小田原北条氏の支城巡りの一環として、5月末に神奈川県三浦市の三崎城を訪問。
三浦半島の南端、海岸線が複雑な海食台地の一角に築かれた三崎城。
海路では相模湾と東京湾の境にあたり、城ヶ島が天然の防波堤となるこの地は現在も漁港の町。
築城時期は不明ながら戦国期に三浦氏が水軍を置いており、北条時代には安房の里見氏と戦ってきた水軍の城。
4代氏政の時代からは、弟で韮山城主の氏規が城主を兼務しました。
現在、東エリアは市役所が残るものの、他の公共施設は解体されほぼ空地状態。
西エリアには小学校と2つの寺院があり、江戸中期に移転してきた本瑞寺は元々源頼朝の別荘地。
光念寺は鎌倉初期の創建とのこと。
実際に訪れると、やはり城の雰囲気は薄く、土塁と堀と土橋の面影がある慰霊堂付近が最も色濃い場所でしょうか。
掘れば馬出などの堀が出てきそうで、今後の土地利用が気になるところ。
こちらも土塁が残る2つの寺院は、弁天堂や江戸期の門と鐘があるキレイなお寺。現在は住宅群で半分遮られていますが、まだ城ヶ島の嘗ての景勝ぶりが感じられました。
ついでにマグロを味わえればベターでしたが、食より次の目的地へ向かった私の城巡りの127城目でした。
+ 続きを読む










