入るの気まずいね。城址碑と祠があります。道路沿いには説明板があります。昔手前の神社まではきたんだけど気づかなんだ。
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2022/03/15 21:28
2022/03/15 20:51
2022/03/15 17:07
コンパクトな平城 (2022/03/05 訪問)
水戸城、笠間城と併せて土浦城を訪問しました。
公共交通機関では、土浦駅から徒歩15分位の場所にあり、車で行く場合にも隣接する土浦市立博物館(御城印はここの受付で売っています)と共通の駐車場があります。
この城は、江戸城の防衛構想の一貫として、常陸方面からの侵攻勢力に対する最後の防衛拠点として整備されたものと思っております。
江戸初期の立藩時の大名の石高が小さかったためか(3.5万石)、城域は比較的コンパクトにまとめられておりますが、霞ヶ浦が近いことから想像されるように、湿地帯に築かれた城であり、内堀には水が満たされています。
関東の城らしく、石垣は限定的な使用であり、土塁の上に築かれた東西の櫓、櫓門(太鼓櫓と)及び霞門が本丸を固めております。
また、二の丸には、旧前川門が移築され、その近くには堀の跡が確認できるようになっています。
茨城では少ない建物の遺構があるアクセスのしやすい城ですが、隣接する土浦市立博物館を見ても、攻城時間は45分程度だと思います。
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2022/03/15 08:37
堀切パラダイス(西曲輪群) (2022/02/26 訪問)
(続き)
手取城は長大な堀切によって東西に分かたれ、大堀切の西側には東西二段の西の丸が広がっています。西の丸の中央北部には巨大な土塁があり、西側上段にはのろし台と呼ばれる櫓台があります。西の丸の南東下には水の手曲輪があり、南麓の登城道沿いの溜池に続いている…はずですが、見落としてしまいました。
西の丸はよく整備されていますが、北西斜面や西下の堀切に下りていく道は見当たらないので、大堀切まで戻って北西斜面へ。大土塁の北下から小さな尾根が北にのびていますが、尾根の付け根と先にも堀切や竪堀が設けられていて、小さな尾根にも怠りなく防備を固めています。北西斜面には数条の竪堀があり、枯葉が堆積しているものの、なかなかの規模であることがわかります。竪堀を越えた先が西尾根の二重堀切で、内側の堀切はかなりの深さと幅がありました。二重堀切の先にも西尾根の曲輪群は続いているようですが、藪が激しくなってきたのでこれ以上の探索は断念し、二重堀切の間の竪堀から南下に見えている登城道まで直降しました。
登城道を駐車場に戻る道中にも西尾根の堀切や竪堀が見られ、内側から四条目の堀切がある古城行道の石碑までが城域かと思っていましたが、石碑から駐車場までの間にも二条の堀切があるようで、探しつつ歩いて行くと縄張図と照らし合わせてようやくわかる程度(ほぼ藪)の堀切がありました。東の丸まで舗装道が続いてはいるものの、道幅は狭く南側は崖(ガードレール無し)なので、土取場の駐車場に駐めての登城をおすすめします。駐車場から歩いても10分あまりで東の丸に着きますし、道中の遺構も見逃さずに済みますしね。
和歌山県は100名城(和歌山城)も続100名城(新宮城)も平山城で、名の通った山城はありませんが、手取城は「日本の山城100名城」(洋泉社)に県内から唯一選ばれているだけあって、よく整備されて訪れやすく、各曲輪の土塁や各尾根の堀切や竪堀など見どころ盛りだくさんの素晴らしい城です。中でも計15条にも及ぶ堀切は圧巻で、まさに堀切パラダイスでした。
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2022/03/15 08:35
2022/03/15 06:39
2022/03/15 05:47
「無双と呼ばれた男」立花宗茂 (2022/02/27 訪問)
水郷柳川には、かつて秀吉から「東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双」と言われ称賛された立花宗茂の柳川城がありました。明治5年まで五重の天守がありましたが火災で焼失。今は本丸跡に立つ石碑とわずかな石垣が残るのみで大部分が学校の敷地になっていたので少し残念でした。しかし、本丸跡に立ち、かつてここを鍋島勝茂の軍勢が取り囲み、その外側を加藤清正と黒田官兵衛の軍勢が取り囲んでいた光景はいったいどんな風だったのだろうか?(その時の宗茂の胸の内はいかばかりか?) などとちょっとだけ想像してきました。
城下は無数の堀割(堀川)が存在し、その街並みはとてもよく保存されており、その堀を下る「川下り」は観光の目玉になっています。訪れた日は、ちょうど「さげもん祭り」が行われていました。(さげもんとは、初節句の女子の無病息災を願うこの地方のお祭りです)。
城跡から徒歩7分の所に、立花家別邸御花(おはな)や立花家資料館があります。立花家に代々伝わる貴重な資料が展示されており、特に金兜(実物)は必見オススメです。
【余談:あまり知られていない関ケ原でのお話】
金兜をまとった西軍最強の精鋭部隊「立花軍3千」と久留米の毛利秀包を含めた1万5千の軍勢は、京極高次の裏切りにより大津で足止めされ、何とわずか1日の差で関ケ原の本戦に間に合いませんでした。かつて朝鮮での活躍を小早川隆景が「立花の3千は1万に匹敵する」と評していた事を知っている家康は、実は立花軍の到着を最も恐れていたと言う説もあり、急に深夜に赤坂から関ケ原へ移動したのは、この1万5千が到着する前に雌雄を決したかったのではないかという説もあるほどです。その後、宗茂は大坂城に行き、毛利輝元に徹底抗戦を進言するも受け入れられず、失意の内に帰途へ。すると敵中突破を果たし(島津の退き口)同じく薩摩へ逃げ帰る途中の島津義弘と船上で偶然ばったり、お互いの無事をたたえ合い別れます。
柳川に戻ると、これまた寝返った鍋島軍が城を包囲、もはやこれまでと切腹を覚悟したその時、清正が仲介し家康に助命嘆願して切腹を免れます。(清正にとって宗茂は蔚山(ウルサン)での命の恩人、ここで死なせるわけにはいきません!)。その後、宗茂は改易・浪人となるも、忠勝の進言で、陸奥棚倉1万石を与えられて秀忠や家光の御伽衆(おとぎしゅう)に抜擢されます。そして大坂の陣や島原の乱で敵の動きを見事的中、その功績を認められ再び旧領柳川へ復帰します。関ケ原の敗将で旧領に復帰したのは立花宗茂ただ1人だけです。波乱万丈の人生を歩みながらも、決して最後まであきらめなかった宗茂の物語が大河ドラマになればいいなと思いました。
最後に、柳川名物「うなぎのせいろ蒸し」食べて帰りました(とても美味しかったです☺)。
【柳川城へのアクセス】西鉄天神大牟田線「柳川駅」から西鉄バス[6]番系統「柳川高校前」下車すぐ前。
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2022/03/14 22:38
道路際 (2022/02/19 訪問)
地名ぐらいかな。城址碑もありません。
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2022/03/14 22:17
2022/03/14 22:02
2022/03/14 21:24
だまれこわっぱあ! (2021/11/03 訪問)
麓の館とセットで室賀城とも呼ばれるこのお城は「黙れ!小童!」で一躍有名になった室賀さんのお城。真田丸効果で一度は散策路が整備されたが今はまた自然に還りつつあるので、散策するならここ1、2年がよいのかもしれない。
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2022/03/14 20:36
2022/03/14 20:19
2022/03/14 20:08
三成に過ぎたるものが二つあり 島左近と佐和山の城 (2022/03/13 訪問)
佐和山城は石田三成が築城した城です。関ヶ原合戦後井伊直政が入城し、彦根城を近くに築城したことによって廃城となりました。井伊直政はここで亡くなっています。
登城路
龍潭寺を通って佐和山ハイキングコースを通る。少し登るのがきついです。
遺構
それほどありませんが、天守の隅石垣がほんのちょっとだけ残っています。また、土塁や堀もいくつか残ってます。
評価
遺構:2
建物の美:-
行きやすさ:2
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2022/03/14 20:06
十善山城跡(出雲国、出雲市野郷町)1️⃣~登城道 (2022/02/10 訪問)
【地域が誇る観光スポット】の一つ、【十善山城跡】へ攻城。
【十善山城跡】は、中世に、宮倉氏の館があったそうです。
【目】のお薬師様で有名な、【一畑薬師】に参拝した後に攻城。【一畑薬師】から、南東に車で約15分
県道にも道標があり、分かりやすいです。
(1~4)未舗装の駐車場(5)に駐車して、案内板(6)に従って攻め登ります。
白鳥ロード(7~9)なるものを攻め登ります。後で確認すると、池にいたのは、白鳥の作り物だそうです。良く出来た作り物でした。
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2022/03/14 19:15
石垣編 (2022/03/13 訪問)
では石垣編に参りたいと思います。
彦根城はほとんど石垣で守っており、あまり土塁などがみられません。
彦根城はほとんどの石垣が野面積みのようですが、天守台の石垣は牛蒡積みです。
区画が多く集中攻撃しやすくなっています。また、簡単に天守へ辿り着かないように、石垣の壁を作り遠回りをさせたり、馬出しがあるので挟み撃ちができます。枡形虎口もみられます。なかなか恐ろしい城です…怖。
また水堀が多く簡単には城内に入れません(敵が)。また天守も入り口近くに来ると、石垣で見えません。
私が一番好きなのは西の丸三重櫓の高石垣。この櫓の石垣の根元ら辺の立派な空堀があり、馬出しもあります。この堀に来た敵は櫓から攻撃され、その間に挟み撃ちされます。
なかなか道も長いし、これは敵に対する意地悪?
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2022/03/14 18:46
櫓編 天秤櫓、太鼓門櫓、佐和口、西の丸3重櫓 (2022/03/13 訪問)
では彦根城の櫓について紹介したいと思います。
まず佐和口。
彦根城の入り口にあたります。櫓によって道が区画され敵を集中狙いしやすくしています。
天秤櫓
文字通り櫓が左右吊り合って、天秤のように見える櫓。登城路がはっきり見え、敵が来たか、すぐわかる。
またここを通るには、石垣を回り、橋を渡っていかなければいけない。まさに遠回り。
太鼓門櫓
敵が来た時、太鼓を鳴らしていたところ。天守までの最後の守り。天守は目の前だが、石垣の鉄壁で通れない。そこで太鼓門櫓を通るしか方法はなく、そこを迷ってる間に太鼓門櫓と天守から攻撃される。
西の丸3重櫓
この櫓は高石垣で支えられていて、この石垣の根元にきた敵は真上から攻撃されることになる。またその反対方向に出丸があり、馬出しがある。ここに来たらもう終わり…
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2022/03/14 17:32
8年ぶりの彦根城 (2022/03/13 訪問)
今回は友達のY.K.さんと一緒に彦根城へ行ってまいりました。
彦根駅から徒歩15分くらいで彦根城入口の佐和口というところにつき約15分かけて天守に行きます。
彦根城は関ケ原の戦いで大勝利を収めた東軍の井伊直政が佐和山城に入って築城の計画を立てました。しかし、合戦でおった傷が治らず、あえなく死去。その後井伊直継が直政の跡をついで城を築城します。
彦根城といえばまさに3重の現存天守。彦根城の天守の破風は18か所あり、日本のお城で一番多いです。ちなみに姫路城は彦根城に次いで17か所あります。
ただ私は櫓が立派だと思いますねー。とにかく天秤櫓、西の丸3重櫓がすごい。彦根城の櫓はすべて中に入ることができます。私は時間の都合上で天秤櫓だけはいったのですが、もうまさに歩いていた登城路が見えてる… もうこれは城を登り始めた瞬間終わり。
あと石垣もとても立派で、櫓を支える石垣は野面積みですが、天守台は牛蒡積みになっています。
見どころたくさんです。ぜひ行ってみてください。
評価(1~5)
遺構:5
建物の美:5
行きやすさ:3
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2022/03/14 17:05
常陸の山城 (2022/03/05 訪問)
常陸では珍しい石垣を持つ山城である笠間城を30年振り位に訪問してきました。
公共交通機関を使ったアクセスは、常磐線友部駅から笠間市内の観光循環バスで、日動美術館前のバス停で下車か、笠間駅から徒歩45分位の場所にある笠間市歴史交流館井筒屋さんを訪問することから始まります。
井筒屋さんにはカフェが併設され、御城印を販売しているとともに、笠間城までのアクセスマップを頂くことが出来ますので、攻城の前には立ち寄ることをおすすめします(駐車場も数台分あります)。
井筒屋さんを出発し、大石家旧宅や日動美術館を通り過ぎ、案内図に沿って千人溜駐車場から山道に入ります。井筒屋さんで頂いたアクセスマップでは、石垣等の遺構が記載されておりますので、それを確認しながら本丸を目指しますが、遺構はそれほど多くなく、また石垣自体も土留め的に用いられたようで、それほど高いものではありません。
また、本丸の途中には、「○○門跡」等の記載がありますので、旧城域の範囲が想像しやすいものとなっています。
本丸には土塁が残っていますが、天守があったのは、土橋で連結された天守曲輪になっています(土橋の横には竪堀が掘られているのでしょうか?復元図が無かったので、未確認です)。
天守曲輪を構成する石垣は、崩れかけているようで、ビニールシートがかけてあり、また天守跡には立ち入れないようになっております。
下山した処にある時鐘楼と、城から少し離れた場所に真浄寺にある笠間城八幡台櫓の見学も忘れないようにしてください。
攻略時間は、真浄寺の八幡台櫓を含めて1時間半から2時間程度。
近くには、笠間稲荷もありますので、攻城の際にはお立ち寄りください。
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2022/03/14 14:08
スーパー堤防上に御三階櫓が輝いています (2010/11/27 訪問)
忍城、さきたま古墳群の探訪を終えて東に約30km程の所で埼玉県茨城県千葉県が交わって、利根川江戸川の分流点のスーパー堤防上に千葉県立関宿城博物館が有り、江戸城富士見櫓を模した模擬御三階櫓が360度眺望の効く立地で建っています。
元の関宿城は明治後の利根川江戸川の河川改修でほぼ破壊され、本丸跡、大手門跡が一部残存している状況です、忍城からは地道を走りナビに従い博物館の駐車場に到着。
模擬御三階櫓の外周辺を散策し日本庭園側、戻って関宿城博物館に入館、最上階での眺望は見通しが効いて360度良く観えます、館内展示は利根川の水運関係の展示が主でしたが?
その当時本丸跡大手門跡は城写真関宿城写真館等で見ておりあまり関心を持たなかった様で探訪して居ません。
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