現地案内板より抜粋。
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2022/07/15 06:37
古城公園案内図、東条城復元図 (2018/05/26 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/15 06:34
東金城跡地形測量図、東金御殿古絵図 (2017/10/07 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/15 06:31
唐沢山城跡案内図 (2017/02/19 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/14 21:00
返り咲いた立花宗茂 (2009/03/07 訪問)
柳川城は九州征伐の軍功で13万2千石の領地を与えられ、本格的な城郭に築き直し、関ヶ原合戦で西軍に与したが家康に許されるも領地は没収され浪々の身に、関ヶ原の戦功で筑後32万5千石で田中吉政が入封し再整備、五重の天守もこの時建てられたと、しかし二代目忠政に子が無く亡くなり元和6年(1620年)に断絶、慶長8年(1603年)大名に復帰した立花宗茂は陸奥棚倉の赤館を居城とし3万5千石と加増され、元和6年故郷の柳川城主として11万9千石で返り咲き、以後11代明治まで継承治政した。
関ヶ原合戦後西軍で復帰した大名は立花宗茂ただ一人、武勇人格を家康、秀忠に見込まれたのでしょう。
13年前の平成21年、柳川城の探訪は先に柳川名物「ウナギのせいろ蒸し」を頂く、錦糸卵も載って柔らかく垂れが掛り美味しく頂きました、水郷水堀を巡る川下りに乗船、丁度ひな祭り時期で雛飾り吊るし雛飾りが堀端、お店の各所に飾られて居ました、川下りで堀、水門、堀端の田中吉政公像、立花家別邸お花の裏船着場、見学周り、終点は北原白秋生家のある船着場、北原白秋生家見学、雛飾りも、柳川城の連結式天守閣の模型が展示して有り、明治初年まで在った天守閣の姿を脳裏に叩き込む。
立花家の別邸お花を見学、洋館と御殿、庭園松濤園も見学し、唯一残ってる本丸跡の石垣、曲輪を見学、現在本丸は柳城中学校、二の丸は柳川高校に成って居る、本丸の案内板に柳川城の古絵図が掲載されて居り五層の天守閣も描かれて居り廻縁高欄に唐破風入母屋破風が付き30万石太守に相応しい天守閣(田中吉政造)だったのでしょう、立派な天守閣を彷彿しました、幕末古写真を見ていたので再確認しました。
定年退職の花向けに福岡城久留米城柳川城を堪能し柳川名物ウナギのせいろ蒸、雛飾り、川下り観光も端のしました、福岡の同僚仲間に感謝です、13年経ちました。
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2022/07/14 18:00
米子城5️⃣ 御船手郭と番外編 (2022/07/05 訪問)
長々とお読み頂きありがとうございました。最後です。
米子城跡方面に戻り、御船手郭(深浦郭)①を目指すと、猫諸将達が、番人をしていました。
住民の方が、猫の撫で方を教えて下さいました。
コロナ禍で殺伐とした中、心が温まる出来事でした。
郭から、城下の港山公園⑦に戻ると、ここでも、猫諸将達が城下を守っていました。
地域猫活動中の方が餌を下さり、猫と戯れました。
この日の目的は、猫カフェだったのですが、コロナ禍で、名前、連絡先記入の為、断念しました。
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2022/07/14 17:45
米子城4️⃣ 飯山城跡~横断歩道の向こうに城巡りびとあり (2022/07/05 訪問)
飯山城跡から、米子城跡をのぞむ。飯山城が、米子城の出城であったことを伺い知る事が出来ます。①
飯山城は、米子城の東砦の役割を果たしたようです。かつては、お家騒動の舞台にもなったそう。
この時期は、草も覆い繁り、まむしも心配です。
階段からは、米子の街も見渡す事がも出来ます。⑦⑧
飯山城跡に行くには、米子城跡から、横断歩道を渡る必要あり。
【横断歩道の先に、お城あり。】
【横断歩道の先に、城巡りびとあり】で、愛馬(愛車)で、城攻め中の方は、是非、横断歩道の手前で減速して、横断者の確認をして頂きたいです。
この時は、10台通り過ぎました。
我が国(県)でも、横断中の事故が絶えませんので、何卒宜しくお願いいたします。
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2022/07/14 17:27
2022/07/14 17:19
2022/07/14 17:09
2022/07/14 16:55
大松山城跡、天神の丸跡 大池 ダイジェスト~ 本格的な山城跡の為、装備が必要、 (2022/07/11 訪問)
小松山城(一般に備中松山城と言われている城)とは、比較にならない程の、本格的な山城です。登山靴、コンパス、天候チェック、熊鈴等の準備が必要。
備中松山城本丸から、裏手から、大松山城跡を目指す事が出来ます。そこに至るまでの道に、【相畑跡】と言う陣所、戦場跡②③があります。
更に進軍し、天神の丸跡、天神社跡④⑤
分岐点に戻り、更に進軍し、大松山城跡⑥⑦ 大松山城跡の井戸⑧
分岐点に戻り、更に進軍し、大池跡⑨⑩は、発掘調査中
今回は、コロナ軍と、雷雨等の攻撃の為、予定を大幅に変更して、【猫城主 さんじゅーろー】様①に、暑中見舞いに伺いました。
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2022/07/14 14:09
福満寺 (2020/09/05 訪問)
福満寺近郊にあったようですが、河川工事により遺構は失われています。福満寺に案内板があります。
以前に投稿しましたが、違うところに投稿してしまったようです。前の投稿を削除して投稿しなおしました。多くの方から「いいね」をいただいていたのに申し訳ありません。
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2022/07/14 14:04
本慶寺 (2020/09/05 訪問)
養老線美濃津屋駅より徒歩5分の所に本慶寺があり、そこが城址です。城址碑と案内板があります。
境内の南から西にかけて空堀があり、土塁などもあるようですが、藪でよくわかりません。夏場でありスズメバチの注意喚起を促す看板もあり藪等への侵入は断念しました。
以前に投稿しましたが、違うところに投稿してしまったようです。前の投稿を削除して投稿しなおしました。多くの方から「いいね」をいただいていたのに申し訳ありません。
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2022/07/14 13:58
城山小学校 (2020/09/05 訪問)
海津市立城山小学校が城址です。
南門を入ると案内板があります。体育館奥に土塁があるとのことでしたが、休日で誰もいなかったので見学は断念しました。
以前に投稿しましたが、違うところに投稿してしまったようです。前の投稿を削除して投稿しなおしました。多くの方から「いいね」をいただいていたのに申し訳ありません。
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2022/07/14 11:17
本丸高石垣が素晴らしい (2009/03/07 訪問)
久留米城は筑後川中流に宝満川が合流する丘陵に築かれて居り、九州新幹線、JR鹿児島本線車窓より眺める事が出来ます。
歴史は秀吉九州征伐後、毛利秀包が入封し本格的な城郭久留米城を築城開始、関ヶ原後戦功で岡崎城より田中吉政が32万5千石で築後に入るが本城は柳川城、久留米城は支城、田中吉政の跡を忠政が継ぐが嫡男なく、元和6年(1620年)の死去によりお家断絶、丹波福知山城より有馬豊氏が21万6千石で入封し、大改築近世城郭へと整備し直した、以後有馬氏が明治まで継承治政した。
久留米城登城は2度目の13年前定年退職で福岡の仲間が送別の夕食会を開いて貰った翌日、同僚が車を出してくれて、浜松はウナギが名物ですが、柳川にも浜松に劣らぬウナギ「ウナギせいろ」が有ると、昼食に「ウナギせいろ」を食べようと企画して呉れて、私に城廻り久留米城、柳川城も入れて出掛けた次第。
久留米城は現在本丸が残り、周囲を高石垣が守って居り、大変見応えの有る城塁です、同僚も居るのでさらっと高石垣を西、南、東眺めて本丸大手虎口より入り、筑後川西方を眺める。
古写真を見てましたので本丸高石垣に二重の多聞櫓が取り巻き各櫓台には三層櫓が並び七つも有ったとか、三層ですが巽櫓が天守閣の代わりをしていた模様、頭の中で二重多聞櫓三層櫓を想像して往時の姿を想像。
現在本丸は有馬氏を祀った篠山神社が鎮座して居ます。
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2022/07/14 09:41
武隈屋敷跡(小菅沼城跡) (2022/05/22 訪問)
【武隈屋敷跡】富山県魚津市小菅沼
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車
<見所>石垣
<感想>1泊2日富山城の旅11城目。城びと未登録。現地説明板によると「武隈屋敷跡は小菅沼城とも呼ばれる城館跡で周囲が高い石垣で囲まれ、出入り口には枡形の門跡が残る。室町時代の松倉城主椎名氏の家老と伝えられる武隈氏は椎名氏滅亡後もこの地に居住していたが✕✕期(消されている)に他県に転居している。」とあります。城館跡は大きく上下2段の広い曲輪になっており、下段に現代の家屋が残っているので奥までは行っていません。上段の曲輪の虎口に立派な石垣が残っています。家屋の法面にも高石垣が残っています。現代まで居住されていたそうなので大部分が積み直しであろうと思われますがなかなか見ごたえあります。
<満足度>◆◆◇
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2022/07/14 08:15
番田と下番(と中番) (2022/06/05 訪問)
室町中期に堀江景經が築いた城館で、戦国期には朝倉氏に従って加賀一向一揆に対しました。戦国末期には堀江氏が一向一揆と結ぶとの風聞を信じた朝倉義景の命により魚住景固と山崎吉家に攻められ、落城こそしなかったものの、和議により堀江氏は堀江館を離れて能登国に退去しました。
堀江館は当初は番田(城びとの位置情報あたり)に築かれ、後に加賀一向一揆に備えて下番に移されています。番田堀江館は周囲に土塁と堀をめぐらせた方形居館だったようですが、圃場整備により遺構は消滅しており、信号脇の水路沿いに案内の標柱があり、その100m南に堀江公番田館跡の石碑と説明板、小さな祠が建てられているくらいです。
下番堀江館(福井県あわら市下番)は主郭を土塁と堀で囲み、周囲に複数の曲輪を配して竹田川を外堀とした縄張で、現在では本荘小学校敷地になっていて遺構は消滅していますが、プールの西側に堀江館を偲ぶ歌碑と堀江氏のものと思しき笏谷石の五輪塔が建てられています。なお、小学校の東隣の本荘春日神社は、下番からさらに移転した中番堀江館跡とも云われます。また、本荘春日神社の東隣の龍雲寺は堀江氏が創建した菩提寺で、山門は立派な鐘楼門でした。
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2022/07/14 05:48
【博多祇園山笠】櫛田神社と太閤町割 (2022/07/13 訪問)
「櫛田神社」は、「平清盛」が日宗貿易の拠点とした博多の街に、佐賀の神埼にある「櫛田宮」の分社として誘致したのが始まりで、「豊臣秀吉」が1587年九州征伐後、豊後大友氏と薩摩島津氏との戦いで荒廃した博多の街を「黒田官兵衛」に命じて復興(太閤町割)した時に、現在の場所に社殿が建てられたそうです。そしてこの時の「町割」の単位が現在の「流れ」という単位になりました(当時の太閤町割図(流れ)と現在の山笠コースとを合わせてみた図⑩を作ってみましたので参考として下さい)。
鎌倉時代の1241年3代執権「北条泰時」(現在の大河ドラマ「北条義時」の子(金剛))の時に、宋の商人「謝国明」が九州探題「少弐資頼」の許しを得て、櫛田神社の近くに「承天寺」(写真⑥⑦)を建立し日宋貿易の橋渡しを行っていました。(そういえば確か昔の2001年の大河ドラマ8代執権「北条時宗」の中で、元寇の直前ですが、この承天寺の前が外国の商人たちで賑わっていたシーンがあったのをふと思い出しました)。 「博多祇園山笠」は、その承天寺の住職「聖一国師」が博多に疫病が流行した時、台に乗り町民に棒で担がせ水をまきながら、町中に疫病退散を祈祷して回ったのが発祥とされています。
それから江戸時代に入り、今度は京都の祇園祭りのように、台に飾りをつけ飾山の優美さを競うようにして回るように変わっていったそうですが、1687年に「土居流れ」が東長寺(写真⑧⑨)で休憩中に「恵比寿流れ」に追い越されるという事件が起こり、この時のカッとなった両者の抜きつ抜かれつのマッチレースが民衆に大受けしたことから、現在のように各流れがスピードとタイムを競う「追い山」に変わったそうです。
今年はコロナで中止になっていた博多祇園山笠が3年ぶりに復活されました。櫛田神社をスタートし、承天寺の千年門を折り返して、東長寺の前を通り、奈良屋町をゴールとする全長5kmのコースで行われています。12日に「追い山ならし」があり、私は13日の「集団山見せ」を見に行ってきました(写真①②③)。「オイサ!」「オイサ!」の掛け声とともに、ふんどし姿の男たちが担ぐ勇壮な山が博多の街を駆け抜け、見物人もとても多かったです。いよいよ15日早朝の本番「追い山」に向け、博多の街はいま1年で最も熱く盛り上がっています😊!
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2022/07/14 00:37
いつも九州旅は計画どおりにいかない… (2022/07/08 訪問)
福岡空港からJR博多駅までは順調。しかし,JR博多駅の在来線改札で100人超の人だかり。10:00ごろ鹿児島本線けやき台駅で人身事故とのこと。この時,時刻は11:35。計画を変更し,九州新幹線で新鳥栖駅へ。もともと鳥栖エリアまではIC利用予定で,事前にチケット購入していなかったことが幸いしました。ちなみに,JR新鳥栖駅のコインロッカーはIC利用可能です。
翌日のリハビリを兼ねて,朝日山城へ。朝日山の登山口までは,徒歩約5分です。ここからはパネルを見て,自分に合った登山ルートで登城口まで行ってください。
見どころは,橋の架かった堀切だと思います。畝状竪堀もありますが,この季節は確認が取れないほど木々が生い茂っていました。立ち止まると,多様な羽モノの虫がまとわりついてきます。
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2022/07/13 21:33
土佐佐竹氏もさすがは佐竹氏だ (2022/01/27 訪問)
土佐佐竹氏の本拠地だが、そもそもこんなところに佐竹氏がいたことがびっくりだ。長宗我部氏と結んで相応の勢力を持つ名門佐竹氏のお城とあって、城内には土塀の基礎と思しき石積みや礎石建物やらが点在し格式の高さを窺わせる。
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2022/07/13 20:38
⑦北門~ラスト (2022/06/07 訪問)
屏風折れの石垣からおよそ10分で北門に到着しました。
北門は東門同様小ぶりな掘立柱城門で、3ブロックに仕切られた緩い段差の通路床面と城壁が復元されていました。現地解説板によると城外側床面と城壁上部は新たに補完した石が多く使われているようです。流出してしまった門石はそうと気づかれずにこの山の中腹や麓に転がったり埋まったりしているんだろうな……。
門の前面には下りスロープが設置され、岩屋方面へのハイキングコースとなっていました。きれいに配された敷石は新たに補完されたもののようです。
当初の予定では北門の先の分岐から礎石建物群に行き、また戻って城壁一周踏破のつもりでしたが、タクシードライバーさんとの約束の時間を考え、礎石建物群へ行くのはやめにしました。ビジターセンターまでラスト1.2km(内600mは城壁外)。ほぼ直進&下りで、無事、約束の3分前に戻れました。
城の中心部に行けなかったり、ビジターセンターで復習できなかったりなどありますが、約2.8kmの城壁跡を一周できましたし、素晴らしいお宝にたくさん出会えたので、1st鬼ノ城、大満足です。いちいち立ち止まって感動したり想像の世界に入り込んだりしなければ最後に慌てることもなかったかと思いますがこればかりはどうしようもないので。
一筆書きでまわれないのでルートに悩みますが、次回は城壁一周+城内見学コース全部まわりたいです。多分5kmくらいです。4時間みていれば大丈夫かな?
<おわり>
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