山家城(やまのべじょう)は鎌倉時代末に山家氏が築城したと云われています。1505年頃、小笠原氏の同流である折野薩摩守昌治(折野山家氏)が播州から来てこの城に居たと云われています。
1550年武田信玄の府中(松本)侵攻の際、自落した。山家城は逐次改修が加えられていったが、特に戦国期に入って林城に拠る小笠原氏の属城となってから大規模な改修が行われ山辺谷最奥部の要害城としての威容を誇っていた。(現地説明板より)
山家城は長野県松本市大字入山辺にある山城で曲輪、土塁、石垣、堀切、土橋などが良好に残っています。
登城口は徳運寺の墓地から登るルートと上手町の公民館前から登るルートの二か所あり、自分は徳運寺の墓地から登るルートを選択。(徳運寺の駐車場があります)
山家城の見所は東斜面と南斜面に石垣が残り、中でも東斜面の石垣は高さ約2m長さ約20mにも及び、見応え十分です。また、堀切、竪堀も深く傾斜も急で見事なものです。小笠原氏城郭群の城は見事なものが多いですが、山家城は中でも群を抜いて見事なものだと感じました。
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