先日、まるごとしすいで家から比較的近い米本城と吉橋城の御城印を購入したので、自転車で行って来ました。新川サイクリングロードを海の方に向かい一つ目の橋がその名も城橋。橋を渡った辺りからかつての城跡なのですが、昭和40年代に主郭部分を土取りのために失われているそうです。現在は腰曲輪のあたりしか入れません。
この後は吉橋城を見た後、道の駅やちよで休憩を挟み、師戸城に向かいました。
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2022/09/15 20:52
御城印を買ったので現地に行こう(米本城編) (2022/09/15 訪問)
先日、まるごとしすいで家から比較的近い米本城と吉橋城の御城印を購入したので、自転車で行って来ました。新川サイクリングロードを海の方に向かい一つ目の橋がその名も城橋。橋を渡った辺りからかつての城跡なのですが、昭和40年代に主郭部分を土取りのために失われているそうです。現在は腰曲輪のあたりしか入れません。
この後は吉橋城を見た後、道の駅やちよで休憩を挟み、師戸城に向かいました。
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2022/09/15 16:56
三重県総合文化センター (2022/09/15 訪問)
戦国時代に築かれた城とのことですが、城主など詳細は不明とのことです。発掘調査後、道路工事で消滅した所を史跡公園として復元してします。空堀、井戸は残っています。土塁はどれが復元したものかよくわかりませんでした。
津駅西口からバスに乗り総合文化センター前バス停まで行くことができます。バスの乗車時間は約5分で、徒歩でも20分くらいでしょうか。自分はバスが出てしまった後であったので行きは徒歩で、帰りはバスを利用しました。バス停から徒歩5分くらいで城址に行くことができます。
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2022/09/15 16:42
阿由多神社 (2022/09/15 訪問)
登城口の鳥居から登って行くと曲輪と思われる削平地があり、約10分で主郭である阿由多神社に着きました。境内には案内板があります。主郭の北より土塁を降りて散策すると、いくつかの区画にわかれていたことがわかります。空堀や土塁はいい感じで残っています。見ごたえがある城址です。主な道は整備され歩きやすいのですが、遺構を見ようと少し外れると、カズサンも指摘されていたように竹林や灌木で遺構が見にくく散策にも支障をきたします。蜘蛛の巣も多く払って進むのですが、うっかりすると纏わりついてしまいます。藪蚊の襲撃にもさらされました。もう少し竹林に突入して散策したかったのですが、気持ちが折れて撤退しました。帰りは軽四輪ルートから下りてきました。こちらも削平地が展開しています。かなりよい城址だとは思います。
近鉄津新町駅からバスにより安濃バス停下車。バス停から徒歩10分+αで登城口である阿由多神社の鳥居に行くことができます。帰りは安濃バス停から津駅まで乗車して帰ってきました。
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2022/09/15 15:29
主郭部は良好に遺る丘城 (2022/09/14 訪問)
周辺を領した千葉氏の重臣の印東氏が安貞元年(1227)に築城、また多くは応永年間(1394~1427)に印東氏が築城したと載る。その頃、成東は上総国武射・南郷と言い、築城者は南郷氏も名乗ったらしい。1530年頃、千葉勝胤・胤定が再興したと言われ、胤定は後に成東氏と名乗ると。天正18年(1590)に秀吉の小田原攻めにより小田原城は開城、成東城・成東氏も運命を共に。家康の関東入封後は石川氏・青山氏が入るが、元和6年(1620)廃城になったとある。
城跡公園入口脇に小さいが駐車場がある。道の右は二の丸(城之内曲輪)、左は土塁状で道は本丸(愛宕曲輪)から二本目の堀になる。後刻、案内の縄張図を見て分かる。本丸(愛宕曲輪)西虎口前に左右に掘、土橋が現れる。堀の手前を時計回りに西から北、北東へ行くと、堀を越え北虎口で本丸に入れる。南の眺めは良いが、他は皆無。本丸の東に一段低く、本丸の1/3程度の曲輪がある。二の丸(城之内曲輪)は本丸より少し広めで、土塁などが遺り、北西末端は櫓台跡と言われる。二の丸から西に外曲輪があり、土塁・堀などあったが、宅地造成、テニスコートなど開発が進んでほぼ失われている。
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2022/09/15 12:23
2022/09/15 12:16
有子山城跡縄張図 (2017/05/14 訪問)
現地案内板より抜粋
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2022/09/15 12:13
名胡桃城址縄張図 (2016/10/30 訪問)
現地案内板より抜粋
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2022/09/15 09:51
北馬出に鉄骨塀が復元 (2022/09/11 訪問)
駿府城で静岡市歴史博物館プレオープン見学、葵舟乗船、情報館きゃっしる等探訪し、静岡市清水区東端の蒲原城を探訪終えて、帰路島田市に在る諏訪原城に寄る。
火ノ島豊後守正宗さんの9月2日登城、9月5日投稿の写真の中、北馬出写真に鉄骨塀が写ってる?新しく増設されたのかな?との思いも有り夕刻に成りましたが16時半から17時に登城して、二の曲輪北馬出を中心に探訪しました。
確かに北馬出の西側、薬医門から西側北馬出に土壇を築きその上に鉄骨塀が板屋根付きで出来上がって居ました、以前から有った中馬出からの続き鉄骨塀と同じ構造です。既にビジターセンターも閉まって居り復元建設の様子を聞くすべも無く、島田市のHP、博物館課文化財係に問合せ今年3月に復元完成したとの事でした。
最終的には鉄骨塀のままでは様にならず、板塀にするのでしょうが、整備復元には時間が掛りそう。見守って行きます。
諏訪原城も夏草に覆われてどこの山城とも同じこと、しかし通路は問題なく散策出来、見所の中馬出北側と北馬出、外堀北側、二の曲輪外堀沿い北側は草が刈って有り大変ありがたい、刈った草場辺りは長靴がよろしいかと思われます。
昨年9月11日が最終探訪日でしたが1年ご無沙汰すると北馬出に新しく塀が出来てる、新しく発掘調査が始まってるとか、変化を感じます、中馬出、同三日月堀の整備も始まるそうです。
定期的に探訪しないといけませんね。
火ノ島豊後守正宗さん投稿写真ありがとうございました。
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2022/09/15 00:54
ほの門 (2022/06/10 訪問)
ちょっとヒリヒリしたにの門を抜けると、ぱっと明るいところに出ました。天守群はもう目の前で、遂に難関を突破したかと思いきや、門はまだまだ続きます。にの門の次はほの門です。
ほの門は埋門で、すぐにのぼり階段になっています。門にも種類がたくさんありますが、控えめでありながら防御力に優れ、塞がれたら即、戦意喪失してしまいそうな埋門が私はいちばん好きです。
ほの門を潜ると右手にあるのが油壁。鬼ノ城で見た築地塀を小さくしたような版築壁ですが、小さなほの門から見ると存在感を感じます。一見仕掛けはなさそうだけれどとてつもなく頑丈な壁は、当時は白漆喰仕上げ。きっと簡単には通させないぞと立ちはだかっていたのだろうと感じました。
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2022/09/14 23:31
これで,続日本100名城の書き込み完了です。 (2022/03/20 訪問)
宣言してから長かったですが,続日本100名城の書き込み完了です。これで,ゴールド3つ並んだハズ。実は,ラストをどこにしようかと画策しておりました。眺望のイイところで,天候に恵まれたところにしようかな…と。それで,座喜味城にしました。
越後に住みながら寒いのはキライで,移住するなら那覇か福岡天神が候補地というひいきもアリで…<笑>。
座喜味城ですが,ここも那覇中心部から路線バスでアクセスしました。
県庁北口→高志保入口間 路線バス(28番:読谷線),高志保入口バス停から,徒歩約25分で座喜味城公園入口到着。
公園に入り,しばらく歩くとグスク特有の石垣曲線美が見えてきます。
スタンプ設置場所のユンタンザミュージアムへは,座喜味城散策を終えてから入館しました。
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2022/09/14 22:22
真田氏発祥の地? (2022/08/21 訪問)
天徳寺周辺が城跡で駐車場もあります。
山門から入り左手の与一堂に説明板があります。
城では物見台だったのでしょうか。
天徳寺背後には墓地があり、北東部には土塁が残っていますがかなり低くなっていて良くわからない感じでした。
周辺の低くなっている辺りは堀跡と思われますが遺構はありません。
あの真田氏の発祥の地とされています。
元々は佐奈田と書かれていたそうです。
ロマンを感じることはできますね。
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2022/09/14 14:01
柳本陣屋絵図と空からみた柳本藩邸遺跡 (2017/01/07 訪問)
現地案内板より抜粋
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2022/09/14 13:59
目加田城古図、明治期地籍図(目賀田城付近) (2017/12/29 訪問)
現地案内板より抜粋
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2022/09/14 13:56
木津城跡現存範囲図 (2019/10/20 訪問)
現地案内板より抜粋
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2022/09/14 10:33
2022/09/14 09:56
坤櫓鯱の目は金箔で光ってる❕ (2022/09/11 訪問)
静岡市歴史博物館プレオープン見学、葵舟で中堀めぐりを終えて5月16日駿府城登城以来4ヶ月振りさらっとめぐってと思って居たのですが、葵舟の船頭さんの説明で坤櫓の鯱の目は金箔で光ってると言われ、船上でチラッと見えた感覚は有ったのですが、近くで確認をと鯱の目をカメラの望遠レッズ最大にして確認、確かに金色であり金箔が貼って有るのだろう。後で巽櫓の鯱の目には金箔は貼って無く全体と同色でした。
巽櫓、東御門エリアは仮設の足場が中堀外側に架けて有り、令和5年正月完成を目指してライトアップ整備工事中でした。
昼食は駿府城公園内の児童公園エリアにある売店、移動車カフェ3台があり、焼きそばを選び頂く400円なり。
昼食後天守台発掘エリアを見学、発掘情報館きゃっしるも訪問、発掘土砂保護のシートが新しく成り、天正期、慶長期天守の発掘表示板も良く観える様に成って居り見学し易い、情報館には今後の天守台跡の整備計画が展示して有り、4年の歳月を掛けて、高い所から全体を見下ろす場所、掘り進んだ堀底から天守台石垣を近くで見る所などを造り、天守台跡には一部石垣の追加?土を盛りなどして地表展示整備を行い見える化していくようです。・・天守閣は建たないようで残念ですが?
約3時間超の訪問に成りました、9月中旬でしたが晴れて暑い日の探訪散策でした。
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2022/09/14 08:21
Global Gold September Campaign 2022 (2022/09/13 訪問)
小児がん啓発のためゴールドでライトアップされた広島城。すぺての子どもたちの健やかな暮らしを願って。
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2022/09/13 23:54
にの門 (2022/06/10 訪問)
はの門を潜り、土塀に沿ってぐるっとまわるとにの門が見えてきます。にの門の櫓上部を見上げると「十字紋の鬼瓦」。珍しい紋だそうですが、十字架ではないようです。
にの門へは天守を背にして進むので、仕掛けの中を歩かされている感で緊張してきます。右手の土塀と櫓は狭間&石落とし完備。狭い一本道を手招きされるまま吸い込まれていくしかない状況ですが、ここで振り返ると天守がどんっ!屋根が、破風が、懸魚が、窓が…密です。あんなに美しいと思った天守が何だか怖いです。魔物に見えます。見る場所や置かれた状況、気持ちの状態によって、こうも感じ方が変わるものかと驚きました。
そして飛び込んだにの門は鉄板で全面覆われていて天井も低く、カーブの先から光が射しているものの先が見えない、出会い頭に何が起こるかわからない恐怖を感じる門でした。
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2022/09/13 23:41
登り続けた先ではなく… (2021/07/23 訪問)
登り続けた先に赤木城…ではなく,登城ルートのピークは田平子峠。そこからしばらく下って赤木城となります。なので,行きも帰りも山を登ります。舗装された道なので安心しきっていると,爬虫類が元気に活動している姿を目にして驚くこともあるかと思います。
私は,小栗須バス停から,徒歩約60分で登城口到着。帰りは,5分短縮のペースでした。夏場なので上等かと思います。
しりとりでは苦労した記憶が甦ります…。
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2022/09/13 22:15
公園に土塁が残る (2022/08/21 訪問)
丸山城址公園として整備されていて駐車場もあります。
公園部分が主郭で土塁が一部残っていました。
虎口も見られます。
土塁には横矢がかかる部分もあります。
比企能員の乱で比企氏に付いた糟屋氏の居館とされます。
戦国時代には扇谷上杉氏の城となりました。
南側は国道246号線により消滅していますがこの辺りでも遺構がちゃんと残る貴重な城だと思います。
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