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イオ

金剛院城(福井県越前市深草) (2022/06/05 訪問)

金剛院城(城びと未登録)は、築城時期や築城者など詳細は不明ながら、織豊期には府中城から北ノ庄城に移封になった青木一矩に替わって子(甥とも)の青木俊矩が城主となっていますが、青木父子が関ケ原の戦いで西軍に与したことから改易となり、江戸初期に城跡に金剛院が再興されて現在に至ります。

金剛院の駐車場に車を駐めて登城開始。金剛院山門前の寺標には金剛院城趾の記載があり、境内の金剛院の説明板にも金剛院城に関する記述が見られます。境内の西辺には土塁が南北に長くしっかりと遺っており、土塁外側の駐車場になっているあたりが往時の堀跡なのかもしれません。
 

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赤い城

行ってました、大野城 (2022/06/19 訪問)

以前「城と標柱」で衣笠城の投稿した際に「大野城も津田城も行ったことない」と書いてました。
が、行ってました。
福岡でも越前でもない近隣の大野城です。
市川大野駅から徒歩で10分。
市川五中が建つ城山が城跡です。
高台にあり、地形的には城を感じます。
中学校構内には遺構もあるようですね。
正門に説明板があります。
グラウンドを挟んで天満宮が建っていますが平将門が建てたとの伝説も残っています。
元カープの大野さん、66歳だそうですが今でも130km/hの球を投げられるとか。
数少ない地元のヒーローの一人です。

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にのまる

③敷石・第1水門・第2水門・高石垣 (2022/06/07 訪問)

 西門からは城壁沿いの見学コースを歩きました。
 敷石や列石からかつての姿を想像、その場所に立っている不思議を噛みしめ、お城はタイムマシンがなくても行ける過去なんだなとしみじみ思ったりしました。
 石畳の如くに敷き詰められた敷石は畏れ多くてはじめはその上を歩くことを躊躇していたのですが、そうもいかないところは歩いてしまいました。しかしこれがとても歩きづらく、通路としてだけでなく水はけのために配された石だということを身をもって知ることができました。
 最初の宝探し、第1水門と第2水門クリアしました。石積みの上の版築、二つの水門の間の土塁や池。石や土そのものがガイドとしてこのお城のことを語ってくれ、見ているだけで十二分に満たされました。
 第2水門からしばらく進んだところの高石垣からの景色も期待通りの素晴らしさ。もう全部丸見えです!

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すぎ

小谷城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

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すぎ

玄蕃尾城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

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すぎ

金ヶ崎城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

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すぎ

国吉城 (2022/06/18 訪問)

登城記念

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織田晃司

天守リニューアル (2022/07/02 訪問)

8/28まで本丸広場には立入禁止ですが天守工事の足場は完全撤去され北面の鉄板張りを拝見することはできます。

リニューアル天守に目が行きがちですが福山城の真の主役は伏見櫓といっても過言ではない。

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零汰

そこに城があるから行ってみた:5 日平城:熊本県玉名郡和水町 (2022/02/10 訪問)

熊本の南関・玉名方面を集中して訪問した際にグーグルマップで見付けて行ってきました。標高342.1mに主郭のある城跡です。
標高320m辺りまで舗装林道で行く事ができます。城内には案内板と縄張り図が有るのでスマホで撮った縄張り図通りに遺構を廻るだけのとても楽な訪問となりました。

主に二郭に遺構と案内板が集中しており、主郭は手付かずとなっていますが、定期的に手入れをされているように思われます。

所要時間45分:1.6km:累計高低差86m

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小荷駄

高島城跡 (2022/06/12 訪問)

天守東側の駐車場は一時間しか停めることが出来なかったです。諏訪湖湖畔の駐車場から歩いて散策しました。予想より人が多くて天守等早足にての散策でしたが久しぶりの家族とのお城巡りのため楽しかったです。コロナの終息を願います。

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小荷駄

佐日吉城跡生 (2022/07/01 訪問)

近江鉄道五箇荘駅から城跡東側の登城口まで徒歩40分程でした。そこから10分程で城跡に着きました。特に南側から西側にかけての石垣が見応えが有りました。道も整備されていて歩きやすく有難いです。整備管理されている皆様ありがとうございます。尚東側登城口周辺にはトイレと駐車場は見当たりませんでした。 暑くてこの後の和田山城跡は断念して宮荘川の紫陽花を見に行きましたが暑すぎてなのか終わりなのかわかりませんが枯れはじめていました。金堂の街並みを散策して帰りました。和田山城跡には改めて行きたいです。

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カズサン

元西櫓は二の丸の馬出か? (2022/05/23 訪問)

 西の丸外周、内部、見張台の探訪を終えて、南側の虎口から、元西櫓間の大堀切土橋を渡って元西櫓虎口から元西櫓に入る、曲輪内は狭いが土塁が囲ってる、東の二の丸深い掘割と西の大堀切に挟まれて曲輪、元が付いているので、西の丸、西櫓の曲輪が出来るまでは、ここが山中城の西先端の西櫓だったのでしょうか?
 東は堀の深い畝掘りで割られ木橋が架かり二の丸と繋がってる、二の丸の馬出の様であるが?良くは分からない。
 
 

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カズサン

西の丸内部と物見台探訪 (2022/05/23 訪問)

 西の丸に南側の登城路虎口から入ります、意外に広く西に高く傾斜し一段高く物見台が有り西櫓が直ぐ近く見渡せる、周囲は土塁が取り囲み、西先端の見張台も三方土塁で囲ってる、西櫓に在った後北条氏の角馬出の解説板に由ると、西の丸から木橋を掛けて西櫓に繋がり、西の丸が兵站拠点の役割をしていた、十分の広さは有る、虎口は登って来た南側と北側に土塁横矢が掛かった虎口が有る、ここからは帯曲輪を通って北の丸へ抜け、手前大堀切土橋を渡って元西櫓に繋がってる。
 西の丸には発掘調査の結果建物跡の痕跡が無いと山中城の建物解説板に載って居ました。
 

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カズサン

西の丸外周探訪 (2022/05/23 訪問)

 西櫓の外周、内部探訪を終えて、東隣の西の丸外周の畝掘り障子堀切岸を見学観察、南側の畝掘り、切岸が令和元年の台風19号被害で痛々しいブルーシートが覆われて居る、山中城西の丸の基本部分は問題ないが芝の植栽盛り土の流失と同案内板に記載されて居ましたが景観は宜しくない、復旧をお願いしたい。
 外周南、北は畝掘り、南の西櫓間は障子堀、切岸はツツジの植栽で緑豊かです4月末5月初めはツツジで綺麗な事でしょう、東側は大堀切で元西櫓間が割られてる。
 三の丸から登ってきて西の丸、西櫓へ続く南側の畝掘り景観は圧巻であり、11年振りの登城でも、最初に驚きであり山城探訪の興奮を味わう⁉
 
 

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イオ

新善光寺城(福井県越前市京町) (2022/06/05 訪問)

新善光寺城(城びと未登録)は、南北朝期に足利(斯波)高経が新善光寺跡に築いた城で、南朝方との抗争の拠点となりましたが、新田義貞に攻められて落城し、高経は小黒丸城に落ち延びました。その後、藤島の戦いで義貞が討死し、義貞の弟の脇屋義助を美濃に追いやって越前国を高経が平定。城跡には正覚寺が創建されて現在に至ります。

正覚寺の駐車場に車を駐めて登城開始。正覚寺北部(本堂裏手)の駐車場の奥には土塁が遺っており、土塁の向こう側は堀になっているようですが、時季的に藪に沈んでいて全くわかりませんでした。土塁の上には説明板が建てられています。また、西部の墓地にも土塁(の一部)が見られますが、そのつもりで見ないと気付かない程度です。南部の山門(府中城表門移築)の脇には新善光寺城の城阯碑があり、付近の正覚寺の寺標や説明板にも新善光寺城の記載が見られます。
 

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源二郎

現存ってイイ! (2022/07/04 訪問)

思っていたよりも天守までの高さがあって驚き!と同時に疲れた!!
着見台から下を覗くと実感わきます✨
天守では当時のままの木材と新しい木材の見分け方を係のお兄様に教わり、西の丸の三重櫓では竹生島を真正面に見られる狭間△を見つけて係のお姉様と盛り上がりました。ソロ🏯攻めでしたがとても楽しかった…✨
平日&雨だったせいか、空いていて待ち時間なく天守に入ることが出来ました。
特に櫓や西の丸、出曲輪などはほぼ人がいなかったのでゆっくり見学する事が出来ました。

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朝田 辰兵衛

越後府跡(新潟県阿賀野市) (2022/07/02 訪問)

1837(天保8)年,水原の大地主・市島徳次郎が別邸として「継志園」を築造したのが始まりです。北越戊辰戦争で会津軍の本営となり,その戦火で建物はほとんど焼失してしまいました。
1869(明治2)年,明治政府はここに「越後府」を設置。同年7月に水原県と改称。翌年3月に廃止。県政の中心となった時代は短いですが,会津へ抜ける若松街道沿いにあり,水原から新発田,豊栄,白根に抜ける道が放射状に整備され現在に至っています。

水原代官所から約1㎞。グダグダしていたのはここです。現在は公園として開放されており,市民の憩いの場となっています。春には桜が彩ります。2017年4月15日の画像が残っていたので,ラスト3枚追加しておきます。

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にのまる

②西門・角楼・城壁 (2022/06/07 訪問)

 学習広場の展望台からその威容が望めた西門は、近くで見るとさらに存在感と迫力がありました。堂々たる西門を眺めていると近世城郭の櫓門も遡ればここに辿り着くのではないかと思えてきます。西門と一体となって強固な防御力を発揮する角楼に立つと城の本質的な意義はどれだけ長い年月を経ても変わらないものだということを実感しました。
 全長2.8km、一部に高石垣を配しながら約30haの城内を囲む城壁の基本は高さ約6mの版築土塁で城壁の内外両側に敷石が施されています。西門から続く城壁の威圧感には只々圧倒されるばかりでした。版築土塁については書籍や写真で見たり築地塀からイメージしたりしていましたが、こんなにスゴイものだったとは。惚れ惚れするかっこよさです。
 いわゆる“なんちゃって感”や“テーマパーク感”が微塵も感じられないのは、現地史料に忠実に復元された賜物である故と思います。そして、様々な伝説をもち廃城後は山岳信仰の対象となった鬼城山へのリスペクトがあるからこそ文献史料のない謎の城がこんなにも素晴らしくよみがえったのだと感じました。長い眠りから醒めたのがほんの50年前。この城にこれから刻まれる歴史を見られたらいいなと思いました。

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赤い城

高台のマンションの傍らに (2022/06/19 訪問)

東千葉駅から徒歩で15分。
城跡にはマンションが建っています。
隣に建つ春日神社は少し雰囲気があり、一段高くなっています。
マンションと神社の間に空堀のような窪みがあり、麓に向かって落ちていました。
遺構のような気がします。
神社の裏手にも土塁のようなものがありますが何とも。
周辺は住宅地でもあり、遺構が残る方が奇跡?
でもそうであって欲しいと思うのは仕方ないですね。
千葉氏の馬加城の支城だそうです。

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小城小次郎

お城の北側は (2022/01/26 訪問)

天守の北側に降りて行ったのはこの時が初めてだったが南側より山が険しくて堅城の感を強くする。石垣も心なしか南側より古いようだ。城下にもお城の名残が強く残るのでいずれしっかり歩き回ってみたい。

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