粟ケ岳は掛川市の山で、山頂まで車で行くことが出来
晴れた日は遠く富士山まで眺めることが可能です。
眼下には茶畑、大井川を見渡すことが出来ます。
式内社・阿波々神社を訪ねて訪問したのですが
思いもよらぬ眺望で写真を残してありました。
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2023/07/30 14:38
2023/07/30 14:17
今川義元の庶兄、玄広恵探が籠った城 (2021/02/27 訪問)
花倉城は今川家の家督争いの際、栴岳承芳(今川義元)と戦い敗れた
庶兄、玄広恵探(今川良真)が籠った城です。
義元の兄が籠ったにしては、いささか小ぶりな城で
堀切や竪堀などの遺構はありますが肝心の曲輪はそれほど
大きくありません。
二の曲輪、本曲輪と見た後は尾根上に続く帯曲輪ぐらいしか確認して
おらず、北の尾根先に残る遺構は確認して無かったと思います。
恵探側についたのは母方の福島氏だけとみられ、最初から
分の悪い争いだったのでしょう。
織田信長や上杉謙信、伊達正宗など有名な武将は皆、親や兄弟と
争い歴史の表舞台に出てきます。
武力を以て己が目的を達成するのが武士の本懐であれば、親族や
主従の間で争いが絶えないのは必然なのかもしれません。
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2023/07/30 12:49
朝日山城。藤枝市の岡部氏の城。 (2021/02/27 訪問)
朝日山城は静岡県藤枝市仮宿に築かれた山城で岡部氏の城と伝わります。
東へ約400mあたりのところに岡部氏の居館がありますので
少し詰めの城との距離がありますね。
34°54'14.1"N 138°16'17.4"E(34.903907, 138.271489)に
神社の駐車場があり簡易トイレもあります。
朝日山稲荷神社が城址の二の丸になっているので
堂々と使わせていただきましょう。有難や。
神社への参道が続いているのですぐに二の丸にたどり着きます。
参拝をすませ、背後に回るとそこが本丸(一ノ曲輪)で周囲に
うっすらと土塁が残っています。
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2023/07/30 12:03
良く整備された中世城郭。遺構も残る。有り難や。 (2021/12/24 訪問)
飯田城は今川方に属する山内大和守道泰の城で、今川氏への忠節を貫き
榊原康正・大須賀康高らの攻撃を受け凄惨な最期を遂げ、飯田城も
落城したとあります。
城址は良く整備され、散策しやすく遺構も良く残っています。
南西より虎口・大手口を通り帯曲輪・二の丸などの遺構を見ながら
本曲輪に至ります。
各所に土塁が残り本丸北側には物見曲輪もあり天守の雰囲気も漂います。
北西側には二重の堀切があるそうなのですが草が生い茂っていて良く見えません。
飯田城の北側にある崇信寺は古城と呼ばれていて土塁が残っていました。
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2023/07/30 11:20
ぴんころ地蔵 (2022/01/04 訪問)
小長井城に行く途中で偶然見つけたお地蔵さんなのですが
看板や容姿含め、なかなか物白い形をしていたので掲載させていただきます。
ディフォルメタイプのお地蔵さんも最近ちょくちょく見かけますが
ここまで寸詰まりで、二頭身タイプのものもちょっと
無いのではないでしょうか。
二頭身といえば私はジャンプ全盛期を経験しているアラフィフなので
奇面組シリーズを思い出してしまいます。
今みたいに言葉狩りや団体さんがうるさい時代でもないので
皆好きなように描いていましたね。
最近グチが多くなっていけませんが、昔のおおらかさが少し
なつかしかったりします。
35°06'22.7"N 138°08'35.4"E(35.106297, 138.143169)この近辺です。
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2023/07/30 10:48
比較的住宅地に突如出現する中世城郭遺構 (2022/01/04 訪問)
小長井城は小長井氏の城で地元では小長谷城とも呼ばれています。
小長井氏はかつて今川氏に属していましたが、後に武田氏に下り
武田氏の指揮下に城を大改修したと案内板には書かれています。
馬出しなどは無いものの、周囲を徹底して堀や土塁で強化してあり、
特に主郭背後の防御の念の入れようは驚異的ですらあります。
比較的住宅地に近い神社一帯に遺構が残り、北側の海洋センターもかつての
城域に含まれるようですが、ここは南に集中して散策するだけで
十分な遺構を確認できます。
神社北側を走る整備された農道を東に移動すると、いきなり大きな
堀切が口をあけています。主郭背後を走る一号堀と二号堀です。
これだけでこの城址が只者でないことが伝わってきます。
私は二号堀から侵入し、堀切群を確認したあと、主郭周辺を
攻めています。
よくこれだけの遺構がのこっているものです。失礼ですが田舎万歳ですよ。
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2023/07/30 09:50
良く整備された、台地に築かれた城。散策も容易 (2021/10/24 訪問)
設楽城は設楽弾正の城であったとされています。鎌倉時代初期の
形式を良く残していると駐車場近くの案内板には記されていますが
堀切や土塁、竪堀など良く残されていて散策もしやすく
お勧めできる城跡です。
周囲を湾曲した大千瀬川に囲まれた台地に築かれ
南から城域に入り二の丸を経て本丸に至ります。
二の丸の手前には大きな堀切があり城域を守っています。
それほど大きな城ではありませんが戦国期にも使用されて
いたのではないでしょうか。
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2023/07/30 07:16
黒船来航 (2023/07/22 訪問)
寺中御台場は黒船来航に備え、城下町防衛のため、加賀藩が築いた寺中のお台場を部分復元したものです。御台場は寺中神主の屋敷跡に築かれています。当時のお台場は、ほとんどが、海岸線にそって築かれていますが、この寺中御台場は、長州の下関事件など外国艦隊との装備の差を考慮し、上陸後の対応を図ったものと考えられています。
現在の寺中お台場は大野湊神社脇の緑地公園に整備されており、公園内に、北前船で大儲けした銭屋五兵衛記念館もあり、神社と合わせて見学することをお勧めします。
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2023/07/30 00:24
思い出いっぱいの列車旅 (2023/05/28 訪問)
午前中に宇和島城見学後、宇和島発12:18のJR予土線窪川行きで「松丸」へ向かいました。
今回の四国ツアー、往路最終目的地です。
実は今年の年始に高知から河後森城・宇和島城・大洲城と四国の西側をまわれないものかといろいろ画策してみたのですが、列車の本数の関係でロス時間が大きく、年始の休館日もあって断念していました。(かわりに徳島方面へ行きました。)
今回、(まだ幾分)行きやすい大洲から逆回りで攻めたのですが、先日、トクさんのご投稿を拝読してびっくり(゚д゚)!
高知から宇和島へ列車移動されたのですねー!すごい👏
宇和島駅のホームで待っていたのは
『かっぱうようよ号』でした。
個性が突き抜けている四国の列車は、旅を何倍も楽しいものにしてくれます。
列車やバスはお城めぐりのための移動手段であって、特別好きだとか思い入れがあるとかもなく詳しくもないのですが、気づけばお城とセットで「思い出」になっているところも多く、特に地方の駅は二度三度訪れると懐かしく、郷愁を誘うことさえあります。
本日の写真↓
① 海洋堂ホビートレイン「かっぱうようよ号」
② 同上
③ 東京→松丸の乗車券(宇和島→北宇和島は別途購入)
④ 帰りの列車。山の向こうからやってきてくれました。
⑤ 松丸駅で。「かっぱうようよ号」の2本後の列車。(約3時間半後)
⑥ 松丸駅。ぽっぽ温泉は改修中(5/22~8/9)でした。
⑦ 帰りの松山までの切符。松丸駅で発券してもらいました。
⑧ 今月の誕生日(18歳になりました😊)に自分にプレゼントしました。
河後森城訪問記はまた明日(・∀・)/
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2023/07/29 23:48
かなり攻めた造りの城郭風陣屋。 (2022/01/01 訪問)
小島陣屋は宝永元年(1704)松平信治が陣屋を構えたことが小島藩の始まりとされています。
一万石の大名では城を構えることを許されないのですが
かなり攻めた感じの陣屋を作っています。
比較的高地に、まるでマチュピチュのような段々の石積か築かれ
表門はなんと枡形になっています。
しかも大手石垣は部分的に4mを越える高石垣が築かれています。
どうも無駄に石積みが多いような‥悪い意味でのマチュピチュです。
夕暮れになるとこの辺は完全に日影で写真も暗いものが多いのですが
早朝に訪れると全く違った雰囲気を味わえるのかもしれません。
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2023/07/29 23:16
日本平 (2022/01/01 訪問)
2022年の元旦に日本平に行ってきました。
日本平に行く途中の橋の上から見る富士山が絶景で
近くに駐車場があります。
私の生まれ故郷、清水の港を背景に富士山がそびえたつ様は
まさに絶景です。
日本平には赤い靴を履いてた女の子の母子像や
富士山を眺めるための周回路、ちゃっきり節の碑などがあります。
赤い靴‥と言っても外国人に連れ去られたというわけではなく
養子にもらわれていったということらしいです。
ここからロープウェーで久能山東照宮にもいけますが
今回はここまでとします。
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2023/07/29 22:57
武田に殉じた裏切り者の凄惨な末路。 (2022/01/01 訪問)
複数のサイトを確認させていただいたところ
庵原山城は庵原氏の城で
武田の支城になった後は、今川から武田についた
朝比奈氏が城代となったが武田家滅亡の際に庵原館で自刃したとあります。
徳川につくといった選択肢は無かったのでしょうか?
主郭あたりは果樹園らしいのですが、かなりの藪でした、
周辺もかなりヤブ化が進んでいて
かろうじて南側の郭がなんとか確認できる状態でした。
いまではどうなっているのかわかりませんが
看板が立てなおされたらしいですね。
補足‥
城主の朝比奈信置という人物、朝比奈泰能や泰朝父子とは別系統とされていますね
甲陽軍艦によれば山本勘介を義元に推挙した人物とされています。
ひょっとしたらこの人は最初から武田に通じていて、武田の最期に際して
武田に殉じた人物なのかもしれません。
元今川家臣でありながら朝比奈駿河守信置と名乗っている時点であまり好感は持てませんが。
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2023/07/29 22:14
相羽城 (2023/07/15 訪問)
【相羽城】
<駐車場他>相羽公民館に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾1城目。相羽城の築城は鎌倉時代の前期に土岐光行の子光俊が饗庭姓を名乗り築城しましたが承久の乱で討死します。その後一時廃城となりますが戦国時代には土岐頼芸の家臣長屋景興が修築します。1545年に斎藤道三に攻められて落城し、その後鷹司氏が城主となりますが1549年に織田信秀に攻められて落城し廃城となったようです。
現地は八幡神社になっていて、本殿の本丸跡は少し高台(土塁かも)になっています。近隣の川の流れが現在と変わらなければ、東に根尾川、西に三水川が流れ東西の川を堀代わりにしていたと思われます。戦国時代、織田信秀は稲葉山城の更に北西方の濃尾平野の最北の城まで攻略していたのが凄いです。
<満足度>◆◇◇
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2023/07/29 21:55
2023/07/29 21:33
マイナーな城だけど北条・今川 / 武田で、ガチの争奪戦。 (2022/01/08 訪問)
蒲原城は今川方の城ですが武田信玄が駿河に侵攻した際に
救援の北条勢がこの城を拠点とし、武田勢を撤退させています。
永禄12年(1569)武田方が再侵攻し、落城して武田方の拠点になりました。
主に散策できる郭は北の帯曲輪と北の曲輪(善福寺曲輪)と南の本曲輪です。
北の曲輪には西から南にかけて土塁が残され
南の本曲輪には神社がまつられています。
訪城は一年半前になるのですが、どうやらそのあと逆茂木が設置されたらしく
もう一度訪問してみようかなと考えています。
しかし逆茂木とは‥ マイナーなもん置きよってからに‥
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2023/07/29 20:45
2023/07/29 20:35
メェ~ (2023/07/22 訪問)
田畑の北側と東側に土塁が残る
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2023/07/29 20:16
散策容易な天方氏の城。 (2021/01/31 訪問)
天方城は今川側の武将 天方通興が戦国期に築いたと伝わります。
天方城は本城と新城があって、城びとの天方城は新城のほうです。
道興は最初徳川家康に敵対するも降伏し臣従します。
息子の道綱は二俣城で服部半蔵正成にかわって松平信康の介錯を
務めたと伝わりますが諸説あるようです。
二年前の訪城の話なので記憶をたどりながらになりますが
ご容赦ください。
天方城は駐車場を備えた城址公園になっていて山上まで車道が続いています。
主郭北側に駐車場があり二の郭を経由しながら主郭へ向かいます。
主郭は南東側を除く周囲を土塁で囲まれその外側を堀切が巡っていますが
東側の工事が終了していません。どうやら未完の城のようです。
南東部は切岸になっており、やや南西の箇所に展望所があってここから
浜松市街がよく望めます。
目の良い者なら浜松城の軍勢の動向を確認することも可能でしょう。
西側に鉄塔設備のようなものがありますがその近くに土橋が残ります。
車さえあれば比較的容易に訪問と散策が可能です。
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2023/07/29 20:09
漆黒の天守 (2023/07/23 訪問)
岡山城は梯郭式の平山城で、岡山平野を流れる旭川の西畔にあり、城下町を含めた範囲は南北約3.5km、東西約1.3kmで旭川に沿って南北に細長く、水堀が五重に巡っていました。本丸の位置は北東に偏っており、南から西には五重の堀と曲輪を巡らせているのに対し、北から東方向は、旭川が流れるとはいえ、軍事上の弱点となっています。(北側には、日本三名園の一つ後楽園があります。)
岡山城の見所は何と言っても、1966年に鉄筋コンクリートで再建された漆黒の望楼型天守だと思います。漆黒の天守は格調高い意匠が特徴で、見る角度によって大きく外観が変わります。不等辺五角形の高石垣の上にそびえる天守は、五重六階で高さは22mもあります。
カラスのような黒さを表した烏城との別名もあり、漆黒の壁に金の鯱は映え、何とも恰好が良い(*^▽^*)
国の重要文化財に指定されている、月見櫓と現在は廃校となった内山下小学校西隅にある西の丸西手櫓も見所です。また、石垣も宇喜多期の天守台の石垣・小早川期の大納戸櫓の石垣・池田期の月見櫓の石垣と石垣好きを喜ばせてくれます。
2022年11月3日で令和の大改修が完了し、リニューアルされた天守内を見学するため岡山を訪れました。入場料400円ですが、2割のJAF割引で320円で入城することが出来ます。
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2023/07/29 17:38
桑名城おまけ。蟠龍櫓 (2023/06/24 訪問)
蟠龍櫓は桑名城跡の九華公園の北側、揖斐川沿いに
外観復元されています。
一階は管理室になっているようで立ち入りはできませんが
二階はフリーで入れます。
これまで長いこと入ったことが無かったので期待していたのですが
まああくまでも外観復元なので過度な期待はせずに
気楽に入った方が良いでしょう。
七里の渡しに面した位置に建っているので、最も多くの人が目にする
桑名のシンボル的な役割を果たしていたようです。
蟠龍とは天に昇る前のうずくまった状態の龍を指すようですよ。
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