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うわさの階段 (2022/05/05 訪問)

 主郭の周りには石垣が一部残っているように見えます。堀切が背部にあると思われますが浅くなっていました。
 東海道線JR大垣駅から樽見鉄道に乗り換えて終点の樽見駅で下車。徒歩15分くらいで登城口となる階段下に行くことができます。その階段を上ると石柱と案内板があります。その後、ネットで怖いと評判の階段を上がっていきます。急な階段が丸石(河原のものでしょうか)で構成されていて、しかも上部に行くと土と枯れ木が階段の上に堆積していて足の踏み場が不明瞭になっています。這うようにして上がりましたが、問題は下るときで堆積した土が滑るようなところもあり怖かった。階段を下るときに一番労力と時間を要しました。石垣と思える石も円かったので、本当のところはわかりませんが、石垣の石を階段に転用したのかとも思いました。
城址から近い薄墨桜が有名ですが、桜の季節は過ぎていたので立ち寄っていません。

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カズサン

現存櫓と復元櫓で城郭景観が絵に成ります (2009/06/12 訪問)

 府内城は現存櫓が人質櫓、宗門櫓と在り、復元で東丸に着到櫓、南西隅櫓、北西隅櫓と在り、西丸に南西隅櫓、南に多聞櫓門、北に廊下橋が建てられています。
 南側の櫓が連なってる二の丸堀越しに南西隅から東に眺める景観が往時を偲ばせる城景観として写真のビューポイントです。

 本丸は内堀の埋め立て、周囲の石垣、南北の石垣が取り払われ本丸と二ノ丸(西丸、東丸)が一体平地に成って居り、本丸北に天守台石垣が殿と座って居り四重の天守閣が聳えていたと絵図に由る。
 本丸、二の丸を侍町が囲み、更に外郭惣掘りの悌郭式で現在のJR大分駅辺りまで郭内に取り込んでいた模様。
 
 大分と言えば大友宗麟、大友氏ですが府内城は大友宗麟没後、嫡子大友義統朝鮮の役不始末で改易後、慶長2年(1597年)福原直高が12万石で入封し大分川、海側に交易を重視し築城を開始し2年後には一応完成し今ある姿に成った模様。
 関ヶ原後に竹中氏、日野根氏と代わり、万治元年(1658年)大給松平氏が入封し、継承して明治を迎える。

 探訪は13年前の平成21年6月中旬、大分駅近のホテルに連泊し早朝ホテルから徒歩約1km弱北方向の府内城に登城、大分県宮崎県城廻りの3日目で7城目です。
 ルートは、府内城多聞櫓門から入り内側を巡り天守台、廊下橋、北側より東の帯曲輪越しに二の丸堀、城塁、各櫓を眺めて、南側、西側と外周を一巡し80枚の写真から10枚投稿致します。

 

 

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toco

岩崎城 in日進市 (2022/05/05 訪問)

前々から気になっていた岩崎城にやっと行くことができました。

まずは、岩崎城歴史記念館で歴史のお勉強と御城印を購入。
小さな記念館ですが、とてもわかりやすい展示で小学生も熱心に学習していました。

その後に模擬天守へ。
どちらも入場料無料。



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トマト

四国 (2018/10/16 訪問)

もう一度行きたい

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shige

(2022/05/05 訪問)

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トマト

四国 (2018/03/29 訪問)

最初に来城した城、もう一度来城し御城印をいただきたいです。

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コバトン

名胡桃城奪取事件の舞台 (2022/04/30 訪問)

後閑駅から徒歩30分くらい。利根川を渡った先の河岸段丘の上に構える城。小ぶりであるが連郭式の曲輪と堀、土塁が残っていて見応えがある。北国街道を押さえる要所にあり、先端にある笹曲輪からは沼田地域がよく見渡せる。小田原征伐の原因となった名胡桃城奪取事件の舞台であるが、こんなところにある城を押さえられていたら沼田城主は常に監視されているようで気が気でない。猪俣邦憲が堪えきれず攻め落としてしまったのも無理はない気がする。秀吉、そして真田昌幸はそれを見越して沼田城割譲の際に名胡桃城だけ真田領に残したのだろうか。現地を訪れてみると色々なことが妄想される。

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まーやん

ゆるキャラに会いに (2022/05/03 訪問)

久々の家族サービスということでお許しくださいませ。
いつも新幹線から見ていた佐和山城跡に折角行っても、家族サービス優先で登山頓挫。ひこにゃん出勤時間に間に合うよう向かった彦根城。何とか間に合いました。
佐和山から向かったので石垣や用材に痕跡はないかといつもにも増して注意しました。
彦根城の見所はやはり天秤櫓と天守閣。天守閣は然程大きくはないもののこれでもかと詰め込まれた破風は圧巻。内部構造も戦闘を意識した隠れ部屋や狭間が適所に配され、さすが城郭国宝第一号に相応しい内容。
城域も大変広く石垣がそそりたち、水陸両路を監視できる要衝地に位置する。
家族が「これどこに出るの?」とか「歩きにくいな」とか早速罠にかかっている姿に笑えた。
コロナ禍が収まり早くスタンプラリー再開できる日が来るよう願うばかりです。

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コバトン

天然の地形を活かした山城の完成形 (2022/05/01 訪問)

郷原駅を降りて岩櫃山方面から登城。霧がかかっていて大迫力の岩山は外観から見えなかった。岩櫃山の麓に武田勝頼を匿うために建てた潜龍院跡がある。そこから登山することになるが、見た目通り岩櫃山はかなり険しくしっかりとした準備が必要。やっとの思いで頂上についたが、やっぱり霧で風景は見えなかった。
そこから尾根伝いに歩いていくと本丸に出る。岩櫃山を背にして尾根に沿って曲輪を構える構造で、麓を流れる吾妻川の急斜面にも守られ天然の要害を成す。しかも要所に柳沢城、郷原城などの出丸のような支城も設け、鉄壁というのに相応しい。この要所を出丸で補強するという構想は真田信繁の真田丸に活かされているのかもしれない。おそらく日本屈指の防御力を誇る城で山城の一つの完成形とも言える。登城するのは大変ですが、苦労に見合った魅力が詰まった城です。

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おっちゃん

小折城跡現在図、生駒屋敷絵図 (2017/11/11 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

小机城案内図 (2016/08/19 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

勝山館C.G復元と整備 (2019/06/07 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

緒川城位置推定図 (2018/07/16 訪問)

現地案内板より抜粋。

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織田晃司

牧野公園の (2022/05/01 訪問)

最奥部に登城口がある。
中に入る時、札を裏返し閂を内側から掛けるため先客が入れば中に入れず、帰ってくるまで待つようになります。

写真の石垣を見ようとすると急峻な獣道を通るので手袋・トレッキングシューズ及び覚悟が必要です。

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織田晃司

幕末は黒船に、今は列車に (2022/05/01 訪問)

砲台を向けてます。

土佐藩台場は東、中、西の3つありましたが今は西砲台のみ西浜公園として残るのみ。

坂本龍馬も須崎台場に立ち寄ったそうです。

城めぐらー&撮り鉄さんには台場と列車のコラボ写真が撮れるかも…

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織田晃司

おっす!オラ悟空。ぜってぇ見て久礼よな (2022/05/01 訪問)

久礼城北東部の再開発により先人様の情報から登城口が変わってます。

車は中土佐町の立体駐車場に停めます。
そして久礼保育所を目指すと開閉式のフェンスがあります。
ここが登城口となります。

今回は通りませんでしたが城に向かって広い掘削道が途中までありました。今後それが登城道となっていくのか?
遺構を破壊する登城道なら勘弁願いたい。

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織田晃司

旅館宿毛城 (2022/05/01 訪問)

という今の宿毛城から100mほど南に宿毛城(松田城)跡があります。
僅かな石垣が残る。
主郭は草ボーボー。神社も荒れて不気味…

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のり巻せんべい

ウクライナ支援用御城印 (2022/05/04 訪問)

明智荘をみつめる会のインスタから
連日のウクライナのニュースはとても心が痛みます、私たち明智荘をみつめる会では少しでも力になりたいと思い募金を集めてウクライナの支援をしようと考えました、おもてなし活動の時に募金箱を用意します、少しでもご協力を頂いた方にはウクライナカラーの御城印を進呈します。
明智荘をみつめる会の活動時又はすげがさ隊に会えたら募金箱を持っているので協力お願いしますとの事です。

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三浦の晃ちゃん

復旧工事中 (2022/05/04 訪問)

先の地震の影響で、建物が復旧工事中です。足場が組んでいて、外見が見えません。これはこれで、貴重な時期かと思います。工事が終わったら、元の姿を見に来たいと思いました。

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三浦の晃ちゃん

シンボルの伊達政宗公の銅像が・・・ (2022/05/04 訪問)

シンボルの伊達政宗公の銅像が、先の地震で傾いたようで、修復中でした。残念です。また、通行止めになっているところがあります。ゴールデンウィーク中なので、かんこうきゃくがたくさんいました。

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