青い空 白き石垣 今帰仁城
曲線美 自在な石垣 今帰仁城
大曲り 龍の背のごと 今帰仁城
美ら海と 今帰仁城跡 県北部
読み札のみの投稿です
石灰岩の白い石の曲線的な石垣と
南国の美しい濃い青空
美しい海(万座毛、美ら海水族館)
本州にはない美しさを詠んでみました
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検索結果・・・「」を含む投稿
2023/05/27 07:40
【かるた】今帰仁城の読み札
青い空 白き石垣 今帰仁城
曲線美 自在な石垣 今帰仁城
大曲り 龍の背のごと 今帰仁城
美ら海と 今帰仁城跡 県北部
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石灰岩の白い石の曲線的な石垣と
南国の美しい濃い青空
美しい海(万座毛、美ら海水族館)
本州にはない美しさを詠んでみました
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2023/05/27 07:28
2023/05/27 05:56
2023/05/27 05:48
松平東照宮が (2023/05/05 訪問)
松平氏館跡となります。石垣と水堀。井戸(産湯の井)が遺構となります。
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2023/05/27 05:25
(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:寺林城 (2023/04/25 訪問)
政元城からの転戦です。飛騨市コミュニティ消防センター付近(36.317022、137.272604)に駐車しました。
そこから、河への降り口(36.316892、137.271308)を経由して、標柱登り口(36.316064、137.271214)に着きました。
寺林城の築城者は不明のようですが、久米城之介という人物が居て、後に家老の玄番という人物が在城していたため「玄番城」と呼ばれていたらしいです。
そのためか、地元の方は玄番城と呼ぶ方も多いそうです。
登リ口に「寺林城跡」の標柱が建てられています。
標柱あれど草が深く登城路がわからない。
別の登城口はないかと川沿いをウロウロするがタイムアウトで断念しました。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=傘松城に向かいます。
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2023/05/27 05:21
(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:政元城 (2023/04/25 訪問)
向小島城からの転戦です。大国寺駐車場(36.301007、137.248605)に駐車しました。
伝説によると平治年間(1159~60年)悪源太義平が傘松城に拠ったとき、その家来の正本主馬がここに城砦を築いたのが始まりとされます。
その後、永禄・元亀(1558~73年)頃、江馬氏の家臣・吉村斉右衛門政元、吉右衛門政延父子が居城したと伝えられています。
1582年(天正10年)十六代続いた江馬氏の滅亡によりこの城も落ちたと伝えられています。
城は大国寺の西の丘の上にあり、丘の頂部に本丸があり、空堀で隔てて二の丸があります。
ここから更に山頂へ行くと、狼煙台があり土塁が残っていると案内にありましたが、時間の都合上、行っていません。
狼煙台は本城(現在の神岡城)に、いち早く敵の侵入を知らせる役割を果たしたと思われるそうです。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=寺林城に向かいます。
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2023/05/27 05:06
(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:向小島城 (2023/04/25 訪問)
小鷹利城からの転戦です。恵比寿神社前(36.247813、137.130187)に駐車しました。
電柱手前(36.248026、137.131298)から北の山への道を進み、突き当りのフェンス裏を右に50mくらい進むと谷の平坦地に着き、尾根に沿って直登すれば着くようです。
築城年代は正確には不明のようですが、戦国時代の16世紀前半頃築城されたようです。築城者は姉小路氏の姉小路家綱の子・藤原師信とする説があるようです。
飛騨国の国司であった姉小路氏が居城にしたが、1476年(文明8年)に姉小路氏の同族争いが起きて没落し、天文年間(1532~55年)には向井氏が居城にしていたようです。
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命令を受けた金森長近に攻められて落城し、その後に廃城となったようです。
入口標識から入り、直登できそうな所をしばらく探すが、雨で土が泥濘かつ斜面が急で諦めて撤退しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=政元城に向かいます。
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2023/05/27 04:59
(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:小鷹利城 (2023/04/25 訪問)
小島城からの転戦です。林道入口(36.252061、137.092573)から進入し、林道を1Km走った舗装が切れた場所に駐車しました。
荒れた林道を東へ400mくらい歩くと左側に平坦地、右側に岩場(36.249385、137.105417)があり、左に下り岩場を回り込むように進み、突き当りを左に行くと馬場跡の標柱のある入口に着きます。岩場から本丸まで10分くらいだと思います。
なお、岩場のGPS座標を経路入力するとググールでは対応できないので、あくまでポイントとしての目安にしてください。
築城年代は定かではないようですが、姉小路氏の庶流向氏(小鷹利氏)累代の居城とも云われるが、それを直接示す史料は残っていないそうです。
1583年(天正11年あるいは10年)に向家の幼君右近を後見していた牛丸又太郎重親が、逆心を起こして横領を企てました。
重臣の後藤重元はこれを察知して城を脱し、後藤重元・向井右近太夫(後の向右近宣政)・小鷹利某等は窮地を脱しますが、重元は防戦して戦死しました。
向宣政と弟である向俊政と小鷹利氏は母国の佐竹氏へ仕え、後に向宣政は姉小路頼綱の次女を妻としました。
八日町の戦い後、牛丸氏は討伐され、姉小路氏の城となります。飛騨征伐後の江戸時代には一国一城令により廃城なりました。
小鷹利城の本丸は南北に長く、南東側に虎口があり、それを降りた所が三ノ丸とされています。
三ノ丸は主郭の南下にあり東に虎口、東西を土塁で仕切られた小郭で、下の尾根に堀切があります。
三ノ丸の南は大堀切(写真撮り忘れました)となり、それを降りた所が馬場になっています。
本丸/二ノ丸/三ノ丸の全ての標識が壊れていました。
主郭の西斜面には畝状竪堀群があるようですが、よくわかりませんでした。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=向小島城に向かいます。
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2023/05/27 00:19
スケールが大きいね。 (2023/05/24 訪問)
久々の大坂城訪問。改めてスケールの大きさに感動しました。
石垣の姿が最高ですね。
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2023/05/27 00:19
【かるた】今治城の読み札
・一握の 海砂の夢 今治城
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2023/05/27 00:13
【かるた】丸亀城の読み札
・聳え立つ 天守気高き 丸亀城
・夕映えに 浮かぶ白壁 丸亀城
・瀬戸内の 凪にも似たり 丸亀城
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2023/05/26 22:41
【かるた】仙台城の読み札
五色沼 フィギュア発祥 仙台城
独眼竜 騎馬で迎える 仙台城
天守なき 仙台城の 大広間
大手門 復元を待つ 仙台城
読み札のみの投稿です
一句目
フィギュアスケート発祥の地である五色沼を是非詠みたいと思いました
二句目
仙台城で一番のフォトスポットはやはり伊達政宗騎馬像でしょう
大人気ですね
三句目
仙台城には天守は造られませんでしたが
本丸御殿には千畳敷と呼ばれた程の大広間があったそうです
(実際には430畳程だった?)
四句目
仙台城の大手門、調査&復元を進める予定だそうですね
脇櫓も一緒に建て直す予定だそうで、楽しみです
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2023/05/26 20:50
2023/05/26 19:26
笹薮が整備されれば百・続百名城に負けていない城跡 (2023/04/09 訪問)
【日野山城】
<駐車場他>駐車場あり<34.737362, 132.498778>4台程度
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣跡・土塁
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅2日目6城目。日野山城の築城は定かではありませんが吉川元春が1550年頃家督を相続したころから新庄小倉山城から移り本拠地としました。それまで砦のような構造物はあったようですが移転後に吉川元春が大規模整備拡張したようです。1582年に吉川元春は隠居して山麓居館を築いて移り住むようになってからは居住されなくなり、1591年に当主吉川広家が月山富田城に移封されるとともに日野山城は廃城となったようです。
日山城跡案内板から西に左折して常仙寺跡の麓の道路脇に専用駐車場があります。駐車場にも城跡説明板があり、縄張り図があるので写真を撮って登頂すると良いでしょう。駐車場から徒歩で道なりに奥へ進んで行きます。案内板がありますので迷うことはないでしょう。川を遡って進みます。そこそこ遡ると山方向へ入る案内板がありますのでそこから山を登ります。駐車場から30~40分程度で城跡にたどり着けます。私が訪れた時は城跡進入口に倒木がありました。城跡は東西に長く広大な城域で大きく東の中城地区と主郭を中心とした山頂地区とに分かれています。中城地区は米蔵などの広い曲輪が多く、土居が石積みの残る箇所が多く見られます。中城地区はあまり藪化してなく見応えがあります。中城地区から尾根上、山腹をつたって北地区に行きます。来た道を戻り城跡道を通って今度は山頂地区に行きますが山頂地区に入った所の大門の原という曲輪から笹が一面びっしりと埋まっており曲輪の輪郭ははっきりせず、ほとんど笹薮漕ぎ状態で進みます。本丸・二の丸を含めた広大な曲輪群のほとんどが笹で浸食されてしまい遺構がよく見えません。石垣遺構も沢山あるだろうと思いますが勿体ない事です。北西隅の三の丸の連郭は笹の浸食が少なくまだ割と見れます。
国史跡なのに‥‥、笹が無ければすごい遺構が露わになって続百名城に負けていない城跡間違いなし、広島県続百名城の三原城(小早川隆景の城、続百2つは要らないでしょう)より私は好き。
<満足度>◆◆◆
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2023/05/26 18:34
本日、石碑びと。 (2023/05/06 訪問)
先日、投稿した「横田城」の城主 頼業さんの お兄様 、宗朝さんが築城した「多功城」。
上杉軍や北条軍も撃退しました。
秀吉さんの、宇都宮氏改易により「多功城」は廃城です。
「多功城」は 『石橋ゴルフガーデン』の入口付近に立派な石碑がありました。
石碑をパチッ。
GWのUターンラッシュのトラフィックインフォメーションにビックリして、あわてて退陣してしまいました。
本当は石碑だけじゃない「多功城」です。
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2023/05/26 15:33
五稜郭探訪 (2023/05/18 訪問)
五稜郭を訪問しました。
近くの「五稜郭観光駐車場」に自動車を止めて行きました。
まず、五稜郭タワーです。五稜郭の全貌を把握するために最初に行きたいところですね。
(ガイドブック情報では、逆光となるため午後に行くのがベストとのことでした)
実際に見ると五つの稜堡と一つの半月堡が良く分かりました。また、内部では五稜郭の歴史が学べるように系統立てて展示がしてあり、良かったと思います。
五稜郭タワーを後にして、五稜郭を散策。ぐるりと回りながら稜堡と半月堡を実感してきました。
また、橋を渡り、表門を過ぎたところに紫と白の藤がきれいに咲いており、関東との季節の差を感じました。
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2023/05/26 14:25
2023/05/26 13:50
復元大手門辺りと満開のサツキ (2023/05/24 訪問)
天守閣がリニューアルされ4月1日より公開されいますがまだ登閣して無く、掛川城を訪ねました、車は有料大手門駐車場を利用して平成7年跡地より北に50m程の地に復元された大手門を潜り周辺を探訪、門前のサツキが満開で彩り鮮やか、大手門の欅の鏡柱、冠木、大梁、大柱は巨大で見応えあり、移築現存の大手門番所、一豊が秀吉の伏見桃山城手伝いの折り勧進した伏見稲荷を後醍醐天皇の故事にならい三光稲荷社を鎮座、まだ登っていませんが大手門の階段、掛川城の城主歴代が家紋と姓名の名札が掲示されて、大手門辺りでも探訪を楽しくさせてくれます。
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2023/05/26 11:03
志苔館探訪 (2023/05/18 訪問)
志苔館を訪問しました。
自動車での訪問のため、駐車場は先に訪問された方のインターネット情報で「志海苔ふれあい公園駐車場」の止めました。その駐車場から数分で着けます。
最初に見えてきたのが、和人、アイヌ方の慰霊碑です。ここが北海道ということが改めて認識できました。
みどころは堀、土塁でしょう。史跡としてきれいに整備され、四方に土塁が築かれた館跡が見て取れます。土塁外側下に降りて見上げるとその土塁高さを実感できました。
土塁に上ると、残念ながら下北半島は見えませんでしたが、津軽海峡を見ることができます。
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2023/05/26 08:37
とことん飯盛城(千畳敷郭周辺) (2023/02/11 訪問)
南北朝期に四条畷の戦いの陣城となっていますが、本格的な城郭としては戦国中期に木沢長政による築城が始まりで、太平寺の戦いで木沢長政が討たれると安見宗房が城主となり、戦国後期には安見宗房を敗走させた三好長慶が芥川山城から居城を移して現在見られる形に改修しました。三好長慶の病没後、織田信長の上洛によって三好氏から畠山秋高の城となるも、信長の河内平定に伴って廃城となったようです。
河内・大和国境となる生駒山地北西部の飯盛山頂部に位置する城で、発掘調査により多数の石垣だけでなく瓦や礎石建物の存在が確認されており、天下人・三好長慶の居城に相応しい先進的な城だったと考えられます。西麓には東高野街道が走り、大和川水運にも接続する水陸交通の要衝でもあります。
さて、この前週に輪中の城めぐりをしていますが、ほとんどが明瞭な遺構の見られない城だったこともあり、今度は見応えのある城に行きたい! ということで、続100名城の飯盛城にやって来ました。当初は野崎観音側から野崎城を経由して歩いて登るつもりでしたが、下調べで山頂手前に登城者用の無料駐車場が設けられていることを知り、登城道沿いに特に遺構がないのなら…と車で行くことに。阪奈道路を生駒側から向かったため分岐を行き過ぎてから折り返す必要があったり、分岐の先も対向困難な細道だったりはしたものの、キャンピィだいとうの少し先の駐車場から登城開始です。
駐車場からしばらく舗装道を進み、途中から山道に入っていくつかの削平地を抜けると虎口に行き当たります。虎口の両脇は石垣で固められ、東下には数条の巨大な竪堀が落ちていました。虎口の西上には南北三段の南丸があり、虎口に至る登城道を見下ろす東辺に土塁が設けられています。南丸の南西麓には畝状空堀群がある…はずですが、笹藪に沈んでいてよくわかりませんでした。
南丸の北側の広い曲輪を抜けると千畳敷郭に至ります。千畳敷郭は南北二段の城内最大の曲輪で、発掘調査で礎石建物や土師皿が出土しており、居住空間だったと考えられています。上段にはNHKやFM局の送信所が建てられており、北側は整備用の舗装道により改変されているものの虎口らしきものも見られ、南西辺には土塁が続き、南西下の尾根道は土橋を設けた堀切で遮断しています(ずいぶん笹藪に覆われていますが)。千畳敷郭北下の鞍部は高櫓郭との間を分かつ堀切となっていて、道路の改変は受けつつも東西両側に竪堀の痕跡が見られます。
なお、千畳敷郭の東下には馬場と呼ばれる曲輪があり、現在は楠公寺の敷地になっています。馬場北西の舗装道東下にはわずかに石垣が見られました。
(続く)
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