永禄4年(1561)、三好長慶がかつての主君、細川晴元を幽閉し周囲に土塁や堀を、巡らせて城塞化し
それを普門寺城と呼ばせたと伝わります。
合わせて普門寺の復興もされ、永禄6年(1563)晴元が死去した後、永禄9年(1566)には
三好三人衆に擁立された足利義栄が入り、ここで将軍宣下を行い
室町幕府の征夷大将軍に就任したとのことです。(wiki参照)
境内は国指定名勝「観音補陀落山の庭」があり、片隅には細川春元の墓と伝わる宝篋印塔があります。
北西と北側には土塁が残り、特に北側には堀の名残と思われる細い通路があり外側からも
フェンス越しに土塁を眺めることができます。
拝観には前日予約が必要とのことですが、コロナも収まってきていることだし
ダメもとでアポを取ってみたら幸運にも拝観させてもらうことが出来ました。
ひとしきり由来を説明していただいて、この寺が周囲より高地にあることも教えていただきました。
当日の予約は運に左右されるので基本は前日予約が望ましいです。
+ 続きを読む