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彩の国武蔵野守

土塁と櫓 (2020/11/14 訪問)

本丸の土塁と櫓が残っていてお城の雰囲気は感じられます。

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ぴちょまる

鶴ヶ城 桜まつり (2022/04/16 訪問)

震災の後、新幹線がなんとか復旧したので、会津若松へ。
ところが、えきねっとがGWの予約も同時に再開したので、システムビジーでアクセス不能に。
駅に走って指定席券売機で購入することでなんとか。
今年の東北地方は全般的に染井吉野の開花が昨年並みに早まるなか、会津若松は例年通りぐらいで遅めの印象。

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彩の国武蔵野守

真田の里 (2020/11/07 訪問)

現在は城の面影は少なく、沼田公園として沼田のシンボリックな場所になっていて、城下に広がる沼田の街も眺められます。
駐車場に隣接して観光案内所があり、沼田城の模型が展示されていました。

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ばばよ

居館ではなく、やはり城 (2022/04/30 訪問)

地図ではわかりませんが、甲府駅方面からはダラダラとした坂を登っていきます。
電動アシストのレンタサイクルでも多少疲れが出ます。
この道程に甲府の人の武田愛をビシビシ感じます。

神社に行く意識ですと城らしさは感じにくいですが、旧大手門や西曲輪-味噌曲輪間には土橋や土塁、堀など守りを意識した城の体裁を確認することができます。

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ぴちょまる

霧に包まれる福知山城から由良川越し (2021/11/28 訪問)

宿泊したホテルから、霧に包まれている福知山城が見え、早朝からテンションが上がる。
その後は良く晴れ、レンタサイクルで走る廻る。
パワーアシスト付きの自転車がおすすめで、明智堤や由良川越しからの撮影スポットにも難なく行くことができる。

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ぴちょまる

福知山城 (2021/11/27 訪問)

麒麟がくる の時に行きたかった城の一つ。
着いた日は雨が降ったり止んだりの繰り返しで、目まぐるしく天気が変わる日だったので、途中雨宿りしながらの登城。

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ぴちょまる

朝霧に包まれる鶴ヶ城 (2021/11/14 訪問)

早朝の天気予報が曇りだったので、早朝撮影を諦めようとしたらかなりの霧が発生していることがわかり、再び鶴ヶ城へ。
青い光が滲む朝霧は、静けさを感じる。

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彩の国武蔵野守

国宝・世界遺産 (2020/10/11 訪問)

日本の城の最高峰と言っても過言ではないです。
白鷺城の名のとおりの圧倒的な美しさ。
自分を見初め、また主君の孫娘でもある千姫を愛した本田忠刻。300年余を経て、姫路城には2人の想いが込められている様です。
楽しみの一つの御城印ですが、常時はなく、何かの企画があるときに特別に販売するのだそうです。
そんなぁ〜😭

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刑部

早朝に攻城! (2022/04/30 訪問)

所々見所がある城址です。駐車場から少し登るだけで遺構が次々現れます、本丸までは15分あれば行けますが私の場合曲輪や遺構が有れば直ぐに寄り道更に何か無いかと隅から隅へとウロウロするタイプです。なので時間がかかります!

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T-Shionoya

畝畝畝堀の河村城 (2022/04/10 訪問)

先月は畝堀が見れるという神奈川県山北町の河村城を訪問。

足柄平野の北端、比高約150mの浅間山の西尾根に築かれた山城で、南には酒匂川。
現在と違い江戸中期までは、皆瀬川が山の北側を流れていたという要害の地。
また酒匂川(静岡側は鮎沢川)沿いの相模と駿河の往来を監視する役割の城でした。

平安末期に河村氏が築いたとされますが、当時は麓の城だったかもしれません。
室町以降は関東管領山内上杉氏、小田原領主の大森氏、北条氏に従属する城となり、北条時代に武田に備えた改修を実施。
その遺構が現在、河村城址歴史公園として整備されています。

訪問時は駐車場の馬違戸から入城。
本城郭まではほぼ平坦ですが、3つの堀切が行く手を阻み、特に近藤郭と蔵郭間の畝堀は超巨大。
更に見所は本城郭北側の2本の畝堀にあり、茶臼郭からのカメラに納まり切らない光景は必見。

残念だったのは富士山のほとんどが隠れてしまう立地条件。
堀切のみの城ですが、それで充分な河村城が私の城巡りの122城目となりました。

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キクリン

(2022/05/06 訪問)

今年中に現存十二天守に行きたいと思い行って来ました。
自宅から弘前城駐車場まで610km京都に行くのと同じ距離でした。次回は桜が満開で天守が元の位置に戻ったら、行きたいです。

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ぴーかる

小島城 (2022/04/09 訪問)

【小島城】
<駐車場他>駐車場あり<35.473157, 136.497600>5台程度。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・竪堀
<感想>小島城の築城者、築城年代は定かではないが鎌倉時代かと思われます。現在残る遺構は南北朝時代に守護大名の土岐頼康が改修したものです。1390年に土岐康行の乱で小島城は室町幕府軍に攻められ、落城しその後廃城となりました。
 まず駐車場の城跡入口横に後世のものかもわかりませんが石垣が見られます。駐車場から上臈谷菩薩公園までは整備された道で、山手側に大竪堀が見られます。縄張りは最高所の物見曲輪を頂点として南斜面にピラミッド状に広がる形状に曲輪を配しています。東側は竪堀付きの断崖、西側も急斜面になっています。相当な数の曲輪があるようで曲輪に番号札が置かれていますが城跡内は未整備箇所も多く道がロストぎみなのと進入不可能な曲輪もあるようです。曲輪C09には大きく石垣が残存しており、傍に大竪堀がありかなり見応えあります。その上段の曲輪周辺にも石垣跡が多数見られます。曲輪C04には竈門跡のような方形の石組遺構が見られます。最高所の物見曲輪の下3段程が広い曲輪になっていて2段目の転落石の多い曲輪が主郭のように思いました。最高所の物見曲輪は小さく、その北の山手側にある土橋までが城跡です。土橋から山の山頂へ道が続いていたので20分程さらに登りましたが何も無かったので。
 相当な石垣と巨大竪堀を南北朝時代に築造していた土岐氏は高い築城レベルを持っていたことが分かり勉強になりました。見応えある城跡です。

<満足度>◆◆◆

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ぴーかる

【城と看板】

読め・・・・・・ます、はい。

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ぴーかる

【城と看板】

長いわ!
それに文章の内容難しくて入ってこんわ!

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ぴちょまる

鶴ヶ城 (2021/11/13 訪問)

紅葉を観に、というより美味しいものを食べに行くところとして、会津若松を選択。

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零汰

終活1残雪:100城・続100・100名道、城郭巡りの記録 4・5日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡らないとダメなのか?そんな疑問と残雪を求めて名道を走る4・5目

3日目(20日)
本日は終日ライダーの日、甲府から本日の宿泊地の前橋に向かうのに、富士五湖・バイク乗りに認知度の高い道志みちと奥多摩周遊道路・大菩薩ライン・国道141号・コスモス街道から前橋に至る遠回りのルートを走行し到着。前日まで八王子城を経由して幾つかの城郭の攻城にするか悩んだが、今回は残雪欲が勝ってしまい八ヶ岳方面をチョイスし残雪を堪能した。

20歳の時は静岡に住んでいて、寮で大河ドラマ「真田太平記」の総集編を見て影響され、清水から見延を抜けて甲府経由で上田城を見に行った事を思い出す。意識して城郭に足が向かったのは初めての事だった。上田城責での丹波哲郎の「まだまだ~」「まだまだ~」の場面が今でも忘れられない。丹波さんは生前、霊界を彷徨わなければ渋い役者さんでしたよね。因みに大河は20数年見ていません。

4日目(21日)
前橋のホテルを5時に出て国道122号でいろは坂を目指す、早朝で車はほとんど無く川沿いの雰囲気が良かった。中禅寺湖、戦場ヶ原を抜け湯本温泉。この周辺は残雪が美しい。赤城山に向かうのに金精道路を通りたかったが冬季閉鎖の為に引き返し、いろは坂の下りを通り来た道を通る。赤城道路を南から登り沼田城を目指す。赤城道路の特徴は路面のウネウネ、城郭のウネウネを見るのは心地よいですが、路面のウネウネはいけませんな。

沼田城・・・思いの外公園化していた。一部石垣が残り空堀も見ることが出来る。真田氏なんですね。
名胡桃城・・さほど広く無いが整備されていいる城郭でした。こちらも真田氏ですか。
岩櫃城・・・今回初めての山城で気が高ぶる。うん・・・山城だ。こちらも真田氏ですか?今日は真田氏三昧の日なんですね。

本日は前橋のホテルに連泊、榛名山を抜けて帰るつもりが道を間違え北軽井沢に出てしまう。まぁ、浅間山、多分浅間山の残雪を思いがけず見ることが出来たのOKとした。本日は2℃~24℃と気温差の激しい日でした。冬・春ジャケットを着込み脱ぎ、冬・春・夏と3種類のグローブを使い分けた日となりました。この先バイクは年を取ると厳しくなるな、そう感じる日でした。

3城共100城・続100城です、詳細は諸先輩方の投稿をご覧ください。

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彩の国武蔵野守

烏城 (2020/10/10 訪問)

後楽園から見上げる黒の城壁。
美しさ、迫力共に文句なしです。

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城好きのメガネ

「敦賀城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
敦賀城は、蜂屋頼隆が敦賀の地に入り三層の天守を築城したとされる。しかし、蜂屋頼隆が九州征伐の際に病死したため、大谷吉継が入城したとされる。大谷吉継は水運を利用して大改修を行う。関ヶ原の戦いには、西軍に属し奮戦するも敗北、自刃し所領は没収された。越前に入った結城秀康によって城代が置かれたが、一国一城令に伴い廃城、破却される。現在、移築門が遺されている。

<アクセス>
JR敦賀駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「金ヶ崎城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
金ヶ崎城は、後醍醐天皇の皇子である恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城する。難攻不落の名城と名高い・金ヶ崎城を力攻めすることが困難なため足利方の斯波高経らの軍勢に兵糧攻めにされる。新田義貞らは、再起を図るため闇夜に密かに脱出し、体勢を立て直すが、金ヶ崎城を救援しようとするも足利方に阻まれる。足利方の総攻撃により尊良親王、新田義顕(義貞の嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛され落城する。戦国時代には、越前・朝倉氏の支配下に入る。織田信長による越前侵攻の際に、天筒山城を失うが、盟友・浅井長政が離反する。織田信長は木下藤吉郎らに殿を任せ、京に撤退する。朝倉氏の滅亡に伴い廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR敦賀駅 徒歩35分

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城好きのメガネ

「天筒山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
天筒山城は、金ヶ崎城の支城で、越前・朝倉氏の支配下であった。織田信長による越前侵攻の際に落城する。織田勢が金ヶ崎城に攻め寄せるも、浅井長政の離反により退却を迫られ、「金ヶ崎の退き口」につながる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR敦賀駅 徒歩35分

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