伊勢未踏の城廻Ⅷ 俵藤太末裔の城
(2023/03/21 訪問)
細野城(長野氏城)を終えて16年振りの津城再登城をゆっくり済ませた後、東名阪道を使い四日市の浜田城を目指す。
駐車場は四日市文化会館の駐車場を当てにしていたのですが当日旗日催事利用者でないと使えないとの事で入口の東側にあるコインパーキングを利用。浜田城跡の在る鵜の森公園までは直線で600mほど四日市駅方向へ駅ちかの公園で、近くにもコインパーキングが彼方此方ありました。
情報ガイドは古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。
結構広い公園で約150m四方、出入り口は四方に在ります、公園の北東部に鵜野森神社が鎮座し神社の周囲に土塁が残っている、東に鳥居がありその周辺に、平成28年復元の冠木門、復元冠木門の提要の看板、浜田城址碑、鵜森神苑碑、俵藤太十六間四方白星兜の案内板などが設置されている、樹林の桜も開花し満開前、多くの市民が集っていました、参拝者もちらほら、工事中で一部閉鎖されて居る所もありました。
田原氏の築城で俵藤太(藤原秀郷)の末裔、15世紀末から約100年この地で栄え信長の伊勢侵攻で信長の家臣滝川一益に攻められ落城したとあります。
鵜森神社の社宝として俵藤太(藤原秀郷)の愛用の兜と伝わる十六間四方白星兜が国重文として大切に守られている。毎年十月の鵜森神社の例祭・式典の後一般公開されてると案内板に有りました。
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