続50城目。
続・瀬戸内漫遊2城目。
村上水軍博物館の3Fより能島城跡を拝見させていただきました。さすがに上陸は困難でしたので遠目から見させていただきました。
瀬戸内海上に鎮座する素晴らしき城郭跡でした。
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2021/07/03 19:25
2021/07/03 19:14
2021/07/03 18:13
黒い海鼠壁 (2021/06/25 訪問)
復元された鼠多門をようやく見学することが出来ました。
北陸新幹線が金沢駅まで開通したときに来て以来ですから6年ぶりでした。
金沢城ではあちらこちらで見ることができる海鼠壁が鼠多門は黒海鼠。
なんでも黒い海鼠壁が発掘されそれをもとに黒い壁になったと
ボランティアのおじさんが教えてくれました。
二の丸では御殿の発掘調査も行われており
そのまま建設工事が始まるかもと思い極楽橋付近からも
撮り収めのつもりで一枚撮影しました。
ライトアップされた鼠多門を撮影したく行ったのですが当日は午前中に金沢に到着。
夕暮れまでの時間は一日かけ遺構を散策して時間を潰しました。画像の点数に限りがありますので
数回に分け紹介します。お付き合いください。
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2021/07/03 14:56
2021/07/03 14:04
【お城川柳】二の丸角櫓撮影ポイント探しを詠んで (2020/10/03 訪問)
・ Ⅴポイント 角櫓たつも 何処にある
水戸城二の丸の復元が進み昨年春には二の丸大手門が公開され、同年9月には角櫓と付櫓の北多聞櫓、東多聞櫓が竣工、同じく大手門から角櫓間の長土塀も竣工し今年6月27日に散策路も出来、角櫓公開と成りました。
しかし外から角櫓の撮影を試みるのですが撮影ポイントが中々見つからない、見つかっても建物などが邪魔に成り全体を撮影する事が叶いません。
水戸城の復元整備には前々から関心を持って待ち望んで居ましたので大変ありがたく水戸市茨城県の方々に感謝です、次の復元整備も願って居ます。
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2021/07/03 11:14
2021/07/03 09:20
「城主大名」の夢の跡 陸奥松山城 (2021/06/22 訪問)
松山城は酒田市(旧松山町)にある鶴岡藩酒井家の支藩松山藩の城。松山藩三代藩主忠休は長年幕府の要職を勤め、その功により築城を許された。城は本丸を中心に北・東・南側を二の丸が、さらに西・南側を三の丸が囲み、土塁・水掘りで区画する縄張であった。
築城は天明元年(1781)に始まり、翌年には三の丸櫓門(大手門)が完成するが、本丸は藩主忠休の死去、藩の財政難や凶作・飢饉により着工されないまま天明七年に終了したと云う。まさに天明の大飢饉(1783~88)が日本全土に及んだ時期であり納得できる。
城址はほとんど市街化されているが、かつての三の丸の一部が「松山歴史公園」となっており大手門と堀、土塁の一部を見ることができる。蛇足ながら「富原文庫蔵陸軍省城絵図」(2017戎光祥出版)には「松嶺城」として三の丸絵図が掲載されており、堀に囲まれ、大手門の正面に馬出、土塁上には白塀、横矢かかりなど廃城以前の姿が判りやすく描かれているのでご覧いただきたい。
駐車場は「松山文化伝承館」駐車場が利用できる。
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2021/07/02 22:50
2021/07/02 20:44
これでも後北条氏が使っている (2021/04/24 訪問)
後北条氏が里見氏と対峙する形で陣取ったお城だが後北条氏の城にしては遺構が薄い。天正初頭に里見氏との緊張関係が緩和されたからともされるが築城主と年代だけでは縄張の普遍性が説明できない典型例かもしれぬ。
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2021/07/02 20:01
【お城川柳】
先人の片手袋の後を行く
この道で間違いないな。
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2021/07/02 19:59
【お城川柳】
デジカメのキャップ見かけませんでした?
Canonの。
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2021/07/02 19:58
【お城川柳】
ナビ示すお城は高速道路上
あながち間違いでもなくて。
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2021/07/02 19:57
【お城川柳】
ローカル線行きも帰りも同じ顔
何ならまわるルートもずっと同じ。
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2021/07/02 19:07
2021/07/02 18:41
2021/07/02 18:37
2021/07/02 18:28
2021/07/02 10:54
【お城川柳】巨大な丸馬出三日月掘の諏訪原城を詠んで
・ 丸馬出 諏訪原城に 六つあり
・ 武田より 徳川つたえし 牧野城
島田市牧之原台地に武田氏と徳川氏の攻防の跡諏訪原城が在ります、武田が築城し徳川が改修し別名牧野城(徳川氏が命名)、巨大な土の城で丸馬出と前面の三日月掘りスケールが大きく見応えが有ります、大型な中馬出、大手馬出、小振りな北馬出、東内馬出、東馬出、南馬出、更に香川画伯の諏訪原城想像俯瞰図には大手曲輪の大型大手外馬出が描かれてます未発掘の様ですが地形図では痕跡が伺えますが?
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2021/07/02 08:11
石田氏館(滋賀県長浜市石田町) (2021/06/20 訪問)
石田氏館(城びと未登録)は、戦国期に京極氏や浅井氏に仕えた地侍・石田氏の居館で、石田三成の出生地として知られています。
石田会館から北側の石田バス停にかけてが居館跡とされ、明瞭な遺構はありませんが、石田会館には「石田三成公屋敷跡」「石田治部少輔出生地」をはじめとする多くの石碑、説明板、三成の銅像が建てられ、南西隅の堀端池は治部池とも呼ばれ、堀の一部と言われます。石田会館には三成についての資料が展示されているようですが、コロナ禍のため休館中でした。石田会館の北の石田バス停には「石田治部少輔三成屋敷跡」と「石田三成公邸跡」の石碑、案内板や説明板があり、石田バス停から北東に少し行ったところには、石田三成産湯の井戸があります。
石田会館の東には石田氏の氏神と伝わる八幡神社があり、その裏手の石田神社には、石田三成公一族及家臣供養塔が祀られています。これは八幡神社から多数の墓石が出土し、刻まれた文字から関ケ原の戦いの後、徳川方の追及を避けるべく石田一族や家臣の墓石を埋められたものと考えられ、新たに墓所を整備して供養しているとのことです。
また、石田氏館から東に車で5分、横山城南麓の観音寺には羽柴秀吉と三成の出逢いとされる「三献茶」の際に、三成が水を汲んだと伝わる井戸があります。長浜駅東口には、三献茶にちなんだ秀吉公と石田三成公出逢いの像も建てられています。
下坂氏館を去る際、ガイドさんから次はどこに行くか問われ、石田氏館に行くと答えたところ、「関ケ原で敗れたため、悪く言われることも多いけど、このあたりの人にとって三成は英雄なんですよ」とのことでしたが、こうしてゆかりの地をめぐってみると、本当に慕われてるなぁ、と実感します。
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