三春城は永正元年(1504)に田村義顕がこの地に本拠を移したとされ、その後三代続きますが天正14年(1586)に清顕が急死すると娘婿の伊達政宗の後見で清顕の甥、宗顕が城主になりました。田村氏は豊臣秀吉の小田原征伐に参加しなかったため改易となり、桃山時代から江戸時代の動乱期に城主は次々と変わりますが寛永5年(1628)加藤嘉昭の娘の子である松下長綱が三万石で入り近世城郭として整備がなされたとのことです。
現在は平山城の形態をしていて最高所一帯に本丸と奥跡(御座の間)が配され、北西に二の丸跡、南東に三の丸跡があり南側一帯に重臣屋敷が配されていたようです。
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