牛久沼に突出し土塁空壕が良好残存
(2022/05/29 訪問)
常陸小坂城を終えてまだ陽も高く、今回の企画に入れて無かった近くの未踏の城、東林寺城を目指す事にしスマホで情報確認、城びと、古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの情報を参考にし、東林寺の住所にナビを合わせる、小坂城から西に約6~7km程、三日月橋を渡って北上すると東林寺が有り門前の駐車場を利用する。
東林寺の参道を行ったり来たり、案内板も無く登城口が良く分からない、丁度地元の方が通ったのでお聞きし、お寺の坂を登り、墓所を抜けると畑の右手に城、左手に城が在ると教えて頂く。(地元の方の城とは残存の土塁と空壕の事のようです。)
東林寺に参拝し、左手の坂を上ると墓地、東林寺城跡五輪塔が標柱、案内板と2基の五輪塔が桜の木の下に安置されてる、元は一ノ郭に在ったものを、牛久沼農地整備開拓に東林寺城一ノ郭の土砂を削り取り活用、その際にそこに在った五輪塔を東林寺に移したと記載有り、墓地を過ぎアコーディオン門扉(開けて有りました)を越えて右手北側へ。
三ノ郭で今は畑に成ってる、作業されてる地元の方にお聞きし北側に城が在る、南の竹藪の先にも城が在ると教えて頂く、北に200~300m歩きと三ノ郭虎口と土塁、空壕が有り壕は深く広い、余湖図コレクションさんの俯瞰図では東西に舌状台地を掘り込んでいる、北奥の四ノ郭を眺めて引き返す。
南に戻って東林寺西裏に二ノ郭空壕が広く深く標柱と共に残存してる枡形虎口の様子、ここも東西に掘り込んでる様子、東林寺敷地は四角い枡形郭の様に成って居る、東に抜けて、西、北、南は堀の切込で囲まれている。
一ノ郭は二ノ郭空壕を抜けて南に畑と民家が立って居る、畑の畦道を南へロードバイク自転車に載ってる方に様子を伺うと、南の先に土塁、案内板が有ると情報を聞く、南端に一ノ郭土塁、埋まった空堀跡、城名標柱、手ずくり感のある案内板令和3年2月新地の台地で活きる会作成、地元の方の活動で城探訪が出来る幸せを感謝です。
民家の私道なのか砂利道ですが三日月橋方向へ続いてる様に見受けられます。
東林寺に引き返すとき雉が飛んでいました、上手く撮影出来ず、約1時間探訪を堪能しました、良い城です。
東林寺の駐車場を使わせて頂き参拝し北の三ノ郭、南の二ノ郭、一ノ郭土塁を探訪するのが良いのではと思いました、四ノ郭に入らなかったのが残念ですが、舌状台地に一ノ郭、二ノ郭、三ノ郭、四ノ郭が連郭式に良く残って居り、一ノ郭は削られてしまいましたが牛久沼が南方に良く眺められます。
歴史的には、牛久城の岡見氏の築城で新地の地名は牛久城の新旧を窺わせると、秀吉方との攻防で北条方が牛久番を近隣の国人領主に交替で天正15年から18年(1590年)に掛け駐屯地的役割をしていたのかと、土塁空壕は北条方の牛久番が大いに関わった様です、廃城は豊臣秀吉の小田原征伐の後の様です。(案内板一部抜粋)
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