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小城小次郎

よくぞこれだけ残したものだ (2020/10/17 訪問)

幼稚園の地下に埋もれた(残された)石垣は現地で見ると意外に大きく、地下にあるとは思えない堂々とした佇まい。かつては守護所だったこともある由緒正しき阿波九城。よくぞこれだけ残したものだ。

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上只来バス停より (2020/12/05 訪問)

 場所も明確にわかっていない城址ですが、チャレンジして来ました。上只来のバス停から二俣川にかかる「ただらいばし」を渡り、旧街道の登り口より城址があると思われる峠へ向かいました。登り口はわかりにくく、道も倒木が多く、歩きにくい所も多くありましたが、道は確かにありました。やがてタイヤ痕の残る林道に出ました。本当はこの林道を上って来たかったのですが、登り口がわからず旧街道と思われる道を上がってきました。この城址の位置などを明確に記載した資料を見つけることはできませんでした。場所が明確にわかっていないと思いますが、グーグルマップでは只来城が表示されます。GPSを利用して城址と思われる場所に到達しました。北側から登って来ると峠の左手に削平地が見られ、腰曲輪のような場所がありました。堀切があると書かれたものもありましたが、見つけることはできませんでした。ネット上で訪問された方の写真を見ると、この場所に来られたのではないかと思います。その周辺もしばらく探索しましたが、所々削平地があり城域だったのかもしれないと推察してしました。
参考のしたのは「城びと」のアップされている「カズサン」さん、「姫街道」さんの記事と「武蔵の五遁、あっちへこっちへ」さんのHPです。「カズサン」の記事に「昨年までTVの共同アンテナが山頂に在り麓から有線ケーブルを張ってた」とあり、「武蔵の五遁、あっちへこっちへ」さんの写真ではアンテナが写っている場所があります。今回、同じような場所へ行ったと思うのですがアンテナはありませんでした。
行ったところが本当に城址であったのか確信はありませんが、先に述べたようにグーグルマップの只来城址のある場所には到達したので登録しました。(ときどきグーグルマップは間違っていますけど)帰りはタイヤ痕のある林道を下ってどこから上がれるが確認しようと思いましたが、自分が思っている方向と異なる方向へ伸びていたので来た道を引き返して来ました。

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スティクラ

観音寺城跡→安土城考古博物館→信長の館→安土城跡 (2020/12/05 訪問)

観音寺城跡を下山(観音寺城跡の内容は観音寺城に記載してます)後、安土城考古博物館と信長の館を見学(入館料はセットで900円)。どちらも30分程度で見学できる。信長の館をシアタールームでいろいろと上映しているため、もし興味があれば内容と時間を確認していった方が時間短縮になります。

信長の館から徒歩で15分程で安土城へ。下から見上げる大手道は圧巻の一言。これで天守閣が残っていたらどれほど凄いかと想像してしまう。
黒金門跡の石垣が1つ1つどれも大きい。これも信長の権力を示すためにわざとやったのかな。
大手道は石段はキツかったがそれ以降天守跡まで比較的楽に登れた。天守跡は琵琶湖まで一望でき眺めは抜群。焼失しま天守閣の最上階からだと360°のパノラマの景色は凄かっただろう。
天守跡を見た後は現存する三重塔と二王門をみて、羽柴秀吉邸跡を通り終了。
かかった時間は1時間程度。

また来たいと思う城跡でした。

最後に安土駅にある安土城郭資料館で安土城の御城印を購入して帰宅。

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カズサン

模擬天守の建つ群郭式山城 (2020/11/22 訪問)

 穆佐城を終えて宮崎西ICより東九州道、宮崎道経由山之口SICより降りる、都城市城郭は仕事で鹿児島、宮崎を何回も行ったり来たりしていたのですが何処も訪ねる事も無く今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻りに4城山之口城、月山日和城、祝吉御所、都城リストアップしたのですが山之口城の登城情報が藪樹木等で困難な様子なので諦め3城に絞る。
 月山日和城は古城盛衰記さんの情報でナビを宮崎県都城市高城町大井手2643-ロにGoogleMapで微調整し合わせ県道47号線を東から入り月山日和城資料館東裏の駐車場に停めるすでに2台停まって居り私の1台で満車。
 今回鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り6城目、裏駐車場から裏階段を登って資料館玄関へ月山日和城資料館を閲覧して最上階で眺望を楽しむ、1階にはこの城の歴史を語る南北朝時代錦旗拝受の舞台が実物大模型で復元展示されて肝付兼重の功績を誇ってる。
 地階に城跡の歴史、概要が展示されてる、拝観料220円

 歴史的には南北朝時代に南朝方の肝付氏、肝付氏は大隅半島南端高山城に退く、北朝型の北畠氏と変わり和田氏を経て島津氏領、明応4年(1495年)伊東氏との飫肥、三俣の交換で伊東氏の領有、島津氏攻勢により天文3年(1532年)島津氏一族北郷氏へ、伊集院氏北郷氏の内乱抗争あるが北郷氏時代に元和の一国一城令で廃城。(古城盛衰記さん抜粋)

 シラス台地を掘り刻んだ群郭式山城、模擬天守閣は南先端の池の城に建ち、北に堀切を挟んで内の城菅原神社、忠魂碑も立ってる、北側に土塁らしき遺構、その北に堀切を挟んで中の城、高城神社が在る、本城は中の城の東、真城、その他の城と有り外角をシラス台地を掘り込んだ外郭ラインが巡ってる、GoogleMap航空写真で眺めるとそれなりの俯瞰が感じられる。
 今回は天守閣入館と池の城、内の城のみ探訪、中の城は内の城より眺める。
 模擬天守閣はオダリンが投稿してるように付櫓を構えて犬山城によく似てます。

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スティクラ

安土駅→日吉神社→観音正寺→観音寺城跡→桑実寺→安土城考古博物館 (2020/12/05 訪問)

安土駅から徒歩で観音寺城跡→安土城跡を目指す。安土駅に7時頃到着。桑実寺は9時からだったので、日吉神社からスタートして観音寺城を目指すことに。
観音正寺に続く石段を登るごとにありがたい箴言(しんげん)があった。特に響いたのは下記の2つ。
21.真の礼儀は人を尊ぶ心を形に現わすことである
24.最も幸福な人はいつも行動している人である
書かれている木が朽ちて読めないものもあるが、自分に合う言葉を探すのもいいと思います。
観音正寺で観音寺城の御城印(珍しいシールタイプ)を購入。受付の女性の方に丁寧に道順を説明していただいた。その人によると、夏は草木が生い茂るため、秋から冬が観音寺城の石垣を見るのにいい季節とのこと。
観音正寺から観音寺城跡へ。平井丸跡経由で大石垣まで進み、少し戻って本丸跡から食い違い虎口跡を通って桑実寺に進むルートで下山(桑実寺で300円かかります)。
時間の目安は、安土駅→日吉神社(徒歩40分)、日吉神社→観音正寺(20分)、観音寺城跡周辺見学(大石垣と本丸のみなら20分、山全体を見てまわるなら60分)くらいかと。(登山経験者のアラフォー基準)

下山した後、安土城考古博物館と信長の館を見学して安土城跡へ。
安土城考古学博物館以降は安土城で書きます。

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チェブ

緑の石垣風デザイン? (2020/11/07 訪問)

「秩父氏館」は吉田川が天然の要害になっていて高い場所にありました。

秩父 武基さんにより築城されました。
武基さんの子孫は、畠山氏・豊島氏・江戸氏・葛西氏・川越氏 等です。
こんな山奥から関東の強い方々が勢力拡大していったんですね。

「秩父氏館」は吉田小学校周辺が館跡です。
右手に写真①を見つけ、写真②の坂を登ると吉田小学校です。
許可を取れば見学させてもらえるようです。
私は車だったので、遠慮しました。
「秩父氏館」=吉田小学校を見上げた写真が③④です。
お~!石垣風デザイン!
お城攻めばかりしているので、目が勝手に「石垣」と脳に信号を送ります。
ちなみに、関東では石垣より土塁の方がポピュラーなので脳も誤作動気味ですけど、、、。

今回、初めて秩父に来ました。
山奥で長瀞のライン下りしかイメージが無かったのですが、いろんな世代の方々が観光していました。
前に「永田城」でも紹介した、お遍路さん。
アニメの聖地巡礼に、関東屈指のパワースポット三峰神社。天然のかき氷屋さん。
おしゃれなカフェ等があり、お城攻め以外も楽しめそうですよ。

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火ノ島豊後守正宗

原城跡 (2020/12/05 訪問)

続44城目。
島原半島の南端に鎮座する原城に到着しました。
私は自動車で行きましたが、ここを公共交通機関で行くのは苦労することでしょう。
車で近くの温泉施設に駐車して歩いて本丸に行きました。
およそ850m程度ですので登城は楽な方です。
本丸からの景色は素晴らしかったです。

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ヒロケン

守護識畠山氏の居城 (2020/11/28 訪問)

七尾城は七尾市の南東方の城山一帯に広がりをもつ中世山岳城跡で、古くから能登の中心として栄え、室町幕府の三管領の一家、畠山氏流れを組む畠山満慶が、能登守護となりこの地に砦を築いたのが始まりと言われています。
その後、戦国期に入ってから次第に拡張、増強され150年にわたって領国支配の本拠となりましたが、温井、遊佐、長といった重臣たちの暗闘により、畠山氏は次第に傀儡化されていきました。
その後、織田信長による北陸制圧後に、能登一国を与えられた前田利家が居城とし、大規模な改造が実施されましたが、小丸山城を築いた後は、七尾城は廃城となりました。

現在、国指定史跡に指定され、曲輪、石垣、土塁、空堀が良好に残っており、特に調度丸から見あげた5段石垣は感動ものです。
本丸すぐ横まで車で行けて、トイレも完備されています。城跡の散策も50分程で、自分が登城したおりも小雨がぱらついていましたが、よく整備され難なく散策できました。

7年ぶり2度目の登城で、山の麓にある七尾城史資料館で100名城のスタンプも貰っていたことから、本丸近くの駐車場まで車で行き、たっぷり1時間30分程、城跡(特に石垣)を堪能致しました。GoToキャンペーンもあってか、駐車場は満車状態で小さなお子さん連れの家族の方も多数来られてました。(珍客にも会うことが出来ましたよ)

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カズサン

大堀切が凄い保全良く推薦の群郭式平山城です (2020/11/22 訪問)

 早朝に宮崎城を探訪し地道を通って鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第5城目穆佐城を目指す、ナビは宮崎県宮崎市高岡町小山田973の元穆佐小学校体育館校庭に在る穆佐城跡ガイダンス施設を訪ねる。駐車場、トイレは問題無し。(ガイドは城郭放浪記さん情報)
 当日は日曜日で9時半着担当の方が開ける直前でした、縄張り図と若干説明を頂き登城、ガイダンス施設は土日祝10時から15時の開館です。
 ガイダンス奥から即登城路、縄張り図によると曲輪群がA、B、C、Dと在りBの主郭曲輪群、Aの戦闘曲輪群は草が刈られ見学探訪可能、他は未整備でお薦めして無い旨の説明有り。
 神社南横の道を入り前面に広いB曲輪群手前に島津忠国誕生の地と有る曲輪、雛壇上の曲輪が主郭に向かって連なってる、その北にA曲輪群が聳えてる、その間が大堀切(最初気付かず広い道と思っててのですが跡から戦闘用の曲輪群Aから見下ろすと大堀切と分かった次第)、大堀切南土塁を登り通って最大の広さを誇る主郭へ、主郭は2段に成ってる、西奥に土塁が有りその下はC曲輪群との大堀切土塁より覗くと高さと広さを実感するが草木が茂り良い写真が撮れない、主郭南からせめて大堀切を見たいと道を探すが藪とか草が茂り土砂崩れとのメッセージにて引き返し、A曲輪群の戦闘曲輪を探訪、B曲輪群より高く大堀切を挟んでA曲輪群の横矢を担当するエリア、見晴らしも良く物見の役割も十分、そこも曲輪が分かれており曲輪、小堀切が充分堪能させてくれる。
 全体では有りませんがよく整備され歩きやすく比高も低くよく遺構残って居りガイダンスも有り大変探訪しやすい城跡です是非お訪ねになってみて下さい。

 歴史的には南北朝の動乱伊東氏、肝付氏の攻防、足利尊氏の命で畠山直顕が穆佐城に入るも島津氏との攻防で島津氏の城へ島津氏8代当主忠国誕生応永10年(1403年)、伊東氏島津氏の攻防が続き取ったり取られたり、文安2年(1445年)から伊東氏支配が約130年続き、天正5年(1577年)より島津氏支配、元和の一国一城令で廃城。

 終わって保存会の方が草刈りされてたので話を伺う、大変感謝ですお礼を言ってガイダンスへここでも担当の方と話を伺い説明を受け資料も頂き話も弾み正午のサイレン、大変お世話に成り有難うございました。
 車でGoToクーポン券で買った昼飯を食べ都城市へ出発。

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間⑥ (2018/10/21 訪問)

「クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間」の6城目は平戸城です。
100名城スタンプは「平戸城天守閣」で押しました。現在、平戸城は大規模改修で休館中(令和3年3月松まで)で、スタンプは平戸市観光案内所にあるようです。

平戸城は松浦氏の居城として知られています。山鹿素行の軍学に沿って縄張りされた赤穂城と並び、数少ない山鹿流の城郭です。
現在、城址は亀丘神社の境内や亀丘公園として整備されており、模擬天守や櫓が建てられています。

攻城ルート(撮影写真より)
駐車場(外郭)➡北虎口門➡地蔵坂櫓➡狸櫓➡本丸門➡模擬天守➡見奏櫓➡懐柔櫓➡護国神社➡安寿門➡東櫓➡亀岡神社➡乾櫓➡方啓門➡三の郭➡駐車場 と城跡を一周しました。

攻城時、市営相撲場で大会が行われており、地元の観客の方が懐柔櫓前に陣取っておられ写真を撮るのに、どいてくださいとも言えなかった為、写真に観客の方が写っていますがご容赦ください。攻城時間は60分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間⑤ (2018/10/21 訪問)

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間の5城目は名護屋城です。
100名城スタンプは「佐賀県立名護屋城博物館」で押しました。

以下、名護屋城跡ガイドマップから転記です。
名護屋城は豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、国内拠点として築いた城です。わずか5ヶ月で築城され、当時の大坂城に次ぐ規模を誇った名護屋城。周辺には全国から参集した大名の陣屋が130以上も建てられ、人口20万人を超える城下町が出現しました。国内でこれほどの名だたる武将が一堂に会した城、陣跡はありません。
関ケ原の戦いの後、寺沢広高が唐津城を築城した際に、その一部の遺材を使用したと言われています。
その後、一国一城令(1615年)を受けて人為的に破却。幻想的な当時の破却の姿がそのまま残っています。

攻城ルート(撮影写真より辿る)
観光案内所➡大手口➡東出丸➡三の丸➡馬場➡弾正丸➡二の丸➡遊撃丸➡本丸➡天守台➡水手曲輪➡上山里丸➡本丸➡本丸大手門➡三の丸➡東出丸➡大手口➡佐賀県立名護屋城博物館 で名護屋城跡をほぼ一周しました。
◆弾正丸:浅野弾正長政が居住していた所から付けられた
◆遊撃丸:1593年に講和の使者として来日した沈維敬(遊撃将軍の使者)の宿舎になったことから付けられた

陣跡めぐりマップを見ると、名護屋城を囲むように全国から参集した大名の陣屋があります。見学可能な陣跡もあったので、ツアーで来ていなかったなら巡ってみたかったです。攻城時間は60分くらいでした。

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todo94

石垣見学マップ (2020/11/07 訪問)

四国堀をチェックしてからおおが城山公園の大きな駐車場に車を駐めて古城山登山口より攻城開始。2100mの表示を見ても全く動じることはありませんでした。大桑城跡石垣見学マップに従って丁寧に表示してある撮影スポットから石垣の写真を撮っていきます。番所跡にはブルーシートがかかっていましたが、切井戸も経由して主郭部のミニチュア模擬天守にたどり着くまで50分の所要でした。見所も歩きでもたっぷりあって十分に満足できました。桔梗塚にも脚を伸ばして明智光秀に関わる懇切丁寧な説明をたっぷりと伺うことができました。

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TMN97

品川台場 (2020/12/04 訪問)

品川台場

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ひより

ソラに映えます (2020/11/29 訪問)

ぶらりと立ち寄ったお城、景色が良いでした。

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相都街道

自身50城目 二条城 (2020/12/02 訪問)

城びと自身50城目として京都府唯一の日本100名城「二条城」を訪問しました。人もそれほど多くなく、じっくり静かに見て回る事ができました。

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カズサン

群郭式山城意外と登城はキツイ (2020/11/22 訪問)

 鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻りにリストアップし第4弾4城目、新富町のビジネスホテルを7時半に発ち国道10号線を南下県道44号線池内交差点を南下し道端に案内看板有りここより入り万願寺口のの登城路へ、(ナビは宮崎県宮崎市池内町寺迫1600に合わせGoogleMap微調整)車は入口の駐車エリアに停める。専用駐車場かどうかは分かりませんが結構広く当日日曜日で他に駐車無し。
 宮崎城は宮崎県の城として城郭雑誌、ネットに宮崎県ベスト10に入って居り以前から認識はしてたのですが山城土の城で宮崎県何回と尋ねる中外してばかり今回初登城しました。
 
 万願寺登城口から築城400年を記念した登城冠木門(結構経年してくたびれてます)を通り道なりになだらかなツズラ折の坂道を登るが比高80mながら結構きつい、本丸と目曳城左右を示す看板に当たり、ここは両曲輪の大堀切、本丸に登る、結構広い、本丸を示す標柱は朽ちて倒れてる、南の彦衛門城への登城路と空堀を見下ろす、本丸を降り大堀切を通り目曳城へ道と一部曲輪は草刈りされてるが殆ど藪や草伸び放題、服部城方向の道へ、昇り降りがきつそうでまた城域が広くここまでとして下城した。
 切り立った断崖、群郭式の南九州型、しっかりと認識しましたが草の茂り、藪化で全体を観るのは至難の業と言わざるを得ないが一部でも拝見できて有り難い。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 2城目 (2020/11/11 訪問)

1城目の鳥取城が案外スルッと2時間ほどで廻れた(山下ノ丸だけ)ので急げば間に合うとやってきた。
湊山公園駐車場に停め、”城山の池”横から登る。(案内板によると登城口は数か所あるようだ。)
ちなみに駐車場がある登り口は、こことテニスコート側らしい。
地元の人の散策路にもなっているようで、キツイ坂でもなく気持ちよく登れる。

前方に石垣が見えたと思った矢先、登り石垣が現れた。
(自宅に帰りついてから調べたら、2015年に発掘調査で確認されたという。  オドロキ!!)
そこにある案内説明を読むと、登り石垣が確認されている城に鳥取城は含まれていない。
午前中の鳥取城の??は解消された訳だが、それならあれはなんと呼ぶものなのか。

内膳丸は二段ほどの低い段差で構成されて伸びる細長い曲輪で、段部分に石垣の平入り門跡がある。
番所曲輪を抜け腰曲輪に出ると、美濃岩村城の六段石垣に似た四段の石垣が圧倒してくる。
小天守台(四重櫓台)よりも高くするために補強の必要があったのだろう。
この石垣は時期や石の産地が異なるようで多彩な積み方を見ることができる。
小天守台(四重櫓台)は幕末に補修されたものらしい。

不思議なことに小天守台(四重櫓台)の隅の天端に石が一つ置かれている。
「忘れ石」といって明治時代の写真にも写っているそうだ。
天守があった時は当然存在せず(だと、思う)、その後置かれたわけだろうから何かのオマジナイの
意味があるのだろうか。  鬼門の方角ではないし。
天守から向かって大山の方向にあるので、大山の神に捧げものを置く台の役目か?  ナンテネ。

腰曲輪を回り込み本丸枡形虎口へ。  かなり大きな門があったと想像できる枡形である。
外枡形との組み合わせのようにも見えるのだが…。 読み過ぎかなー。
水の手御門の先は別の登り口に出るようだが、今日はパス。

天守台からは360度絶景パノラマ展望で、中海を監視できる絶好のポイントだったのがわかる。
南東にはうっすらと雪化粧の大山、北西には境水道大橋の曲線美がかすんで見える。

石垣とパノラマに十分満足して二の丸方面(テニスコート側)へ下った。
そこそこ広い駐車スペースがありタクシーの運転手さんが休憩していた。
ここにも石垣があるが大きな樹木が根を張り崩したため、無残な枡形となっている。

内膳丸の崖を見上げながら鳥取大学附属病院の間の道を歩いて駐車場に戻る。
車を停めた駐車場には、この道を通って行ったんだっけ、 と 途中で気が付くマヌケぶり。

あとで知ったのだが、近くに旧小原家長屋門があるらしい。 事前調査が不十分だった。

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しろちゃん

相模湾を一望出来る山城 (2020/11/10 訪問)

土肥城は、湯河原市にある山城で、箱根の大観山から湯河原へ続く尾根の城山山頂に築かれた城です。
後北条氏の城巡りだったようです
湯河原は海に面し、標高が563mと言う事でかなりの高低差の城跡です。
以前から土肥城を気にしていましたが、なかなか来るチャンスがなかったのですが、時間の少ない中で、どのルートから登ろうか探り入れた所、
一つ目、湯河原駅からの登城は高低差が厳しいので却下。
二つ目、林道でピクニックランドまで車で行き、そこから登城コースは、林道が狭く交差が難しいので却下。
三つ目、県道75号線椿ラインのバス停、ししどのいわや、から約1.5kmありますが、高低差が少ないことから、このルートでの登城を決めました。
この、ししどのいわやの登城口は、駐車出来るスペースがありました。
駐車場より約25分くらいで本曲輪に到着

本曲輪からの眺めは最高でした

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間④ (2018/10/20 訪問)

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇4日間の4城目は佐賀城です。
100名城スタンプは「佐賀城本丸歴史館受付」で押しました。

佐賀城は鍋島氏の居城として知られています。もともと龍造氏が居城としていた村中城を回収・改築したものだそうです。
現在、城址は佐賀城公園として整備されています。
1874年に起きた「佐賀の乱」で、鯱の門に弾痕が残っていることは有名ですね。

訪問した時、「佐賀維新祭」をやっており、山車を見ることができました。攻城時間は50分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間③ (2018/10/20 訪問)

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間の3城目は吉野ヶ里です。
100名城スタンプは「吉野ヶ里歴史公園東口」で押しました。

吉野ヶ里遺跡は弥生時代の環濠集落で、国内最大規模の遺跡です。
物見櫓や二重も環濠など防御的な性格が強く日本の城郭のはじまりとも言われています。
攻城時間は45分くらいしかなかったので、南内郭と北内郭のみの見学しかできませんでした。(全体の1/10以下)

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