桑折家長屋門側から登城するケースが多いと思うが、南の搦手側に立つ「上り立ち(のぼりたち)門」は天守以外で唯一残る現存建築物。薬医門なので城門っぽくも見えないが忘れずに見て行ってあげよう。
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2022/07/07 22:41
現存の門も見に行こう (2022/01/26 訪問)
桑折家長屋門側から登城するケースが多いと思うが、南の搦手側に立つ「上り立ち(のぼりたち)門」は天守以外で唯一残る現存建築物。薬医門なので城門っぽくも見えないが忘れずに見て行ってあげよう。
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2022/07/07 21:38
神須牟地(かみすむち)神社 (2022/07/07 訪問)
JR長居駅から徒歩5分くらいで城址である神須牟地神社に行くことができます。案内板は近くにある眞光寺の山門横にあります。
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2022/07/07 21:34
古城公園 (2022/07/07 訪問)
JR津久井駅から徒歩10分くらいです。石碑と案内板があります。
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2022/07/07 21:30
専稱寺 (2022/07/07 訪問)
南海本線高石駅から徒歩5分くらいで城址である専稱寺に行くことができます。堀が残っています。標柱はすぐにわかりましたが、「イオ」さんの投稿されていた説明柱は見逃しました。
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2022/07/07 21:25
南溟寺 (2022/07/07 訪問)
南海本線泉大津駅から徒歩10分弱、南溟寺の境内に石碑があります。
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2022/07/07 21:21
2022/07/07 21:13
小督の局 (2022/07/07 訪問)
淡輪駅より徒歩5分くらい、淡輪邸址の案内板があります。土塁が奥にありますが、夏で草も多くよく見えません。
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2022/07/07 21:09
2022/07/07 19:57
鶴城縄張り図 (2017/05/13 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/07 19:54
鳥越城跡案内図 (2019/04/19 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/07 19:50
鳥羽城跡案内図 (2017/01/28 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/07/07 19:08
2022/07/07 11:37
2022/07/07 11:03
「福山城を描こう」-新しくなった福山城を描いて応募しよう-
令和の大普請が終わり,新しくなった福山城の絵を募集しています。
1. 応募期日:2022年(令和4年)8月2日から9月30日
2. 対象者:小学生,中学生の個人
3. 作品内容
2022年7月以降,改修工事の終了した福山城や伏見櫓など福山城内の建物を,よつ切画用紙に描いた絵とする。
4. 審査方法 優秀賞等を選び表彰する。(最優秀賞・優秀賞・佳作など)
5. 作品の展示・公開
福山城博物館に一定期間展示し公開する。
6. 応募先
〒720-0061福山市丸之内一丁目8番 福山城博物館友の会事務局(℡084-922-2117)
郵送も可とする。
展示終了後の作品の返送はしませんので,各自で受け取りください。
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2022/07/07 11:00
福山城自由研究の募集をしています
福山城に関する自由研究を募集します。
① 募集テーマ
「城・城跡・築城・城下町・人物・出来事」など,福山城に関する研究
② 応募対象者
全国の小学生・中学生・高校生の個人
③ 部門
個人賞 小学生の部,中学生の部,高校生の部
④ 募集期間
2022年(令和4年)9月1日(木)~10月30日(日)
⑤ 応募規定
・レポート(写真,グラフ,図等含む)の提出(50ページ以内・模造紙2枚まで)
・入賞作品は博物館友の会会誌等に掲載することがあります。
この掲載については,応募を以てその許諾をいただいたものといたします。
・研究に利用した本やホームページなどは,必ずレポート末尾に書名・作者名・出版社名を明記してください。
・応募された作品は原則お返ししません。
⑥ 入賞発表 2022年(令和4年)12月
部門ごとに,優秀賞,築城400年記念事業実行委員長賞,主催者賞他を授与いたします。
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2022/07/07 11:00
2022/07/07 10:59
『福山城』資料集の購入希望者を募集しています
福山城築城400年記念事業の1つとして,福山城博物館友の会が編集を手掛け作成している『福山城』資料集出版のお知らせです。
・内容
① 福山城に関する論文(小和田哲男先生執筆)
② 本文 ・古絵図(水野・松平・阿部時代の地図)
・古写真(明治初年から昭和戦前までの天守,櫓など城郭写真)
・古図面(天守,伏見櫓,筋鉄御門の実像)
・古文書(備陽六郡志を主に各資料による各時代の城郭と城下町)
③ 版型 A4版 縦組 縦書き 二段組 カラー(古絵図)約200P
④ 予価 2,800円
⑤ 編集 福山城博物館友の会,福山城資料集編集委員会
⑥ 発行 福山城博物館友の会,福山城築城400年記念事業実行委員会
⑦ 発行予定 2022年8月
⑧ 発売 福山城博物館友の会
・申込方法 FAX・ハガキにて,住所・名前・電話番号・希望冊数を記載し以下へ申し込みください。
発売日決定の後,受け取り方法等通知いたします。
・申込先 〒720-0061
福山市丸之内一丁目8番
福山城博物館友の会事務局
℡084-922-2117 FAX084-922-2126
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2022/07/07 10:35
二の丸内郭部 (2022/05/23 訪問)
元西櫓より南北に切られた畝掘りを木橋で渡り、二の丸西の虎口、土塁と北側の櫓台で守って居ます、内部は北に大土塁が守り南側に傾斜して居ます、櫓台が東の本丸畝掘りの手前北側にもう一つあります。
西の櫓台下から南斜めカーブして二の丸登城路が三の丸の箱井戸と田尻の池の間に抜ける二の丸登城路に続いて居ます、左右は高土塁で護られて居り、兵士の移動が分からぬような構造か?山中城本郭中一番の広さです。
二の丸登城路に続きます。
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2022/07/07 09:36
人吉城の復興状況(2022夏)-②- (2022/07/06 訪問)
(-①-からの続きです)
■中御門(写真①②)
御館から中御門への道は立ち入り禁止区域です。しかし右側にある狭い脇道から三の丸・二の丸・本丸へと登ることはできます。
■本丸(写真③)
本丸にはもともと天守は立っていませんでした。護摩堂が立ち、祈とうする場所だったようです。その跡が残っています。三の丸・二の丸・本丸は、草がかなり生えていてあまり眺望は望めなかったのが残念でした。(大火の前は二の丸に藩主の御館がありました)。
■林鹿寺(写真④⑤)
御館の前には、林鹿寺があります。ここは西南戦争の時、西郷隆盛が陣所として一カ月間過ごした所です。薩摩軍は人吉城に陣を敷き、三の丸に砲台を設置して官軍と戦いました。しかし球磨川の向こうの村山にいる官軍めがけて砲撃するも届かず、官軍の砲撃は人吉城まで届いたそうです。林鹿寺にはその時亡くなった薩摩軍の兵士を祀った石碑がありました。
■大手門跡と多聞櫓(写真⑥⑦⑧)
多聞櫓と隅櫓はきれいに化粧直しされ修復されていました。
■人吉城全景(球磨川より眺める)(写真⑨)
ここは球磨川の上流域であるにもかかわらず、相変わらずかなりの水量がありました。(昨年今頃も氾濫ぎりぎりまできたそうです)。
全体的には、2年前よりかなり復旧されてきているのではと感じました。しかし、閉鎖中で職員がいないせいか、100名城であるにもかかわらず、あちこちに草が生えて荒れ放題になっており、少し悲しい感じがした訪問になってしまいました。歴史館が復活されれば、解消されるのかもしれませんが・・・(すぐには難しいのかもしれません)。
JR肥薩線は2年たっても未だに不通で、それだけでなく被害があまりにも大きく採算面や復旧費用の問題もあり目途も立っていないようです。よって今回は、博多→新八代までは九州新幹線(写真⑩)、新八代駅→人吉IC(宮崎行B&S高速バス)、人吉IC→人吉城(路線バス)で行きました。根本対策のダム計画もどのような方式にするのか議論されていますが、完成は20~30年も先の話になるので、それまでに再度豪雨で氾濫しないか心配です。球磨地方の方々は恐怖と隣り合わせで大変と思いますが、1日も早く安心して暮らせる日々が訪れ、そして人吉城が1日も早く元の姿を見せてくれる事を心より願っています。
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2022/07/07 09:29
人吉城の復興状況(2022夏)-①- (2022/07/06 訪問)
2020年7月4日九州南部豪雨により人吉城は横を流れる球磨川が氾濫し水没しました。あれからちょうど2年がたち、今どうなっているのか気になったので訪れてみました。(すいませんが2回に分けて投稿させていただきます)。
【人吉城の歴史】
人吉城は、鎌倉時代に源頼朝の命を受けた遠江の相良氏が地頭として赴任し築城、幕末までの約700年間、相良氏が治めてきました。文久2(1862)年に大火があり城内の建物はほぼ焼失。翌年、防火のために「はね出し」という西洋の工法で石垣が造られた事で今は有名です。(「武者返し」とも呼ばれますが、藩主の館を火事から守るのが主な目的だったようです)。
【復興状況】
災害の影響は今でも残っています。城内のあちこちには立ち入り規制区域があり、人吉城歴史館はまだ閉鎖中です。おそらく、相良氏に関する貴重な資料や展示物も水没の影響を受け簡単に修復できない程の相当なダメージがあるのではないかと私は思いました。歴史館の復旧にはまだまだ程遠いのかもしれません(誰も職員がいなかったので詳細は聞けませんでした、すいません)。
■はね出し石垣(藩主御館下:写真①②)
石垣の近くまでは行くことはできます。しかし、石垣の真下は立ち入り禁止区域です。そのせいか、石垣のあちこちの隙間から草が生え、せっかくのはね出し石垣が・・・何かちょっと見栄えが悪くなったというか・・・少し残念な感じでした。
■水の手門(写真③)
立ち入り禁止区域です。よって遠方の水の手橋から撮影しました。
■歴史資料館(写真④⑤)
未だ閉鎖中です。100名城スタンプは裏口から押せます。裏口は24時間施錠されていないとの事ないので、ひっそりと開けて押して来て下さい(パンフレットもご自由にお取り下さいと置いてありました)。その裏口には、ここまで水没しましたと書いてありました(私の背丈と同じくらいです!😲)。
■西外大曲輪(写真⑥⑦⑧)
芝生養生中のため、立ち入り禁止区域です。井戸のある地下室も立ち入り禁止でした。
■城主の御館跡(相良神社)(写真⑨⑩)
ここには文久2年の大火の後に建てられた城主の御館がありました(はね出し石垣の上)。現在は相良神社が立っています。ここから上の段に被害はありませんでした。庭園跡が残っており、ここが藩主の御館であった事を物語っていました。
【余談】この日はとても気温が上がりむし暑く、スマホのカメラが途中で起動しなくなったため(「高温のため撮影できません」のメッセージ)、あわてて球磨川を渡った所にあるコンビニで氷を買ってきてスマホを氷で冷やしながら汗だくで撮影しました。こんな事もあるんですね(笑)😊
(-②-へ続きます)
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