桜祭りが延期され、今年のさくらの時期に郡山城の城下をまわるイベントに参加した。秀長最高。
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2021/10/23 13:13
桜の時期は必ず
桜祭りが延期され、今年のさくらの時期に郡山城の城下をまわるイベントに参加した。秀長最高。
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2021/10/23 08:32
2021/10/23 08:27
2021/10/23 08:22
2021/10/23 08:08
駅近、国道沿いに素敵な空堀 (2021/10/10 訪問)
上毛高原駅から徒歩で5分。
国道291号線沿いに碑が立っています。
駐車場も上毛高原駅にあり2時間無料。
駅前の月夜野歴史資料館にパンフレットも置いてありました。
お城は碑からすぐに空堀に降りることができます。
深さもあり、折れもありました。
この堀は二の丸と本丸の間のもので本丸には石碑や説明板が立っています。
本丸の先には笹曲輪が設けられ、その先は崖となっていました。
本丸の土塁には石積も一部施されています。
沼田景久が名胡桃城の出城として築いた城。
後に北条氏の攻撃により北条氏のものとなりました。
国道を挟んだ二の丸は蕎麦畑となっていて、ちょうど花が満開でした。
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2021/10/22 23:00
海城 (2021/10/21 訪問)
赤穂義士で有名な赤穂城。近世城郭と言われている城だ。
平和な時代に築かれた赤穂城は、堅牢というより、秀麗な城だなぁ、というのが私のイメージだ。
近藤正純と山鹿素行の傑作だそうだ。
甲州軍学のもと築城されている。単的な特徴は横矢掛が巧みに配されている事だ。
どうして秀麗だなぁと思ったかと言うと、庭園が見事に美しいからである。
二の丸にある庭園は見事‼️
季節が良く、時間がある折、ゆっくりと巡りたい。
石垣の高さは特別高い!と言うわけでは無いが、土塁と一体となって堅固な守りだ。
戦いから政務重視による意図で、天守台は有るものの、天守は築かれなかったと言う。
かつては海に面しており、舟入を設けた海城だったようだ。
平城ながら広大な城域を歩くと疲れる。
所々にベンチや休憩所があるので、ゆっくり巡りたい。
しかし、自販機がほとんど無い。
予め、水分をとっておく事を勧める。
車は東無料駐輪場、西無料駐輪場に停めておけば良いかと思う。
東無料駐輪場は大手口に近く、大石神社を参拝するのにも好都合だ。
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2021/10/22 20:40
なんと駐車場無料です (2021/10/22 訪問)
天守はありませんが高石垣が壮大です。
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2021/10/22 18:45
深谷城登城 (2021/10/22 訪問)
大河ドラマ館に到着する直前に車のナビ画面に深谷城址があることを発見。大河ドラマ館のすぐ隣です。急遽見学してきました。
塀がありましたが模擬のようです。遺構は残っていないようですが、近くに堀の遺構があるとのこと。
大河ドラマ館に併設されている物産館に深谷城の御城印があったので思わず購入してしまいました。
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2021/10/22 16:08
陣屋移築門が残り陣屋跡は北小学校 (2021/10/11 訪問)
彦部屋敷を終えて伊勢崎陣屋へ時報鐘楼辺りにナビを合わせて進行、駐車場は北小学校の東の武家門通り沿いに小学校の駐車場(36°19'20"N 139°11'33"E)が在り利用させ頂く。
散策は時報鐘楼、北小学校南の通りを西の広瀬川へ西の防御周辺を眺め、地図に本丸跡の史跡マークが有るので訪ねるが個人住宅、その北に伊勢崎市図書館、陣屋敷地は北小学校のグラウンドと校舎に成ってる、校舎南に土塁風らしき土の高まり、瀟洒な小学校です。
東の通りに武家門通りが有り北に約300m程の同聚院に陣屋門が移築されてるので見学。
歴史は慶長6年(1601年)譜代大名稲垣氏が伊勢崎藩庁として陣屋を築く、2代で転封と成り代わりに酒井忠世が封じられたが本家前橋藩を継いだため一時期廃藩、その後60年余り後2万石を分地され酒井氏が入り以降明治を迎える。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
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2021/10/22 13:11
奈良ホテルの向かいに (2021/10/22 訪問)
このお城の行き方は急な山道を(しかも全く整備されていない)登っていくしか方法がない。
ゆうがじんじゃの境内から入れた時期もあっただろうが、今は鍵がかかっており、無理。 それでも何とか写真に収めました。鍵を開けてくれるように頼んで開けてもらえるかどうかは分かりませんが、神社から入れるならそっちの方が安全かも・・。念のため、奈良ホテルのフロントで聞きましたが、全く山城の話は知らず、とりあえず(駐車場)敷地内に入ることは許してもらいました。
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2021/10/22 12:53
2021/10/22 12:51
2021/10/22 11:35
悠久の歴史ある国史中世城館 (2021/10/11 訪問)
地元では深沢城と呼ばれてる神梅城を終えて、県道70号線国道122号線が重なってる道を南下、南東方向に約20km程の彦部屋敷を目指す、カーナビは案内板と駐車場の辺りを定めて走行、北側から入り丁度前に収容能力のある駐車場完備(36°22'25"N 139°20'58")。
駐車場から立派な茅葺長屋門へ、当日11日はスポーツの日で旗日でしたがオリンピック開催で旗日が繰り上げされ無しと成ってましたがもしかして旗日扱いが成るかなと門のインターホンで呼んでみると応答が有りご当主の奥様が対応して呉れました、奥様は祝日で無くなったのですがと言われましたが城郭廻りで来た旨を伝えると快く対応いただけて約1時間屋敷内、庭園、土塁も有る本丸、現在は八幡宮鎮座、幕末に建てた穀倉、文庫倉、主屋内、搦手口、門の開錠、北東隅の櫓台と巡り途中途中に悠久の歴史を語られ天武天皇の皇子高市親王を祖とする家柄、壬申の乱を潜り長屋王と継承し約1300年の歴史を刻んでる、彦部氏として桐生市広沢に居を構えてからも460年を過ぎてる旧家です、現在もご当主夫妻が住まわれてる。当然源氏義家、足利将軍家との繋がりも深い家柄です。
開館日は土日祝日のみ、開館時間は10時~16時、入館料500円、パンフレット、小冊子「彦部家屋敷」700円購入。
兎に角高市皇子から繋がってますにはビックリ、内側は見学したので奥様にお礼を言って外側を見学探訪、周囲を水路堀で囲まれて居り、北東にある櫓台を外から撮影見学三層の櫓が建てられそうな造り、奥様の話で発掘調査では二階の建物が建ってたのでは?と言われてるとの事、搦手の橋、渡良瀬川からの丸石で築いた搦手虎口を近くまでは行かないので望遠で撮影、また詰城として奥の山手臼山砦が築城されていた、館奥から堀、曲輪で続いていそう。
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2021/10/21 22:42
下高井戸駅から徒歩20分(世田谷線松原駅からすぐ) (2021/10/21 訪問)
世田谷線松原駅からすぐに六所神社がありますが、京王ユーザーとして下高井戸駅から徒歩で攻めました。
住宅街の中で周りより少し高所に神社があり遠目にはなんとなく砦の感じはありますが遺構はまったくありません。
他の人の投稿に近くの善性寺が城跡の可能性とありましたので、徒歩10分ほどで善性寺につきました。
赤堤山という表現はありますが、砦跡の遺構はありません。
城跡とは別として凄く落ち着いた境内で綺麗なお寺でした。
善性寺から徒歩10分程度で招き猫で有名な豪徳寺とさらにちかに世田谷城址公園があるので、その二つとセットで攻めるのが良いと思います。
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2021/10/21 19:58
玉造要害山城 番外編 映画【神在月の子ども】シールラリー (2021/10/21 訪問)
玉造要害山城登山口①から徒歩約10分程の【玉造観光案内所】で、映画【神在月の子ども】のシールラリーとパネル展示開催中②
今日コンプリートして、グッズを頂きました③
ロケ地には、恵比寿神社④⑤⑥、出雲大社⑦猪目海岸、猪目洞窟⑧⑨⑩
各々の歴史が一杯詰まっているんだろうなと、
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2021/10/21 19:31
玉造要害山城 登城口と登城道 近辺の松江藩主別荘跡 (2021/10/21 訪問)
玉造湯神社の右側に登城口あり。①②
1分程で、案内板③
案内板⑤に従って進軍を試みるが⑥、倒竹⑦により進軍出来ず、断念
代わりに、近辺の【松江藩主別荘 御茶屋跡】を載せます。⑧⑨⑩
これは、玉造温泉を訪れる為の藩主の別荘だった模様。湯殿も設置されていたらしい。
駐車場は、玉造温泉観光駐車場、50台位は駐車可能。登城口迄、徒歩約10分。トイレは、【松江藩主別荘跡】近辺。
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2021/10/21 17:03
本丸南は圧巻の高切岸 (2021/10/11 訪問)
群馬県埼玉県未踏の城廻りチョイ寄り登城の3日目、本日前橋IC近くのホテルから遠い神梅城/深沢城からの攻城、ナビで約40km超の距離、渡良瀬川渓谷の道を北上県道70号線、日光、足尾の道路標示が続きます、わたらせ渓谷鉄道本宿駅を過ぎて宿廻信号機を左折し後にキックスする県道335号線山道を約800m程登りと深沢城、正圓寺の案内看板が有る右に曲がり約200m程で正圓寺駐車場に着く、駐車場の南が堀を挟んで低い所に本丸が有る。駐車場は8~10台程可能(36°29'06"N 139°15'16"E)
探訪ルートは草が刈られて居り良く曲輪が分かる、駐車場から二の丸、二の丸南の傾斜路から本丸二の丸間の広い堀に出る、二の丸南、本丸南は広い帯曲輪、本丸南から本丸を見上げると圧巻の切岸、約10メートルは有るのではないか、二の丸もほぼ同じ、二の丸南下帯曲輪の東は木々が多く良く観えなかったが崖で崩れて居り足がすくみそうな崖、本丸の下帯曲輪の西は樹木が茂り良く分からないが南側は急峻な谷に成って落ち込んでる。
本丸は北と東に幅広の空堀、本丸、二の丸の北に三の丸で正圓寺境内、三の丸北は高土塁と深い堀で護られ東側から南にカギ型に落ち込み二の丸東の堀に続いてる、二の丸には中間に南崖に落ち込む空堀が有り、東端に続く土塁が二の丸南北中間に残ってる。
本丸は三の丸、二の丸からは低く約50m方形でわらび、ゼンマイの自然畑か?良く茂って居り周囲の端は草刈りされて居り歩き易く成ってました。
案内解説板は経年変化が激しく表示の絵から文字の面がひび割れ状態で良く判明出来ませんが草刈りの整備は抜群の保全です。
正圓寺西は墓地に成って居りその中に城主一族阿久沢氏の墓石がまとまって祀られてる。
阿久沢氏は古くからの歴史が有る様で康平5年(1062年)源家から深沢郷を与えられ、建武年間に築城したと、小田原の戦いでは小田原に籠城し敗戦後当地に帰農し廃城と成った、帰農した方々が良く城域を守って居たのでしょう遺構の保全状態が素晴らしく残って居ます。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
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2021/10/21 15:13
とっとりの乱世/令和3年企画展 (2021/10/17 訪問)
鳥取城馬場跡/鳥取球場跡に建つ鳥取県立博物館で2021/10/9から11/7に掛けてのイベント 令和3年企画展 「とっとりの乱世」❖因幡・伯耆からみた戦国時代❖ が開催されています。
母の113回忌法要の翌日17日雨の中でしたが車を吉川経家像の前にある県庁駐車場を利用して、堀端道を通り復元擬宝珠橋、復元仲の御門表門を見学し久松山を眺めつつ北御門より県立博物館を訪ねる。
入館料は大人700円70歳以上は500円、200円安く入館出来ました。
入ると玄関二階まで打ち抜けのエントランス階段上面の壁に山中鹿介のイラスト大画面いっぱい(イラストは獅子猿)大迫力で圧倒されます、更に小振りで左右に2名ずつ武将が同イラストで尼子経久、山名豊国、加須屋武則、池田恒興描かれており全体良く出来ています。
鳥取県因幡伯耆は山名氏・尼子氏・毛利氏・織田氏のせめぎ合いがあり、当時の古文書、刀剣、兜、現代の兜甲冑のディスプレイ、山中幸盛(鹿介)の兜展示、レプリカも有りこれは触れます、後に色々ありますが私の頭に残ったのは「よみがえる鳥取県の山城」のコーナーで県の埋蔵文化財課で最近発掘調査された山城の展示パネル4点「狗屍那城跡」「川上所在城跡」「蛇山城跡」「鵯尾城跡」が有り縄張図、写真、説明文と有り最新の情報です、また動画放映ドロンに由る空中撮影で因幡伯耆に関連する周辺国の山城も含めて月山富田城、吉田郡山城、若桜鬼ヶ城、上月城、妙見山城あと何城か?合わせて30分の放映です、中々空中からの映像は見れませんのでありがたい情報でした。
1時間半ほど堪能致しましたが博物館から駐車場までが吹きつけるような雨に成り傘で頭は覆いましたが裾はビショビショ状態。
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2021/10/21 11:13
北側に残る高土塁は圧巻です (2021/10/10 訪問)
奥平城を終えて時間も有り今回の群馬県埼玉県未踏の城廻りのリストに挙げて無かったのですが近くの藤岡城に狙いを定めて進行、車は目的城跡に在る藤岡第一小学校の北門を入り体育館前の駐車エリアを利用させて頂いた。
小学校北門手前から自由に入って北側に伸びる高土塁を見学する事が出来る、土塁上、土塁下、土塁北側の住宅地側からと探訪する、県道40号線横の土塁、上に神社が在るがここも小学校北側高土塁の続きの様です、余湖図コレクションさんの藤岡城の図では方形単郭で周囲には堀が廻らされて居た事が伺えます。
この高さ規模は圧巻です、北側の4分の1の残りですが遺跡として残ってくれてありがたい。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
10日は蒼海城、石倉城、総社城、箕輪城木橋、鷹留城ミス登城、里見城、北新波砦、山名城は断念、奥平城、藤岡城と廻りこの後は暮れて来ましたので昨日泊まった前橋IC近くのホテルへ移動。
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2021/10/21 10:21
奥平氏故郷の城 (2021/10/10 訪問)
北新波砦を終えて南方面の山名城を目指したのですがナビ登録の駐車場に辿り着けず断念、次の目的地奥平城の登城口を目指して進行、今度は奥平城標柱の有る登城口(36°16'32"N 138°57'50"E)に到着、駐車場は無く少し広めの川手前に路駐。
奥平城標柱から登りそのまま2曲輪と本曲輪の堀道、本曲輪は崖の上で現在は畑、奥に2の曲輪、草が茂りその奥は竹が茂ってる、3の曲輪は崖下道で削られ分断、現在畑に成ってる、連郭式の造りで南東に突き出た台地上に造られ北、南が川で削られてる、両河川は3の曲輪先端で合流、川、台地、崖を活用した城郭でこじんまりして居ます。
奥平氏は在城200年の奥平城を引き揚げ8代貞俊愛知県新城市作手盆地に先ず川尻城を築き亀山城始め城砦を造り長篠合戦では長篠城を死守し有名です、後中津城10万石で明治を迎える、浜松から近くで在り作手の奥平氏の故郷との事で登城しました。
ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
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