10年前の平成23年11月、高山城、高山陣屋を終えて飛騨の里合掌造り村の横を通り松倉城を目指す、道は曲がりくねった登り道舗装されています、峠の松倉シンボル公園/広場に駐車場が在ります、車は同駐車場を利用。
ルートは駐車場から案内指示板が有り登城路を登って行く、わりと緩い登り坂で楽な登城道でした、登城口に熊注意の看板、その当時熊除けベルは持って無く、冷や冷や登城、途中の尾根筋登城路に堀切が有り看板も有る、ほどなく三の丸高石垣に当たる、高石垣横下を通り搦手門跡から三の丸に上がる、上がると本丸外曲輪高石垣が聳える、横矢掛りにも成ってる、三の丸に南西角櫓跡、東南角櫓跡も有り、三の丸、本丸の東に二の丸が有る、二の丸から本丸外曲輪を登って本丸虎口から本丸に登る、眺望は絶景、本丸は南、西、東に低い石塁が有り北は高石垣の天端、城名石碑が建てる、二の丸に降りて本丸外曲輪と本丸の二重石垣を眺める、二の丸東に大手門跡、井戸跡、旗立岩がります、更に東の尾根筋に曲輪、堀切が有る様ですが足を延ばしていません。
観察、探訪中にガサガサと音がしたのでもしかと身構えるが同好の士で一安心、若干言葉を交わすがすれ違いのみ。
南東角櫓跡から三の丸の南側の高石垣を望むが草に覆われてハッキリとしないが高石垣の存在は認識出来る。
この時点で山城山頂が三の丸本丸二の丸を高石垣で構えた城郭を観察したのは松倉城が初めて、山城は余り登城してませんでしたが認識を新たにした山城でした。驚愕と圧巻の堅固な城郭を十二分に堪能しました眺望も最高、絶景です。
城址本丸に在る案内板による歴史
三木自綱は天正5年(1577年)白川郷を除く一円を支配し松倉城を夏城とした。松倉城は山城ながら山上の本丸に矢倉、城門を置き、標高856m比高360mの松倉山上に巨石を使って、堅固な石垣を築き上げている。戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張りをもつ城である。天正13年(1585年)金森長近、可重父子に攻められて落城し以後廃城と成った。(案内板、高山市教育委員会の抜粋)
石垣の積みかたは織豊期後期、若干算木積の痕跡も見られるので、安土城築城前後より後かと、その当時に三木氏巨石を使った築城技術が有ったのか? くっしーさん投稿の考察が妥当な様に思えますが?
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