天正18年(1590)に大浦為信が豊臣秀吉から津軽本領安堵の朱印状を受け、4万5000石の大名になりました。その際に姓を大浦氏から津軽氏に代え、本城を大浦城から堀越城に移したそうです。古くは南北朝の建武3年に南朝方と戦うため曾我太郎貞光が堀越と新里に館を築いたと、翌年に記された「曾我貞光申状案」に記載があるそうです。貞光は元々は南朝に尽くした人物だそうですが、軽んじられたため、足利尊氏の蜂起に呼応して北朝方に転じたそうです。その曾我貞光も八戸根城南部政光もしくは三戸南部氏によって滅ぼされたそうです。
堀越城は一時期、津軽藩の本城だっただけあって立派な土塁と堀が二重に本丸を囲っていますが、東側の三の丸は外堀だけになります。城址の南北を国道7号が縦断してはいますが、宅地の中にこれだけの城跡がこの状態で残っていることに感心しました。
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