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ぎりょう

かつての土塁、濠跡を確認! (2023/04/23 訪問)

今日は地元大崎市の名称となっている「奥州探題大崎氏」の居城名生城に。自身が所属する古文書の会定期総会があり、記念講演および城址探訪が企画され会員諸氏と城址を歩くことができた。この城の詳細については過去(2020年1月)にこの欄に投稿済みであり、そちらを参照していただきたい。
会議・講演は大崎市の岩出山中央公民館(スコーレハウス)で開催。その後希望者30人ほどがかつての北館跡に建つ浄泉院駐車場に集合し、宮城県北地区の中世城館研究の第一人者佐藤信行氏にご案内いただいた。コースは北館をスタート地点として大館、小館、内館と進み、各館を防御した壕跡や土塁、空堀、帯曲輪などを見ることができた。
自身これまでに数回訪れているのだが、城域も広く、高低差もあまり無く、現在は民家や農地に改変されて判りにくかった遺構も時間をかけて歩くことではっきりと確認することができた。
さすがに日頃から「古文書が語る地域の歴史」について深い関心を持って学習している会員諸氏だけあって真剣そのもの。天正18年(1590)大崎葛西一揆の際に一揆勢が立て籠もり、蒲生氏郷により攻め落とされ伊達政宗との確執で氏郷が数ヶ月籠城したことを皆さんご存知で、いったいどの館に籠ったものかと楽しい話題で大いに盛り上がった。

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ホリタカ

駅から15分くらい (2023/04/22 訪問)

富山駅から徒歩で15分くらい。路面電車でも3駅くらいです。レンタサイクルで富山城と環水公園を回ってもいいかも、

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T-Shionoya

戸倉城で城跡遺構を探索 (2023/01/28 訪問)

北条領の城を巡っていると、たびたび目にした静岡県清水町の戸倉城の名前。

伊豆中央部から北に流れる狩野川の、河口から約7km。その川を蛇行させる標高75mの山に築かれた戸倉城。
狩野川との間の平地部を守る壁の様にも思える城。
駿河湾へ繋がる水運の拠点となり、陸路も東海道と下田街道の監視ができたでしょうか。

築城時期は定かでないが北条氏綱の築城とも伝わり、1500年代後半には沼津三枚橋城の武田氏と激突。
裏切りにより1度は武田方に寝返るが、武田滅亡後は再び北条方の城となりました。

現在は主曲輪(本城跡)周辺が本城山公園となっており、城主の居館があったとされる場所は龍泉寺に。
西曲輪には八坂神社が建てられていましたが、最近解体されたようです。

訪問時は北駐車場から入城し、東駐車場方面や龍泉寺、八幡神社を経て大手口の水神社へ。
主曲輪の切り株型展望台に上がると、沼津から三島、韮山まで見晴良好。しかし主曲輪西の土橋以外、城らしい遺構を見ることは困難。
また八坂神社へは道がわからず、翌日に再チャレンジ。
八坂神社への道は、西曲輪の西側に山を越える遊歩道があり、その北口の民家の裏にある隠し階段のような細いコンクリート階段。
西曲輪周辺は狭いものの、城跡らしき遺構が確認可能。

遺構探しを楽しんだ戸倉城が、私の城郭巡りの144城目でした。

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POYO58

何度でも (2023/03/18 訪問)

またまた岡崎城行ってきました。今回は祖父母が初めて行く予定だったので付き合いました。
今回は石垣と水堀をしっかり見てきました。
雨だったので結構大変で桜はまだ満開ではありませんでした。
今回すごいなと思ったのが石垣の化粧ですね。腰曲輪の高石垣の隅石にたての線ができていました。
また石垣で曲輪を丸く囲っているのも面白かったです。

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美夢

【かるた】山中城の読み札

山中城 ツツジ彩る 障子堀

障子堀の絶景 富士山と山中城

別名は ワッフル城の 山中城

新緑の 抹茶ワッフル 山中城


一句目
新緑に鮮やかに咲くツツジはとても美しいですね
個人的な好みではありますが、一番美しい季節だと思います

二句目
破調となりましたが、富士山をバックにした山中城の爽快な美しさを詠んでみました

三〜四句目
山中城の障子堀といえばワッフル
私の行った時には新緑の美しい抹茶ワッフルとなっていました
ツツジが終わってしまっていましたが、満開に咲いていれば、まるで苺ジャムのようですね

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あみりん

出石有子山城跡散策 (2023/04/23 訪問)

出石そばをお腹いっぱい食べて、続100名城スタンプを貰いに出石観光センターへ。
1年前にも来ていました!
良いお天気に恵まれて絶好の城巡りでした。

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チェブ

一升桝と五合桝。 (2023/04/15 訪問)

土砂降りの鎌倉で『行った』をポチっとしたくて「一升桝遺跡」近くをうろうろしてきました。

極楽寺切通と大仏切通の交通路を監視・防衛するための役割だったそうです。
Googleの指す「一升桝遺跡」は写真①の場所でした。前には民家があり、先は進めません。
ポチっ。

不完全燃焼なので、周辺を散策です。
車を、江ノ電の極楽寺駅近くのコインパーキングに駐車し、『極楽寺』へ。
茅葺きの山門を見上げ、雨の雫を見てました。茅葺きの技術はすごいなと、先人の知恵に脱帽です。お参りさせて頂き、極楽寺駅の近くの江ノ電に架かる朱塗りの橋の上で江ノ電を待ちます。
こちらから見えるトンネルは江ノ電唯一なんだそうです。
そして、極楽寺切通を下りました。
因みに、極楽寺切通と稲村ケ崎方面を監視する『五合桝遺跡』もあるそうです。
残念な事に、どちらの遺跡も現在、非公開です。

一升は10合の事です。『五合桝遺跡』は「一升桝遺跡」の半分の規模だったのでしょうか?
と、お米をとぐと思い出す「一升桝遺跡」攻めでした。

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❴かるた❵ 松江城の読み札 (2023/04/08 訪問)

まぼろしの 末次城が 松江城

はなちゃんが ワンコ大使で 松江城

最近、発掘調査で今まで余り解らなかった松江城の前身の
末次城の実態が少し見えて来ましたね。

100名城で唯一、ワンコ大使に公式に認められたはなちゃんです。

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イオ

【かるた】大坂城の読み札と絵札

大坂城の石垣は日本一の高さを誇りますが、大坂夏の陣の後、豊臣期からさらに高く積み増し、巨大な鏡石をいくつも備えた現在見られる徳川期の石垣は、まさに天下人の威信の証だったんだろうな、という思いを詠んでみました。

…って、読み札本文を入れずに投稿してしまいました。読み札は以下の通りです。

天下人 証(あかし)の石垣 大坂城
 

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ヒロケン

上田城千本桜まつり (2023/04/01 訪問)

上田城は1583年、上田盆地のほぼ中央に真田昌幸公によって築かれた平城です。堀と土塁で囲まれ、虎口に石垣をを使った簡素な城ですが、城の南側は千曲川が流れ、自然地形を巧みに使った堅城です。

上田城は、かの徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城で、第一次上田合戦の折は。2,000人の兵で7,000人余の徳川軍を撃退し、第二次上田合戦では、関ヶ原の合戦で東山道を西上する徳川秀忠軍38,000人の大軍を真田方2,500人の兵で籠城戦を繰り広げ、徳川秀忠公の軍勢を関ヶ原の合戦に間に合わせなかったことは、史実として有名です。
しかし、上田城は関ヶ原の合戦後に破却され、藩主真田信之公も松代に移封となっています。その後、小諸から入封した仙石氏によって上田城は再興され、幕末には本丸に櫓門2基、櫓7基があったそうですが、現在は、櫓門1基と櫓3基を見ることが出来ます。

訪問した日は、上田城千本桜まつり開催中で凄い人出"(-""-)"、また、駐車場を探し30分程うろうろし、誘導員の方に「どこか空いてるとこあります?」と聞いたところ、町の方へ誘導され、車列から外れ誘導された方へ行くと、商工会議所に空きがあり無事駐車(*^▽^*)
凄い人出で画像に収めるのも、一苦労しましたが流石、桜の名所「桜千本まつり」城跡と合わせ素晴らしかったですよ(*^▽^*)

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麻績古城 (2023/04/22 訪問)

 麻績氏は最初に居館の詰城として麻績古城(虚空蔵山城)を築き、その後戦国時代に山上の麻績城を築いたとされています。
 麻績城から急斜面を下れば行けそうでしたが、急がば回ろうと一度地上へ戻り登城しました。観月苑方面から登城しましたが、主郭周囲は露出した岩盤でロープを使っての軽いロッククライミングとなります。ちょっと難渋しました。見どころは何といっても主郭南北の堀切です。特に北側の堀切は圧巻で堀底部に土塁があり二重堀切のようになっているように見えました。写真では迫力が伝わらないことが残念です。ただ両方の堀切とも上り下りには少し苦労しました。石積みがありましたので写真を添付しましたが、当時のものではないと思います。

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交通の要衝 (2023/04/22 訪問)

松本と善光寺を結ぶ街道を眼下に見下ろす要衝の地にある城です。
尾根に築かれた城で堀切をおいて防御しています。南北は急斜面となっています。主郭周囲の西側は南北に比べると比較的斜面が緩いのですが数段の腰曲輪で守られています。東側はのろし山に続く細尾根です。堀切がよく残っていて楽しいのですが、縄張り図で示された竪堀は浅くなっていてわかりにくい所もありました。

麻績城は麻績城(新城)とその尾根に築かれている麻績古城(虚空蔵山城)があります。
まずは新城に登城しました。JR篠ノ井線聖高原駅を降りると正面に見える山が麻績城です。徒歩にて麻績氏居館跡を経由して歩いて行くと、所々に麻績城址道標があり迷うことなく城址へ行くことができます。途中で地元の人から「こちらから行くといいよ」と教えていただき尾根伝いの道を行きましたが、道なりに行っても辿り着けます。駅から30~40分ほどで城山とのろし山の間の鞍部に到達し、そこに案内板がありました。道は整備されていますが、枯れ葉が堆積していたりして少し歩きにくい所もありました。

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ろっし

お城探訪 (2023/04/22 訪問)

他の方の書き込みにもあるように低い山ですが舐めてはいけません。

落ち葉の堆積がひどく足場はとても悪く、場所によってはかなり滑って落ちそうな場所もあります。

ですが登れば最高の石垣が待っています。

神社の横からも登れるとありましたが道はありません素直に大手道か搦手から登りましょう

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カズサン

案内板と石碑 (2023/03/20 訪問)

 松坂城の案内板は表門跡と裏門跡に城跡案内図と解説文付きで設置してあります、また松坂城跡・散策マップが歴史民俗資料館の前に設置してあり、みどころ20選も掲示されています。
 松阪城跡城名碑と蒲生氏郷公と松阪の石碑は表門南の高石垣下に設置されてます、また松坂城跡城名角柱碑は表門と裏門に在ります。
 さらに市営駐車場のフェンスには松坂城跡を上空より撮影した航空写真と解説文をカラーで「日本100名城」松坂城跡の案内板もあります。
 今回の投稿でどこにも入らなかった井戸跡(表門跡枡形の北櫓台の北東角に在ります)を一枚掲載いたします。

 長々と9編に分けた投稿をご覧いただきありがとうございました。
 
 

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ぴーかる

小島城 (2023/03/19 訪問)

【小島城】
<駐車場他>城跡に駐車場があります。私が行った時は城跡までの道には落石が多く道を塞ぎ、<36.251208, 137.183345>の場所までしか車で進めませんで、車を置いて1㎞以上歩きました。麓の杉崎口や沼町口から登った方が近いかもしれません。
<交通手段>車

<見所>堀切・虎口・石垣・切岸
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅3城目。小島城は「理文先生のお城NEWS解説」の特集で知った城跡で、行ってみたかった城でした。城跡の駐車場は主郭から北へ伸びる舌状の連郭の最下段にあたる曲輪で駐車場のさらに北側に城跡終わりの2重堀切が見られます。駐車場から3段上が主郭主要部に入ります。主要部は東西に長く、東隅に櫓台西側に主郭の土壇(当時は石垣台)があります。主郭の西側と南側斜面に石垣跡が見られます。主郭から西側に2段程下がった曲輪に内枡形虎口跡と北西隅の曲輪壁に見応えある石垣遺構が見られます。そこから南西側が小曲輪群の連段、北西側に切岸を降りて行くと小島古城に到ります。小島古城の主郭奥に大土塁、主郭から北西方向に連段曲輪で端が2重堀切になっています。小島古城には石垣遺構は見られないものの、連郭サイドの曲輪壁の切岸は高く削り見事な見応えがありました。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

本丸下段北辺郭 (2023/03/20 訪問)

 本丸下段北辺郭は本丸上段北側下の北西面と北東面に高石垣城塁に多門櫓台を設けた構造で、きたい丸北西角の隅櫓台から北の角、藤見櫓台、北東面に続き相坂のある雁木を設け、鐘の櫓台と続き、本丸下段東郭助左衛門御門西の脇櫓台を兼ねて厳重な枡形へと繋がっている。本丸上段をコの字型に北西、北東を護っている。
 北側は山容が急峻に落ち込み崖と成り現在市営グランド、同駐車場に成っている。
  

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カズサン

天守台跡 (2023/03/20 訪問)

 天守台跡は本丸上段西角に付櫓台と敵見櫓台の連立型にて構成されて石垣修復されて健在です。三層四階の天守閣を出来れば見て見たいものです。 天守台のみで写真投稿します。
 

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カズサン

本丸上段 (2023/03/20 訪問)

 松坂城の本丸上段は東角に金の間櫓、金の間櫓台所、同階段が構え、西角に天守と付櫓、敵見櫓の連立式構造が構え、南に金の間櫓台所台を東の脇石垣として三連の連続虎口が在る、西に天守下裏門虎口が在る、その間は多門櫓が周囲に構え護りを更に厚くして居る。
 平成の石垣大修理完成でその遺構をしのぶ事が出来る。
 
 17年前のH18年に探訪した折、歴史民俗資料館に寄り「松阪城再発掘」氏郷、1588年の都市計画とその後・平成16年3月25日発行の二刷り小冊子を購入しました、その中に名古屋工業大学内藤昌教授の松坂城天守・敵見櫓 南立面図と松坂城金之間櫓・台所東立面図が付図2、3として折込されており、その復元図面を見てさらに想像復元を頭の中で膨らませましたが、今回の探訪も同じ妄想復元でしのびました。
 素晴らしい構造の天守で三層四階望楼型下見板張り高欄廻縁付き、付櫓、敵見櫓は二階建て高欄付き、また金之間櫓は二階望楼付きと素晴らしい建物だった様です。 発掘調査もされておりますので天守の復元がされると嬉しいのですが⁈ 天守は正保元年81644年)に大風(台風)で倒壊してその後再建無し、写真も図面も無く中々考察のみでは難しのでしょうね?
   

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イオ

【かるた】岐阜城の読み札と絵札

岐阜城の 天守で天下 睥睨(へいげい)す

岐阜城の天守からの眺望は本当に素晴らしく、濃尾平野を一望にしていると信長ならずとも「天下獲ったらぁ!」な気分になるよなぁ、と。

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todo94

城びと未登録【膳所城】(長崎県小値賀町) (2023/03/19 訪問)

膳所城といえば大津市の城が圧倒的に有名ですが、小値賀島にも膳所城がありました。小値賀島は、かつて東西二つの島に分かれていて埋め立てによって一つの島になったのだそうです。膳所城の前には瀬戸が通っていてかつては海城だったのだとか。嵯峨源氏の源定公頌徳碑が建っていました。

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