【小川城】
<駐車場他>東吉野村役場駐車場を利用しました。
<交通手段>車
<見所>空堀・堀切・竪堀
<感想>城跡碑裏側の説明書きによると小川氏は南北朝時代に興り、丹生川上神社の祭祀を司り東吉野地方を支配したとあります。織豊政権支配の時に小川氏は滅んだとあります。
登城口は<34.402620, 135.968999>民家の横を通り山に入ります。山は植林整備されているので非常に登り易いです。途中消えかかっている矢印の木の板で案内に沿って登っていけば城跡に着きます。途中、中腹に窪地のある井戸跡のような所や登城路を割く竪堀が見られます。城跡の主要部は南北に大きな曲輪が3つ並んだ連郭式で最南が主郭となっています。登城路からはまず最北の3郭(仮称)の正面の横堀にたどり着きます。3郭は上下2段式になっていて鉄塔の施設がありますが余裕のある広さです。3郭~2郭~主郭は空堀で仕切っており各々竪堀として下の方まで伸びていて見応えあります。主郭は南北に長い長方形の削平地で南側に土壇があります。石積みですが主郭土壇の石積みは後世に積まれたもの、主郭虎口の石積みは側面の下の方に崩れた石積みがあるのでここは現存の石積み跡、虎口は積み直しされたもの、または現存のものではないかと考えます。理由は周辺に岩場がないので後世の人々が新たにここに石を運んだとも思えないので。虎口の鏡石の大石なんか格好良く見えます。
主郭背後の搦手側は2重堀切になっていてここも見応えあります。さらに奥に行くと、左手下方に広い削平地が上下2段あります。ここも奥に貯水塔があるので後世に造ったものかもしれませんが、横堀があるので武者溜まりの曲輪と思いたいところです。遺構が明瞭に残っており、なかなか見応えある城跡でした。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む