三光稲荷神社という場所を通ると近道になる、と書かれていたので、そこでお参りをして、坂道を登って城に着きました
入口は石垣の中にあり、そこから急な階段を上がって上の階に行きました。エレベーターもない、その階段でしか上がる手段は無く、しかも手すりを掴まないと上りづらい…小さい子供連れには特に大変そう…に見えました
2階に上がって目に映ったのが、小牧長久手の戦いを描いた屏風絵(画像2枚目)…秀吉と家康が戦った唯一の戦ですね。内容は家康優勢…家康の勝ちとも言えたそうですが、家康が味方に付いていた織田信雄(信長の次男)が勝手に秀吉と和睦してしまい、終戦せざるを得なかった
この戦において、当時16歳(数え年だと17)の秀次が秀吉に先陣を任され、家康の陣地に攻め込んだけど、返り討ちに遭い、秀吉の重臣も失いこっぴどく叱られた…というエピソードがあります。その11年後が秀次事件…💀 というわけでもありますが😅
3階には木造の犬山城ミニチュアがありました…よくできている造りに見えましたが、(画像1枚目の)天守閣を既に撮影しており、城の外観を表すものはもう必要ないかな…と思えたので、撮影はせず、見て目に焼き付ける…だけにしました👀
最上階の階段は幅が狭く、上る客と下りる客をスタッフが誘導して交互に行かせるようにしていました。実はこの犬山城…国宝にも指定されるほどの城なのですが、天守閣の規模はあまり大きいとは言えず、エレベーターは無いし、中に売店も記念メダルの自販機もない…(その代わりに麓に売店)
最上階には歴代城主の肖像が並んでいるのみ…江戸時代のは絵で、幕末明治あたりから写真…少し前までこのお城は個人の管理だったそうですが、今は国に委託され、国の管理…税金でメンテナンスされているものと思われます
木曽川とその沿岸に並ぶ建物…街並み…ここから周囲を見下ろすと、木曽川の大きさが一目で伝わります。悪天候により氾濫すると周辺に大損害…けれど車の無かった時代…きっとこの水運が当時はかなり大きな移動手段…だったのではないでしょうか?舟がトラック代わり…舟で荷物を運ぶ🚣♂️
城内には敵の侵入に備えた仕掛け…鉄砲や弓矢を放つための隙間…石を落とす隙間も見かけました。ただこういう仕掛けはいざという時のために造られたもの…実際に使われたことは滅多に無かったのではないかと思うんですけどね…特に戦乱の無い江戸時代においては🏯
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