戦国前期に細川高国が能勢氏を城主として築いた城で、細川高国が敗死すると細川晴元、次いで三好長慶が入って畿内の政庁として機能しました。三好長慶が居城を飯盛城に移した後も三好氏の摂津国の拠点でしたが、織田信長の上洛で三好氏が城を追われると和田惟政が城主となり、惟政が高槻城に移ると高山友照を城代としました。惟政の死後、高山友照が高槻城に移ったことにより廃城となっています。
北・西・南の三方を芥川に囲まれた断崖の三好山に位置し、主郭、出丸、東曲輪の三つの曲輪群で構成される巨大山城で、淀川筋と西国街道、摂丹街道に睨みを効かせる交通の要衝に位置します。
タイムズのB塚脇弓道場前駐車場(予約可・一日550円)に駐車して登城開始。住宅地の坂道を上ること10分あまりで大手道登城口に到着。登城口あたりには石垣も見られますが、後世のものと思われます。シカやイノシシが出るため一帯には防獣柵がめぐらされ、マダニの注意書きもありました。登城口から約10分で大手石垣に到達。途中、主郭と出丸から南下に展開する曲輪群にも寄り道するつもりでしたが、分岐を見落としてしまったか、あっさり大手石垣まで来てしまってちょっと拍子抜け。
大手石垣からまずは主郭部へ。主郭に上る前に南下の曲輪群に行ってみると二重堀切の先に南北二段の曲輪があり、その南下には巨大な堀切と土塁がある……はずですが、山道を少し下りて行っても分岐は見出せず、直降しようかとも思いましたが、時季的に藪が茂っている上に、マダニ注意の看板を思い出して自重しました。引き返して主郭に上って行くと、南方向に素晴らしい眺望が開けています! この日は遠くはやや霞んでいましたが、飯盛城まで見渡せるようです。主郭は南北二段で、南側下段には説明板が立てられ、上段には三好長慶と松永久秀が祀られた祠があります。上段からは発掘調査により礎石建物が確認されているようです。
続いて、主郭周辺の曲輪群を見て回ろうとしましたが、北西尾根への道には通行禁止の表示があり、南下の曲輪群も野外活動園として立ち入りが制限され、北東下へも登城道に柵が設けられていて進めません。やむなく来た道を戻って出丸の曲輪群に向かうも、これまた防獣柵に阻まれて出丸への道は見いだせず、結局、出丸の曲輪群はほとんど素通りして堀底道を東曲輪群へ向かいました。
出丸曲輪群と東曲輪群の間は堀切(と土橋)で隔てられ、東曲輪群の南斜面は竪土塁で出丸側への侵入を防いでいます。東曲輪群には土塁囲みの曲輪や中央部に土塁(?)と貯水池(?)のある曲輪があり、北斜面や南斜面には削平地が設けられていますが、南側は防獣柵がめぐらされ、出入口は整備用で立入禁止でした…。
飯盛城に先立つ三好長慶の居城であり、規模的にも飯盛城に引けを取らない続100名城ということで、存分に見て回れば4時間は必要かな、と考えていましたが、行けるところが限られていたため1時間あまりでひとめぐりしてしまいました。あまりにも不完全燃焼なので、長慶が芥川山城を攻めた際の帯仕山付城にも足をのばしてみましたが、灌木と藪が茂っていて折れのある土塁や堀切は確認できず、もやもやは募るばかり…。見落としもありますし、防獣柵内は仕方ないにしても、少なくとも主郭南下の曲輪群には行けるはず(たぶん)なので、冬枯れの頃にいずれ再挑戦したいと思っています。
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