<オススメ>★☆☆☆☆
成田氏館は、成田氏代々の館とされる。成田親泰の時に忍館にいた一族を襲って滅ぼし、忍城を築いた。その後、成田氏は忍城に居城を移したため廃城となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR熊谷駅 国際十王バス 「成田学校」下車 すぐ
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検索結果・・・「」を含む投稿
2023/07/24 09:57
「成田氏館」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
成田氏館は、成田氏代々の館とされる。成田親泰の時に忍館にいた一族を襲って滅ぼし、忍城を築いた。その後、成田氏は忍城に居城を移したため廃城となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
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2023/07/24 09:55
真夏のPM4時過ぎ (2023/07/19 訪問)
日本城郭協会理事加藤理文氏の夏期講座の後、浜松城へ会場の浜松地域情報センターよりゆっくり歩いて約20分、先ずは大河ドラマ館の有る二の丸浜松出世パーク到着。
浜松出世パークの葵のご紋を模した芝生が春の茶色から緑色に変わってる処を観たくて3月末以来寄りました、芝生は緑色に蒼々しており、東端より葵の芝生、ドラマ館越しに天守曲輪、天守を見上げる、天守に登って浜松出世パークの葵の芝生を見下ろす。
後はお決まりのコースを廻って、夕方のOBの飲み会に合流。
ドラマ館は時間帯もあるのですが空き状態、瀬名姫と信康の自刃放映直後で通路壁に「瀬名・信康ありがとう」来場者メッセージが多く貼られていました。涙を誘いましたからでしょう。
当日、市役所により浜松城を見下ろす屋上展望所を確認しましたが、時間切れでした。公開は年末年始と土日祝を除いた9時から16時まで、一階奥のエレベーターから8階へ展望の案内指示で階段を登り屋上へ行けます。
しかし屋上は周囲端から約1m程内にフェンスが四方を囲っていおり、その外には出れずフェンス越しの撮影と見学に成ります。
フェンスが無ければ視界明瞭、素晴らしい景観に成るのですが、安全確保のためとの事。
後日撮影のフェンス越し写真も1枚投稿します。
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2023/07/23 23:47
現地で見る (2023/07/22 訪問)
駐車場に迷いながらも、しかし濠を彩る蓮を存分に眺めれた偶然。
極楽橋を渡ると蓮がお出迎え。この時期でないと楽しめない風物詩。
新潟滞在のこり1時間、ついに写真のなかの土塁にたたずむ三重櫓と対面。
細部にこだわり見るものを楽しませる復元はありがたいです。外観も黒でカッコイイ♡
近くで見れる堀や土塁の美しさもいいなあと、今度は時間たっぷりでおじゃまします。
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2023/07/23 22:41
にのまるさん,レス御礼 (2023/06/08 訪問)
にのまるさん,早速のレス,ありがとうございます。
JR西日本のIC区間,以前まで山陽線は南岩国駅まででしたが,下関駅まで延長されていました。これにより,下関駅では,JR九州用改札機とJR西日本用の改札機が並んでいました。米原駅や熱海駅のような位置づけとなってました。
高嶺城攻城前日,門司港駅から下関駅までIC利用し(JR九州区間),JR西日本用の改札機にタッチしたらどうなるのか興味があったのでタッチしてみたら,結構大きなブザー音が鳴動しました。改札員の眠気を吹き飛ばしたようです…<笑>。
この後,下関駅で「ふく天うどん」を食しました。「ふぐ」を「ふく」って言うんだな…と,勉強になりました。
にのまるさんのご実家の最寄り駅は幡生駅(はたぶえき)ですか。山陽線と山陰線の分岐駅(合流駅とも言う…)ですね。山陽線はICが使えて,山陰線は使えないってことか…。絶対間違える人いると思う。
七尾駅はみどりの窓口が廃止され,遠隔モニターになっていました。昨年,ちょうど利用しているところを眺めていましたら,えらく時間がかかっているな…っていうのが率直な感想です。高齢者にはしんどいと思います。短気な人はすぐにキレるでしょう…。
1ゴールド,おめでとうございます。
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2023/07/23 21:49
下総守護の居城 本佐倉城 (2023/02/18 訪問)
2月後半の城郭巡り第1段となった千葉県印旛郡酒々井町の本佐倉城。
嘗て霞ヶ浦や利根川下流域は1つの"香取の海"を形成しており、現在2つに分裂した印旛沼は、その南にL字状に突き出た入り江(印旛浦)。
その南岸の半島状の台地を内郭群に、更に内郭群を囲む台地に外郭群を築いた本佐倉城。
北は浜宿湊が水上交通の起点となり、陸路は放射状に街道が引かれていました。
1400年代後半から秀吉の小田原征伐で落城するまでの下総守護千葉氏9代の本拠。
現在、外郭群は農地となっているものの、全体的に堀や土塁が残る国指定史跡の土の城跡。
訪問時は案内所のある東山馬場から入城し、内郭群を一通り(セッテイ山は立入禁止)巡って荒上と向根古谷へ。
内郭群は自然地形を活かしたつくりに感じられ、
・容易には入らせない城山(本丸)へのルート
・深く狭い東山虎口
・セッテイ山両サイドの10m級の空堀
が見どころでしょうか。特に東山虎口は独特な印象。
外郭群も荒上南側の堀と土塁が近くで見れないのが残念ですが、向根古谷の馬出は見逃すと勿体無い遺構。
滞在時間3時間半の本佐倉城が、私の城郭巡りの148城目となりました。
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2023/07/23 21:00
③五角形 (2023/05/28 訪問)
現存天守をじっくり楽しんだあと、次に向かったのは藤兵衛丸。郷土資料館(山里倉庫)の建物は伊達宗城の時代に武器庫として使われていたものが伊達家の米蔵となり、その後移築されたのだそうです。「うわじま伊達偉人展」(入館無料)を見てきました。
長門丸に降りると宇和島城の城碑が。そういえば遺構たっぷりのお城では敢えて城碑をさがすこともなかったなぁ。
長門丸は遊具のある広い公園ですが下ってみると櫓台を備えた長大な石垣が!宇和島城、どれだけかっこいいのか!
ぴしっとした算木積みとその近くに密集する矢穴石に改修の跡を感じます。櫓台の下に散乱する瓦片、コロンと転がる丸瓦もありました。か、かわいい☺️
藤兵衛丸下の最古の石垣も味わい深かったです。
式部丸は雰囲気がほかと違っていました。新しい感じがするのは、昭和時代に封鎖されていたのを修築したためのようです。当初から櫓や門はつくられなかったそうで、ヒミツの郭っぽい雰囲気がありました。
代右衛門丸にもさまざまな石垣が。高虎時代の石垣もそこかしこに見られるのがうれしいです。
南側の上り立ち門から退場し、伊達博物館へ行きました。
“お城から来ました”と言うと缶バッチをいただけるそうなので、(いい大人が~^^;)と思いつつも言ってみたら「好きなの選んでいいですよ♪」と言ってくださったのでじーっくり選んで天守の缶バッチをいただきました(^^)/
天赦園へも行ってみましたが、河後森城へ行く電車の時間が迫っていたので外から見るにとどめました。
そして宇和島駅へと徒歩で向かったのですが、前日から感じていた違和感がここで炸裂。
上り立ち門の方角を考えても城山を右手に見ていれば駅に戻れるはずだと思っていたのですが全然近づきません。Googlemapを見ると、駅はもう一回曲がったはるか先の方。しかも右だと思っていたのに左。駅近くまでやっと戻って、前日宿泊したホテルの位置や道順を思い出し、城山を振り返ってみたのですが、どうしても位置関係を把握できません。(グーグルさんを疑ってしまう始末💦)
こんな町なかのお城で方向感覚を失うなんてヤバいなーと思ってしまったのですが、ふと思い当たったのが宇和島城の縄張り。空角の経始と呼ばれる幕府隠密も見誤ったという高虎の五角形の縄張りが今も主要道路や町割りに残っているのです。
私、もしかして高虎さんの仕掛けに引っかかった?
そう思って改めてじっくりマップを見てみました。
やはり曲がり角ひとつ分欠落して考えていました。
そして五角形の内角の和は540°とか超絶久しぶりに思い出して鈍角に進んでいたことに気づいてようやく納得。
海城時代の面影は今はもうないと信じ切っていたのですっかり騙されてしまいました。というか勉強不足なのですが、高虎さんに騙された―!と思うと楽しくておかしくてうれしい経験なのでした。
<おわり>
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2023/07/23 20:49
②本丸 (2023/05/28 訪問)
二の丸から本丸への最後の門、一の門(櫛形門)の下からは天守は見えません。
石段をゆっくりと、後ろ向きで海を見たりしながら登っていよいよ天守とご対面!
100名城スタンプの存在を知ってから足掛け10年で、ついに現存12天守制覇、1ゴールドゲットですヾ(≧▽≦)ノ
100名城・続100名城スタンプはあと28個(+有子山城)。
いつの日かこの「みんなの投稿」欄でコンプ報告したいです!
なので「城びと」さん、ずっと続いていてください。お願いします。
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2023/07/23 20:45
① 北側登城口(藩老桑折氏武家長屋門)より二の丸まで (2023/05/28 訪問)
前日に四国入りし大洲城見学のあと、予讃線で宇和島へ移動しました。
乗車券は東京都区内から松丸(河後森城)まで通しで購入していたので、まだ途中下車(北宇和島⇔宇和島は別途購入)です。
宇和島駅からホテルに向かって歩いているときに何となく方向感覚のズレを感じました。その時は商店街が碁盤の目じゃなかったのかな、程度に流したのですが、この違和感が結局最後まで付きまとうことになります。
翌朝、天守開館の9:00前にそのほかのところをできるだけ見ておきたかったので7:00過ぎに行動を開始、北側登城口へ向かいました。
この時にも“何か違う”という違和感がじわじわと湧いてきます。
昔から好きだった「歩くこと」をお城めぐりでも続けているうちに体が覚えたはずの感覚や勘が生きてこないというか、悉くハズレの方向に行ってしまうのです。
それでも登城口に着いたので、登城口の藩老桑折氏武家長屋門より入城しました。この長屋門は城下唯一の現存長屋門だそうです。城門として観光客を迎えるようになるなんて誰も想像してなかったでしょう。ほんとうに、将来のことなんて誰にもわかりません。
城門をくぐり、石段を登って最初に井戸丸に向かいました。
石段のキツさとかっこよさは比例します。井戸丸門の石垣の惚れ惚れするかっこよさに行ったり来たりしてしまいました。縁石に金石文の残る井戸跡を見て、三の門へと登っていきます。ここの石垣もかっこいいです。積み直しの境目は言われてみないとわからなかったし、かっこいいしか言えないのですが、宇和島城と言えば現存天守で、天守目当てに来たところが大きかったので、これらの荒々しい石垣に、自分の知識や想像力の乏しさを再認識してしまいました。百聞は一見に如かずです。
三の門左、御弓櫓石垣の上に天守の屋根が見えました。この上が本丸。
ですがその前に二の門があって、最終防衛の二の丸。二の丸では御算用矢倉跡の礎石やかつての石垣ラインを示す石など足元の遺構展示が楽しかったです。
二の丸と連結する帯曲輪は通行禁止でしたが、本来ならば本丸へ上がる一の門(櫛形門)石垣の右側(写真⑨)から三の門の近く(写真⑩)まで一周できるようです。
<つづく>
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2023/07/23 09:12
目的地は右側です。 (2023/07/04 訪問)
「 松田城」の後、「苅野丸山城」に転戦しました。
こちらも、北条家家臣 松田 憲秀さんが街道監視の為に築城したようです。
Googleで位置を確認。車で向かいました。
川にかかる一色橋を渡り細い道に案内した後、『目的地は右側です。』と到着を報せて終了。
写真①が目的地の到着した所で、写真②③が目的地の右側です。
真っ直ぐ行ってUターンできなかったら心配だし、登城口があっても、山には怖くて入れないので退陣。
それでも『行った』をポチっとしました。
石碑も標柱も説明板もないのに位置を知っていたGoogleにビックリした「苅野丸山城」攻めでした。
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2023/07/23 02:07
⑤三の丸南隅櫓 (2023/05/27 訪問)
大洲城に現存する4櫓のうち最も古い三の丸南隅櫓に足を延ばしました。
広い三の丸の南の隅、外堀に面した場所で「三の丸南隅櫓公園(通称:お殿様公園)」の敷地内です。
隅櫓は国の重要文化財ですが、公園内のためか扉は開いており椅子も並べてあって中で休憩してもよさそうでした。(開園時間は8:30~17:00)
すっきりした外観は袴腰型の石落としがいいアクセントになっています。石落としは内側から塞がれているようでした。
敷地内にある加藤家住宅主屋はNIPPONIA HOTELとして整備され、宿泊できるそうです。一階は見学可能でした。
外堀側から公園を見ると、バックに天守が顔をのぞかせています。その絵面が堪らなくよかったです。
1888年に取り壊されてから2004年に復元されるまでの百余年の間は見ることのできなかった景色だと思うと感慨深く、天守復元は城下の印象も一変させるほんとうにすてきな試みだと思いました。ここからこんな風に天守が望めたんだなぁと周りの家々をモノクロームにして往時の景色を脳内再現してみました。
公園南側の道路がクランクしているところも古地図のとおりで外堀の痕跡のようですが、もっと萌えてしまったのが「枡形」です。
お殿様公園に向かう途中、最初にお城に向かった時も通ったところですが、「枡形」のバス停が数本まとめて立っていました。城跡を示す地名は今でも各地で見ることができますが、名前だけではなく形状も残っていて、自動車が溜まったりゆっくり曲がったりする様子は眺めているだけでもいいものでした。
<おわり>
朝田さん、雨の中、我が故郷へようこそおいでくださいました。
山口は地震はあまり起きないですが台風はバンバン来ます。壇ノ浦の国道9号線を走っていて大波をかぶったり、駅が水没したりとかもありました。雨男のせいではないかもしれません(^^)/
ICカード使用可はうれしいです。私の実家の最寄り駅は下関駅の隣の幡生駅なのですが、小倉からピッ!とSuicaで入ってしまって精算できず、ということを何度繰り返したことか。。。
そのかわり(?)新幹線の駅でもみどりの窓口がなくなってきたりもしているようで、電車移動派としてはいろいろ心配です。
高嶺城は山口大神宮ルートで見られる石垣を一箇所見落としているので私もまだ制覇した気にはなっていないです(◞‸◟)
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2023/07/23 02:05
2023/07/23 02:05
2023/07/23 00:39
【再訪】台風による前日の雨,うらめしく… (2023/06/09 訪問)
前日に福岡空港経由で山口県入りしました。計画では「門司城攻城」→「関門海峡を歩いて渡る」→「唐戸市場でふぐを食す」でした。JR門司港駅まで行きましたが,台風による風雨の強さからこのプランニングを断念しました…<泣>。
そしてこの日は,前回突如の腹痛で途中の曲輪までしか行けなかった高嶺城の再訪。にのまるさんが攻城された「山口大神宮ルート」を調べ上げ,このルートで登る気満々でしたが,前日の雨により危険が伴うと判断し断念。結局,前回と同じ「木戸公園ルート」をチョイスしました。
主郭までの登城道で,アオダイショウと思われる大蛇と遭遇しました。頭部は見ていないので何とも言えませんが,独特な動きの鈍さと,あの太い胴体はまさしく…って感じでした。越後では,新発田市を中心とした下越地方で良く見かけます。毒はありませんが,あまり気持ちのいいものではありません。
ま,今回,無事に宿題をクリアしたという感覚です。
そうそう,JR新山口駅~JR山口駅間,IC使用可能となっていました。
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2023/07/22 23:07
唯一無二の外観 (2023/01/26 訪問)
福山城天守のド派手なリニューアルの影に隠れたが岡山城天守のリニューアルもなかなかのもの。複雑で非対称な構造を持つ天守外観はまさに唯一無二。24時までのライトアップも夜中でも本丸に入れる点も嬉しい限り。
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2023/07/22 22:37
明教寺 (2023/07/22 訪問)
明教寺付近が跡地と伝わっています。訪れた日には山門は開放されていて中に入らせていただくと明教寺縁起が彫られた石版がありました。中川清秀が築いた城との記載がありました。
阪急千里線下新庄駅から徒歩約5分くらいで行くことができます。
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2023/07/22 22:28
三宅出羽守国政 (2022/07/22 訪問)
蔵垣内公園と東罐興業株式会社敷地内の2か所に城址碑と説明板がありました。
沢良宜城から徒歩にて登城しました。帰りはJR千里丘駅まで歩きましたが、約15分でした。
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2023/07/22 22:22
藤井三位 (2023/07/22 訪問)
美山公園に石碑と説明板があります。
黒丸城から向かいましたが、鳥飼本町一丁目バス停からバスに乗り沢良宜橋バス停で降りました。バス停から徒歩約3分で美山公園に行くことができます。
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2023/07/22 22:18
道の片隅に (2023/07/22 訪問)
大阪府道15号八尾茨木線の道路、歩道に城址碑と説明板があります。遺構はないと思われます。
阪急京都線茨木市駅からバスに乗り鳥飼本町一丁目バス停下車2~3分で城址碑に行くことができます。
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2023/07/22 21:56
2023/07/22 21:50
足利義栄 (2023/07/22 訪問)
足利義栄が室町幕府第14代将軍の宣下式を当地で行ったとされています。
阪急京都線富田駅から徒歩約10分で普門寺に行くことができます。金網のフェンス越しに土塁が見えるのですが草で覆われて一部しかわかりませんでした。
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