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TMN97

品川台場 (2020/12/04 訪問)

品川台場

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ひより

ソラに映えます (2020/11/29 訪問)

ぶらりと立ち寄ったお城、景色が良いでした。

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相都街道

自身50城目 二条城 (2020/12/02 訪問)

城びと自身50城目として京都府唯一の日本100名城「二条城」を訪問しました。人もそれほど多くなく、じっくり静かに見て回る事ができました。

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カズサン

群郭式山城意外と登城はキツイ (2020/11/22 訪問)

 鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻りにリストアップし第4弾4城目、新富町のビジネスホテルを7時半に発ち国道10号線を南下県道44号線池内交差点を南下し道端に案内看板有りここより入り万願寺口のの登城路へ、(ナビは宮崎県宮崎市池内町寺迫1600に合わせGoogleMap微調整)車は入口の駐車エリアに停める。専用駐車場かどうかは分かりませんが結構広く当日日曜日で他に駐車無し。
 宮崎城は宮崎県の城として城郭雑誌、ネットに宮崎県ベスト10に入って居り以前から認識はしてたのですが山城土の城で宮崎県何回と尋ねる中外してばかり今回初登城しました。
 
 万願寺登城口から築城400年を記念した登城冠木門(結構経年してくたびれてます)を通り道なりになだらかなツズラ折の坂道を登るが比高80mながら結構きつい、本丸と目曳城左右を示す看板に当たり、ここは両曲輪の大堀切、本丸に登る、結構広い、本丸を示す標柱は朽ちて倒れてる、南の彦衛門城への登城路と空堀を見下ろす、本丸を降り大堀切を通り目曳城へ道と一部曲輪は草刈りされてるが殆ど藪や草伸び放題、服部城方向の道へ、昇り降りがきつそうでまた城域が広くここまでとして下城した。
 切り立った断崖、群郭式の南九州型、しっかりと認識しましたが草の茂り、藪化で全体を観るのは至難の業と言わざるを得ないが一部でも拝見できて有り難い。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 2城目 (2020/11/11 訪問)

1城目の鳥取城が案外スルッと2時間ほどで廻れた(山下ノ丸だけ)ので急げば間に合うとやってきた。
湊山公園駐車場に停め、”城山の池”横から登る。(案内板によると登城口は数か所あるようだ。)
ちなみに駐車場がある登り口は、こことテニスコート側らしい。
地元の人の散策路にもなっているようで、キツイ坂でもなく気持ちよく登れる。

前方に石垣が見えたと思った矢先、登り石垣が現れた。
(自宅に帰りついてから調べたら、2015年に発掘調査で確認されたという。  オドロキ!!)
そこにある案内説明を読むと、登り石垣が確認されている城に鳥取城は含まれていない。
午前中の鳥取城の??は解消された訳だが、それならあれはなんと呼ぶものなのか。

内膳丸は二段ほどの低い段差で構成されて伸びる細長い曲輪で、段部分に石垣の平入り門跡がある。
番所曲輪を抜け腰曲輪に出ると、美濃岩村城の六段石垣に似た四段の石垣が圧倒してくる。
小天守台(四重櫓台)よりも高くするために補強の必要があったのだろう。
この石垣は時期や石の産地が異なるようで多彩な積み方を見ることができる。
小天守台(四重櫓台)は幕末に補修されたものらしい。

不思議なことに小天守台(四重櫓台)の隅の天端に石が一つ置かれている。
「忘れ石」といって明治時代の写真にも写っているそうだ。
天守があった時は当然存在せず(だと、思う)、その後置かれたわけだろうから何かのオマジナイの
意味があるのだろうか。  鬼門の方角ではないし。
天守から向かって大山の方向にあるので、大山の神に捧げものを置く台の役目か?  ナンテネ。

腰曲輪を回り込み本丸枡形虎口へ。  かなり大きな門があったと想像できる枡形である。
外枡形との組み合わせのようにも見えるのだが…。 読み過ぎかなー。
水の手御門の先は別の登り口に出るようだが、今日はパス。

天守台からは360度絶景パノラマ展望で、中海を監視できる絶好のポイントだったのがわかる。
南東にはうっすらと雪化粧の大山、北西には境水道大橋の曲線美がかすんで見える。

石垣とパノラマに十分満足して二の丸方面(テニスコート側)へ下った。
そこそこ広い駐車スペースがありタクシーの運転手さんが休憩していた。
ここにも石垣があるが大きな樹木が根を張り崩したため、無残な枡形となっている。

内膳丸の崖を見上げながら鳥取大学附属病院の間の道を歩いて駐車場に戻る。
車を停めた駐車場には、この道を通って行ったんだっけ、 と 途中で気が付くマヌケぶり。

あとで知ったのだが、近くに旧小原家長屋門があるらしい。 事前調査が不十分だった。

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しろちゃん

相模湾を一望出来る山城 (2020/11/10 訪問)

土肥城は、湯河原市にある山城で、箱根の大観山から湯河原へ続く尾根の城山山頂に築かれた城です。
後北条氏の城巡りだったようです
湯河原は海に面し、標高が563mと言う事でかなりの高低差の城跡です。
以前から土肥城を気にしていましたが、なかなか来るチャンスがなかったのですが、時間の少ない中で、どのルートから登ろうか探り入れた所、
一つ目、湯河原駅からの登城は高低差が厳しいので却下。
二つ目、林道でピクニックランドまで車で行き、そこから登城コースは、林道が狭く交差が難しいので却下。
三つ目、県道75号線椿ラインのバス停、ししどのいわや、から約1.5kmありますが、高低差が少ないことから、このルートでの登城を決めました。
この、ししどのいわやの登城口は、駐車出来るスペースがありました。
駐車場より約25分くらいで本曲輪に到着

本曲輪からの眺めは最高でした

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間④ (2018/10/20 訪問)

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間の4城目は佐賀城です。
100名城スタンプは「佐賀城本丸歴史館受付」で押しました。

佐賀城は鍋島氏の居城として知られています。もともと龍造氏が居城としていた村中城を回収・改築したものだそうです。
現在、城址は佐賀城公園として整備されています。
1874年に起きた「佐賀の乱」で、鯱の門に弾痕が残っていることは有名ですね。

訪問した時、「佐賀維新祭」をやっており、山車を見ることができました。攻城時間は50分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間③ (2018/10/20 訪問)

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間の3城目は吉野ヶ里です。
100名城スタンプは「吉野ヶ里歴史公園東口」で押しました。

吉野ヶ里遺跡は弥生時代の環濠集落で、国内最大規模の遺跡です。
物見櫓や二重も環濠など防御的な性格が強く日本の城郭のはじまりとも言われています。
攻城時間は45分くらいしかなかったので、南内郭と北内郭のみの見学しかできませんでした。(全体の1/10以下)

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イオ

端から端まで見どころ有り (2020/11/21 訪問)

(続き)

八木城は周辺の曲輪群にも見どころ盛りだくさんです。

八木城の北麓、八木春日神社の裏手の登城口からすぐのところに階段状に整地された曲輪群(北屋敷群)があり、堀(通路?)が中央を通り、何故か五輪塔が点在しています。
北屋敷群からつづら折りの登城路を登り、尾根に出たあたりが対面所(大八木但馬)と呼ばれる曲輪群で、西端に土塁と堀切が残り、かつては大手門があって来訪者の取次ぎをしていたと考えられています。
本丸から南側の虎口を出て、ロープを頼りに下りていくと内藤土佐と呼ばれる曲輪があり、さらに南西方向にも小曲輪群が続いていて、縄張図によればその先には長大な竪堀があるようですが、整備された道を見つけられず、またこの日は朝一番の周山城で斜面を滑落しかけているので、行くのはやめておきました。
二の丸から北に下っていくと内藤五郎と呼ばれる曲輪があり、土塁が残っています。さらに北に進むと、その先の北の丸(並河重郎)との間を深い堀切が断ち切り、堀底の内藤五郎側には明智光秀に攻められた際に内藤一族の姫が脱出したと伝わる洞窟(姫の洞窟)があります。
二の丸から烏嶽に至る途中には八木玄蕃と呼ばれる曲輪があり、数段の段曲輪で構成されています。
最西部の烏嶽(内藤法雲)は南北に逆くの字状に曲輪群が連なり、北西の頂部西側には堀切が、南西の頂部南西側には堀切と石垣があります。また、堀切の先にも謎の石積みや石組みの穴(井戸?)が見られるなど、中心部から少々距離はあるものの、足を運ぶだけの価値は充分にありました。

…ということで、端から端まで見どころがある八木城を存分に堪能したのは良かったのですが、この日は周山城と八木城で計6時間以上も山道を歩き回って足の疲労が限界を超えたため、八木城の後は亀山城に行くつもりが、平山城だろうが平城だろうがこれ以上歩きたくない!! と午後2時台に撤退。早々と帰途につきました。東丹波の二大山城は想像以上に手強かったです…。
 

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間② (2018/10/20 訪問)

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間の2城目は大野城です。
100名城スタンプは「福岡県立四王寺県民の森管理事務所」で押しました。

以下、四王寺山史跡マップからの抜粋
◆大野城とは
大野城は天智天皇4(665)年に築城された朝鮮式山城のひとつで、「大野城跡」として国の特別史跡に指定されています。
7世紀の激動する東アジアの情勢の中、663年、唐・新羅連合軍に白村江で大敗を喫した日本は北部九州を中心とした防衛体制を固める為、664年に水城を、良く665年に大野城と基肄城を築造しました。これらの古代山城は、百済の亡命貴族の指揮のもと、朝鮮半島の技術が活かされていることから朝鮮式山城と呼ばれています。

◆土塁・石垣
大野城には尾根に沿って版築土塁が築かれており、総延長は約8Kmにおよび、南北はそれぞれ二重になっています。
また、谷部は石垣を築いて塞ぐ構造になっています。水ノ手石垣・大石垣・屯水石垣・百聞石垣・北石垣・小石垣などが確認されており、なかでも最大規模の百聞石垣は長さが百間(約180m)あり、壮観な眺めを見ることができます。

攻城時間は70分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間① (2018/10/20 訪問)

城びと入会時、「つぶやき」で投稿しましたが、ちゃんとしたメモも写真も残していなかったので再度投稿します。
クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間の1城目は福岡城です。
100名城スタンプは「鴻臚館跡展示館」で押しました。

以下、福岡城散策マップから抜粋
600年の関ケ原の戦いで徳川側の戦勝功労大なりとして、黒田家は豊前中津十二万三千石から五十二万三千石の太守となって筑前の国に移封された。
黒田如水・長政親子は博多湾の中央部にあった福崎の地にに1601年から7年の歳月をかけて800,000㎡(約240,000坪)の広大な平山城を築城した。
今も展望の素晴らしい天守台をはじめ、本丸・二の丸・三の丸と城郭全体の姿を残している。
戦略的に富んだ複雑な石垣の上に、応時、四十七櫓と十指に及ぶ諸門があった。天守閣については存在しなかったという説があったが、近年最初の10数年間存在したという説がでている。

草ヶ江の入り江を利用した大堀を含めた内堀を周囲にめぐらせ、さらに北は博多湾、南は赤坂山で守られている。
鶴が羽を広げた形に似ていることから、別名、舞鶴城とも言われ、同時に東西7キロ、南北3キロの広大な城下町が建設され、この地福岡の地名も誕生した。攻城時間は70分くらいでした。

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todo94

メインディッシュの前に② (2020/11/07 訪問)

大桑城攻城の前にもうひとつ、高富陣屋にも立ち寄っていきました。公民館とおぼしき美里会館の前に「陣屋の跡」と記された石碑が建っていました。

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赤い城

牛久沼に臨む (2020/11/28 訪問)

牛久駅から徒歩で30分少々。
牛久沼に臨む半島状の台地にあります。
東林寺の裏から登城、すぐに二郭の空堀があります。
かなり深い。
主郭部は畑で私有地ですが通路を歩くことができます。
主郭の土塁も一部残っていますが藪となっていました。
ここから河童伝説がある牛久沼を見渡せます。

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ぴーかる

感状山城 (2020/11/03 訪問)

【感状山城】
<駐車場他>瓜生羅漢峡入口南北2箇所無料あり。
<交通手段>車

<見所>羅漢石仏・礎石建物跡・曲輪・石垣・大手門跡
<感想>この日のメイン、感状山城。以前から行ってみたかった城跡で、涼しくなって早速攻城した。感状山城は築城年代は定かではなく、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築かれたとも、南北朝時代に赤松円心の三男赤松則祐によって築かれた説がある。南北朝時代、新田義貞の軍勢を赤松円心が白旗城、赤松則祐が感状山城に立て籠もり50余日にわたり足止めをした結果の功績により足利尊氏が,赤松則祐に感状を与えたことから感状山と呼ばれるようになったといわれている。総石垣による曲輪の構造で、戦国時代に宇喜多氏によって改修されたものではないかという説もあります。

 羅漢峡入口の山道から少し進むと分岐右手方向が感状山城の登城口、直進少し進むと巨石群と瓜生羅漢石仏があります。先に羅漢石仏を見学、この石仏は誰がいつ彫ったものか定かではなく諸説あって謎めいている。江戸時代の書物には五百羅漢の記述があり、現存20体より沢山の石仏があったようです。石仏が安置されている周辺は巨石群になっていて、巨石の通路やうそつきが通ると崩れるといわれる巨石のトンネルがあります。お城とは関係ないかもしれないが、序盤から自分好みの巨石と石仏で興奮しました。お勧めです。

 城跡の登山道約500mの半分はつづら折りの山道、整備された階段になっていて所々の曲がり部分に石垣遺構が見られます。半分途中に大手道方向と物見台~本曲輪方向に行く分岐に分かれますが、先に本曲輪に行く方を選びました。大手道・大手門跡はⅢ曲輪からも以前は行けたようですが、現在は通行止めになっていてこの分岐からしか行けませんので注意です。登山道の残り半分は岩場になっており少し体力必要です。登りきった尾根状にまず物見岩にたどり着きます。物見岩は巨石群の集まりになっていて、白旗城で見た物見岩の曲輪と似た光景でした。物見岩の先にⅢ曲輪と出曲輪があります。ここもかつては総石垣であったようで、今はわずかに曲輪の輪郭に石垣遺構が見られほとんどが崩落してしまったようです。Ⅲ曲輪から先は鉄パイプで組まれた足場の階段と滑落注意の細い岩場を100m程登ると南の曲輪群(連郭)の中間辺りに出ますので一旦最下段まで降りてみると良いかと思います。下から見上げる石垣は圧巻です。また最下段の曲輪には石垣の虎口遺構もあります。南の曲輪群はすべての曲輪の法面に石垣が施されていて見応えあります。南の曲輪群を登りきるとⅡ曲輪に出ます。Ⅱ曲輪も総石垣で東側は木々でよく分かりませんが西側は見事な石垣遺構が見られます。Ⅱ曲輪と繋がるような形で北側上段に本曲輪があります。本曲輪にも石垣が取巻いていたようで、今はだいぶ崩落して巨石石垣が一部残っています。本曲輪には礎石建物跡も見られます。本曲輪から北西方向に北の曲輪群(連郭)があります。ここは山林になっており、石垣遺構は肉眼では見られませんでした。落葉や土の堆積で隠れてしまっているのかもしれません。ここには倉庫跡の曲輪もあります。最後に下山途中で大手道・大手門跡を見に行った。だいぶ疲労していて行くかやめるか一瞬躊躇しましたが、見れる遺構はすべて見る意志で頑張って行きました。自分では一番の見所、推しポイントで先に見に行くと良いでしょう。大手道は法面から崩落したかなりの数の巨石で埋まっていますが、かつて大手道山側法面は大規模な石垣であったことが良く分かります。大手門跡は石段と両脇の石垣が明確に残る虎口跡で中世以前の雰囲気が漂う見所ある場所でした。

 みたところ大規模な見事な造り、総石垣の城でやはり持城期間の長かった赤松氏が時間をかけて築いた石垣であったと思いたい。巨石・謎の石仏・山城の石垣と自分好みが3つも揃った大満足の城跡でした。続百名城に負けていない。

<満足度>◆◆◆

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ふゆづき

織田家の末裔 (2020/11/21 訪問)

織田家の末裔が築いた柏原陣屋を訪問しました。
JR.柏原駅から徒歩10分かからないところに所在します。駅を降りると織田家の木瓜が記された飾りをあちらこちらにみることができます。
小藩であったため、陣屋で執務していたようですが、現存するのは往時の1/5の大きさとのことです。
陣屋の前には長屋門があり、唐様式の御殿の玄関と併せて往時を偲ばせてくれます。
陣屋から少し離れた処には太鼓櫓(商店街の中にあり、注意しないと見逃しそうです)と織田神社(観光案内所の前)がありますので、訪問するのを忘れないようにしてください。
陣屋と太鼓櫓だけならゆっくり見学して1時間少々というところだと思いますが、八幡宮をまわるとなるともう少し時間が必要かと思います。

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カズサン

神武天皇東征所縁の地に在る海城 (2020/11/21 訪問)

 中津耶馬渓に在る白米城(平田城)を終えて耶馬渓景観を楽しみながら降りた上毛SICより東九州道を通り日向ICを降りICより約4km程の大御神社駐車場、隣の観光案内所駐車場(宮崎県日向市伊勢ケ浜186)にナビを合わせる。
 今回の鶴丸城御楼門九州未踏の城廻り第3弾伊東氏48城の日知屋城を初登城、駐車場は七五三参り、観光客で両方とも満車、空き1台をやっと確保し駐車出来ました。
 神社駐車場に日知屋城の石碑、案内図が有り遊歩道完備道に沿って、登城門、虎口門、本丸下、柱状節理の岩盤が石垣の様、東の曲輪、同土塁石塁、岬に出て岩礁の絶景を眺める、頂上部の曲輪と東屋、下に降りて本丸へ、もう一度東の曲輪を通って枡形、西の曲輪、堀切、土塁、東屋を通って大御神社参拝。遊歩道がよく整備され案内板も有り探訪しやすい城跡ですが大御神社の方が超有名です。
 大御神社は神武天皇東征の折りに祈願されたと伝聞あり、東征出港はここより南の美々津浜と伝わっています、この神社には君が代に歌われてる日本最大級のさざれ石が祀られてる、神代の時代と柱状節理の奇岩の景勝地です。
 寄りませんでしたが龍神伝説の鵜戸神社が海岸側に在りTV等で放映された岩盤切込逆光の昇り龍が有名です。

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ねりきり

どこから観ても麗しい✨ (2020/11/28 訪問)

紅葉の美しい秋のよく晴れた日に登城してきました。

破風や花頭窓など装飾性の高い天守は、どの角度から観ても見惚れてしまいました。隠し狭間があるなんて、とても想像つきません。
現存する建造物が多い中でも日本で唯一の馬屋もとても良い状態で残っていたり、天秤櫓も威厳があり圧倒されました。

天守同様に見惚れてしまったのがひこにゃん。思ってた以上にゆるくて可愛かったです。毎日、3回も登場するらしく「なんて働き者なんだ!」とそのサービス精神に感銘を受けました。尊いです。

ひこにゃん、博物館、玄宮園とお城以外の見所も多いので所要時間4時間で足りなかったです😅玄宮園は閉園間際に入ってしまったので、日が暮れかけていて天守があまりよく見えなかったです。晴れている日中かライトアップされる夜間に行けば良かったなと反省。


夢京橋キャッスルロードの【政所園】の抹茶ソフトクリームも歩き疲れた体に丁度良いです🍦

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カルビン

村上氏館 [長野県埴科郡坂城町坂城1148] (2015/04/30 訪問)

武田晴信に2度の大敗を与えた村上義清の主城は葛尾城ですが、葛尾城はあくまでも詰めの城。
本拠地となる村上氏館の跡地がその山城の麓・満泉寺になります。

訪問した日、既に砥石城と松尾古城を攻略済で肉体疲労・・・というより高所恐怖症の中の2城攻略による精神疲労で葛尾城にアタック出来る状態では無かった為、せめてもの麓の村上氏館の見学となりましたw

村上氏館としては遺構は残っておりません。
代わりにお寺のところにある周辺マップに満泉寺が村上氏館跡である事が書かれておりました。


ここから南東にちょい行った場所・田町十王堂には村上義清の供養塔があります。

村上義清は武田晴信に追われ長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って領土回復を目指したものの、第四次川中島合戦で重症を負い、この地での復興を諦め、越後の地で亡くなった様です。

猛将も武田晴信の甲州金の利用方法等での調略に開眼された後は一気に落ち目になっていったんですね。。。
(とはいえ村上義清も周辺を治める為に汚い手を何度も使ったようなので、晴信狡し!とは言えなかったでしょうな(汗))


ちなみに葛尾城の本丸近くまで車で行けるのを知ったのはこの後結構時間経ってからでした・・・
が、4WDの軽自動車でなければ結構厳しい林道みたいなので、改めて麓から登るしかないかな・・・(途中に姫城もあるし)

コチラは世間が落ち着いて、体鍛え直してからの挑戦になりそうです(何時になる事やら・・・orz)

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カズサン

景勝地に黒田時代の石垣が残る平山城 (2020/11/21 訪問)

 ここも2年前に台風24号の襲来で登城を諦めた処、ここの城の認識は城郭放浪記さん毎月放浪履歴で紹介が2018年8月に有り黒田官兵衛改修石垣が残ってるの情報にて登城しなくてはと2年前の北九州未踏城廻りにリストアップした所以。
 豊前松山城から東九州道で上毛SIC降り山国川沿いの国道212号線を日田方面へ耶馬渓の景勝地を走行し有名な青の洞門、奇岩絶景を見ながらの走行でした、石橋の馬溪橋辺りから城跡が見え沿道には平田城の幟旗が城跡まで連なってる。
 車は東麓登城口の駐車場を利用、トイレ完備、10台は可能、ナビは駐車場(大分県中津市耶馬渓町大字平田948-2)に合わせるがGoogleMap航空写真で微調整して下さい。
 平田城のパンフレットは本丸東屋の資料設置箱に有りました、本丸には忠霊塔が立ってます、本丸周囲に黒田氏時代の石垣が残ってます、本丸の在る南台と、谷を挟んで北台の曲輪群が南台より大規模、フェンスが張られてひれない様子、谷道を歩きながら北台の曲輪群の稜線が杉林間に見え一部石垣も目ます。一部しか公開されてませんが素晴らしい構造と遺跡が大切にされてます見応え充分です。
 本丸の南東部に山国川を挟んで耶馬渓の奇岩「名勝耶馬渓、立留りの景」が眼前に迫って来ます、山国川には石橋の馬渓橋と名勝真っ只中と言う感有り。
 歴史的には長岩城主野仲氏の領有で戦国期平田掃部介の居城、天正16年(1588年)黒田官兵衛豊前を拝領し豊前の諸城を抑え長岩城攻めに戦功の有った栗山備後利安に平田城を与えた、黒田騒動の栗山大善が生まれた城としても有名。(パンフレット抜粋)
 平田城は最近の呼称で以前は白米城(マッタケジョウ)と呼ばれていたそうです。

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ふゆづき

蒼空に吸い込まれる城塞 (2020/11/29 訪問)

熊本を訪問したついでに豊後竹田の岡城址を訪問しました。
熊本市内から阿蘇を横目に車で約2時間といったところだと思います。
地震の影響で、途中で一部迂回しなければならない道もありますが、復興のため無料化されている自動車道もあり、山道とは思えない総じて快適な道のりです。

訪問した当日は天気が良く、入城口前の駐車場に車を止めて、城郭を心ゆくまで見ることができました。
通常とおり、大手門方面から登城。欧州の城塔を思わせるような大手門の石垣を通過し、西の丸を横目に見ながら、三の丸、二の丸を経由して本丸に到達しましたが、印象的なのは、西の丸を少し越えた辺りから、谷を挟んで本丸側を見た風景です。
この風景に現れる太鼓櫓・鐘櫓の石垣を初めとした石壁が連なる様は圧巻です。
また三の丸・二の丸の高石垣もどうやってこのような足場を組んだのかと感じるものです。
本丸からは、搦め手の下原門まで行き、西の丸方面い引き返し、家老屋敷跡を見てから大手門経由で戻りましたが、滞在時間は約3時間であり、その強大な城郭には本当に圧倒される思いでした。

最近、兵庫の竹田城、奈良の高取城といった定評のある山城を訪問したばかりでしたが、これらの城と比較してもこの城の強大さは印象的であり、最強の城に選出されたことは伊達ではないと思わされました。
山城好きは訪問して損は無いと感じた一日でした。

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