みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

カズサン

菊池城に菊池神社が鎮座 (2016/10/26 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り薩摩、大隅を終えて肥後に入る合志市の竹迫城を終え菊池市に入り菊池氏最初の拠点である菊の池城を目指して探すがたどり着けず周辺の田圃を眺めて菊池神社目指す。
 菊池氏は南北朝時代南朝方として九州で活躍する、建武の中興で活躍した12代菊池武時公を主神に菊池神社が主郭部に明治に成って造営された。
 社殿奥に小山が有り菊池本城本丸跡の石碑が在り、国道387号線の東側の菊池公園には史跡マークで菊池本城跡と有り菊池城と菊池本城はどちらののでしょうか?
 神社の由緒書板には神社は菊池城跡に造営と有ります。
 車は国道387号線を登り神社北東奥に参拝者駐車場が有ります。
 
 神社奥北東側には竹林に覆われてますが大型の横堀と土塁が確認されます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

姫街道

規模が大きかったであろう城 (2020/01/19 訪問)

家康が我が街の浜松城に来る前、19歳〜29歳まで過ごした城。前々から何で岡崎城から、へんぴな浜松城に引っ越してきたのだろう?と疑問に感じていた。当時、家康は天竜川を東に渡った磐田に城を築こうとしていたようだ。ところが信長が、「一緒に戦えなくなるから、川より手前にいて」とお願いされたらしい。
江戸時代は、重鎮が住んでいただろうと思われる。
楽しかったのは「家康館」
侍の格好をした俳優さんが何人もいた。しゃべり方も昔の話方をしており、楽しかった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

熊看板はあるけれど。 (2019/12/07 訪問)

 志波中央駅から徒歩30分くらい。「吉兵衛館遺跡入口」が手前にあり、危うく勘違いして潜入するところでした。(それはそれでよかったかもしれない。)もう少し奥に進んだ城山公園が城址でした。入口に熊看板がありましたが、見通しのいい整備された公園だし、いても冬眠しているだろうし…ということで登っていくと橋の手前に最後通牒的に熊看板がもう一枚。季節によっては注意が必要なようです。
 いくつもの段郭が連なる形の整ったきれいな山でした。当時のままということはないでしょうが、見た目にもこだわって築城したのかもしれません。登りきったところの平場が御殿(斯波氏の居城)跡で、二段構成でした。
真っ先に目に入ったのは愛宕神社の傍らのピンクの…これは何?ストレッチ用の健康器具(公園によくあるあれ)の類かと思ったら、どうやら♡のオブジェのようで(愛宕神社≒愛の神社と説明板にあり。)、恋人の聖地的パワースポットなのかもしれません…が、♡が歪んで折れていたのが気になる(-_-;)
宮沢賢治と縁がある地(祖母の出身地)だそうで、文語詩「丘」の碑もありました。詩だけだと難しいのですが解説があったので助かりました。

 麓にあった「吉兵衛館」の吉兵衛は九戸政実の実弟、中野康実(南部氏側についた)で、高水寺城から改称された郡山城の城代を務めていたのだそうです。(←ここWikipedia)

 写真1枚目に熊看板を貼りたくなかったけれど、撮った順に並べました。(登城口など撮った順に貼るか、ベストショットを1枚目にするか悩むこと2年…)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

小鷹利城

畝状竪堀や虎口等の防御構造にばかり目が向けられてきた小さなお城から堂々たる礎石建造物が検出された。飛騨国司姉小路氏一族の向(小鷹利)氏が実際に居住していたという伝承を裏付けるものとみて間違いないのではないか。

+ 続きを読む

ヨッシー

太閤の一夜城 (2018/05/21 訪問)

天下統一を成し遂げ、
栄華を極めた秀吉の力の大きさを改めて感じる事が出来ます。
彼が見たであろう景色を感じ、当時に思いを馳せてみるのも楽しいですね。

そうそう来れない場所なので、一回でなるべく周ろうと、
事前にインターネットで地図を印刷して、
回る順路を計画を立てましたが、
全体の半分ぐらいしか見れませんでした(滞在3時間)。

因みに、名護屋城博物館ではタブレットを貸出しています。
(日程の都合上、閉館日でした。

理想は丸一日確保して、タブレットを所持して周るのがオススメですね。


天候に恵まれて最高でした。
出来れば、また改めて行きたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

畠山政長と畠山義就の狭間で (2020/01/18 訪問)

応仁の乱に先駆けて大和は、動乱にあった。畠山の影響を排除したい国人、農民が最期に立て籠ったとのこと。
比高はないが、登城側の東を除いて急峻。本郭から南と西に尾根が続く。尾根の付け根を掘って平削地と土塁を作っているので、尾根道よりも本郭が低い。倒木、倒竹で、遺構が見辛い。

+ 続きを読む

ぴーかる

準苗木城 (2020/01/03 訪問)

【曾根城】
<駐車場他>登城口に4台程度、200㍍下に10数台分Pあり。国道から逸れてからは超道狭いですが広い駐車場は完備されていて地図には載ってませんが行けます。
<交通手段>車

<見所>石垣・巨石
<感想>新春1泊2日伊勢国攻城の旅1城目。この日宿泊する松阪からはだいぶ南に行くが、トーダイさんの投稿「巧みに巨石を利用してます」に惹かれ1日目のメインとして計画に入れて登城した。
 駐車場が2箇所あり、山道に入る登城口と200㍍程下った所にもあるがその間にもかなり大規模な石積み壁がある。砂防のものとして後から築かれたのか当時のものかよくわからなかった。
 登山道は整備されたまっすぐな尾根を15分程登り、ひとまず登りきって左90℃に曲がったとこらへんに両サイド巨石があるので当時いかにも木戸があった感があるので、「ここより曽根城跡」の立て札はもう少し先にあるがこの辺りから城跡だろうと思う。少し行って堀切(横堀)辺り2箇所からははっきりと分かる遺構が見られる。規模は主郭と小さい腰曲輪、帯曲輪から成っていて、大きい削平地、二郭・三郭はなさそうでした。
 主郭と北側方向の帯曲輪は特に巨石群があり切岸を巨石で石垣代わりとしてダイナミック、横たわった鯨石という巨石もある。苔もいい感じに付いていて暫く見ていると天然の巨大枯山水の庭園のようにも見えてくる。石垣も横堀・虎口・切岸・石段にあり石をよく利用した詰城だったことがわかる。主郭上段は巨石を取り囲んで防備を高めていた。オンツツジの群生地でもあり暖冬のせいで早々と少しだけ咲いていました。タイトルの準苗木城はちょっと言い過ぎかもしれませんが私の中では小さいながら十分見応えあるいい城跡でした。よかったです。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

鶴丸城に代わって本城にと計画した山城 (2016/10/25 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り鹿児島県国分城、富隈城を終えて島津義弘在城の加治木館を探訪し同所の郷土館見学の折担当の方から建昌城を推薦され初登城しました、九州道桜島SAの直ぐ北の山稜に有る北から廻り案内標識に従い登って行くと駐車場とトイレ、案内解説板完備。

 加治木郷土館の担当の方からは関ヶ原後、鶴丸城から対徳川対策として本城を建昌城に移すよう島津家久が計画した城と聞きました、が義弘の反対で計画ならず徳川家に配慮したのでしょう。
 探訪時は一面すすき野で曲輪、空堀、土塁が良く分からずススキが伸びすぎて居り前に進めず手前で遠望のみ、帰って余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると立派な土塁、空堀が有り次回ゆっくりと探訪したいものです。

 建昌城を終えて平松城、東福寺城、浜崎城、内城と探訪し鹿児島城(鶴丸城)を車窓から眺め2泊目の鹿児島へ移動。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

善得寺跡と善得寺城跡。 (2020/01/02 訪問)

先に言いますが下の写真は静岡県富士市の「善得寺」跡です。
「善得寺城」は善得寺跡である善得寺公園から1㎞位、離れてます。
「善得寺城」は説明板と住宅街に石垣がありました。「善得寺城」は今川 憲政さんが築城しました。

城攻めするために、駐車場を探していたら「善得寺公園」を見つけました。
三国同盟の庭があり、テンションが上がってしまい、まずは善得寺攻め開始です。
雪斎さんが集合を呼び掛け 今川 義元さん、北条 氏康さん、武田 信玄さんが集まって同盟を約束した、庭です。
でも駿河、相模、甲斐のトップが集合~!は創作話です。
お庭には三国を表す石が、でんっ、でんっ、でんっとありました。
そして満足してしまい、「善得寺城」に戻るのを忘れてしまいましたとさ。
すいません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

野田城・福島城の戦い (2020/01/05 訪問)

戦国中期に浦上村宗が築いた城で、後に三好三人衆が改修し、織田信長との野田城・福島城の戦いの舞台となりました。信長が野田城を奪取してからは、第一次、第二次木津川口の戦いにおける拠点とされましたが、その後廃城となったようです。

極楽寺付近を中心として、野田恵美須神社から地下鉄・玉川駅あたりまでが比定地とされますが、遺構は消滅しており、極楽寺の山門脇と、玉川駅2号出口近くに石碑があるくらいです。

なお、野田城それ自体かどうかは不明ながら、大坂冬の陣に際して豊臣方は水軍の拠点だったこの地に柵や櫓を築き、大野治胤らが守備にあたりましたが、九鬼守隆らの急襲を受けて大敗し、豊臣水軍は壊滅しました(野田・福島の戦い)。…ということで、(史跡らしいものは何も確認してませんが)大坂の陣史跡めぐり第7.5回でした。
 

+ 続きを読む

スプラNNNN

御油の松並木 愛知県豊川市 (2020/01/18 訪問)

江戸時代に植えられた松が並んでおり、現存している。御油宿と赤坂宿の間にある。国の天然記念物らしい。
といっても観光客は自分たちだけだった。でも、赤坂宿の間にある、明治天皇の行在所としても利用された大橋屋がある。(現存)
1809年に建てられ、宿泊する場所として利用されてきた。豊川市指定文化財らしい。
大橋屋の写真はないです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

スプラNNNN

今川義元の墓 愛知県豊川市 (2020/01/01 訪問)

墓と門、隣に寺があった。
観光客は自分たちだけでなく、もう2人いた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

こるまろ

全国山城サミット可児大会1日目 (2019/11/09 訪問)

全国山城サミット可児大会1日目。 講演会やトークショー、戦国グルメ屋台、お城グッズ販売などありました。
ブログ前編: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43568589/
ブログ後編: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43571360/

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

名古屋 武将隊

第五回全国武将隊大博覧会-宴-

名古屋おもてなし武将隊のイベント告知をさせて頂きます!!

2020年1月25日(土)・26日(日)
中部国際空港セントレアにて『第五回全国武将隊大博覧会-宴-』を開催します。
北は東北、南は九州から全12隊の『武将隊』が集結。

演武、ファッションショー、座談会、殺陣、踊り、寸劇、体験、歌唱、クイズ…。
他では見ることができない武将隊エンタメの集大成。
年に一度、全国の武将隊と武将隊ファンが触れ合う『第5回 全国武将隊大博覧会-宴-』、
いよいよ開幕です。

入場は無料

皆様是非足をお運び下さい。

第5回 全国武将隊大博覧会-宴-特設サイト http://www.expo.busho-tai.jp/

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

自宅より1番近い続百名城 (2020/01/19 訪問)

博物館ができる前は鐘つき堂は道路を挟んだ北側にあった気がします、博物館を建てる際にこちらへ移築したのでしょうか? 今回、水堀の遺構と思われるところを発見しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まーやん

大河ドラマ館② (2020/01/19 訪問)

場所は城内にある佐藤太清記念美術館の2階です。
さほど亀岡の大河ドラマ館と被らず、ドラマに関するものや資料の展示、映像があります。亀岡とはまた違うソースで仕上がり、こちらもなかなかです。
お城の展示と併せ光秀の丹波平定にかかる中丹での最終局面がよく分かるような気がします。
余談ですが、本丸跡には光秀が喋る自販機があり人気を博しています。不正を働こうものなら謀叛のしっぺ返しを食らいます(笑)
近くには光秀を祀る御霊神社があるほか、高級栗洋菓子や鳥料理、牡蠣専門店などもあります。
ここを起点に鬼ヶ城はじめ黒井城など丹波の城跡を訪れるのもおすすめです。

+ 続きを読む

まーやん

テレビ出まくってます (2020/01/19 訪問)

最近、大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で光秀の城としてテレビ出まくってます。
それ以前に、「続日本100名城に行こう公式スタンプ帳つき」の表紙カバーに採用され目に触れるようになりました。
石垣に転用石が多用されていることでも有名となり、増殖中の石垣フェチの方々も惹き付けています。
何かと話題の城跡ですが、光秀が関わったのはたった三年、しかも城代は婿の秀満です。
しかし、亀岡(旧名:亀山)同様、福知山でも光秀は民に愛されまくっています。

光秀没後、城主は目まぐるしく代わりますが、朽木氏となり幕末まで安定します。本丸内には朽木氏時代に作られた本丸内では日本一の深度と言われる井戸が残っています。
朽木氏により、福知(智)山と名付け、善政を敷いた光秀を祀ることが許され、御霊神社の祭神として合祀されました。そんな所縁で家中軍法など数点の文書が残っています。家中軍法は信長の恩を説きまくっていますが、本能寺の変の丁度一年前の6月2日に発布されたとして注目されています。
近くを流れる由良川の氾濫を和らげるため流れを変え堤防を築き竹を植え(明智藪)、合流する土師川をうまく利用し城内に船付場を整備したあたりは坂本城の経験が生きているかも知れません。
こじんまりとした丘陵地を中心に総構えが形成されており、見所満載のお城です。
転用石と併せ、増築時の境目や異なる積み方がされている点など石垣だけでも楽しめる城跡です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

石垣が見つからない。 (2019/07/06 訪問)

去年の7月に鹿児島県の市来鶴丸城に行ってきました。日置市の鶴丸小学校の北側にあり、春日神社の東側に登城口があります。その日は土曜日でしたので学校隅に停めて40分程散策しました。由来など詳しい事は省きますが、フランシスコザビエルも逗留した事があり、島津氏の城主時期もあったらしいです(城主の交代などは名前が似ていたりして、変遷や由来は理解するのが苦手ですので毎回スルーしています)。

曲輪・空堀・土塁・礎石を楽しみ、石垣があるそうなので探しましたが節穴の目では探しきれませんでした。又、土塁の写真はみすぼらしくこちらには載せる事が出来ませんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

廃公民館、二重の横堀があります (2020/01/18 訪問)

県道336号線沿いにあります。
川西公民館のあとが主郭の跡のようです。
入口に説明板、パンフレットの箱もありますが中は空でした。
入口のところに二重の横堀があり、結構見応えありでした。
主郭部分は畑になっていて私有地ぽかったです。
ちょっと立ち寄るには悪くない城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

こるまろ

隣接する撫川城とセットで巡りました (2019/10/26 訪問)

住宅地の中にあります。 隣接する撫川城と元は一体でしたが、江戸時代には別の城となりました。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43527759/

+ 続きを読む

ページ1119