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三浦の晃ちゃん

民家の中と公園 (2023/11/26 訪問)

勝海舟の設計で、伊予松山藩が構築したそうです。石垣が残っています。図面によると3か所で、石垣が見られるそうですが、そのうち2か所に行きました。一つは、星野町公園になっています。もう1か所は、JR貨物の線路脇で、民家の側にあります。

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いんげん丸虫

南大門城 (おおかど)茨城県常陸太田市 (2023/11/11 訪問)

国見山の山頂に国見要害、尾根に南大門城、北大門城があります。
南大門城は円形の単曲輪で小規模な城郭ですが周囲に横堀が巡り、
土塁、土橋などの遺構が残ります。
登り口から数分で着きます。駐車場もあり、城内も整備されてます。

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チェブ

熊とヒルとスズメバチ。 (2023/10/30 訪問)

城びとの皆さんが絶賛する「松井田城」。
ちょっと入口まで行って来ました。
本日、脱線します。

素晴らしいのは承知しているけど、装備不十分なので、別日と考えてました。

高速道を降り「後閑城」に向かっていると、「松井田城」の案内板を数回 見ました。幟もはためいていて「松井田城」に誘われます。
と、言うことで ちょっと「松井田城」に寄り道しました。
駐車場もあり、小さな小屋に案内があります。杖も用意してくれてました。
が、アルミ缶がぶら下がっていて『熊と出くわす前に叩いて下さい』との事。よーく見ると結構な数がぶら下がってます。80mほど侵入しただけで土塁や堀が確認できました。
熊が怖くて、引き上げました。小屋には、熊の他にヒルやスズメバチへの注意が書いてありました。
もう、駄目です。

本来の目的城に向かう途中、何やらの説明板が見えます。
路駐し、見に行くと万葉集でした。少し行くと、もう1枚。
以前、城びとの企画で100名城のカルタの詠みを、五・七・五で考えました。どなたの句が選らばれたか楽しみですね。
次回、続100名城カルタでは、万葉集風に五・七・五・七・七とすれば、お城への思いがもっと入れられます。
またもや、石碑だと路駐。今度は明治時代の詩人、磯貝 雲峰さんの碑です。
ほー、詩かー。
【城×短歌】
スズメバチ~、熊に怯えて、逃げ出せば~、再戦 誓う、松井田の城~。
駄目だこりゃ。

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ぴーかる

虫川城 (2023/11/04 訪問)

【虫川城】
<駐車場他>白川神社駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・切岸
<感想>1泊2日上越の城攻め旅2日目、3城目。この旅より自身の山城攻め解禁で今シーズンも事故に気を付けながら頑張ります。今年は熊の出没も相次いでいるので少し心配です。皆様もお気を付けください。
 現地案内板によると虫川城は城主、城歴は不明であるが南北朝時代には杢田主膳の居城であったといわれています。
 上記駐車場に駐車し虫川の大杉を見学、霊的なパワーを頂きました。城跡入口は北方向の道を進み福祉センター大杉の里の奥に進むと案内版がありますので登城口はすぐに分かります。登城口からすぐに小さい根小屋跡の削平地、そのすぐ先に広い二の丸跡、横に長い腰曲輪と看板のある曲輪には城門跡、地震で埋まってしまった井戸跡があります。その腰曲輪から主要部方向の切岸は高さがあり見応えがあります。主郭下段の曲輪には土塁が残り、城跡の雰囲気が良く残っています。山頂の主郭は小さい削平地ではありますが、櫓台がしっかりと残っています。

<満足度>◆◆◇

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POYO58

南千畳、南二の丸編 (2023/11/03 訪問)

南方向へ向かうとよりマチュピチュ感を感じることができます。二の丸や本丸からはまるで天空の島のような石垣郡を見ることができます。もう9時過ぎでしたが、まだ少し霧が背後にかかっていました。
で、竹田城に行って初めて知ったのが石垣についてなのですが、実は竹田城の石垣は野面積みではなく牛蒡積みだったんですね!知りませんでした。おそらく牛蒡積みの石垣は彦根城とこの竹田城でしか見れないのではないかと思います。で、牛蒡積みとはっきりわかる特徴というのが石垣から草が生えてこないことなんです!長方形に近い石を差し込むようにして積んであるのでなかなか植物が生えないそうです。おかげで私たちが間近で石垣を見れますね!
8年前に訪れたときはまだ小学生でここで妹と鬼ごっこをしていたそうです(親によると)。こんなにもすごいお城を鬼ごっこで満喫した自分に反省しました…

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くうくう

土佐20万石大名になった山内一豊出生地

平城で遺構はないが、黒田小学校北東角に小公園として冠木門、説明板、石碑、像などモニュメントがある。山内一豊が生まれた(天文14年(1545))城として有名。近くに駐車場はなく意外と訪城しにくい。

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くうくう

2004年3月まで個人所有だった国宝天守

天文6年(1537)織田信長叔父織田信康が築城。1600年前後に整備進められる。今のようになったのは元和3年(1617)に成瀬正成が入城してからで、尾張藩付家老成瀬家が代々継承した。高さ88m木曽川沿いの丘陵に建つ。平山城、国宝現存天守は望楼型独立天守(三重四階)で高さ24m、別名白帝城。国宝5城で最も古いという天守は最上階にある華頭窓、外壁に柱や桁がむき出しになっている真壁造、瓦に留蓋としてのっている桃瓦など、見所は多い。

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橋吉

天守台と堀 (2023/11/22 訪問)

11月下旬というのに路肩に雪が残る道を走って、増島城へやってきました。

増島城はJR高山本線飛騨古川駅の南東、荒城川の右岸、古川盆地のほば中央に位置しています。
1573〜1592(天正年間)年、金森長近によって築かれました。
退いて守る山城より、進んで攻める交通の要所を求めて、ここに平城を築いたそうです。

1615(元和元)年、幕府の一国一城令により、城名を廃して古川旅館と称しました。
金森氏の移封後3年、1695(元禄8)年に古川旅館は破壊されました。

天守台と堀が数少ない遺構です。
天守台の二方に堀が残されています。

天守台には増島天満神社が祀られています。
天守以外の本丸部分は飛騨市立古川小学校と岐阜県立飛騨吉城特別支援学校が建てられています。
小学校の校舎は地中には遺構が保存されているため、杭を打ち込まない低層建築とする必要がり、2階建てです。

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AJ

呑む日本史 〜 江戸を救った味?

今宵も酔うて候、、、

純米吟醸 清酒「江戸開城」(東京港醸造。東京都港区芝)。本当にあった都心の酒蔵。母体の若松屋は元は薩摩の御用商家で、2016年、1世紀ぶりに酒造りを再開しました。

醸造所は西郷どんと勝海舟が会見した薩摩藩蔵屋敷跡からほど近い場所に。もし2人が密談の場で酌み交わしていたのだとしたら、江戸を再度の焼失から救った味ということになるのかもしれませんね。

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朝田 辰兵衛

新高岡のホテルから朝駆け… (2023/10/09 訪問)

雨男,雨の中を新高岡のホテルから朝駆けです。ゆっくり歩いて約15分でした。新高岡を拠点として動こうと決めたきっかけは,カルビンさんがココを“king of バーター”と形容していたこと。ショッピングモールも徒歩圏内にあり,滞在に快適なこと。
なお,キレイに並んだ3本の碑の理由は,ぴーかるさんが見事なレポートをしておりますので,そちらを参照願います。

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tp.etsu

夕方 (2023/11/25 訪問)

夕日が沈む頃に到着!
閉まる前にたどり着き、一安心。
三階からは富士山が見れる。まさか、長野県の真ん中まで来て、山の間から富士山が見れるとは思いませんでした。

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ダイエティシャン

わんこ大使【はなちゃん】任命式 (2023/04/02 訪問)

この日は、松江城桜祭り開催。
同日、松江城で新たにわんこ大使【はなちゃん】が任命されました。今後も活躍が期待されます。

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湯坂城 (2023/11/25 訪問)

 鷹の巣城から浅間山を経由して湯坂路を下って行くと湯坂城の説明板があります。城びとには未登録の城址です。説明板には整地された郭、土塁、堀切が残っているとの記載がありました。それなりに遺構らしい地形はあるのですが、藪になっている所も多くよくわかりませんでした。

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湯坂路(鎌倉古道) (2023/11/25 訪問)

 箱根湯本駅よりバスに乗り湯坂路入口バス停下車、徒歩約10分で説明板に着きました。周囲を見ると削平地はありますが、遺構かどうかわかりません。浅間山を経由して湯坂路(鎌倉古道)を進み、湯坂城跡を経由して箱根湯本駅に戻りました。浅間山の説明板に「鷹巣城があったのはこの山と思われます」の記載があります。
 湯坂路バス停からはほとんどが下りなのですが、浅間山から下の登山口まで90分くらいかかりました。紅葉は今年暖かかったためか、まだ色づき始めたばかりの木々もありましたが、それなりに楽しめました。ハイキングコースになっていて多く方がハイキングを楽しんでみえました。

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ダイエティシャン

赤城(あかじょう:せきじょう)ダイジェスト (2023/11/25 訪問)

島根県川本町の赤城を攻城。毛利氏、尼子氏、小笠原氏関連の山城です。本丸からは、見事な紅葉と、各城が見渡せます。
写真3️⃣は小笠原氏家紋【3階菱】パッケージの【ばくがクッキー】

詳細は後日。


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三ノ姫

近くの馴染みの城です。 (2023/11/22 訪問)

先週に続き2回目の投稿。しかし他の人から見たら動きが怪しかったかもしれない…。

秋晴れの空。
紅葉を見ながら密かに城の造りを観察してきた。
馴染みがあり昔、学校帰りによく立ち寄った場所でもある。

"公園"としてしか 今まで見ていなかったので、
意識すらしていなかったが、じっくり歩いていると貴重なものが沢山残っていることに気付く。
枡形堀には龍女伝説があり、お光という娘が身を投げたという話も残っている場所だ。
伝承や妖怪が残る場所も惹かれるものがあるね。

有名な名将に思いを馳せ、遠くに出かけるのも良いが
実は案外近くに武将が活躍していることがあることもあるんだ。

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刑部

白老伊達藩陣屋 (2023/10/10 訪問)

かなり整備された陣屋跡です、堀と土塁を円形にめぐらして内曲輪と外曲輪を構成させてます。私の他見学者は1人もいませんでしたが草刈りしている人がいました。でも、残念なことに資料館は休館でした。ここは、町を散策すると町をあげてこの陣屋を盛り立ててる様子でした。城好きでしたら外せない処です! 
何処の続100名城より見応えあります!
ここでのグルメはホッケ貝カレー。

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カズサン

西美濃未踏の城廻Ⅱ藤橋城模擬天守閣 (2023/10/21 訪問)

 30年前頃に建設された藤橋城模擬天守閣を見たいものだと思っていましたが中々道中にチョット寄ってとはいかず、今回まで延び延びに、藤橋城杉原砦探訪の企画を作り合わせて日帰り西美濃未踏の城廻を行いました。
 雨の降らない日を選んだのですが、奥西美濃は小雨でしたが思い立ってから数十年登城を叶えました。

 駐車場:藤橋城・西美濃プラネタリウムの西側に広い駐車場完備、トイレ有
 参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップに依ります。

 先ずは藤橋城模擬天守閣(平成元年10月竣工)に登ります、時間が間に合えばプラネタリウムもと思ったのですが11時には10分程遅れて途中入館も出来ず、プラネタリウムは断念、天守閣の内部を見学、甲冑三体の展示、展望階からの眺めは小雨で霞今一、展望階から杉原城跡方向を確認し、藤橋歴史民俗資料館の野外展示建物も展望階から確認。
 藤橋歴史民俗資料館はパスして、七人塚、武山神社に参拝、見学。杉原砦落城の際に城主杉原家盛を死守した逃がした七人の塚が祀られている。杉原家盛の家系から秀吉の正室ねねが出ている。

 丁度昼時駐車場の西側にあまご茶屋が有りアマゴの塩焼き定食を頂く、久しぶりのアマゴの塩焼き、ビールが欲しい所ですが車の為我慢、ここまで来たのでと社会問題にもなった上流約6~7km程先にある徳山ダムを見学、久しぶりにロックフィルダムを見学しましたが小雨がぐり返し標高も高く肌寒い。
 揖斐川渓谷を往復しましたが紅葉の色付き初め、見ごろの時期はさぞ混雑するのでしょう?
 

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チェブ

どんぐり礫。 (2023/10/30 訪問)

群馬県 富岡市の「富岡城」、BUCK-TICKの曲を聴きながらドライブです。群馬県が誇る3B。
「富岡城」はBUCK-TICKの、亡くなった今井さんが過ごした藤岡市から30分位離れてます。

「富岡城」は『城山公園』になってます。入口から、結構な登り坂です。
石碑や説明板はありません。
駐車場の入口に『城山公園』の停留所(バスではなく乗合いタクシー)がありますので、「富岡城」だと認識。
城びとの、お城を探すにマークされてなければ、見逃してしまいそうです。

上まで登らず駐車場にいたら、頭に何やら当たりました。
どんぐり。
丸っこちい、大きめサイズの どんぐりが侵入を拒みます。

この日は、上着のいらない暖かな日。夏が長く季節がいつだか勘違いしそうです。
でも どんぐりは、きちんと秋が来たと教えてくれました。

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カズサン

西美濃未踏の城廻Ⅰ北方城 (2023/10/21 訪問)

 西美濃奥に藤橋城(杉原砦)の模擬天守閣が在り以前より訪ねたいと願って居ましたが美濃の奥に成り何かの序でに寄ると言う訳にも行かず、今回思い切って西美濃未踏の城廻りを企画し、藤橋城模擬天守閣登城の前に初登城しました。

 駐車場:揖斐北方城(北方城)主郭下のロータリー駐車場、数台可能
 参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップに依ります。

 国道303号線から北方小学校西の集落に入り林道を200~300m程北へ進み峠辺りに逆向き方向に登る林道が有る、そこに案内板があり「城山街道 城山公園まで1,050m」と掲示、道なりに登りロータリー駐車場へ。
 駐車場周辺には、管理小屋、大きな北方城址城名石碑、平坦地にトイレ和式で古い、別の平坦地に透明とたん屋根東屋、揖斐川への景観は樹木が茂り悪い、駐車場から主郭への登城路を登り主郭へ、草刈されて居るが少し経っており伸びてる草も有る、主郭には東屋、小さな城名石碑、案内解説板は無い、揖斐川へ西に張り出した城郭で切り立っている、遺構らしきものは良く分かりませんでした。
 
 案内板が無いので、歴史は古城盛衰記さんによると、「建武・延元年間頃に吉田休三入道によって築かれたという。吉田入道は南朝方として北朝方の土岐氏と戦ったと云われる。」と有りました。
 

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