遅ればせながら春日山登頂。言わずと知れた上杉謙信の大要塞。圧倒的なサイズ感で目の前に立ちはだかる一方、どこか大らかな雰囲気も。
標高182m。越後守護居館の詰城として築かれたのは14世紀の南北朝動乱期だといいます。その後大改修が加えられ、守護代となった謙信が入城するのは16世紀中頃になってから。北に直江津、南に高田平野、佐渡には金山、地元には特産品もありました。経済が安定すれば、それに規定される権力も安定します。傾斜が比較的緩やかだったり、土塁や堀切がそれほど多くないと感じるのはそういった地域の安定を反映してのことかもしれません。実際、謙信存命中は武田信玄が後方撹乱でちょっかいを出すふりを見せる程度で、城に攻め寄せる輩はいなかったようです。
さて、「義」に生きたとされる謙信。頼まれれば誰でも支援し、生涯で戦場に赴くこと70回余り。「戦国最強」と言われる所以ですが、本人に「自分は戦国を生きている」という自覚はなかったとよく言われます。彼が重んじた筋目は、どんなに弱体化しようと室町幕府の制度維持が前提。領土拡張や、京に旗を立てるという欲がない点で信玄や織田信長とは質が異なります。彼らの行動はもはや生理的に受け付けなかったのかもしれませんね。見方によっては、謙信はちょっとめんどくさい学級委員タイプ(笑)。過度な正義感は時として敵を増やします。常に体育館裏でタバコを吸ってそうな信玄(失敬!)からすれば、「なんやこいつ、うざいわ〜」となるのも必然でしょうか。こうして当時最高クラスの知性だった2人は世界の総面積の爪の垢ほどもない土地をめぐって消耗線を続けることになります。実に残念な話です。
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