桜色 染まる地上の 星の城
「星の城」か「星の島」かどちらにしようか考えましたが、写真を見たらちゃんと城に見えるので城にしました。地上の星っていうとプロジェクトXを思いだします。懐かしいですね。
タワーから見た景色ですが、それほど桜色でもないです。どちらかというと白いですね。雑誌やTVの画像は赤みを増しているのだと思います。実際はこんなモンですよ。
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2024/01/22 19:37
【かるた】五稜郭の読み札 (2017/05/04 訪問)
桜色 染まる地上の 星の城
「星の城」か「星の島」かどちらにしようか考えましたが、写真を見たらちゃんと城に見えるので城にしました。地上の星っていうとプロジェクトXを思いだします。懐かしいですね。
タワーから見た景色ですが、それほど桜色でもないです。どちらかというと白いですね。雑誌やTVの画像は赤みを増しているのだと思います。実際はこんなモンですよ。
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2024/01/22 19:07
ほりのなかへ すてたら あかん。 (2024/01/03 訪問)
1594年に、加藤 貞泰さんが築城した「黒野城」。
関ヶ原の戦では徳川方だった貞泰さん。
1610年に伯耆国に転封しました。
「黒野城」は16年で廃城します。
「黒野城」には基本的に駐車場はありません。近くに見学者用の駐車場が土日祝で停められると案内がありました。
因みに橋に1台、車が停まっていました。
堀に架かる橋を渡り、右手に枡形虎口跡。こちらの奥に遊具があって、子供たちが遊んでます。
遊具はシャチホコが乗ったお城風です。写真は子供たちに配慮し写してません。
左手に「黒野城」の石碑と説明板があります。
そして、本丸と本丸を囲む土塁は高さがあります。
皆さんの写真は水堀になっていますが、この時期は空堀になっていました。
『黒野城に咲くタンポポ』の説明板があり、貞泰さんの国替えの足取りと、タンポポの分布が一緒なんだとか。
お城に関わるエピソードが、足下に咲くタンポポ。目線が変わって、なるほどと説明板の前で感心しました。
堀を外から見ようと歩けば、手作りの看板がたくさんありました。
16年しか活躍できなかった「黒野城」は本当に大切にされてました。
『ほりのなかへ すてたら あかん』
たくさんの、子供武将たちが守っている「黒野城」攻めでした。
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2024/01/22 18:49
城への交通手段実践レポート (2020/09/19 訪問)
※松代城、松本城(ライトアップ)とともに登城
※松本に後泊
7:27東京(新幹線)、8:43,8:53軽井沢(しなの鉄道)、9:15小諸
(徒歩4分)小諸城址三ノ門(百名城スタンプ 懐古園事務所9:00-17:00冬季第三水休)
12:43小諸(しなの鉄道)、13:30,13:55屋代(路線バス)、14:20松代駅
(徒歩5分)松代城址
(徒歩6分)真田邸(続百名城スタンプ 9:00-16:30)
16:15紙屋町(真田邸から徒歩5分:路線バス)、16:33,17:08篠ノ井(JR特急)、17:51松本
※松本城のライトアップが見られました
泊: 松本浅間温泉
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2024/01/22 18:45
城への交通手段実践レポート (2020/09/19 訪問)
※小諸城、松本城(ライトアップ)とともに登城
※松本に後泊
7:27東京(新幹線)、8:43,8:53軽井沢(しなの鉄道)、9:15小諸
(徒歩4分)小諸城址三ノ門(百名城スタンプ 懐古園事務所9:00-17:00冬季第三水休)
12:43小諸(しなの鉄道)、13:30,13:55屋代(路線バス)、14:20松代駅
(徒歩5分)松代城址
(徒歩6分)真田邸(続百名城スタンプ 9:00-16:30)
16:15紙屋町(真田邸から徒歩5分:路線バス)、16:33,17:08篠ノ井(JR特急)、17:51松本
※松本城のライトアップが見られました
泊: 松本浅間温泉
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2024/01/22 17:57
2024/01/22 09:26
吹田城 大阪府吹田市 (2024/01/12 訪問)
アサヒビールの工場向かいの片山神社と片山公園付近が城趾とされていますが実際はどこにあったのか不明。
遺構は残っていません。
片山神社も由緒等は不明ですが立派な社殿が建っていました。
片山公園は小高い丘になっていてなんとなく城趾の感じはしますけどね。
この辺り、学生時代にはうろうろしていたエリアですが懐かしいところと大きく変わったところと。
月日が経つのは早いものですね。
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2024/01/22 08:36
小倉城制覇! (2024/01/01 訪問)
2024年は北九州市で迎えました
神社が隣接しているので初詣で混雑してました
天守から石垣そしてお濠と格好いいお城でした
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2024/01/22 08:27
唐津城制覇! (2024/01/01 訪問)
山の上にそびえたつお城
駐車場からの写真が絵になります
ちょうどこの時間に能登では・・・
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2024/01/22 08:20
熊本城制覇! (2024/01/04 訪問)
震災後テレビではよく見ましたが
実際に天守を目にすると感動しました
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2024/01/22 08:15
山麓の曲輪群~主郭 (2023/11/19 訪問)
築城時期等の詳細は不明ながら六角氏に仕えた永原氏が築いたとされ、永原城の詰の城として機能したと考えられます。六角氏が織田信長に敗れると永原氏は信長に従い、小堤城山城は廃城となったようです。
先達の皆さまの投稿で行ってみたいと思っていましたが、野洲市での出張!お城EXPOにあわせて登城しました。国道沿いの工場脇から林道に入り、ゲート前の空きスペースに車を駐めて登城開始。あちこちに設けられた案内表示に従って歩くこと十数分で曲輪コースと尾根コースの分岐に到着。分岐に立てられている小堤城山城跡案内図によれば、曲輪コースは山麓の曲輪群を中を進むようなので、迷わず曲輪コースへ。
山麓の曲輪群は、主郭北麓の谷筋を通る登城道の両脇に階段状に配されていて、曲輪を区画する石垣があちこちに見られます。各曲輪には案内図に付された番号の表示が立てられているので、案内図の写真を撮っておけば参照しながらめぐれるのが嬉しいところ(以下、案内図記載の曲輪番号で標示します)。登城道から右手の曲輪へ、次は左へ、また右へと曲輪群をめぐりつつ登って行くと曲輪12の切岸に突き当たります。切岸には石垣が設けられ、石垣沿いに東に回り込んでさらに登って行くと、またも突き当たる主郭13の切岸には今度は二段の石垣が! 主郭13の麓を西側に回り込むと西辺にも石垣が続き、その先から主郭13に至ります。主郭13には説明板が立てられ、城内最大の曲輪ですが最高所ではなく、南を山頂の尾根、東を中腹の尾根に守られています。曲輪群を配した尾根を大土塁に見立てた縄張は観音寺城を思わせます。やはり六角氏の城なんですね。
主郭の東側には中腹の曲輪群の間に設けられた巨大な堀切が見えるので、そちらから中腹の曲輪群に向かいます(続く)。
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2024/01/22 08:14
島原城制覇! (2024/01/03 訪問)
天守全体が白くてバランスのいいお城
あいにくの天気でしたが
青空だったらさらに綺麗だったかも
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2024/01/22 08:10
鹿児島城制覇! (2024/01/05 訪問)
天守閣はありませんが
大きな門が印象的でした
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2024/01/22 08:08
2024/01/22 07:09
2024/01/21 22:52
2024/01/21 22:42
2024/01/21 22:36
鰐淵寺(がくえんじ)‥武蔵坊弁慶と八百屋お七の伝説 (2019/05/05 訪問)
ぴーかるさん私が以前、椿尾下城の投稿をしたことを覚えていてくれましたか。城びとの城以外の投稿を読んでいただけたとは嬉しい限り。そう‥下城は南側から攻めるとやりやすいんですよ。※
さて‥鰐淵寺の投稿をさせていただきたいと思います。(また城じゃないんかい)島根県出雲市別所町にあるこのお寺、歴史は古く推古天皇の時代に信濃の智春上人が当地の滝に祈って天皇の眼病が回復したことから推古天皇の勅願寺として建立されたとのことです。
鰐(ワニ)はワニザメのことらしく上人が滝つぼに落とした仏具を鰐がエラに引っかけて来てくれたことから寺の名前が来ているそうです。人手は入っているんだけど、この寂れた感じがたまらなく良いです。良い意味で古寺の雰囲気が出まくっています。
武蔵坊弁慶が18歳から3年間、当寺で修行をしていたという伝承があります。松江生まれらしいですね。大山寺から一夜で釣鐘を運んできた(盗んだ)との伝承があり、その時持ち帰ったとされる銅鐘は国の重要文化財に指定されています。
後醍醐天皇の建武の新政の際には南院と北院に分かれ鰐淵寺内で対立が起きたそうです。貞和3年(1347)に両院は和解し唐川から別所に寺を移したそうです。今でも鰐淵寺の配置は山城の縄張りのようにも見えますね。
このお寺の域内に,あの八百屋のお七と若衆小野川吉三郎のお墓が有ります。吉三郎の名は井原西鶴の浮世草子から来ているのかもしれません。実際の名は生田庄之介の方が正しいようですね。お墓の近くに立っている案内板によるとお七を憐れんだ吉三郎は出家して、お七の遺骨を持って全国の寺院を行脚している時に鰐淵寺で行き倒れたと書かれています。
齢16で火あぶりにされたお七の話は悲劇性が強く後世の人が創作した話かもしれませんが、二人のお墓が並んでいるのを見ると何か救われたような気がします。せめて極楽浄土で二人仲良く暮らしていただきたいものです。
※R12に抵触する表現が含まれていた可能性があるので修正いたしました。ヘンな意味は無いんですけどね本当に。
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2024/01/21 22:16
2024/01/21 21:59
2024/01/21 21:04
市場城 ステキな戦国遺構と桜と紅葉 (2023/11/24 訪問)
秋に咲く桜と紅葉の共演を観賞後、愛知県豊田市の市場城へ。
美濃との国境にも近い三河の北の山間部。見渡す限り連なる標高3~400m級の山の1つに築かれた城。
浅野家の諸国古城之図では、東麓の廣圓寺付近に入城路があり、本丸周囲は石垣で堅められていた様子。
1502年の築城と考えられる鱸(鈴木)氏4代の居城で、4代重愛が石垣を用いた城に大改修。
家康の関東移封を発端に1592年廃城とのこと。
現在は、遊歩道が整備された半分石垣・半分土の城跡。
訪問時、案内板から反時計回りでルートを進むと、空堀に至るポイントがまるで虎口。そこに踏み込めば櫓跡から張り出した曲輪と二の丸に挟まれ、正面には石垣の櫓台が鎮座するステキな光景。
愛知県では大変珍しいという竪堀群は明瞭で、尾根を切り西壁を石垣で築いた桝形門も見どころ。
コンパクトな城郭にステキな戦国施設が凝縮された市場城が、私の城郭巡りの164城目でした。
※写真3、5、7枚目は翌日撮影
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