【勝楽寺城】
<駐車場他>勝楽寺前の駐車スペース
<交通手段>車
<見所>竪堀・石垣
<感想>勝楽寺城は室町幕府の樹立後の1337年、6か国守護となった佐々木道誉(京極高氏)が築城されたとされます。佐々木道誉は以降没するまでここを本拠地としており勝楽寺に墓碑があります。
登山道は勝楽寺を入った右手にハイキングコースの案内板があり、石仏群の奥のゲートを開けて入ります。城跡までの途中に経塚や狐塚があります。城跡は南北にはしる細尾根上に連なる連郭式で南端に上ろう落としと言われる曲輪があります。この曲輪は眺望が良いです。上ろう落としの曲輪の北側尾根の西斜面には数条の竪堀が見られます。また主郭と大きい曲輪には堀切と西側斜面にかけていい竪堀が施されています。主郭は南全面と東西の隅および北側虎口から東側にかけてが石垣だったようで南面にはよく残されています。南と北の虎口付近には巨石が転がっており巨石造りの虎口だったことを思わせます。主郭の石垣は南面によく残っており、東南隅、西南隅付近にまでかけて石垣があったようです。主郭南面の石垣とその下に続く谷を利用した切岸とで見応えがあります。麓の勝楽寺の井戸の説明板に信長の攻撃を受けたとの記述があったので石垣遺構は戦国時代のものかもしれません。
<満足度>◆◆◇
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