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カズサン

本丸一文字門大手橋復元 (2009/05/16 訪問)

 山形城本丸は明治29年(1896年)に歩兵連隊が駐屯すると堀が埋められましたが平成3年二の丸東大手門桝形が復元され、本丸復元の内堀を掘り起こし本丸一文字桝形石垣の復元が平成10年に出来上がり、渡橋である大手橋が平成18年に竣工され二の丸と本丸が繋がりました。
 大手橋竣工から3年経っていますが、今回の日光・会津・松島名所名湯定年退職の旅行の3日目、会津若松城、御三階・阿弥陀寺、白石城を終えて、東北道、山形道経由して今回6城目、山形城一文字門大手橋見学の登城をしました。
 車レンタカーは何時も利用してた東大手門手前の最上義光歴史館地下駐車場(市大手町地下駐車場)を利用。

 雨降りそうな曇り日3時前に着きましたが薄暗い、東大手門桝形、櫓門に登り、最上義光像は否応なく目に入って来るがしっかり拝見し、本丸一文字門へ、本丸内堀の一部掘起し、大手橋も掛かって居り竣工から3年目初対面、渡り枡形内、本丸渡櫓台の石垣見学観察、大手橋の手前に一段高く展望所が出来て居り撮影見学。取り敢えず今回登城の目的は叶いました。

 この後の復元工事は東日本大震災を挟んで平成25年に枡形内の高麗門、白土塀が完成し平成26年8月から一般公開されています。今後は一文字桝形門の本丸側の渡櫓門の復元が待たれます。内堀の全面掘り起し、本丸御殿まだまだ先ですが令和15年度頃かな?期待は膨らみます。

 山形城を終えて、山形道東北道仙台東部道経由して今夜の宿、松島が見下ろせる観光ホテルへ、雨が降り始めましたが雨に霞んだ日本三景松島が見下ろせます。

 
 

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赤い城

今は市民を守る (2022/04/30 訪問)

東急の等々力駅から徒歩で8分くらい、玉川警察署が推定地とされています。周囲をぐるりと歩いても遺構はおろか標柱も説明板もありません。
さらに8分くらい歩いたところ、都立園芸高校の正門前に兎々呂城の石碑があります。
「ととろじょう」かと思ったら「とどろき」と読むとのこと。
こちらも跡地の候補のようです。
国府台の戦いの武功により南条氏が築いたとされています。
周辺は住宅地で今は城の気配も感じられません。
少し足を伸ばすと等々力渓谷もあるので近くに来た際に、という感じです。

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明石海苔

いよいよ

2022年4月に九州方面の百名城の府内城、岡城、吉野ヶ里、
佐賀城、島原城、平戸城、名護屋城、大野城、福岡城を4泊5日
レンタカーでまわりました。
各お城は2時間ぐらいかけましたが、
名護屋城はもっと時間が欲しかったです。
これで98名城まできました。
いよいよあと2城になりました。

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出雲大神宮 (2020/05/05 訪問)

亀岡に何で出雲大神宮が。かつ、出雲大社でなく、出雲大神宮。 近年のまがいもん? ところが、徒然草にも出てくる由緒ある神社でした。磐座(巨石)が点在する御影山を御神体とします。山上に御影山城があります。
少し登ったところにある磐座に行くには、社務所で、たすきをもらってからということになっています。2020年1月に丹波城廻りの一つに御影山城登城を目指しましたが、コロナ対策として、磐座行きは受付けていませんでした。今回、京北から回り込んで御影山城を目指しました。
受付を済ませ、坂道を登っていきます。國常立尊の象徴とされる磐座に至ると、まだ軽トラが走れるほどの道があるものの、縄と幣で結界が張られ「何人たりとも立ち入りを禁ず」とあるではありませんか。ネットには、登城レポートもあり、たすきをつけてたら山頂まで行けると思ってました。結界を越える気にならず撤収。二年越しの敗退となりました。

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にのまる

【城と生き物】

まわりに気をつけてね。

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にのまる

龍城公園 (2022/04/02 訪問)

18きっぷ4回目の2城目
眼下に蛇尾川が流れる高台で各郭や堀、土塁も往時の形状をとどめており、また解説も各所にあって全体像を理解しやすかったです。黒羽城の後だったので町なかの小さな公園をイメージしていたのですが、とても見ごたえがありびっくりでした。広い本丸はこの時期はお花見会場のようですが、訪問したのは開花予想日の1日前でした(>_<)
黒羽城~那須神社~大田原城とお散歩して、もう最寄り(約5㎞)の西那須野駅まで歩く元気はなかったのでバスに乗ることにしてバス停に行ったら馬場跡の石柱や大手門跡、時報鐘跡の説明板があったり、全国各地のお城のパネルが壁面に展示してあるお店があったりで、最後まで楽しめた一日でした。

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ぴーかる

山田城 (2022/04/16 訪問)

【山田城】
<駐車場他>草津市立武道館
<交通手段>車

<感想>山田城の築城はこの地の豪族である山田氏によるもので、現地説明板によると内側の堀跡が13世紀であることから13世紀には築城されていたようです。外側の堀が14から15世紀にかけてのものだそうで比較的長期にわたって使用されたと思われます。堀跡は円形で円形式の平城であったようです。現在は堀跡は武道館建設で埋め戻され遺構は残っていません。

<満足度>◆◇◇

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POYO58

過去を振り返る④ 徳川家康が晩年を過ごした城。 (2020/02/23 訪問)

元は今川の館が建っていたが、桶狭間合戦後、1585年、家康は駿府城築城を計画。二の丸とを完成させるが、将軍職を秀忠に譲ると秀忠が本丸を完成させるが、焼失。その後もう一度本丸を築き、天守と御殿も造る。その後、家光の弟に譲るが、甲府へ移ったために、城代が城を受け継いだ。

櫓がいくつか復元されています。復元かー、と思う人も居るかもしれませんが、見どころはここではないんです!見どころはなんと言っても発掘された天守台の石垣!この城は家康が関東に移った際、秀吉の家臣、中村一氏が城主となっていたとき、中村一氏が天守台を築いていました。その天守台も発掘されています。秀吉時代の石垣と家康時代の石垣を比べると、秀吉のものは荒々しい野面積みなのに対し、家康の石垣はとても綺麗に隙間なく積まれています。石垣に関してもう一つすごいのが、駿府城では日本で唯一亀甲積みの石垣が残っています。僕は見てません泣。水堀の周りを周りながら石垣を見るのも楽しいかもしれません。

評価
遺構:4
建物の美:3
行きやすさ:4
全体:4

攻城時間
20分〜40分

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いんげん丸虫

鷺城 山形県米沢市 (2022/05/03 訪問)

早坂山館から至近距離にある山城です。関連がある
ようですね。詳細は明確ではないですが伊達氏家臣
の城跡のようです。
主郭を中心に3方の尾根に大堀切、桝形土塁、長大
な横堀等複雑な縄張りを堪能できます。
鷺城史跡保存会が設立されたようで、今後整備が進
みそうです。見どころの多い山城です。

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テンちゃん

茅ヶ崎城 訪問 (2022/05/12 訪問)

5/10に榎下城、小机城、寺尾城に続き、茅ヶ崎城も訪れる予定でしたが、久方ぶりの攻城で疲れてしまい茅ヶ崎城は後日としていました。そして2日後の5/12の朝、訪れることができました。
車をセンター南駅の地下駐車場に止め向かいました。5分ほどで住宅街の真ん中にこんもりとした城丘が見えてきました。
城跡は整備された公園になっており、遺構もまずまず残っており良かったです。

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宗春

遠江攻略戦③諏訪原城 (2022/05/02 訪問)

二度目の登城です。以前の訪問時にはまだビジターセンターはなく、御城印も無かったので、登城を楽しみにしていましたが、なんと休館!そう言えば月曜日でした。迂闊。また来よう。

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カズサン

吉永小百合CM撮影ポイント探し (2009/05/16 訪問)

 東日本大震災以前にJR東日本が吉永小百合を起用して「大人の休日俱楽部」と題してTVCM、新幹線内ポスター掲示をして居ました、白石城の武家屋敷門前の用水に架かる橋の上から吉永小百合がふり返るポスターです。
 
 日光・会津・松島名所名湯3泊4日定年退職旅行の3日目、会津東山温泉を出発し、4城目会津若松城遺構移築御三階を移築先の阿弥陀寺で参拝見学の後、磐越道、東北道経由して5城目白石城に13年前の平成21年5月中旬登城しました。

 先ずは白石城ミュージアムに寄り資料閲覧とシアター鑑賞、立体映像でびっくり、平成7年木造復元の大櫓三階天守に登る、本丸内外探訪観察、大手二の門の櫓門も同時に木造復元、一の門も同じく。
 
 今回主目的の吉永小百合CM撮影ポイント探しへ、白石城裾野に流れる清流用水沿いを歩い東から北方向に回り込むと北の三の丸外堀なのか沢端川に架かる橋が幾重にも連なってる中で一番手前の橋が旧小関家の橋で目的の撮影ポイント。
 住所は宮城県白石市沢端町3-43「片倉家中旧小関家」の武家屋敷で史跡マークがグーグルマップに付いています。
 勿論、家内に吉永小百合ポーズを取らせて撮影、投稿出来ないのが残念です。
 静かな佇まいで良い雰囲気の武家屋敷景観です。

 白石城は関ヶ原前の歴史は有りますが省略して、関ヶ原後伊達政宗の所領と成り仙台城の支城として伊達家重臣片倉小十郎景綱が1万7千石で治める事に以後11代片倉氏が継承して明治を迎える。
 平成7年大櫓三階櫓、大手二の門木造復元されています。

 平成の初め木造復元の天守、三階櫓が立て続けに建てられ白河小峰城三重御櫓、掛川城三重天守閣、白石城大櫓三階櫓が先駆けと成り木造櫓復元ブームが起こりました、大洲城、新発田城と復元され、昨今は名古屋城木造復元天守閣構想が発表され益々拍車が掛って居ます、早く完成が待たれます。


 


 

 

 

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ばばよ

山じゃない、城 (2022/05/06 訪問)

富山県内あちこち回るためレンタカー利用。
続100名城を知るまでこの城を認識していませんでした。
越中三大山城も知りませんでした。
そのため訪問前の期待度は低かったのですが、見事に裏切られました。
虎口、土塁、堀切の構造が明瞭で曲輪ごとの独立性もみえます。
元々の山の構造ありきではありますが、人為的な城構造がはっきりわかります。
春風亭昇太さんの音声案内もあり、退屈しません。
有名な武将や合戦場ではありませんが、それらをしのぐ城そのものを見る楽しみを感じとれました。
山城初心者(自分もですが)にはかなりおすすめです。

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todo94

県内の城めぐり2022⑳ (2022/04/30 訪問)

渋滞に巻き込まれること無く(それでも中社の駐車場に車を入れることは出来ませんでしたが)戸隠五社をめぐり、前日食べそびれた戸隠蕎麦を早お昼で頂いた後、葛山城へと赴きました。長野市芋井の地は20代の時以来です。その当時は今ほど運転に慣れていなかったので、狭いワインディングロードが結構怖かった記憶があります。こんな山村も長野市なのかと吃驚したものです。「日本で最も美しい村」連合に加盟しても良いのではとも思います。そして、その芋井の地に所在する葛山城も想像以上に魅力的な城でした。この後訪れる旭山城攻略に向けて長尾景虎が築いた付城とのことです。グーグルマップに駐車場の記載があり、車でも安心して訪れることができます。

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赤い城

石碑はもう無い (2022/04/30 訪問)

二子玉川駅から坂道を登り徒歩で10分。
行善寺周辺が城跡となります。
行善寺本堂裏手は眺望も良く、辺りを見渡すことができます。
遺構はありませんが城があったことがうかがえます。
北条氏家臣の長崎氏の居館で数年前の訪問時にはゴルフ練習場に長崎館の石碑がありました。
他の方の投稿にある通り、ゴルフ練習場は無くなり住宅地になっていて石碑も撤去されています。
城目的でわざわざ行くことも無いと思いますが近くを訪れた際にどうぞ。

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ryu

元寇防塁を探訪 (2022/05/07 訪問)

博多湾沿い各所に残る元寇防塁はこれまで何度か訪れているが、今回(2022年)初めて生の松原地区の石塁の石塁を見に行った。
JR下山門駅から歩く。

生の松原地区の石塁は海側に石を積み上げ、陸側は版築工法で構築されている。肥後国が築造を担当、警備。蒙古襲来絵詞には当地区を担当した肥後の竹崎季長一行が石塁とともに描かれている。

2013年5月5日 元寇防塁(今津地区)
駐車場からはかなり歩かねばならない。復元場所はフェンスで囲われている。ガイダンス施設がある。
2013年10月12日 元寇防塁(脇地区)
商業施設マリノアのすぐそばである。
2022年5月7日 元寇防塁(生の松原地区)
今回、探訪。

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ryu

三郡山登山と頭巾山城 (2022/05/03 訪問)

昭和の森から頭巾山~砥石山縦走の途中で探訪する。
標高800m付近の石垣と堀切は見事。山頂東側の曲輪跡はよく分からない。

高橋鑑種が城を構えた(出城)とも伝えられている。障子岳古城とも呼ばれていたらしい。

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カズサン

御三階・阿弥陀寺移築 (2009/05/16 訪問)

 日光・会津・松島名所名湯3泊4日定年退職旅行の3日目、前泊の東山温泉を出発し北西に約5~6km程の所に会津若松城本丸に在った御三階が明治の初めに阿弥陀寺も戦火で焼失し御三階を本堂として使用の為に移築された。朝8時過ぎに阿弥陀寺を訪ね、移築された御三階を探訪見学。
 阿弥陀寺の住所:福島県会津若松市七日町4ー20
 レンタカーは朝も早かったので阿弥陀寺の東の通りに路駐でした。
 
 阿弥陀寺の御三階は玄関部に唐破風屋根の本丸御殿内玄関が付き一体と成って居る、唯一残る会津若松城の現存建物です。
 また阿弥陀寺御三階の北側の前に新選組三番隊組長斎藤一の墓が有ります。

 現在会津若松城本丸の御三階は発掘調査中で、四角い石積台跡が残って居ましたが石組みは解体され調査中、将来は建物と合わせて復元が計画されて居ましたが、計画はどう成って居るのでしょうか?、情報が有れば教えて下さい。

 

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ryu

四王寺山(大野城)登山と岩屋城 (2022/03/20 訪問)

古代山城、大野城がある四王寺山を周回後、増長天礎石群から岩屋山方面へ下る。馬責めを経由して、岩屋城主郭へ至る。縄張り図を見ながら堀切、曲輪跡を探訪する。

四王寺山の四王寺山の支峰・岩屋山山頂(281m)を中心として、その南側に曲輪群が展開する戦国期の山城。宝満山城の支城として大友家の武将高橋鑑種(あきたね)により築城。1586年島津勢の大軍を相手に当時の城主高橋紹運と760余名の家臣は篭城し、14日間の激戦の末に落城。

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ryu

古代山城、大野城を巡る(2) (2022/03/20 訪問)

続き。(写真は2022年訪城時撮影)

再掲:
白村江の戦い後、大和朝廷が築いた古代山城で大宰府政庁跡の背後の四王寺山(410m)に位置する。
665年(天智天皇4年)、基肄城とともに築いたことが『日本書紀』に記載されている。
大野城には何度か訪城しているが、今回(2022年)は、大宰府天満宮駐車場を起点に水瓶山経由で登り、古代山城の土塁上を大原山へ。さらに土塁に沿って歩き、小石垣、北石垣、百間石垣と遺構を確認しながら周回、大城山から増長天礎石群を経て焼米ケ原で昼食後、太宰府口城門跡を見て、岩屋山方面へ下る。
2007年探訪順路:八ツ波礎石群、土塁、増長天礎石、太宰府口門跡、百間石垣
2015年探訪順路:大石垣~土塁~焼米ヶ原~太宰府口城門跡~増長天礎石跡
2022年探訪順路:土塁、小石垣、北石垣、百間石垣、水城口城門跡、増長天礎石群、太宰府口城門跡
『日本書紀』には、「・・・大野(おおの)と椽(き)、二城(ふたつのき)を築かしむ」と、記載。また、『続日本紀』に、「大宰府をして大野、基肄(きい)、鞠智(くくち)の、三城を繕治せしむ」と、記載された城。

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