前回に続いての第2弾です。
厳選プログラムの第2日は、小和田先生、辰巳琢郎さん、
三浦先生の講演でした。
最初は、小和田先生の「徳川家康の娘婿 池田輝政の姫路築城」です。
池田輝政までの池田氏については、源頼光の玄孫泰政が美濃池田郡池田荘に居住して池田氏を称したのに始まると云われております。
しかしながら、出自については詳細が不明であるとの事でした。
確実なのは、戦国時代に池田恒利が織田信秀仕えたからとされています。
池田恒利の妻が織田信長の乳母になったことから、池田恒興は織田信長に仕え、織田信長の死後に豊臣秀吉に従った。
池田輝政は、徳川家康の次女督姫を継室に迎えて、関ヶ原の戦いでは東軍として活躍しましたね。
その功績により播磨に52万石を与えられた他に、備前に28万石、淡路に6万石を加増されて86万石となります。
池田光政は幼少の為要衝の地の播磨から因旛に転封なりました。
ここは時系列に覚えなくてはならないところですね。
池田輝政の初陣は、1578年12月の15歳のときの有岡城攻めだとされているとの事でした。
1584年4月9日に池田恒興と兄の死により池田輝政は家督を継ぐこととなった。
1590年の小田原攻めの論功行賞で池田輝政は15万2000石の三河吉田城主となりました。
1594年10月27日に徳川家康の次女の督姫と池田輝政は結婚致しました。
池田輝政は、岐阜城攻めで福島正則と功績を争います。
池田輝政は、南宮山の抑えの役を務め関ヶ原本戦には参陣していませんね。
南宮山には毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊等がいて警戒にあたっていました。
その論功行賞で、播磨国52万石を与えられ1601年に姫路城を大改築していますね。
姫路城が完成したのは1609年で8年かかっています。
姫路の城下町は、内掘の中には内曲輪、中堀の中には中曲輪、外堀の中には外曲輪を拝し総構えで姫路城を守っておりました。
小和田先生は、時系列に池田氏の変遷などを踏まえて御講演をして頂いたことに感謝致します。
辰巳琢郎さんの「歴食は、究極の地域愛」を拝聴致しました。
各地には歴食があることを具体的にお話頂き知ることが出来ました。
武将のもてなしお膳から戦時食まであることが解りました。
歴食を頂くことが出来るとの事なので、歴食を頂きたいと思いました。
歴食は、地域食となっているとの事でした。
最後に、三浦先生の「こんなにある姫路城の日本一と日本唯一 ~天守・櫓・城門・縄張り~」の講演を拝聴致しました。
姫路城の特徴に付いて写真付きで説明して頂きました。
地階の入口が鉄板の扉になっていること、軒唐破風は飾りであること、イの渡櫓1階の入口には鉄板の扉があること、姫路城の最上階には蟻壁付きの天井があること、史上最大の出格子窓と軒唐破風、史上唯一軒唐破風の間があったこと、三階入母屋破風の間に内向きの狭間があること、4階の石打棚と千鳥破風の間の説明、柱を挟む半間窓の対の説明、史上最高性能の現存最古の石落としの説明、史上最高性能の鉄砲狭間の仕組みの説明、格子窓・排煙窓・鉄砲狭間などの説明、窓格子(最も太く高性能の八角形)、石落としから水の一門から水の四門への攻撃が出来史上最強であること、トの一門は、現存最古の櫓門、ぬの門は、2階建て櫓で現存最厳重の櫓門、りの門は、現存最古の高麗門、菱の門は、現存最高格式の城門、にの門は、現存で最も複雑な櫓・城門で現存唯一の暗がり門、への渡櫓は、日本一豪快な鬼門除け、りのニ渡櫓は、石塁に片足を掛けた古式な構造、などさすが一級建築士から見た特徴を細かく説明して頂きました。
建築の面からもよく勉強すべきと思いました。
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