埼玉県にお住いの城館研究者の方が数年ぶりに当地を訪問されて、栗原市方面にご一緒しました。先ずは旧葛西氏領内において随一の平城といわれる日良館(比良館・平館・古館とも)に。この場所は永承6年(1051)に源頼義が陣を張った場所で、その後に館を築いたという伝承があります。また文治5年(1189)の奥州合戦後に奥州総奉行葛西氏の一族沼田氏がこの館を復興して、天正18年(1590)の奥州仕置で主家葛西氏と共に滅亡するまで館主として居住しました。その後館は廃城となるのですが、沼田氏の家老職を務めた小野寺氏が肝入を勤め、現在も子孫の方が居住しています。城地は国道398号から北に入った、遠目には田んぼの中のこんもりした林がある農家にしか見えない場所なのですが、北西3kmには奈良時代の伊治城跡もあり、早くから開けた地域だったのでしょう。
館の規模は東西120m、南北140m、比高は3mほどの平場の四方に外側は水壕、内側は空堀、土塁で囲み防御する縄張でした。北側の一迫川方向は現在水田となっていますが、往時は湿地で北側の護りとなっていたのでしょう。主曲輪跡は現在畑となっていますが高低があり、南西隅が一番高く、その外側に二段のL字状の曲輪がつながるように見えます。外側の水壕は埋立られているようですが、南側と東側の空堀は現在も土塁とともにかなり残っており驚かされました。
地方の中世城館は昭和時代は畑など耕作に利用されてきましたが、昨今は放置されていることが多く、藪や雑草が生い茂り確認が困難となっていることが多いです。日良館も同様でしたが、早春に再訪し空堀や南西側の虎口跡とおぼしき箇所を確認したいと思いました。
東北自動車道築館ICから国道4号線、398号線経由7.5km、12分
東北新幹線くりこま高原駅から2.5km、車で5分、徒歩30分
参考文献「旧志波姫町史」「史料仙台領内古城・館 紫桃正隆」
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