先稿でも書きましたが、関ヶ原の戦いに関しては一次史料から二次史料まで大変な数の史料が存在しているんですね。定説とされている二次史料の代表的なものと言えば太田牛一が記した「内府公軍記」だと思います。「内府公軍記」は合戦の翌年には原本が完成し、家康公に献上されたとあるので案外信用できないわけでもなさそうですが、正徳3年(1713)に書かれたとされる「関原軍記大成」はだいぶ脚色がされてそう‥。近年発表されている一次史料による新説だと開始時間から陣立て、小早川秀秋の裏切りのタイミングまでだいぶ定説と(あえて旧説とは呼ばない)異なっているようです。とりあえず自分が気になっている箇所をまとめると
① 関ヶ原の合戦前日、9月14日に両軍の総大将、徳川家康と毛利輝元の間に和睦は成ったのか?
② 南宮山に毛利の大軍は収容できたのか?
③ 吉川広家に野心はあったのか?
④ 合戦の開始時間と終了の時間はいつなのか?
⑤ 小早川秀秋は開戦と同時に大谷隊を攻撃したのか?
⑥ 石田三成の陣は山中(地名)にあったのか?
とりあえずこんな所ですね。①に関しては私見を後の投稿で述べたいと思います。②に関しては自分の目である程度確認してきました。
②に関しては後の投稿で詳細を述べたいと思います。
⑥に関しては山中周辺を散策して見るしかなさそうです。城びと目線でということで、まずは散策して自分の目で見て考える‥というやつですね。
東首塚‥ 関ヶ原町関ヶ原(古戦場記念館より南に250m)
松平忠吉・井伊直政陣跡‥ 首塚のすぐ近く
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