前回訪問時には石垣のネットもなく金属階段もなかっただけに、画像データを消失したのは痛恨の極み。ただ遺構と来訪者双方の保護を図るため、ある程度の措置がなされること自体は致し方ないことだと思う。
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2021/04/22 22:03
遺構と来訪者双方の保護を図るため (2021/01/27 訪問)
前回訪問時には石垣のネットもなく金属階段もなかっただけに、画像データを消失したのは痛恨の極み。ただ遺構と来訪者双方の保護を図るため、ある程度の措置がなされること自体は致し方ないことだと思う。
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2021/04/22 21:31
丸根砦 (2021/04/10 訪問)
【丸根砦】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>青春18切符
<見所>曲輪・土塁
<感想>日帰り18切符の攻城旅3城目。丸根砦は奪われた大高城を包囲するために1559年に信長によって築かれた。今川方の松平元康の兵糧入れの際激戦の末、落城全滅したと説明板にあります。
丸根砦は鷲津砦とともに南北に走る丘陵の南端中腹程にあり、のちの家康はこの砦の南側から攻めて落城させたようです。砦は円形で腰曲輪、横堀もあったようだが現在は見られない。大高城がちょうどいい感じに眺望できます。
<満足度>◆◆◇
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2021/04/22 21:13
大塚城(山形県東置賜郡) (2021/04/17 訪問)
【おおつか じょう】洲島城から北西に約4km。のっぺりとした景色にも慣れてきました。セブンイレブンでギアが入りますが,ここでトイレを済ませておかないと大変なことになりそう…。そして,さらに進むと右に高徳寺,左に牛谷家の門が見えてきます。そう,ここがまさに大塚城の城域です。
牛谷家の門は,かつて大塚城の大手門であったと伝わります。
高徳寺の奥のほうまで入ると,大塚城の土塁が目に入ります。そのワキの堀がプチ庭園として改変されています。
大塚城は,伊達氏家臣の大塚氏の居城。天正年間の伊達氏転封後,上杉氏支配下となり,年貢米の貯蔵庫として利用されていたそうです。
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2021/04/22 15:29
伊賀未踏の城廻りⅥ 伊賀忍者百地丹波の城郭 (2021/04/11 訪問)
伊賀丸山城を終えて北東へ約6、7km程の百地丹波城を目指す、駐車場は無さそうなので伊賀コリドールロードと県道56号線が西に曲がる交差点にナビを定めて走行。(情報とガイドは城郭放浪記さん)
路駐場所:N34°44'22" E136°12'58"の地点、ナビで定めた場所でした路肩三角コーナー、県道56号線と伊賀コリドールロードとの交差点、百地丹波城の有る青雲寺の北西約200m程。
概要案内:久米川南の西に突き出た丘陵に連郭式4曲輪、北に久米川の外堀利用、南に丸形池、沼状なのか濠、谷筋で護られ、各曲輪は堀切で防いでる。
案内板の縄張図では郭D:青雲寺、館か?、郭C:本郭、西と東に分かれてる、郭B:2の郭、郭A:少し離れてる高所
青雲寺西の堀切から入るが細くて狭い切通、鹿児島のシラス台地の切通、清色城を思い出す、青雲寺に入り参拝、案内チラシを頂く、トイレも利用、青雲寺の堀切越しの西には百地家の墓所、東崖の上に郭C本郭、南に回って南虎口より入る、本郭は南を除いて土塁、東側が高土塁、北東に虎口有り、北の高土塁の東は堀切、東へ郭Bちょっと入郭が分からない。
式部塚への土塁を確認し同曲輪に狭い堀切道で曲輪防御の様。
こじんまりしてるが良く出来た城郭です。
歴史:室町時代に百地丹波泰光によって築かれた、街道を見下ろし丘陵に立地してる、天正7年(1579年)第1次天正伊賀の乱は鬼癭峠の戦いで喰代村から百地丹波、百地田中氏が織田信雄を迎え撃った。天正9年(1581年)第2次天正伊賀の乱には百地丹波は名張の柏原城に立て籠もった、以後立ち去り不明とか?名前を変えて隠棲したとか?色々言われてます。(青雲寺案内チラシ抜粋)
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2021/04/22 12:59
体力勝負 (2021/03/31 訪問)
鬼ノ城までの道は、狭~い急な山道を数キロ登ることになり、車の運転には注意を
要する。
鬼ノ城は自然観察やハイキングの山に、古代の城跡があるというような場所で、
春休み中の子供たちの家族連れが多くいた。
案内版には、自然観察を含めたいくつかのコースがあって、お城ファンが行くべき道は
戦国の城のように山の頂上の本丸を目指す城跡ではなく、鬼城山の周りを1周して見て回る
という、ちょっと勝手の違う城跡であることを、現場で改めて知った。
そのうえ、1周(4~4.5Km)するには、1時間半から2時間かかるという思いのほか広大なエリアで、
一番の見どころである屏風折れの石垣まではスタートから半分行ったところで、
結局1周回らなければならない。
備中松山城の大松山まで行った後の、鬼ノ城は体力勝負となった。
ビジターセンターで鬼城山全体の地図が記載された自然観察用パンフレットを100円で
購入し、汗だくになりながら制覇。
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2021/04/22 12:14
伊賀未踏の城廻りⅤ 伊賀の乱主要城郭 (2021/04/11 訪問)
千賀地氏城を終えて東に約6km程の丸山城を目指す、天正伊賀の乱1次2次と火付け役舞台となった山城なので登城して観たいと思って居りNHKBSプレミアムで英雄たちの選択で放映され今回の伊勢・伊賀未踏の城廻りで期待していた城の一つ。
情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さんに依る、登城ルートは城郭放浪記さんの丸山集会所、南からの登城。
駐車場:丸山集会所駐車場(N35°41'59" E136°09'41")
概要案内:集会所前の道から案内指示板が有り指示に従い民家横の南側登城口、案内指示標柱、緩やかな坂道を登って行く、左右には曲輪の跡を思わせる地形、最初の広い曲輪に出る北側に祠が祀って有る出丸かな?、北に向かって緩やかな尾根道を登る、道筋には曲輪のような地形、急な坂道に成り粘土質の土と落ち葉で滑りやすい、虎口を二ヶ所通り本丸へ、虎口の左右には曲輪群小竹藪状態で突入できず、本丸内も小竹藪状態入れない、天守台に城名石碑が建ってる、南下に小曲輪何か祀ってる宝篋印塔、堀底道を南降り西尾根曲輪群へ縄張図も無く途中まで行き引き返す、広い曲輪、縊れた処には土橋と左右に竪堀、来た登城路を駐車場に戻る。
古城盛衰記さんは西からの登城路で西の丸、西尾根、本丸のルートを案内されてる、城郭放浪記さんは南から登城路で南尾根、北尾根本丸、西尾根を周回探訪されてる。
全山を城郭に築き上げた大城郭です、登城路は歩けますが道以外は小竹藪潅木状態でちょっと入り込めません、天守台、宝篋印塔の有る曲輪は整備されてますがせめて本丸の藪は整備頂けるとありがたいのですが?
歴史:北畠氏の養子となった織田信長次男信雄が伊勢を掌握し伊賀を狙い天正6年(1578年)家臣滝川雄利に丸山城を修築を命じた。壮大な城郭で有る事を知った伊賀の土豪衆は完成までに攻撃すべしと総攻撃を仕掛けた、不意を突かれた滝川氏は混乱敗走。
翌天正7年(1579年)信雄は8千の兵で伊賀を三方から攻めるが伊賀土豪衆の抗戦に敗走。(第一次天正伊賀の乱)
激怒した信長は天正9年(1581年)信雄を総大将に5万の兵で伊賀を侵攻し1週間ほどで伊賀の国を制圧。(第二次天正伊賀の乱)
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2021/04/22 11:10
日本三大山城制覇! (2021/03/31 訪問)
2014年 仕事でJR伯備線 特急やくも の車窓から臥牛山をのぞみ
「いつかはこの城を攻略したい」と心に誓ってからはや7年。
とうとう、備中松山城を攻略した。合わせて城下も散策。
その間に、岩村城、高取城も攻略したので、これで日本三大山城を制覇。
<その他>
昨年、司馬遼太郎『峠』を読んだ。
その中で、主人公の河合継之助が、尊敬する山田方谷に教えを乞うために
備中高梁を訪れる。恥ずかしながら山田方谷なる人物を初めて知ったが、
地元では今も尊敬される人物で、JRの駅名までなっている。
もちろん記念館もあるが、時間がないので行けなかった。
今年2021年『峠』は映画化されるとのことなので、備中松山城が少しぐらい
でてくるかな?
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2021/04/22 05:24
都区内5城巡り⑤:中野長者屋敷 (2021/04/16 訪問)
都区内5城巡り5城目は中野長者屋敷(ラスト)です。
中野城山居館より徒歩10分くらいで成願寺山門前(35.693576、139.682042)に着きました。
言い伝えによれば、応永年間(1394年〜1428年)ごろ、この地で馬喰をしていた鈴木九郎という人物が住んでいました。
あるとき九郎は馬を売りに行く途中で浅草に立ち寄り、観音菩薩に参拝したところ、馬はすぐに売れ、「中野長者」と呼ばれるほどの財を成したといいます。
『新編武蔵国風土記稿』によれば、九郎は紀伊熊野の神官の末裔とされるが定かではありません。
その後、九郎の娘が若くして病死した(あるいは蛇身となった)ため、九郎はこれを嘆いて出家し、屋敷を寺に改めました。これが現在の成願寺のはじまりとされます。
「正蓮」と号した九郎は、永享12年(1440年)に没したとされ、これが正しければ、中野長者屋敷は九郎一代の数十年のみ存在した屋敷であると推測されます。
関係ないかもですが、寺域内に長者閣というのがありました。屋敷跡というより鍋島家墓所推しですね。
攻城時間は10分くらいでした。
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2021/04/22 00:59
現存天守 (2021/04/20 訪問)
天守内の間接照明での雰囲気作りに全体的な保存状況が抜群!天守内で自分的にNo.1。
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2021/04/22 00:56
現存天守 (2021/04/20 訪問)
鳥取城の険しさを丁寧にした感覚!ちょっとした登山。そこそこ登ると櫓跡の石垣が登場!ままなく到着の合図。圧倒される大手門跡、右手は自然の岩盤と石垣の併合で築かれてる!ポイント!
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2021/04/22 00:49
現存天守 (2021/04/20 訪問)
石垣の修復工事が今なら見れます。
石垣も期待通り!
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2021/04/22 00:46
現存天守 連立式天守半端ない! (2021/04/19 訪問)
下から見上げた天守に複数の櫓、登って見ると下から見えた櫓の役割が分かり、城郭構造が連郭式だと認識できる。残ってる櫓の数が多くて見応えあり!
コロナで天守入れず!
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2021/04/22 00:37
現存天守 (2021/04/15 訪問)
国宝天守にふさわしい!船から見る姿と陸側から入城をお勧め!
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2021/04/22 00:31
現存天守 (2021/04/15 訪問)
天守しか残ってないのでいきなりどかーん!
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2021/04/22 00:11
2021/04/21 23:40
予想外 (2021/04/19 訪問)
本丸に辿り着くまでの石垣に圧倒された!目の前の小さな一面に切込接→打込接→野面積の技法で積まれてる!自然観がなんとも言えない!
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2021/04/21 23:25
天守の微妙なバランス (2020/09/07 訪問)
連結複合式て!複合天守左サイドの付櫓に段違いでの月見櫓、右サイドに渡櫓からの三重櫓、全体の黒づくしが独特の雰囲気、痺れる!
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2021/04/21 23:02
想像力 (2021/04/14 訪問)
本丸跡を先に体感して下山後に信長の館で映像を絶対に見るべき!想像力が働き感動間違いなし!
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2021/04/21 22:55
国宝納得 (2021/04/14 訪問)
城の周りが昔は湖だったとは驚き
天秤櫓のお出迎えに圧倒された
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2021/04/21 22:30
コンパクトだけど見どころ多し (2021/04/17 訪問)
小さいけど駐車場あり。
公園として整備されています。
牛久城に移る前の岡見氏の居城とされています。
入口に石碑と説明板が立っています。階段を登っていくと三郭、説明板もそれぞれの場所にあり分かりやすくなっています。
堀や土橋も良好に残っています。
堀には随所に横矢ががかかっていてコンパクトながらも防御に優れた城になっていました。
二郭の南側には竪堀状の遺構も。ちょっと探しました。
常陸の城らしさ溢れる城跡。
歩きやすさも含めこれからの時季でもおすすめです。
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