(25人目)島津豊久の続き⑪です。烏頭坂を脱出した島津豊久は伊勢西街道を入り勝地峠にたどり着きます(写真①②)。ここでわずかに生き残った家臣達は、豊久を逃がすべく、追ってくる井伊直政・松平忠吉に向かって最後の捨て奸を敢行しました。
そして何とか峠を越え「白拍子谷(しらべしだに)」に入った豊久ですが、ついにここで力が尽きてしまいます。庄屋の家に匿われ村人たちが手当をしますが、叔父の島津義弘が伊勢東街道に無事逃げた事を聞くと、おとりの役目を果たした事に安堵し、夜が明ければ直政軍が追ってくるであろう。このまま匿った事が分かれば村人たちに迷惑がかかってしまう、もはやこれまでと庄屋の家を出てこの小川のほとりで自刃したそうです。
私も直政軍が追ってこないか、後ろを振り返りながら、逃げるように関ケ原駅前で借りた電動ママチャリを必死でこぎ、勝地峠の坂を越え、峠で遭遇し追ってくる3匹の野生の猿からも必死で逃げ、関ケ原からもう2時間も全力でこぎ続けて、白拍子谷までやって来ました。心臓はバクバク、足はもうガクガク、もはや私の方が死にそうです(😩~)。そして、豊久が自刃したとされる地にやっとたどり着き、そこに立ってみました。豊久はどんな思いでこの地で自刃したのでしょうか? 無残に破れている島津の丸十字の軍旗が、豊久の無念さを象徴しているようで、なぜかとても悲しかったです(写真⑤)。
そしてその遺体は、この近くの瑠璃光寺にて荼毘に付されたと伝わっています。瑠璃光寺にも行ってみました(写真⑦)。荼毘に付された地には豊久の墓が建てられていました(写真⑧)。そして瑠璃光寺の鐘には、この時の様子が記されているとの事です(写真⑩)。
島津豊久(享年31才)
直政らの大軍を相手に臆せず果敢に殿を務め、義弘の身代わりとなって戦い、そして見事な最期を遂げました。この若くして島津の将来のために自ら犠牲を買って出た豊久に、私は特別賞(トク別賞)をあげたいと思います。
次は、いよいよ最後(26人目)に続きます。
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