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todo94

姫路城に赴く直前に (2021/11/13 訪問)

姫路城に赴く直前に立ち寄りました。石碑と説明板があるだけでも満足です。此処も空堀と土塁がノーチェックとなってしまったので再訪しなくては。赤松氏の居城で置塩城に移ると廃城になりました。

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十郎

北条早雲最初の城 (2021/04/30 訪問)

しっかり整備されていて見やすく、土類や野面積の石垣、本丸北側の大空堀(堀切か?)など見どころが目白押しだ。

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朝田 辰兵衛

パシフィコ横浜までの寄り道② (2021/12/17 訪問)

青木城から権現山城へ。所要時間の3分程度は信号待ちと横断歩道の通過時間。約10分で到着です。
横浜ポチっとな。

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じゅんじん

美術館 (2021/12/08 訪問)

12年ぶり。櫓内に動く石がありました。・・・突然動き出さないでっ(*^▽^*)

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カズサン

撫川城の東隣、元は一つの城 (2011/07/15 訪問)

 西隣の撫川城を終えて、道は狭く不案内なので車を撫川城城門前に駐車のまま約200m程を徒歩で東進、庭瀬城を訪ねる。
 濠に囲まれて清山神社が島中に鎮座、城名石碑が在る、濠外から眺めて探訪を終わる。
 歴史は撫川城での記述を参照ください。
 
 この後は宿泊先の吉備路の国民宿舎へ移動。

 グーグルマップで見ると現在神社濠外北側に駐車場が整備されてるように見受けられます。兎に角道は狭く安全運転でご探訪ください。

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カズサン

御本壇の西側に石垣が良く残って居ます (2011/07/15 訪問)

 備中高松城を終えて南方向へ約6km程の湿田、沼に囲まれた撫川城を目指す、車は南側の城門手前の案内板の在る駐車エリアを利用、道が狭く不安でしたが現在グーグルマップで見ると城門前に駐車場が整備されてる様子。

 探訪は本丸/御本壇内部を廻り、城門、神社、外に廻り南から西の濠、御本壇西側の石垣を濠外から眺める、北側も廻りたかったのですが人家で入り込めず、西北には横矢の入った石垣で櫓台だったのか? 低地の人家は水堀/水路で囲まれてる。
 築城で沼地、湿田に石垣を築くのは大変な作業だった事でしょう、西側の石垣を濠越に眺めて往時にしたりました。いい景色です。沼城とも呼ばれてる。

 歴史的には毛利方三村氏が砦を築いたのが始まり、三村氏が毛利氏に滅ぼされ、毛利の出城、毛利方境目の城へ、秀吉の高松城水攻めの時城主井上氏は交戦して敗れ、宇喜多氏の領有へ、天正14年(1586年)頃に宇喜多氏家臣岡利勝が近世的な築城方式を取り入れた野面積石垣を築き築城を始めたと伝えられてる。
 関ヶ原後東軍で軍功のあった戸川達安が29200石で入封、東に在る庭瀬城跡が中心として移った、戸川氏4代安風早世、嗣子なく改易、弟達富が安風の名跡を継ぎ5000石で旗本として撫川城址を本丸、御本壇とし明治まで9代継承される。(撫川城址整備委員会、下東町内会のパンフレット抜粋)

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にのまる

36見附めぐり⑧~赤坂見附~

赤坂見附は地下鉄の赤坂見附駅が最寄り駅ですが、枡形跡の石垣や説明板は赤坂見附駅と改札内で繋がっている永田町駅の7または9a出口に近いR246沿い(弁慶濠沿い)にあります。
残存している枡形門の石垣を坂の下から見ると今にも抜け落ちそうに突き出た石が一枚。奥を覗くと裏込め石がぎっしり。構造上、抜け落ちても落ちなくても(?)問題はないということなのかなと思いましたが、その隣の石は鉄板を差し込んで支えてあって、ちょっとドキドキです。
 反対側の面の右半分もとても個性的で“お花積み”と呼びたくなるような洒落たデザインです。「どこの石垣でしょう?」問題を出されたら絶対に正解する自信があります!
 ここの高石垣は首都高千代田トンネルの入り口になっていて、まるで自動車が御門に吸い込まれていくかのような景色です。東京ガーデンテラス紀尾井町の「テラスの小径」のウッドデッキからは黒田家家紋の「裏銭紋」のある石を間近に見ることができます。現地に写真付きの解説板があるので発見難易度は★☆☆ですが、真夏はそこが石垣だと気づかないくらい草が繁茂しているのでちょっと厳しいです。
ガーデンテラス前には「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」の碑があります。前回投稿の喰違見附の「尾張名古屋藩屋敷跡」と「近江彦根藩井伊家屋敷跡」と合わせて紀尾井町の町名の由来である「紀」「尾」「井」三家跡の碑、これでコンプリートです。

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小城小次郎

様々な歴史が織りなす場所 (2021/09/11 訪問)

上田氏の拠点で上杉・伊勢争奪戦の対象となった権現山城と戦が沈静化して多米氏が築いた青木城とは別物と考えてよいだろう。城地に建つ本覚寺は幕末にアメリカ総領事館になって生麦事件の舞台のひとつにもなった歴史的場所だ。

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じゅんじん

君のなわ (2021/11/07 訪問)

城址碑が2か所あります。中学校側では道路沿いにありました。中学校を覗くような形になります(;'∀')

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じゅんじん

小学校 (2021/11/07 訪問)

陣屋は小学校になっています。時計台がありますが陣屋には触れられておりません。駅側に行くと武家門が残っています。痕跡はこれぐらいです。

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じゅんじん

夕焼け (2021/11/07 訪問)

住宅の入口に城址碑と説明板がありました。痕跡はありません。

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いんげん丸虫

般若沢城 群馬県安中市 (2021/11/28 訪問)

詳細不明の山城です。13x20mほどの主郭を中心に3方に平場や堀切があります。
北東には40x40mの平坦地があり、折れのある堀があります。
コンクリートの道が通っていて、通行量も少ないので近くに駐車可能です。
看板等は一切ありません。

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カズサン

秀吉水攻めと天下取り出立で有名 (2011/07/15 訪問)

 備中足守陣屋を終えて南方向へ約3km程の備中高松城を目指す、車は公園専用駐車場利用。

 10年前の平成23年7月中旬、一度訪ねたいと願っていた城跡です、秀吉を扱う小説、TVドラマでは超有名な備中高松城ですが、梅雨時期を狙った水攻めが有名、また陣中で信長の本能寺悲報を知り毛利氏との和睦後、備中高松城からの中国大返しなど有名で高松城が歴史の大舞台になった時です。
 また城主清水宗治の辞世も公園の石碑に刻まれ「浮世をば 今こそ渡れ武士の 名を高松の苔に残して」潔さ哀れさをしばし感じた次第。
 
 城跡は3の丸駐車場から微高地を廻る、清水宗治の首塚、歌碑、周りは田園、堀は蓮池、資料館、資料館では立体模型、洪水の時の城跡周辺水に浮かんだ写真を見て、秀吉の水攻めを実感したように思ったりと歴史にどっぷり浸かった城廻りでした。

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イオ

「和歌山の近世城郭と台場」を読んで(前編) (2020/03/25 訪問)

「和歌山の近世城郭と台場」(戎光祥出版)で和歌山城が80ページあまりに渡って解説されているのを読んで、初めて知った点やこれまで意識していなかった点を現地で確認してみよう、ということで、例によって仕事ついでに登城しました。

一の橋を渡って大手門から入城し、切込接ぎで築かれた一中門を抜けると、目の前に緑泥片岩(紀州青石)による野面積みの石垣が広がっています。天守が建つ虎伏山は緑泥片岩の岩盤でできた丘陵のため、表坂を上った松の丸門跡の石垣の下など、あちこちに岩盤の露頭が見られます。松の丸を経て、本丸表門、中門を抜けて本丸へ。かつての本丸御殿跡は上水道の貯水池になっていて立ち入りできませんが、天守を望む展望所が設けられています。この日は天守には入らず、天守曲輪の転用石を見ようと思っていましたが、乾櫓に続く帯曲輪は立入禁止になっていて確認できませんでした…。仕方なく天守の写真だけ撮って(絶好の晴天!)、寺院の礎石を転用したとされる本丸裏門の礎石を確認したり、裏坂の石垣を見上げたり、これまでは気にも留めていなかった銀明水(屋根蓋付きの井戸)を認識したりしながら虎伏山を下りました。

大手門から虎伏山周辺と岡口門にかけては浅野期までの縄張ですが、続いては徳川期に拡張された西の丸、砂の丸、南の丸をめぐります(続く)。
 

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モト

高い土塁と堀に囲まれた本丸 (2021/05/06 訪問)

本丸が高い土塁と水掘りに囲まれているままの姿が残ってます。
水堀から高い土塁を臨む景色は城跡だとわかる雰囲気です。
二代将軍秀忠が築かせてから戊辰戦争までの250年で16代の城主が変わったとの事、裏を返すとそれだけ続いた歴史ある城という事ですよね。
すごい。

本丸は季節の花を楽しめます。
桜、つつじ、藤など。
訪れる時期によっては加えて楽しめる事柄もあるのでは。
駐車場があり、車は容易に停めることができます。

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やま

西播磨の山城群 (2021/12/18 訪問)

白旗城、上月城を見学した足で、登城できないとは知りつつも利神城に寄りました。遠望から非常に萌える山城で、最近は毎週火曜日にガイドさん付で登城できるようになっているので、是非登城⇒レポートしたいと思います。現在は冬場でツアーが中断されており、聞くと3月から再開されるとのことでした。平福の城下町は風情があり、またお洒落なお店もたくさんあり、見どころ満点でした。

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やま

西播磨の山城群 (2021/12/18 訪問)

尼子氏が滅んだ城として有名な上月城は以前から一度は登城したいと思っていた城でした。山頂の本丸までは徒歩で15分ほどと非常に短く、激戦があったお城の割には非常に小規模な縄張りに驚きました。本丸からはかつて美作、備前、播磨という三国のちょうど中間位置近くにあり、交通の要衝地であることがわかる眺望でした。またこのお城は織田、毛利という強大な勢力のはざまで戦乱の渦に巻き込まれた城で、秀吉の攻略により惨殺された赤松氏一族の秘話や、上月城の戦いの舞台になった城としても有名です。上月城の戦いでは尼子勝久は毛利氏に降服し自害し、また山中鹿介も捕らえられ殺害されたと本で読みました。現在は土塁と石垣址、空堀、堀切などの遺構が残るほか、本丸に赤松氏の墓所、麓には尼子氏の供養塔が残されています。

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todo94

主郭未踏 (2021/11/13 訪問)

神社からの新道や秀吉コースではなく車道を行けるところまで行って攻めて参りました。相変わらずのリサーチ不足で出丸である大山構のみの攻城になってしまいました。再訪の際には主郭にも脚を伸ばし、土塀跡や畝城竪堀なども確認したいと思います。折角、太子町まで足を伸ばしたので、久しぶりに斑鳩寺の重文・三重塔をチェックしてきました。

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刑部

怯えてしまった城址 (2021/12/19 訪問)

わざわざここまで来たのに・・・心霊スポットと聞いていたので入口まで行き中に入らず。家に帰って来たら何故入口で辞めてしまったのか後悔して止みません。

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湯築城の背後を守る城 (2021/01/06 訪問)

穴だらけの山城、横山城。河野氏の居城、湯月城の背後を守っていたとされている。
大きく分類すると、本丸、馬乗り駄馬、出丸に分かれる。
レインボーハイランドに車を停めて15分くらいで、主郭に達する。
歩き始めて、すぐ堀切があり、竪堀を流してある。それが連続して数カ所ある。
主郭には太鼓岩と呼ばれる大きな岩があり、そこにある柱穴から推測して、物見があったと思われる。
水対策として、雨水を溜めていたのだろう大きめの穴もある。
周辺の廓にも、岩を削って開けたと思われる柱穴が多く見られる。今治市の能島城に似ている。
整備されてはいるが、トレッキングシューズで散策する事を勧める。
水分はレインボーハイランドで買っておくのが良いだろう。

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