弘南鉄道弘南線「平賀駅」から徒歩約10分の大光寺コミュニティセンターの前に石碑と案内板があります。
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2021/11/07 03:20
曾我道性 (2021/11/05 訪問)
弘南鉄道弘南線「平賀駅」から徒歩約10分の大光寺コミュニティセンターの前に石碑と案内板があります。
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2021/11/07 03:11
2021/11/07 03:05
2021/11/07 02:52
十三湖 (2021/11/04 訪問)
城域は広いのですが遺構が点在しているようです。駐車場近くの外郭東門跡や内郭はわかります。奥の遺構を見に行こうとしましたが、かなり彷徨い道もよくわからないため断念しました。
津軽鉄道「津軽中里駅」からバスで「相内南口」まで行きました。そこから徒歩5分くらいのところに内郭への入口があります。駐車場はさらに県道12号「鯵ヶ沢蟹田線」の道を10分くらい歩いたところにあります。バスの本数は少なく、津軽鉄道とも時間が調節していないので要注意です。
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2021/11/06 23:24
2021/11/06 23:16
2021/11/06 23:08
青磁浮牡丹唐草文大香炉 (2021/11/03 訪問)
安藤(東)氏の城と伝わっています。駐車場のある「山城公園」から二の丸(東曲輪)までは約20分で行くことができました。道は整備してあり歩きやすい。縄張りは二の丸(東曲輪)と本丸(西曲輪)を中心とするシンプルな感じですが、堀切や竪堀、堀底道(壕道)を見ることができます。多くの出土品があったようですが、「竜泉窯青磁浮牡丹唐草文大香炉」は、全国で唯一の発掘品であったと記載されていました。どういう文化を持っていたのか興味のあるところです。登り始めてまもなく熊のものと思われるウ〇コを発見しました。また本丸(西曲輪)を過ぎて摺鉢山まで行こうとしましたが、そこでまた今度は新鮮なウ〇コを見つけました。搦手道など周辺をもっと散策したかったのですが、足が進まずできる範囲を見て帰ってきました。地元の方に聞くと熊の目撃情報はあるよとのことでした。
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2021/11/06 22:51
楯蔵台が完成し山下の丸石垣鑑賞 (2012/08/13 訪問)
平成24年8月母が亡くなってから3年目のお盆に実家の仏壇、お寺、墓へお参りに帰省し、高校の合同クラス会ゴルフコンペ、夜の懇親会、恩師訪問、中学有志の茶話会と一連の行事を終えて、帰ったら鳥取城へと何時ものルーチンで登城、平成24年前後は天球丸、楯蔵跡の石垣修復が終わった前後でしたので修復の仕上がり具合を見てみたいとの目的も有り一連の周辺を見て回りました。
天球丸の東側も完成し、天球丸下の楯蔵跡の櫓台は完成して居り楯蔵曲輪の整備を待つまでになってました。(楯蔵曲輪は平成25年整備完成)、後は天球丸虎口、天球丸より二の丸表御門跡虎口石垣、天球丸下の巻石垣、天球丸下雁木石垣、二の丸菱櫓台、二の丸内部、二の丸三階櫓台、三階櫓台下石垣、右膳の丸、同登城石階段、修復復元された中仕切り門、太鼓御門石垣、堀端通り鑑賞と巡る。
写真は楯蔵跡、山下の丸の石垣中心に投稿致します。
山上の丸は堀端から眺めるだけで42歳の秋に登って以来その時で20年登ってません、高校の頃、ロープウェイが有った頃は気軽に登れたのですが今は登る気力が湧きません。皆さんの投稿を待って居ります。
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2021/11/06 21:31
金文字御城、御城印帳販売開始
明日、11月7日より勝間田城金文字御城印、限定御城印帳を販売します。
朝9時より勝間田城址で販売します。
金文字御城印は扇松堂さん、牧之原市史料館でも販売します。(こちらでは御城印帳は販売しません)
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2021/11/06 21:21
東遠江攻略の拠点 (2021/10/24 訪問)
諏訪原城は武田勝頼公が東遠江攻略の拠点として、馬場美濃守信春を普請奉行として牧之原台地に城を築きました。諏訪原城は駿河から遠江に入る要衝の地にあり、高天神城攻略のための陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担ったとのことです。
徳川家康公によって攻め落とされたのちは、今川氏真や松平家忠らが城番となりましたが、高天神城が落城し、武田氏が滅亡すると諏訪原城の必要性がなくなり、家康公が関東に移ったことから廃城になったと言われています(パンフレットより抜粋)
現在は曲輪・堀・馬出し・復元された薬医門・井戸などがあり、諏訪原城ビジターセンター、駐車場、トイレも完備されています。
この城の見所は何と言っても、深く巨大な堀・大きな丸馬出です(*^▽^*)、現在、見ることができる堀や曲輪は、徳川氏によって改修された可能性が大きいことが分かっているとのことですが、武田流築城城術を色濃く残している城跡です。
6度目の攻城ですが、何度来ても堀の大きさには唖然とさせられます。
今回、諏訪原城を訪れ少々疑問に思ったことがあります(゜_゜)普通、堀った土を土塁などに使うと思うのですが、この城にはこれだけの深い堀がありながら、それに相応しい土塁がありません。掘った土は何に使われたのでしょう(・・?
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2021/11/06 20:39
蒲生氏の城はすごい。 (2021/11/06 訪問)
登城路が整備されたとの情報で、さっそく攻城。正法寺駐車場→新案内板→山屋敷→伝大手道→屏風岩(下を覗くと危険です。降りてから見学しましょう。)→城山山頂(伝本丸373.8m鎖やロープが設置されていますので使って登りました。)→石組井戸(底下を覗くと危険です。かなり深く、落ちると登れません。)→井戸の近くの曲輪→竪堀→口の堤池(裏登城口)→屏風岩(下から見上げます。)→正法寺を約3時間かけて散策しました。トラップゲージにまた鹿が捕まっていました。狐も山で走り回っていました。
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2021/11/06 19:06
下南摩城 栃木県鹿沼市 (2021/10/30 訪問)
ゴルフの帰りに立ち寄りました。
未登録ですが見応えのある城です。
招魂社の側からハイキングコースがあり、これが登城路となります。
車は対面のセブンイレブンに駐めさせていただきました。
しばらく登ると南曲輪の堀切に出会えます。
堀切は三条が連なっていました。
さらに尾根道を登って行くと山頂部に到達。
ここが主郭のようで説明板も立っています。
説明板には何故か「鹿沼城」と。
別名は滝尾山城のはず。。。
主郭の周辺には曲輪が配置され、4郭の下には素敵な空堀もありました。
ここから下ると南摩小学校の脇に出ました。
南摩氏により築かれましたが後に赤見氏が入り南摩氏を称しました。
整備もされていてリア攻めの価値ある城かと思います。
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2021/11/06 16:09
2021/11/06 12:27
地元有志の方に感謝。小城となめずに登城は装備を! (2021/11/03 訪問)
多久聖廟のすぐ近くですが、登山道までの案内板が無く、迷いながらたどり着きました。しかし、登山道まで来ると旗が目印となり、迷うこと無く進めます。
私は郷土資料館の模型を見た感想から、軽装で登城し大後悔。途中のロープを駆使した道とは露知らず、摩擦で右手を痛め、クモの巣まみれになりました…。
堀切は見応えありますが、頂上部は木で覆われているため、その眺望を楽しめないのが少し残念でした。
ネットニュースで地元の有志の方が登山道の整備をされていると見て登りました。その整備のお陰で本当に助かりました。逆に旗の目印が無い遺構の方は、初心者には危ないと思い行くのを留まりました。
地方の小城ですが、攻略は備えを万全に!
【駐車場】
西渓(さいけい)公園
【トイレ】
同上にあります
【 装 備 】
トレッキングウェア&シューズ、帽子(出来ればつば付)、手袋(必須)、トレッキングポール(持っていれば)
【 時 間 】
往復で1時間半 (梶峰城)
【 目 印 】
カーナビ:西渓公園
登山道 :多久神社と若宮八幡宮の間の奥
【 親 子 】
小学生 高学年~ 一緒に可能かな
【モデル】
公園駐車場 →多久市郷土資料館→梶峰城 →多久市物産館(麺工房こうき)
【 + α 】
物産館内にあるうどん屋さんでとり天そば頼みました。食べ応えのある量と美味しさから大満足でした。
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2021/11/06 12:18
2021/11/06 10:59
木津城 (2021/10/23 訪問)
【木津城】
<駐車場他>木津城址公園駐車場または城跡入口前<34.731373, 135.829525>駐車できそうです。
<交通手段>車
<見所>土塁・堀
<感想>緊急事態の長い自粛期間終了と急に涼しく秋めいてきたので自儘に今シーズンの山開き解禁、約3か月ぶりの城攻めです。今回は日帰りでこの木津城から東に向かって数城攻略しました。まずは肩慣らしに木津城からスタート!
木津城は築城年は不明だが1457年に畠山義就の攻撃を受けた木津氏が木津城を自焼させたらしい。現地案内板には応仁の乱の際には在地土豪や在地農民が立て籠る砦であったらしい。
城跡は丘城程度の比高のあまりない山で、山裾下半分が整地されていてその箇所は遺構は残っていなさそうです。また城跡入口正面には水道局の敷地で塔が建っています。登城口からは数分で登りきることができ、山頂部は広く四角い形の主郭となっています。土塁囲み、北と南のラインに深い堀があり土橋付きの虎口があります。主郭周囲に物見の小さな曲輪があります。主郭は木が伐採されていて土塁・曲輪の状態がよくわかります。
<満足度>◆◆◇
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2021/11/06 10:49
松代藩江戸屋敷・長野県上田市 (2021/10/15 訪問)
松代藩の江戸屋敷は5箇所ほどあったようですが
虎ノ門にあった中屋敷の建物が何度か引っ越ししながら
長野県鹿教湯温泉に移築され個人所有となっています。
かなり大きな建物ですが山側に玄関があり建物の背中側しか見れません。
見学料千円払えば中も見学できるようですが今回は時間の都合で外側の見学だけにしました。
国道沿いには金額はわかりませんが売却希望の看板が立っていました。早いうちに中の見学をしなければ解体されてしまうかも。
財力のある方保護してみませんか。
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2021/11/06 09:33
2021/11/06 00:33
だいたい2万歩 (2021/10/23 訪問)
今回の散策コースは、
① 清閑亭→三の丸外郭新堀土塁→小峯御鐘ノ台大堀切→水之尾口櫓台
② 蓮上院土塁
です。
「清閑亭」(1906年築)は黒田長成侯爵(黒田官兵衛の子孫)別邸で、小田原城三の丸の南側に位置し、敷地内の傾斜地に土塁と深い堀跡を見ることができました。邸宅は無料で入れ、すてきなお庭や相模湾を眺めながらお茶をいただけるカフェもあります。
ここから今年の6月に出来たばかりの回遊路を通って三の丸外郭新堀土塁(新堀)へ向かいました。新堀は1月に八幡山古郭から住宅街を迷いながら行ったもののお正月休みで入れず、城山公園(大堀切の方)へ行くのも大まわりするしかなかったという忘れられない思い出があるのですが、この回遊路ができたことで小田原城址公園方面からも行きやすくなりました。(なので、お正月に入れなくてよかったと思うことにしています。)
北条氏が総構えを構築する前の外郭だった新堀はその後総構えの一部となり、江戸時代に御留山となってからは長らく立ち入りが禁止されていたそうですが、現在は国史跡として整備され大変美しい景観を楽しむことができます。石垣山も至近です。(開園時間が10時~15時と限られ、それ以外の時間は施錠されますのでご注意ください。)
北側の出入り口から新堀を出ると小峯御鐘ノ台大堀切東堀に繋がっているのでそのまま大堀切に突入します。狙われ放題、討たれまくり体験が永遠にできます……(^^♪
これまで2回の総構えウォーキングは「からたちの花の小径」(水之尾道)を奥の方まで行かなかったのですが、北原白秋と山田耕筰の映画「この道」をアマプラで観て行きたくなりました。トゲトゲのからたちの木、みかんの木、教会墓地、茶畑、猫……すてきな小径です。途中大きな土塁の残っているところに「香林寺山西まで10m」という案内があったので覗いてみました。ロープがあって下りられそうではあったのですが藪を分け入る勇気はなかったのでこちらは冬枯れの頃にまた。そこからしばらく進むと「水之尾口櫓台」に着きました。総構えの最西端で標高120mの最高地点。遥か彼方までよく見えます。包囲する豊臣の陣が全部見えていたのかな😱
車道に出たところで引き返し、なんとなく北に向かって山を抜けました。所謂総構えの散歩道の西側を歩いている感じで、ちらちらと見える遺構がいい感じでした。初めて見る土塁もありました。
そのまま小田原駅を越えて海に向かって突き進み、小田原城址江戸口見附址にほど近い蓮上院土塁へ。暗渠となっている堀跡道から眺める土塁は蓮上院と新玉小学校の敷地内で、高さがあります。太平洋戦争の爆弾着弾跡が残っており「戦国時代に小田原北条氏が築いた土塁に、昭和時代の太平洋戦争の傷跡が残る大変貴重な場所です。」と案内板に書かれていていました。戦争の犠牲者のあった場所を「貴重」と表すことに少々違和感を覚えましたが、自分のことを考えれば、数多の人たちが命を落とした戦国時代の城を嬉々としてまわっているわけで、余程ヒドイやつです。しかし、現地を歩いて戦いの痕跡を見てこそ歴史を知ることができるのだし、どうせだったら楽しく歩きたいし、過去に起きたできごとを正しく知り、それを伝えていくことは大切なことなので、戦場を楽しむのはいいことだと思うことにします。
歴史が僕を問いつめる……♪
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2021/11/05 22:07
箕輪城 千葉県柏市 (2021/10/24 訪問)
1月に上野、100名城で有名。
9月に信濃、福与城の支城。
今年3箇所目の箕輪城です。
我孫子駅から徒歩で40分、手賀病院が建っているところが城跡です。
駐車場のそば、二郭に説明板がありました。
さらに進むと虎口っぽい部分があり、通路となっています。
で、脇から駐車場方面に行くと横堀が残っていました。
この横堀は折れもあり横矢がかかっています。
手賀沼に臨み千葉氏支流の相馬氏の城とされています。
近くには道の駅しょうなんがあり賑わっていました。
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