きりやまじょう

桐山城

鳥取県岩美郡

別名 : 木井ノ山城、磯部ノ城
旧国名 : 因幡

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征10日目:桐山城 (2026/05/20 訪問)

本日は15:00頃から雨が降る予報です。ぽっぽつ雨が降ってきました。
浦富台場から車で5分弱で、浦富海岸駐車場入口(35.590837、134.320165)に着きそこから、浦富(ウラドメ)アルプスいわし山ルート入口(35.590863、134.319042)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝期以前に塩冶周防守によって築かれたと云われています。
1572年(元亀3年)には山中鹿之介が因幡支配の拠点として一時在城したと云われています。
天正8年(1580年)羽柴秀吉による鳥取城攻めのさい、垣屋播磨守光成が桐山城に在城し、1581年(天正9年)10,000石を領して桐山城主となりました。
光成の子の垣屋隠岐守恒総は、1600年(慶長5年)関ヶ原合戦で西軍に属して伏見城、大津城を攻めたが、関ヶ原で西軍が敗れると高野山へ逃れて自刃、桐山城主垣屋氏は滅亡しました。
1617年(元和3年)池田光政が鳥取藩主となると、重臣池田加賀守政虎を浦富城に配しました。これが桐山城とされるようです。
1632年(寛永9年)池田光政との国替えで鳥取城に入った池田光仲は、家老の鵜殿氏を浦富に配し、桐山城下の垣屋氏居館跡に鵜殿大隅陣屋を築きました。
以降、幕末まで浦富は鵜殿氏による支配が続いたそうです。

小雨が降る中、山城に登城する勇気がなく登城口で撤退しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=芦屋城に向かいました。

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ぴーかる

桐山城 (2025/12/06 訪問)

【桐山城】
<駐車場他>浦富海岸駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り鳥取県制覇旅ラスト3城目。桐山城は南北朝時代以前に塩冶高貞によって築城されたとあります。尼子氏時代には山中鹿之助、豊臣政権下では垣屋光成、関ヶ原後は鳥取城主の池田氏、江戸時代は城下に陣屋を築いて家老の鵜殿氏を入れました。
 登城口は<35.590916,134.318930>にありますが、山に入り込むとすぐに「桐山城跡には行けません」の看板があります。登城道はあっているはずと思いつつ一応すすむと、添付写真の大堀切のところで木板の階段が倒壊した場所があり進入禁止となっていましたので、ここで引き返しました。登城道も私有地となっているようで、道も地権者の厚意で整備されていたようです。おそらく暫く再整備される感じはしなかったので不本意ながら行ったポチとします。
 これにて先日投稿した滋賀県打下城で城びと滋賀県制覇、この桐山城で城びと鳥取県制覇です。後日滋賀県と鳥取県の百・続百名城以外のマイベスト投稿します。走行距離402㎞無事走破。

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田後(タジリ)港の背後に聳え立ち過ぎ (2023/04/01 訪問)

todo94さんが、2016年4月に登城された際には城域に説明板がなかったとのことですが、その後、本郭に説明板が置かれました。既にだいぶ傷んでいます。
浦富(ウラドメ)アルプスいわし山ルート入口が、なかなかわからず何度も行きつ戻りつしました。大きな標識の陰に隠れるように梯子があります。大手道は、桐山の東麓の奥内(オクイチ)からなのだそうですが、細い道を村落の奥まで行くことになるので、たどりつくのはだいぶ難しそう。
いわし山ルートは、名前の通り、いわし山なるピークを越えて行きます。いわし山番小屋の説明板の中の「ゲンタカ婆さん」凄いね。本郭からの下りは、奥内ルートを使いました。
「田後港の背後に聳える」との紹介文があり、最初、田後港に駐車して背後の登山ルートを探しましたが、かなり奥まった山頂が桐山城でした。本郭には、特に平削地以外の遺構はなく、高く険しい山に頼っている感が。

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todo94

わかりにくい (2016/04/29 訪問)

登城口がとてもわかりにくかったです。主郭には何の表示も無かったし。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 塩治高貞
築城年 南北朝時代以前
主な改修者 山中鹿助
主な城主 塩治氏、山中氏、垣屋氏、池田氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、櫓台
再建造物 説明板
住所 鳥取県岩美郡岩美町浦富
問い合わせ先 鳥取県教育委員会事務局文化財課
問い合わせ先電話番号 0857-26-7525