湊城は神明社境内と児童公園のあたりに築かれていたようです。湊安東氏の居城とされ、安藤盛季の弟、鹿季を祖としており応永元年(1394)秋田の「湊」を討ち取り湊に移り住んだと城郭体系には記されています。この「湊」というのが当時この地を支配していた上国安東氏を指すのかは不明ですが、鹿季は湊氏を称し秋田城介(出羽国秋田城を管轄した国司の通称)を名乗ったとされています。
湊城は慶長9年(1604)に佐竹義宣によって破却され土地湊町の下地になったそうです。
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2023/12/20 20:38
神社と公園です。 (2021/05/05 訪問)
湊城は神明社境内と児童公園のあたりに築かれていたようです。湊安東氏の居城とされ、安藤盛季の弟、鹿季を祖としており応永元年(1394)秋田の「湊」を討ち取り湊に移り住んだと城郭体系には記されています。この「湊」というのが当時この地を支配していた上国安東氏を指すのかは不明ですが、鹿季は湊氏を称し秋田城介(出羽国秋田城を管轄した国司の通称)を名乗ったとされています。
湊城は慶長9年(1604)に佐竹義宣によって破却され土地湊町の下地になったそうです。
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2023/12/20 18:40
にのまるさんクイズ解答~万代シティバスセンターのカレー~ (2023/12/20 訪問)
越後に住んでいると,横浜海軍カレーや神戸のカレーにあこがれをいだきます。大別して,西日本は牛肉で東日本は豚肉。個人的に,「万代シティバスセンターのカレー」がブレイクするのは驚きです。いたって普通。家庭の味。それ以外の形容が見当たりません…。
せっかくなんで,万代シティの現在の様子も撮影してきました。画像ではわかりづらいですが,吹雪です。
そうそう,にのまるさんは,水戸城の絵札(♬TRAIN TRAIN走ってゆく,TRAIN TRAIN堀の中♬)と,五稜郭の絵札(夜景)も採用されておりました。
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2023/12/20 18:31
小笠原氏城跡 (2023/11/23 訪問)
【林小城】
<駐車場他>駐車場はなし。4駆車で車高あれば登山口砂利道の奥、ゲート前に停めれそう、または<36.226087, 138.002368>にチェーン脱着場があるのでそこでも良いかと。
<交通手段>車
<見所>石垣・竪堀・堀切
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅初日2城目。「日本100名城、続日本100名城に負けない名城 第20回小笠原氏城跡②」で取り上げられた林小城に行きました。
登山口のゲートを開けて入ります。山は整備され登山道がありますので迷う事はありません。入ってすぐほぼ麓付近に地獄の釜と呼ばれる井戸があります。城跡へは山の東側から真っすぐ南下し登って、折り返して北上して真っすぐ登り北の曲輪群に行き着きます。まず主郭背後から東斜面に落ちる大竪堀がドーンを見え、上方で主郭背後の堀切と竪堀が1つとなって大竪堀として落ちています。下から見上げると圧巻です。たどり着いた北の曲輪群ですが、特集の縄張り図では小さな無数の曲輪群がなんとなく描かれて記述されていますが、私の実際見た感想は当時はゆるやかな斜面に横幅の相当広い曲輪が棚田の様に段々と落ちていっていたように感じます。所々曲輪壁が明瞭に残されている曲輪跡が結構広く大きいので。
主要部分は主郭を中心に手前に2・3郭を配し、両サイドに腰曲輪があります。主郭は小さく土居(たぶん石垣の)囲み、南後背に土塁があり堀切があります。主郭の曲輪壁には上方に鉢巻き石垣が取り巻いています。石垣跡は主郭背後の土塁部分、主要部虎口、2・3郭の曲輪壁にも残されていて探すのが楽しいです。2郭の石垣跡は虎口や西の尾根曲輪から点々と見られます。納得の日本100名城、続日本100名城に負けない名城、見応えありました。
<満足度>◆◆◆
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2023/12/20 08:13
竹木の中の天守台 (2023/09/09 訪問)
(お恥ずかしいところをお見せしましたが、切り替えて平常運転で…)
青春18きっぷの利用期限が迫っていることもあり、この日は電車でニッポン城めぐりのイベント「元亀争乱」のスポットをめぐりました。まずは近江高島駅構内のQRコードを読み込んで打下城をポチ制覇。打下城にはいずれ登城するつもりですが、30度を超える暑さの中、山城に登る根性はありません。とはいえ、ポチだけで帰るのもつまらないので、イベントとは無関係ながら駅を出て大溝城へ。
大溝城は、織田信長が琵琶湖水運を掌握する城郭ネットワークを形成するために甥の織田信澄に築かせた城で、信澄の義父にあたる明智光秀の縄張と伝わります。本能寺の変で信長が討たれると、光秀に従って蜂起することを恐れた織田信孝らに攻められて信澄は大坂城千貫櫓で自刃。その後、丹羽長秀、加藤光泰、生駒親正、京極高次と次々に城主が替わった末に廃城となり、部材は水口岡山城に運ばれました。
駅から二の丸推定地の病院駐車場を抜けると本丸の天守台に至る…はずが、出口を間違えて乙女ヶ池畔の遊歩道に出てしまいました。大溝城は琵琶湖の内湖である洞海(乙女ヶ池)を堀として取り込んだ水城であり、遊歩道からの眺めには往時の雰囲気が感じられました。それにしても、遊歩道は手すりなどがずいぶん老朽化しているなぁ…と思っていたら、先日のしんちゃんさんの投稿で通行止めになっていることを知りびっくり。歩いている時に崩落しなくて良かった…。
湖畔の遊歩道から北西に進むと天守台が見えてきます。野面積みの石垣を見ていると神戸(織田)信孝の神戸城天守台が思い出されました。織田氏一門で天守台の特徴が似ているんでしょうか。天守台の南西部には大溝城跡の石碑と大溝城本丸跡の説明板が2つ建てられています。説明板脇の石段から天守台に上ると、社なり祠なりがあったんでしょうか石材や手水鉢が放置されていました。天守台の北側に下りて行くと、草木や竹が茂ってはいるものの、北西隅~北辺~北東隅~東辺にかけてもしっかり石垣が確認できました。
天守台を離れて介護施設脇の小道を北に進み、車道に出たところに大溝城三の丸跡の石碑があります。三の丸跡石碑の北西すぐ、近江高島駅口交差点前の広場には「織田・京極・浅井家にまつわる大溝城」のパネルが展示されていました。また、広場から北北西に徒歩5分の勝安寺の本堂は大溝城の書院が移築されたものと伝わります。
ほとんど天守台くらいしか見どころのない城ですが、その天守台は竹木に覆われつつもなかなか見応えがありました。続いては、大溝城の三の丸跡に設けられた大溝陣屋と城下町をめぐります。
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2023/12/20 07:16
2023年最高の紅葉 (2023/11/24 訪問)
平日の出石は初めてです。駐車場がガラガラで吃驚です。この秋は残暑から一転、気温が急降下して家の近辺では美しい紅葉を見られずじまいでした。出石城の紅葉は2023年に見た紅葉の中では最もきれいに色づいていました。城下町も休日とは比較にならない快適さ。有子山城に登ったあと、昼食の出石蕎麦にも待ち時間なしでありつくことができました。お土産に田吾作のおはぎを購入いたしました。
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2023/12/20 01:22
2023/12/19 23:34
信玄狙撃説が残る城 (2022/10/08 訪問)
二川宿本陣資料館から湯谷温泉へ向かう途中に立ち寄り登城。城址沿いに駐車し登城開始。
信玄狙撃場所の案内板を目にし、何とも言えずじんとくる。日没間近の登城のため、場内は徐々に暗くなり20分ほどで下城。
城址近くの店舗に野田城パンフレットがあるとの案内板を頼りに店舗を訪ねるも、留守のためか応答なくパンフを入手できず。残念。
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2023/12/19 22:34
古代のロマンがあふれる「幻の柵」 (2021/05/04 訪問)
少し古い写真で申し訳ないが払田柵の投稿です。払田柵は古代の城柵で詳細不明の「幻の柵」と呼ばれています。小高い丘の中央に政庁を置き東にも掘立柱建造物の跡があります。丘の周囲に外壁を設け東西南北に門を設置してあります。北門の周囲には大溝(水堀)が再現してあり、さらに周囲にも外柵が設けてあったそうです。軍隊も駐留していたらしく、城柵としての機能は一通り備えてあったようです。
外郭南門と周囲の石塁が再現され古代のロマンを感じ取ることができます。
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2023/12/19 22:08
華やかな二の丸。かわいそうな本丸。 (2021/05/04 訪問)
横手城は戦国期には小野寺氏の城でした。このあたりは豊臣の天下の頃から江戸時代まで、領主が良く入れ替わり面倒なのですが佐竹氏の時代に城代が置かれ元和6年(1620)の一国一城令の際にも横手城だけは佐竹義宣の働きかけによって破城を免れたようです。
現在の縄張りは佐竹氏の時代のものらしく模擬天守が二の丸に建っており、城代が置かれた本丸は秋田神社になっています。本丸と二の丸の間に武者溜りがあったようです。小野寺氏の時代、主郭の周囲の切岸には韮を植えて土留めとし、敵が登って来るのを防いだそうです。
(ニラは滑るらしい)
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2023/12/19 21:55
こんなところにまーるいお城 (2023/04/16 訪問)
草津と大津を結ぶ最短距離の水運基地として近代まで活用された山田港のそばにあって、山田氏が使っていたお城なのだそうだが、その姿は方形単郭ではなく円形単郭だったらしい。こんなところにも「まーるい城」があったのか。
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2023/12/19 21:13
今年は!!
毎年欠かさず、年によっては3日連続で通い、EXPO検定にも(ノー勉で)果敢にチャレンジしてきた年末横浜の祭典ですが、
今年はまさかの……不参戦でした(@ ̄□ ̄@;)!!
みなさまの参城報告、読ませていただいております。
参加された方々よりもアツ~く語っておられるイオさん☺️
イオさんのもとにかるた(実物)が届きますように!
todo94さんのご投稿には、初めて平山先生の生声を聞いたときの衝撃を思い出しました。“天正壬午の乱”は平山先生の命名なんですよね。
そして、“いつできるの?”“ほんとにできるの?”と気になりつつも声に出せない投稿者たちの思いを一身に背負い、かるた大使として中央とコンタクトを取ってくださった朝田さん。ありがとうございます。
お礼にクイズです。
↓の写真は現地調達した兵糧です。どこでしょう!?
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2023/12/19 19:26
道灌堂 (2023/10/03 訪問)
豊島氏館から徒歩で40分ほどかけて移動し登城。最寄り駅のJR赤羽駅からは徒歩5分ほどです。
赤羽駅側の城跡の東側の石段の所に立派な石碑があります。石段を登りきった静勝寺の山門前に説明板が設置されています。
ここの石段はけっこう段数がありました。
城跡は静勝寺になっていて、城の遺構はありませんでしたが、境内には築城者の太田道灌の木象を安置した道灌堂があります。
また静勝寺の南側の山門脇にも、稲付城の説明板が設置されています。
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2023/12/19 18:34
2023/12/19 13:11
鹿野城探訪 (2023/12/09 訪問)
鹿野城は鳥取市の鹿野町にあるお城です。戦国時代の亀井茲矩の居城跡とのことです。
天守跡は御城山に登る必要がありますが、麓に堀、二の丸(出丸)跡、本丸跡があります。
「カフェしかの心」横の観光駐車場に停めて散策しました。(駐車場入口が狭いので注意が必要です)
二の丸跡から本丸跡へアクセスしようとしましたが、二の丸跡奥が学校の敷地となっているため良く分らなく、断念しました。
桜の名所とのことですので、桜の時期に再訪したいと思います。
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2023/12/19 08:54
シンデレラ気分……から一夜明けて
朝田 辰兵衛さん、お城EXPO 2023のレポート(写真も)ありがとうございます。かるたでは和歌山城の絵札も採用されていましたか。お知らせありがとうございます。定番ショットだからでしょうけど、配慮があったのだとしてもやはり思い入れのある城で選ばれるのは嬉しいものです。朝田さんは絵札4枚と読み札3枚ですか! さすがですね。
ところで…
昨日の投稿を一晩明けてから読み返してみると……何だこりゃ…。嬉しさで舞い上がってしまっていたとはいえ、50過ぎのおっさんがシンデレラ気分とか正気を疑いますね。おかしなテンションになっている自覚はありましたが、お見苦しいものをお目にかけました。美夢さん、チェブさんも巻き込んでしまい申し訳ございません。顔から火が出る思いです…。
ただ、朝田さんからもかるたのお知らせをいただいたように、舞踏会(EXPO)に行けなかった灰かぶりに舞踏会の様子をお伝えくださる心優しく親切な城びとさんは、性別を問わずみんな舞踏会に参加する資格のあるシンデレラだ、ということで…(まだ言うか)。
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2023/12/19 07:22
熊本城 (2023/11/23 訪問)
場内常設がとても良い、隈本歴史から、加藤清正まで勉強出来ました。
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2023/12/19 07:16
甲府城 (2023/09/06 訪問)
夜に入城したら気持ちいいです
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2023/12/19 07:12
武田神社 (2023/12/06 訪問)
ミュージアムにも寄ることをお勧めします
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2023/12/19 07:07
松本城 (2023/09/01 訪問)
周りの風景とお城がとても良い
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2023/12/19 07:02
畝状竪堀パラダイス (2023/11/24 訪問)
雲海が出なかった立雲峡から途中、朝食をとった後、向かいました。事前の下調べを全くしていなかったので、素晴らしい畝状竪堀には見事なる不意打ちを食らってしまいました。2023年初攻城の城のベスト3に入ること、間違いありません。畝状竪堀といえばハリネズミのような豊前長野城が有名ですが、写真撮影はなかなか難しいものです。此処の畝状竪堀は見栄えの良さ、写真撮影のし易さで群を抜いているかと思います。竹田城の雲海の穴埋めが十分にできました。ただ、主郭と思しき広い郭から北側の谷に下ってしまい、帰路は大きく遠回りをすることになってしまいました。
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