古くは南北朝時代に名和氏の一族の上神高直が築いたとされています。天正元年(1573)この地方に勢力を伸ばしてきた宇喜多直家石山城(岡山城)に入り、城を改築したそうです。その後、さらに勢力を広げ備前、美作、播磨、備中の一部まで支配する地域を広げたそうです。宇喜多秀家の時代にさらに城の改修が進み、城も岡山城と呼ばれるようになったそうです。
関ヶ原の合戦の後は小早川秀秋が入りますが、嫡子も無いまま、すぐに亡くなってしまったので池田輝政の次男・忠継(当時5歳)が入ります。忠継も慶長20年(1615)に亡くなってしまったので、忠継の弟・忠雄が31万5千石で入ります。小早川、池田の時代にも城は改修され続けようやく縄張りの完成を見たようです。
このインパクトのある天守も太平洋戦争の岡山大空襲で焼失し、鉄筋コンクリートで再建されています。その際に瓦に桐の紋を入れるなど宇喜多秀家の意匠も取り入れているようです。
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