玉川警察署付近が城址と言われています。近くの都立園芸高校前に城址碑があります。ちなみに庁舎の撮影は控えましょうね。警官が出てきて注意を受けました。怪しまれたかな・・・。
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2023/11/12 22:14
2023/11/12 22:08
土の城の魅力満載 (2021/05/03 訪問)
武蔵嵐山駅から徒歩40分ほど。地元の方が整備してくださっており、藪もなく見学しやすいです。
空堀、土塁、馬出を駆使した技巧的な縄張は必見で、見飽きることがありません。歴史的なことはほとんどわかっていませんが、「土の城」の魅力を初心者に伝えるには最適な城です。
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2023/11/12 21:58
皇居一般参観 (2023/06/16 訪問)
平日の午前・午後に皇居一般参観があり、富士見櫓や伏見櫓を間近で見られます。所要時間は1時間15分。
事前予約枠は埋まりやすいので、当日券狙いで行きました。それでも、外国人観光客を中心に朝早くから並んでいます。
整理券の配布は午前9時からで、当日枠は140人。平日でも枠はいっぱいでした。歴史的建造物の他、宮殿や宮内庁庁舎も見学できます。
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2023/11/12 21:35
浜松の歴史を改めて再認識出来ました (2023/04/23 訪問)
浜松城は3回目の訪問でしたが、お城巡りツアーでは、浜松城はお城を見たら直ぐに移動が定番だと思います。どうする家康館のチケットプレゼントに社内応募したら当選してしまい、札幌から飛行機で向かう羽目となりました。今回の目的地は浜松なので初めて街中も散策する機会を得ました。たとえば、椿観音に行きたくても街中の案内表示はあまり親切ではありません。浜松駅の観光案内所、浜松城で市内観光のパンフレット、地図等は見つけられませんでした。やっとの思いで椿観音に辿り着き、そこでやっと市内観光のパンフレットをゲットしました。
お城の外周をお寺を見ながら散策しましたが、浜松城の外周の地形から、ここにお城が存在した理由を肌で感じることが出来ました。攻めるのが難しい城であったことが想像出来ます。周辺一帯の発掘調査等があれば、まだまだ地下にも宝が眠っていそうな気配を感じるお城であり、可能な限り往時の縄張復元等、このお城の魅力を取り戻す余地があるお城と思います。現在は、企業城下町でもある浜松市の経済力で是非、魅力ある浜松城の復元に期待したいですね。
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2023/11/12 21:33
江戸時代島津氏の居城 (2023/11/10 訪問)
御楼門が復元されたので、城らしくなりました。鹿児島の新しいシンボルになるといいですね。御楼門の前の歩道には、石垣の断面模型が造られており、良い展示だと思いました。城址に建つ黎明館には多くの歴史資料が展示されていて、志布志城と出水麓のジオラマが見ものです。なぜか鹿児島城のジオラマでなかったのかが不思議です。
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2023/11/12 21:32
11/12 どうする徳川家康(関ケ原)
11/12の「どうする家康」で関ケ原は決着、見事に私の投稿の前に終わってしまいました(😩あ~笑)。
とりあえず、私が密かに期待していた三成と吉継の友情物語はあっという間に簡略化されましたが、淀殿(北川景子)の演技の迫力にはビックリしました(夫のダイゴはもっとビックリしたかも?)、三成(中村七之助)の最後の演技にも感動しました。
欲を言えば、三成が家康を関ケ原に誘ったような話にしたのは逆ではないか? 関ケ原に誘ったのは家康だったはず・・・ 淀が輝元をけしかけたのも逆ではないか? 秀頼出陣を止めたのは淀だったはず🤔・・・ 阿茶が本当に淀に直談判した?・・・ 義弘は家康の前を素通りはしていないはず・・・ 直政が狙撃された場所はあそこではないはず・・・ などなどと疑問点は多々ありますが、ここは脚本家とNHKの判断なのでこれくらいで。
番組最後の家康ツアーでは、桃配山や松尾山、石田三成陣跡、吉継自害の地、関ケ原古戦場記念館、家康最後の陣(首実検場)などが紹介されました。私が桃配山からの笹尾山、笹尾山から見た松尾山、赤坂の陣、六条河原もドラマが私の投稿と同じ視点で描かれたのには感動しました。知れば知る程に奥が深い関ケ原、私もまた行ってみたくなりました。皆さんも是非一度は、関ケ原古戦場記念館を訪れてほしいと思います。そして各陣跡巡りも経験されてみて下さい。これまでの話が実によくわかると思います。
私の投稿はこの先、島津の退け口とそこから徳川幕府と徳川政権がどうやって安定できたのか、そこに注目して(24,25,26人目)を相変わらずマイペースで脱線しながら追って行こうと思います。できれば最後まで気長くお付き合い願えればと思います。よろしくお願いします。
また長々とつぶやいてしまい、すいませんでした~😊
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2023/11/12 21:15
南九州で天守のあった城 (2023/11/09 訪問)
天守跡への登城路は、麓の城址に建つ鶴松館の裏から大手道と中の道の2つがありますが、大手道の方は途中で崩落しており通行禁止となっていました。中の道は通行できるとはいえ、なんとか復旧した程度で足元には十分な注意が必要です。通り抜けはできませんが、シラス台地の特徴を生かした大手道の堀切道は見ものです。
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2023/11/12 21:13
屏風折れ土塀の西尾城 (2023/07/22 訪問)
暑い7月に訪れた愛知県西尾市の西尾城。
岡崎平野を流れる矢作川。嘗て下流部は現在より東の低地を流れていたとのこと。
そのエリア吉良荘の北西、碧海台地の舌状部に築かれた城。
鎌倉初期に三河の守護となった足利義氏の築城と伝わる吉良氏の西条城が起源。
桶狭間後の1561年に家康家臣の酒井正親が城主となり、一説ではこの時に西尾城と改名。
以後、城主は度々変わり田中吉政が三之丸を造成、江戸初期に太田資宗が大改修を計画。江戸後期は大給松平氏5代が治め幕末を迎えました。
現在は、本丸・二之丸・姫丸が西尾市歴史公園、東之丸が小学校、北之丸・三之丸などは住宅地に。
実際に訪れると、想像以上に高さのある台地に築かれた城。
珍しい屏風折れ土塀の立つ二之丸から、土橋を渡り土塁が残る本丸へ。
資料館観覧後に尚古荘へ行くと、庭園に土塁と櫓台の痕跡。
更に石柱が立つ城下の門跡を巡り滞在時間は3時間。
最後に冷たい抹茶スイーツで涼しんだ、私の城郭巡りの157城目でした。
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2023/11/12 19:18
伊東氏の巨大な本城 (2023/11/09 訪問)
とにかく広い。周りにはいくつかの出城もあるので、それらを含めるとかなり広い城域となる。もともとの地形もあったとは思うが、これだけの城を構築するには相当の土木量が必要なはず。伊東氏がいかに勢力を誇っていたかが想像される。各曲輪の土塁もかなり残っていて土づくりの城を満喫できる良い城でした。ちょうど数日後にお城まつりがあるタイミングだったため、草刈りなどがされていてBestな状態で見ることができたのはラッキーでした。
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2023/11/12 18:54
城下町もすばらしい伊東・島津攻防の城 (2023/11/08 訪問)
建物は残っていないが、復元された大手門や御殿は当時の雰囲気を感じさせる。大手門を過ぎて犬馬場の石垣に圧倒される。また旧本丸に残る石垣も立派。旧本丸は数回の地震で被害を受けて、麓に本丸を移したということだが、石垣はきれいに残っていた。さらに城下町の武家屋敷通りの景色も非常に良かった。お城と城下町を合わせて楽しめる良い城です。
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2023/11/12 18:45
2023/11/12 18:03
藤沢周平時代小説の舞台「海坂藩」のモデル鶴岡(鶴ヶ岡)城下 (2023/11/05 訪問)
歴史好き仲間との秋の遠征で、鶴岡市・酒田市に。今回のテーマは①かつて北前船の寄港地として栄えた鶴岡市加茂の町並み散策、②芭蕉おくの細道出羽路の足跡を辿る、③藤沢周平直木賞受賞50周年にちなみ、彼の時代小説の舞台、「東北の小藩海坂藩」のモデルと言われる庄内藩の城下町鶴岡散策でした。
加茂地区は今は「クラゲの水族館」が人気となり多くの観光客を集めていますが、かつては酒田と共に回船問屋が集まり栄えた場所。今は漁港に付随する町ですが、かつての繁盛ぶりを感じさせてくれます。
おくの細道出羽路では、尾花沢を発った芭蕉は新庄を経て最上川を下り出羽三山へ。鶴岡(鶴ヶ岡)では長山五郎右衛門(俳号は重行、100石取りの庄内藩士)宅、酒田では伊東玄順(俳号は不玉、医師)亭に逗留して歌仙を巻き、象潟を目指します。
ご存知のとおり藤沢周平の故郷は鶴岡です。彼の時代小説の武家もの(主に短編)に描かれている「東北の小藩海坂藩」の居城や城下町の風情は鶴岡がモデルと言われています。城の外堀の役目をしている「五間川」は位置的には内川がモデルのようであるし、「美しい五層の天守閣が町の四方から眺められる」という文章には平城の鶴ヶ岡城にも五層天守が欲しかったという思いが感じられます。実際、鶴ヶ岡城址の本丸には南西隅に多門櫓、北西隅に二層の隅櫓があったようですが五層天守を置くとしたら、どの場所が適していたのだろうかと考えながら紅葉が美しい城址を散策することができました。
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2023/11/12 17:54
2023/11/12 17:50
2023/11/12 17:45
2023/11/12 17:41
2023/11/12 17:28
2023/11/12 17:24
家康初陣の地と云われ、渡辺半蔵守綱が構えた陣屋 (2023/11/04 訪問)
寺部城は、1469〜1487年に鈴木重時によって築城され、戦国時代は鈴木氏の居城でした。
1558年、鈴木重辰(日向守)は今川方から離反し織田方に付いたため、今川方が寺部城を攻めた戦いでは、家康(松平元康)が初陣を飾ったと云われます。
江戸時代には、徳川十六将の1人でもあり尾張徳川家家老の渡辺半蔵守綱の領地となり、寺部城の地に陣屋を構えました。
主郭は寺部城址の森公園として整備されています。
南東側の櫓台のような土壇上に城趾碑があります。
江戸時代以降の陣屋時の建物の礎石・石材が良く残され、他ではあまり見たことがなく珍しいです。
母屋・土蔵(2ヶ所)・書院・茶席の表示があり分かり易く、井戸跡は3ヶ所あります。
西側の薮の中には、鈴木氏時代の遺構とされる土塁があります。
主郭の東側の三ノ郭にかつては渡辺家家臣の屋敷が並んでいて、今は豊田市有形文化財の遊佐家長屋門、旧松本家長屋門(土日は内部見学可)が残されています。
そのすぐ東側の渡辺家菩提寺である守綱寺には、初代守綱と渡辺家代々の墓所があり、四角い墓石で珍しいです。
寺部城から東へ約1.3kmの場所には、寺部城攻めの時に家康が岩に掛けて采配を振るったと言われる烏帽子岩があります。
豊田市の挙母城(七州城)に寺部陣屋の書院・茶室を移築復元した又日亭があり(先行し挙母城で投稿)、安城市の城郭寺院 誓願寺の山門は寺部陣屋の城門を移築したものと云われます(2023年1月訪問)。
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2023/11/12 12:38
七州城と呼ばれた内藤氏の居城 (2023/11/04 訪問)
挙母城からは七か国を望むことができたため、七州城とも呼ばれた内藤氏の居城です。
それまでの居城の桜城(挙母城)は矢作川の水害があったため、挙母藩二代藩主の内藤学文は、1779年に童子山丘上へ挙母城の移転を決め築城されました。
現在、本丸は豊田市美術館の敷地となっています。
南西側に隅櫓が復興されています。
隅櫓の石垣は当時の遺構とされ、切込接・布積、角は算木積の綺麗な石垣です。
西側には、同じ豊田市の寺部城の書院・茶室を移築復元した又日亭があります。
蓮池跡の南側の道路脇に堀状が見え気になり、遺構ではないかもしれませんが写真を撮りました。
挙母城は3年ぶりでしたが、今回はかつての城下町も巡り、挙母城から移築と云われる米蔵門なども見ることができ良かったです。
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