いよいよ今回の旅も最終日となりました。臼杵に向かう前に大分市内の大友氏館跡に行きました。南蛮BVNGO交流館が目印ですがちょっと迷いました。九州の名族であり西洋との交流も盛んだった大友氏ですのでかなりの規模の戦国大名館です。発掘調査と復元が進められ、庭園部分がかなり整備されています。大おもて(中心建物)の復元は大友宗麟生誕500年の2030年だそうです。
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2022/05/28 21:08
大分県お城巡り その6 (2022/05/24 訪問)
いよいよ今回の旅も最終日となりました。臼杵に向かう前に大分市内の大友氏館跡に行きました。南蛮BVNGO交流館が目印ですがちょっと迷いました。九州の名族であり西洋との交流も盛んだった大友氏ですのでかなりの規模の戦国大名館です。発掘調査と復元が進められ、庭園部分がかなり整備されています。大おもて(中心建物)の復元は大友宗麟生誕500年の2030年だそうです。
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2022/05/28 20:43
2022/05/28 20:22
2022/05/28 19:32
大分県お城巡り その3 (2022/05/23 訪問)
前夜は割烹丸清で中津名物の鱧料理で孤独のグルメ満喫。中津から2時間のドライブで豊後竹田の岡城へ。総役所跡の料金所からかまぼこ石を見ながら大手門跡へ、西の丸から近戸門、屋敷跡、賄方跡、籾倉跡、鐘櫓跡を経由し本丸へ到着。とにかく圧巻の石垣群に囲まれたお城の規模と見事な整備に感動しました。お城好きだけでなくたくさんの方にも満足してもらえるお城ですね。先日の千田先生の城ライブの影響で門跡では足元ばかり見ていました(笑)
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2022/05/28 19:19
2022/05/28 19:08
梶原 景時館になったかも? (2022/05/04 訪問)
愛知県犬山市で、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で活躍中の、梶原 景時さんのお名前に出会うとは思ってもいませんでした。
「梶原景時城」は神奈川県にありました。
景時さんが、源 頼朝さんに支える前のお話です。
平 忠盛さん(清盛さんの父)の目代として尾張に下向赴任した時、羽黒の地に光善寺(興善寺)を建立しました。
いろいろあって、頼朝さんに支えます。
頼朝さんが亡くなると、御家人から嫌われ失脚しました。
一族で、落ち延びる途中に、景時さんは討たれます。
孫の 景親さんが助かり光善寺に逃げました。
「羽黒城」を築城しました。
景時さんには、こんなアナザーストーリーがあるんですね。
「羽黒城」はアパートの裏にありました。
こちらも、竹藪と虫達に悩まされながらの城攻めです。
駐車場には新しめの説明板がありました。竹藪から城域に入る所に古めの説明板です。
入り込むと、土塁の上にいるのでしょうか?一段低い場所が、やや細長くありました。
石碑は、土塁と言うより物見台のような高い所にあります。
西日が石碑を背に、キレイです。
いやいや、石碑が西日を浴び、キレイです。
城びと なんで(*^-^*)
その後、梶原家は信長さんに支え、運命を共にします。
景時さんが討たれていなかったら、「羽黒城」付近で活躍したかもしれませんね。
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2022/05/28 18:28
日本初の石垣の城!? (2022/05/28 訪問)
1563年織田信長が美濃攻めの拠点として築城。その後、信晴がいた犬山城を攻めると尾張統一を果たす。そして美濃攻めで稲葉山城を落とすと、信長は稲葉山城を岐阜城と名を変え、居城としたため、小牧山城は落城。1584年、秀吉が清洲会議により信長の後継者となると、命の危険を感じた織田信雄が家康を頼ると、徳川家康は小牧山城、豊臣秀吉は犬山城で睨み合っていた。その後、小牧長久手合戦が始まり、家康が大勝利となったものの和睦により終戦。小牧山城はまたしも落城した。
山麓には比較的家康の遺構が、山頂には信長の遺構が残っています。
1.山頂
信長がつくった野面積みの石垣が残っています。石は一つ一つがものすごく大きく、詰め石が何個も積まれています。今は発掘調査によって発見された石垣を復元したものや、転落石が見れます。石垣と土塁は本丸を囲み、なかなか堅固になっています。本丸には模擬天守(歴史館)が立ち、展望台からは犬山城、岐阜城、清洲城、名古屋城が見えます。
2.山麓
家康がつくった空堀や土塁が残っています。これは小牧長久手合戦において秀吉からの攻撃を防ぐためのものだそうです。また信長の御殿跡があり、そこが最大の曲輪になっています。そに周りにも家康のものとされる堀があります。またれきしるこまきという建物があり、小牧山城の遺構や発掘調査の内容が展示されています。
評価
遺構:4
建物:3
行きやすさ:2
全体:3
攻城時間
登るルートはいくつかありますが、登るのは早ければ10分もかかりません。そんなに登らないので心配はいらないと思います。
1時間くらい
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2022/05/28 18:01
2022/05/28 15:42
整備された公園 (2022/05/03 訪問)
散歩するにはいいところ!
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2022/05/28 15:30
2022/05/28 11:52
2022/05/28 09:46
2022/05/28 08:25
大分県お城巡り その2 (2022/05/22 訪問)
「もり山」で中津名物唐揚げで腹ごしらえしてからお城に隣接した歴史博物館石垣シアターでビデオを見た後登城。模擬天守閣から眺めると中津城が三大水城の一つであるのが感じられます。黒田と細川時代の石垣がY字に交わるのが見られるのが二の丸公園側ですがこの時期草が茂って少しわかりにくかったです。その後は街中にのこる「おかこい山」にも行きました何ヵ所かありますがお寺の境内や住宅街なので徒歩で回るのをおすすめします。
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2022/05/28 08:00
大分県お城巡り その1 (2022/05/22 訪問)
豊後森藩資料館「わらべの里」で資料と三の丸駐車場への地図を頂きました。まずは麓の陣屋跡の庭園と栖鳳楼を徒歩で見学(途中野生の鹿に遭遇!)してから車で三の丸駐車場へ。三の丸石垣→竪堀(畝状空堀群)を経て毛利高政時代の穴太積み石垣を見ながら二の丸曲輪で一休み。いよいよ本丸に向かいますが正面虎口からのルートは現在本丸北側石垣修復工事の
ため迂回して本丸跡に到着。三の丸駐車場からの往復で30~40分くらいです。石高が少なく城持ちを許されなかった森藩久留嶋氏でしたがいざという時のため城跡のメンテはしていたとの言い伝えもあります、栖鳳楼は天守閣の趣とも。
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2022/05/28 06:39
一見の価値があるお城 (2022/05/22 訪問)
茅ケ崎城や小机城址と違い、交通も不便であまり有名でないですが、説明板に書いてあるように堀と土塁の組み合わせが秀逸で驚かされます。陣城とも中継地とも思える小さな城跡ですが、誰がどんな時に築いたのか、謎が多く想像を膨らませられます。横浜市周辺の歴史的価値のある城跡がほぼ全て破壊されつくされているなかで貴重な遺跡と思います。是非とも構造を分かりやすく整備して欲しいと思います。
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2022/05/28 00:58
小山の中に (2022/05/03 訪問)
小高い山が城址中心部だとのことで、まずは公園広場の方から登ってみました。園路も整えられ、歩きやすかったのですがあと少しで主郭というところで蜘蛛の巣に阻まれたので退却、大手口の方へまわりました。虎口、土塁、櫓台遺構が確認できましたが、竹やタケノコがたくさんでメンテナンスが大変そうです。説明板にあった井戸跡がわからなかったのですが、坂の上の手作り看板のあたりに貯水池の標柱があり、水脈がありそうでした。
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2022/05/27 23:58
6年ぶりに再訪。 (2022/05/22 訪問)
本丸御殿を鑑賞したいのと,6年前は(天守こそ登ったものの)どうも消化不良的な散策だったので,再訪計画を立ててました。ところが,最強の城に選出されたことで激混みでした…。
晴天の日曜日ということもあり,予想どおりといえば,予想どおり。
個人的には,名古屋嬢の縦巻きカール探しも合わせて実施。昨年の『お城川柳キャンペーン』で,にのまるさんが詠んだ「なごやじょう5部作」が脳裏に焼き付いていますので…<笑>。無事に1名発見しました。写真は撮っていませんが。
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2022/05/27 22:22
【究極の1枚】
4年前の夏、日没間際、閉城時間ギリギリに駆け込んだ丸亀城。
下山後振り返った時に目にした夕闇に浮かぶ天守の美しさはきっと一生忘れません。
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2022/05/27 22:12
前橋城今昔図 (2017/02/18 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/05/27 22:10
泉頭城復元見取図 (2017/08/05 訪問)
現地案内板より抜粋。
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