みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)5日目:長野城 (2022/06/09 訪問)

木山城からの転戦です。長野公民館駐車場(32.862054、131.018720)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、戦国時代に長野氏によって築かれたと云われています。
天正年間(1573年〜1592年)に島津氏が南郷に攻め寄せた時、長野城主長野惟久は南郷城へ入り島津軍と戦ったが敗れて討死しました。

城は長野阿蘇神社の所にあり、拝殿裏側に堀と土塁が残っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=高森城に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)5日目:木山城 (2022/06/09 訪問)

千葉城(城びと未登録 熊本県熊本市)➡宿泊ホテルからの転戦です。木山城跡公園駐車場(32.788636、130.821349)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、木山氏によって築かれたと云われています。
木山氏は阿蘇氏の一族で六ヶ荘木山郷の地頭職を得て代々続きました。
1547年(天文16年)に木山惟久は赤井城を築いて移り、木山城は家老竹崎筑後を城代としました。
1585年(天正13年)島津氏によって攻められ赤井城とともに落城しました。

現在は木山城跡公園となっていますが、朝の渋滞に巻き込まれて到着が予定より20分遅れました。
説明板によれば周囲に空堀、竪堀らしき遺構が残っているとのことですが、わかりませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=長野城に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)5日目:千葉城(城びと未登録 熊本県熊本市) (2022/06/09 訪問)

熊本城からの転戦です。加藤清正公像から千葉城公園石碑前(32.806050、130.709385)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、応仁・文明年間(1467年〜1487年)頃に出田秀信によって築かれたと云われています。
その後、鹿子木氏が熊本古城を築いて居城を移した為に廃城となり、加藤清正が熊本古城と千葉城を含む広大な敷地に近世熊本城を築きました。

熊本城の東側にある小高い丘が千葉城跡で南東側に千葉城公園がありますが、千葉城跡への階段は進入禁止になっていました。
加藤清正公像から千葉城公園に向かう途中に高橋公園に寄り、横井小楠をめぐる維新群像などの像を見ました。
千葉城公園の道路を隔てた反対側の空地に復旧用の石垣が置かれていました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=木山城を目指す前に、一旦ホテルに帰り朝食を取ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)5日目:熊本城 (2022/06/09 訪問)

朝早く起きて、ホテルの朝食前に散歩がてら熊本城と千葉城(城びと未登録 熊本県熊本市)を攻城しました。
熊本城の攻城は2回目です。今回は復興した熊本城を確認する為に来ました。
1回目(2018/10/22)の攻城は「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」のツアーでした。
2016年4月に発生した地震から2年半経過した時で、大天守は復興中、戌亥櫓の石垣は崩れたままでした。

朝早いので天守には入れませんが、宿泊先のホテル➡加藤神社鳥居(32.807093、130.704548)➡行幸坂経由➡清正公像(32.802638、130.704820)➡千葉城公園石碑前のルートで廻りました。
前回、倒壊した姿を見ているだけに復旧された天守閣(大天守&小天守)を見ると感無量ですが、まだまだ石垣など復旧半ばなものも多く、復旧完了までは時間がかかりそうです。
ホテルから熊本城が正面に見えたので、こちらの写真も併せて投稿します。
攻城時間は移動時間も含めて40分くらいでした。ホテルに戻る前に千葉城(城びと未登録 熊本県熊本市)を確認して戻ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

県内の城めぐり2022㉘ (2022/05/28 訪問)

4月30日にパスしてしまった横山城。この日はまだ、午前中の早い時間だったので、恐る恐る向かってみました。善光寺御開帳開催中で、カーナビには善光寺の北側にかなりの渋滞表示。横山城の周辺は大丈夫でした。健御名方富命彦神別神社(水内大社)あたりは、城の遺構らしさも感じることが出来ました。説明板は道路となっている堀切の対岸、城山公民館側にあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

雪の白石城 (2018/02/20 訪問)

雪国なので雪の白石城に行きました。
マスクはラゴーシャン製

+ 続きを読む

城とマスク

兵庫のお城巡り (2020/02/03 訪問)

明石城を見学した後明石焼きを食べました。
マスクはラゴーシャン製

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

山形のお城巡り (2020/07/24 訪問)

2年前に行って来ました。
マスクはラゴーシャン製で絶版のチェーンラメを使用してます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

長野のお城巡り (2020/09/22 訪問)

松本城の帰りに寄りました。
マスクは世界のHAYASHI製でヴィトンの革を使ったマスクです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

千葉のお城巡り2 (2021/06/21 訪問)

去年の6月に大多喜城の後に行きました。
マスクはメキシコ製です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

千葉のお城巡り (2021/06/21 訪問)

去年の6月に行ったお城です。
マスクはメキシコのローリン製虹色メタルジャージ生地

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

箸尾城 (2022/05/08 訪問)

【箸尾城】
<駐車場他>駐車場はなし。近鉄箸尾駅前にコインPあり。
<交通手段>近鉄箸尾駅より徒歩

<感想>日帰り列車で奈良盆地1周ちょこ城巡りの旅ラスト6城目。現地説明板によると箸尾城はほぼ二町(220m)四方にわたる環濠集落の平城であったといわれている。城主の箸尾氏は室町時代の大和国土豪で興福寺一乗院方に属し大和四家の一つといわれた豪族である。
 遺構はほとんど残っていないようで城跡碑、説明板がある場所と北側に回って畑になっている城びとポイント、大福寺を巡りました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

higekam

石垣三昧! (2022/06/11 訪問)

蜂須賀小六の嫡男家正が開城した後豊臣期、江戸時代を通して蜂須賀家が守りとおした城。
それぞれの時代に手を加えられていて、いろいろな石垣の表情が楽しめた。地元の阿波(緑色片岩)などを多用しているのも独特の味わいを醸し出している。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

寿能公園 (2022/06/04 訪問)

東武アーバンパークラインの大宮公園駅から徒歩で10分。
寿能公園が城跡です。
岩槻城の支城として潮田資忠が築いた城で公園に墓碑が立っています。
墓碑が立つところが櫓台跡と云われています。
大宮公園内には土塁や空堀があるようですが今回は未訪。
機会があれば行ってみたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

まるで東国の土の城を見ているかのよう (2022/01/10 訪問)

赤松氏傘下の恒屋氏が本拠としていたお城で羽柴秀吉の播磨攻めで落城したと伝わるお城だが意外に大きくて意外なくらい技巧に富んでいる。主郭に至る曲がりくねった城内通路など、なんだか東国の土の城を見ているかのようだ。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

“あさだ”として,“あさだ”は見過ごせない。 (2022/06/10 訪問)

漢字表記は違いますが,“あさだ”の陣屋はスルーできず。伊丹空港からモノレールで1駅。蛍池駅からすぐです。
陣屋と同じ並びの角に「PANDESS」というパン屋さんがありました。食パンを購入しましたが,モチモチでとてもおいしかったです。ドススメです。食べごたえもあり,2食に分けて食べました。

にのまるさん,ありがとうございます。さすが,角牟礼城はすぐに出ましたね。
古渡川柳も記憶していてくださり,感謝申し上げます。誰も気にしていなかったと思ってました…。
「富士山が 山城だったら 登るのに」にくらべたら,全然地味だし。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

4/12城目 (2022/05/20 訪問)

姫池通側の小さな入口から登城しました。ちょっとした山道ですが階段が設えられていて安心です。
視界がひらけ現れたのは昭和初期建造のレトロモダンな旧昭和塾堂。道の反対側の養心館も時代を感じる建物です。このあたりは末森城の二の丸にあたるそうです。そのまま坂を登ると豊玉稲荷社、そして本丸跡に建つ城山八幡宮。城址碑のほかに本丸跡、空堀跡の案内が建っていました。
境内の案内図ではわさわさの緑の空堀に囲まれ、城址らしさがにじみ出ています。女坂沿いの空堀を見てみました。深い緑が生い茂っていましたが本丸をぐるりと囲む空堀は健在。町なかでこの規模の空堀を見られるのは驚きでした。
織田信秀終焉の地、インプット完了です。
一の鳥居を潜って広小路線方面に出て、次の目的地、星崎城に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

higekam

本丸石垣! (2022/06/10 訪問)

長曾我部と羽柴が激突した城。勝利した羽柴が築いた本丸石垣は実際に見ると荒々しく見事。
一部通行止めのようでぐるりとまわれなかったが、四方を見ることが出来、満足。
帰路で土づくりの小倉丸も見たが土塁がなかなかのもの。蔭滝を鎖で下るといういつもとは違う楽しみもあった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

よく掘りましたね2:大村城 鹿児島県薩摩川内市 (2020/01/13 訪問)

今回の良く掘った城跡は鹿児島県薩摩川内市にある大村城です。ここも遺構がワイルドで削りっぱなしの雑な城跡です。

大手口から10mも歩くと巾と高さのある堀切道に圧倒されます。左は2郭、右は高土塁というとりまさに城塁です、高さは10mをゆうに超えています。これが外部からの目隠しの役目を担ってます。よく500年残ったものですね。曲輪を遮断するように4.5本程度高さが10mを超える程の堀切が入っています。が、城内は倒竹で思うように進めません、堀切は竹を片付けながら降りてはよじ登るを繰り返しました。南側には横堀が長い距離に渡ってありますが倒竹で綺麗な写真は撮る事が出来ませんでした。滞在時間2時間15分:距離1.8km:累計高低差202m。ですが体感距離は5km程度あったように感じる程です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

higekam

1350年前に築かれたとは思えないほど (2022/06/11 訪問)

大野城、鬼の城と同類の城は見てきたがこの城門は凄い。
中国の侵略を迎え撃ち、あるいは畿内上陸の背後をつく一大拠点?
この石垣技術が初期の山城から採用されていたら日本の城はどうなっていただろう。

+ 続きを読む

ページ870