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todo94

冬季は休館です (2021/12/04 訪問)

土日の開館時間をしっかりと確認して赴いたのですが、なんと12月1日から3月末日までの冬期間は休館期間中だったのです。それでも館を巡る空堀と土塁は確認できたので攻城したことにさせてください。

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肉球

芳賀氏の居城 (2021/12/12 訪問)

鎌倉時代に築城され200年以上芳賀氏の居城。
豊臣秀吉に宇都宮氏が改易され芳賀氏も所領を失い
江戸時代に入り浅野氏堀氏稲葉氏が城主となり
その後天領となり城跡の一部に陣屋が築かれましたが
1868年佐賀藩土佐藩の官軍に攻められ
最後の代官は討ち取られ高札場付近で
晒し首になったようです。

本丸二の丸三の丸が小学校となり見極めができません。
四の丸は公園になっていて駐車場もあります。
平山城のため小学校の周りを歩くとお城を感じ取れます。

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チェブ

最福寺の裏手を走る。 (2022/01/03 訪問)

千葉県の「多部田城」、勇気の出なかった城攻めです。
千葉 常胤さんの四男、多部田 四郎さんが築きました。
お二人を調べると常胤さんは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出演予定です。「多部田城」の四郎さんはキャストに名前が、まだ(?)ありません。源頼朝さんを父子でサポートしてますので、楽しみです。

最福寺に向かい門前で、迷いました。駐車場がありません。
車で入って良いか迷った挙げ句、路駐して門をパチッ。誰もいらっしゃる様子がないので勝手にお邪魔はできません。
後から分かりましたが、駐車場は門の中にあるそうです。ただ、皆さんの情報同様に、目的が「多部田城」だとお断りした方が良いのではないかと思います。

最福寺の裏手に遺構があるとの情報に、グルッと裏手の畑道からパチッ。
遺構が隠れてそうな藪を横目に走りましたが、ギブアップです。

『鎌倉殿の13人』のドラマの最後に縁の地として「多部田城」がでたら後悔しそうです(;´д`)

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肉球

東郷陣屋・栃木県真岡市 (2021/12/12 訪問)

1799年幕府によって築かれた陣屋跡。
のちに真岡陣屋と統合されほとんどの建物も移されたようです。
陣屋の遺構は何もありませんが跡地の横を流れる穴川用水は
二宮尊徳が改修整備したようで今も働いています。

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T-Shionoya

大多喜城訪問 (2004/12/26 訪問)

過去のお城巡りの振り返り第17段は、先週投稿した久留里城に続き訪問した千葉県大多喜町の大多喜城。

房総半島において、久留里城と東西対照にしたようなエリアが大多喜。
太平洋に注ぐ夷隅川を海岸線から直線で約15km上り、平地が山に囲まれた環境。
上総武田氏の支配下から、里見氏時代は家臣正木氏の本拠となった地で、小田原征伐後は本多忠勝により大多喜城が築かれます。

大多喜城は夷隅川を城下町の天然の堀とし、現在の大多喜駅西口にある八幡神社入口に大手門、そこから西に三ノ丸、大多喜高校のある二ノ丸、模擬天守型の博物館が建つ本丸、と段々に尾根を上がる城郭。
本多氏3代以降は阿部氏らが入り、江戸中期からは大河内松平氏9代が城主を務めました。

初訪問の時は年末で博物館が休館だったか、もう閉館だったか。
そのため3年後に再訪問。
城下町は風情があり、高校に薬医門と大井戸が残るものの、その他の遺構は目立たなかった印象の城。
再々訪問するなら、西の尾根づたいの栗山城に行ってみるとおもしろいかもしれませんね。

※薬医門と大井戸以外は'08年撮影

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刑部

学校に変われた城址 (2022/01/03 訪問)

学校の周りに土塁が遺っているが写真撮影するほどでないので代わりに近くにある武田氏館跡の写真投稿します。甲斐武田氏発祥の地でもあるので勝倉城址に来た時はこちらの訪問をおすすめします。

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カズサン

九尺石虎口も見所な曲輪群 (2011/06/04 訪問)

 調度丸から見上げる桜馬場下重層石垣を充分堪能して遊佐屋敷経由本丸へ登石垣、2段石垣、懸け御殿は空想して本丸の眺望も満足の後、搦手側の虎口、枡形後を通って桜馬場、遊佐屋敷の折れの有る石垣を確認して温井屋敷西下に在る巨石九尺石の虎口を確認、巨石を使った虎口は鏡石的に大手筋を表すのですがここは大手に成るのか?不思議な思いでした。
 九尺石虎口から温井屋敷、二の丸虎口階段、手前石垣から二の丸内部へ、ここにも七尾城の案内解説板が有る、三の丸へ二の丸から堀切下を望むと深く此処を降って登って戻るのかと思うと尻込み三の丸は断念、桜馬場に戻り、調度丸を眺めて降る軟弱な初登城でした。
 
 この後には麓の七尾城史資料館に寄り資料閲覧、資料入手、隣の懐古館も見学、資料に由ると資料館から本丸を目指す七尾城制覇コース150分、比高200~300mと有りました。
 最近「にのまるさん」が麓から本丸までを踏破された投稿を有りましたが健脚には驚かされます。

 調度丸から見た重層石垣、本丸周り、九尺石と曲輪群と3編と長々の投稿をお許しください、写真を撮り過ぎ3編30枚に選ぶのもしんどい作業でした。

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イチ

ただいま工事中 (2018/04/15 訪問)

築城400年に合わせて、天守閣・博物館のリニューアル工事中。天守閣は北側に鉄板が張られる。
写真は工事前のもの。

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見学会に参加して (2021/10/24 訪問)

昨年10月末に見学会で大阪狭山市にあった狭山陣屋に行ってきました。
狭山陣屋は、狭山藩庁でした。
さて、狭山陣屋は、豊臣秀吉による小田原征伐によって、北条5代の北条氏直が高野山に蟄居させられ、叔父の北条氏規も従った。
翌年赦された北条氏直は、豊臣秀吉から1万石を拝領されたが、直ぐに死去したので、後北条本家は絶えた。
氏直から家督を相続した氏規は、河内国7千石を拝領して政務を執っていました。
氏規が亡くなると、北条氏盛は1万1千石の外様大名となり
、狭山藩が立藩されて初代藩主となりました。
陣屋は、広大な狭山池の北東に上屋敷、東畔に下屋敷が築かれた。
そして、明治維新まで続くので有ります。
御殿は、焼失しましたがまた再建されました。
遺構としては、特に残ってはおりませんが、あちこちに痕跡がありけっこう楽しめましたね。
大阪府立狭山池博物館で色んな展示があり楽しめますね。
にのまるさん、今日の夜に昨日に行ってきました関ヶ原の講演会の報告と共に一乗谷城のクイズを出しますので宜しくお願い致します。



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小城小次郎

戦国の荒波をものの見事に乗り切っている (2021/09/20 訪問)

天正13年に羽柴秀吉のもとで大名になって以来、明治までそのまま麻田藩主を務めた青木家の陣屋。初代の青木一重は今川氏真、徳川家康、丹羽長秀、豊臣家七手組を経て徳川に戻り大名としての地位を全うした凄い人物だ。

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北風の又三郎

本丸御殿 (2021/10/06 訪問)

久しぶりの投稿です。
名古屋城に行ってきました。まず、枡形虎口や、空堀の規模に驚きました。今回は西南隅櫓と本丸御殿を拝見しました。
まず、西南隅櫓を見ました。外見は、小さめの天守閣ぐらいの大きさがあります。中はシンプルな造りになっていて石落としなどがありました。階段が急で、お年寄りは気をつけたほうがいいかもしれません。
本丸御殿は見てからのお楽しみです👍。気になることがあれば、ガイドの方たちに聞けば何でも答えてくれます👩。天守閣は中には入れません。
おもてなし武将もいて楽しめました。
さすが御三家の城と思いました。👏
西南隅櫓と本丸御殿はすぐ閉まるので、注意してください。(確か、4時か5時ぐらいかな?)
#天守閣 #枡形虎口 #空堀 #水堀 #櫓 #石落とし #日本100名城

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー47城目 (2021/12/04 訪問)

当初はこのドライブでの続100名城は八幡山城を狙っていたのですが、彦根城に朝駆けしたため、鎌刃城に変更しました。午後は雨予報だったのでちょっと急ぎ足での攻城です。主郭と南北の郭群、大石垣までの攻城としました。いつかじっくりと西郭群にもチャレンジしてみたいと思います。

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にのまる

真田出丸跡に向かう途中に、 (2022/01/02 訪問)

遺構がないという情報をいいことに(;^ω^)、道路の反対側の吉祥寺でポチしてしまいました。
吉祥寺は赤穂義士の墓所なのだそうです。
谷町筋の右手、真田丸や大阪城方面(だと思う…)に起伏のある坂が無尽に(そう見えた…)あって、これがブラタモリとかで言ってた坂なのかなって思いました。

猿さん、今日は出かけていたのですが、NHKBSプレミアムの一乗谷、録画してありますので近いうちにじっくり見ます。

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ぎりょう

仙台藩伊達家の正月膳 (2022/01/15 訪問)

年末からの大雪で城跡の探訪もかなわず一月も早や15日、久々の投稿です。
久しぶりに晴れた週末、地元の大崎市岩出山を訪問した。岩出山城(藩政時代の岩出山要害)は過去に投稿しているが、館下町にある史跡名勝旧有備館および庭園でミニ企画展「伊達家の正月膳」が開催されており訪問した。
旧有備館は仙台藩岩出山伊達家(御一門14,640石)の学問所跡で書院造の建物と庭園が残り、四季折々に美しい姿を見せてくれる場所。城址の北側、堀を兼ねた内川のほとりに位置する。
企画展では仙台藩十三代藩主慶邦時代の記録により複製された正月膳が展示されている。担当者の説明によると献立は初代藩主政宗から230年間ほぼ変わらず、本膳から三ノ膳までの三汁十六菜という豪華なもの。特に目についたのは、本膳に付いた「白鳥のお汁」、三ノ膳の「鮭子籠」、御向に付く「石焼料理鯨」など。現代人は誰も食したことがない白鳥はどんな味がするのだろうか。また「鮭子籠」は塩鮭の腹に筋子を納めたもので現在は製法がわからない仙台藩の鮭加工品らしい。政宗の時代から鮭は特産品として「塩引」、「子籠」を将軍や、幕臣、大名家、公家へ数多く贈っていたという。
連日の雪で城山には登ることはできなかったが、白い綿帽子姿の有備館に久々に心和むひと時を過ごすことができた。

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宇治茶

素晴らしい本丸御殿 (2021/12/21 訪問)

予習して行かなかったので、名古屋城に到着してから天守閣には入れないと知ってガッカリしましたが、本丸御殿の内部が何もかも素晴らしかった事と金のシャチホコと並んで記念撮影出来た事と、イケメンの前田慶次殿を撮影出来た事で大満足しました。

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ぴーかる

恒屋城 (2021/12/25 訪問)

【恒屋城】
<駐車場他>登城口前に城跡専用駐車場10台分程あり。
<交通手段>車

<見所>横堀・畝状竪堀・竪堀・堀切・曲輪
<感想>赤松氏関連の山城攻め、この日の2城目。恒屋城の築城年は定かではないが、15世紀中頃に恒屋氏によって築かれました。恒屋氏は赤松氏の臣下で恒屋城は置塩城の北北東数キロの場所に位置することから支城として重要な役割をしていたと思われます。秀吉によって落城したものと伝わりますが資料に乏しいようです。
 恒屋城は全景を撮った添付写真に見られるように、二つの山の山頂部分を主曲輪として前城後城とに分けています。鞍部は馬場のような平坦な広い曲輪で繋いでいます。
 登山道はまず前城に出ます。登りきる少し手前から竪堀と並行して登るので山頂近くの目安になります。前城山頂の下段の畝状竪堀群に出ます。かなり薄まっていますがそこそこ見応えあります。山頂曲輪の切岸に発掘された五輪塔が並べられています。鞍部を通り、二郭が最大の見所で長い横堀があります。高さも7mあるそうで行った関西の中世山城のなかでは最大級、武田流の城をも彷彿とさせます。二郭横堀の反対側に大竪堀があり、これも見応えあります。二郭~主郭までの段曲輪や堀切が未整備でちょっと鬱蒼としているのが勿体ないところ。ここから麓まで続く大竪堀が1条あるようですが木々で埋もれさっぱり分かりませんでした。主郭帯曲輪に瓦片が落ちていて発掘でも出てきているので早い時期から瓦が使われていたのだろうか?主郭虎口には数個の石が見受けられたので虎口は石積みであったことを思わせます。主郭から違うルートの方向版があって北側を少し攻めましたが藪化で無理でした。上り下り道は1本のようです。
 下山後駐車場で保存会の会長さんにお声がけ下さいました。駐車場、登山道が綺麗に整備されている事と曲輪内が少し鬱蒼としている事を伝えさせてもらいました。会長さんは盛り上げたい為に御城印を作りたいそうです。二郭周辺が見応えある城跡、応援します。

<満足度>◆◆◇

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1/9 飯盛城の全貌の講演会を聴いて見て

朝に続いて、昨年大阪府で5例目(大坂城などの近世城郭は除く)の国史跡指定を飯盛城跡は受けました。
即ち、飯盛城跡の他には千早城跡、上赤坂城跡、赤坂城跡、烏帽子形城跡が有ります。
石垣や礎石建物などの戦国時代後半の三好長慶によって築かれたお城として評価されたものです。
飯盛城は、ほぼ全域が石垣によって築かれているお城なのです。
それは、東側曲輪に多く用いられています。
意識的に攻城者を威圧する為でしょうか?
石垣の特徴は、石材は基本的に自然石や粗割石を用いています。
勾配は垂直で直線的である。
飯盛城の構造としては、飯盛山の南北尾根に中心部を配置している点で有ります。
巨大な堀切によって城域が南北に区画されてます。
千畳敷郭の発掘調査で、南北の尾根に対し造成を施して広大な曲輪を確保しています。
曲輪造成の盛土です。
礎石の検出で政治や文化の場としての礎石建物の存在が明らかになっています。
山城に住んていたことを表していますね。
三好長慶は、飯盛城に信頼する家臣らと一緒に滞在しており、家臣の家族や妻子と共に住んでいたのですね。
山城が戦いの場から政治や文化の場になっているのも面白いですね。
領民にも見せる城として存在意義していたようです。
飯盛城は、石垣、瓦、礎石建物という3つの要素を兼ね備えた城郭と言えそうです。
三好長慶と織田信長の築城した城郭構造が同一の要素で構成されているのも面白いですね。
飯盛城は、今後もっと整備されて誰にでも石垣が見られるようにしてもらいたいです。
にのまるさん、一乗谷城のテレビ放送見て頂いたでしょうか?
明日午前中に、クイズを出します。
宜しくお願い致します。

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仙臺むすび丸。

公園内に保存されている富沢館土塁 (2022/01/15 訪問)

土地区画整理事業地内の住宅に囲まれる公園内に保存されている土塁の現状。北東から撮影(20220115)

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ヒロケン

尾張藩 付家老の城 (2022/01/04 訪問)

犬山城は織田信長の叔父である織田信康が木之下城を移して築城されたと伝えられ、小牧・長久手合戦の際には羽柴秀吉公は大軍を率いて犬山城に陣をしき、小牧山城に陣をしいた徳川家康公と対峙しています。

その後、徳川義直公が尾張藩主となると、平岩親吉公が犬山藩主として12万3千石を領し、義直公の付家老として尾張藩の藩政を執行しています。親吉公が亡くなると、二代将軍徳川秀忠公より犬山城を与えられた成瀬正成公が3万5千石を領有し、義直公の付家老として尾張藩の藩政を執行し、代々付家老として明治維新を迎えています。(付家老とは、幕府が親藩または、本藩が支藩に対し施政を監督・指導するために遣わされた家老職)

この城の見所は、何と言っても国宝の現存天守で、3重4階地下2階・望楼型で何ともカッコイイ(#^.^#)また、曲輪・石垣・横堀等が残り、櫓(模擬)・門(模擬)が建てられています。天守は本当に美しく、遠くから見ても、近くで見ても恰好が良い、ただ逆に言うと、この城の見所は天守しか無く、他の遺構は(゜-゜)な感じです。近くにある犬山成田山・城下町とセットで行かれることをお勧めします。

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カズサン

本丸登り石垣登城虎口も圧巻 (2011/06/04 訪問)

 本丸の北面を2段石垣が構え西脇に登り石垣と階段の虎口を下から眺めると素晴らしい眺めでここも一つの見所ではないか? 調度丸から重層石垣を眺めて登ると桜馬場、遊佐屋敷を通って本丸北面の登り階段脇の上り石垣、2段の石垣が目にはいいて来る、登ると本丸内部、長大な城名石碑が目に付く、七尾湾の眺めは最高、6月上旬天気は良いが空気は湿っぽく霞んで写真写りは良く無い。
 本丸東の大堀切、天守台は神社が鎮座、北面の石垣の上には懸造りの御殿、会所が有った様な英雄たちの選択番組で見たような気がするが? 10年前の初登城時はまだまだ未来の事。 搦手から桜馬場に降りる、途中には搦手虎口、石垣が所々残って居り厳重な構えが垣間見られる。

 七尾城は能登畠山氏が約170年能登守護として居城治める、上杉氏の二度の攻城戦で陥落し上杉氏へ、謙信が亡くなると信長勢力が加賀、能登に及ぶと天正9年(1581年)前田利家が信長より能登一国を与えられ七尾城に入る。
 七尾城の石垣は畠山氏時代も有ったのでしょうが前田氏が入り野面積の石垣に改修したのではないかと思ったりしたり?改修は有ったのでしょう、利家は直ぐに七尾の小丸山城を築くが要害の城として護って居たのではないかとも思って居ます。?
 
 10年前の平成23年6月上旬、富山城、安田城を廻り、能登も高速が通り便利良く七尾城初登城をしました、車で本丸近くまで行けて大変便利です。

 各曲輪編に続く。

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