しょうらくじじょう

勝楽寺城

滋賀県犬上郡

別名 : 勝楽寺山城、正楽寺城
旧国名 : 近江

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①一郭
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昌官忠

(東海&関西)遠征5日目:勝楽寺城 (2025/05/19 訪問)

高室山城から車で15分くらいで、勝楽寺池横空スペース(35.194283、136.288091)に着きました。

勝楽寺城は南北朝期の婆沙羅大名・京極高氏(佐々木道誉)の命により高築(高筑)豊後守によって築かれた城です。
戦国時代には多賀豊後守が居城していましたが、織田信長に攻められ、廃城となりました。
現在城址はハイキングコースとして整備されています。また、山麓にある勝楽寺は道誉の菩提寺として有名です。

近江の山城では珍しい畝状竪堀群や石垣、礎石などの遺構を確認することができるようですが、レンタカー返却の時間がせまっていた為、早めに撤退しました。
攻城時間は60分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に行く為、米原駅でレンタカーを返却し、米原駅から電車でびわ湖浜大津駅に向かいました。
歩行歩数=30644歩、歩行距離=21.5Kmです。

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佐々木道誉 (2022/12/15 訪問)

 勝楽寺から登城路が整備されています。といってもトラロープが張られている所もあり、歩きにくい所もありました。尾根に曲輪を配置した縄張りですが堀切などはないように思われます。主郭の案内板を見ると「ところどころに縦堀りがあり、全国的に珍しい「うね状縦掘り山城」として、、」と書いてありました。畝状竪堀がどこにあるのか探してみましたがわかりませんでした。主郭の南面と北面には多くは崩れていますが、石垣がみられます。勝楽寺の山門は勝楽寺城の上藹屋敷の城門を移築したものと伝わっています。
勝楽寺には佐々木道誉の墓があります。

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おっちゃん

正楽寺山ハイキングコース案内 (2017/12/29 訪問)

現地案内板より抜粋。

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ぴーかる

勝楽寺城 (2022/03/12 訪問)

【勝楽寺城】
<駐車場他>勝楽寺前の駐車スペース
<交通手段>車

<見所>竪堀・石垣
<感想>勝楽寺城は室町幕府の樹立後の1337年、6か国守護となった佐々木道誉(京極高氏)が築城されたとされます。佐々木道誉は以降没するまでここを本拠地としており勝楽寺に墓碑があります。
 登山道は勝楽寺を入った右手にハイキングコースの案内板があり、石仏群の奥のゲートを開けて入ります。城跡までの途中に経塚や狐塚があります。城跡は南北にはしる細尾根上に連なる連郭式で南端に上ろう落としと言われる曲輪があります。この曲輪は眺望が良いです。上ろう落としの曲輪の北側尾根の西斜面には数条の竪堀が見られます。また主郭と大きい曲輪には堀切と西側斜面にかけていい竪堀が施されています。主郭は南全面と東西の隅および北側虎口から東側にかけてが石垣だったようで南面にはよく残されています。南と北の虎口付近には巨石が転がっており巨石造りの虎口だったことを思わせます。主郭の石垣は南面によく残っており、東南隅、西南隅付近にまでかけて石垣があったようです。主郭南面の石垣とその下に続く谷を利用した切岸とで見応えがあります。麓の勝楽寺の井戸の説明板に信長の攻撃を受けたとの記述があったので石垣遺構は戦国時代のものかもしれません。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 高築豊後守
築城年 応安元年(1368)
主な城主 高築豊後守、多賀豊後守
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀(畝状竪堀群)
再建造物 説明板
住所 滋賀県犬上郡甲良町正楽寺、多賀町