しょうらくじじょう

勝楽寺城

滋賀県犬上郡

別名 : 勝楽寺山城、正楽寺城
旧国名 : 近江

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佐々木道誉 (2022/12/15 訪問)

 勝楽寺から登城路が整備されています。といってもトラロープが張られている所もあり、歩きにくい所もありました。尾根に曲輪を配置した縄張りですが堀切などはないように思われます。主郭の案内板を見ると「ところどころに縦堀りがあり、全国的に珍しい「うね状縦掘り山城」として、、」と書いてありました。畝状竪堀がどこにあるのか探してみましたがわかりませんでした。主郭の南面と北面には多くは崩れていますが、石垣がみられます。勝楽寺の山門は勝楽寺城の上藹屋敷の城門を移築したものと伝わっています。
勝楽寺には佐々木道誉の墓があります。

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おっちゃん

正楽寺山ハイキングコース案内 (2017/12/29 訪問)

現地案内板より抜粋。

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ぴーかる

勝楽寺城 (2022/03/12 訪問)

【勝楽寺城】
<駐車場他>勝楽寺前の駐車スペース
<交通手段>車

<見所>竪堀・石垣
<感想>勝楽寺城は室町幕府の樹立後の1337年、6か国守護となった佐々木道誉(京極高氏)が築城されたとされます。佐々木道誉は以降没するまでここを本拠地としており勝楽寺に墓碑があります。
 登山道は勝楽寺を入った右手にハイキングコースの案内板があり、石仏群の奥のゲートを開けて入ります。城跡までの途中に経塚や狐塚があります。城跡は南北にはしる細尾根上に連なる連郭式で南端に上ろう落としと言われる曲輪があります。この曲輪は眺望が良いです。上ろう落としの曲輪の北側尾根の西斜面には数条の竪堀が見られます。また主郭と大きい曲輪には堀切と西側斜面にかけていい竪堀が施されています。主郭は南全面と東西の隅および北側虎口から東側にかけてが石垣だったようで南面にはよく残されています。南と北の虎口付近には巨石が転がっており巨石造りの虎口だったことを思わせます。主郭の石垣は南面によく残っており、東南隅、西南隅付近にまでかけて石垣があったようです。主郭南面の石垣とその下に続く谷を利用した切岸とで見応えがあります。麓の勝楽寺の井戸の説明板に信長の攻撃を受けたとの記述があったので石垣遺構は戦国時代のものかもしれません。

<満足度>◆◆◇

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湖東平野を見渡す立地 (2020/12/05 訪問)

犬上川が湖東平野に作った扇状地の要に近い、南から伸びた尾根上にある。麓に佐々木道誉の墓がある勝楽寺あり、「道誉の郷」をアピール。
郭は、痩せ尾根に並んでおり、鞍部を挟んで、北側のⅠ〜Ⅲ郭群と、南側のⅣ〜Ⅷ郭群がある。勝楽寺脇から登っていくと、鞍部に至る。南北朝時代の築城ながら、Ⅲ郭周囲には低い石垣がある。この山体は、湖東カルデラ噴火の際にできた、流紋岩からできており、Ⅲ郭には流紋岩の露頭があって、石が現地調達できる。
扇状地の要だけあって、登城途中の狐塚や南端の上ろう落としからの眺望はとても良い。北西に彦根城が見えた。
山頂の説明板には、畝状縦堀ありと紹介されているが、「その後の調査で自然地形の誤認であった」との文献あり。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 高築豊後守
築城年 応安元年(1368)
主な城主 高築豊後守、多賀豊後守
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀(畝状竪堀群)
再建造物 説明板
住所 滋賀県犬上郡甲良町正楽寺、多賀町