乃木神社は山口県下関市長府にある神社です。祭神は乃木希典さんで地元では
学問の神様で通っているそうです。境内には大正3年(1914)に復元された
旧乃木邸(乃木希典生家)があり、幼いころの乃木さんとその両親の像があります。
そこから歩いてそう遠くないところに長門国二ノ宮 忌宮神社があります。
境内には仲哀天皇が政治を行った豊浦宮の旧址の言い伝えがあるようです。
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2023/10/06 21:42
2023/10/06 21:17
霧の中の高嶺城 (2019/12/30 訪問)
高嶺城は標高338mの高嶺の尾根上に築かれています。大内義長による築城とされ
尾根上に郭が続き終端の最高所が主郭で周囲に石垣が積まれています。東の郭が
ある周辺まで車道が続きNHKの中継所がある付近に駐車場がありました。
郭の名前は特に無く、登城道を西に向かい北に折れ曲がる箇所に大きな郭があります。
そこからさらに北上して行くと主郭にたどり着き主郭は周囲に石垣が残っていて
南側、北側に良く残り、南側には石段が続いています。霧が立ち込める中の
登城で写真もなかなかモヤっていますが、これはこれで良いのではないでしょうか。
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2023/10/06 20:49
越前府中城 (2023/08/19 訪問)
【越前府中城】
<駐車場他>武生市役所。私はシステムパークタケフ(コインP)に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>越前ちょこ城巡りの旅8城目。越前府中には元々越前国の国府・守護所があった場所で越前府中城とほぼ同じ場所にあったようです。朝倉氏はこの場所に奉行を置き、朝倉氏滅亡後は織田信長が前田利家に府中を与えました。前田利家がこの時本格的な城としての建造をしたようです。関ヶ原の戦い後は越前国は結城秀康に与えられ、越前府中城には家老の本田氏が入り改築します。本田家の越前府中城は特例として一国一城令の対象から外されて御館として明治維新まで存続します。維新後に堀が埋められ現在は武生市役所となっています。市役所の隅にある復元石垣および表門が正覚寺の山門として移築されているので見に行きました。炎天下のなか竜門寺城と移築門を市役所から2往復してしまい、足がつってしまった。
<満足度>◆◇◇
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2023/10/06 20:18
出津教会堂 大野教会堂 (2020/01/01 訪問)
出津教会堂は長崎県長崎市西出津町にある教会堂で世界遺産に登録されています。
明治15年(1882)マルク・マリー・ド・ロ神父の設計による建設とされています。
レンガ作りで外壁は白漆喰を使用しています。鐘楼の上には聖母マリア像、隣にある
搭の上にはイエス・キリスト像が飾られています。
大野教会堂は長崎県長崎市下大野町にある教会堂で同じく世界遺産に登録されています。
ド・ロ神父の設計によるもので石造りの壁で囲まれ、通称ド・ロ壁と呼ばれています。
早朝の参拝になり外観のみの確認でしたが貴重な建造物を見学させていただきました。
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2023/10/06 18:53
2023/10/06 18:45
姫路城十景めぐり⑩……のかわりに。 (2023/09/19 訪問)
『姫路城十景』、残るは【増位山(白国増位山線のポケットパーク)】ですが、ハイキングコースのある「山」のようなので、今回は見送りました。
姫路城からの距離も3㎞くらいあるので、空気の澄んだ冬のほうがよさそう。
来年2月の西小天守公開に合わせて行けたらいいなと思っているところです。
そのかわり、というわけではありませんが【イーグレ姫路】の展望台に行きました。
イーグレ姫路は大手前公園の南側にある4階建てのコンベンション施設で、5階が屋上展望庭園(8:30~18:00)となっています。
駅前から続くビル群の最前列、姫路城展望の特等席です。
エスカレーターを上がった2階のガラス越しに見ることもできたので、まずここで眺めてから屋上へ。
城内(三の丸広場)からだと見上げるばかりだった天守が目の前にばーん!!
西の丸の端(ワの櫓)から東の端(帯の櫓)までが視界におさまります。Amazing !!
姫路城はとにかく大きいので、見るにしても撮るにしてもどこかで分断せざるを得ませんでした。
でもここからだと建物群を一目で捉えることができます。
ここに来て、初めて「姫路城を見た」と言えたような気がしました。
『るの門なう!』からスタートした姫路城めぐりはここで終了です。
「姫路城十景」は市民が気軽に見られるところという条件で選定されたそうなので有料施設は含まれていません。「イーグレ姫路」の展望台も無料です。(100円入れて見る望遠鏡があって、先に来ていた方が“まだ見られるからどうぞ~”と覗かせてくださいました^^;)
今回はいろいろな方角、場所から姫路城を鑑賞して歩いたのですが、だんだんと姫路城自体に人格(城格?)があるように思えてきました。姫路城を見ているつもりで、実は姫路城に見られている、そんな感じがするのは総構えをもつ城だったゆえかもしれません。
丸一日と少しの滞在でスッキリ満足したかといえば、さにあらず。もっと行ってみたいところが増えてしまいました。
姫路城十景コンプのための増位山、日本城郭研究センター、景福寺の松平明矩墓所や藩士の墓、姫路文学館にあるという大阪城残石、あずきミュージアム、書写山などなど。
全部まわるには姫ちゃり必須。
ミミちゃん号引退後、11月からは、30分165円、1日パスだと1430円の電動アシスト付き自転車となるようです。(姫路市公式ウェブサイト参照)
<おわり>
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2023/10/06 15:28
登山道 (2023/09/30 訪問)
一番キツいという馬の背登山道を登りました。
半分崖みたいな道でした💦
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2023/10/05 23:31
姫路城十景めぐり⑨ (2023/09/19 訪問)
【手柄山(緑の相談所広場)】
名古山霊苑から手柄山公園までは4㎞弱と少し離れています。
既に16時近かったので歩くのはやめて、とりあえず姫路駅までバスで戻れないかと思い検索してみると、800メートル離れたバス停から10分後に出るバスがありました。
悩んでいるヒマはないほどちょうどよかったので霊苑の階段を駆け下り、ぴったりの時間にバス停(車崎)に到着。姫路駅まで戻りました。
姫路駅からは徒歩20分くらいですが、山陽電鉄でひと駅の手柄駅が最寄駅。時刻表を見ると3分後に出る各停があり、これもぴったりに乗れました。
手柄山公園は文化・スポーツ施設を複数備えた大きな公園です。
「緑の相談所広場」は写真①→②の階段から行けました。
姫路駅の南側からの眺めになります。
人々の経済活動空間を飛び越えたところに見える天守。
こんなにたくさんのビルがひしめいているのに、飲み込まれることもなく平然と構えています。
写真③~⑩には全て天守が写っています。新幹線(500系と700系)が通るのを待って撮ったのもありますがわかりにくいかなぁ。
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2023/10/05 22:53
2023/10/05 22:48
2023/10/05 21:43
訪ねる度に新しい発見がある (2023/02/11 訪問)
2月に行ったオフ会のために一から調べ直したら、西に偏って見える主郭が実は城域の中心で左右対称の構造らしいとか、失われているように見える本丸大手が残存しているとか、いろんな発見があって面白かった。
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2023/10/05 17:37
2023/10/05 17:24
2023/10/05 11:06
71【関ケ原の26人】(24) 島津義弘 (島津四兄弟生誕の地:伊作城②) (2023/09/24 訪問)
(伊作城①)の続きです。
薩摩では各曲輪に城の名前を付けるようです。本曲輪は亀丸城と呼ばれていました。その他にも、御仮屋城、蔵ノ城など7つの主な曲輪があったようです(説明写真①②③)。
ここ伊作城は島津の城の中でも最大級クラスの城だったようです。しかし訪れた時は全体的に背丈ほど雑草が伸び、あまり整備されていなかったので、今回はその全容がよくつかめませんでした。亀丸城と御仮屋城以外は雑草で歩ける状態ではなく、曲輪間を渡る橋も崩落していたため行けませんでした(写真④⑤)。
各曲輪の間はとても高い空堀で仕切られていました。その中で、亀丸城と御仮屋城の間の空堀は、ロープを伝って下りる事ができるようで「空堀の底に下りてみませんか」と書いた看板があったので(写真⑦)、ここは勇気を出し😠恐る恐る下りて見る事にしました。大量の蚊や蜘蛛の巣や倒木と戦いながら気をつけて下りました(かゆい~)。傾斜も急でシラス台地はよく滑ります。そして降りた後に下から上を見上げると(うわ~!😲)とても高く垂直の土壁に圧倒されてしまいました。10mくらいはありそうですが、風化されている状態でこの深さなので、昔はもっとこの倍くらい深かったのではないかと思います。写真ではわかりにくいかもしれませんが、まるで深い土壁の谷底へ落ちてポツンと取り残された感じです。この高さでさらに土が滑るので、ここから攻めるどころかロープがなければ上に登って戻る事すらできません。これで各曲輪を完全に遮断していたようです。島津はいったい何という城を作るのでしょうか!(写真⑧⑨⑩) この空堀はさらに下に深く続いているようなので行ってみたかったのですが、さすがに蚊の大群に囲まれ続け、あまりのかゆさに耐えられず、蛇など出ると怖いので断念しました。ここは冬に来た方がよさそうです。
次は、義弘が少年期を過ごした(一宇治城)を目指します。
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2023/10/05 07:01
ガイドツアーの帰りに (2023/09/24 訪問)
利神城ガイドツアーへの道中で国道沿いに案内板を発見。
帰りに立ち寄りました。
案内板から車で登ると後悔します!
少し離れた国道沿いの駐車スペースに車を置き、徒歩で向かいました。
道を進むと空堀に続いていました。
主郭部は畑になっていて土塁が残っています。
土塁上には福原霊社が鎮座しています。
赤松家の福原氏の居城でしたが黒田如水と竹中重治の攻撃により落城しました。
ほぼ登らなくて良いのでこの辺りの山城を攻める際の合間に是非。
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2023/10/04 23:48
姫路城十景めぐり⑧ (2023/09/19 訪問)
【名古山霊苑高台】
その名のとおり、霊苑の高台です。
景福寺公園からは徒歩30分くらい。霊苑の階段をてっぺんまでのぼりました。
離れた分、天守は小さく見えます。
でも、どこ?どこ?どこ??って探さなくてもすぐにわかります。
主役かというとそうでもないのですが、かといって背景でもなく、存在感もあって、離れたところから見ることでランドマークなんだということを実感しました。
写真④の石の間にすっぽりとはまる天守が撮れるはずなのですが、園路からだとずれているので何でかなぁ?と思ったら、近くに草に埋もれた⑤が目に入りました。この台の上からだといい感じの写真が撮れそうです。でも、草の中に突入するのは素足にスポーツサンダルの女子🤭にはちょーっときびしかったです。
ただ、レンズを通すよりも、自身の目で、視界いっぱいに風景を捉えた方が何倍もきれいで印象にも残ると思いました。
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2023/10/04 23:11
本丸の 土塁が語る 逃げんなよ (2023/10/01 訪問)
古宮城は元亀元年(1572)馬場美濃守信春の縄張りで築かれたとされています。
武田方の三河進出のための重要な拠点であり、亀山城の奥平氏を見張る役目を負っていた
という説もあります。小山全体が城郭として改造されていて、その精緻な縄張りは
土の城の到達点の一つといっても良いと思います。西側を除く周囲を泥炭質の湿地に囲まれ、
西側には水濠を備えていたようです。白鳥神社への階段が城址への入り口となり、
両袖枡形と呼ばれる虎口を経て本丸に至ります。この本丸ですが中央を土塁で隔て
東西に分かれています。‥これは容易に降伏などせず最後まで戦えという馬場美濃守の
メッセージでしょうか?‥無言の圧を感じます。今の時代ならハラスメントですね。
死にハラですね。本丸の北側は曲輪が段々に連なります。五段はありますね。
本丸西側から大竪堀が北側に続いていて西の曲輪とを分けています。この西の曲輪も
枡形虎口や丸馬出しを備え一城二郭の様相を呈しています。木の根の張った土塁の下を
堀切と土塁が周回し、なかなか壮観な眺めです。非常に見所が多い城で、林立する樹木が
絶妙な保水力を有し雨から遺構を守ってくれてます。土塁や空堀を復元せずにこの姿を保って
いることは奇跡的だと思います。まさに土の姫路城とも呼べる城です。
ただ古宮城も手勢が少なかったとはいえ徳川方にあっさり落城させられてしまっています。
本格的な水堀などを備えていない中世の土の城の到達点でもあり、限界を示した城でも
あると思います。ちなみに城兵は落城の際に逃げて行ったらしいです。土塁のメッセージは
無視されたようですね。
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2023/10/04 23:03
語りたくなる歴史がある (2023/02/11 訪問)
毛利とタッグを組んだ宍戸氏の苗字の地で、宍戸にいた宍戸氏は佐竹氏と共に秋田に去り、秋田から秋田氏が宍戸にやって来て、最後は水戸松平家の宍戸藩陣屋となったが天狗党の乱で藩主が切腹・・・わー書ききれない。
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2023/10/04 22:59
竜門寺城 (2023/08/19 訪問)
【竜門寺城】
<駐車場他>龍門寺駐車場はあります。システムパークタケフ(コインP)に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>越前ちょこ城巡りの旅7城目。現地案内板によると龍門寺は曹洞宗のお寺で1299年に悦巌崇善によって創建されたと伝えられます。1573年には織田信長が越前朝倉攻めの際にここを本陣としました。朝倉氏滅亡後は一向一揆の支配することとなり、羽柴秀吉・明智光秀が龍門寺城に攻め入ります。その後は織田信長家臣の不破光治が入城します。
上記コインPから炎天下のもと徒歩で10数分かかり汗だく。武生駅から城跡までの街並みは碁盤目状に区画整理されています。城跡地にはお城の遺構はほぼ残っておらず南側墓地が窪地になっていて堀跡と分かります。周囲はお寺の密集地域になっています。
<満足度>◆◇◇
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2023/10/04 21:39
黒田官兵衛が攻城にてこずり (2023/09/17 訪問)
宮本武蔵が足を負傷した富来城ですが、
現在残る本丸跡だけ見ると小さくて、その話ホンマかいなと思うが、実際はもっと大きな城らしい。
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