御城印と城カードを頂きに行ってきました。
青春18きっぷを使いたかったため新幹線や特急に乗れず、千葉県から片道5時間かかりました。(現地滞在時間は2時間程度)
2回目の訪問ですが、前回訪問時にまだ無かった御城印と城カードを頂いて来ました。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2022/03/20 22:53
2022/03/20 22:42
河北門復元なる❣ (2010/04/30 訪問)
金沢城の河北門が平成22年4月24日に復元一般公開と成り浜松から高速を飛ばして5月の連休の初めに出掛けました。
車は周辺の有料駐車場を利用。
探訪ルート:いもり堀、玉泉院丸(発掘調査が終り公園化前工事中)、二の丸西下旧第六旅団司令部跡、黒門、大手堀、大手門跡、新丸、目的の復元された河北門へ、公開真近でしょうか大勢の人で河北門櫓への見学は順番待ち、真新しい河北門を見学撮影。浜松から飛ばしてきた甲斐が有りました。連休で天気も良く探訪日和暑いくらい満足の金沢城でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/03/20 20:25
西の守りの丸子城 (2022/02/12 訪問)
先月は、土の遺構が素晴らしいという静岡市の丸子城へ。
丸子城は比高約110mの三角山[ミカドヤマ]を城郭とした城。
藁科川(安倍川)河口の西岸、東海道宇津ノ谷峠の出入口にあたる丸子の小さな平地の西奥に位置しています。
駿府防衛の西側関門として重視され、今川家臣の斎藤氏が統治。
元々の城郭は大手口から北曲輪のエリアだったとか。
今川の衰退により武田軍が駿河へ進出すると、武田四天王の山県昌景が在城。
武田の滅亡後は徳川方の城となりますが、家康の関東移封で廃城に。
本曲輪や西側の防御施設は武田・徳川の時代に改修されたと考えられています。
現在は駿府の工房匠宿(泉ヶ谷)から大手口、北曲輪、本曲輪、誓願寺(大鈩)のルートがハイキングコースとなっており、実際に歩くと想像以上に急峻な山。
大手の深く巨大な三日月堀と、斜面が比較的緩やかな西側に築かれた長~い横堀や堡塁などの施設群は必見で、それらはまるで芸術的な彫刻作品。
大鈩曲輪には近付くことができませんでしたが、滞在時間は約3時間。
人気の高さを納得させられた、私の城巡りの118城目でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2022/03/20 19:44
土山城 (2022/03/05 訪問)
【土山城】
<駐車場他>あいの丘文化公園駐車場に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>曲輪・土塁・堀切・横堀・虎口
<感想>「第13回 日本100名城、続日本100名城に負けない名城」の土山城に行ってきました。登城口の民家脇から森に入った所から既に城跡になっているので、山を登る苦労はありません。城跡は南北に連なる連郭式の曲輪を軸として主郭のすぐ北に2重堀切、主郭は深い堀で取り巻いています。主郭のすぐ南の曲輪Ⅱは堀で囲んだ馬出し、城跡の入口の曲輪Ⅴは枡形の虎口も堀で囲まれており特徴的です。秀吉によって改変されているかもしれないとはいえ、主郭の高土塁と高切岸や山の塁線に添った竪堀等甲賀地方の特徴ある遺構はそのまま残っています。縄張り図には無いですが、主郭から2重堀切の北側の茶畑辺りまでが城跡で広い曲輪、横堀、池の傍には馬洗い場のような窪地があります。見落としなく巡って下さい。
<満足度>◆◆◆
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2022/03/20 17:12
武蔵西部の詰城 (2022/03/19 訪問)
35年ぶりに八王子城に行ってみました。
週末だけ運行される高尾駅北口(高尾駅には南口から北口に行く自由通路は無いのでご注意)発の八王子城跡行きのバスにのり、10分少々。
八王子城のガイダンス施設があり、城の概要がわかります。
本丸へは、登山になるので、先ず御主殿方面を前に散策します。
この城は、居住区と戦闘区が分かれており、御主殿に向けた道には、滝山城のような復元された木製の曳橋と石垣で固められた虎口があり、関東における戦国時代末期に整備されたことを思い起こさせます。これは必見でしょう。
本丸へは、ハイキング感覚で向かいますが、途中で金子丸、柵門等の城内を感じさせる跡がありますが、馬出等の跡は確認できず、あまり城という感じは残っていません。
本丸近くにある八王子神社は、「八王子」の由来となった神社であるようです。
この八王子神社のある一角や隣接する松木曲輪は比較的広いですが、本丸は狭く、ここで長時間抵抗することはできないと思わされるものです。
ガイダンス施設でもらえるパンフレットには、本丸まで40分程度と記載してありますが、運動不足の身には、ほぼそれくらいかかるようです。
詰城や富士見台方面への進出は断念しました。
どうしても、滝山城と比較したくなりますが、城の設計やその場所などからみても、やはり西武蔵の統治は滝山城が中心であり、この八王子城はまさに戦うための城(詰城)だったのではないかとの思いが強くなりました。
なお、御城印はガイダンス施設では無く、八王子城を訪問したという証拠(写真やスタンプ)を持って、八王子駅にある博物館で購入するようです。ご注意ください。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2022/03/20 13:55
五稜郭
五稜郭タワーから見ると、当たり前だけど全貌が良くわかる。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2022/03/20 06:59
県内の城めぐり2022③ (2022/02/27 訪問)
瑞応寺の先から城域に当たるようで御射山神社のあたりは出丸になります。山林の中に堀切遺構があるようですが、工事の作業中でしたので、入山は遠慮させて頂きました。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2022/03/19 23:52
36見附めぐり㊱~大手門~
東と南の二面がお堀に面した外枡形で、内堀通りから捉えた高麗門と櫓門が威厳に満ちてかっこいいです。
東御苑散策のメインゲートで、枡形を抜けたところは三の丸。現在建て替え工事中の三の丸尚蔵館は来年秋に開館予定とのことですが、昨年、江戸時代初期のものと考えられる石垣発見というビッグニュースがありました。三の丸の堀はかなり埋められていますが、地面の下にまだ知られていない遺構があるかもしれない、長い石垣がそのまま残っているかもしれないと想像すると、見ることが叶わなくてもワクワクしてきます。
もう一つ毎度気になるのが郵便ポスト。なぜここに?いつからあるの?消印は?と気になりつつも確かめたことはないので、今度お手紙投函してみようかな?(自分宛てに⁉︎)
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2022/03/19 21:47
高越山城跡(北条早雲生誕地)7~番外編 (2022/02/25 訪問)
長々とご覧頂き、ありがとうございます。最後の巻きです。
帰りは、予定より4時間30分早い列車に。運良く、スタートレインに乗ることが出来ました、
経由駅の【清音駅】【新見駅】周辺にも、城跡があるそうなので、また、機会があれば。
因みに、井原市は、【デニムの聖地 井原】として有名。江戸時代中期から、綿栽培が盛んとなり、会い染め物が普及。
何年ぶりの列車旅でした。北条早雲のおかげで、【井原鉄道】にも、乗ることが出来ました。
JR西日本の大幅減便で、いつまで列車で城攻めが出来るか?時の流れとは言え、寂しいです。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2022/03/19 21:38
2022/03/19 21:28
2022/03/19 21:15
2022/03/19 21:03
2022/03/19 20:52
2022/03/19 20:35
高越城跡(北条早雲生誕地)1️⃣ (2022/02/25 訪問)
今回の地震で、被害を受けられた方のご無事と、一刻も早く、日常の生活を取り戻す事ができます事を、お祈りしています。
同時に、無事に城攻めが出来る事に、地域、行政の皆様に感謝します。
高越城跡(北条早雲生誕地)攻め
コロナワクチン3回目も無事終了したため、列車で城攻め。勝手にJR西日本応援企画です❗
コロナ禍の為、出発駅変更。米子駅から早雲の里荏原駅経由、伯備線、赤穂線、井原鉄道、5時間乗車、2回乗り換え、
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2022/03/19 19:19
2022/03/19 17:57
徳川家康出生の城 (2022/03/19 訪問)
岡崎城に行ってきました。
堀と石垣はとても見応えがあります。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2022/03/19 16:42
二の丸御殿は豪華。でも石垣の方がすごい! (2022/03/19 訪問)
世界遺産の二条城に行ってきました。二条城は二の丸御殿が国宝に指定されています。でも僕は石垣の方が大好きです。この前みた日本不滅の城で千田先生が二条城の天守や御殿の中の話をしていて全て将軍の権力を見せつけるためと言っていましたが、やはりそうだなーと思いました。二条城は徳川家康が築城し、その後代々徳川家が受け継いでいました。徳川家最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還をした所でもあります。二条城は姫路城と同じくらいの大きさの天守がありました。ここからは天皇の御所が見えたそうです。これは徳川家は天皇に自分の権力を見せるために建てたとされています。今は天守台の石垣が残っています。また、枡形虎口も多かったです。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2022/03/19 11:52
2022/03/19 11:35
本丸・出丸からの熊野川眺望は素晴らしい (2010/04/25 訪問)
新宮城は紀伊半島の先端方向、浜松から高速道を東名、湾岸、東名阪、伊勢道、紀勢道と当時は紀伊長島辺りまで後は国道42号線を約100km弱の山道を曲がりくねり、直線距離で200km程、走行距離では約400km程を走らなくてはなりません、結構遠い感じを受けます。
紀伊半島は白浜、潮岬、熊野と観光地が有り社内旅行、家内との旅行など訪ねて居ましたが新宮城は遠くから眺める事が多く、フィルムカメラ時代に1回、デジタルカメラで今回初めての登城です。
駐車場:新宮城丹鶴城公園本丸南下の駐車場を利用
探訪ルート:丹鶴城公園本丸下駐車場、駐車場から北に登り本丸下へ、本丸、天守台、天守台は中央が壊れてる、搦手虎口、本丸北の別郭出丸を眺め、本丸北から別郭出丸越しに熊野川を眺めると素晴らしい景観です、本丸を降り、周囲の高石垣を眺め、北の別郭出丸に登る、相対する本丸櫓台には門跡か虎口跡を塞いだ痕跡が見える、当時は繋がって居て別郭出丸と本丸が行き来できたのか? 鐘ノ丸、松ノ丸、松ノ丸から水ノ手への道は災害の為か?通行不可、松ノ丸から下城、冠木門登城口へ、二の丸現保育園の立派な石垣を眺め、水の手の曲輪へ、整備中の様子、熊野川を利用した水運の港の役目を負っていた、水ノ手から本丸、鐘ノ丸を見上げる、石垣城塁が美しい。
歴史:関ヶ原の軍功で紀伊和歌山城を浅野氏が拝領、支城として新宮城を築く、福島氏の改易で浅野氏が広島へ転封、和歌山に紀伊徳川家が入り、新宮城へは付家老水野重央が元和5年(1619年)浜松より35000石で入る、浅野氏の築城工事を引き継ぎ寛永10年(1633年)完成した、明治まで水野氏が治める。
途中の名勝観光ポイントは、国道42号線沿いに、熊野鬼ヶ城、熊野獅子巌ライオンが吠える姿にそっくり、花窟神社大岩を祀る、七里御浜碁石の黒石が採れる、熊野速玉大社世界遺産と多く有り途中休憩しながら観光が楽しめます。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。