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新ろくべえ

まだ小さいときに行った首里城 (2017/07/28 訪問)

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まだ小さい頃に行った首里城
初めて行った城です。
首里城のスタンプラリーを1時間かけてやりました。
スタンプラリーに熱中で城のことは覚えていません。
そのはなしをかえてしまうけど
首里城火災(2019/10/30)全焼してしまった、沖縄のシンボル首里城
早く復興してほしいです
写真は2017年のものですのものです。
人が映っていますがご了承ください

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ぴーかる

田中城 (2021/07/11 訪問)

【田中城】
<駐車場他>下屋敷跡駐車場数十台分あり
<交通手段>車

<見所>移築本丸櫓・下屋敷跡・堀・土塁・縄張り
<感想>1泊2日沼津・三島の城巡り旅、ラスト10城目。下屋敷跡駐車場に駐車しまず下屋敷内を見学、移築本丸櫓は天井の高い板張りの重箱櫓で中にも入れます。また屋敷内に江戸時代の移築された建造物が数棟あります。城跡の方は三の丸土塁→本丸跡前→ニの門跡→二の堀→三の堀を徒歩で散策して巡った。現在は円形の堀はだいぶ埋立てられており、二の丸、三の丸跡の道路や住宅が緩やかな曲線を描いているので円郭式縄張りの雰囲気が味わえる。下屋敷跡受付では沢山の充実した資料が頂けるのでその中の史跡マップをナビに散策するのがよいでしょう。

 田中城も沼津・三島の城巡りが予定より早く巡れたので急遽帰りがてら寄ってみたので下調べ不足、こんなに城跡の規模が大きく史跡が分散しているのを知らず炎天下で巡るのはきつかった。
これにて旅終了、全走行961㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆

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新ろくべえ

松本城に行きました (2019/08/15 訪問)

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ぼくが大好きな松本城にいきました。私が2城目にいった城です。
私はこの城に行って城が好きになりました。
人がいっぱいいました。
天守に入るのに90分かかるのでなかに入ることができませんでした。
次行くとき天守に入りたい
話しが変わるけれども
松本城は石川数正・康長父子が天守・乾小天守のある石垣がきれいな城に改築しました。
このあと小笠原氏、戸田氏(松平)、松平氏(越前)、堀田氏、水野氏と城主はかわって行きました。
国宝の櫓は5つあります。それは天守と乾小天守と渡櫓と辰巳附櫓と月見櫓です。
ここは国指定史跡です。

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新ろくべえ

後閑城に行きました (2020/08/09 訪問)

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後閑城行きました。
さいしょは東駐車場にとめたのですが、
東駐車場の近くに遺構がなかったので西駐車場にとめました。
そこにはトイレがあるのでべんりです。
西第三郭が西駐車場になりそこから西第一郭、西第二郭のほうをすすみ本丸にいきます。
本丸からは東郭が見えます。
山なども見えます。
ぼくはおすすめなしろです。

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新ろくべえ

七尾城に行きました (2019/08/25 訪問)

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とにかく石垣がすごい❕石垣をたんのうしながら上に登ると綺麗なけしきがひろがります。
山の頂上には石碑があります。
話をかえてしまうけれど
この七尾城の城主は能登守護畠山氏がもともと城主でした。
けれども上杉謙信に攻められ落城しました。その後上杉謙信が亡くなると前田利家が入城して修築しました。
それと同時に小牧山城の築城をしたため廃城になりました。
途中に杉の木がたくさんありますので花粉がでる季節は花粉症の方は行くならば花粉症対策をしてください。

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新ろくべえ

金沢城に行きました (2019/08/24 訪問)

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金沢城に行きました。
加賀一向一揆の拠点から織田信長家臣の佐久間盛攻が築城しそのライバルの前田利家が入城した。
前田利家時代に天守もごうかけんらんに金箔瓦を使用した天守にしたが落雷で焼失私私見たかったな)残念です
今の城の姿は寛永8年(1631年です)に普請で作られたらしいです。
真っ白な建物を見るとさすが加賀100万石だなと思います。
皆さんも行ってみてください!!!!

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新ろくべえ

上田城へ行きました (2019/08/11 訪問)

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上田城へ行きました。
そばを食べた後に行った上田城
真田氏の居城で難攻不落の名城。あの徳川撃退の地なのでどんな城かなと思い行ってみました。
ですが目に入ってきた文字は仙石氏が大改修して何も真田の遺構なし!
考えてみてもやっぱり徳川が負けた城を徳川は壊さないわけないかとおもった。
話によると前は本丸跡だけでも7棟あった櫓も今は西櫓、南櫓、北櫓の3棟のみ。
あとはほりと石垣しか復元していない中でないみたいです
ここは真田昌幸築城でその後には仙石氏、(藤井)松平と変わって行きました。
一緒に上田市立博物館も行ってください。

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新ろくべえ

玉縄城支城天神山城に行ってきました (2020/10/24 訪問)

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玉縄城の支城の天神山城に行ってみました。
玉縄城から少し離れた場所です。城が1回探したけど何もなかったので情報があると思い
近くにある北野神社(山崎756)があったので行ってみましたが何もじょうほうがつかめず
なので北野神社の裏側に道があったので行ってみました
けれど途中で草木が生い茂る獣道みたいになっており何も調べることが出来ませんでした。
Googleマップでもう一度探しましたが
見事になにも見つけられませんでした。残念
皆さんもGoogleマップで北野神社と検索して北野神社(山崎756)とでたらクリックして少し周辺を見てみると
天神山城があるのでお家がお近かったら探してみたらどうでしょうか。
あれば玉縄城のところに書いてください。少し勝手ですがなにとぞよろしくおねがいください。
難しいと思うので探してくれるといっても無理せずによろしくおねがいください。

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織田晃司

関東七名城の (2021/07/30 訪問)

前橋城。「厩橋城」とも…
ですが本丸は群馬県庁と群馬県警本部となり遺構は少ない。

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織田晃司

町中のトンネルを抜けるとそこは… (2021/07/30 訪問)

大胡城だった。
二の丸に車を停めてすぐに本丸横堀と桝形門跡。
残ってる城跡は小さいですが、土塁や横堀の規模は大きい。

夏はヤブ蚊との戦いです。

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織田晃司

東国では珍しい (2021/07/30 訪問)

石垣の城。しかも山城。
排水機能も備えてます。

でも新田金山城の魅力は石垣だけじゃない。

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織田晃司

そこは織田家 (2021/07/29 訪問)

陣屋とはいえ大名扱い。信長の家系ならでは。

武家屋敷も建ち並ぶ歴史の里。

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織田晃司

町中に (2021/07/29 訪問)

ぽつんと建つ乾櫓と東門。
もっと散策すれば土塁などの遺構が点在してるという…

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にのまる

牟礼砦(東京都三鷹市) (2020/05/26 訪問)

 昨年の第一次籠城期間中に行ってきました。
 城びと未登録ですが、ニッポン城めぐりには登場しています。
 牟礼神明社の由緒書きに『1537年、北条氏綱の臣、北条綱種(今の高橋姓)が上杉家の老臣難波田弾正のたてこもる深大寺城に相対して当地に築陣した旧跡で…』とありました。
 パーツとしての遺構はなさそうでしたが、砦っぽい雰囲気を感じてきました( ̄^ ̄)ゞ
 
【まだまだお城川柳】
城跡がゴールのお散歩楽しいな♪

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TMN97

久保田城趾 (2021/08/06 訪問)

久保田城趾

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赤い城

土塁の上に神社が (2021/08/01 訪問)

宍戸駅からも近く、宍戸コミュニティーセンターの隣に土塁が残っていて駐車場もあります。
土塁の上には末廣稲荷神社が建っています。
宍戸氏によって築かれ、戦国末期まで居城としていました。
江戸期には松平氏の陣屋となりました。
この日はかなりの酷暑、神社の脇の木にはアブラゼミの大群が陣取っていました。

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織田晃司

業正がいれば (2021/07/29 訪問)

上州に手出しができないと武田信玄に言わしめた名将・長野業正の居城・箕輪城。

郭馬出西虎口門は目を惹きます。
本丸に架かる木橋を復元中。

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イオ

周辺史跡めぐり (2021/07/24 訪問)

(続き)

崇福寺
長良川北岸にある織田信長の菩提寺で、本堂裏の廟所には信長・信忠父子の野位牌と位牌堂があります。本堂内には信長の書状や肖像画、櫓時計、清洲城の鯱瓦などゆかりの品が展示され、本堂の天井は関ケ原の戦いの前哨戦で落城した岐阜城の血染めの床板を張ったもので血天井と呼ばれています。中でも、独断での伊賀攻めに失敗した織田信雄を叱責する信長の書状は、以前に伊賀の城をめぐった際にその存在を承知していましたので、原本を目にできて感慨深いものがありました。また、信長愛用と伝わる櫓時計は、実際には江戸期作の可能性が高いものの、写真でよく見かけるものだけに、展示されているのを見たときは、思わず「おお…」と声が出てしまいました。他にも、土岐頼高(頼芸の孫)による土岐鷹の画などもあり、拝観料大人200円は安すぎるくらいです。
境内には幼少期に小僧として崇福寺で修業していた稲葉一鉄が寄贈した梵鐘(現在のは戦後に再々鋳されたもの)があり、歴史を見ても、三世住職を務めた快川紹喜が武田信玄に請われて恵林寺の住職となり、武田氏の滅亡に際しては織田信忠に攻められて「心頭滅却すれば火自ずから涼し」の言葉を遺して火定するなど、数奇な歴史の巡り合わせを感じられる寺で、無料駐車場(10数台)もありますし、歴史好きなら訪れる価値は大いに有りです。

道三塚
崇福寺から北西に徒歩7分の住宅地には、長良川の戦いで敗死した斎藤道三の遺体を埋葬したとされる道三塚があります。本来はもう少し南にあったようですが、長良川の氾濫を避けるため、江戸後期に現在の位置に移されています。説明板の前に1台分の駐車場があるものの、ここに駐めると説明板が見づらい(写真も撮りづらい)と思います…。

織田塚
織田信秀(信長の父)が稲葉山城を攻めるも道三の反撃により大敗を喫した際、その死者を埋葬するために道三の依頼により織田塚が築かれました。御薗の榎から南西に徒歩6分の住宅地の一角にありますが、注意しないと素通りしてしまいそうです。また、織田塚から南西に徒歩4分の円徳寺の境内にも織田塚が改葬されています。

円徳寺
上記の織田塚改葬地のほか、信長らの楽市楽座の制札(未確認)や信長寄進とされる梵鐘が伝わり、岐阜城の戦いに敗れた織田秀信が高野山に上る前に剃髪した寺として髪切塚があり、秀信が用いたとされる兜が伝わっています。岐阜駅から北に徒歩10分の街なかの寺ですが、境内に駐車・駐輪可能です。

濃姫遺髪塚
岐阜市役所から北西に徒歩5分の住宅地に濃姫(帰蝶)の遺髪塚があります。濃姫については不明なことばかりで死期についても諸説ありますが、この遺髪塚は、濃姫は本能寺で信長と共に討死し、本能寺を逃れた家臣によってこの地に遺髪が埋葬されたと伝わります。

立政寺
明智光秀の仲介により信長と足利義昭が会見した寺で、義昭公御座所の石碑と説明板が建てられています。西岐阜駅から北に徒歩5分、岐阜城から距離がありますので車で訪れましたが、参道の南側と境内の西側に参詣者用駐車場(無料)があります。

この日の岐阜は猛暑日で、2リットルの麦茶を途中で飲み尽くしてしまうほどの暑さでしたが、あちこちに道三、信長、秀信の各時代にゆかりの史跡があり、城下を存分に堪能させていただきました。
 

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赤い城

武蔵から下総への水運の要衝 (2021/07/22 訪問)

葛西駅から徒歩で20分くらい。清光寺や香取神社のあたりが跡地ですが遺稿は残っていません。
清光寺の山門前に説明板が、香取神社の境内に石碑があります。
江戸川の河口に近く、水運の要衝となっていたと考えられます。
周辺模擬住宅地で名残を見つけるのも難しそうです。

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小城小次郎

崩落しても見どころ満載なことに変わりはない (2021/05/23 訪問)

2011年に城域が大崩落したため暫く立入禁止だったが今は自由に立ち入りできる。崩落部分以外の遺構はよく残り、特に尾根筋に残る連続堀切は圧巻。かの御館の乱で、景虎方(北条方)はここまで侵攻していたそうだ。

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