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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/26 訪問)

※掛川城、諏訪原城、駿府城とともに登城
7:10品川(新幹線)、浜松8:27
  (徒歩20分)浜松城(続百名城スタンプ 8:30-16:00)
10:08浜松(JR)、10:35掛川 ※or10:25浜松(新幹線)、10:37掛川
  (徒歩12分)掛川城(百名城スタンプ 二の丸御殿9:00-17:00)
  ※掛川駅構内観光協会で高天神城のスタンプ押印も可能でした
12:17掛川(JR)、12:31金谷
  (徒歩24分)諏訪原城(続百名城スタンプ 諏訪原城ビジターセンター 10:00-16:00月休)
14:32金谷(JR)、15:03静岡
  (徒歩16分)駿府城(百名城スタンプ 9:00-16:00月休)
  ※静岡駅付近泊

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/11/05 訪問)

9:00新宿(JR,りんかい線)、9:25東京テレポート
 (徒歩12分)お台場海浜公園管理事務所(続百名城スタンプ 9:00-16:30?)
 ※現在スタンプはマリンハウス1階に設置されているようです
 ビーチ沿いに歩いて第三台場を散策
 ※帰りは、台場辺りをうろうろしてレインボーブリジを歩いて渡って田町駅まで
  レインボーブリッジは、ゆっくり歩いていろいろ立ち止まって景色を楽しんでも1時間ちょいです
  天気のいい日には是非おすすめ

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しんちゃん

巨大な山城と化した御本陣山の中心部。 (2019/05/02 訪問)

太閤ヶ平陣は羽柴秀吉が鳥取城を攻めた時の本陣が置かれた場所です。東側一帯に中継所が設けられていて、東照宮より舗装された道が続いています(徒歩ですが)。開発の手が伸びてきてはいますが国の史跡に登録されており、よくぞ遺構を壊さずに残しておいてくれたと思います。
本陣の置かれた帝釈山(御本陣山)から鳥取城の築かれている久松山まで遊歩道が続いていますが、周囲にこれでもかとばかりに陣城が築かれています。まるで御本陣山そのものが巨大な山城のようであります。本陣周辺にも土塁や空堀が非常に良好に残っていて東と南に虎口が設けられ土橋がかかっています。枡形など複雑な防御の構えは有りませんが、それが必要ないほど本陣の周囲の守りは固いのだと思います。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/05/03 訪問)

9:08新宿(京王)、9:57,10:03京王八王子(路線バス)、10:22滝山城址下
 (徒歩6分)滝山城跡(続百名城スタンプ 24HOK) ※中の丸にスタンプあります
 ※お弁当持って城跡尾根をハイキング的に横断する形でゆっくり散策
 ※帰りに道の駅八王子滝山に立ち寄り
14:25道の駅八王子滝山入口(路線バス)、14:35,14:51京王八王子(京王)、15:33新宿

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小城小次郎

地震は何もかもを一瞬で奪い去る (2023/04/22 訪問)

帰雲城が一瞬にして伝説の城と化したあの大地震と同じ地震で木舟城の周辺は数mも陥没し、前田利家の弟の命を奪ったばかりでなく城も城下も全てが潰滅したという。地震とはいつの時代にも一瞬で全てを奪い去っていくものなのか。

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しんちゃん

羽柴秀吉相手に善戦するも兵糧攻めで落城。 (2019/05/02 訪問)

防己尾城は湖山池に突き出た丘陵上に築かれていて東西二つの尾根があり東に二の丸、西に本丸が築かれています。本丸の先は出丸になっており見張台の役割をしていたようです。
天正6年頃、吉岡将監定勝によって築かれたとされています。天正9年・羽柴秀吉の鳥取攻めの際に吉岡将監および舎弟右近らが毛利方として籠城し秀吉と対峙します。天正9年7月羽柴方の多賀文蔵は将監に攻められ旗指物を奪われます。文蔵は秀吉に願い出て防己尾城攻撃の先陣を務めますが城内からの一斉攻撃を受け討死します。戦上手の将監に秀吉も苦戦を強いられますが得意の兵糧攻めにて落城させたとのことです。将監は毛利氏のもとに逃れた後、因幡に戻って帰農したとされています。
将監の活躍は後世に盛られた部分もあるようですが秀吉が兵糧攻めにするほどの強敵であったことは確かだと思います。

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BUGTI

守護代浦上氏の居城 (2024/01/14 訪問)

JR三石駅から数分のところにある登城口から攻めました。道は整備されているが、岩場や崖道が多いので足回りはしっかり準備しておいた方が良い。古い石垣が残る大手門が一番の目当てだったのだが、途中の第一見張所との分岐点で、「本丸跡への近道」という看板の誘惑に負けて近道へ。三の丸下の櫓台石垣には出会えたものの、大手門を通ることなく本丸まで着いてしまった。大手門へ行くには近道ではない方を進むべし。仕方なくお楽しみは後回しにしておいて、堀切や鶯丸を回って最後に大手門を探索。近世の石垣に比べて高さは低いし石も小さいが、これでも実戦を戦い抜いたと言わんばかりの味わいのある石垣を見て満足しました。

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姫街道

巨大な本丸桝形に驚いた!! (2024/01/07 訪問)

岐阜城のインパクトが強すぎて、正直見落としていた。大きな方形土塁に石垣積みが残っており当然に国指定。よくこれだけ石垣も土塁も残存していてくれた。特に本丸桝形!どの角度から見ても素晴らしいの一言。しかも正面に岐阜城が見える点も素晴らしい。家康が対豊臣のために改築したとあり、色々な事を考えさせられる縄張り。感激しました!

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姫街道

立地が魅力的 (2024/01/07 訪問)

当時と今とでは、周囲の河川状況も異なっているだろうが、似たような環境に城を築いていたのだろう。周囲を木柵で囲ってある点が面白い。

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姫街道

昭和初期の国宝 (2024/01/07 訪問)

昭和初期まで残っていたお城や城壁を写真で見る限り、もし今残っていたら…と思うと残念でならない。そのくらい名城だと思う。写真があるだけでも貴重だ。今は綺麗な復元天守がそびえ立ち街のシンボルとなっている。

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姫街道

一向一揆勢を想う (2024/01/07 訪問)

遺構は長良川に水没しており、移設した現在地を訪れた。長島一向一揆殉教之石碑が本堂正面にあり、お寺の造りも雰囲気がある。

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しんちゃん

東京スカイツリー (2019/01/02 訪問)

東京スカイツリーは東京都墨田区押上に築かれていて周辺のあらゆる場所からその秀麗な姿を見ることが出来ます。高さは634mでタワーとしては世界三位を誇ります。現在では展望回廊+展望デッキまでのチケットが2700円(前売り券)で当日券だと400円ほど割増になりそうです。そんなにお安くも無いのですが大東京を一望できるこの景観は絶景といって良いと思います。営業時間10:00~21:00(最終入場20:00)なので夜景を楽しむこともできます。夕方訪れて夕景と夜景を楽しむのもアリではないでしょうか。

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赤い城

いとしの堀底道 (2024/01/02 訪問)

願成寺の背後の山が城趾。
googleMapに駐車場が表示されていますがここまで行くのは軽自動車でも勇気がいります(個人の感想です)。
県道12号線の広くなったところに車を停めて徒歩で登城しました。
舗装路ですが落ち葉で覆われ、やっぱり車で来なくて正解、と言い聞かせながら歩きました。
しばらく登ると登城口の表示があり、ここから山道ヘ。
まだ先は長いです。
途中、動線でもあるような竪堀や尾根を進んでいきます。
少し開けたところからさらに案内板があり登ります。
少し行くと竪堀発見、城域に入ります。
竪堀が落ちるその上には物見櫓と説明板があります。
ここからさらに進んでみると堀切、登った甲斐があリました!
結構良好な堀切です。
この上が主郭ですがまずは西側に回ります。
切岸には石積、投石用の石も転がっています。
切岸を直登して主郭ヘ。
主郭から北に進んでみると堀切が3条、曲輪の展開も。
登った苦労を顧みてテンションあがりました。
主郭の東側には堀底道、折れもあり感動。
久しぶりに堀底道に出会うことができました!
今年はいい年になりそう?かな。
南北朝時代の城のようですが詳細は不明。
阿波の千早城ともいわれています。
行きにくい場所にありますがおすすめの城です。

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姫街道

巨大な水堀に囲まれていた城 (2024/01/07 訪問)

遺構は無く学校になっている。学校内に樹齢300年の松が残るだけと言う。ただ、周囲を巡る水路が堀跡を想わせてくれる。案内看板と現地を照らし合わせて考えると、ここも凄い縄張りで、周囲をこんな大きな堀が巡る縄張りが打たれた城があったのか?と驚く。

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しんちゃん

異なる形状の土塁を備えていたようだ (2019/05/01 訪問)

鳥取藩は幕末の動乱期、文久2年(1862)に海防の為の台場の築造を開始し、翌年には11の台場に大砲の配備を完了しました。浦富台場は家老・鵜殿長道の担当で4門の大砲を備えていたようです。現在は土塁が残っており案内板の絵図と記述によると西側400mの地にも台場が存在して現存台場は二門の大砲を打ち出すために屏風折れのような突き出た形状をしていますが、西側の台場は枡形形状をしており鵜殿氏が建設に当たっていろいろと試行錯誤をしていたことがうかがえる(ような)気がします。

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姫街道

海道の名城 (2024/01/07 訪問)

水堀が曲輪間に珍しいくらい巡っており、「現代においては、堤防が無ければ水没してるかも!?」と思うくらい海抜の低さ感じられる。遺構は辰己櫓跡の土塁が多少残るくらいか…。ただ、公園化してくれてあるだけでも本当に有難い!!
また、城の北側に「七里の渡し跡」が整備されている。現在の東海道はカラー舗装されており、城巡り➕東海道宿場街巡りが楽しめる。

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しんちゃん

天女伝説が残る羽衣石山 (2019/04/03 訪問)

羽衣石城は羽衣石山の頂部に築かれていて山頂西側の高所が主郭で模擬天守が建てられています。模擬天守の中に入ることはできませんが東に一段下がって郭があり展望台が設置されていました。駐車場から登城道に沿って登って来る途中に「お茶の水の井戸」や天女伝説にちなんだ「天女のあしあと」などの遺構があり、ごつい岩肌がむき出しになっている箇所がいくつも見受けられました。
貞治5年(1366)南条伯耆守貞宗がこの山に城を築き、大永4年(1524)八代豊後守宗勝の代に出雲の尼子経久に城を追われました。天文9年(1540)尼子誠久が毛利元就追討のために安芸国に攻め入った隙を突き、城を追われた諸将らと共に川口城を落とし尾高城・八橋城を攻めますが尼子国久・誠久父子が羽衣石城に取って返し、両軍は橋津川を挟んで激しく戦いました。南条方は橋から落ち多くの将兵が水死しましたが水練の達者な貞勝は命からがら助かったそうです。
その後尼子氏は毛利氏に滅ぼされてしまったので宗勝は旧城を回復できたそうです。めでたしめでたし‥なんでしょうか。

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チェブ

赤い鳥居を探す。 (2023/12/06 訪問)

写真①と②が「高津戸城」の入城口です。
「高津戸城」の本丸跡でもある要害神社に通じる鳥居です。
「高津戸城」の三の丸が展望台駐車場のようで、帰って来てから知りました。ここから鳥居が見えます。
この展望台駐車場を、なかなか見つけられず写真①②以外は、『ここか!』と思ったら違っていた場所です。
「高津戸城」がある高津戸渓谷は風光明媚で、赤い鳥居や赤い橋があり、大きな駐車場も何ヵ所かありました。
水曜日の夕方ですが、大きな駐車場には何台かの車が止まってました。

日も暮れて来たので退陣しました。
紅葉が綺麗で、鳥居や橋の朱が一層 艶やかに見えた「高津戸城」攻めでした。
*「高津戸城」、暗くなりかけていたので、わーっと鳥居から駆け上がり写真を写して一目散に降りて来ました。
、、、写真、写していなかったようです。

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駿府城

測量作業を紹介します!

現在、発掘調査現場では、2023年10月より始まった駿府城跡清水御門北側地点の発掘調査現場の測量を行っています。人力や重機での掘削作業は終わり、出土品や遺構等を整理し始めています。

発掘調査は単に掘り出すだけでは終わりではありません。掘り出された遺構や遺物を実測図や写真で記録し、出土した物の種類や時代、それから得られる情報などを詳細に記録する必要があります。
今回はその記録作業の一環として、発掘された遺構を測量している様子をお伝えします。

まず、石垣の測量に取り掛かる前に、石垣の上に生えている草木や付着している汚れなどを綺麗に取り除きます。これは測量の正確さのために重要な作業です。

そして次に光波距離計を使用して、遺構の形状や大きさ、深さなどを記録しています。
 
このような記録作業を通じて、より詳細な情報を得ることができ、駿府城跡の歴史や構造についての理解を深めることができます。

こちらの発掘情報館きゃっしる【別館】(http://www.shizuoka-bunkazai.jp/castle-info/)では作業の進捗状況や最新情報などもお知らせしていますので、ぜひご覧ください♪

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イオ

2024年城初め (2024/01/08 訪問)

2024年は犬山城で城初めです。正直、被災された方々を思うとのんきに城めぐりすることへのためらいもありましたが、今できること(さしあたりは義援金)をしつつ、生活再建に向けて動き出す段階では仕事柄できることがあるはずだから、と自分の中で折り合いをつけて行ってきました。

犬山城は室町中期に織田広近が築いた砦を前身とし、戦国中期に織田信康が改修して居城としました。信康の子・信清が織田信長に敗れると信長配下の城となり、本能寺の変の後は尾張国を領した織田信雄の家臣・中川定成が入りましたが、小牧長久手の戦いでは池田恒興の急襲を受けて落城。徳川家康の籠る小牧山城に対する羽柴方の橋頭保となっています。その後、信雄に返還されるも信雄が改易されると豊臣方の城となり、関ケ原の戦いの後は徳川方の城として小笠原吉次が、次いで尾張藩附家老となった平岩親吉が入り、そして同じく附家老の成瀬正成が城主となって、成瀬氏のもとで明治を迎えました。明治に天守を除く建物は破却や移築されましたが、濃尾地震からの修復を条件に天守は成瀬氏に譲渡され、以降、個人所有の国宝として成瀬氏により100年以上にわたって管理されてきました。現在は公益財団法人犬山城白帝文庫の所有に移されています。

5年ぶり2度目の登城ですが、前回は木曽川越しの犬山城を見ていなかったので、まずは犬山橋から。前夜は雪だったようですが今朝は晴れ渡っており、前回は2日前の大雨で木曽川は濁っていましたが今回は穏やかに澄み切っています。そんな青空のもと澄み切った木曽川越しに望む犬山城は……素晴らしい!! 川面には天守が映り、背景には冠雪した伊木山城。このためだけにでも来た甲斐がありました。

犬山橋からニッポン城めぐりのイベントスポットをチェックしながら本丸へ。前回はまだあまり意識が向いていませんでしたが、樅之丸前の空堀や黒門跡の礎石、樅之丸や杉之丸の石垣を眺めつつ、門松の置かれた櫓門をくぐると、眼前に国宝指定の現存天守が聳えていました。小ぶりながら唐破風や入母屋破風を設け花頭窓を配した端整な天守で、付櫓や石落としで防備も固められています。天守に入城すると、1階は上段の間に付櫓と石落としの間、2階は武具の間、3階は東西に入母屋破風の間、南北に唐破風の間があり、4階の高欄の間の外周をめぐる廻縁は、この日は雪が残っていて西辺には入れませんでしたが、南辺からは小牧山城を望み、北辺からは眼下に木曽川、遠景に冠雪した山並みが見渡せ、さすがの絶景でした。

天守を出て、土産物を買い、管理事務所で厳選24城のスタンプを押すと、城下町めぐりに向かいます(続く)。
 

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