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ふゆづき

武田家の落日 (2021/12/10 訪問)

長篠と併せて武田家没落の引き金となった高天神城を訪問しました。
武田家好きの私としては辛い訪問ですが、一度行かないことには気持ちが収まらず、青春18切符の期間が開始されるのを待っての訪問です。
アクセスは、東海道線掛川駅から静鉄バスに乗って約20分、追手門からアクセスする場合には「ひじかた」バス停、北門(搦手門)からアクセスする場合は大東北公民館前バス停で下車、それぞれ徒歩20分程度で登城口に到着します。
バスは1時間に1本程度ですので、公共交通機関でアクセスする場合には時間に注意してください。
私は追手門からアクセスし、帰りは搦手門から退出しましたが、追手門に向かう道の途中で、高天神城の全景が畑の中に迫ってきます。
登山道の前に10台程度停められる駐車場がありますが、訪問時には伐採工事が進められており、あまり駐車できない状況でした。
登り出すと、着到櫓跡、三の丸(ここからは駿河方面の眺望が開けています)、御前曲輪、本丸と連郭して現れ、上りはそれほどきつい訳ではありません。(残念ながら、崩落により二の丸、馬場平につながる道は閉鎖されていました。)
これらの郭には土塁の跡が残されておりますが、土塁から直下を見ると極めて急峻な崖であり、ここからどのようにして登れるのであろうかとの感がします。
各郭間は連結していますが、各郭の面積は比較的狭く、この城の性格上、少数の兵で守ることを想定しているのが良く判ります。
本丸から一度下り、西の丸(高天神神社)に向かい、的場曲輪を経由して二の丸に到着。高天神社でお参りし、袖曲輪にある堀切、空堀などを見学し、搦手門から下城しました。
城からは、徳川が築いた付城や砦を眼下に納めることができるため(掛川駅の観光案内所で頂ける高天神城のパンフレットを見れば位置関係が良くわかります)、諏訪原城が落城し補給を絶たれた最後の城主であった岡部元信は、徳川の様子を見ながらどのような思いをしたであろうかと、その心中を察するに余りある思いがしました。
もし、武田勝頼がこの城を落としたという自分の名誉のため、この城の確保を命じた上で救援しなかったとしたら、それは武田家落日のダメ押しとなっても仕方ないと思わせるものがありました。

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やま

萌える山城③ (2021/09/02 訪問)

飫肥城見学した後、鹿児島空港に車で向かう途中、案内表示で酒谷城の文字が。慌てて引き返したところ神社の鳥居があり、横に案内板がありここがお城なのだとわかりました。車を止めるところがなく、道脇のスペースに違法駐車させて頂き、ダッシュで約160段の階段を駆け上がりました。階段の上には神社がありここが酒谷城の大手門かと思われます。神社裏から一本道があり、道なりに歩いて行くと左右に曲輪がいくつもあるのが確認できます。これが知覧城や、志布志城など南九州(島津氏)特有の城郭の作り方かと感動しましたが、草が凄過ぎて奥まで見ることができませんでした。手入れすれば見応えのある良い城跡になると感じました。場所も交通の要所に築かれており、萌える山城でした。次に行く機会があれば鎌を持参していきたいと思います。

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やま

萌える山城② (2021/09/04 訪問)

いつも遠くから眺めることはありましたが、なかなか登城する機会がなく、満を持して今回登城してきました。まずは錦帯橋から俯瞰でお城を眺めテンションを上げて城郭へ。城郭エリアまでは情けなくもロープウェイで上がり、まずは当時の方々が見ていたであろう絶景の街を視察。岩国城の天守は遠くから眺めるだけのものと思っていましたが、資料館は見どころがあり、とてもよかったです。天守台の石垣を見学したあと、北ノ丸へ。途中の大堀切は迫力がありました。また北の丸下の石垣と水の手付近の虎口を見学。北ノ丸は、石垣下に犬走りがあるため石垣を見ながら二の丸へ戻ることができます。水の手曲輪は、大釣井から北に削平地を北西に進むと内枡形の虎口跡を見ることができます。この辺りは未整備のエリアなので石垣の崩落したあとも確認でき、荒々しい山城らしさを感じることができます。縄張りもよくわかり、流石100名城と思える萌える山城でした。

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todo94

本佐倉城に向かいがてら (2021/11/03 訪問)

本命寺の説明板、近くの標柱を確認して用水路下のトンネルをくぐり用水路側から藪漕ぎをしてみましたが、これという遺構にはたどり着けませんでした。白幡神社の方にも脚を伸ばしていないので、いつか再訪したいと思います。

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前ちゃん

みかん畑を突っ切って (2021/12/13 訪問)

何の準備もナク、アプリのナビに従ったらみかん畑を歩く羽目に。帰りは車道を通り、ふもとの海蔵寺の堀秀政(久太郎)の墓に立ち寄る

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カズサン

10年前の諏訪原城は? (2011/11/15 訪問)

 城びとのサイトが開設され投稿が進むにつれて撮りためたデジカメ写真の整理が進んで居ります、やっと平成23年の写真データーまで辿り着きました。
 現在は発掘調査、景観整備、ビジターセンターの開設と整備保全が進みよく観察、見学が出来る様に成って来ましたが、10年前は今見所の二の曲輪中馬出は樹木で鬱蒼とし三日月堀も草木で埋まって居り、外堀もしかり、発掘調査も二の曲輪北馬出が始まった頃、二の曲輪も茶畑が更地なったばかり、本曲輪の樹木は伐採され空が抜けて見やすく成って居りました、内堀にあるカンカン井戸は観察出来ましたが、全体に説明板が古く成って居り、鬱蒼として現在とは比べ様が有りません。
 これまでの島田市教育委員会、文化資源活用課の整備保全の御尽力に感謝申し上げます。
 10年前の鬱蒼とした諏訪原城の撮影写真ですが投稿させて頂きます。

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小城小次郎

まずもってお城はあったと思う (2021/09/11 訪問)

お城の土塁と伝えられた土盛りは見る人が見れば明らかに古墳で、発掘の結果、埴輪片等が出土したらしい。城の存在そのものを疑う人もあるが、城としてよさそうな土塁もないわけではないので、私はお城があったと思っている。

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朝田 辰兵衛

淡島神社でロックオン! (2021/12/04 訪問)

そこから直線約800m。周囲は田んぼが広がっています。この直線がやたら遠くに感じました。もしかすると,田んぼになって消滅してしまうところを,奇跡的に逃れることができたのかも…と想像してしまいました。

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赤い城

最福寺の背後 (2021/12/05 訪問)

千葉モノレールの千城台駅から徒歩で40分。
西の郭に主郭があるようですが住宅地になっています。
登城口がよくわからなかったので断念。
東側の郭の最福寺に向かいました。
最福寺には駐車場もありますが城の案内はなさそう。
裏手から空堀に入ることはできます。
が、ちゃんと見学できるかは?お寺の方に会ったら一声掛けるのが良いと思います。
堀には折れもあり、住宅地に向かって下っていました。
千葉胤忠が多部田氏を名乗って築城されたと言われています。

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イシテル

石垣と紅葉が映える城跡 (2021/12/11 訪問)

石垣の見事な二俣城が紅葉で赤く染まり、言いようのない雰囲気でした。
この季節に立ち寄り本当に良かった。
曲輪、土塁、堀切も見どころです。

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ぴーかる

鶴居城 (2021/11/21 訪問)

【鶴居城】
<駐車場他>登城口<35.024355, 134.746130>にある墓地に駐車可能
<交通手段>車

<見所>眺望
<感想>北はりま攻城の旅、ラスト8城目。鶴居城は別名稲荷山城とも呼ばれ、南北朝時代に赤松円心の孫・永良三郎則綱が築城しました。山名氏との攻防の城ともなったようです。添付写真の登城口のゲートを開けて中に入り1000mの登山です。800mくらいまでは遺構は見られずここを過ぎるとようやく尾根上の細い曲輪や僅かに石積み遺構が見られます。主郭は割合広く山は比高が高いので眺望は抜群です。主郭から北側尾根上にも堀切があるようですが、少し鬱蒼としており急斜面で滑り落ちそうなので断念しました。登山の頑張り度から言えば見れる遺構の数は少ないです。

<満足度>◆◆◇

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🏯お城EXPO2021出展🏯 (2021/12/13 訪問)

今週末12月18日19日にパシフィコ横浜ノースで開催される「お城EXPO2021」に【沖縄の世界遺産 中城城跡】は今年も出城いたします!!

今年は、昨年世界文化遺産登録から20周年を迎えた「琉球王国のグスク及び関連遺産郡」の中から私たち中城グスクを含む3つのグスクの出城が決定し、沖縄ブースを華やかします✨

是非、遊びに来てください!!

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いんげん丸虫

中の小屋 長野県箕輪町 (2021/11/21 訪問)

上の平城の物見なのか?2重堀切、土塁を伴った台形状の主郭がありますが、
かなり藪の状態です。大雨や地震等での決定的なダメージではなく、藪という
自然現象なので文句は言えませんが。。

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ふゆづき

織田家の末裔 (2021/12/04 訪問)

昨年、織田家の末裔が過ごした柏原陣屋に行ってから気になっていた小幡陣屋を訪問しました。
アクセスは、上信越道富岡ICから車で10分くらいで、陣屋の近くには多数の無料駐車場が整備されています。

この地域にゆかりのある武田家の重臣だった「小幡」の名前が付けられておりますが、この小幡家の居城は、ここから少し離れた処にある国峰城という山城になり、この陣屋との直接の関係はありません(この武田家の小幡氏については城下にある歴史館に関連資料が集められています)。

この小幡陣屋は織田信雄の四男である織田信良が築いたものと言われており、冒頭の柏原陣屋を有した柏原藩は、織田信雄の五男である織田高長の子孫が立藩したとことから、当初の藩主は伯父と甥の関係であったようです。
陣屋の中心には、石垣が積まれた虎口と土塁があり、また中門、長屋などが復元されておりますが、寧ろ見所は中門に続く通り近くに保存されている武家屋敷や、武家屋敷の一部に築かれた食い違い郭ではないかと思います。
城下(陣屋下?)には、織田家によって開かれた水路や桜並木(桜の頃はさぞ綺麗だろうと思います)が、落ち着いた佇まいを観じさせます。

陣屋の敷地内には、国の指定する名園である楽山園があり、京都から運んだ紅葉が受けられた紅葉山を借景にした優雅な雰囲気を漂わせています。
楽山園の一角で抹茶と茶菓子のサービスを受けられますので、そこで一服しながら、織田家の末裔がこの紅葉山を見ながら過ごした日々に思いを馳せるのも良いと思います。

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モト

遺構は見れませんでしたが (2021/06/22 訪問)

城跡には神社が建ってます。
遺構は残っていないようですが神社の敷地に案内板がありました。
それによると、なになに平将門ですと。
遺構ななくとも案内板の中の平将門という名前に、やや心躍らせる安易な私でございました。

特別、駐車場はありません。
近くの空いた場所に停めてササっと見学してまいりました。

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にのまる

36見附めぐり①~浅草橋御門~

 大島へはまだ渡っていなくて東京都の城びと登録城コンプリートは来年に持ち越しの予定ですが、遠出自粛中のこの夏、江戸城36見附をコンプリートしたので、備忘録も兼ねて1コずつ投稿しようと思います。
 内郭は何度も投稿しているので省き、外郭のみ全18回の予定です。(四谷見附や市谷見附など過去に投稿したものとの重複もあります。)


最初は「浅草橋御門」です。
浅草川(隅田川)に注ぐ神田川沿いにあった江戸城の東北を守る重要な門で、浅草橋のたもとに浅草見附跡の碑が建てられています。
明暦の大火での悲しい物語の残る地ですが、現在でも下町の風情が感じられます。
最寄り駅は浅草橋・馬喰町・馬喰横山・東日本橋などいろいろです。

隅田川の向こう岸の江戸東京博物館では1/2から企画展「徳川一門ー将軍家をささえたひとびとー」が開催されます。行こ。

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小城小次郎

このお城の真の価値は (2021/09/03 訪問)

小里と書いて「おり」と読む。不等辺多角形の「天守台」があることで知られるがこの天守台は昭和に地元有志が積み直したもの。このお城の真の価値は天正・慶長の修築痕と元和の廃絶痕をそのまま残す地中にあるのだそうだ。

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イシテル

山奥にある戦国山城の再現 (2021/12/11 訪問)

高根城公園奥の遺構に戦国山城を再現。
大河ドラマ「おんな城主 直虎」で井伊谷城としてロケ地となってます。
高さのある二重の堀切や土塁も綺麗に残されていて、城門、井楼櫓、城柵などが復元されています。
ここから水窪の街並みが一望でき、景観も最高でした。
麓の駐車場が判らず、案内板に従って林道を登ると高根城公園入口の駐車場に辿り着きました。
この時期は林道に落ち葉が多く、途中は少し怪しい感じでしたが、そこそこ広い駐車場に到着します。
麓の「みさくぼ路の里(観光案内所)」に」地元の新鮮な野菜など特産品を売っており、大きな椎茸は
香りも良くとても美味です。ここで2種類の御城印も購入しました。

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カズサン

大手模擬冠木門が在った頃 (2011/11/15 訪問)

 復元模擬大手冠木門が今年の初めに訪れてた時には無く成って居り撤去された基礎の門柱を電動のこぎりで切削加工した痕跡が真新しく残って居りました。
 大手冠木門写真の投稿はじゅんじんさん2020年1月11日と姫街道さん2020年1月28日登城まで有り撤去はその後かと、撤去の詳細は良く分かりません。
 平成23年11月登城の折の写真に模擬復元大手冠木門が有りましたので、懐かしの冠木門を含め当時登城撮影の写真を投稿致します。

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いんげん丸虫

豊久保砦 長野県箕輪町 (2021/11/21 訪問)

小式部城から伸びた尾根にあります。堀切が2つあります。
看板はあるものの熊笹の猛藪となってますね。目の位置に笹の葉がこないように
腰をかがめて藪の中を泳ぐように堀切を見ました。

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