『歴史群像』4月号、戦国の城連載で【遠江】掛川城攻め付城群が文・監修=加藤理文氏、イラストレーション=香川元太郎氏で寄稿されて居り、訪ねてみたいと思っていた城郭です。
住所:静岡県掛川市下西郷84(龍尾神社)、掛川城から北東に約900m程の独立小山
駐車場:龍尾神社西麓に参拝者駐車場が広くとって在ります。
駐車場から倉真川に注ぐ麓川(水堀の様)を渡り、石段の参道は控えて、一般車禁止の坂道を褶曲するように登る、砦の法面は切岸の様な崖ですが草木に覆われてる、龍尾神社が鎮座す境内が天王山(龍尾山)砦跡、グーグルマップを拡大すると史跡マークが出て来ます。
境内は樹木に覆われて掛川城方向を望む事は出来ません、龍尾神社に先ず参拝、龍尾神社の祭神は素盞鳴尊で家紋は織田木瓜でした、境内曲輪は広くその当時の本陣としては十分機能したのでしょう、掛川城に対して北池が南に控え、砦の山麓には川が周囲を流れて堀の役目、掛川城に対して約900mとは今川氏真に威圧を掛けた事でしょう。
歴史的には、永禄11年(1568年)12月、武田信玄と徳川家康との密約で今川領の2処分化で駿河は信玄の侵攻、遠江は家康の侵攻で始まり、信玄に今川館を追われた今川氏真は家臣の朝比奈氏の守る掛川城に逃げ込む、家康は包囲戦付城砦を築き翌年の永禄12年1月より掛川城攻めを開始、天王山砦付近でも今川軍徳川軍の攻防が繰り返されて居るようです、膠着状態が5ヶ月ほど続き、遠江も不安定な状態であり、和睦を図り今川氏真は義父の北条氏康のもとへ退去を永禄12年5月して掛川城包囲戦は終わる。
ほぼ遠江を治めた家康と駿河を治めた信玄との国境の戦いが始まる。
龍尾神社は地元の方々の崇敬及び歴代の城主の方にも敬われて居ました、境内には近世掛川城に改修した山内氏二代忠義公奉納の蘇鉄と土佐石が社殿脇に在り、また掛川城主太田備中守奉納石灯籠が二の鳥居脇に在ります。(社務所にてパンフレットを頂きました)
参考資料は、歴史群像4月号遠江掛川城攻め付城群、文監修=加藤理文氏、イラスト=香川元太郎氏。
2023年2月25日掛川市生涯学習センターホール講演、徳川家康の掛川城攻め、加藤理文氏講演レジメ(掛川市HP公開)
龍尾神社パンフレット
グーグルマップ
に依ります。
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