戦国前期に阿波三好氏の武将・美濃左兵衛が築いたと伝わりますが、江戸後期の軍記物「鞍賀多和長尾記」に基づく伝承であり、詳細は不明です。
御崎神社の西、煙樹ヶ浜西端から少し入った西山遊歩道の入口に説明板があり、近くの空きスペースに車を駐めて登城開始。説明板から遊歩道を5分ほど歩き、左手にため池があるあたりで右手の山中に入って行くと、古屋敷とも海賊屋敷とも呼ばれる屋敷地が広がり、石垣も見られます。本之脇城の山麓の居館跡でしょうか。
さらに20分ほど登ると、遊歩道が切通状に尾根を横切っており、木製のベンチが置かれています。この切通が北端の堀切で、ベンチの間を奥に入って行くと主郭を囲む帯曲輪西辺の石垣が見えてきます。主郭と帯曲輪だけの小さな城ながらなかなかの規模です。帯曲輪に上ると、堀切に面する北端に大きな土塁がありました。頂部の主郭は北辺と南辺に低い土塁があり、南辺の土塁の外側には石垣が見られます。海賊伝承のある城で、位置的にも海上の見張りの役割を担っていたと考えられますが、現状は雑木林になっているため主郭から海を見渡すことはできません。
本之脇城の前に登城した入山城で気力を使い果たした状態でこの日一番の比高(170m)の山城はキツいかな…とも思いましたが、登城道は舗装された遊歩道だったためさして苦にもならず、城域も雑木林ではあっても藪化はしていないので、気力を削られることなく探索することができました。精神的な疲労感においては「藪 > 比高」ですね。
+ 続きを読む