紀州東照宮と和歌浦
(2023/01/21 訪問)
大河ドラマにあわせて…でもないんですが、仕事ついでに紀州東照宮と和歌浦を訪れました。紀州東照宮は、紀州徳川家初代・頼宜が父・家康を祀るため万葉集にもうたわれた景勝地・和歌浦に創建した神社で、例大祭「和歌祭」は昨年に創始四百年を迎え、松平健さんが徳川吉宗公(暴れん坊将軍)として渡御行列に参列されました(観に行きたかった…)。
紀州東照宮の駐車場に車を駐めると、係員が車まで来るので駐車料金(1時間300円)を支払います。一応は有料ですが、社務所で駐車券を示すと1名分の拝観料(大人300円)が無料になるので、実質的にはタダです。
鳥居をくぐって参道を進むと、両脇に紀州藩士が奉納した石灯篭が立ち並んでおり、創建時からの石灯篭も見られました。参道の石橋を渡った先には壁のような急斜面に侍坂と呼ばれる石段が続いています。その名のとおり頼宜の指揮のもと藩士が一段一段積み上げて築いたもので、108段の石段を上りきることで全ての煩悩を落として参拝できるんだとか。侍坂の上には楼門が建ち、楼門の両脇には祭神の家康・頼宜父子と思しき木像が祀られています。
境内は広くはないものの、朱塗りの唐門と権現造の社殿が目にも鮮やかです。神域のため撮影禁止でしたが、本殿は左甚五郎の彫刻や狩野探幽の壁画で華やかに装飾されていて、関西の日光と呼ばれるのも納得です(さすがに日光東照宮には遠く及びませんが)。境内をひとめぐりして楼門を出ようとすると、楼門越しに和歌浦が一望できました。和歌浦の景観は往時からずいぶん変わっているんでしょうけど、頼宜がこの地に東照宮を創建したのは亡き父にこの景色を見せたかったからだ、とするブラタモリ説にも頷くところのある情景でした。
また、紀州東照宮が頼宜が亡父を祀った神社なら、東照宮から南東に約1km、和歌浦に浮かぶ妹背山と呼ばれる小島には、頼宜が亡母・養珠院を弔うために建てた海禅院の多宝塔が現存しています。多宝塔下の石室の調査では、家康の三十三回忌供養として養珠院が埋納した多数の経石に加えて、養珠院のものと思われる遺髪が発見されているようです。妹背山には頼宜が築造した県内最古の石橋とされる三断橋が続いており、紀州青石(和歌山城の石垣にも用いられている緑色片岩)が敷き詰められています。
三断橋から南西に徒歩2分には東照宮和歌祭の御成道として幕末期に架けられた不老橋があり、九州以外では珍しい江戸期のアーチ型石橋で、和歌浦の名所のひとつになっています。
# 位置的には雑賀城が最寄ですが、紀州徳川家ゆかりの史跡なので和歌山城の周辺観光で投稿します。
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