みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

赤い城

城域は広いが・・・ (2022/02/20 訪問)

太鼓森への案内板があるもののそれに従って進んでも駐車場がなく引き返し、県道沿いの広いスペースに路駐しました。
太鼓森の説明板手前に堀切があります。
道を進んで行くと主郭部にあたる妙見社に着きます。
結構な雨で少し霞んだ感じでした。
妙見社のある郭には岩盤を削った切岸があり、堀切状になった部分がありました。
背後の土塁上を登ると切通状の動線があり、物見台と思われる郭も。
縄張図を見ると城域はかなり広いですが詳細は不明です。
次の予定もあったのでここで撤退しました。
庁南武田氏の城ですが小田原平定により廃城となりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

火薬庫跡を散策できる旧道は通行止め! (2022/02/13 訪問)

3連休の最終日。「江戸東京博物館」に向かう前にどこへ行こうかと考えて,久留里城へと。千葉駅前から高速バス(カピーナ号)を利用。ホントは外房線を巡りたかったが,次のお楽しみで…。
昨年からコロナ閉城に巡り合わせていますが,今回も久留里城址資料館はコロナ閉城。重ねて,火薬庫跡を散策できる旧道は通行止めという不運…。
散策中に雨足が強くなり,帰りに寄ろうと思っていた千葉城は断念しました。
しかしながら,別名の「雨城」はしっかりと記憶に刻まれました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

登るのはキツイが実にいい。 (2021/10/24 訪問)

明智光秀に従った時期もあった須知氏だったが去就定まらぬ丹波国衆の一人としていつしか粛清の対象となり、主のいない須知城には高石垣と枡形虎口が設けられ、いわゆる織豊系のお城に生まれ変わった。登るのはキツイが実にいい。

+ 続きを読む

勝龍寺城

YouTubeで勝龍寺城の動画を発信!

勝龍寺城や、お城にゆかりのある明智光秀・細川ガラシャの魅力を、長岡京市ガラシャ祭公式チャンネルにて発信しています。

YouTubeでは、
・城郭考古学者(奈良大学)・千田嘉博教授「近世城郭の原点 勝龍寺城」
・ブラタモリで活躍!京都高低差崖会崖長の梅林秀行氏「長岡京市の歩き方」
・『麒麟がくる』の時代考証をされた小和田哲男氏監修「細川ガラシャ(明智たま)の物語」
など、豪華メンバーによる勝龍寺城の動画が盛りだくさん。ぜひご覧ください。

+ 続きを読む

カズサン

大給松平氏陣屋幕末に龍岡城五稜郭に移る (2010/10/04 訪問)

 平成22年10月上旬、故郷鳥取からの帰り東名高速が事故渋滞で2~3時間掛かる表示が出ていましたので、急遽湾岸道から東海環状道の豊田東ICで降り、先月訪ねた龍岡城五稜郭の大給松平氏の本拠地、奥殿陣屋に寄る事にしました、元々佐久の龍岡城の後には訪ねたいと思って居りましたので良いチャンスでした、帰路は国道301号線で松平氏の本拠地から作手新城へ出るルートを使い国道257号線で浜松へ。
 大給松平奥殿藩は三河に4000石、信州佐久に12000石有り、幕末に願い出て信州佐久の田野口に龍岡城を築く。現在の奥殿陣屋建物は明治に払い下げられた龍渓院の庫裏を昭和59年現在に地に移築復元した。

 訪ねた日が丁度月曜日で陣屋の見学は休館日、周囲を廻り、覗きで終了、その後12年経ちますがまだ再訪して居ません。
 投稿写真の説明は省きます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

大向出城(和歌山県西牟婁郡白浜町安宅崎) (2022/02/06 訪問)

# 大向出城(城びと未登録)は安宅本城の出城と考えられるため、安宅本城で投稿します。

大向出城は日置川河口部南岸の海に突き出した岬に位置する河口部や海上を見張るための出城で、築城者や時期など詳細は不明ながら、安宅氏の支城群のひとつとして機能したと考えられます。

県道沿いの展望所に駐車して登城開始。展望所から県道を南西に進むと、すぐに日置川河口部と大向出城のある岬が見えてきます。県道が切通道状に岬を横切るあたりに登城口があり、案内標識と説明板が建てられていました。登城口から案内標識に従って10分ほど歩くと、最大の(というか唯一の)見どころである二重堀切に至ります。二重堀切は深さも幅もあり、外側の堀切の内側には安宅氏の城の特徴である石積みが施され、竪堀状になった北端まで石積みが続いています。やや浅くなった内側の堀切を越えた先のピークに主郭が設けられていますが、削平は甘くほぼ自然地形です。現状では主郭周辺は雑木林になっていて河口部や海上は見えないので、見張台らしい場所を求めて尾根の先へ少し探索してみましたが、眺望の開けた場所は見付けられませんでした。

…ということで、安宅氏城館群をひと通りめぐってみましたが、紀伊半島南部の訪れにくい場所ではあるものの、八幡山城や安宅勝山城をはじめそれぞれに見応えのある城ですので、ぜひ一日かけてめぐってみて下さい。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

銅門番所は櫓か番所か (2021/10/24 訪問)

本丸に残る「銅門番所」は昭和の本では「銅門続櫓」だった。形状を見る限り確かに番所。櫓と番所を厳密に区分する必要はないと思いつつ全国の「現存櫓」を数える人にはやっかいな存在だろう(笑)。

+ 続きを読む

ばばよ

防衛機構を備えた居館 (2021/11/28 訪問)

アップダウンはそれほどないですが、空堀や土塁は発達しており、防衛機構を備えた居館といった感じです。

駐車場はややわかりづらく、一度通り過ぎてしまいました。

続100名城スタンプを、10も20も押してるおじさんに待たされました。マナーというかルール違反でしょうね...。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

平成22年復元二階建釣鐘門を初探訪 (2010/10/01 訪問)

 平成22年10月上旬、前年に復元された二階建釣鐘門を早く観察見学と、丁度郷里鳥取檀家寺での遠忌法要に合わせて舞鶴若狭道道経由福知山城に寄りました。
 時期的には秋の彼岸過ぎ、彼岸花が福知山城の土塁上に真っ赤に咲いて居ました、釣鐘門は二階建て本丸の東側端の登城口の門として守って居ます、復元は門と左右の続土塀で平成21年1月竣工完成しています。
 本丸の天守閣周りを眺め、今回初めて二の丸側より本丸の西面の石垣石塁を眺める。

 やっと復元釣鐘門を観察見学出来て満足です、往路鳥取へは久し振りに国道9号線を走行、久しぶりに見る景色に感激でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

南方山十三館の仕置で。 (2022/02/13 訪問)

久しぶりに再訪、説明板の前のスペースに駐車しました。
畑の中を進んで行きます。
雨が強くなってきたので駆け足で、と思ってましたが深い堀底道を見るとそういう訳にもいきません。
まずはナカジョウの堀底が待っていました。
さらに進み、ウチミジョウ手前にも堀があります。
ウチミジョウには坂虎口のようになっていて主郭は畑。
土塁も残っていました。
この先は結構な藪で雨もあったので撤退。
ウチミジョウ西側にも曲輪があり、堀が囲んでいます。
倒木もあるので注意が必要ですね。
ここの城主、小高氏も佐竹氏に太田城へ呼び出され殺されてしまいました。
確かに攻め落とすよりは手っ取り早い。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

北風の又三郎

フォロワー24人達成!

フォロワーが24人を達成しました。フォローしてくれている方に感謝です。🙇‍♂️
特にPOYO58さんやカズサン、ヒロケンさん、朝田辰兵衛さん、モトさんの投稿はよくみてます。

まだフォローしてないよていう方はフォローしてください。
今はコロナ禍で城に行くことが難しいですが、皆さん話の投稿や、お城の本(最近は黒牢城など)を読んでいます。

また、ゆっくりと投稿するので、もしよければ見てください。

追記
POYO58さん、誤字からの誤字すいません。しかし、北里の又三郎ではなく、北風の又三郎ですよ。

+ 続きを読む

tsuchinari

雪化粧の岩村城 (2021/12/19 訪問)

岩村城には3回目の登城になる。
1回目は2015年10月、2回目は2019年8月。秋、夏ときて今回は冬。季節が変われば城はすべて違った顔を見せてくれる。今回は雪で真っ白となった岩村城を堪能。この冬がもたらす雪の世界が、女城主の悲劇をより強く連想させる。今回も岩村城とその城下町、麓に広がる日本一の農村風景もしっかりと楽しむことができた。
また次はいつになるだろうか?笑

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tsuchinari

気になる天守の未来 (2021/12/19 訪問)

岐阜県大垣市の大垣城。
現在、鉄筋コンクリートで再建された天守が建っていて城の縄張りだったり、石垣などの遺構はあまり見られない。だがこの大垣城の天守は戦前までは現存天守であった。たしか戦前は国宝だったかな…それを空爆で消失。鉄筋コンクリートで再建されて今現在に至る。
比較的小ぶりではあるが、近世城郭の天守の作りをよく取り入れた綺麗な天守だった。
この天守も建て替えが必要な時期にきている。「復元的整備」の名の下、天守の修復、再建のハードルが下がったのは間違いないが、2年近く前に文化庁からこの発表があって以降、今のところ再建に至った例はまだひとつもない。
その動きの先頭に立つ香川県の高松城が、天守再建を実現させれば、大垣城を含めた日本中の再建が必要な天守に大きな影響を及ぼすだろう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

tsuchinari

淡路島の近世城郭 (2021/10/30 訪問)

淡路島を満喫する旅の一つとして初めて訪れた洲本城。続日本100名城に数えられているけど、鉄筋コンクリートで再建された、しかも模擬の天守の印象があったので、どうだろうっと、期待値は低めだった。しかし登ってみると(車でだけど笑笑)立派な石垣が張り巡らされていて、見応え十分でしっかりと楽しめた。その石垣と山頂の本丸から見下ろす淡路島の風景はとてもよい眺めだった。今度はもっとゆっくりと時間をかけて石垣を堪能したいと思う。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

古武之森城(和歌山県西牟婁郡白浜町安宅) (2022/02/06 訪問)

古武之森城(城びと未登録)は、すさみ町境近くの古武之森と呼ばれる山の頂部に位置し、江戸期の軍記物「安宅一乱記」によれば、戦国中期の安宅氏の跡目争いにおいて阿波国から来援した小笠原右近太夫が守備した城とされますが、詳細は不明です。

安宅勝山城から五重堀切を越えて登城開始。下調べによれば尾根伝いに東から南東方向に行けば問題ない…はずでしたが、途中のピークでシダの藪に入り込んで方向感覚を失い、スマホの地形図アプリのお世話になって何とかたどり着きました。ただ、正しいルートには藪は無いので、藪に入りそうになったら立ち止まって確認すれば道に迷う心配はないかと思います。

安宅勝山城に続く北西尾根の主郭から少し離れた位置に堀切があります。堀切を越えて急斜面を登って行くと堀底を歩いているような感覚になり、見渡すと隣にも竪堀が並んで落ちていました。東端の竪堀は上端で横堀状になっていて、ずいぶん浅くなっていますが畝状空堀群のようです。続いて二条の堀切があり、さらに主郭の北下には石積みが施された腰曲輪も設けられていて、北西尾根方向への厳重な警戒ぶりが窺えます。主郭には巨岩が露頭している…ようですが、シダの藪に沈んでいて足を踏み入れられませんでした。主郭の南西下にも小さな曲輪があり、東側斜面に竪堀を落としています。小曲輪の先は南西方向に緩やかな尾根が続いており、途中の平坦地には投石用と思しき丸みのある礫石が散乱していました。

古武之森城は、北西側(安宅勝山城側)に防御施設を集中させる一方で南西尾根は緩斜面ながらも防御施設はほとんど見られず、安宅勝山城でも東尾根(古武之森城側)に五重堀切を設けるなど互いに警戒しあう造りになっていることから、安宅氏の内紛によるものか隣接する周参見氏によるものかはわかりませんが、安宅勝山城と対立する勢力による城であることを現地に立ってみて納得しました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

神保原 (2022/01/02 訪問)

上武国境の城で最寄り駅は高崎線・神保原駅です。新町駅の隣駅で高校時代から強く認識していた駅でした。その駅の近くにこんな城があったんですね。城址碑の前には小さな金窪城址公園がありました。この日の攻城の締めとなりました。

+ 続きを読む

にのまる

36見附めぐり㉙~西の丸玄関門~

 二重橋(正門鉄橋)から西の丸御殿跡に建つ新宮殿への門です。
 江戸城には表面に化粧の施された石垣がたくさんありますが、この門の石垣石の隙間なくびっしりと打たれたはつりの繊細さは鳥肌が立つほどで、上品な亀甲積みや江戸切りと相まって生み出された唯一無二の芸術作品を見ているようでした。
 二重橋からは伏見櫓とそれに続く多聞櫓を間近に見ることができます。狙われる恐怖と無言の圧を肌身に感じつつも、計算しつくされた造形美と塗り替えられて間もない漆喰壁の白さに目が釘付けとなりました。
 また、この場所からは正門石橋や西の丸大手門(皇居正門)、皇居前広場などを見渡すことができます。ふだんと真逆の立ち位置から眺めるのは何だか妙な気分でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

やま

土の城③ (2022/02/14 訪問)

八王子駅からバスで15分。滝山城址下で下車し、登城口に置いてある「滝山城城攻めマップ」を入手後攻城。入口から城跡までわずか2~3分で到着。いきなり巨大な土塁や空堀が出現。通路、案内板も非常に良く整備されており奥へ進むと、角馬出・切岸・曲輪・巨大堀切・土橋・復元された引橋など見どころ満載。北条式築城術の粋を集めた土の城で、今まで鉢形城、興国寺城、小田原城、韮山城、山中城他を見てきましたが、その中でも非常に当時の様子が色濃く伺える素晴らしい城跡でした。また武田・北条の戦場でもあるので、往時を忍んで登城するとよりこの城の機能美を感じることができます。縄張りも非常にわかりやすいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

凄いんだが凄く見えないのが凄い (2021/10/24 訪問)

12世紀の初めに北面の武士が居館を建てたというにわかには信じがたい伝承を持つ館だが発掘成果は12~13世紀の館であることを示したという。ゲートボール場みたいな現地の雰囲気からはそんな凄さを全く感じられないのではあるが。

+ 続きを読む

ぴーかる

城山城 (2022/01/22 訪問)

【城山城】
<駐車場他>馬立里山公園前の墓地に駐車(城山城登山口)/堀部西公園駐車場あり
<交通手段>車

<見所>古代遺構:城門跡・城門築石・石積・礎石建物跡
    中世遺構:曲輪・堀切・横堀・土塁

<感想>赤松氏の山城攻め、この日は一城攻魂にて行ってきました。城山城は古代神籠石系山城で7世紀中頃に築城され、中世になり赤松円心の子、6代当主赤松則祐が14世紀中頃に改修し赤松氏の詰本城とした。則祐は他に感状山城、長水城等を築城しているのでこの当時の赤松氏の権力の大きさと則祐の築城の凄さが分かる。
 登山ルートはいくつかあるようですが私は馬立古墳群から登るルートを選択した。登山口にある馬立古墳群は横穴式石室古墳が20基程内部が見ることができ、帰化した朝鮮人たちの墳墓らしいので古代に城山城に大きく関わった人々が埋葬されているのであろう。古墳群を見るのも楽しめます。城山城跡まではここから2.2㎞程の登山になります。
 城山城のある亀山は古代山城の特徴的である山頂部分一帯が比較的高低差の少ない広大な平坦部が多い地形となっていて、古代城山城の城域はおそらく北にある亀の池をも含む南北に長い楕円形状に城門や土塁・石積みで平坦部を取り囲んでいたのではないかと思う。現地説明板縄張り図の北側から亀岩までの間に広い平坦地があり僅かに石塁遺構が見られます。現地説明板にある縄張り図内の礎石建物跡や北端にある門の築石、西端近くにあ石塁は大野城大宰府門跡の横にある石塁と酷似しているように見えたので古代石塁を赤松氏がそのまま改修利用していたかなと感じました。
 中世城山城としては、現地縄張り図の範囲が城域で赤松氏供養石仏一帯の広い削平地が主郭だったようです。北端と西端の堀切や北端近くの横堀・竪堀等は中世遺構かなあと思いました。特に気になったのが北にある石塁で石の数は僅かですが石塁の感じが白旗城の谷落としの岩や感状山城の大手門跡前にある石塁と似ていると感じたのでここは赤松氏の遺構かと思います。この石塁の南にある空堀も見応えあります。
 古代山城遺構に中世の改修改変させた特異な城跡でした。4時間半たっぷり攻めましたがまだ足りてない場所もあり、まだ古代山城遺構がどこかに埋まっていそうな事を感じさせました。攻め応えありでまた再攻めしたい城跡です。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ585