志賀の陣に際して、朝倉・浅井連合軍が比叡山南麓の坂本と京を結ぶ白鳥越えをおさえるべく壺笠山頂部に築いた陣城で、織田信長と和睦して連合軍が撤退した後は、坂本城に入った明智光秀により改修されたと考えられます。
坂本城の発掘調査現地説明会と湖中に残る石垣を見学した後は壺笠山城へ。ダニの巣窟との噂にひるんで秋や春の登城は控えていましたが、行くなら真冬の今しかない! と完全防備で登城しました(その甲斐あってか無事でした)。穴太野添古墳群の駐車場から登城開始。川沿いに20分ほど進んで橋を渡り、5分ほどで分岐を左に折り返し、そして5分弱で登城口です(案内表示を見落とさないよう注意)。
明瞭な分岐はありませんが、登城口から左方向に進むと直登ルート、右方向が尾根ルートで、尾根ルートは西端の堀切(切通道)に続いています。尾根に出ると東側に土橋状の尾根道がのび、その脇の土壇は切通道を見下ろす位置にあります。尾根道を進むと南麓に小曲輪群が見えてきます。兵の駐屯地でしょうか。さらに進むと石段と石垣の虎口があり、その先は主郭を取り巻く帯曲輪になっています。主郭の切岸は高く鋭く、切岸や帯曲輪、腰曲輪の裾には明智期の改修と思しき石垣もあちこちに見られました。帯曲輪を一周して主郭へ。説明板が立てられているほか、北東部と北西部に浅くなった虎口が開口していますが、周囲には土塁はめぐらされていません。
零汰さんの投稿を参考に、壺笠山城に続いては白鳥山(御輿山)砦と青山城にも行くつもりが、白鳥山砦へは西端の堀切から尾根道を西に進むべきところを登城口まで下りてきてしまい、あまりの凡ミスにもう一度堀切まで登って行く気力が失せたため断念…。青山城には行けなくはないものの、これで青山城に行ってしまうと白鳥山砦のためだけに再訪する気にはならないかも、と考えてあえて行きませんでした。このままでは終われないので、壺笠山城の再訪とあわせていつかリベンジしたいと思っています。
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