とことん江戸城(馬場先門~外桜田門)
(2022/06/22 訪問)
江戸城は室町中期に太田道灌が築いた城で、扇谷上杉氏から後北条氏の城となり、豊臣秀吉の小田原攻めで開城。徳川家康の関東移封に伴って大規模に改修・拡張され、徳川将軍家の居城・幕府の政庁として幕末まで続きました。幕末には新政府軍に無血開城し、明治以降は皇居として現在に至ります。…って、こんなの今さら言うまでもないですよね。
武蔵野台地の東端に築かれた城で、家康の入封により平川を付け替え、日比谷入江を埋め立てて拡張し、江戸開府以降は再三の天下普請により外郭総延長約14キロ、総面積2,082ヘクタールに及ぶ日本最大はもとより世界的にも稀な巨大城郭となりました。
さて、コロナ禍のため東京に行く機会は久しくなかったところ、3年ぶりに東京出張が決定。それも2泊3日(+事前に日帰り1日)とあっては、どこか東京近郊のお城に行きたいところですが、当然ながら日中は仕事なのでそんなに遠くには行けないし……と考えて、ちょうど赤坂見附に宿を取っていることでもあり、この機会に江戸城の内郭・外郭をめぐれるだけめぐってみよう! ということで、2泊3日(+1日)でとことん江戸城です。
初日の仕事は午後からですが始発近くに家を出て、2泊3日分の荷物をキャリーでゴロゴロ引きずりながら東京駅丸の内口から江戸城へ。近いのは承知していたものの、東京駅からものの数分で視界いっぱいに馬場先濠と石垣が広がり、ちょっとびっくり。本当に都心のど真ん中にある…というか、今なお江戸城こそが東京の中心地なんだなぁ、と実感させられました。
馬場先濠沿いに南に進み、馬場先門から西の丸下曲輪へ。馬場先門はかつては不開門だったようですが、今では枡形石垣は撤去され、計8車線もの広い道路を多くの車が行き交っていました。門そのものは遺っていないにせよ、土橋の両側には水濠と石垣が往時の姿を今に伝えています。
西の丸下曲輪は日比谷入り江の埋め立て地で、かつては大名屋敷が建ち並んでいましたが今では皇居外苑として開放されており、修学旅行生らしき一団が芝生で思い思いにくつろぐ様子を、立派な楠木正成像が見守っていました。江戸城としては関係ありませんが、皇居としては正門前を守るのはやはり楠公さん、ということでしょうか。
日露戦争の戦勝パレードのために設けられた祝田橋を渡り、凱旋濠(祝田橋によって分断された日比谷濠の西端部)沿いに西に進んで外桜田門へ。外桜田門の西側には桜田濠が半蔵門まで広がり、西の丸側には高土塁と鉢巻腰巻石垣が延々と続いています。土橋を渡り高麗門をくぐって枡形に足を踏み入れると右手には巨大な櫓門が立ち塞がり、遮るもののない西の丸側からの集中砲火であっという間に全滅させられてしまいそうです。その西の丸側は千鳥ヶ淵から江戸城内郭の西半分を守る高土塁が石垣に切り替わる境目(台地の突端)になっています(続く)。
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