みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

朝田 辰兵衛

加茂城(新潟県加茂市) (2023/01/21 訪問)

【かも じょう】標高:104m,比高:約84m。中世青海荘は,現在の加茂市を中心として展開されたと考えられています。その加茂市中心部を監視できる要害が,加茂城となります。JR加茂駅の南東,加茂川の南に位置し,加茂山公園として市民に親しまれています。散策道も整備されています。
本丸の西側に3条の堀切を経て,物見用の剣ヶ峰砦がありますので,見落とし注意です。
当時の登城道とされる本丸南側ルートは未整備で,冬場でも危険を伴うと判断して散策を断念しました。名物と思われる手書きのパネルは無残な姿となっていました…。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

紀州東照宮と和歌浦 (2023/01/21 訪問)

大河ドラマにあわせて…でもないんですが、仕事ついでに紀州東照宮と和歌浦を訪れました。紀州東照宮は、紀州徳川家初代・頼宜が父・家康を祀るため万葉集にもうたわれた景勝地・和歌浦に創建した神社で、例大祭「和歌祭」は昨年に創始四百年を迎え、松平健さんが徳川吉宗公(暴れん坊将軍)として渡御行列に参列されました(観に行きたかった…)。

紀州東照宮の駐車場に車を駐めると、係員が車まで来るので駐車料金(1時間300円)を支払います。一応は有料ですが、社務所で駐車券を示すと1名分の拝観料(大人300円)が無料になるので、実質的にはタダです。
鳥居をくぐって参道を進むと、両脇に紀州藩士が奉納した石灯篭が立ち並んでおり、創建時からの石灯篭も見られました。参道の石橋を渡った先には壁のような急斜面に侍坂と呼ばれる石段が続いています。その名のとおり頼宜の指揮のもと藩士が一段一段積み上げて築いたもので、108段の石段を上りきることで全ての煩悩を落として参拝できるんだとか。侍坂の上には楼門が建ち、楼門の両脇には祭神の家康・頼宜父子と思しき木像が祀られています。
境内は広くはないものの、朱塗りの唐門と権現造の社殿が目にも鮮やかです。神域のため撮影禁止でしたが、本殿は左甚五郎の彫刻や狩野探幽の壁画で華やかに装飾されていて、関西の日光と呼ばれるのも納得です(さすがに日光東照宮には遠く及びませんが)。境内をひとめぐりして楼門を出ようとすると、楼門越しに和歌浦が一望できました。和歌浦の景観は往時からずいぶん変わっているんでしょうけど、頼宜がこの地に東照宮を創建したのは亡き父にこの景色を見せたかったからだ、とするブラタモリ説にも頷くところのある情景でした。

また、紀州東照宮が頼宜が亡父を祀った神社なら、東照宮から南東に約1km、和歌浦に浮かぶ妹背山と呼ばれる小島には、頼宜が亡母・養珠院を弔うために建てた海禅院の多宝塔が現存しています。多宝塔下の石室の調査では、家康の三十三回忌供養として養珠院が埋納した多数の経石に加えて、養珠院のものと思われる遺髪が発見されているようです。妹背山には頼宜が築造した県内最古の石橋とされる三断橋が続いており、紀州青石(和歌山城の石垣にも用いられている緑色片岩)が敷き詰められています。
三断橋から南西に徒歩2分には東照宮和歌祭の御成道として幕末期に架けられた不老橋があり、九州以外では珍しい江戸期のアーチ型石橋で、和歌浦の名所のひとつになっています。

# 位置的には雑賀城が最寄ですが、紀州徳川家ゆかりの史跡なので和歌山城の周辺観光で投稿します。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202302沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)2日目:中城城 (2023/02/04 訪問)

「沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)ツアー」で中城城に行って来ました。
中城城は2回目の攻城になります。
1回目は、「クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間」で2019/1/28に攻城しました。

前回攻城した際は裏門から入城しましたが、今回は正門からの入城です。
攻城ルートは、駐車場➡カンジャーガマ(鍛冶屋跡)➡南の郭➡一の郭➡二の郭➡西の郭と北の郭を経由して、三の郭➡ウフガー➡裏門➡記念運動場➡駐車場に戻りました。
幕末に来航したペリー提督が、調査し称賛した城門アーチ門は裏門のようです。
三の郭の城壁も素晴らしいですが、個人的には記念運動場から見る中城城の南側の城壁の景観が好きです。
攻城時間は50分くらいでした。本日の攻城はここで終り、宿泊先のホテルに向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202302沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)2日目:今帰仁城 (2023/02/04 訪問)

「沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)ツアー」で今帰仁城に行って来ました。
今帰仁城は2回目の攻城になります。
1回目は、「クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間」で2019/1/27に攻城しました。

曲輪を囲む城壁はきれいな曲線を描いていて、中国の「万里の長城」ほどではありませんが見ごたえはあります。
主郭から先の志慶真門郭(しじまじょうかく)は、前回攻城した際は見学できませんでしたが、志慶真門郭から主郭の城壁が見上げることができます。
前回攻城時も桜の時期でしたが、今帰仁城はカンヒザクラとのセットが映えます。
観光客が多く、人物をはずしての写真撮影に苦労しました。
攻城時間は90分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

100名城スタンプ85個目・現存天守10個目 (2023/01/03 訪問)

年末年始の城旅後半は四国に上陸しました。
真っ先に向かったのが高知城です。
土塀の物見窓、石樋、忍び返し、高欄の擬宝珠など、見たいものがたくさんあったのでそれらを見つけるたびにうれしくなりました。
三の丸から搦手にまわり御台所屋敷跡から黒鉄門を潜って本丸へという邪道をしてしまったのですが、おかげでどこがどうなっているのかさっぱりつかめず、でもその状況にあることがとても楽しかったです。
スケールや距離感、高低差などがイメージと違っているところもあって、こういうことなのか!の連続でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

徳川四天王 榊原康政生誕の地 (2023/02/05 訪問)

豊田市上郷町は徳川四天王の一人である榊原康政生誕の地とされます。

上野上村城 (上野城)は1400年代半ば頃に戸田宗光が築城したと伝わります。
戸田氏が渥美半島に移った後、阿部氏、桜井松平氏、酒井氏と城主が代わりました。
1563年の三河一向一揆の時、城主の酒井忠尚は一揆勢として戦いましたが、家康方に攻められ落城したといわれます。

説明板の諸国古城之図を見ますと、本丸は堀で囲まれ、西・南側は曲輪が配され、北・東側は深田であったようです。
現在、本丸は上郷区民会館・護国神社となってますが、上郷区民会館の西側に遺構として櫓台跡の分厚い土塁が残っており、その上に城山稲荷とお社が鎮座しています。
西三河の平城は遺構が残らない所が多いので、一部でも残っていて嬉しいです。
諸国古城之図で本丸の南西部に描かれた黒の四角が、今残る櫓台跡の土塁のようです。
本丸北側の護国神社には上野城跡無縁佛供養塔があり、大東亜戦争 従軍之碑は土塁状の上に建てられています。
本丸の北東・東側を流れる川が堀の名残と思われます。

榊原康政生誕之地の石碑が建てられていますが、上野上村城から南へ約300 mの位置にある上野下村城(会下城)が生誕の地ともされます。

上野下村城は内藤清長が築城したと云われますが、榊原清長(榊原康政の祖父)が城主であったともされ、会下山という台地に築かれましたが、今は平地化され住宅地となっており遺構は残っていません。

上野上村城から南西へ約300mの位置にある天道院の前にも、榊原康政誕生地の石碑があります。

2ヶ所に生誕地の石碑がありますが、互いに近いですし、上野上村城と上野下村城があった上郷町で生まれた事は確かなようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

侍ホリタン

特別公開「乾小天守、イ・ロ・ハの渡櫓、東小天守」 (2022/07/15 訪問)

普段は公開されていない「乾小天守、イ・ロ・ハの渡櫓、東小天守」の内部が期間限定(2022年7月15〜8月31日)で公開されました。三の丸広場の反対側、お城の北側から見える小天守、渡櫓の内部公開になります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【三河・登屋ヶ根城】愛知県豊川市 深い喰違空堀が見所⁉ (2023/02/04 訪問)

 香川画伯の岩略寺城俯瞰図に描かれてる登屋ヶ根城も岩略寺城、長沢城と周辺、巨勢陣屋を探訪し歩き疲れ足裏が痛み出したので車を駐めた誓林寺へ戻り登屋ヶ根城へ向かいました。
 ガイド情報は城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。

 住所:愛知県豊川市長沢町番場37
 駐車場:在りません、閉館ホテルの入口スロープへ縦列路駐
 登城経路:国道1号線の関谷交差点から西に100m先に吉川塗装手前の細い道を南は入る道なりに約300m程に閉館ホテル入口

 登城:北側のホテル入口から少し戻ると竹林中に白い城名標柱が有ります、標柱が竹林樹々に囲まれて横の解説文は確認できず、標柱からさらに戻って深く大きい空掘りが有ります、1郭の北東角の土塁が高切岸で立派に残って居ます、空堀の東側2郭の登城路を登り空堀を上から望む、2郭は畑の様です、あまり入り込めないので降りて南側へ西先端を回り込み南側から眺めると東に2郭へ登る登城路有り、南側の空堀も有るが樹木で覆われている、登ると北側空堀と南側空堀が喰違い、土橋と成って居る、2郭は現在畑の様、1郭と西先端は閉館ホテルの敷地の様、覗ける所から確認してあまり深くは入りませんでした。
 見所は1郭と2郭間の食違い空堀でしょうか?、1郭の北東角の高土塁と深い空堀も見ものです。
 (1郭、2郭は余湖図コレクションさん俯瞰図の名称に由ります)

 また、南側に20,30mの所に江戸期に造られた長沢「フロノ下」の猪垣が有ります、猪、鹿を防ぐ石垣だそうです見事な造りです。

 歴史:現場の城名標柱の案内が確認出来ませんでしたので、城郭放浪記さんの内容によると今川氏により造られ、桶狭間合戦の後、家康に備えて今川の家臣を城番に置き、永禄4年(1561年)家康が攻略した。
 詳細は城郭放浪記さんを見て下さい。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202302沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)2日目:首里城(玉陵(世界遺産)) (2023/02/04 訪問)

「沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)ツアー」で玉陵(世界遺産)に行って来ました。
ここはグスクではありませんが、ツアーの見学に含まれていたので首里城の周辺観光として投稿します。

首里城の守礼門から、徒歩6分450m西方向の首里城前交差点先に玉陵(たまうどん)があります。
首里城公園のパンフレットにも玉陵の記載があります。
玉陵は1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、第二尚氏王統の陵墓となりました。
墓室は3つに分かれ、東室は王様と王妃がねむる部屋、中室は洗骨前の遺体を安置する部屋、西室は王子や王女がねむる部屋です。
攻城時間は15分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202302沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)2日目:首里城(円覚寺跡&第32軍司令部壕) (2023/02/04 訪問)

「沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)ツアー」で円覚寺跡に行って来ました。
ここはグスクではありませんが、ツアーの見学に含まれていたので首里城の周辺観光として投稿します。

首里城の久慶門から徒歩2分140mくらいで円覚寺の総門前に着きます。
首里城公園のパンフレットにも円覚寺総門の記載があります。
円覚寺は琉球における臨済宗の総本山で、屋号を天徳山と称したようです。
第二尚氏王統の菩提寺であり、琉球随一の寺院だったそうですが、大戦によって破壊されました。
総門は復元、放生橋は修復されたもののようです。

円覚寺の総門前から徒歩2分170mくらいで第32軍司令部壕に着きます。
第32軍司令部壕は首里城公園のパンフレットには記載がありませんが、円覚寺の総門前から歩くと世界遺産の「園比屋武御獄石門」手前に案内板があります。
第32軍司令部は1944年(昭和19年)3月、南西諸島の防衛を目的に創設されました。
1945年(昭和20年)3月、空爆が激しくなると、第32軍司令部は地下壕に移動し、米軍との決戦に備えたそうです。
現在、坑口は塞がれ中に入ることはできません。
見学時間は円覚寺跡&第32軍司令部壕を併せて15分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202302沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)2日目:首里城 (2023/02/04 訪問)

「沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)ツアー」で首里城に行って来ました。
首里城の攻城は2回目になります。(攻城目的でないのも含めると4回目だと思います)
1回目は、首里城正殿の火事(2019/10/31)前に「クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間」で2019/1/28に攻城しました。
今回、首里城正殿遺構の修復工事中とのことで、正殿遺構の見学はできませんでした。

攻城は①守礼門➡②歓会門➡③瑞泉門➡④漏刻門➡⑤広福門➡⑥奉神門➡⑦焼け落ちた龍頭飾り➡⑧世誇殿➡⑨東のアザナ&ガマ遺構➡⑩淑順門(人物がバッチリ写っているので投稿できません)➡⑪久慶門➡円覚寺跡(別途投稿)➡第32軍司令部壕(別途投稿)➡守礼門に戻るルートで巡りました。
復元工事中の正殿以外、前回(2019/1/28)とほぼ同じルートでの見学です。
奉神門では開門を告げる朝の儀式「御開門(うけーじょー)」を見学することができました。動画を撮り妻にLINEしました。
修学旅行の学生が多く、人物をはずしての写真撮影に苦労しました。
復元工事は2026年(令和8年)まで続くようです。復元が終了したら、またきてみたいです。
攻城時間は90分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

新年2日目の攻城③ (2023/01/02 訪問)

長野尚業が築城。長野氏の菩提寺・長年寺には尚業の墓がありました。存命中は武田信玄の侵攻を防ぎ続けた長野業政の墓もありました。長野氏の本拠は箕輪城に移りますが、箕輪城危急の際には白川口埋門から鷹留城に退避するとのことで、江戸城における甲府城みたいな存在の城なのでしょうか。山中にとても素晴らしい構えの城として存在していました。ただ登城ルートがとてもわかりにくかったです。「埋もれた古城」の鷹留城のページにウモさん手描きの地図がありましたのでプリントアウトして利用させて頂きました。ありがとうございました。この地図がなかったら絶対にたどり着けなかったと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

詠狸庵

座喜味城 (2018/12/03 訪問)

名将護佐丸による築城と伝えられる座喜味城は、琉球のグスクの中でも規模は中位ですが、石垣の曲線が非常に美しく魅力的です。
上から見ると曲線的な五稜郭というか、イトマキヒトデのような形をした二つの廓を少しずらして重ねたような縄張をしています。
沖縄のグスクは、どこも太平洋や東シナ海の青い青い海原を見晴らすことができるのも魅力です。
他のグスクと同様、太平洋戦争末期に米軍の攻撃により多大な被害を受けましたが、見事に復旧されています。今の平和がいつまでも続いてほしいものです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

茲茲

色んなお城を見ましたが一目惚れです (2023/02/03 訪問)

姫路城、犬山城、岐阜城などなど今まで数え切れない数のお城を見ましたが、松本城を見た瞬間は感動しました。直ぐ色んなお城の本を見てお城の深さを知りこれから色んなお城をもう一度じっくり見たいと思い始めました。
松本城は本当に最高です。夜のお城は1番おすすめ!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

氏家小学校に土塁が一部残る (2023/01/29 訪問)

ここも時間勝負。
氏家駅から2時間で御前城と勝山城を廻る必要がありました。
御前城は氏家駅から徒歩10分くらい。
氏家小学校が城跡です。
小学校の北東部に少しだけ土塁が残っています。
平日は不審者扱いかもですが案内板もあるのでウェルカムかもしれません。
他は東側を流れる水路が堀跡かもしれません。
少しですが遺構が残っていること自体が嬉しいですね。
と感慨に浸る暇も無く勝山城へ向かいました。
そう言えば氏家は雛めぐりが有名。
駅前の観光案内所には雛壇が飾られていました。
ちょうど現在開催中らしいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【三河・長沢城と周辺】愛知県豊川市 旧東海道筋長沢城周辺散策 (2023/02/04 訪問)

 岩略寺城を城郭放浪記さんグーグルマップで調べていると岩略寺城北側麓に通る旧東海道筋に史跡マークが有り、長沢城跡、長沢御殿跡、観音堂城跡、旧東海道長沢一里塚表示されて居り、城郭放浪記さんでは巨勢陣屋が1km以内で紹介されて居り、岩略寺城を1時間探訪した後に、麓の旧東海道筋の誓林寺さんの駐車場に駐めてぶらぶら散策探訪しました。散策探訪前には誓林寺を参拝同じ宗旨のお西さんでした。
 後でわかりましたが東に300m程行った所に長沢地区市民館(愛知県豊川市長沢町午新122)が在り駐車可能です、東隣は長沢小学校です。

 探訪史跡
 Ⅰ、長沢城跡・・長沢小学校南東グラウンド道側に案内板あり、縄張概要図も有り、小学校南旧東海道筋から北へ古城団地辺りが城域だった様です。古城団地南西角に長沢城跡標柱が有ります、国道1号線北側です、遺構は良く分かりません、1号線バイパス、名鉄線、東名高速で南北が分断、宅地開発などで遺構が無くなったのでしょう。

 Ⅱ、長沢御殿跡・・家光の休息所として建てられた、長沢小学校裏手と国道1号線の間に遺構が有る様です、土曜日学校に入れず、北東側の入り口も虎ロープが張って有り入所を断念し望遠レンズで遺構石垣?遺構内部?を撮影。

 Ⅲ、旧東海道長沢一里塚跡・・標柱と土塁跡?を確認。(写真投稿無し)

 Ⅳ、観音堂城跡・・長沢小学校北西の樹々が茂った小山、南の警察官駐在所西横から登って行く、中に観音堂、直ぐ北は国道1号線。

 Ⅴ、巨勢陣屋跡・・愛知県豊川市長沢町山崎、巨勢氏5千石の旗本、吉宗に随身して旗本に成る、明治まで継承、西隣の立信寺に移築書院玄関がある。高速道、名鉄線、国道1号線で南北が分断されて居り、南北通れる道を探し降りたり登ったり。
 
 情報は城郭放浪記さんグーグルマップです、城情報は城郭放浪記さんでご確認ください。
 結構疲れました、岩略寺城、長沢城周辺で約4時間、店も無く非常携帯食とペットボトルのお茶で歩きながらの昼食でした。
  
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

202302沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)1日目:勝連城 (2023/02/03 訪問)

「沖縄に残る13のグスクめぐり(クラブツーリズム)ツアー」で座喜味城に行って来ました。
勝連城は2回目の攻城になります。
1回目は、「クラブツーリズム沖縄の名城5つを全てめぐる2日間」で2019/1/28に攻城しました。

2019年に攻城した時は歴史文化施設「あまわくパーク」はありませんでした。
常設展示場では靴連グスクや阿朝和利の歴史、勝連グスクの再現模型等が見学できます。
付近は工事中でテーマパーク化するようです。
攻城時間は70分くらいでした。本日の攻城はここで終り、宿泊先のホテルに向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「烏山城」 (2019/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
烏山城は、那須資氏の次男・那須資重が築城し、那須氏の居城となる。小田原征伐の際に、那須氏が改易され、織田信雄が一時城主となる。その後、豊臣秀吉から領地を与えられた成田氏長が烏山藩を立藩する。成田氏の家督争いが勃発し、改易。幕末まで譜代の大久保氏が治める。現在、石垣等が遺されている。

<アクセス>
JR烏山駅 徒歩25分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「勝山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
勝山城は、鎌倉時代頃に氏家公頼が築城し、氏家氏の代々の居城とされる。戦国時代には、宇都宮氏の支城となり、芳賀氏が治めた。1597年に宇都宮氏が改易されると廃城となった。現在、土塁、空堀等が遺されている。

<アクセス>
JR氏家駅 徒歩25分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「御前城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
御前城は、鎌倉時代頃に氏家氏の祖である氏家公頼が築いたとされる。戦国時代には宇都宮氏の支城となった。宇都宮氏が改易されたため廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR氏家駅 徒歩10分

+ 続きを読む

ページ702