・orz)

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カズサン

景勝地に黒田時代の石垣が残る平山城 (2020/11/21 訪問)

 ここも2年前に台風24号の襲来で登城を諦めた処、ここの城の認識は城郭放浪記さん毎月放浪履歴で紹介が2018年8月に有り黒田官兵衛改修石垣が残ってるの情報にて登城しなくてはと2年前の北九州未踏城廻りにリストアップした所以。
 豊前松山城から東九州道で上毛SIC降り山国川沿いの国道212号線を日田方面へ耶馬渓の景勝地を走行し有名な青の洞門、奇岩絶景を見ながらの走行でした、石橋の馬溪橋辺りから城跡が見え沿道には平田城の幟旗が城跡まで連なってる。
 車は東麓登城口の駐車場を利用、トイレ完備、10台は可能、ナビは駐車場(大分県中津市耶馬渓町大字平田948-2)に合わせるがGoogleMap航空写真で微調整して下さい。
 平田城のパンフレットは本丸東屋の資料設置箱に有りました、本丸には忠霊塔が立ってます、本丸周囲に黒田氏時代の石垣が残ってます、本丸の在る南台と、谷を挟んで北台の曲輪群が南台より大規模、フェンスが張られてひれない様子、谷道を歩きながら北台の曲輪群の稜線が杉林間に見え一部石垣も目ます。一部しか公開されてませんが素晴らしい構造と遺跡が大切にされてます見応え充分です。
 本丸の南東部に山国川を挟んで耶馬渓の奇岩「名勝耶馬渓、立留りの景」が眼前に迫って来ます、山国川には石橋の馬渓橋と名勝真っ只中と言う感有り。
 歴史的には長岩城主野仲氏の領有で戦国期平田掃部介の居城、天正16年(1588年)黒田官兵衛豊前を拝領し豊前の諸城を抑え長岩城攻めに戦功の有った栗山備後利安に平田城を与えた、黒田騒動の栗山大善が生まれた城としても有名。(パンフレット抜粋)
 平田城は最近の呼称で以前は白米城(マッタケジョウ)と呼ばれていたそうです。

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ふゆづき

蒼空に吸い込まれる城塞 (2020/11/29 訪問)

熊本を訪問したついでに豊後竹田の岡城址を訪問しました。
熊本市内から阿蘇を横目に車で約2時間といったところだと思います。
地震の影響で、途中で一部迂回しなければならない道もありますが、復興のため無料化されている自動車道もあり、山道とは思えない総じて快適な道のりです。

訪問した当日は天気が良く、入城口前の駐車場に車を止めて、城郭を心ゆくまで見ることができました。
通常とおり、大手門方面から登城。欧州の城塔を思わせるような大手門の石垣を通過し、西の丸を横目に見ながら、三の丸、二の丸を経由して本丸に到達しましたが、印象的なのは、西の丸を少し越えた辺りから、谷を挟んで本丸側を見た風景です。
この風景に現れる太鼓櫓・鐘櫓の石垣を初めとした石壁が連なる様は圧巻です。
また三の丸・二の丸の高石垣もどうやってこのような足場を組んだのかと感じるものです。
本丸からは、搦め手の下原門まで行き、西の丸方面い引き返し、家老屋敷跡を見てから大手門経由で戻りましたが、滞在時間は約3時間であり、その強大な城郭には本当に圧倒される思いでした。

最近、兵庫の竹田城、奈良の高取城といった定評のある山城を訪問したばかりでしたが、これらの城と比較してもこの城の強大さは印象的であり、最強の城に選出されたことは伊達ではないと思わされました。
山城好きは訪問して損は無いと感じた一日でした。

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きぬさや

新発見された池田照政の石垣 (2020/12/03 訪問)

朝刊に掲載されていた、『吉田城2例目となる池田輝政の石垣』を見に行ってきました。本丸の東の門近くの堀を固める場所で、典型的な野面積の石垣です。

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昌官忠

越後遠征2日間⑧・西条城 (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の8城目(遠征ラスト)は城びと未登録の西条城(にしじょうじょう)です。
この城は「上越妙高山城マップ」に載っており、妙高市指定史跡になっています。

車は西条城登城口付近の駐車場(37.016074、138.271528)に停めましたが、駐車場のGPS座標入力では車で進めないルートになりますので、目標を(37.019216、138.271046)付近に設定し、後は道なりに車を進めれば駐車場に着きます。ただし、細道だったと記憶していますので気を付けてください。

以下、「上越妙高山城マップ」からの転載です。
城主や築城時期はわかっていません。
通称荒城山に立地していて、眼下に高田平野が広がり、対岸の丘陵部に立地する鮫ヶ尾城や鳥坂城を見通すことができます。
武田氏が治める信濃に隣接していることから、信濃国境の防備のために築かれたと考えられています。
山頂の主郭を中心に、三方に延びる尾根筋を断ち切る空堀や曲輪からなり、強固な守りの城の姿を留めています。
平成12年の部分的な発掘調査では、ふもとの曲輪で建物の柱穴が見つかりました。

駐車場から山頂まで約10分です。攻城時間は25分くらいでした。

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イオ

丹波国三大山城 (2020/11/21 訪問)

詳細は不明ながら、室町期に丹波国守護代・内藤氏の拠点として築かれた城で、同じく丹波国三大山城に数えられる八上城の波多野氏や黒井城の赤井氏との抗争の中、キリシタンとして知られる内藤ジョアンが城主となったようですが、明智光秀の丹波攻めにより落城。その後、明智秀満が入城し、しばらくの間は亀山城の支城として機能したようです。

城山山頂から四方にのびる尾根に曲輪群を配した大規模山城で、本丸の説明板の縄張図によれば、主な曲輪には屋敷があったとされる守将の名が付けられています。
本丸(内藤備前守)には西端に土塁、南西部に金の間と呼ばれる櫓台、その隣に虎口があり、本丸の周囲にはところどころに石垣が見られます。本丸からの眺望は素晴らしく、周山方面から亀山(亀岡)方面にかけてを一望することができます。本丸北東下の腰曲輪には明智光秀が勝鬨をあげたと伝わる岩がありました。本丸北西部の枡形虎口を出た先は二の丸で、尾根沿いに細長く続いていますが、中央部に櫓台状の土壇があり、その西側に堀切を設けています。また、二の丸南西部(内藤和泉)には土塁が、北西下には石垣が見られます。

八木城の見どころは中心部だけでなく、四方に連なる曲輪群も見逃せません。(続く)
 

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ブラタヌシ

別名 千束城跡 (2020/12/02 訪問)

千塚原古墳の石を利用している石垣。

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昌官忠

越後遠征2日間⑦ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の7城目は箕冠城です。
車は箕冠城跡公園駐車場(37.024146、138.304833)に駐車して攻城しました。

箕冠城は春日山城の支城郡のひとつで、大熊朝秀の居城として知られています。
現在城址は「箕冠城跡公園」としてよく整備されており、曲輪や土塁、堀などの遺構が状態よく保存されています。
攻城時間は35分くらいでした。

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ブラタヌシ

空堀と土塁が敵の侵入を防ぐ山城 (2020/12/02 訪問)

標高130mの丘陵に有りますが、空堀と二重土塁で囲まれてます。
虎口もしっかりと残ってます😃

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昌官忠

越後遠征2日間⑥ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の6城目は鮫ヶ尾城です。
続100名城スタンプは「斐太歴史の里 総合案内所」で押しました。この案内所の開館は4月初旬~11月下旬(9:00~17:00、10月は16:00、11月は15:00)になりますので、気を付けてください。閉館中のスタンプはたぶん「神の宮温泉かわら停」だと思います。

車は「斐太神社」前の「斐太歴史の里駐車場(37.053890、138.235709)」に駐車しました。

「斐太歴史の里 総合案内所」のおばさん(お姉さん?)の接待が凄いです。お茶、複数種類の漬物など、出るわ出るわ。まだ、いらっしゃるでしょうか。感謝感謝です。

攻城ルートは総合案内所で頂いた散策コース案内図「コース5 斐太遺跡+鮫ヶ尾城跡」を歩きました。
鮫ヶ尾城は上杉謙信の後継者争いである「御館の乱」の際に敗れた上杉景虎が自刃して果てた城として知られています。
コースを歩くと尾根づたいの曲輪やたくさんの堀切を確認することができます。攻城時間は90分くらいでした。

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todo94

メインディッシュの前に (2020/11/07 訪問)

今年3度目の麒麟が来る紀行ドライブです。メインターゲットは大桑城ですが、オードブルとして朝駆けで関城を頂いてきました。関市役所に車を駐めて徒歩でトンネルをくぐって安桜山公園にアプローチ。山頂には美濃市の小倉山城を彷彿とさせる展望台が建っていました。岐阜県の趣味なのでしょうか。

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にのまる

その1 (2020/10/16 訪問)

最初に5年前のGWの思い出です。(ごく一部を軽―く投稿済みです。)
その日は初めての金山城訪問だったのですが、スタンプ小屋が閉まる時間が迫っていたので、夕暮れ迫る中、ガイダンス施設からハイキングコースではなく、城址に近い急坂を這いつくばるようによじ登りました。獣道のようなところもあり、スリル満点、不安もいっぱいで、ドキドキしっぱなし。
何とか登りきり、スタンプも押してほっとしていたら、近くにいた見知らぬ方に「家はどこ?」と聞かれました。突然だったので「こんな山の中で…何かヤバいかも⁉︎」と(小娘でもないくせに)警戒してしまい、咄嗟に「近くです」と答えてしまいました。(今思うと近くに家なんてない。) すると「じゃあ持って行って」とタケノコをどっさりくださったのです。今さら「実は東京から電車で来たので持って帰れません。怪しい人かと思って嘘つきました。」なんて言えません。スーパーの袋に入れられたタケノコを頂戴し、下山することにしました。(一刻も早く下山しないと日が暮れるという状況。)
獣道を下るのは怖すぎるので、帰りはモータープールから車道を通ることにしました。しかしずっしり重いタケノコの袋を抱えて歩くのは辛すぎです。と、そこへお散歩中のような二人連れがいらしたので、タケノコをもらってもらえないか聞いたところ喜んで(←多分)受け取っていただけました。(リュックに入る1本は自分で持ち帰りました。)
身軽になったところで人里めざして下山です。すると、そこへ自転車こいで下から登ってくるお兄さんが!!その方に、この道を下っていけば帰れると教えてもらって一安心。もしお会いしていなかったらかなり心細かったと思います。お兄さんはスタンプ目指して驀進中でした。間に合っていればいいけれど…。
そして相当長い距離を歩き(ほぼ記憶がありません)、駅に出て、2時間以上電車に乗って家に帰って…からの、タケノコの下処理。せっかく背負って帰ったのでがんばりました。この日出会ったみなさん、たいへんお世話になりました。あと、近所の人のふりしてごめんなさいm(__)m

という、おばかすぎて呆れられそうで封印していた一日を懐かしく思い出しながら、先々月登城してきました。二度目ですが、5年前↑はほとんど何も見ていないのでノーカウントで(^^;)
<続く>

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カズサン

黒田氏石垣が残存見応えの有る山城です (2020/11/21 訪問)

 今回の鶴丸城御楼門探訪をメインにした九州未踏の城廻り第一弾、2年前に山城サミット安来大会の後北九州未踏の城廻りをしたのですが最終日台風24号の日本襲来により日出城近く宿泊の夜半から風雨が強く成り最終日予定の平田城、豊前松山城登城を断念し浜松まで台風と競争、台風24号は被害が酷く我が家も被災。
 そうゆう因縁の有る豊前松山城で2年振りに念願かなって登城へ、しかし松山城も水害の被災を受け山頂部崩落し登山禁止状態で麓の駐車場は閉鎖されてました。
 案内板を撮影して引き上げようとした時に松山城を守る会の方に会い危険な所を避ければ登城できる旨を教えて頂き又松山城のパンフレットも頂く、車は駐車場前の三角コーナーギリギリ交通に邪魔に成らない1台やっと停める。
 登城路は丸太の土止め階段が直道に近い形で山頂までこれが結構きつい、案内では25分と有りましたが私は40分で本丸下まで、本丸下の横堀と土塁、切岸を斜めに登る階段で余湖図コレクションさん俯瞰図の4郭と5郭の間へ5郭に降りる石段更に下の曲輪、4郭に登る石段、4郭から2郭への石段、眼前に1郭本丸、1郭の有名な石段と北法面が崩落して青シートで保全覆われてる、本丸南下帯曲輪は立ち入り禁止、西に在る3郭西下も崩落、本丸に登れない。
 豊前松山城の歴史は天平時代からの歴史が有る様ですが黒田官兵衛に九州征伐後豊前12万石与えられた北の守りの松山城として石垣を含めた改修が有ったのではパンフレットには桐紋の瓦が出土と有ります。
 修復回収の見通しは未定の様ですが暫くは登城禁止状態が続く様です、気が引けた登城でしたが折角遠い所から来たのにと教えて頂いた方に感謝です。
 ナビは城跡南麓の駐車場、福岡県京都郡苅田町松山1279辺りに合わせる。
 ガイドと情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん俯瞰図に依ります。

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小城小次郎

3回落城して長い歴史を閉じた城 (2020/10/17 訪問)

阿波守護だった小笠原氏の一族は細川氏が阿波守護となった後も200年以上に亘ってこの城に居住した。そんなお城が立て続けに3回も落城して歴史を閉じ、城跡にあった小笠原神社の社殿倒壊とともに再び一つの歴史を閉じたようだ。

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いんげん丸虫

甲賀市巡り (2020/11/21 訪問)

遺構が完存してます。土塁、虎口、空堀、曲輪等とても良い状態で堪能できます。お勧めです。

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カニカニ

所要にかこつけた城巡り 1城目 (2020/11/11 訪問)

所用で福岡県に行くことになり、往復の各地の城をついで(?)に巡る、1城目。
(先に投稿の熊本城は、7城目です)
市内のどこからでも見える山の頂に、一見してそれと分かる石垣が見えた途端、心が萎えた。
ステイホームで運動不足の身体には、あの山は無理!!  夜通し運転して寝不足だし…。

擬宝珠橋は復元されていたものの、中の御門が工事中の為、中仕切門(西坂下門)から入る。
この高麗門は唯一残っていた建物であり老朽化が著しかったが、昭和50年に強風で倒壊。
同年に旧態復元したもので、復旧記なる文板が内側の高い場所に掲げられている。
それさえも45年の歳月を物語る風合いだが、復元時に使用した金具は従来のものを模造したとある。
いま目の前の金具は従来の元々の姿なのか? 45年の間に風化し変化したものなのか?
元々の錆具合や破損具合を模造したままなら、すごい技術だと思う。

すぐ上の石段の桜の古木と紅葉が、何とも言えない雰囲気で好い。
これは期待できるぞ、と さらに進むと… 。 整備された広い公園のような曲輪に出た。
石垣は積み直しされているようで、きれいに整っている。

二の丸虎口には、登り石垣というか、石土居というか…。  (全体像撮れず、掲載なし)
山裾を登ってるからやっぱり登り石垣か?
登り石垣にしては中途半端だしなー。   ”登り石垣だ。” とは、なんか言いづらいなあー。
石土居っぽいんだけどなー。    造った狙いは分かるけど、ホントの名称はなんだろう?
ここに説明板は欲しいよなー。  

いつものように、1人問答が始まったが、結論出ず。

三階櫓石垣の天端角石に刻まれた銘文説明を読んでみて、各地の城跡にもまだ埋もれた状態で
似たような物がかなりあるんじゃないのー、と思ってしまう。
天球丸へ向かっていると、”熊出没注意!” の看板が。    これで言い訳の理由は完璧!!
ところが天球丸虎口を入ろうとすると、山の上から私と同年代のご婦人たちが数人下ってきた。
完璧が、崩れた。

気を取り直して…
天球丸付近の縄張りや石垣の配置は、二の丸に比べかなり防御性が高いなー。
こっちが大手だから、と言ってしまえばそれまでだけど…。  ブツブツブツ…

それにしても天球丸巻石垣だが、だれがこの方法を考えたのだろう?
そんなに効果があるのなら、他の城跡に採用されていないのはなぜだろう?。
幕府が許可しなかったのか?

登り石垣(?)や巻石垣の ”?” が残ったのと、山上ノ丸に登らなかったことでちょっと消化不良でした。

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イオ

土造りの西の城 (2020/11/21 訪問)

(続き)

西曲輪群から2本の大堀切を越えて尾根伝いに西に進んだ先には、西の城と呼ばれる出曲輪群があります。総石垣の本城に対して土造りの城で、南北にのびる尾根の3つのピークに曲輪を設け、南の曲輪は南下に腰曲輪、北端に土塁があり、中の曲輪には北側と中央部に土塁を設け、主郭と思しき北の曲輪には南部と北西部に枡形虎口が開口しています。西の城まで行く時間がない方も、せめて2本の大堀切までは行ってみて下さい。相当な深さに掘り込まれていて見応え充分ですので。

さて、総石垣の城と土の城でお腹いっぱいのところですが、山麓の見どころも少々。登城口近くの慈眼寺の釈迦󠄀堂には、くろみつ大雄尊と呼ばれる墨塗りの明智光秀座像が安置されており、拝観もできるようですが、拝観時間外だったため未確認です。
慈眼寺から南に徒歩1分行くと篠山藩の周山代官所跡があり、道路沿いの石垣が遺構か否かは不明ですが、後背の山が綺麗に紅葉していました。代官所跡は駐車場になっており、この日はここに駐車して周山城に登城しています(登城口まで徒歩5分)。

今回の登城は時季的に落葉が多く、未明から小雨が降っていたためトレッキングシューズを履いていても斜面で2度転倒し、ストックのおかげで滑落は免れたものの、隅々まで見て回る気力が尽きてしまい(正直、怖くなりました)、本丸北下と二ノ丸北下の曲輪の先にそれぞれ連なる小曲輪群に行けなかったのが心残りです。ただ、そうでなくても再訪したい素晴らしい城なので、次の機会にはきっと隅々まで制覇したいと思っています。
 

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