内堀館から転戦。手子塚城碑付近(36.726698、138.306351)に駐車しました。
手子塚城は千曲川の西側に勢力を保っていた信濃島津氏が対岸の高梨氏に備えて構築した出城だと伝えられています。
武田信玄による信濃経略の煽りを受けて島津氏が北へと前線後退していく際にも利用されたそうです。
手子塚城には現在、諏訪神社が建っています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=長沼城に向かいました。
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2023/05/13 06:13
(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:手子塚城 (2023/04/21 訪問)
内堀館から転戦。手子塚城碑付近(36.726698、138.306351)に駐車しました。
手子塚城は千曲川の西側に勢力を保っていた信濃島津氏が対岸の高梨氏に備えて構築した出城だと伝えられています。
武田信玄による信濃経略の煽りを受けて島津氏が北へと前線後退していく際にも利用されたそうです。
手子塚城には現在、諏訪神社が建っています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=長沼城に向かいました。
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2023/05/13 06:10
(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:内堀館 (2023/04/21 訪問)
替佐城から転戦。長屋門土塁前(36.749932、138.318579)路駐しました。
詳細は不明です。
内堀館は方形単郭の居館とみられ、水堀と土塁が現存しています。
現在は個人宅となっており、路駐した道も狭く、早めに撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=手子塚城に向かいました。
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2023/05/13 06:06
(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:替佐城 (2023/04/21 訪問)
飯山城から転戦。城址公園駐車場(36.770386、138.314822)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、1564年(永禄7年)頃に武田氏によって築かれたと云われています。
替佐城は対岸の壁田城とともに飯山方面の上杉氏に対する備えとして、武田氏が築城あるいは改修したものいわれ、城将は小幡上総介信貞と伝えられています。
替佐城は千曲川の西岸にあり、替佐駅の西、温泉公園の北の山頂に築かれており、現在は公園として整備されています。
替佐城は西の山頂に本丸を配し、そこから南東に伸びる尾根に二の丸、三の丸と堀切で区画して連ねています。
本丸には土塁はなく削平地のみで、一段下がって周囲に帯曲輪を設けています。
きつねに遭遇しました。ビビって早めに撤退しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=内堀館に向かいました。
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2023/05/13 05:57
(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:飯山城 (2023/04/21 訪問)
割ヶ嶽城から転戦。飯山城址公園駐車場入口(36.856146、138.364428)から進入して、飯山城址公園駐車場に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、泉氏によって築かれたと云われています。 泉氏は鎌倉時代に泉小次郎親衡が鎌倉より飯山へ逃れて土着し、泉氏の祖となったと伝えられています。
1564年(永禄7年)頃、上杉謙信は飯山城を改修して武田氏の侵攻に備えます。 その後、武田信玄は長沼城を拠点として飯山城攻略を目指しますが、飯山城が落城することはなかったそうです。
武田勝頼の時代に武田氏の属城となりますが、1582年(天正10年)武田氏が滅亡した後は織田氏が占拠しました。
本能寺の変により織田勢が退くと上杉景勝の所領となり、家臣岩井信能が城主となりますが、1598年(慶長3年)上杉景勝の会津転封に従い岩井氏は会津に移りました。
飯山城は千曲川の西岸にある丘陵に築かれていました。
南端の本丸から北に二ノ丸・三ノ丸、西下に西郭を配していました。 麓には水堀が巡り、北東側には三日月堀があったようですが、現存はしていません。
本丸一帯は石垣造りで、北西隅に枡形虎口が残っています。
建物は現存していませんが、櫓門である南中門が復元されています。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=替佐城に向かいました。
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2023/05/13 04:51
桜散った後の五稜郭 (2023/04/30 訪問)
例年ならGWは、桜が満開の五稜郭なのだそうだ。今年は過去にない早い時期の開花となり、直後の豪雨であっという間に散ってしまったそうだ。飛行機に乗りワクワク訪れたが残念だった。
これまで2度五稜郭へ行ってるが、西洋式のお城とは知らなかった。無知で恥ずかしいが、御城印を集めるようになり、お城の知識がだんだん増えてきた。
また開港や戦争のことも知ることができて、函館が異国感溢れているのも理解に至った。そんな気持ちで歩く港や元町など、有意義な旅行にもつながった。
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2023/05/13 04:24
天守閣後まで上がり切った眺めに感動 (2023/04/14 訪問)
ネモフィラの花を観に行った後、夕方行った。
出丸に駐車場があり、そこから歩いて上がった。
城跡はとても綺麗になっていて、登りやすく
頂上まで行くと、眼下に素晴らしい眺めが開け、
木曽川と可児市が一望できる。
次に機会があったら、1番下から足で歩いて上がりたい。
織田信長が美濃国を支配するようになり、
森氏が城主となったとされる。
森乱丸と森蘭丸は違うの?
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2023/05/13 03:58
2023/05/13 03:39
2023/05/13 01:16
午前中は,まだ前日の雨を引きずってました。 (2023/04/16 訪問)
足元が油断ならない状態でしたが,意外にも多くの中高年の方々が登られてました。溜池では釣りをされている方々も…。
にのまるさんへ。
解答と,石和温泉駅周辺の情報,ありがとうございました。たぶん,川田館は来年の1月に行けると思います(雪の影響がなければ…)。景徳院は別の機会に。
赤い城さんへ。
宍道湖周辺のグルメ情報,ありがとうございました。今のところ,行く予定はないですが,宍道湖,ベタ踏み坂,境港をセットに考えてみたいと思います。
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2023/05/12 23:37
姫路城るの門見逃し事件と同じことをやってしまいました。 (2023/03/15 訪問)
みなさま方のご投稿から『少林寺裏から五百羅漢の道を登って行けるけど、行きすぎると城外だから気をつけてね』というメッセージを受け取り、花園城下山後、徒歩で向かいました。
少林寺から15分ほどで山頂の広場に到着。ここが気をつけないといけない場所なんだなと、右奥の方を覗いてみましたが道はありません。円良田湖方面へのハイキングコースが続いていたのでそちらに行ってみました。
そしたら……城外(麓の車道)に出てしまいました🙀
「だから言ったでしょ!」という声が聞こえてきそうです。
Googleマップは山中の道案内はしてくれないので途方に暮れてみなさま方の投稿を読み直すと、赤い城さんが「広場から西の尾根に沿って進む。円良田湖方面の階段を降りない」と書いてくださっていました。
あっ……、階段降りたわ。。。
助かったー!と思い山頂広場へ戻ると、ハイキングコースの標柱のところにもう一本、別の方向への道があるではありませんか!最初に通った時は全く気がつきませんでした。
赤い城さん、ありがとうございました。いつもお世話になっていますm(__)m
とドタバタしながら西へ進んで御岳神社に到着。主郭の神社の周囲に大きな横堀が巡っていました。たくさんの板碑はとても厳かな雰囲気でした。
帰りは少林寺方面ではなく神社の参道を下っていくと老健「やまざくら」に出ました。こちらから登れば迷うこともないのかなとも思いますが、歩きやすい道ではなかったです。
秩父鉄道の波久礼駅まで歩いて寄居経由で帰りました。久しぶりの秩父鉄道はPASMOが使えるようになっていました。秩父鉄道乗り潰してみたいな。
朝田さん、松江城の撮影位置特定、ありがとうございます。
松江といえば宍道湖、ということで最初に宍道湖に向かいました。そしたら天守がちょこっと見えたという次第です。
1枚の写真からの分析がすごすぎる!寧ろ知らなかったことを教えてくださりありがとうございます。ベタ踏み坂って何だ?って思ったらCMで見たあの坂なのですね。行きたい。。。
それから、石和温泉方面へお出かけの際は、勝頼グランパの川田館もコースにいかがでしょうか。説明板があります。あとはやっぱり甲斐大和の景徳院。
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2023/05/12 23:18
残念な100名城 (2023/05/06 訪問)
日本100名城に選ばれたのに少し残念でした。
城址というより公園or神社の印象でしかありませんでした。
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2023/05/12 22:01
【かるた】松前城の読み札
春を待つ 冬季閉鎖の 松前城
海防の 砲台七座 松前城
松前城 ゆく最北の城下町
読み札のみの投稿です
一句目
松前城資料館は冬季は閉鎖しているので
桜と共に春を待って訪ねたいですね
二句目
海への睨みをきかせた松前城
三の丸の七座の砲台だけでなく、場外にも沢山の大砲を配備していました
三句目
松前は日本最北の城下町
松前城に行った時には、周辺の町も楽しみたいです
個人的には名物の海苔弁、のりだんだんが食べてみたいです
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2023/05/12 20:17
松江城でしたか
これは出雲出身者としては痛恨、恥ずかしいです。
パラボラアンテナは私も気になっていて市街地の城だとは思っていました。
黒い天守なので松江城、松本城、熊本城のどれかかな、と。
で、天守がシュッっとしてるように見えたので松本城に。
確かにちょっと高い位置なのかなぁ、とは思いましたが。
宍道湖大橋も何回も通ってるのに。
次回帰省した際に復習します。
宍道湖料理ですが宍道湖七珍と言って宍道湖で捕れる魚介類があります。
これを出してくれる「川京」さんは有名です。
宍道湖北側の道路沿いのうなぎ屋さん「大はかや」さんも有名。
いずれも美味しいですよ、10年以上行って無いですけどね。
あと、宍道湖に沈む夕陽は絶景です。嫁ヶ島越しが特に。
朝田さん、次回松江にいらっしゃる際には是非見て帰って下さい。
それにしても恥ずかしい。。。
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2023/05/12 20:13
見応えある広大な遺構を堪能 (2023/04/02 訪問)
【続百名城58城目】
<駐車場他>増山陣屋駐車場
<交通手段>車
<見所>堀切・切岸・土塁・曲輪・櫓台
<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅2日目9城目。朝一に出城の孫次山砦・亀山城を散策し(別途前投稿しております。登城する方はご参考にして下さい)一旦車で下山して北側の登山口から登城しました。現地縄張り図にある遺構はすべて巡り、最後に七ッ尾山屋敷を見て終了しました。巨大山城にもかかわらずほぼ全ての曲輪が整備され堀切が明瞭に観察できました。曲輪間の堀切は深く圧巻の見応え、また主郭の櫓台は天守台と言っても過言ではないスケールで見応えがありました。出城も含めてたっぷり5時間堪能しました。
当初は全く増山城について詳しくなく、北陸旅行を決めてから調べていくうちに「ややっ!この城跡は巨大すぎてヤバイぞ」と思い、整備され散策できる範囲(藪化して無理だったり、立入禁止があるので)がどの程度のものなのかとは思っていましたが、期待を裏切らず凄い山城でした。続百名城のマイベストに入る城跡でした。富山県では1番、私的には百名城でもいいくらいに思います。これにて百・続百名城の越中国制覇。
<満足度>★★★
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2023/05/12 19:33
新録若葉登城路の木漏れ日森林浴を堪能 (2023/05/04 訪問)
先に投稿した「巨岩に覆われた山城・富士の眺望も最高」の続きで、皆さんの登城時間の倍も掛けての登城路散歩、6曲がりもする石垣護岸舗装路、クヌギ林?の新緑、小鳥のさえずり、風の音など五感をフルに湯村山城を体感する、登り登城は大変しんどかったのですが、復元烽火台に着いた時はほっとして、さあぁ~城探訪と疲れを忘れて東のコースから廻り東屋からは西のコースを廻り烽火台に戻り、小鳥のさえずりを聞きながらの下城、緑が丘スポーツ公園駐車場に到着。
疲れましたが楽しい探訪散歩でした。
登城の順に写真投稿致します。
次は新府城の手前、日ノ出城へ向かいます。
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2023/05/12 15:48
にのまるさん,宍道湖大橋を渡られたんですね!
5月2日に出題された,赤い城さんのお祝いクイズ,赤い城さんが「松本城」と解答されたにもかかわらず,にのまるさんから解答がなされないので頑張って考えてみました。
私は天守上部よりも,その左のパラボラアンテナと鉄塔に目が行きました。
この特徴的空中線設備と天守との距離感は,ほぼ隣りかな…と。この推察で,島根県庁と松江城が候補に上がりました。
しかし,撮影場所の特定に苦慮しました。
松江市内の道路は鉄道を高架していない。
観光スポットの「ベタ踏み坂」は遠すぎる…。
完全にここで手詰まりかな…と思いきや,至近距離の車のナンバーがボケ過ぎていると気づきました。
『コレはかなりズームしているな』と。
反則技とは思いつつも,Googleのストリートビューで周辺散策。
その結果,宍道湖大橋のほぼ中央からズーム最大にしてみると,にのまるさんとほぼ同じ画像が表示されました。
私は宍道湖に行っていないので,残念ながら画像はありません。
宍道湖周辺のグルメレポート,期待します。
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2023/05/12 15:18
2023/05/12 15:15
㊱【関ケ原の26人】(16)黒田長政 (中津城:黒田の石垣2) (2023/01/05 訪問)
(16人目)黒田長政(中津城)の続きです。
中津城の石垣の話を続けます。
私の一番好きなのはこの石垣です(写真①)。城の北東部(河口に最も近い所)は最も軟弱な地盤の部分であるため、横向きに長い石をこのように奥深く入れる事で、強度を増すようにしていたようです。少なくとも2m以上はありそうです。
また、南側の内堀沿いの石垣(穴太積)には「輪どり」と言い、中央を少しふくらませる事により、負荷を分散し強度を増すようにしていたようです。(写真②)これ、よ~く見ないとなかなか気づきませんよね!
どちらも、あの時代にしては、すばらしい発想だと思いました。さすがは官兵衛様!お見事でござる🤔!
城の南側の内堀沿いにある「中津市歴史博物館」では、「輪どり」のある見事な穴太積の石垣を眺めながら、シアターで石垣の解説を聞き、カフェを楽しむ事ができます(写真③④)。私も見学で疲れた後、ゆっくり石垣を眺め、当時の石垣職人がどんな風にしてこのように積んだのか? そんな姿を想像ながらコーヒーを飲み、タイムスリップした時間を過ごしました。
次は関ケ原(黒田長政陣跡)へ続きます。
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2023/05/12 13:03
景色がいい城址 (2023/05/06 訪問)
上り口に駐車場とトイレがあります。
そこからかなり急な坂を登れば絶景です!
氷見海鮮料理は最高でした。
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2023/05/12 11:47
巨岩に覆われた山城・富士の眺望も最高 (2023/05/04 訪問)
連休天候等条件が合わず連泊の遠出は諦めて日帰りの甲州路城探訪へ、2~3年前に整備復元された新府城丸馬出・三日月堀を是非見たい事と、数年前から登らな成らないかな?との湯村山城を目指して早朝浜松を新東名、中部横断道、中央道、双葉SICを走行し湯村山城の登城口である、甲府市緑が丘スポーツ公園西奥の駐車場に車を駐める。駐車場の緯度経度(35°40'59"N 138°32'26"E H=290m)
比高は湯村山446mなので290mを差引くと156mと成ります、私としては登城は一大決心、大勢のハイカーが登っていました、子供連れの団体、老若男女、奥の車道から入り50m程行くと車進入禁止のアスファルト舗装の登城路へ、烽火台まで約25分と案内あり。道は護岸に石垣と成り、クヌギ林?の木漏れ日、やっや風あり、新緑若葉と素晴らしい樹林、森林浴です、根気、脚力に自信の無い我が身ですので1歩1歩ゆっくりと周辺を見ながら登りました、道は6曲がり位で新しく復元整備されて烽火台に到着45分程掛かりました。
烽火台は案内板によると、信玄公の生誕500年を迎える整備事業として令和4年10月建てられた様です、案内解説板に甲州の主な城郭、烽火台砦跡も記されて湯村山城を築いた信玄の父信虎、信玄時代の烽火リレーション、情報伝達の仕組みを語っていました。
烽火台からは湯村山城には分岐点が有り東コースと西コースが有り本丸南側で合流します、私は東コースの石垣が見える方を選び、石垣を見ながら本丸方向へ、石垣の時代は良く分かりません、湯村山城整備の近代かもしれません、巨岩に覆われて、巨岩が石垣の様、岩の上に石積、本丸頂上部に東屋が在りますがその手前から曲輪部分に入り込み、曲輪の痕跡、堀跡、土塁跡、井戸跡、石積などを余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに探訪、東屋に着き、皆さんが絶景を投稿されてる富士山を遠望、足は筋肉痛ですがほっとした時間を頂きました、大勢のハイカーさんと若干話したり、東屋は本丸部南東角、湯村山頂上の標柱446mが光ります。
標柱と富士山を一緒の撮るのですがコントラスト比が大きくて、標柱に合わせると富士山が飛んでしまいしまい、富士山に合わせると標柱が暗く、別々に撮りました。
東屋から西コース登城路へ、南端に別の段曲輪が在ります、上から見るだけ、中ほどに石積の祠・湯村山金毘羅宮が道沿いに鎮座、井戸跡の標識有り訪ねる、北西角辺りから坂にて下り道、その辺りの岩、巨岩が本丸虎口門のような気がしましたが?その東側に本丸群の切岸、その下に横堀が確認できます、二股分岐点に合流して1周した事に、烽火台に戻りました。
健脚の方は積石塚の湯村山1号墳辺りの曲がり角から巨岩に覆われた樹林の中を登る道が在ります、本丸部の東屋辺りにつながっていました。
登りたい城に印を付けて3年程ですが所要時間2時間、やっと登れました。
情報とガイドは、何時もの古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。
続きに登城路編を投稿します。
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