昭和29年から聳えてる模擬天守
(2011/06/04 訪問)
10年前の平成23年6月上旬、越中、能登の城廻りに出掛けました、高速道で車中泊し朝7時過ぎに城址公園地下駐車場に到着、利用。
模擬天守の富山市郷土博物館はまだ開館して無いので、地下駐車場出口に近い東側の郭を見学、千歳御門、工事中でバリケード設置、御門横の石垣も工事中、搦手門虎口、現佐藤記念美術館の模擬三層櫓を外より眺める、二の丸側に廻り水濠越しの模擬天守を東側から西側から眺め、元鉄門枡形石垣を南から入り、素晴らしい鏡石を眺める、北側から模擬天守を眺め、本丸南東角の土塁、櫓跡も工事中で遠くより眺めて、北側の水堀松川を眺め通り西の丸へ本丸、西の丸エリアは工事中で歩ける所で探訪、9時過ぎに成ったので模擬天守に登閣、立体模型、富山城の歴史展示を観覧し、係の方に説明を頂く、係の方に近くの城として越中安田城を紹介され富山城の後に登城する。天守展望台から眺めも良好。水濠越しに模擬天守閣を眺めると水に写る天守、水濠の広さ、元鉄門の桝形石垣、同鏡石群も大きく素晴らしい、松川の水堀も春、桜の頃に舟遊びをしてみたい。2時間半ゆっくりと楽しみました。
歴史:富山城は天文12年(1543年)神保氏によって築かれ、一向一揆勢、上杉氏、佐々成政と続き、天正13年(1585年)豊臣秀吉の征討を受け富山城は破却。
以後、前田利家領有加賀、能登、越中を領有する、嫡子利長が富山城を整備するが大火で焼失、一国一城令で廃城。寛永16年(1639年)の富山藩分藩に伴い、初代藩主前田利次が入城。その後富山前田家13代が継承し明治を迎え、明治6年に廃城、解体される。
昭和29年戦災復興の恒久記念物として富山市郷土博物館が開館した、平成18年にはリニューアルオープンした。
(富山市郷土博物館パンフレット抜粋)
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