「本丸の四角に櫓が聳えていた」のつづきです。
裏御門は本丸の東に枡形を構えて土橋で金柑丸・馬出につなっがていました。
本丸には南面に南御多門が東脇多門櫓とL字型に連結し、西は千貫櫓が構えた枡形で土橋で二の丸につながっています、北面は北御門枡形が構えて大石段で川手の帯曲輪へつづき豊川沿いの防御の要に成っている。
今回裏御門をじっくり観察、今まで幾度と通ていました裏御門枡形で、登り土塀基礎石列を初めて認知観察しました、中々珍しい遺構です、辰巳櫓台から北に伸びる石塁・土塁土橋側の南方から土塁上に登って居ます。
また裏御門の南側の石垣は今回の修復工事で直されて上端が奇麗になって居ました。土橋は南側北側とも石垣で築かれており、土橋の付根から本丸堀の本丸側に輝政時代の石垣が北に少し伸びて残って居ました。
金柑丸は本丸の東に在り二の丸とに挟まれて居り、馬出の役目を果たしていた様で東側に土塁が残って居ます、明治期陸軍の歩兵18連隊が設けられ色々な施設が有り、此処金柑丸には弥健神社が鎮座し神武天皇立像も鎮座しています、当日は陰暦の正月元旦、建国の日(紀元節)の前日でしたので、初詣と紀元節前参拝をしました、皇紀は2684年に当たります。
今回の収穫は裏御門の登り土塀基礎石列は私としての発見と新認識です。
続きます。
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