【鳥屋城】
<駐車場他>鳥屋城山公園公衆トイレ前に3台程駐車できる。<34.063573,135.260068>から狭いが西へ入る。
<交通手段>車
<見所>石垣・堀切・眺望
<感想>日帰り和歌山山城攻め4城目。現地説明板によると鳥屋城の築城年代は明らかではないが、1379年に山名義理が南朝征伐のために石垣城(鳥屋城の別名)を攻めたとあり、南北朝時代には南朝方の城であったことがうかがわれます。室町時代には紀伊国守護の畠山氏が入国し畠山氏や城代の神保氏が治めました。1585年に秀吉の紀州攻めに際して神保氏が内通して城は落城したとあります。
鳥屋城山公園に城跡碑・説明板・展望台・遊具があります。公園から山頂の城跡まで1300mの登山ですがハイキングコースになっているので苦はなく登れます。登城距離は長いのにもかかわらず現在は登城途中に表面観察できる遺構は特には見られず、いきなり山頂部の城跡に着きます。城跡は東西に長い細尾根を削平しています。登った所の左手が段になって虎口・門跡のようにも見えます。その先の西端に広めの曲輪、尾根の南側全体に帯曲輪(帯曲輪が曲輪で尾根を背後の土塁としている見方もできる)を通しています。城跡の中心部の尾根に堀切を設けていて、堀切から東側の曲輪にはかつて後世に社(現在は倒壊している)があった曲輪壁に石垣、その下の帯曲輪に石列、帯曲輪の斜面に石垣が残されています。ここら一帯が東端になり、その東側は切岸・堀切跡になっています。
東端の石垣・石列の残る一帯が主要部のようですが比較的に細めの尾根上の削平地で戦国期以降によくみられる広い主郭をもつ城跡ではない。南北朝時代以前に詰め城として築城されて以降、地形の改修を行わず廃城となったのだとしたら、古い縄張り遺構がみれて見所はあった。
<満足度>◆◆◇
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