龍野城は昭和54年絵図を参考に本丸西隅に模擬二階隅櫓、本丸模擬御殿、模擬櫓埋門が再建されて居ます。
17年前の平成17年6月上旬、ふるさと鳥取の帰路寄りました、車は車、人の流が少ないので隅櫓下裁判所土塀西横に路駐。
本丸西隅の二階隅櫓と続く土塀石垣、南下の裁判所西側の土塀辺りからの隅櫓景観が見所の様に思って居ります、また龍野古城である鶏籠山城の山頂もその辺りから見上げる事も出来ます。
隅櫓下から本丸石垣下の土塀に囲まれた搦手道を登ると西門、本丸大手道、渡櫓式の埋門、内枡形に成って居り本丸へ登り坂道、模擬御殿が表、裏と二棟再建されて居る、桜の頃はさぞ綺麗であろうと思う葉桜。
龍野城の歴史は、中世赤松氏から始まり、秀吉中国攻めで秀吉側の武将が城主を務め、関ヶ原後姫路池田輝政家老荒尾氏が城代、本多氏、小笠原氏、京極氏と続き、脇坂氏が寛文12年(1672年)入封し麓の本丸居館部を再建した、脇坂氏は以後10代治政し明治を迎える。
脇坂氏入城後、赤穂事件の赤穂城受取りは二代目安照、受取の使者、在番を務める、忠臣蔵で良く出て来る場面でもあります。
路駐でもあり本丸中心の探訪、龍野市街は車窓見学、揖保素麵、龍野薄口醤油は歴史も有り有名です。
※トップ掲載写真がクリックミスで最後になって仕舞いました、この景観を愛でて居たのですが?
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