矢板城を終えて、南東へ約2~3km程に在る、御前原城を2度目の登城、シャープ栃木工場映像事業部へ出張で訪れ、仕事終わりに初探訪して30数年振りの登城でした。
駐車場:御前原城中心部に砂利駐車場、余裕の駐車(36°47'21"N 139°56'40"E)、トイレ有。
参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、グーグルマップに依る。
唯一の北側入口より入り、駐車場を利用、30数年ぶりで懐かしいが記憶は薄れてるが広大な居城の記憶が甦って来る、麻疹地蔵尊の堂宇、庭園跡、北入り口から東西良く観える二重土塁と間の空堀、北東、南東、南、北西エリアの内部はグランド、グランドゴルフ、など市民の運動広場に成っており、周囲には桜が植栽されて春はさぞ奇麗でしょう。
南側の枡形虎口エリアは周囲が元シャープの敷地で南から進入トライしたがゲート、フェンスが有り進入困難、西側、北側、東側の外土塁は護岸で石積、コンクリートとで護られている。グーグルマップの航空写真で見ると方形城館エリアと南に突出た枡形虎口エリアははっきり見る事が出来ます。
案内解説板によると、国道4号線バイパス工事の元案では城跡の中心を通る計画だったそうですが、地元の方々の反対運動で現在の東に通る道へ変更、バイパス計画で開けた周辺の工場団地計画でシャープさん始め多くの会社が進出してきましたが、現在の本丸、御前の内は護られて保存整備され現在に至ります。
元々の広さは東西約650m、南北約1000mと推測されるそうです、現在は東西南北約180mの主郭部と枡形虎口のみ。
よくぞ遺して頂けた、今日探訪見学する事が出来ます。大変ありがたい。
歴史は、発掘調査の結果1400年代以降と判断されている、下野北部の塩谷氏の城、小田原征伐後、関ケ原後も残るも、正保元年(1644年)泉騒動が勃発し城主塩谷惣十郎が殺害されて跡継ぎが無く断絶、廃城と成った。(解説板と古城盛衰記さんの抜粋)
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