今年の初めに訪れた限りでは近年の台風等による被害の影響を払拭しきれないように見受けられたが通常の散策には支障はなさそう。いつか山中に潜む未踏の曲輪群にも足を踏み入れてみたいと密かに思っている。
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2023/07/27 19:19
台風被害の影響も見られるが (2023/01/18 訪問)
今年の初めに訪れた限りでは近年の台風等による被害の影響を払拭しきれないように見受けられたが通常の散策には支障はなさそう。いつか山中に潜む未踏の曲輪群にも足を踏み入れてみたいと密かに思っている。
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2023/07/27 14:19
現代に甦る藩札 (2023/07/27 訪問)
鰻食べる目的で柳川を訪問。
水郷の城下町として整備されてますが、城趾は中学校、高校の敷地に挟まれるように残っているだけで寂しい限り。入る道を間違えると校内に侵入しそうになります。
水路が張り巡らされた城下町の造りを楽しむのが主体ですかね。
あと街のプレミアム商品券が「藩札」の名称で発行されているのに地元愛を感じますね。
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2023/07/27 08:21
やはり標柱のみ (2023/06/09 訪問)
室町中期に太田道灌が築いた館城で、同じ高台上の築土城と一つの城だったとも云われます。江戸前期には徳川家光が鷹狩の際に仮御殿を設けた地でもありますが、現在は住宅地になっていて遺構は消滅しています。
筑土八幡神社から御殿坂をはさんで西側が城跡とのことで、周辺を散策していると城びとの位置情報付近の壁面に何やら説明板らしきものが…。城びと先達の投稿では、石碑も説明板もないため、みなさん御殿坂の標柱の写真を投稿しておられますが、ついに説明板が新設されたのでは!? と勇んで近付いてみると「東京府仮小学 第三校跡」とあり、城とは何の関係もない説明板でした。やはり此処には標柱しか投稿できるネタはなさそうです…。
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2023/07/27 06:41
献血前の攻城 (2023/06/24 訪問)
もりおか献血ルームメルシーの予約は15:00からなので電車で行けるスポットとして赴きました。「北東北の名城を歩く」や先達のお二人の投稿を拝見しておらず、五郎沼も説明板もスルーしてしまいましたので、いつか再訪せねばなりません。とりあえず、薬師神社と箱清水石卒都婆群には脚を伸ばせたので攻城カウントさせていただきます。
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2023/07/27 00:21
現在残るは東西二郭。東郭の土塁は圧巻。 (2023/07/16 訪問)
窪之庄城はの東大寺の荘官だった興福寺衆徒・窪城氏が居城とした‥とあります。
東西の方形の郭が存在し環濠集落を外郭とする‥とあります。
まあwikiからの受け売りなんですけど
実際、東郭が主郭とみられ背後の土塁が非常に高く、その北側にも堀切があって
北側からの攻撃を遮断しています。
西郭と東郭の間にも堀切があり、西郭には土塁はそれほど残っていないようです。
東郭は南を除く三方を土塁で囲まれ、特に背後の高土塁は圧巻です。
高土塁の上は帯郭の役割も果たしていたのではないでしょうか。
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2023/07/26 23:05
倒木だらけ。入口はヤブ。気候が良いときに登りたい。 (2023/07/16 訪問)
豊田城は豊田氏による築城と伝わります。
堀切や土塁など遺構が残り、なかなか見ごたえがある城なのでしたが
状態はかなり悪いです。
農道から入ってしばらくすると案内板があるのですが、入り口は藪で完全に
ふさがっていますので、恐れず中に突入していきます。
長大な竪堀(?)が登城道の役割をしているので、そのまま登っていくと
南郭に到着しますが現状は藪です。
左手から上に登る道が続いているので登っていくと主郭周辺の堀切にたどり着きます。
現状、荒れ放題で倒木も多く、主郭は草木に覆われていますが、何とか周辺を散策していくと
主郭南東部の副郭の南側にコの字の形状の不思議な土盛が残っています。
基部は石で土塁を強化しているようなので、弾薬か食料か、大事なものを貯蔵して
いたのではないかと推測します。
国土地理院の地図のアプリがうまく機能していないので位置の把握に苦労しましたが
土塁上を移動し、なんとか主郭の背後まで回り込みました、
そのまま主郭を散策し豊田城の散策はこれで終了します。
正直、この数日は記録的な猛暑で、遺構は荒れ放題と、なかなかきっつい訪城でした。
こんな気候で山城に挑むこと自体どうかしているのですが、このあと椿尾下城と上城を
訪問しました。
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2023/07/26 22:20
黒塚古墳を浮島として眺めていたのかも。それも優雅な話だな。 (2023/07/15 訪問)
柳本陣屋は織田有楽斎の五男尚長が一万石を分知され寛永年間に柳本城跡に
陣屋を築いたのが始まりとされています。
黒塚古墳の周囲の池も天然の堀として流用していたようで公民館あたりの
張り出しに石垣らしきものが残っています。
陣屋跡は現在小学校となっていますが、近くの専行寺に織田有楽斎の供養塔が
残っているようです。供養塔の情報は城郭放浪記から頂きました。感謝です。
西門も移築されていたので訪問してみましたが、すでに民家ごと取り壊されて
しまっていました。2015年10月に訪れた時は、まだ現存していたと思いますが
これも時代の流れというやつですね。
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2023/07/26 21:23
2023/07/26 21:06
コンパクトだけど土塁と堀切がしっかり残る。 (2023/07/15 訪問)
桜町中将城は織田信長次男、織田信雄によって築かれたと伝わります。
信雄の官位のひとつに左近衛権中将というものがあるので
これが城名の由来でしょうか。
城としてはコンパクトで陣城のような感じですね。
主郭を土塁で囲み南側に虎口を設け
北東西を深い堀切で囲ってあります。
南側にも郭が設けてあるようですが、多数の兵員は
北西の滝川雄利が守る滝川氏城に駐屯させていたのではないでしょうか。
民家のわき道を登って行った先にこの城があるのですが
はたから見ているとこんな城が雑木林の中にあるなんて
ちょっと思いつかないでしょう。
そういえば北側にあった標識に桜町中将城(雑木林)と書いてあったような
気がしますが、この城の登城方法としては南側から
民家のわき道を抜けてはいっていっくのが正解な気がします。
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2023/07/26 20:35
伊賀最大の単郭城郭はまさにグラウンド。 (2023/07/15 訪問)
滝川氏城は滝川三郎兵衛(雄利)によって築かれたと伝わります。
縄張りは余湖くんのお城のページから参考にさせていただきました。
縄張り通り周囲を高い土塁で囲まれていて
南側と西側には堀切があります。
馬出しは果樹園になっているようなので、誤解をさけるため
土塁は確認していません。
主郭はとにかく広く、平方形をしていて、まるでグラウンドのようです。
北東にネットがあるので球場としても使われているようですね。
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2023/07/26 20:13
小ぶりだが造りはしっかりしている服部半蔵のオヤジの城。 (2023/07/15 訪問)
千賀地氏城は服部氏族の一つ千賀地氏の城と伝わります。
石碑を見ると、あの服部半蔵ともかかわりがあるようですね。
基本的に主郭しかありませんが、小規模な割には造りがしっかりしています。
主郭の周囲を土塁で囲み北側の土塁は厚く物見も兼ていたものと思われます。
その北側は堀切で遮断、西の尾根上にも堀切が続いて西側から
攻めてくる敵を遮断しています。
服部半蔵正成の父、服部保長は当地に移り住んだ際に千賀地氏を名乗ったと
wikiには出ています。
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2023/07/26 19:25
伊賀上野城 おまけ (2023/07/15 訪問)
伊賀上野城の投稿では石垣が主体だったので
今回のおまけの投稿では木造模擬天守を主体に紹介させていただきます。
外観は三重天守、内部構造も三階ですがその分、天井が高いです。
模擬天守として十分な大きさがあるのですが
実際に外からながめてみると、五重の天守も見てみたかったな‥
と思ったりするのですが、ガイドさんが地元の篤志家が資材を投げうって‥みたいな
話を一生懸命してくれるのを聞いていると、これはこれで有りがたく
拝見させていただくか‥ といった気持にさせられます。
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2023/07/26 19:07
秀頼を 睨む上野の 高石垣 ・かるたの読み札 (2023/07/15 訪問)
短歌も一つ
忍びとは 生きて上野の 草となり 死して上野の 土になりけり
‥文法あってますかね。
上野城はもともとは伊賀国人衆の軍事的な拠点であった平楽寺が前身で
あの藤堂高虎が石垣を築いたことで有名な城です。
大阪の豊臣家を抑えるために築かれていたのですが
先に大阪夏の陣で豊臣家が滅んでしまったので、工事が中断し
城代屋敷が置かれたそうです。つまり未完の城なんですね。
今回、初めて下の方へ回って高石垣を見てみたのですが
樹木がうっそうとしすぎて、ちょっと残念な感じです。
石垣もいろいろ草が生えてきているのですが、遺構を傷つけないか
心配になります。
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2023/07/26 18:13
2023/07/26 18:01
2023/07/26 17:42
2023/07/26 17:26
2023/07/26 08:56
幻のお城です (2023/07/25 訪問)
今は、明治や昭和の改修工事だ、渡良瀬川の底に、沈んでしまった幻のお城です。
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2023/07/26 08:17
筑土八幡神社 (2023/06/09 訪問)
戦国期に上杉氏が築いたと伝わり、現在の筑土八幡神社が城跡とされますが、遺構は消滅しており、詳細は不明です。
JR飯田橋駅西口から神楽坂~三年坂を経て筑土八幡町の交差点へ。見上げるほどの石段の上が筑土八幡神社で、武蔵野台地の突端にあたる位置関係にお城っぽさを感じますが、築土城としての石碑も説明板もなく、筑土八幡神社由来にも上杉朝興が社壇を修飾した旨の記述はあるものの、城に関する内容は見られません。
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2023/07/26 07:14
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー67城目 (2023/06/24 訪問)
6月25日の東京での研修に大人の休日俱楽部パスを利用することを思いつき、金曜日に上京、前泊して、土曜日の始発の東北新幹線で二戸駅に降り立ちました。本丸はまだ整備途上のようでしたが、二の丸はきれいな公園として整備されていました。安養寺が松の丸だと思っていたのですが、その奥に松の丸公園があり、深い空堀に囲まれていることを確認できたのは大きな収穫でした。
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