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くっしー

諏訪湖を見るならここから (2021/07/04 訪問)

小高い丘の上にこじんまりとした城があります。

たどり着くまでの道が狭く急こう配で怖かったですが、

主郭より少し下に駐車場がありました。

主郭の周りにはいくつか郭が残っています。

説明看板によると、空堀・出丸があると書かれているのですが、

どれのことを言っているのかわかりませんでした。縄張図が欲しいですね。

主郭からの眺めは素晴らしいですよ。

鳥観図にも描かれているような城が残っていたら素敵だなと思います。

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にのまる

【お城川柳】

新高山三原も同じポチひとつ

楽あれば苦あり

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にのまる

【お城川柳】最後は自ら破城

お砂場で子どもら無邪気に築城す

誰に教えられたわけでもないのに堀を掘って水を流し(←全部すいこまれる)、掻き出した砂で土塁を築いて、天守もどきに旗を立てる。
「城づくり」は人間の本能なのかもしれない⁉︎

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にのまる

【お城川柳】

攻め来るを一網打尽の滑り台

思わず整列して滑りたくなる土塁上の危険なトラップ。
まとめて討ち取られること必至。

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入り江わに

【お城川柳】

石垣に いいね沢山 つけるコミュ

城びと見てると石垣や石積みにハート数が結構高いですね~。

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カズサン

【お城川柳】松江城と浜松城つながりで一句

 ・ 浜松と 吉晴つながり 松江城

 ・ 松江天守 小振り復元 浜松城

 堀尾吉晴侯は浜松に約10年在城し織豊系城郭に改修、関ヶ原後出雲隠岐の太守で移封、浜松城に倣った松江城天守閣を複合式で完成させましたと言われてますが? 浜松城天守台の構造は東向きに付櫓台が有り複合式天守閣の痕跡の様です。
 この様に堀尾吉晴侯で繋がってる松江城と浜松城、松江城の小振りな様式で浜松城天守台全面を使用した堀尾式天守閣の再建復元を願って居ます。

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イオ

五條代官所(奈良県五條市新町) (2021/06/22 訪問)

江戸中期に幕府が宇智郡、宇陀郡、吉野郡の天領を管理するために築いた代官所で、江戸末期、尊王攘夷を掲げ蜂起した天誅組の襲撃により焼き払われましたが、翌年、現在の位置に場所を移して再建されました。明治期には五條県庁を経て裁判所となった後、長屋門と広場を五條市が引き継いで現在に至ります。

裁判所東隣の史跡公園には再建後の長屋門(正門)が現存し、内部は民俗資料館として整備されています。史跡公園と裁判所の南辺には石垣が築かれ、裁判所の南辺には長屋門から続く土塀も見られます。裁判所南西部には裏門も見えていますが、時季的に草が生い茂っていて遠くから眺めるだけにしました。

民俗資料館は主に天誅組に関する資料が展示されています。五條市は「維新のさきがけ」「明治維新発祥の地」として大いに天誅組推しのようで、名前は聞いたことがあるけど…程度の私でも、大まかな流れを把握することができました。その他、襲撃当時の五條代官所の見取図に興味を惹かれました。

その襲撃当時の五條代官所跡は市役所になっていて、正面の植え込みに石碑と説明板が設けられています。長屋門の下の国道沿いにある無料駐車場から市役所まで歩いても徒歩5分くらいです。
 

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県松本市)村井城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の19城目は村井城(1日目のラスト)です。
長者屋敷から転戦。説明板付近(36.177661、137.954754)に駐車しました。

木曾義仲の家臣、手塚光盛が居住したと伝えられています。
鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地を支配した村井氏が居を構えていました。村井城は平時の館で、埴原城を詰城としていたようです。
1548年(天文17年)甲斐の武田晴信(後の信玄)が小笠原長時と戦うと村井氏は小笠原氏に属し、この館を府中の防衛拠点としていました。
しかし、小笠原氏が塩尻峠の合戦に敗れると、共に戦った村井氏は滅亡し、村井城は武田晴信のものとなりました。
同年10月、晴信は直ちに村井城の鍬立普請を指図し、林城攻略の前進拠点としました。
続いて1550年(天文19年)7月、晴信は林城を落とすと、深志城をこの地の拠点としたため、村井城は廃城となったと考えられています。

現在、遺構などは一切残っておらず、住宅地の中に「小屋城跡」と書かれた標柱と説明看板があるのみである。
攻城時間は5分くらいでした。

1日目の攻城徒歩数=17729歩、攻城徒歩距離=13.82Kmでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県松本市)長者屋敷 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の18城目は長者屋敷です。
光明寺館から転戦。コミュニティセンタ駐車場(36.164259、137.946765)に駐車しました。

詳細は不明。現在は長者原公園になっており、土塁と説明板の写真を撮って撤収です。
攻城時間は10分くらいでした。

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー38城目 (2021/06/05 訪問)

すっかりペースが落ちて遅々として進まないスタンプラリーですが、なんとか無事、スタンプをゲットすることが出来ました。福井県の続100名城は後2つ残っていますが、来年以降に持ち越しです。東京都下の滝山城に行けるようになるのにはあと何年かかるのでしょう。

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にのまる

【お城川柳】

城ネコに遺構はこっちと導かれ

ついて行った先の小屋は空堀を展示する覆屋で、その奥に建物跡地がありました。

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にのまる

【お城川柳】敗将の如く佇む

白き将城とも大地へ還りゆく

本丸にポツンと立ち、その身が溶けてゆくのをただ受け入れるしかない雪だるまの姿が何とも切なくて。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県松本市)光明寺館 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の17城目は光明寺館です。
赤木南城から転戦。光明寺入口付近(36.163865、137.956854)から中に入り、光明寺に駐車しました。

詳細は不明。標柱によれば、吉田四郎忠家の居館と伝承されています。
吉田氏は坂東八平氏のうち秩父氏の末裔で、兄弟には小池家兼、赤木親忠、白河親行がいたそうです。

付近をぐるっと廻ったが遺構らしきものは見つからず。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県塩尻市)赤木南城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の16城目は赤木南城です。
南熊井城から転戦。セイコーエプソン駐車場は関係者以外駐車禁止のようなので、近くの路肩(36.156111、137.973085)に駐車しました。

築城年代は定かではないが鎌倉時代に北条政頼によって築かれたといいます。
天正年間(1573年〜1592年)初めの頃は古川伝八郎が守っていたと伝えられています。

遺構はよくわからない。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県塩尻市)南熊井城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の15城目は南熊井城です。
高須城から転戦。JA集荷場付近(36.124186、137.972123)に駐車し、標柱場所(36.124115、137.971401)に向かいました。

南熊井城は府中小笠原氏配下で、現在の南熊井集落を支配する領主館であったと考えられているが、築城年代や築城者については定かでないようです。
北熊井城と至近距離に位置することからすれば、小笠原氏に属し、1548年(天文17年)塩尻峠の戦いで北熊井城が武田氏に攻められた時に、この城も攻められ落城したと推定されるそうです。
武田氏によって改修されたかどうかは明らかではないが、北熊井城の出城的な役割を果たしたと考えられるそうです。

標柱場所先から土手を直登。内部は草でよく見えないが、東側の水路が通ってる堀はなかなかでした。
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:城びと未登録(長野県塩尻市)高須城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の14城目は高須城です。
武居城から転戦。説明板前(36.115492、137.964930)に駐車しました。

詳細は不明です。戦国時代、松本平の小笠原氏が武田氏に備えるため兵站基地として造営されたと云われています。
攻城時間は5分くらいでした。

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肉球

石瓦 (2021/06/24 訪問)

かなり重たいようですが寒さ対策のため笏谷石を瓦に使用しています。
その笏谷石で作られた瓦は天守閣に入り急な階段を登れば間近に見ることが出来ます。
天守閣に入る階段脇には福井地震で落下してしまった鯱がありますが
よく見るとなかなか愛嬌があります。

お城の近くにある円光寺境内にマリア像が彫られたキリシタン灯籠があり
その横を流れる田島川が外堀だったようです。

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くっしー

浮城とも呼ばれる諏訪氏の城 (2021/07/04 訪問)

諏訪湖のすぐそばにたつ名城。

ただし浮城と呼ばれていたのは、かつては湖畔に突き出す形でたっていたため。

今は、周りが住宅街です。

天守が資料館になっていますが、そこで古絵図が展示してあります。

江戸時代初期の様子を表しているそうですが、確かに湖の中に城があります。

もし今残ってたらフォトジェニックな素晴らしい城だっただろうなと思います。

もちろん、現状でも十分楽しめましたけどね。

個人的には、矢穴を見つけると興奮するのですが、

ここの矢穴は一つ一つが大きいですね。

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肉球

現存最古の天守じゃなかったけど (2021/06/24 訪問)

1628年に建造されたと発表されましたが石瓦や狭間の多さなのか
私には犬山城より古く見えてしまいます。
何度か訪れていますが天守閣全景を撮影できる場所が限られて
かなり遠くから撮影してみました。
もう少し木が少ないと良いのですが

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小城小次郎

広大な三崎城の一部だったという見方も面白い (2021/04/24 訪問)

三浦道寸父子の最期の地は内と外の二つの引橋によって今の三浦市全体を守る広大な「三崎城」の一部だったという見方もある。お城の既成概念を大きくはみ出していてわけがわからないが、わからないからこそ城は面白い。

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