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ガチャピン

一夜城 (2022/03/11 訪問)

駐車場が分かりにくいです

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ガチャピン

巨鹿城 (2022/03/11 訪問)

水の都

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躑躅ヶ崎亭への道

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

武田神社の東、大手のすぐ外にある丘・躑躅ヶ崎はかつてツツジが咲き誇っていたと言われていて、武田氏館の通称「躑躅ヶ崎館」の元にもなってます。
この躑躅ヶ崎の尾根には、かつて信玄公があずまやを構えて風景を楽しんだと伝えられ、現在は案内板と小さな祠が残されています。

このあずま屋跡はgoogleマップに「躑躅ヶ崎亭」の名で掲載されてますが、行った当時は案内表示が設置されてなかったので道順を紹介します。

①龍華池の階段を登って、中腹部分で右に曲がってください
 階段を登りきると池が見られますが行き過ぎなので降りてください
②橋を渡って林道へ歩いてください
③右手に保安林の看板が見えたら10mほど歩くと分岐点を左に登ってください
 案内表示がなく一見獣道なので見落とさないようにご注意を
④道なりに歩くと祠と表示板が見えます
 到着です♬

あずま屋跡へは山道に入ってから10分足らずで行き着けますが、林道からの分岐点を見落としやすくて、うっかり見落とすと30分近く登山道を歩いて「躑躅ヶ崎園地」まで迷い込むので注意が必要です。

迷い込んだ本人が言ってるので間違いありません。

「躑躅ヶ崎の森」と書かれた大きな案内板が見えたら、行き過ぎてるので引き返してください。(E)

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カルビン

解説に砦の説明あるの知らなんだorz (2021/12/05 訪問)

現在の高安寺が砦跡で有る事はお城巡り始めた当初より知っており、真っ先に訪問済だったのですが・・・砦を示すものが遺構を含めて何も無いと思っていた為にupしておりませんでした。

つい最近になって高安寺が砦跡だった事が解説に書かれていると知ったので、京王線府中駅からすぐの場所にある称名寺が源頼朝の遠縁の源八幡太郎義家の居館跡であると聞いた事も合わせて12月に一緒に訪問致しました。

高安寺の開祖が足利尊氏と言う事ですが、府中には他にも徒歩圏内に分倍河原古戦場や府中御殿&武蔵国府もあり、いろいろな時代の史跡が残っている場所・・・と言う事はこの地は利便性等を考慮して時代が変わっても重要な拠点だったんだろうなぁ・・・と思われます。

最近これらの史跡が整備されて見やすくなっているので、大國魂神社への参拝も含めてまとめて訪問されるとお得です。


競馬ファンの方なら競馬場も目と鼻の先にありますよ~


オマケに八幡太郎義家関連の写真も合わせて掲載させて頂きました。

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じゅんじん

釜原城 (2022/02/13 訪問)

高天神城方面がみられます。主郭などかなり改変されていると思われます。

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じゅんじん

天ヶ谷の城平 (2022/02/13 訪問)

ここも武田の手が入っていますね。

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じゅんじん

八幡平の城 (2022/02/13 訪問)

新野氏の詰城ですが武田氏に攻略され改修されました。きれいに整備してあり説明板も設置されています。

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じゅんじん

山城 (2022/02/13 訪問)

公民館に停めて上ります。主郭、二の郭、堀切がありました。
周囲には武田流の魅力的なお城がいくつかあります。

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じゅんじん

六郷神社 (2022/02/12 訪問)

近くのコンビニに停めさせていただき訪問。神社⛩でした。

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じゅんじん

土塁 (2022/02/07 訪問)

物見やぐらが建ってます。土塁上に城址碑があります。駐車場、トイレ完備。新幹線も見れますよ。

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じゅんじん

雪の御朱印屋敷 (2022/02/10 訪問)

近くで仕事したので帰りに寄りました。笛吹も雪が降るんですね。
地元の食堂のかつ丼がおいしかった。

帰りの中部縦断道は雪で通行止めでした(´;ω;`)

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ヒロケン

日本三大水城の一城 (2014/09/13 訪問)

高松城は、豊臣秀吉公から讃岐12万石を与えられた(後に17万6千石)、生駒親正が現在の地に築城着手した水城です。縄張りは、黒田孝高とも細川忠興とも云われています。数年の歳月を費やし完成した高松城は、海水を外堀・中堀・内堀に引き込んだこの城は、日本三大水城の一つとされています。
生駒氏の統治は54年間続きましたが、生駒騒動により讃岐を召し上げられ出羽に移封となった後は、水戸光圀公の兄、松平頼重公が12万石を与えられ高松城主として入城しています。その後は、松平頼重公以来、松平氏の治世が228年間続き、明治維新を迎えています。

現在の高松城は玉藻公園として、数棟の現存櫓や天守台・石垣・曲輪が残っています。着見(月見)櫓・続櫓・水の手御門・渡櫓・丑寅櫓等が重要文化財に指定され、見所の多い城跡です。

2月26日放送の「ブラタモリ」で高松城が紹介されており、水の手御門は城主が参勤交代に出るときにのみ使用されたとの説明で、「なる程、そうだったのか」と画像を見返しました。
自分が登城した2014年9月13日の折は、玉藻公園駐車場に駐車、移築櫓の丑寅櫓を見学、本丸・月見櫓・水の手御門を見学し、二の丸から天守台に向かったと記憶しています。見所の多い城なので是非お薦め致します。

POYO58さん 体の心配をして下さり誠にありがとうございます。また、私の拙い投稿を評価して頂き感謝です。私も、POYO58さんの投稿を楽しみに拝見させて頂いております。POYO58さんは、まだお若いですが健康に気を付けて、お互いに城巡りに勤しんでいきましょう(#^^#)

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赤い城

主郭には伯耆根神社 (2022/03/06 訪問)

玉生公民館に車を駐めさせていただき伯耆根神社に。
鳥居から急な石段を登って行くと伯耆根神社があり、ここが主郭。
背後に高い土塁があります。
さらに進むと広い二郭があり、周囲を二重の横堀が囲んでいました。
横堀はそれぞれ南側に向かって竪堀のように落ちていました。
導線かもしれません。
あまり大きな城ではありません。
宇都宮氏家臣の玉生氏の築城とされます。

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ぴーかる

置塩城 (2022/02/23 訪問)

【置塩城】
<駐車場他>登城口前駐車スペース
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁・石垣
<感想>赤松氏の山城攻め本拠地攻略。置塩城は文明元年(1469年)に没落して加賀半国の支配から播磨・備前・美作の三国守護に返り咲いた赤松政則によって築城されたとされる。本格的な改修・整備がされたのは16世紀中頃の城主である赤松晴政・義祐の時代であったようです。現在残る遺構もその頃のものです。置塩城は城主則房の時、秀吉の中国攻めの際に降伏して廃城となりました。
 麓から城跡までの登山は1~18丁の表示があり城跡入口の南曲輪群上段まで18丁=約2㎞あります。城跡内も広いのでハイキング装備の方が良いでしょう。登城口ゲート前にパンフレットが置いてあります。また月に1度城跡内で御城印の頒布があるようです。
 
 置塩城の中心部は二の丸と呼ばれる曲輪でそこから尾根伝いに段曲輪が多方向に派生しています。本丸は二の丸の北東の位置に山の鞍部を隔てた独立した場所にあります。私が思うに本丸はたしかに最高所で広い曲輪であるけれども、城の鬼門の位置にあるのはおかしいと思うので二の丸と呼ばれる曲輪が主要部であって本丸はかつては違う役割で呼び名であったように感じました。

 城跡は二の丸は仕切り石積み・土居を備えた東西に広い、南北に数段ある曲輪群となっています。二の丸の北側に台所跡、二の丸北曲輪群があり、北東側に鞍部を隔てて本丸があります。本丸は帯曲輪を備え南側に段曲輪があり本丸虎口付近と曲輪壁南側に石垣が残っています。鞍部に巨石を利用した石垣が広く残っていたようなのですが最近崩落してしまいシートが掛けられていました。残念。二の丸の北西側に三の丸があり三の丸から北側に大きい北曲輪群、三の丸から西側に小さい三日月状の西曲輪群が十数段あります。最下部付近に枡形状の大手門跡があります。西曲輪群(大手道)は道がロストしているのでストック要です。二の丸の西側に広い馬場があり、二の丸・三の丸の高い切岸が見れていい見応えです。二の丸の南西側に舌状の南西曲輪群があり大石垣が残っています。二の丸の南東側に南曲輪群があり上段に茶室跡と呼ばれる曲輪があり、石垣が多く残っています。城跡の入り口はここからになります。

 曲輪だけでも60以上、入り込める曲輪が50くらいはあるので巨大城跡を十分堪能できます。石垣も露出している所と草木で隠れた箇所とあるので石垣や石垣跡を探索するのも楽しいです。竹田城といってもいいですが、置塩城も赤松氏の盛期の城で赤松氏山城の最終形態といってもいいでしょう。百・続百名城に負けていない城跡です。

<満足度>◆◆◆

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todo94

青春18きっぷで身延線完乗 (2022/01/07 訪問)

蒲原城から富士駅に戻り身延線で富士宮へ。徒歩で大宮城を目指しました。富士山本宮浅間大社の大宮司家の居城で大宮小学校がその故地とのことです。折角でしたので、世界遺産の構成資産、駿河国一宮の富士山本宮浅間大社と静岡県富士山世界遺産センターに立ち寄っていきました。身延線完乗はこれが2回目なのですが、車窓から富士山の絶景を堪能したのはこれが初めてです。この後のオミクロン株の猖獗の所為で1月の攻城はこれが最後になってしまいました。

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鱸氏の城 (2022/03/12 訪問)

 主郭周辺と枡形門にある石垣が見どころだと思います。枡形門の石垣は通路とは反対側にも少しですが残っていました。竪堀が好きなので愛知県では珍しい畝状竪堀がよかったです。城域の主要な見学路は整備されていて歩きやすいです。
駐車場が山腹にあり、そこから城域まで約5分で行くことができます。公共交通は豊田市駅からおいでんバスで1時間と少し、「小原大草」バス停で下車して徒歩15分くらいでしょうか。
近くの西運寺に移築門があるということでしたが、見逃してしまいました。

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関ケ原 (2022/03/10 訪問)

 西高木陣屋に行くバスの発車まで時間があったので、JR関ケ原駅より徒歩で関ケ原を散策しました。時間の関係で全部は回り切れませんが、それなりに楽しめました。各陣地に標識がありわかりやすかった。

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島津豊久の墓 (2022/03/10 訪問)

 樫原城から歩いて10分くらいの場所に島津豊久の墓といわれている場所があります。
島津豊久は関ヶ原の戦いの「島津の退き口」のとき、島津義弘を逃すために身代わりとなって奮戦し戦死します。自分の中では関ケ原の戦いでは、この「島津の退き口」がクライマックスで「捨てがまり」として奮戦した島津豊久の名は知っていました。島津豊久がどこで亡くなったかは諸説あるようですが、最終的にはこの地に葬られたと伝わっています。

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樫原城 (2022/03/10 訪問)

 明智光秀生誕の城の候補として挙がっている多羅城の候補の一つの城です。城びとには未登録の城址です。城ヶ平城より徒歩15分くらいでしょうか。津島神社が登城口です。城址はよく整備されていて堀切、横堀などを観ることができます。
ここにも水色桔梗の多羅城の幟が立っています。

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城ヶ平城 (2022/03/10 訪問)

 明智光秀生誕の地というのは岐阜県内でも複数候補がありますが、多羅城というのは明智光秀生誕の城の候補のひとつです。多羅城というのはどこかよくわかっていないらしいのですが、西高木陣屋付近が有力候補です。しかし2019年発掘調査が行われ、この城ヶ平城と近くにある樫原城も多羅城の候補となっていて3カ所あるようです。城びとには未登録の城址です。西高木陣屋から徒歩15分くらいで城址の入口に行くことができます。城址へ行くと水色桔梗の下に多羅城と書かれたのぼりがたっています。横には「明智光秀生誕の城」と書かれていました。城址はよく整備されていて横堀、井戸、土塁等を見ることができます。

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