天竜川の左岸、小式部城山を中心に多くの城砦があります。
尾根に3つの堀切、細長い平場があります。熊笹が生い茂ってます。
麓の無量寺から歴史探索コースのようなハイキングコースが整備されています。
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2021/12/06 18:22
2021/12/06 16:55
10年前錦秋の高山城初登城 (2011/11/12 訪問)
平成23年飛騨の国の城を訪ねて無く朝早く高速を飛ばして日帰り城探訪を高山城、高山陣屋、松倉城を目的に出掛けました。
先ずは高山城へ、車は二の丸公園の駐車場を利用。
ルートは二の丸公園の金森長近の騎馬像を観察、公園から繫がってる搦手登城路を登って行く、直ぐに着くと思ったのですがこれがなかなか時間が掛りキツイ、私の足では20~30分掛かったのでは無いか?途中に曲輪、平場が有り頂上の本丸へ、紅葉が色鮮やかに本丸を覆いかぶさり、地面は紅葉の絨毯素晴らしい景観でした、本丸に案内板が有り本丸屋形の想像図が目を引きました、これが存在してたらとか?復元出来たらとか?妄想したり。
下城ルートは大手方向に降り、復元大手門石垣?を抜けて二の丸から三の丸護国神社、唯一残ってる水堀を観察。
歴史:永正年中(1504~1521年)、高山外記が、この山の頂に築城し、天神山城と称した。これが高山の地名及び城の起源ともいわれている。
永禄元年(1558年)三木自綱に攻められて落城、天正13年(1585年)8月金森長近が豊臣秀吉の命により飛騨に攻め入り佐々成政と同盟してる三木氏を滅ぼして領主となった。天正16年築城に着手し16年の歳月をかけて完成させた。全国でも平山城として屈指の名城といわれ元禄5年(1692年)出羽の国上山に転封天領となるまで、金森氏6代107年の居城であった。元禄8年幕命により加賀藩の手で徹底して破却され昔日の姿を失った。別名:天神山城、臥牛山城とも。(高山市都市整備課の城山公園のあらましの抜粋と一部加筆による)
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2021/12/06 16:44
2021/12/06 12:26
城郭巡り旅1 (2021/10/30 訪問)
富山城の跡地が公園として整備され、東側は本丸跡、西側は西の丸跡となります。天守は再建された模擬天守で、現在当時のまま残っているのは千歳御門のみです。日本庭園も整備され、紅葉もあり秋の雰囲気を満喫できました。地下に駐車場があり便利です。
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2021/12/06 12:16
野間城は、光竜山城、野間山城、砦いくつかの総称だと (2021/11/28 訪問)
ピーカルさんに遅れること約1ヶ月。狙ってた城びと初投稿を逃しました。
先日投稿した野間山城の後に登城。登城口の説明板に「(光竜山城は)野間城の中心と見られ」と書いてあり、下調べ不足で「???」。
在田氏は、播磨平野が山地に接する辺りの河内から、野間川を遡った、山間のこの地に本拠地を移しました。守り易さを優先したのでしょう。しかし、三木城の別所氏に攻められ落城したと。
ピーカルさんがアップされてない写真を中心にアップしました。
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2021/12/06 12:15
石垣出没 (2021/12/03 訪問)
坂本城の石垣を見てきました。敗者のもの悲しさを感じる遺構でした。週末は周辺道路が混雑するので、徒歩で行くのがお勧めです。また歴史的遺産なので迷惑にならないよう、また破壊しないないよう遠目に見る程度にしたほうが良いと感じました。
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2021/12/06 11:47
石垣と民家の距離がすごい (2021/12/04 訪問)
千人殺しの石垣は名前の通り圧巻でした。石垣の1m程度隣に民家がある光景には驚きました。
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2021/12/06 11:44
九州随一の山城 (2021/12/04 訪問)
麓の武家屋敷街から山頂の天守台まで素晴らしい山城で感動しました。石垣もよく残っており、木を伐採すると竹田城に似ているのかなと感じました。また近くの高校の生徒さん達は、挨拶もしっかりとしてくれてとても気持ちのいい街で佐伯のことが好きになりました。
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2021/12/06 11:36
Coolなお城 (2021/12/04 訪問)
大手門から見る臼杵城は迫力があり、とてもかっこよかったです。また、近くの武家屋敷も素敵な雰囲気でした。
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2021/12/06 11:33
2021/12/06 11:28
2021/12/06 11:23
2021/12/06 11:21
2021/12/06 11:18
2回目の登城 (2021/11/13 訪問)
前回の登城した際は、天気が悪かったのですが、今回は晴れ間も見せてくれて良かったです。イチョウもきれいに紅葉しており、天守とイチョウのコラボレーションはとても美しかったです。
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2021/12/06 10:06
2021/12/06 10:00
2021/12/06 08:51
続・一日まるごと小谷城(錦秋の小谷城) (2021/11/21 訪問)
3月に小谷城に登城した際、一日かけてめぐり尽くすつもりが、あちこち寄り道しすぎて予定時間を大幅に超過してしまい、大嶽や福寿丸、山崎丸を諦めて清水谷から下山したことがありましたので、山城シーズンの到来を待って再挑戦しました。小谷山頂の大嶽と南西尾根をめぐるだけなら、清水谷から登城するのが最短でしょうけど、それでは前回のリベンジを果たしたことにならない、という訳の分からない理由により、前回同様に追手道からの登城です。…とは言え、同じ道をただ歩くのでは面白くないので、紅葉の見ごろを見計らって紅葉狩りを兼ねて訪れました。
前回の反省を踏まえ、出丸にも金吾丸にも寄り道せずにひたすら登って行くと、御馬屋の土塁上の木々が真っ赤に色付いています。その上の桜馬場も紅葉の名所と呼ばれるにに相応しい美しさです。黒金門を抜けた大広間も紅と黄色に染まっていて、本丸石垣に映えています。ああ、やはり見ごろを見計らって来た甲斐がありました。錦秋の小谷城、素晴らしすぎます!
大堀切を越えて山王丸に向かう前に、前回見落とした御局屋敷に寄り道を。本丸西下に設けられた帯曲輪で、城中の女房たちやお市の方と三姉妹の住居とも言われています。帯曲輪は南西方向にのびていて、これが前回探索した桜馬場西下の竪堀や崩れた石垣がある帯曲輪に続いているんだな、と納得です。なお、御局屋敷に建てられた説明板には「その昔の絶世の美女達の思いを秘めて今を紅に彩るもみじが悲しい」とありましたが、残念ながら説明板の上にかかるもみじはこの日はまだ青々としていました…。
大堀切に戻り、中丸、京極丸、小丸とたどって山王丸へ。その道中も山王丸の大石垣もただただ紅葉の中…。見惚れつつ(写真を撮りつつ)歩くうちに、六坊を経てあっという間に清水谷と大嶽と月所丸の分岐に着きました。ここまで約1時間半。前回より3時間早い到着です。前回はどれだけ寄り道してたんだか(笑) 大嶽までは2時間を想定しており、少し余裕があると思うとついつい月所丸に寄り道してしまいましたが、月所丸も綺麗に色付いていて、寄り道しただけの値打ちはありました。
分岐に戻り、今度こそ大嶽を目指します。息を切らしながら階段を登った先の岩尾からは、これまで歩いてきた南東尾根の主郭部が見渡せました。大嶽までもうあと一息です(続く)。
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2021/12/06 08:08
甲州からの侵攻に対する阻塞 (2021/11/20 訪問)
訪問した滝山城は、近隣の高月城や根小屋城と併せて北条家が山梨方面(武田氏)からの侵攻を想定し、滝山街道を扼する場所に築いた国境警備のための城であり、築城時に北条家最大の兵馬を任されていた北条氏照が城主を務めていたと伝わっています。
まあ、今の視点から見ると、当時の北条氏照の所領を考えれば、この場所では少し西に偏っており、統治には適当ではないのではないかとも思えますが。。。。
公共交通機関を用いたアクセスは、JR又は京王(始発はこちら)八王子駅から西東京バス(サマーランド方面行)で約30分のバス停「滝山城下」で下車。直ぐに大手道につながっています。
バス停の近くには、NPOの方が作成された滝山城のリーフレットを置いたBOXや城碑が置かれており、観光用の駐車場もコンビニの横に数台分が用意されています。
大手口から上りますが、この城自体が平山城という性格のため、それほど上りが厳しいものではなく、直ぐに城の中核部に到達することができます。
大手からの道が逝けで行き止まり、左手に小宮曲輪を見ながら、右手に進むと三の丸、千畳敷、二の丸という中核部分が顔を出し、土橋で連結された二の丸には北条家築城の特徴の一つである角馬出が2箇所確認することができます。
二の丸の分岐路をさらに右に行くと、城主の家老の屋敷跡が並び、東の尾根伝いから攻城してくる敵を分断するための木橋と堀切とともに城の外郭を固めています。
一方、二の丸から中ノ丸、本丸に至る道をたどると、中ノ丸の直前に厳重な虎口の跡があり、ここがこの城の最終防衛ラインであろうことが想像されます。
中ノ丸は広く、多摩川を挟んで拝島方面の眺望がききますが、それに比べると本丸はやや狭く、この本丸だけで抵抗することは想定されていないのではないかと思われました。
滝山城で有名な木橋は、この中ノ丸と本丸を結ぶ箇所にあり、 木橋の下の通路は搦手(多摩川方面)方面へと続いています。
築城者である北条氏照の地位を反映させているためか城郭自体の規模は大きく(城域を守ろうと思うと少なくとも2000人~3000人は守備兵が必要)、見応えのある遺構も比較的残されていること、中ノ丸にはボランティアガイドさんがおり、説明をしてくれる体制が整っているなど、城へのアクセスを含め、土の城好きに楽しめる城の一つとの印象があります。
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2021/12/06 07:37
赤松氏3大山城(続々100名城) (2021/12/04 訪問)
登城は距離も短く、整備も行き届いているのでとても上りやすいです。わかりやすい縄張りと、随所にみられる石垣が素晴らしいでした。置塩城と同様、100名城に選定されてもいいと思える山城でした。アクセスは車がないとしんどいですね。
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