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タック

姫路城天守を望む (2022/09/16 訪問)

世界遺産であり国宝の姫路城。その堂々たる姿は姫路駅からでも大きく見えます。
城内に入っても大体の場所から天守が見えるけどなかなかたどり着かない。その上、狭い箇所や直角に折れ曲がった通路、多くの狭間など防御の仕掛けも豊富です。
一生に一度のみならず何回行っても楽しめて新たな発見がありそうなでした。

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ランフランコ

#25 飯盛山城 (2023/02/11 訪問)

飯盛山山頂にあり大阪府下を一望できる。この城から見下ろせばきっと天下獲った気分になれるに違いない。

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todo94

髪のびの井戸 (2023/01/04 訪問)

青春18きっぷでのアプローチ。三岐鉄道三岐線の切符は硬券でした。暁学園の敷地内と云うことで勝手な立ち入りは出来ないのですが、正月休み中で人気もなかったので駐車場に続く舗装道路を進ませていただくと、駐車場の手前の一角に髪のびの井戸と萱生城殉難者供養碑がありました。説明板には、髪のびの井戸の由来、落城秘話が記されていました。

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にのまる

続き (2023/01/04 訪問)

長宗我部元親像、歴史民俗資料館をじっくり見学させていただき城址へ向かいました。
二の段から堀切を越え詰下段。そこから東側の三の段にまわり標高97メートルの岡豊山の山頂の詰へ。礎石建物跡や一部残る土塁などからかつての姿が浮かび上がってきます。
続いて西側三の段に下り礎石建物跡、石積、土塁、詰への階段を眺めてその世界に浸り四の段南部手前の城址碑の場所へ。元親像同様の飛翔感のある碑でした。
伝厩跡曲輪へはそこから15分くらい。この城の特徴である無数の竪堀をさがしながら歩いてみました。“多分そう……かも?”と感じる箇所がいくつか。表示があったのは一箇所。見る目が養われていなくてあまりわかりませんでしたが、元親さん竪堀好きやったんやなあ、というのは伝わってきました。
伝厩跡曲輪は出城。展望台からの眺めが最高でした。ここでおにぎり1個、約1分間のお昼休憩をとりました。
この曲輪の周囲に放射線状の竪堀があるようでしたので地形図と照らし合わせながら探してみましたが、確証1本でギブアップしました。
資料館へ戻りつつ四の段北部へ。食違い虎口からの枡形を出たり入ったりして噛みしめてきました。
2時間たっぷり歩きまわり、最後にもう一度元親像を眺めて12:31のバスで高知駅に戻りました。


POYO58さん、レベル★★★☆☆くらいのクイズお待ちしています。
鎌刃城は大人の方を含めた複数でわーわーぎゃーぎゃー言いながら行かれるのがよいのではないかと思います。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその31 飯野陣屋 (2023/02/12 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその31

【海城サミット2023 in Chiba】のイベント『②金谷城に関する非公開遺構(頂上:主郭部分)の限定公開』に参加した帰り、青堀駅で途中下車して攻めてきました。

現在ではほぼ私有地のようですが、周囲を囲む水濠は遺されていました。

周辺には古墳も多いようなので、合わせて訪れてみるのも良いかもしれません。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその30 金谷城 (2023/02/12 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその30

【海城サミット2023 in Chiba】のイベント『②金谷城に関する非公開遺構(頂上:主郭部分)の限定公開』に参加してきました。

私有地にあるため普段は非公開になっている主郭部分を、所有者のご厚意により実現した見学会に参加してきました。

中世期に廃城になった上、近代には軍により遺構が破壊され(主郭に砲台跡がありました)、しかも民間の私有地(リゾート施設)になってしまった城址に遺構なんかあるのか?と半信半疑でしたが、ものすごい堀切と土塁(地山の切り残し)が遺されていました。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその29 蔵波城 (2023/02/12 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその29

【海城サミット2023 in Chiba】のイベント『②金谷城に関する非公開遺構(頂上:主郭部分)の限定公開』に参加する前に、長浦駅で途中下車して蔵波城址を攻めてみました。

蔵波八幡神社から愛宕神社に上がると、かなりの高台だとわかります。本来は長浦駅前やイオン長浦店など一帯も城址なのですが、ゴッソリお亡くなりになっています。ありがちな残念な城址でした。

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モト

並木城 想像以上に素晴らしい城跡でした (2023/02/12 訪問)

城びと未登録ではありましたが、城EXPOで千葉のブースでは紹介されており、名前が目には入ってはおりました。
先日のイタさんの投稿を見て実際に見てみたいという気持ちが強くなり行ってきました。

多古町の城跡です。
『多古城郭保存活用会』のホームページを参考に周辺のいくつかの城跡などと一緒に行ってまいりました。
城跡への入り口に着くとすでに空堀や土塁などの素晴らしい景色が目に入ってきます。
もうワクワクです。
保存会の方々のおかげか程よく整備されて見学しやすくなっておりました。
二重堀などや入り組んだ空堀、枡形虎口などの素晴らしい遺構を見る事ができました。
想像以上に素晴らしい城跡に大満足の登城でした。

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POYO58

続日本100名城スタンプ巡りNo.5 小牧山城 (2023/01/23 訪問)

遺構★★★☆☆ 土塁、堀切、虎口(山頂は除く)
アクセス 名鉄小牧駅から徒歩15分 (あ、ちなみに電車の行き方を書いていらっしゃる方、特にスティクラさん、朝田辰兵衛さん、ものすごくありがたいです。車で行かれる方も多いと思うのですが、やっぱりアクセスが大変なので。)
注意ですが、どうやら4月まで工事で山頂まで行けないようです。頑張って登ったのですが、あらゆる場所にロープがついていて入れません。なので今回は山麓の紹介のみにさせていただきます。一部山中も入れてます。
とは言っても山麓にも見るべきものは結構あります。山麓には主に家康の遺構が残っています。堀切や虎口、小牧、長久手の戦いの対策として建てられた土塁が残っています。小牧山城には10を超える虎口があるようなので探してみると面白いと思います。堀切は主に3つあります。1つは復元のようですが、城の面影をしっかりと残しています。
また山中の本丸虎口もなかなかすごかったです。結構大きな堀切となっていますが、これは家康時代のもののようです。
いやそれにしても山頂に行けなかったのは本当に残念でたまりません。実は小牧山城は3回目なのですが、スタンプ目的で行ったものの、石垣もちゃんと見たかったので本当に残念。小牧山城の石垣がなかなかちゃんと見れていないので、小牧山城の投稿を見て楽しみたいと思います。

さて、もうそろそろ冬も終わり、山城ムーブがやってきそうですが、今日も僕の質問コーナー! 毎度すみません。
実は僕、山城は大好きですが、虫が本当に無理なんです。特に蜂が無理で、山城には絶対にいると思います。半年前の高取城訪問では妹の頭に蜂がのり、妹が怯えていたのが記憶に残っています。あの時以来さらに蜂が怖くなってしまってたまりません。
変な質問にはなるのですが、どのように対策したらよろしいでしょうか?よく落ち着けばいいとかおっしゃる方はいるのですが、どう考えても僕には不可能です。何か考えがありましたら回答をお寄せいただけますか?
ちなみに3月は鎌刃城に行こうと思っているのですごく楽しみです。ただどうやって電車で行けばいいのでしょうかねー。

あとまたいつか城クイズも始めようと思っています。カズさん、 にのまるさん、朝田辰兵衛さん、またお願いしますよ。

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赤い城

まだ入れない (2023/02/11 訪問)

東金駅から徒歩で10分くらい。
八鶴湖から城山を見上げながら陣屋跡の本漸寺へ。
説明板が立っています。
まずは本漸寺をお参りし、奥の墓地に進んで見ました。
竪堀っぽい形の部分もありますが藪でよく分かりません。
ちょっと脇に入ると空堀がありました。
私有地なので奥に進むのは自重しました。
本来は東金高校裏手から登城路がありますが数年前の台風による倒木で立入禁止。
門が閉まっていました。
最後のフォトは数年前に撮影した堀切です。
またいつか見たいです。

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チェブ

小山総合公園からの「鷲城」攻め。 (2023/01/03 訪問)

小山氏の居城であった「鷲城」です。
車で来たので、小山総合公園の駐車場を利用しました。
この日は1月3日で、凧上げしている親子を見かけお正月感を味わわせてもらいました。広いグラウンドです。
その奥に登城口があります。特に案内はありませんが、皆さん必ず分かると思います。
上から若い衆が下りて来ました。すれ違えないので、譲り合いです。
登城口、少しぬかるんでいて通れる場所が狭いです。寒かったから霜柱ができ、溶けたと思われます。
写真③からお邪魔しました。虎口があり、キラッと何かが光ります。
土塁や虎口の案内板が、シルバーに格好いい文字。
と、横矢。こちらは案内板が木製?いや、枯れ草が映ってるのか?そんな事を気にしてたら、討死します。
小山市は小学生の現地学習で、虎口から駆け上がりながら城攻めチームVS本丸を守るチームで戦いながら学習するそうです。
そして、本丸の『鷲神社』に出ました。
さっきの若い衆は、初詣だったのかな。
神社を背にして参道を歩くと、神社入口に「鷲城」の石碑と説明板があります。
折り返し参道を戻ると、広い場所があり、説明板によると中城という事になります。

小山市の小学生に混じって、現地学習に参加したい「鷲城」攻めでした。

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トク

⑳【関ケ原の26人】(11)鳥居元忠 (家康と元忠-伏見城の別れ) (2023/02/09 訪問)

(11人目)は「鳥居元忠」です。
元忠が最後まで守り抜き壮絶な討死をした「伏見城」を訪れてきました。

伏見城は最初1592年に豊臣秀吉が自らの隠居所として指月に築城します。しかし慶長の大地震(1596年)で倒壊。そして翌1597年に今度は1km東の木幡山に新たに城を築きますがそこで秀吉は病没。その後、徳川家康が入り五大老としての政務をここで行います。そして、この関ケ原の前哨戦である伏見城の戦いで焼失、1602年に家康によって再建されますが、1619年一国一城令で廃城となりました。模擬天守が北に1kmの旧桃山遊園地に建てられましたが、耐震化の問題で現在は外から見学できるのみで入城はできません。

私は、模擬天守(写真①-④)、木幡山の城跡(写真⑤⑥:現在は明治天皇御陵)、指月の城跡(写真⑨⑩:現在はマンション)を訪れ当時の様子を想像してきました。

鳥居元忠は家康とは今川家の人質時代から50年間も苦楽を共にしてきた側近中の側近です。上杉景勝に謀反の兆し有りとの知らせが入り、家康は1600年6月16日この伏見城から会津の上杉討伐へ出陣します。その隙に石田三成は挙兵、4万の軍勢で伏見城を囲みました。残された鳥居元忠はわずか1,800の軍勢で13日間籠城するもついに力尽き城は焼かれ討死します。そしてこの時の血染めの天井が、現在京都養源院にあるそうです。

上杉討伐へ出発の前日、家康は元忠と深夜まで酒を酌み交わし、これまでの親子2代に渡る忠義に感謝し、そしてわずかの兵しかこの伏見に残さぬ事を詫びました。しかしその時に元忠は、「殿が天下を取られるには多くの家臣が必要でございます。よってこの城に多くを残すは無駄でありますゆえ、私にかわまず一人でも多くの家臣をお連れ下さいませ」と答えたそうです。それを聞いた家康は元忠の手をぐっと握り涙ぐんで別れたとの事です。美しい話だな~と思いました。

私は木幡山の城跡に立ち(写真⑤)、ここにかつて五重の天守があった事を想像してみました。そして後ろを振り返り(写真⑥)、この眼下に小早川秀秋・島津義弘ら西軍4万の軍勢がいた事を想像してみました。この天守から同じようにこの軍勢を見下ろしながら、鳥居元忠はこれまで家康と過ごした50年間をどのように振り返っていたのでしょうか? そしてなぜ自ら捨て石となる覚悟を決め、散っていったのでしょうか?

【余談】大河ドラマ
「どうする家康」では「音尾琢真」さんが元忠を演じられています(父の忠吉は「イッセー尾形」さん)。家康と元忠のこの伏見城での美しい別れのシーンは果たしてあるのでしょうか?(私は密かに期待しています😊)。

次は(12人目)に続きます。
 

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にのまる

会ってきました。 (2023/01/04 訪問)

①高知駅前広場で三志士像の写真を撮り8:30に「とさてらす」でポストカードをもらう。
②龍馬パスポート受付窓口で申請書を青パスポートに引き換える。
③駅のコインロッカーにキャリーバッグを預ける。
④コンビニでおにぎりとお水を購入。
⑤午後の移動の乗り換え時間が微妙なのでとりあえず最低切符を買っておく。
⑥北口2番乗り場から9:02発の領石出張所行バスに乗車。

と朝からミッション多すぎでドキドキでした。
バスに揺られること30分。学校分岐に到着し、出迎えてくれた歴史民俗資料館の大きな看板を見て、ちゃんと来られた(^o^)丿と、やっとホッとしました。

岡豊城で楽しみだったのは、何をおいても『長宗我部元親飛翔之像』です。
以前カルビンさんと朝田辰兵衛さんとで盛り上がっていらっしゃるのを見て、それほどまでに惹きつけられるなんて一体どんな像なんだろうと興味津々でした。ぽんたっく土佐守さんのアイコンもこちらですね。
坂の途中の山村民家に立ち寄り、歴史民俗資料館へ。
……と、いらっしゃいました、元親さま。
全身からあふれ出るエネルギッシュな魂の雄叫び。あふれる躍動感とみなぎる闘志。鋭い視線が見据えるのは未だ見ぬ世界か。
どの角度から見てもかっこよくて、今にもジェット噴射でマッハ10を出し飛び立たんとする姿には姫若子の面影などは微塵も感じられなかったのでした(^^)v
地面が四国で方角もリアルなのもよかったです。

充分に満足したところで資料館へ。
⑦龍馬パスポートにスタンプをもらう。
⑧ニッポン城めぐりの土佐城さんぽ御城印を引き換える。
⑨続100名城のスタンプを押す。
のミッションクリアしました。
長宗我部展示室に設えられた本陣内でのビデオがとてもよかったです。

<つづく>

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コージー

西尾城プロジェクションマッピング (2023/02/11 訪問)

7分間のプロジェクションマッピングは壮大で見応えがありました。

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Rucchy

石垣が素晴らしい (2023/02/11 訪問)

綺麗に保存されていてとても綺麗なお城でした。

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赤い城

小森城 千葉県白井市 (2023/02/09 訪問)

白井第二工業団地の中にあります。
登城口のところに駐車スペースがあり、微妙な階段を登ります。
正面に謎の小屋というか倉庫というか。
いずれにしても現在使われている感じではありません。
左手に空堀、先の方には土橋のようになっています。
小屋の裏手には土塁も残ります。
この辺りが主郭で少し散策すると土塁もありました。
ここも那津かなりの藪のような気がします。
都心から近くの城なので少し整備されると行きやすいですね。

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カズサン

8年振りの登城本丸編 (2023/02/08 訪問)

 三島佐野美術館で本多忠勝所持の日本三名槍の一つ蜻蛉切を鑑賞し、同食事処「松韻」で昼食を頂き、目も脳も腹も満足堪能し、8年振りに成りますが西行拾数kmの県道22号線沿いに在る興国寺城を目指しました。

 駐車場:本丸東側駐車エリア(他にも二の丸、三の丸の東側エリアが駐車可能です)、トイレは有りません。

 昼からの天気予想は曇りから雨模様でしたので暗く曇り富士山は見えず、沼津港、海は見通せず、しかし本丸を囲む西、北、東の高土塁は見事に聳えています、草も刈られて歩き易く観察も出来、見応えも有ります。
 穂見神社、最後の城主「天野康景之碑」、最初の城主「北条早雲之碑」は8年前と変わりません、令和2年10月製の興国寺城跡解説板、以前も有った平成7年3月製の歴代城主一覧付き解説板、解説板下にパンフレットボックス、一枚頂く、同隣に続百名城のハンコがボックスに入って居ました。
 本丸より撮影した写真を投稿します。

 天守台編に続きます。
 
 

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名塚砦と稲生原古戦場 (2023/02/11 訪問)

 織田信長が弟である末森城主織田信勝(信行)に備えるために築いたとされる砦で、佐久間盛重が守っていました。城びとは未登録の砦です。白山神社が跡地とされ案内板があります。場所については諸説あるようです。
近くには信長と信勝方である柴田勝家や林美作守らが戦った稲生原の戦いの戦死者を祀ったともいわれている庚申塚があり案内板もあります。

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松平竹千代織田信広人質交換の地 (2023/02/11 訪問)

 名古屋市南区の笠覆寺、通称笠寺観音は織田方に人質になっていた松平竹千代(徳川家康)と今川方が捕らえた織田信長の兄織田信広との人質交換の地とされ、敷地内には石像があります。人質交換の地は諸説あるようですが、現在はここが定説となっているようです。
境内には宮本武蔵の碑もあります。巌流島の戦いからしばらくして尾張に滞在していたとのことで、弟子によって建立された顕彰碑とのことです。

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侍ホリタン

姫路城2023年冬の特別公開「菱の門・2階櫓部」 (2023/02/11 訪問)

普段は公開されていない「菱の門」の内部が本日より期間限定(2023年2月11日〜3月12日)で公開されています。2階の櫓部は初公開になります。菱の門は姫路城内の玄関口、入城ゲート入ってすぐの所にある現存する姫路城内最大の門です。入場料の他に別途拝観料(200円)が必要になります。

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