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ぴーかる

山下城 (2021/11/28 訪問)

【山下城】
<駐車場他>駐車場はなし。川西市郷土館(入館料有料)駐車場が利便よし。
<交通手段>車

<見所>石垣跡・曲輪・大堀切
<感想>山下城はかつて書物に一蔵城・獅子山城とも書かれてありました。築城年代は定かではなく、平安時代・南北朝時代・戦国時代と3説ほどあるがいづれも塩川氏の築城によるもので、その塩川氏も出自が定かではないが代々多田院の有力御家人の筆頭として多田庄・能勢郡一帯に勢力を持っていました。戦国時代には塩川国満が北にいる能勢頼次と領土争いを行い、1584年能勢頼次が秀吉の九州征伐軍の遠征中に能勢氏の城(地黄城は陣屋なので丸山城か?)に勝手に戦をしかけ落城させた。帰国後秀吉は激怒し、池田輝政に討伐を命じ山下城は包囲落城した。塩川国満は切腹してその時城は廃城となりました。国満の首が大手門前にさらされたことから現在も大手門跡に首供養地蔵があります。
 登城口は<34.898480, 135.408523>のポイントでかつての大手門跡です。山に入るとすぐ畑になった段曲輪が両サイドにありますが改変したものか判別は難しいところ。まっすぐ奥に進むと神社手前にかつて石垣のあった一文字土居の遺構があります。その先に𠮷秀大神の神社があります。ここから右に折れ斜面を登ると愛宕神社のある曲輪に出ます(主郭から7段目の曲輪だそうです)。ここから川西市山下町が一望できます。次に三日月状の腰曲輪がありその上が主郭から3段目の大きい曲輪があります。ここから主郭まで害獣よけの超音波の出る装置が設置されていてやたら耳障りです。
 主郭は南北にやや長い長方形で東側に大土居、北側にも一段低い土居があった感じがします。北東隅に櫓台跡があり土居と櫓台はすべて石垣造りであった模様。櫓台外側にも回り込んでみましたら石垣跡が残っていました。主郭南側以外の3方はすべて切岸になっており、櫓台のある北東先に大堀切と堀切の2重堀切があります。堀切の先から東に向かって尾根道になっていて、ずっと先に単郭の曲輪があるそうですが行きませんでした。そこを合わせて二山一城と言われているそうです。
 主郭の石垣はかなり崩落してはいるが主郭内に大石が転がっていたりしてかなりの面積が石垣造りになっていたように感じました。予想より見応えのある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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AJ

違和感の正体 (2021/09/30 訪問)

ズボンを履いていない人が公園に立っていたら、どう思うでしょうか。最初の写真を見て、同様の違和感を覚えたあなたはかなりの城好きに違いない。

高田城三重櫓(3層3階。1993年復興)。櫓の土台を含め、この城には石垣というものがほとんど見当たらない。資料が少ないため正確な姿は定かではありませんが、天守代用でありながら、石垣を積むことなく草木が生い茂る土塁上に直接櫓が建てられている光景は奇妙極まりない。

なぜか。これは当時の緊迫した情勢を反映しています。関ヶ原はそれほど「天下分け目」とならず、豊臣家はその後も秀頼を温存。北陸方面に目をやれば、加賀に前田、出羽に上杉と警戒を怠れない状態。そこで家康は牽制目的で六男・松平忠輝(伊達政宗の娘婿)を越後に投入し、直江津の福嶋城よりも開けた平野部にわずか3ヶ月半で高田城を普請しました。有力外様13家に競い合わせた突貫工事。75万石の親藩国主大名家ならではの巨大要塞にもかかわらず、天守や石垣は省略されています。完成から3ヶ月後には大坂冬の陣が始まりました。

幸い城の東西に水深の深い河川。これを外堀(広いところは100mを超える)にすることで、石垣なしでも堅牢性を担保しています。縄張はやや変則的な輪郭式。本丸を二の丸と北の丸で囲み、南側に三の丸を配置しています。三重櫓は、1重目と3重目に入母屋屋根。加えて切妻造の出張りを付けるなど、見ていて飽きない意匠となっています。下部を下見板張としたのは、土塁の上に直接建てられたため、雨水の跳ね返り対策が必要だったためとみられます。

地元から愛される城址公園は、春は桜、夏は蓮の花、秋は紅葉で、冬は雪行灯と四季折々の風情を楽しめるのも魅力。ちなみに小生が訪れたのはちょうど蓮と紅葉のあいだ、、。我ながらこの上ない間の悪さですね。

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肉球

萩原代官屋敷・神奈川県横浜市戸塚区 (2021/11/02 訪問)

徳川譜代の旗本杉浦氏の代官萩原氏の代官屋敷跡に
表門が残っています。
最後の当主萩原行篤は直心影流の免許皆伝。
ここに道場を開いていたそうで若い頃の近藤勇もここを訪れたようですが
当主不在で会うことはなかったようです。

子孫の方がまだお住まいのようです

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肉球

荒川氏陣屋・神奈川県横浜市緑区・元家臣の心意気 (2021/11/02 訪問)

説明書によると荒川氏は織田信長に仕えたのち
徳川家康に仕えた徳川譜代の旗本のようです。
武蔵国、上総国、下総国に領地を賜り最高石高850石。
江戸時代を通じてこの地に陣屋を構えたようです。
今は河川工事により直線的になった恩田川ですが
当時は蛇行していたようで跡地のほとんどが川の中。 
この説明板設置の発起人は家康公からの元家臣の子孫たちのようです。

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新ろくべえ

玉縄城

すごい遺跡はその痕跡がなくなりつつある

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カズサン

本丸土塁が良好に残存 (2021/12/11 訪問)

 三河川口城を終えて名古屋市の北、東の城びと登録未踏の城を廻る事にしました、始めに尾張旭市に在る新居城へ、来た道の猿投グリーンロードを経由して地道で新居城の在るレストラン旭城(ナビに指定)、模擬天守閣風レストランに成って居ます。
 車はレストラン旭城の西側に専用駐車場(テニスコートの駐車場も兼ねる)を利用。(トイレ完備トイレットペーパー常設無し)

 丁度昼時でしたので旭城を訪ねましたが土日祝は休館でレストラン営業はやって居ませんでした。

 登城ルートは駐車場からトイレ横を登って行く、途中に旭城の石碑、本丸土塁の開口部、虎口か?を通り本丸へ本丸内はクヌギなどの樹林が紅葉で黄金色、東側傾斜地に馬蹄形に土塁が残ってる、案内解説板で二重土塁の解説と絵図、歴史解説、西側に一段下がって二の丸現在テニスコート、本丸下がった所には現弓道場、本丸土塁上を歩き、東の土塁下を歩き高さを確認、二重目の東側土塁を確認するが良く分からない、結構高い丘陵上に城跡が有り南は田園、西は下がった運動公園、住宅、グーグルマップで見ると大森池、北側に長池が有り往時は北、西、南は沼地、湿田、湿地で防御の城塞だったのでしょう。
 現在は城山公園として整備保全されて居ます。

 歴史:城が出来た時期は1460年ころで、水野又太郎良春四代の孫(一説五代)雅楽頭宗国によって築かれた。(案内板より)

 模擬天守閣風の建物を撮れる所を数ヶ所写真に納まました。これはこれでいい眺めです。

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✨お城EXPO2021限定御城印✨ (2021/12/16 訪問)

✨お城EXPO限定✨

今週末に迫るお城EXPO2021では、【中城城跡限定御城印】を販売!

お城EXPOと同時期の冬至の日、沖縄では太陽が生まれ変わるとされ「わかてだ(若い太陽)」を祝い讃える行事があります。

世界遺産中城城跡で迎える「わかてだ」のエネルギーを御城印にのせて皆さまにお届けします🌅

\月桃紙/

お城EXPO限定御城印に使用するのは、沖縄に自生する植物【月桃】を使用した紙です。

古くから月桃には邪気払いや魔除けにも効果があるとされ、私たちの暮らしの中で活用されています✨
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\ わかてだを見よう! /

中城城跡では冬至の時期に、生まれ変わった太陽へ健康と発展を願い、祈りを捧げる「わかてだを見るつどい」を毎年開催しています。

今年はお城EXPOと同日の12月18日(土)に開催されます!

わかてだのエネルギーを感じに是非ご来城ください🌅

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りあそーる

図書館に行け! (2021/12/14 訪問)

岩倉市図書館3階資料室に岩倉織田家の特集や地形図がある。駅から図書館~誓願寺~岩倉城~岩倉街道~山之内一豊生誕地~駅が良い!
岩倉城跡は復元図もあって何もないけど素晴らしい。

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イオ

復興天守の隣には… (2021/12/01 訪問)

仕事で近くに行く機会が多いので、ちょい寄り程度でも年に何度かは登城していたんですが、コロナ禍で原則リモートになったため、大阪に行く機会自体がほとんどなくなり、ほとんど2年ぶりの大坂城です。

今回のお目当てはふたつ。ひとつは天守東隣の謎の高台を確認することです。登城の前日、関西ローカルの情報番組で「大坂城の謎を解く」として天守東隣の高台が取り上げられていましたが、そういや天守の東側、金蔵の裏手に何かあったな、とは思っても特に意識したことがなかったのでよくわかりません。豊臣期の天守台は現在より北東にあったとされますが、徳川期に埋められているはずですし、明治以降の陸軍関係の施設かな? とも思いましたが、正解は大阪市水道局の「大手前配水池」でした。明治にコレラや赤痢の蔓延防止のため上水道を整備する必要があり、周辺の最高所である上町台地突端の大坂城本丸に建造されたそうで、考えてみれば、和歌山城も山上の本丸御殿跡が上水道の配水池になっていました。なるほど納得です。大手前配水池は今なお現役で、現地に行ってみると鉄柵に鉄条網、防犯装置まで備えて厳重に管理されていました。また、大手前配水池の南側では令和5年春を目標に豊臣期石垣の公開施設が建設中ですが、この配水池の改良工事が石垣発見のきっかけとなったんだとか。大坂城との不思議な因縁ですね。

配水池を一周し、天守の北東隅に来ると天守台石垣の爆撃被害跡に目が留まりました。大坂城の復興天守は今年で90周年を迎えましたが、多くの復興天守が戦災での焼失からの再建であるのに対して、この天守は戦前から建っていて大阪大空襲をもくぐり抜けてきたのか…と考えると、豊臣と徳川を組み合わせた天守であっても、これはこれでありがたいなぁ、と。

もうひとつのお目当ての紅葉は、大阪城公園はほぼ終わっており、豊国神社と本丸日本庭園のモミジと、西外堀外周のイチョウ並木が見られたくらいでしたが、久しぶりに大坂城を訪れると、堀の幅広さ、石垣の高さ、櫓ひとつをとっても巨大で、今さらながら大変な巨城であることを再認識させられます。やっぱりすごいなぁ…。
 

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ばばよ

スーパーマリオを思い出す!?? (2021/11/28 訪問)

菅谷館からそのまま車で。
嵐山町役場で続100名城スタンプをもらいつつ向かうのがルート的にもわかりやすいですが、うっかり直行しようとしたら安定のいまいちカーナビのせいで変な狭いルートから行くことに...。

みなさんが褒めるのでどんなものかと思いましたが「よう手の込んだものを作ったなぁ!」という驚きがありました。
某城郭ライターの方が「どう守るか想像するだけで悶絶ものです」と言ったかどうかはわかりませんが、どちらかと言えば訪問する我々は攻める側の視点になります。
どう攻めるか想像しても、色んな所から攻撃を受けてしまいそうな構造です。
どうやったら攻撃を受けずにクリアできるだろうか...。
この状況、思考が何かに似てると思ったら、スーパーマリオやっている時の感覚に近いように感じました。
よう分からん比喩になりましたが、少し城郭知識をかじった人にはワクワクする気持ちを引き起こしてくれること間違いなしです!

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todo94

本佐倉城に向かいがてら (2021/11/03 訪問)

妙見神社を目指しましたが、Googleマップ上で感じた以上に道幅が狭かったので、かなり手前の愛宕神社付近に駐車し、歩いてアプローチしました。樹叢の中に竪堀らしき雰囲気を感じる箇所もありましたが…。

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朝田 辰兵衛

羽越国境警備の城。 (2021/12/11 訪問)

出羽と越後で羽越です。小さかった頃に,日本海側の新潟-山形県境がハッキリしないと話題になっていたことがありました。現在はとりあえず決まっているようですが…。さて,この城の監視ラインは山側から海岸線に抜けるルートなので,戦国期と現在では主要道が大きく相違しています。この予備知識がないと,本丸からの眺望に疑問だらけとなります。
標高:349m,比高:230m。登城口は,小国集落の簡易郵便局からチョイ先の小路を向かい側に約50m進むとあります。登城口から本丸までは徒歩約30分。三の丸手前は道が細く滑りやすいので慎重に。

久々の川柳…「会津攻め すると見せかけ 裏をかく」

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にのまる

36見附めぐり⑥~四谷見附~

 四谷駅麹町口改札横に「江戸城外堀跡史跡展示広場」という展示コーナーがあります。市ヶ谷は改札内でしたがこちらは改札の外です。中央線の駅だけあって甲武鉄道の歴史についても詳しく書かれています。
 石垣スポットは市ヶ谷から外濠公園をずっと歩いてくると突き当たる門跡です。そこから駅舎の方に目を向けると枡形石垣の巨石の展示があります。
 推し石垣は麹町口の広場側にある渡櫓門の隅石です。駅舎工事中に発見されたものを保存してくださっていて、橋詰めから覗くと見えるその姿が健気で愛おしすぎます。新しい時代と融合して逞しく生き残る道を選んだ石の意志(妄想)に惹かれ、秘かに“ど根性石垣”と呼ばせていただいております。

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にのまる

36見附めぐり⑤~市谷見附~

市谷見附でのチェックポイントは3か所でした。
一つ目は市ヶ谷見付交番の横。「市ヶ谷門跡」の説明板と石が6個ぐらいあります。(草で覆われて全部見えなかったかもしれないです。)この石を探すのは初めてだったので、見つけた時はうれしかったです。
二つ目は外堀に架かる橋台の石垣。釣り堀の入り口の坂道の駐車場になっているところの石垣で、刻印石がたくさんあります。
三つ目はよく知られているところですが、地下鉄南北線「市ヶ谷駅」の改札内コンコースにある「江戸歴史散歩コーナー」です。南北線工事の際に出土した遺跡と市ヶ谷駅付近の変遷、江戸時代の土木技術等が壁面や床面に展示されています。打ち込み接ぎを再現した大きな石垣は雉子橋から出土した石材を使用したとのことです。雉子橋門は『36見附めぐり』の最後にご紹介予定ですが、石垣遺構は見つけられなかったのでここでじっくり見ておきたいところです。
市谷門~四谷門を歩いているときに写真⑥の説明板を見つけました。国史跡部分である外堀の高低差などがわかりやすいです。そしてその先にあったのが写真⑦です。これは外堀の水がきれいになること?なのかよく理解できないのですが、江戸城外堀普請がまだ続いているんだ!とちょっとワクワクしてしまいました。

※「見附」って書いたり「門」って書いたりしていますが、同じ意味なのでスルーしてください。「堀」と「濠」も混ざっています。固有名詞はそのとおりに使って、その他は適当です♪

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赤い城

密かに紅葉の名所 (2021/12/05 訪問)

マリオットホテルの辺りが跡地で遺構はありません。
ホテルに説明板もあります。
訪問時、敷地内の御殿山庭園の紅葉がちょうど見頃でした。
周辺ぬには桜の木も多く、春は桜の名所でもあるようです。
徳川家の御殿があった跡ですが品川台場建造のために土砂を採った場所だそうです。


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肉球

下之庄代官屋敷・栃木県市貝町・残念です (2021/12/12 訪問)

芦野氏の飛び地を治めた藤平氏の屋敷が解体されてしまったようです。
子孫の方が合気道の会長さんのようで受付で確認したかったのですが
人が居らず詳しいことはわかりません。
ドラマか映画でここの屋敷の存在を知り一度自分の目で見たかったのですが。

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加茂 真明

養老律縁辺諸郡人居条

古代東北の城の役割の一つは、辺縁諸郡人が農閑期に居る所。それ故、城塞の囲いのなかに住居遺跡が多数存在する。
農閑期に集団で外寇から身を守るため集団で生活していたと考えられる。

凡縁二東辺北辺西辺一諸郡人居、皆於二城堡内一安置、其営田之所、唯置二庄舎一、到二農時一、堪二営作一者、出就二庄田一、収斂訖、勒還、其城堡崩頽者、役二当処居戸一、随レ閑修理、

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肉球

よく整備されてます (2021/12/12 訪問)

役場の駐車場に車を停め三の丸跡には5分くらいで到着できます。
三の丸脇を抜けると本丸へ向かう七曲口です。
ここに縄張り図バッチリ、見所掲載のパンフレットが用意されています。
くねくね道を登ると車橋。疲労困憊するほどの山道ではありません。
そこからは吹貫門、本丸正門と次々遺構が現れます。
本丸をはじめ各曲輪、空堀と整備されていて歩きやすくなっています。
帰りは十二曲口を下りましたが倒木などがあり足場がイマイチ。
七曲口のほうが歩きやすいです。

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肉球

大事にされてます (2021/12/12 訪問)

現在工事中なのは赤い城さんの投稿でわかっていましたが 
本丸のまわりがコンクリートで覆われ一瞬ドキッとしました。が
本丸東側の画像のようにコンクリートの上に土を吹き付けるのではと思われます。
本丸の北側の各曲輪には普段どおり入城できます。
小山評定があったとされる御殿跡は綺麗に整備され小山市に大事にされている感じでした。

お城の北側には城山公園駐車場があり無料です
 

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カズサン

矢作川西側に聳える単郭の城 (2021/12/11 訪問)

 城びと登録の城で三河西部未踏のままに成って居り登城を企画してましたが武漢コロナウイルス禍中、動けずやっと今回、三河新城市の設楽原合戦信長戦地本陣跡を初登城終えて、新東名、東海環状道、猿投グリーンロードを経由し県道11号線を明智方向へ約7~8km程の道沿いに天神社が有ります、その上の山が川口城と成ります。
 車は天神社前の県道11号線三角コーナーギリギリに路駐。

 登城路は天神社横より入り川口城標柱横の階段から登ります、天神社の裏は崖に成っていて崖を横に渡るが細い道、足一つの幅、その先は土の目コンクリート板階段が延々と続きます、最初は落ち葉を踏む音が心地良いのですが後は辛い厳しい階段、休み休みで約10分程、頂上の帯曲輪に着きほっとします。
 頂上が本丸(南北約30m東西約10m)、手前に狭い(約5m)帯曲輪を北、西、南に備え、堀切が2条、本丸登城階段は2ヶ所、本丸に東屋、城名看板がついてる、帯曲輪の西に案内板、矢作川が良く見える。

 歴史は室町時代の城主は水野丈兼正春次、天正3年(1576年)武田勝頼の軍勢の来襲に遇い落城、その際に城主正春次は難を逃れて尾州水野郷に移り、次席家老の澤田次郎大夫貞次の子、新左衛門は討ち死にしましたが、貞次は老齢のため幼い孫たちと、この地に住みついたと伝えられています。(川口城址案内板より)

 遺跡:川口城、天神社東側の河岸段丘上には縄文遺跡「水汲遺跡」が発掘調査され、天神社の道反対側に案内板と、遺跡展示されて居ます、1万年前からの人の営みが残って居り古い歴史のある地域なのですね!

 川口城を訪れる時は近くの市場城とセットが宜しいのでは時期は11月下旬の冬桜の満開の頃、紅葉とのコラボが素晴らしい、今回も途中の道すがら冬桜が1本満開でした。勿論紅葉も見頃で楽しい城廻りドライブでした。

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