JR飯田線/身延線沿線城巡り6日目の6城目は田中城です。
花倉城から転戦。下屋敷駐車場(34.871341、138.279430)に駐車し、櫓&門&下屋敷(34.871202、138.278132)に向かいました。
田中城は1537年(天文6年)に駿河今川氏によって築かれました。
1570年(永禄13年)の武田氏による駿河侵攻以降、三河の徳川氏に対抗する駿河西部の城砦網の要として重要視されました。
1570年(永禄13年)武田信玄により攻め落とされ、馬場信春により改修。田中城に改名。武田家家臣山県昌景が入城しました。
1582年(天正10年)甲州征伐の際、徳川勢により攻められるが城将の依田信蕃が頑強に抵抗し、主家の武田勝頼の死後まで守り抜きますが、武田家を離反した穴山梅雪の説得で開城。徳川家の高力清長が入城しました。
1590年(天正18年)の徳川家関東移封後は駿府城主中村一忠の管轄となりました。
1601年(慶長6年)酒井忠利が田中藩主となり城域の拡張や藤枝宿の城下町への取り込みなどを行います。
1609年(慶長14年)酒井忠利は川越に転出し、以後は駿府に居を構える徳川頼宣・徳川家康によって支配されます。
1616年(元和2年)徳川家康は田中城に立ち寄り、茶屋四郎次郎に供されて鯛の天ぷらを食し、これが家康の死因とする説があります。
1633年(寛永10年)以後、松平氏、水野氏、北条氏等が封じられました。
1730年(享保15年)本多正矩が4万石で封じられ、以降明治維新まで同地に拠ります。
1868年(明治元年)最後の田中藩主本多正訥が安房長尾藩に移封され、駿河国に転封となった徳川本家(静岡藩)の支配地となり、高橋泥舟が城を預かった後、廃城となりました。
当時の遺構は水堀と石垣がわずかに残るだけですが、江戸時代後期、田中藩主・本多家の庭園であった別荘が史跡公園(田中城下屋敷)として整備され、本丸櫓や茶室が復元されています。
また、近隣の旭傳院に不浄門が移築され現存しているそうですが、自分は行っていません。
下屋敷の受付の方が本日初めて(着いたのはお昼でしたが、降雨の中、見学される方が少なかったのかな?)のお客さんとのことで、立派なパンフレット等をたくさんくれました。
駐車無料です。下屋敷を見学後、城址の住宅街(三の丸土塁➡大手二之門跡➡三之堀跡)を回る予定でしたが、降雨の中、やめました。
攻城時間は25分くらいでした。
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