長篠と併せて武田家没落の引き金となった高天神城を訪問しました。
武田家好きの私としては辛い訪問ですが、一度行かないことには気持ちが収まらず、青春18切符の期間が開始されるのを待っての訪問です。
アクセスは、東海道線掛川駅から静鉄バスに乗って約20分、追手門からアクセスする場合には「ひじかた」バス停、北門(搦手門)からアクセスする場合は大東北公民館前バス停で下車、それぞれ徒歩20分程度で登城口に到着します。
バスは1時間に1本程度ですので、公共交通機関でアクセスする場合には時間に注意してください。
私は追手門からアクセスし、帰りは搦手門から退出しましたが、追手門に向かう道の途中で、高天神城の全景が畑の中に迫ってきます。
登山道の前に10台程度停められる駐車場がありますが、訪問時には伐採工事が進められており、あまり駐車できない状況でした。
登り出すと、着到櫓跡、三の丸(ここからは駿河方面の眺望が開けています)、御前曲輪、本丸と連郭して現れ、上りはそれほどきつい訳ではありません。(残念ながら、崩落により二の丸、馬場平につながる道は閉鎖されていました。)
これらの郭には土塁の跡が残されておりますが、土塁から直下を見ると極めて急峻な崖であり、ここからどのようにして登れるのであろうかとの感がします。
各郭間は連結していますが、各郭の面積は比較的狭く、この城の性格上、少数の兵で守ることを想定しているのが良く判ります。
本丸から一度下り、西の丸(高天神神社)に向かい、的場曲輪を経由して二の丸に到着。高天神社でお参りし、袖曲輪にある堀切、空堀などを見学し、搦手門から下城しました。
城からは、徳川が築いた付城や砦を眼下に納めることができるため(掛川駅の観光案内所で頂ける高天神城のパンフレットを見れば位置関係が良くわかります)、諏訪原城が落城し補給を絶たれた最後の城主であった岡部元信は、徳川の様子を見ながらどのような思いをしたであろうかと、その心中を察するに余りある思いがしました。
もし、武田勝頼がこの城を落としたという自分の名誉のため、この城の確保を命じた上で救援しなかったとしたら、それは武田家落日のダメ押しとなっても仕方ないと思わせるものがありました。
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