開山は其阿上人、開祖は陶弘政と伝わっている時宗寺院(現在は浄土宗)です。土塁と環濠を守られた寺院でした。土塁の一部が残っています。
厳島の合戦後、一揆を鎮圧した際に毛利元就が本陣を置いたことも知られています。ここで3人の息子に14ヶ条の教訓状(3本の矢の教え)を書き残したといわれています。
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2024/02/25 08:49
2024/02/25 08:41
陶晴賢 (2024/02/23 訪問)
大内氏の重臣陶氏の居城です。主郭北東部には畝状竪堀があり、山口県観光サイトには総数26条と記載されていました。実際には何条あるのかよくわかりません。西側の曲輪を散策していくと、西の丸に石積みがありました。さらに西へ行くと曲輪の下には浅くなっていますが堀切があります。陶の道と書かれた標識に従って北側へ歩いて行くと浅い堀切と思われる地形がありました。城郭放浪記さんの縄張りと見ると南側に砦のような遺構があるようですが、今回は散策していません。
眺望はよく瀬戸内海がよく見えます。
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2024/02/25 08:04
2024/02/25 06:53
筒井城跡マップ
大和郡山歴史同好会では、2024年2月20日「筒井城跡マップ」を公開しました。
(令和5年度 大和郡山市まちづくりアイデアサポート事業 支援事業)
https://www.nstudio.jp/yktt_tsutsui.html
このマップは「筒井氏と筒井城 –戦国時代の大和郡山–」大和郡山市刊 2020年
などの資料をもとに、今日も残る筒井城の居館跡や堀跡をご案内する散策マップです。
筒井城跡付近では、GPS付マップとして利用できます。
筒井氏の本拠地 筒井城は、織田信長の命で1580年に破却されていますので、
「お城めぐり上級者向け」のマップです。
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2024/02/25 05:44
山口県内最大級 (2024/02/23 訪問)
大内氏の重臣内藤氏の居城と伝わっています。
山頂に主郭を置き尾根に曲輪を展開しています。西尾根に西郭、300m離れた東峰に出丸を配した縄張りになっています。北側に畝状竪堀を見ることができ、堀切も比較的良好に残っていて散策していて山城らしさを感じられます。主郭と西郭の畝状竪堀はわかりやすいのですが、出丸北側竪堀は浅くなっていることもありわかりにくかったですね。主郭から西郭へ行く途中には連続堀切がありました。出丸へ行く途中にも堀切があります。その近くに潜り岩という切ったような垂直の巨岩の間約50cmを通り抜ける場所がありますが、体型的にパスしました。石積みも一部ですが残っています。
主郭周辺からの眺望はよく瀬戸内海がよく見えます。この日は雨上がりで曇っていましたが、晴れていたらよりすばらしい景色であったと思います。
犬ヶ迫駐車場より登城しました。ハイキングコースにもなっていて主郭まで多少寄り道して40分くらいです。雨上がりの朝に登城しましたが、思ったよりはストレスなく昇降できました。
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2024/02/25 05:09
2024/02/25 05:03
山崎興盛 (2024/02/22 訪問)
毛利元就が厳島の戦いに勝利した後、周防長門へ侵攻しますが、その最大の激戦地となったと伝わる城です。当時は3方が沼で堅固な城塞であったようです。遺構はないようですが、保福寺の正面に読みやすい説明板、裏に石碑、沼城主の墓とtodo94さんも投稿されていた解読困難な説明板がありました。
徳山駅からバスに乗り高樋口バス停で下車し登城しました。徒歩5分くらいです。途中に沼城橋という橋がありました。
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2024/02/25 04:51
神籠石式山城 (2024/02/22 訪問)
史書に記載が無く築城主・築城年は正確にはわかっていなようですが、白村江の戦いで唐新羅連合軍に敗れた7世紀後半に築かれたとされています。駐車場から石城神社、西水門、北水門、北門、東水門、日本神社、南水門と回って来ました。南水門はほとんど埋もれているのか見える範囲が少しでした。東門は道がわからず行っていません。思っていたより石塁が多く楽しむことができました。
整備されていて概ね歩きやすくなっています。1時間半くらいでした。眺望はよい場所があり、瀬戸内海が見えます。
幕末には第2奇兵隊が本陣を構えていたようです。
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2024/02/24 11:55
3「大」2つ目の城 (2024/02/10 訪問)
城山公園北駐車場に車を駐車し登城開始。
登りの散策路を5、6分、曲輪跡を一つ二つ進むと主郭に模擬天守登場。無料の天守内部には資料が展示されていて、パンフを入手できる。最上階からは伊勢湾と対岸の三重県を一望。天守南側の神社がある一画には、物見櫓があったらしい。
主郭の裾を囲む空堀を通って下城。攻城時間40分ほど。
知多半島を南下し、夜は海炎温泉に宿営。とらふぐ料理でお肌つるつる?
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2024/02/24 11:39
2024/02/24 09:48
3「大」1つ目の城 (2024/02/10 訪問)
大草公園南の駐車場に車を駐車し登城開始。
公園に入るとそこが本丸で模擬天守がある。1階には資料展示。解説によれば織田長益が築城途中に断念した城で、天守閣も建築工事が進行中のところ中断になったとか。
模擬天守の展望台手すりが劣化し上階へは立入禁止。残念ながら登れない。令和6年度修理予定と案内表示。
公園の散策路を歩き、堀や二の丸、物見櫓跡など確認。40分の攻城。
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2024/02/24 08:45
山城二つ分の見学時間 (2023/05/20 訪問)
南端の主郭から南北に伸びる東西ふたつの尾根上に連続して曲輪を設ける姿はむしろ群郭式に近いのかも。それぞれの尾根が異常に長いのでちゃんと見学するなら山城二つ分の時間を見ておく必要があると痛感した。
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2024/02/23 22:44
姫路城「西小天守特別公開」 (2024/02/17 訪問)
期間2024年2/1(木)〜2/29(木)
時間9時〜16時最終受付まで
入城料1,000円の他に別途特別公開観覧券300円が必要です。
姫路城の連立式天守を構成する小天守3基のうち、今まで公開された事のない西小天守が2024年2月1日より2月29日まで公開されています。
同時に西小天守へ至るルートとしてイの渡櫓、東小天守2階、ロの渡櫓、乾小天守2階、ハの渡櫓も公開されています。
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2024/02/23 21:59
2024/02/23 21:31
どうやって短期間で仕上げたのだろう (2023/05/14 訪問)
賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀長が在陣した陣城で、いわば羽柴方の本陣。最前線の虎口と中心部の間が自然地形なあたり典型的な陣城だが無駄がなく合理的であるとも言える。短期間でどうやってこれだけのものを仕上げるのだろう。
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2024/02/23 14:38
市街地城址あるある? (2024/02/19 訪問)
「土浦」と言えば、最近は渋谷の事故で話題になり、イメージ悪化した印象もあるが、実際に行ってみるとそれなりに風情のある歴史を感じる城下町が残っていたのはチョット意外。大手門跡は現在は小中学校の門になっていて、これもなんだか不思議な感じ。
城内に入ると夕暮れ時の「市街地城址あるある?」なのかカップルがいて、フラッシュONでバチバチ写真を撮ってるとちょっと嫌な顔をされる。城郭自体は思ったよりもこじんまりしていたが、現存・復元含めて街のシンボルとして存在しつつも、市民の憩いの場?としても上手い具合に活用されているように思えた。ただし、逆に言えば観光客と市民との「目的」の違いがコンフリクトすることもあるのかと。それが所謂「オーバーツーリズム」ってことになるのかもしれないが。
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2024/02/23 11:32
桜門周辺 (2024/02/20 訪問)
「菜の花に誘われて田原城登城」の続きです。
桜門は袖池、桝池を東西に水堀と構えて南に面した櫓門です、左右に小さな付曲輪を控え土塀はナマコ壁仕上げで周囲を石垣で築いき田原城の見所の一つで田原城紹介ポスターでは桜門が一番です。
桜門は平成4年に復元復興されて居ります、南側の通りも往時を偲ばせる景観に成っておりしっとりした感じです、桜の時期に成れば大勢の方が見えられる事でしょう。
無料博物館専用駐車場も完備し大変便利です。
続きます。
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2024/02/23 07:39
2024/02/22 23:03
北虎口の丸馬出土塁の痕跡が道路に? (2024/02/19 訪問)
国指定史跡の本丸ど真ん中になんで鉄道通したの?と思ったら、鉄道が先で国指定された方が後だった。調べてみると北畠親房が『神皇正統記』を書いた場所であることが影響しているらしい。そんなこんなで「いわく付き物件」ではあるのだが、痕跡を巡る分にはその方が楽しいのかもしれない。
最近は「奪還を繰り返す城」としてTVでも取り上げられるようになってきており、バス専用駐車場もあって観光にも力を入れているようである。そのメイン施設である「小田城跡歴史ひろば」は旧常陸小田駅の敷地を活用しておりホームはそのまま残っている。サイクリングロードはさすがに本丸を迂回するようにはなっているが、「小田城跡歴史ひろば」から向かって行くと、鉄道が通っていた場所に「穴」が開いていて(なんで遺したんだろう)レール門で塞がれている。また鉄道が通っていた時代の案内板も捨てきれないのか、曲輪の隅に追いやられてはいるものの健在。
中でも、イチバン印象的だったのは北虎口の丸馬出土塁の痕跡が道路となっているのではないか?と思えた部分。おそらく地権の問題でこのようになったのではないかと妄想するが果たして。
この度いろいろと城址を巡ってみて、水戸学の影響なのか茨城って尊王思想が強いのかなあとあらためて思った次第。それも偏見なのかもしれないが。
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2024/02/22 21:34
うじがわ 夢浮橋 (2018/03/31 訪問)
夢浮橋といっても五木ひろしさんの楽曲ではありません。京都の宇治川のほとりに夢浮橋ひろばがあり紫式部の石像が鎮座しています。「夢の浮橋」は源氏物語の第54帖にあたり、光源氏亡き後の薫と匂君、そして浮舟を巡る三角関係を描いた宇治十帖ゆかりの場所のようです。すぐ近くに宇治橋もかかっており情緒がありますね。いまから一千年も前の話なのに今でも色褪せないってすごいですね。
夢浮橋ひろば‥京都府宇治市蓮華花(地名がオシャレ)
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