当時の門が何度か修復しているのでしょうが現存しています。
小学校の周りには土塁も残っています。
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2020/12/19 21:01
2020/12/19 20:48
天領久美浜代官所 (2020/11/29 訪問)
豊岡城、京極陣屋を終えて北東約10km程の久美浜陣屋を目指す、今回の九州未踏の城廻り累計39城目、ナビは久美浜小学校校門(京都府京丹後市久美浜町3366)に合わせ走行、駐車場は有りません丁度日曜日で職員駐車場が浜側に空いてましたので利用させて頂きました、車は久美浜公園駐車場が宜しいかと約500m程離れてます。
遺構は小学校前に在る陣屋橋、堀、表に在る説明板、校庭裏に在る城山が松倉城(久美浜城)跡です、北側は久美浜湾で日本海に繋がってまおり風光明媚な景観です、町屋が残り城下町の風情が良く残ってます。
松倉城には細川氏の武将松井氏が居城、後に細川氏肥後に転封後、松井氏は八代城代として明治まで続く。
代官所は元禄10年(1697年)久美浜に設置、陣屋は大津・京都にあったが享保20年(1735年)陣屋をこの地に移し明治まで続く、天領所領は丹後、但馬7万石であった。現在陣屋門は豊岡図書館の前に薬医門として移設保存されている。
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2020/12/19 20:33
前田利家誕生址の大きな石碑がある城 (2020/12/13 訪問)
あおなみ線 荒子駅には前田利家とまつの銅像があります。
荒子観音寺は、前田家の菩提寺で、利家が修造し、自身の甲冑を寄贈したと云われます。
荒子城跡は冨士大権現天満天神宮となっています。
利家誕生址の石碑があり、これまで見た中でもかなり大きな石碑だと思いました。
ただ、誕生地はこの後に行く同じ中川区の前田城との説もあり、どちらであるか結論は出ていないらしいです。
利家はそろばんが得意だったとも云われ、合格神社でもあるそうです。
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2020/12/19 17:59
三木城開城後まで持ちこたえた別所氏側の城 (2020/12/14 訪問)
城びと先達、ふくちんさんが、巨大な堀切と急峻な切り岸をレポートされているのを読み、行きたい城にノミネート。三木城と織田方の付け城を訪れた後に、別所氏側の淡河城と端谷城を訪問しました。
レポート通りのすごい土木作業量で、別所軍と織田軍の戦いの緊張感を感じました。要所要所に、説明板があり、草刈りもされてよく管理されていました。説明板の写真をアップします。二の丸と本郭には、くぬぎの木があり、繰り返し、椎茸のほだ木に切り取られたのでしょうか、根本が膨らみ、いわゆる山親父になっていました。
本郭から、城主の衣笠氏が治めた谷と、その先の播磨灘が眺望されます。
城の三方を川が侵食し急峻な斜面になっています。櫨川の城側は、狭く、段々の平削地があります。城主と家臣団の屋敷であったと。今でもとても立派で大きな家が建っています。石垣上の白塀も長く、かつてもこんな感じであったかと思わせます。
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2020/12/19 16:55
2020/12/19 16:51
35次発掘調査 (2020/12/19 訪問)
35次発掘調査が行われていました。本丸を囲む堀と石垣の構造や本丸の規模などが確認されたとのことです。
現在(2020年12月)、浜松城天守閣はリニューアル工事を行っていて休館中です。リニューアルオープンは2021年1月1日とのことです。入場券の他に入場整理券が必要となるようです。
天候もよく、季節的には絶好の山城シーズンですが、新型コロナウィルス感染症拡大のため勤務先より感染拡大地域への移動自粛を求められています。というわけで久しぶりに比較的近い浜松城に行って来ました。ここの野面積みの石垣は好きです。
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2020/12/19 12:52
2020/12/19 10:23
鉄筋コンクリート製の模擬天守 (2011/06/01 訪問)
伏見城は1592(文禄元)年8、豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため築かれました。
しかし、地震によって倒壊しため、新たな城が1597(慶長2)年に築き直されました。
秀吉はその2年後に城内で没しました。
関ヶ原の戦いの際には家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが、石田三成派の西軍に攻められて落城し建物の大半が焼失してしまいました。
1602(慶長7)年ごろ家康によってみたび再建されたが、1619(元和5)年に廃城とされた。
明治時代になり、城跡は宮内省の御料地とされ、明治天皇桃山陵、昭憲皇太后桃山東陵となったため、遺構調査も容易ではなく、年代によっては史料が不明な点も多いそうです。
1964(昭和39)年、伏見城花畑跡に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設されました。
やがて、閉園することになりましたが、京都市に贈与され、現在では伏見桃山城運動公園として整備されています。
小高い丘を登っていくと妙に立派な駐車場の門が目に飛び込んできます。
バイク・自転車は無料です。
大天守は姫路城を模したものであり、小天守は彦根城を模して作った全く史実に基づかない鉄筋コンクリート製の模擬天守です。
耐震基準を満たしていないことから模擬天守は内部非公開となっています。
2007年、映画撮影のため東映が約1億円を負担し、装飾を直して大坂城に見立てた改修がなされたそうです。
このため、表からは綺麗に見えるのですが、
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2020/12/19 08:31
伊勢湾沿岸遠征日帰り② (2018/08/07 訪問)
「伊勢湾沿岸遠征日帰り」の2城目は津城です。続100名城スタンプは「高山神社」で押しました。
松坂城から、松阪駅➡津駅➡津駅前から三重交通のバス➡三重会館前で下車➡津城に到着
津市役所にパンフレットがあるとの情報で、津城に行く前に市役所に寄りましたが「模型のパンフレット」しかなく確認したところ、三重県教育文化会館(だったと思います?)にいろんなパンフレットがあると言われました。自分は時間の都合上、行っていませんが、津駅の近くのようなので、時間のある方は寄ってみてはいかがでしょうか。
津城は織田信長の弟である信包の居城として知られています。お市の方とその娘たちが信包とともに伊勢上野城からこの城に移り、お市の方が柴田勝家と再婚するまでの2年間を過ごしたそうです。
江戸時代には藤堂高虎によって近代城郭として大改修され、その後は明治時代まで藤堂氏の居城となりました。
現在は「お城公園、お城西公園」として整備されています。
最大の特徴は最大100mにも及ぶ幅広い内堀と本丸北側に代表される直線的な稜線を持った高石垣だと思います。
城址東側にある丑寅櫓は再建ですが、いい味出しています。攻城時間は60分くらいでした。
帰りは三重会館前から三重交通のバス➡津駅前/津駅➡亀山駅に行き、亀山城に向かいました。
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2020/12/19 07:37
伊勢湾沿岸遠征日帰り① (2018/08/07 訪問)
「伊勢湾沿岸遠征日帰り」の1城目は松坂城です。
100名城スタンプは「松坂市立歴史民俗資料館」で押しました。
自宅最寄り駅から品川➡名古屋➡松阪を経由して松坂城跡(松阪公園)まで4時間30分かけて到着。
松坂城は蒲生氏郷によって築かれた城です。蒲生家に吉祥をもたらす「松」の字と秀吉の本拠地「大坂」の「坂」の字を併せて「松坂」と名づけたようです。
現在は城址公園となっており、穴太衆によって築かれた高石垣が残っています。また、中御門跡などに枡形虎口も見ることができます。周囲には本居宣長記念館や武家長屋の御城版屋敷があります。攻城時間は65分くらいでした。
見学予定時間をオーバし、津城に向かう電車に乗り遅れそうになった為、帰りはタクシーを使いましたが、電車は15分遅れだったと当時のメモに記載していました。
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2020/12/19 07:22
2020/12/19 06:45
2020/12/18 23:57
2020/12/18 20:19
横地城 (2020/11/21 訪問)
【横地城】
<駐車場他>3箇所以上はあるかと。<34.726881, 138.111489><34.725470, 138.113715><34.726399, 138.115227>
<交通手段>レンタカー
<見所>堀切・横堀・曲輪
<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅3城目。この城跡も先に行った勝間田城と同じく戦国期以前の城で武田・徳川とは関係ないとおもわれます。この城は横地氏によって築城されたが築城年代室町時代初期または15世紀半ば頃とも考えられているそうです。北にある勝間田城の勝間田氏と共に今川義忠と対立し、勝間田城と同じく1476年に落城した。
城跡は東の城(本丸)・中城・西の城(二の丸)と千畳敷の曲輪群が東西に分散されており一騎駈けと呼ばれる細い尾根道で結んでいるようです。二の丸より西側にも曲輪が各所に、北西側に詰めの城(現在は茶畑)が存在する。二の丸のすぐ西側にはキンタマ落としと呼ばれる谷があり、谷に金の玉を落として一番最初に拾い戻ってきた者に褒美がもらえる訓練施設があります。二の丸跡には見事な横堀跡が、本丸西側の腰曲輪群は堀切で仕切っていてこの辺りが見応えあります。
<満足度>◆◆◇
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2020/12/18 18:49
2020/12/18 18:44
【聖典:大系】一行書の城郭:秀吉さん、こっち来てたんですね。
寒さでバイクでの城廻りを一旦中止し、鬼神の如き城郭放浪記さんのマネをしながら生活県の城郭巡りを始めたのが去年12月。様々な理由で思うように遠征に行けない年でした。寒さを避ける自分に対しての救済措置でしたが、まさか1年を通して生活県の城郭を廻るようになるとは想像しておらず。それでもコツコツ廻ってみると城郭の地域性や年代によっての特徴の違いなどが朧気ながら分かってきたりしたので無駄ではなかったと。一行書に限って言えば一行で表すにには勿体ない立派な城郭があるので宝探しをいているようでそれはそれで楽しいです。ただ道が・・・、まともな道が少ないのが残念です。年末で写真は随分貯まってきましたので、備忘録を兼ねて11か月振りに投稿します。
一行書に秀吉ゆかりの城郭が5か所、それ以外の資料で1か所有り合計6か所、気が付いたら特定出来ない1か所以外は廻っていたので今回は秀吉ゆかりの一行書きで。(城名の前の数字は一行書の番号です。)
写真1・2 381 太閤陣 (道、駐車スペースあり、高低差40m、往復450m、約15分)
写真3・4 429 猪猫岳 (道なし、高低差45m、往復650m、約40分)
写真5・6 464 猫岳城 (道、駐車スペースあり、高低差125m、往復750m、約45分)
写真7・8 465 鉢巻城 (道の残骸あり、ほぼ直登)
写真9・10 関白陣 (道、駐車スペースあり)
特定できず 342 お茶屋段 (秀吉さんに茶をたてた場所らしいですがこれも城郭に入る?)
城と名の付く場所もありましたが、全体的に短期の為陣程度の扱いだったかと、それでも本丸はすべて平滑に整えられて段郭もあり、うっすらと虎口も確認出来、一部石積も見受けられます。
歴史の教科書を思い出すと、秀吉さんの天下統一は中国攻めまでが詳しく書いてあり、四国九州は確か「四国平定続いて九州平定」で終わっていたような。城郭廻りをするまで島津氏と直接戦いがあったとは知りませんでした。秀吉さん、こっち来てたんですね
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2020/12/18 18:14
2020/12/18 18:09
名残の紅葉 (2020/12/10 訪問)
以前に園部城を訪問したので、小出氏の居城であった出石城にも行ってみたくなり、青春18切符の使用が解禁となる12月10日に訪問しました。
JR山陰本線の豊岡駅からバスで約30分で、城下町に着きます。
この城(藩)を取り巻く歴史を良く解らないまま訪問したのですが、鉄道の駅からこれほどまでに離れているには何らかの理由があると思われました。
出石城の内堀近辺や稲荷神社の参道付近には、まだ名残の紅葉が残っていることが印象的です。
城の構成は、背後にある有子山城を詰めの城として(麓から石垣を遠望できます)、上段から稲荷郭、本丸、二の丸と段々の構成になっていますが、本丸の規模もそれ程大きいものではなく、復元された隅櫓はありますが、天守台はありません。
何となく、城とその周辺の雰囲気が、龍田城(兵庫県:播磨)に似ており、小さな城下町としての雰囲気を残しているように思います。
背後にある有子山城に登らなければ、ゆっくり城跡を見て90分というところかと思います。
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2020/12/18 17:03
神武山公園として整備されてる (2020/11/29 訪問)
鳥取湖山池の近く吉岡温泉に泊まった翌日、コンビニで地域クーポン券を使って昼弁当と土産をゲット、布施に在る実家現在は空き家で兄弟が帰省のたびに使ってるだけですが気に成り様子を見て、新山城をチョイ寄り。
最近部分開通してる無料山陰近畿道を走って見たくも有り但馬の豊岡城を目指しました、東に約70km程、2時間か?山陰海岸国立公園を走っている国道178号線と並行して居り、国道、高速交互の走行、部分に名勝景勝地も有り、高速は滑らかに走り、1時間半で早く到着。
ナビはガイド古城盛衰記さん案内で豊岡図書館(兵庫県豊岡市京町12)の北側駐車場に合わせる、大きな駐車場、トイレは図書館利用。
今回の九州未踏の城廻り累計38城目、豊岡城を初登城、登城前に駐車場でコンビニ弁当を食べて探訪開始、図書館前に豊岡県庁正門、薬医門、以前はこれから行く久美浜陣屋の門だったとか?を見学し、隣の京極家屋敷周囲と屋敷門を眺めて図書館の南に立ちはだかってる神武山、南の道を西に少し行くと神武山公園駐車場(10台位)と登城口が有る、尾根までコンクリの階段が三段折れで本丸下まで、本丸はやや広い西側に天守台の標柱、天守台跡はよく分からない、眺望は良好、西一段下がって笠の丸、萩の丸の標柱は有るが位置不明、本丸の北側崖筋道を通り元の図書館へ。
比高30m程桜の名勝で春は賑やかな事でしょう。
歴史は但馬守護山名氏の本城此隅山城の出城として城崎城築かれた、秀吉の但馬征伐で山名氏が滅ぶと秀吉配下の宮部継潤の支配、宮部氏は城崎を豊岡と改め城を改修、城下を整備これが今の豊岡の基礎と成ってる、江戸時代に入ると杉原氏が城主と成って三代続くが無子改易一旦廃藩廃城、寛文8年(1668年)に京極高盛が入封、神武山の麓に陣屋を築き9代続き明治を迎える。(案内板、古城盛衰記さん抜粋)
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2020/12/18 14:52
布施街道の見張り城郭 (2020/11/29 訪問)
前日鳥取の近くで城びと未投稿の河口城(鳥取県東伯郡湯梨浜町泊)と会下城(鳥取県鳥取市気高町会下)を雨の中訪ねましたがもう一城、新山城(鳥取県鳥取市徳尾)を翌日に訪ねました、今回の九州未踏の城廻り累計37城目。
新山城は帰省の折よく通行してる道筋で布施国体道路と現国道29号線の交差点南西角に在り、崖上には貯水タンクが在り立ち入り禁止地区と成ってる。ここも城跡だったのかと思った次第。
案内板、資料も無く、鳥取市文化財課発行の山陰の城館跡、因幡の山城小冊子にも掲載が無いので、日本城郭全集11鳥取県島根県山口県編人物往来社昭和42年発行より新山城を調べると下記の様。
歴史は天文(1532~54年)の頃布施の因幡守護山名誠通に依り、但馬の山名裕豊との国境抗争で鳥取城と新山城を同時に築いた、布施の本城天神山城を防御する出城、新山城は千代川西の山尾根先端崖上で鳥取、布施の往来が真下に見える見張り砦、定番として家老中村伊豆守を置いた、現在は国体道路、国道29号線開通、貯水タンク設置等で大幅に壊されてるが城址上には城の平、曲輪が有る様です。
今回の探訪は徳尾貯水タンク登り坂、国道29号線と布施国体道路の交差点の南側約100m(国道29号線下り側)程の所に登り坂が有り、車は登り坂に突っ込み路駐、但し坂道の途中にフェンスが有り立ち入り禁止。
坂道を撮影したのみ、北より新山城はの全景を撮ろうと29号線を北に走るが交通量多く路駐できず撮影断念。中途半端に成りました是非次の方の投稿を宜しくお願いします。
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