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三河三ヶ寺 (2023/09/07 訪問)

本證寺(安城市)、上宮寺(岡崎市)、勝鬘寺(岡崎市)は、三河における本願寺教団の拠点で三河三ヶ寺と呼ばれていました。徳川家康が三河一向一揆と戦ったときの本願寺側の主要拠点となった寺です。本證寺に行ったときに他の寺も行ってみることにしました。

本證寺 
 城びとに登録されている城郭寺院です。

上宮寺
 一説には家康公の家来菅沼定顕が上宮寺から糧米を強制的に徴収しようとしたことが三河一向一揆のきっかけといわれています。その後、再建されていましたが1988年に本堂や庫裏などが全焼しました。1996年に近代的な作りで再建されています。境内には本願寺教団の再興に力を尽くした松月院妙春尼(徳川家康の生母於大の方の妹)の墓があります。
JR西岡崎駅より徒歩約10分行くことができます。

勝鬘寺
 三河一向一揆の際には蜂谷半之丞、渡辺半蔵ら一揆勢が立てこもり家康方の大久保党と戦ったとされています。現在の本堂は1734年に再建されたものです。
JR岡崎駅より徒歩10分くらいです。

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しんちゃん

一番の見どころは坂なんだって‥ (2022/05/06 訪問)

土気城は善勝寺郭は、ひまわりの郷になっていて、二の丸は
テニスコートになっているようです。二の丸と三の丸の間には
土塁と堀が残り三の丸と馬出曲輪の間にも堀と土塁が残ります。
本丸は北東端にあり、その南側をクラン坂が通ります。
昼でも暗いのでクラン坂といって、この城の最大の見どころに
なっているのですが‥‥情報不足で見ていません。
城人を始める前に訪問しているので、口コミを見ていないんですね。
またこのあたりを訪問する際には寄ってみたいです。
土気城は聖武天皇の神亀年間(724~29)、鎮守府将軍大野東人が
蝦夷に対する拠点の一つとして城塞を築いたのが始まりとされ、
室町時代に酒井氏の城となり里見氏に従うようになりますが、
後に、後北条氏に鞍替えします。豊臣秀吉の小田原攻めの際に
浅野長政らを主将とする別働隊に包囲され四カ月の籠城の末に
開城し、廃城となったそうです。

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三河一向一揆 (2023/09/07 訪問)

城郭寺院の香りを今に伝える三河一向一揆の拠点となった寺です。以前にも来たことがありますが、近くまで来たので行って来ました。

 名鉄南桜井駅から徒歩15分くらいです。

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tp.etsu

日が暮れて… (2023/09/08 訪問)

大分暗くなってしまいましたが、とりあえずたどり着きました。

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能登守利信

呟き (2023/07/17 訪問)

大湊駅からバスに乗車、本町バス停にて下車、徒歩5分で城址の代官山公園に到着します。主郭の公園内はキャンプ場と化していてますが土塁は確認できます。反対側に降りると民家板塀に案内板と土塁がありました。

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イオ

円形の縄張の城 (2023/07/15 訪問)

琵琶湖の良港だった山田港を押さえるために鎌倉期に山田氏が築いた城で、室町期にかけて山田氏の居城でしたが、織田信長の侵攻により山田氏は滅ぼされました。その後、信長の比叡山攻めの拠点になったとも、織田信孝が入ったとも云われますが、詳細は不明です。

城跡は武道館になっていて地表面には遺構は見られませんが、発掘調査により円形の二重の堀が発見されており、珍しい円形の縄張の城だったようです。武道館の門の脇には説明板があり、発掘調査の写真や平面図が載せられています。

円形の縄張の城ということで期待していたんですが、説明板を見てイメージする以外、現地では特に見るべきものはありませんでした。ちょっと拍子抜け…。
 

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Mt.stone

山陽・山陰 灼熱の城巡り (2023/08/28 訪問)

国宝5城制覇
真夏の城巡りは厳しい!
水分補給しながら階段をゆっくり登る。
みんな汗だく。ドリンク持ち込み必須!
よりによって、こんなデカい城!
笑ってしまうほど大満足でした。

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しんちゃん

負けっぷりで有名な小田氏治の居城。 (2023/05/04 訪問)

小田城は史跡公園として整備されています。
巨大な本丸の周囲を高い土塁で囲み、北と東の堀も幅が広いです。
本丸周辺はとにかく全てが大きく、本丸の東に東曲輪
南西の方向に南西馬出曲輪が配されています。
本丸の中もいくつかに区分けされ北西は主要な建造物、その南は
庭園のようで、城内の池は西と東の二つあるようです。
「鎌倉殿の十三人」にも出ていた八田知家が小田氏の祖とされ
軍功によって筑波郡を与えられ、文治元年(1185)常陸守護に
任じられ、小田に居城を築いたとされています。
十五代、小田氏治は結城氏、長尾景虎/上杉、真壁氏、佐竹氏らと
幾度も戦い、敗れるたびに土浦城に逃げ込んでいるのですが
家臣の奮闘や和解などで城を回復しています。しかし佐竹氏に
小田城を奪われ、天正6年(1578)氏治は子の金寿丸を人質にして
佐竹氏の軍門に下ったとのことです。

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しんちゃん

断崖状の箇所もあり、全容は難しい。 (2023/05/06 訪問)

本納城は蓮福寺周辺に築かれていて、背後の丘陵が本城で
四方に尾根が伸びており、その先も城域に含まれます。
北東の尾根の直下が断崖状になっており、近づくのは危険、
蓮福寺を含め、広い城域を持っているようです。
東の尾根上にも城域が伸びていて、墓地の先にも遺構は残り
本納小学校の先まで続いているようですが、小学校の背後は
断崖絶壁になっているようなので、散策する範囲を定めておく
必要は有りそうです。

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能登守利信

呟き (2018/10/06 訪問)

飯田橋駅から徒歩で攻城。 距離的には牛込城が、700メートルといったところですな。 目の前の交差点名も筑土八幡町なのもわかりやすいです。 でも遺構も案内板もありません。 参道の階段を登って満足すべしという感じでした。

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能登守利信

呟き (2023/07/18 訪問)

川部駅にて下車、徒歩約30分。最寄りは藤崎駅ですが、電車待ちより徒歩の方が早かったです。国道7号線沿いに土塁と標柱があり、八幡宮からも確認できます。八幡宮入口に案内板があります。

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上和田城(愛知県岡崎市) (2023/09/07 訪問)

 大久保忠世、大久保彦左衛門等で有名な大久保氏の城です。城びとには未登録の城址です。上和田公民館の一角には大久保一族発祥地の碑があります。100m程南西民家のフェンス内に和田用心濠の碑が立っています。遺構はないと思われます。
JR岡崎駅より徒歩約15分です。

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小川城(愛知県安城市) (2023/09/07 訪問)

 石川数正生誕の地として伝わっています。城址は本城公園となっていて遺構はありません。城びとには未登録の城址です。東屋の壁に説明板がありました。近くには初代の石川政康の墓所があります。的場公園付近は小川城の出城、砦があった、もしくは的場があったとされています。
名鉄桜井駅より徒歩15分くらいです。

 隣の岡崎市の名鉄美合駅より徒歩5分くらの所にある本宗寺には石川数正の墓があります。本宗寺は三河一向一揆の戦場となった寺でもあります。

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しんちゃん

平忠常後裔、千葉氏が千葉城に移るまでの本拠。 (2023/05/06 訪問)

大椎城には城山の北側からアクセスするのが正解のようです。
北東側に山に通じる道があり、特に入山禁止の
標識も無いので散策させていただきました。
登城道が尾根の南側に回り込んで東から西に
一郭、二郭、三郭、四郭(本郭?)と続いているようです。
西の郭が本郭であれば、この並びは逆になるのがわかりやすいと思います。
郭の間は堀で区切られているようですが、大半の郭は
竹藪に覆われています。
大椎城は平安時代中期に平忠常が築き、忠常の後裔千葉氏が
大治元年(1126)千葉城に移るまで、千葉氏の重要な
拠点だったとされています。

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岩根城(愛知県安城市) (2023/09/07 訪問)

 賤ケ岳7本槍のひとり加藤嘉明の生誕の地として伝わる城址です。城びとには未登録です。説明板が公民館の近くにあります。また、近くの広場の看板に岩根城の跡地との記載がありました。
今回は行っていませんが、お隣の西尾市にも加藤嘉明生誕の地と伝わる場所があります。

 名鉄桜井駅から徒歩20分くらいです。

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移築門 (2023/09/07 訪問)

 安城市にある誓願寺の山門が豊田市の寺部城の移築門と伝わっています。近くへ行ったので行って来ました。名鉄桜井駅より徒歩5分くらいです。

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しんちゃん

駐車場にいる整備の方から情報をいただきました。 (2023/05/06 訪問)

万喜城は中心部が展望台になっていて、駐車場も郭跡の
ようですが、その駐車場にいた整備の方に声をかけられました。
「この城はすごいんですよ」とのこと。
東尾根先の遺構のことを教えてもらい訪問してきました。
まるで石垣のような切岸がありますね。天然のものなのでしょうか?
この御人、赤い靴さんの投稿に出てくる方と同一人物かもしれません。
ちょっとした有名人ですね。ありがとうございました。
応永19年、土岐時政がこの地に移り、築城したと伝わります。
土岐為頼は里見氏から後北条氏に鞍替えし、里見氏の攻撃を受けたが
これを退けたとあります。
天正18年8月、徳川家康関東入封後、本田忠勝から攻撃を受け、
為頼は小浜から小舟で脱出したとも、自刃したとも言われています。

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しんちゃん

遺構の中心は二の丸以東にあり。 (2023/05/04 訪問)

真壁城の本丸は体育館などの建設により遺構の大半は消失して
いますが、周囲を囲む二の丸の一部(本丸の東)、中城、外郭周辺に
遺構が残っており、今でも発掘調査が行われています。
二の丸周辺の土塁は復元された物のようですが、外曲輪の東端にある
鹿島神社周辺に現存の土塁が残っているようです。
築城は承安2年、常陸大掾多気直幹の四男の六郎長幹が築いたとされ
長幹から真壁氏を名乗ったとされています。
戦国期は弘治2年(1556)結城政勝について小田氏春と戦い、
天正13年(1585)には2300騎を率いて北条氏直と戦っています。
慶長7年(1602)19代房幹の時代、主家の佐竹氏の出羽移封に
伴い角館に移封になりました。
それ以降も浅野氏、稲葉氏が入りましたが寛永5年(1628)
天領になりました。

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朝田 辰兵衛

ここにもいました“れんたろー”。 (2023/07/07 訪問)

岡城だけでなく,ここにもいたんですね,滝廉太郎さん。二の丸館の向かいに見つけました。ここの滝廉太郎画像をアップされていた方は,意外にもカルビンさんおひとりでした(←ビックリ)。
城址碑は,日出小学校の入口に低い位置で存在しておりますので,見落とし注意です。しかも,別名の「暘谷城」表記です。
7月の遠征も,雨スタート。この数日後,災害級の大雨となりました…。

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ぴーかる

蜂須賀城 (2022/07/22 訪問)

【蜂須賀城】
<駐車場他>蓮華寺駐車場
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾14城目。蜂須賀城の築城年は定かではないが、鎌倉時代より土豪の蜂須賀氏がこの地に住んでいました。戦国時代、蜂須賀正勝の父蜂須賀正利の時に織田信秀との対立で土地を奪われてしまい宮後城に移り住みます。
 現在遺構は残されておらず、蜂須賀小六正勝公碑と右横に蜂須賀城址の石碑があるのみです。

<満足度>◆◇◇

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