(川越本丸御殿の紹介URL)https://www.city.kawagoe.saitama.jp/smph/welcome/kankospot/hommarugotenzone/hommarugoten.html
川越駅から徒歩15-20分…近くに神社および球場のある場所に位置する屋敷…それが川越城(川越本丸御殿)🏯
その正面には唐門を意識したような入口が来場者を待ち構え(画像1枚目)、履物を玄関で脱いで用意されてるビニール袋にしまってから中に入ります
建物内には無料Wi-Fiも用意されており、パスワードさえ入力すれば自由にそれを使えます。ただ…部屋の場所によって電波の入り具合がバラバラ…入口付近は問題なく使えるのですが、少し離れた展示室はもうダメ…でした
ここに入館したのは16時…閉館時間の17時まで滞在…つまりここで過ごしたのは1時間ほどですが、そのうち15分くらいはWi-Fiの安定した部屋にてトリマのゲージ消費に励みました📱
本丸御殿の左側にあるのが(2枚目の)地図。見ての通り、かつてこの辺りには二の丸…三の丸…と数多くの設備があり、大規模な城郭であったことが伺えます
(これは他の城にも言えること…明治以降の日本各地の城の宿命とも言えるのですが)現在は本丸のみが当時を偲ぶ建物として残り、周辺の城域は宅地と化してしまってる…防御施設としてかつて存在していた堀も埋め立てられ…
本丸御殿は最初から観光用として公開されたのではなく、煙草工場…学校の武道場…中学校の仮校舎・屋内運動場という使用履歴を経て、昭和42年に大規模な修理工事をおこない、屋根の修理や間取りの復元を経て現在の公開施設になった…と案内文にありました
ということは、工場や学校の一部だった頃は、それほど入念にメンテナンスされていたとは思えないから、割と雑に扱われていたのではないですかね…🏭🏫
「あ…材料を床に落としちゃった😜」「生徒が備品で器物破損しちゃった…😅」「あそこの天井、穴空いてね?」「壁に亀裂入ってる…ま…これくらいなら別にいっか…もう見慣れてるし…いわゆる一つの経年劣化?😁」みたいに
入館料は大人100円…入館と同時に忘れずに御城印を注文。1人2枚まで購入可能だったので(いざと言う時のスペア、もしくは同僚で入手希望の方がいた場合に備えて先着1名にあげられる用)2枚買うことにしました
左側が川越城の御城印…飛鳥山公園(東京都北区)のお土産館にも、実は取り扱いがあったのですが、それには本丸御殿の絵はなく、ただ…「川越城」と書かれているだけでした
「現地でも販売されてるなら、そっちで買ったほうがいい」「その方が達成感がある✌️」と思ったので、そこでは買わずにここで買ったわけですが、こうして見ると本丸御殿付きのこのデザイン…
「こっちのデザインのほうがイカしてる✨」自分のあの時の判断…やはり正解でしたね😏
この日は雪予報も出るほどの低気温…幸い、雪が降って電車が止まるというほどのアクシデントは無かったのですが、御殿の床が冷たかったですね…靴下で歩き回るのはしんどいくらいに☃️
玄関や広間のある本殿の廊下を渡り、スノコの上を歩く形で家老詰所という離れも見学できました🏠 本殿と同じくここも畳の敷いた部屋が幾つも集まっており、一番奥の家老詰所には人形3体による当時の雰囲気再現がおこなわれてました(4枚目)
説明書きを読むと、幕末にこの辺りを治めていた川越藩は、東京湾のあたりにも領地を持っており(←飛び地?)、そのためペリー来航の際には江戸警固の担当につく必要に迫られたそう。その際の作戦…防御を固めるための会議をおこなってる様子を再現したものとありました
詰所の中は大変寒く、ここでも足元が冷えました。戸や襖を開放してるからもあるでしょうが、襖は木の枠と和紙…つまり薄い壁。暖房器具は火鉢くらいしか無い当時(江戸時代あたり)…冬の生活はまさに寒さとの闘いだったのが簡単に頭に浮かびますね🧊
本殿に戻り、「もう一枚くらい…添付画像のための写真撮ろうかな」と廊下を歩く…閉館2-3分前になって目に入った場所が5枚目の広間
鎧兜が2体…見えると思いますが、これは昭和中期に手作りで再現されたものだそうです。サイズは小さめでしたが、見た目は違和感なく作られており、この作者に真に感心しました
現代人にとってはまず着ることの無い鎧兜…自衛隊を含めた世界中の軍隊は今や迷彩服を軍服として着用しており、鎧兜の出番は無い…ロストテクノロジーと化してるんじゃないかとさえ思えてしまいますが、その伝統は一応現代にまで受け継がれているようであることが、この展示物を見て伺えました
ちなみに展示文やパンフレットに書いてある「川越城の歴史」から、ざっと概要を紹介させてもらうと…
「扇谷上杉氏の命を受けた太田道真・道灌親子によって1457年に築城→後北条氏により1537年に攻め落とされる→扇谷上杉氏と後北条氏の間で争奪戦も、1546年の川越合戦で後北条氏が大勝し、北武蔵(川越一帯)の支配を固める」
「豊臣秀吉の関東攻略において降伏(1590年)(天下統一の最終段階は小田原城陥落のはずなので、その前に降伏したのでしょう🏳️)→同年八月に徳川家康が江戸城に入ると、そこに近い川越城には酒井重忠が担当→3代将軍家光の代に城主となった松平信綱は城の拡張整備を行い、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪などの各曲輪…3つの櫓に13の門からなる総面積99000坪余りの規模を持つ巨大な城郭となった」
そうです…閉館後、駅まで歩く途中に堀を見つけたのですが、それは信綱の命により軍事用として造られたもの…当時は戦国の世が終わりを迎え、幕府の支配がほぼ磐石になり島原の乱以外に内乱らしい戦は無かった時代…
それでも…「平和だからこそ…浮かれる事無かれ…」という方針のもとに掘られたのでしょうか?まぁ…実際にこれが戦で使用されることはなかったと思いますがね🏯
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