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にのまる

【かるた】備中松山城の読み札

天空の 浮き城 備中松山城

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織田晃司

写真でもわかる (2023/05/05 訪問)

深い堀が凄い。そして積み上げた土塁も凄い。

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ぴーかる

安芸松尾城 (2023/04/08 訪問)

【松尾城】
<駐車場他>駐車場はないようです。ゲート前<34.728305, 132.649547>またはゲート内側に入って適当に停めれそうです。城跡説明板は<34.726782, 132.650196>にあります。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁・主郭切岸
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅4城目。初投稿いただきます。現地説明板によると松尾城は安芸・石見の国人領主であった高橋氏の安芸国における拠点城郭で南北朝時代末期から室町時代初期に築城されたと推定されます。しかし、当時毛利方と敵対していた尼子方に高橋氏が属したため、1529年頃、大内方の毛利氏・和智氏の連合軍によって落城しました。その後高橋氏は滅亡し、この地は毛利氏の所領となったそうです。
 初投稿なので詳細に。上記ポイントのゲートを開けて北に進むと道路が左右の二又に分かれています。左手に進んで少し行くと右手奥の方にコンクリートの貯水槽が見えますのでその貯水槽の横を左折して軽トラ1台が通れそうな道幅の砂利道を進みます。砂利道最後の50mほどが灌木で埋まり進みにくいですが突込んで抜けると山に入ります。山は道はありませんが灌木が少ないので登り易いです。登り切った尾根上が主郭の西側の東西に伸びる尾根曲輪群の真ん中辺りに出ます。主郭西側の尾根曲輪群はあまり段にはなっておらず並行して帯曲輪が伸びている箇所があります。所々に大石が転がっています。主郭は主郭のみが高い位置にあり、切岸が急峻で東西の尾根を大堀切で断ち切っています。主郭内部は広く、東側には土居があります。東側尾根曲輪は西側よりは伸びていないようです。主郭の南側は比較的広い数段の段曲輪の連郭になっています。主郭と東西の大堀切はダイナミックで見応えがありました。

<満足度>◆◆◇

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WEST

犬山城探訪 (2023/05/02 訪問)

名鉄犬山駅より城下の本町通りを歩いて、犬山城を訪問しました。
犬山城は現存天守で、人気のあるお城です。そのためか、午前中から多くの人が訪れており、入場に待ち時間が必要でした。
(城内部の階段前でも行列ができますので、意外に時間がかかります)
現存天守の内部の作りをみながら最上階に上っていくと、ここから見る景色は素晴らしく、それも人気の一つでしょう。
登城後は、木曽川にかかるライン大橋まで足を運んで、是非天守を眺めてみてください。丘陵上にそびえる天守は一見の価値があります。

また、近隣に針綱神社、三光稲荷神社があります。時間があれば参拝するのも良いでしょう。

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うさ

横地城 (2023/05/21 訪問)

駐車場、少し迷いました。 御城印頂ける観光案内所が土日祝日お休みでゲットできず…要注意です。

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うさ

勝間田城 (2023/05/21 訪問)

堀切良かったです。
初夏で草が伸びていて遺構の確認が少し難しかったです。やはり山城は冬ですかね…。

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うさ

諏訪原城 (2023/05/21 訪問)

丸馬出し満喫出来ました!

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イオ

紀州九度山真田まつり (2023/05/05 訪問)

コロナ禍の行動制限も解除され、全国各地でお祭りが再開されていますが、このゴールデンウイークは長期予報では後半の天気は良くなさそうだったので遠出はせず、近場の「紀州九度山真田まつり」に行ってきました。当初は武者行列がある2日目だけのつもりが、子どもがどこかに連れて行けというので二日間ともの参加です。

1日目(5月4日)は、オープニングセレモニーに続いて真田鉄砲隊の演武です。2日目にも鉄砲隊演武はありますが、1日目は地元の紀州九度山真田鉄砲隊に加えて、信州真田鉄砲隊と大坂城鉄砲隊の来援を得て、大人数による大迫力の演武でした。とりわけ大筒隊の迫力たるや、びりびりと空気を震わせ、ベビーカーの赤ちゃんが驚いて泣きだすほどでした。

鉄砲隊演武の次はおしりたんていショー。子どもに「観て行く?」と尋ねると「そんな子どもじゃない!」と叱られてしまったので、出店を見て回り、スーパーボールすくいをして(子どもやん…)、1日目はここまで。

2日目(5月5日)は紀州九度山真田武将隊の演武から。武将隊の演武を腰を据えて観るのは初めてでしたが、アクションあり笑いありでなかなか楽しませてもらいました。

次いでは、桜花昇ぼるLIVE「真田物語」。桜花昇ぼるさんは元OSK日本歌劇団の男役トップスターで、OSK当時から真田幸村役を演じてこられたご縁から、九度山町の観光大使に就任することになったんだとか。さすがに歌劇出身だけあってキレのあるダンスと朗々と響き渡る歌声は見事なもので、幸村の心情を歌い上げた歌詞も良く、幾度となく胸に迫るものがありました。

そして、真田鉄砲隊演武(2日目は紀州九度山隊のみ)、勇壮な紀州九度山真田出陣太鼓が雰囲気を盛り上げたところで武者行列の出陣式があり、真田昌幸を先頭に、幸村・大助父子、真田十勇士らが鬨の声をあげながら九度山の町を練り歩きました。真田勢の他にも、子ども武者行列、大坂五人衆の後藤又兵衛や毛利勝永、地元和歌山から雑賀衆孫市の会、大河ドラマにちなんでか金陀美具足姿の徳川家康や本多忠勝ら徳川四天王の姿もありました。

例年5月5日あたりに開催されていますが、そこまで混雑することもありませんので、ゴールデンウイーク中のお出掛け先として、真田庵の訪問がてらどうぞ。
 

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橋吉

復元された土塁と櫓 (2023/05/05 訪問)

宇都宮市役所の本庁舎東駐車場を観光客用に無料開放しています。

城跡は公園として整備されていますが、本丸の西側のおよそ1/3しか復元されていません。
西側から入城すると、中央におほり橋、南北に復元された櫓が見られます。

大きな土塁の中にガイダンス施設(宇都宮城ものしり館)があります。
ここには復元模型も置かれています。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:前渡坪内陣屋(城びと未登録 岐阜県各務原市) (2023/04/23 訪問)

松倉城からの転戦です。標柱横(35.386251、136.878464)➡小公園の中に駐車しました。

前渡600石を領した旗本坪内家の陣屋で、坪内家は前渡、平島、三井の三家があり、前渡坪内家とも呼ばれています。
坪内家は加賀の富樫氏を祖とする一族とされ、坪内利定の二男坪内定安が関ヶ原合戦で戦功を挙げ旗本に取り立てられた。以降11代坪内昌壽まで続いて明治に至るそうです。

前渡坪内陣屋は稲羽東小学校の北側に築かれていたそうです。
稲荷神社を祀る小公園の所に陣屋の碑と説明板が設置されていますが、遺構は残っていません。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りはここがラストで宿泊先のホテルに向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:松倉城 (2023/04/23 訪問)

大野城からの転戦です。説明板前(35.370654、136.851907)に路駐しました。

1532年(天文元年)越前守護富樫氏嫡流の富樫頼定が犬山城主の織田信康(信長の叔父)に仕え尾張国葉栗郡松倉を領した際に築城したようです。
このころ、頼定は坪内姓を名乗ります。1548年(天文16年)に織田信秀により松倉城は強化されます。
織田信長の死後、頼定の曾孫の坪内利定は羽柴秀吉と不和となり、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いでは徳川家康側につきます。
しかし、池田恒興の軍勢に攻められ、やむを得ず松倉城に自ら火を放ち金山城に身を隠しますが、暫くして徳川家康に仕え、再び松倉城に入りました。
1600年(慶長5年)坪内利定は徳川家康の会津征伐に鉄砲隊を率いて参戦しました。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、鉄砲隊を率いて功績を挙げました。この功績により6,500石を治める大身旗本となり、拠点を松倉城から新加納陣屋に移っため、松倉城は廃城となりました。

堤防側に説明板、内陸側に祠(樫大神)があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=前渡坪内陣屋(城びと未登録 岐阜県各務原市)に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:大野城 (2023/04/23 訪問)

下奈良城からの転戦です。大野極楽寺公園バーベキュー管理棟駐車場入口(35.354511、136.823543)から進入し、駐車しました。
そこから、石碑前(35.354704、136.824656)に向かいました。

築城時期は不明のようですが、元京都石清水八幡宮の祠官の大野伊賀守治定が、織田信長の命により築城した城屋敷のようです。
1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉側の砦として利用されたと見られ、秀吉入城のために堀左衛門尉と岡田監物が無断で城の外堀を掘ったため、大野才兵衛(治定の子治久)と争いになったという話が伝わるそうです。戦後、治久(大野治長の叔父)は所領を没収されたそうです。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの前哨戦である河田木曽川渡河の戦いでは、東軍の一柳直盛に属しました。
廃城時期は不明のようです。

現在この地は、大野極楽寺公園の一部となっており、石碑があります。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=松倉城に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:下奈良城 (2023/04/23 訪問)

楽田城からの転戦です。一宮地域文化広場駐車場(35.322512、136.847635)に駐車し、説明板石碑付近(35.322684、136.848696)に向かいました。

1584年(天正12年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれたと云われています。
秀吉と信雄の講和がなった後、下奈良城の道具類を河田砦へ移すよう秀吉が命じており、ここに砦が築かれていたと考えられているそうです。

道路沿いに石碑と案内板があるだけで遺構はありません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=大野城を目指します。

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美夢

トク様、次は夢の旅ですね

トク様、返文ありがとうございます
今回は、熊本城、佐賀城、吉野ケ里と回りました
何処も楽しく&勉強になりました

次回は恋愛成就と10億円ゲットの旅、頑張ります
埋蔵金発見するか、宝くじ当たる御利益のある場所にしなくちゃですね
(⁠^⁠∇⁠^⁠)⁠ノ⁠♪

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美夢

【かるた】佐賀城の読み札

佐賀城跡 本丸 320畳

鯱の門 覗く大砲 佐賀城跡

逸材あり 鍋島直正 佐賀城跡

しゃれぼーたい 亀甲乱積 佐賀城跡


一句目
佐賀城の復元された本丸御殿の外御書院は
全て合わせると320畳の大空間
質実剛健な迫力がありました

二句目
佐賀城といえば鯱の門
近づくと中に佐賀藩が日本で初めて作ったという
鉄製の大砲が見えてきて
城への期待を高めてくれました 

三句目
佐賀藩10代藩主、鍋島直正さんは
財政、学問による人材育成、医師免許やワクチン(種痘)の導入
反射炉による鉄の精製と、大砲&蒸気機関の作製
と数々の革新をされた方で
入口にある銅像の大きさが、市民からの親しみを物語っていました

四句目
上五は、お洒落さん、がばい粋、でも良いかもしれません
南西隅櫓台のカラフルな亀甲積みの石垣は
佐賀城だけの特徴なので、是非、詠みたいと思いました

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トク

訪問お礼

美夢様
熊本城・吉野ヶ里と訪れていただき、お礼申し上げます。
楽しんでいただけたようでよかったです。
では次は、恋愛成就と10億円GETの城旅ですね(笑😊)

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にのまる

【かるた】岡山城の読み札

・濡れ羽色 纏いし天守 岡山城

・旭川 渡ってパチリ 岡山城

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にのまる

【かるた】津山城の読み札

・一二三段 桜いろどる 津山城

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にのまる

【かるた】津和野城の読み札

・赤瓦の町 眼下に広がる 津和野城

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にのまる

【かるた】松江城の読み札

・付櫓 狭間で防戦 松江城

・籠城戦 塩・水OK! 松江城

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