新春一ノ槍‥忘れた。幾つ目だったかな? ともかく初投稿させていただきます。
水晶城は臼山八幡宮の西にある山の尾根上に築かれていました。縄張り図を参考にすると東西から南北に一帯に広がる尾根上に郭が配されているようです。城域はかなり広いですね。実は登城道は有るのですが最初は気が付きませんでした。神社の脇から西に道が続いているんですがすごくわかりづらいです。地元の方で登っている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
低地から段々の扁平地が東の出丸に向かって続いています。山に入ってすぐに城域に突入します。東の出丸の下段にも腰郭が展開していてやがて東の出丸に到達します。そこからは西の主要部に向かいます。
水晶城は古代山陽道が東西に続く谷筋の北側の山の尾根上に築かれています。古くは源氏方の佐々木国正の居城とされ永正5年(1508)大内義興が厳島神領を自らの直轄地とした際に杉甲斐守を城番に置いたとされています。大永3年(1523)銀山城主武田光和の援助を受けて友田上野介が水晶城に攻め込み甲斐守は敗走し、廿日市の後小路にて殺害されたとあります。
天文10年(1541)毛利氏が佐伯郡に侵攻した際には城主で大内氏家臣・麻生左衛門鎮里は毛利氏に降伏し、毛利氏が桜尾城をより重視したため水晶城は廃城になったようです。
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