岩略寺城は長沢松平氏の城とされる長沢城と国道1号線(東海道)を挟んで向かい合う標高169mの御城山に築かれています。
古くは今川氏の一族、関口満興によって築かれたとされますが詳細はわかりません。小牧・長久手の合戦の後、羽柴秀吉の駿府侵攻に備えて徳川家康によって改修されたとされていて、東三河の山城を代表する縄張りを誇ります。加藤先生の講義にもありましたが、東海道を南進する羽柴の軍勢を対岸の長沢城と挟撃する予定でいたようです。
新城の古宮城といくつか共通する部分があるようです。郭の周囲を走る横堀(三日月堀)そして本丸を土塁や堀で分割し、新たに郭を設けている部分です。この本丸を分割した郭は羽柴軍の進行方向を向いていて本丸に敵が侵入しようとしても容易に落城をするべきではないという意味合いを含んでいるのかもしれません。
他にも侵入した敵に対し隠した武者で迎撃する武者隠しなどの、この城独自の仕掛けもあり三河の山城を語る上で欠かせない城であると思います。
岩略寺城‥愛知県豊川市長沢町字御城山
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