鮎河城は南北朝時代に南朝側の鮎川氏が籠城したと伝わります。
おそらくそれが山の上の城でしょう。
戦国時代、黒川氏城の黒川氏が使用したとも伝わっています。
おそらくそれが鮎川城伝承地とされる麓の居館跡でしょう。
居館とするにはスケールが大きく、逆に山の上の城は黒川氏が使うには
いささか狭く思えました。
私見ですが、こちらの伝承地が本城(平山城)で山上の城は
展望用の砦と詰めの城を兼ねていたのではないでしょうか。
だとすればここから詰めの城へ通じる道が続いているはずです。
ちょうど南東の方角に害獣除けの扉があるので入ります。
ここの扉はばねのきいたフックのような構造で開け閉めが容易にできます。
山上に移動していくと城の南側の山中にいくつかの扁平地が見えます。
やはりここも城の機構を持っているなと思いながら上を見やると巨大な
竪堀が真下に降りてきています。なかなかの迫力です。
進んでいくと斜め上にむかって獣道より細いいくつかの筋が続いています。
道と呼べるほどのものではありませんが、これを伝っていけば
詰めの城の南端に到着すると確信して進みます。
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