加納城から新荒田川を渡り、徒歩10分ほどで済美高校に到着。“戦国武将ゆかりの地 岐阜”の幟が目印になりました。
校庭の一角のフェンスで囲われた土盛り(土塁跡?)に城址碑と説明板がありました。岐阜城以前の南北朝時代のお城だったそうです。
鉄棒や滑り台のある、地域に開かれた小さな遊び場のようでもありましたが、正面に祀られたお社に、この地の方々が今日まで長い歴史を守り受け継いできたことを思いました。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/10/25 05:38
2024/05/11 13:13
かつての守護館あと (2024/04/14 訪問)
川手城は革手城とも呼ばれ斉美高校の敷地内の道沿いの一角にひっそりと城址碑が立っています。最初はその存在になかなか気づかず、周囲を二周してようやく解りました。すでに不審者予備軍になりかけているので、すぐに退散です。
川手城は美濃守護となる土岐氏3代・頼康によって築かれて以後11代まで歴代守護職土岐氏の居城となったようです。近くには正法寺跡と守護代館である加納城があり、これらはセットになっているイメージです。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2024/02/12 20:47
遺構なき城 (2023/12/31 訪問)
岐阜市内の蕎麦屋さんで少し早い年越しそばを食べてから城址へ。
守護土岐氏の居城。学校に隣接する一画に石碑、案内板があるのみで、遺構らしきものは確認できなかった。5分で撤収。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2024/02/12 09:11
正法寺町と大仏町。 (2024/01/03 訪問)
「長森城」を後にし、「川手城」へ転戦しました。
美濃国守護の土岐氏も、「長森城」が手狭になった為に「川手城」を築城し移りました。
『正法寺町33』と「川手城」の所在地を入力した時は、御寺さんが城跡だと思いましたが、済美高校の敷地内に到着しました。
道路がアスファルトと違っていて石畳(?)。躊躇しましたが、他の車も通行していたので「川手城」の石碑がある小さな公園の前に路駐して写真をパチッ。退陣です。
近くに「加納城」があります。
徳川さんの世になると「川手城」の土塁を「加納城」に使ったんだとか。
遺構はありません。
住所の『正法寺』が気になり、どこにあるか調べてみたら、「岐阜城」のお膝元、大仏町にありました。
『正法寺』には大仏様がいらっしゃいます。で、大仏町かー。
土岐氏の足取りと同じように、大仏様の足取りも気になる「川手城」攻めでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 土岐頼康 |
| 築城年 | 正平8年〔南朝〕/文和2年〔北朝〕(1353) |
| 主な城主 | 土岐頼康 |
| 廃城年 | 享禄3年(1530) |
| 遺構 | 消滅 |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 岐阜県岐阜市正法寺町33(地図は石碑の場所を示す) |