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しんちゃん

玄広恵探 最期の路 高山寺~玄広恵探の供養塔 (普門庵跡) (2021/03/06 訪問)

花倉の乱で敗れた玄広恵探(今川良真)は高山寺へ逃げ込みますが
そこにも追手が押し寄せ、普門庵に逃れそこで自害します。
享年20歳ですが、当時は数え年なので今の年齢でいえば19歳でしょう。
普門庵も今は跡地になっていて、玄広恵探の供養塔が建っています。
義元自身、大河ドラマなどでは桶狭間の合戦の周辺でしか出番がなく
玄広恵探が日の目を見ることはほとんどありません。
義元が恵探の夢や幻を見たという逸話も残っているようで
庶兄とはいえ身内を手にかけた後ろめたさのようなものが義元の
心の中にあったのかもしれないですね。

玄広恵探の供養塔 (普門庵跡)
静岡県藤枝市本郷889
34°54'59.0"N 138°12'09.1"E
34.916387, 138.202534

高山寺
静岡県藤枝市本郷

高山寺‥2022年の12月28日に火事にあって本堂や母屋4棟が
全焼してしまっています。
なんてことですか、また燃えてしまったんですね。
住所は藤枝市の本郷とだけ記載しておきます。


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しんちゃん

玄広恵探 始まりの地 遍照光寺城 (2021/03/06 訪問)

花倉の乱の当事者、今川義元の庶兄 玄広恵探は
幼いころに出家し遍照光寺(現・偏照寺)に預けられました。
遍照光寺の東に今川館跡があります。
偏照寺には今川氏家公、範氏公の墓があり
背後の山が遍照光寺城として詰めの城になっています。
登城道は無いので直登になりますが、フェンス沿いに登っていくと
北側に堀切が走っているのが見えるはずです。
山頂の尾根沿いに扁平地が広がっていて
主郭のエリアは思いのほか広そうです。
西側にも郭が段々に連なっていて、主郭を南側に歩いていれば
西の郭への降り口はなんとなくわかるのではと思います。

今川館
静岡県藤枝市花倉110-1
34°53'48.2"N 138°14'05.9"E
34.896708, 138.234974

遍照光寺城(藤枝市花倉)現・偏照寺
静岡県藤枝市花倉397-1
34°53'50.3"N 138°13'55.2"E
34.897315, 138.232002









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ぎりょう

吉岡城(宮城県黒川郡大和町吉岡) (2023/07/30 訪問)

今日は大和町教育委員会主催の郷土史講座に参加しました。この地は藩政時代に奥州街道吉岡宿があったところ。2016年にスケートの羽生結弦くんが出演して話題を呼んだ映画「殿、利息でござる!」のモデルとなった町です。今日は「吉岡宿を起点とする中山越出羽街道についてー街道を往来した人と物ー」という演題で、自身が所属する古文書を読む会の菊地優子氏が講演しました。猛暑にもかかわらず多くの地元の方々や歴史ファンが参加されていました。
この地は中世から交通の要衝であった場所で、元和2(1616)年には伊達政宗の三男宗清が17歳で配され、下草城から吉岡城に移りました。宗清が寛永11(1634)年に死去すると城(館)は廃され、現在は「城内」の地名のみが残っています。
城址は街中の最高所、保健福祉総合センターがある舘下地区にあり、城址碑が建っています。またその南西側には城内大堤公園があり隅櫓が復元されています。吉岡城は古絵図が残っておらず想像の域を出ませんが、城址碑が建つ上段の平場が主曲輪、一段低い大堤公園の付近がニノ曲輪であったのでしょうか。それぞれに土塁の痕跡や虎口跡と思える場所がありました。

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ぴーかる

軽海西城 (2023/07/15 訪問)

【軽海西城】
<駐車場他>さいがわ公園駐車場に駐車しました。円長寺前にも一時なら駐車できそうです。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾2城目。軽海西城の築城年、築城者は定かではありませんが稲葉氏が数代在城して、稲葉氏が東美濃に移住してからは西村勘九郎(のちの斎藤道三)も一時在城したそうです。1560年に織田家の家臣池田恒興の家老の片桐俊元が修築して居城としました。1589年には豊臣秀吉の家臣一柳直末が大垣城から移り6万石を領しましたが小田原征伐の山中城攻めで討死し城は廃城となりました。
 現地は現在円長寺となっていて南面に土塁が残っています。土塁はかなり竹藪っていて、コンモリ部分がよく分かりませんでした。戦国時代には東方に軽海東城もあったそうです。

<満足度>◆◇◇

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T-Shionoya

佐倉城 江戸の東の防御拠点 (2023/02/18 訪問)

2月後半の城郭巡り第2段は千葉県佐倉市の佐倉城。

千葉氏9代の本佐倉城から西に約4km。
同じ台地の西端、印旛浦に流れる鹿島川も要害となる比高約30mの鹿島山に築かれた土の城。

江戸の東の防御拠点として、江戸初期に徳川家臣の土井利勝が築城。
しかし元々は戦国期に千葉氏が築き始めていた城だったとか。
土井利勝以来、城主は堀田氏8代など頻繁に入れ替わり、8名の老中を輩出。
現在は佐倉城址公園となっており、梯郭式の本丸・二の丸・三の丸が緑の公園に。椎木曲輪が国立歴史民俗博物館、惣曲輪は中学校や高校となっています。

訪問時は大手門から入城し、椎木曲輪を経由し徐々に城の中心部へ。
復元された椎木門前の広い馬出は、堀の深さが本来は約2倍あったとのこと。
本丸から二の丸に掛けての立派な堀が樹木で存在感を潜めている印象でしたが、クランク状の三の門と二の門、本丸西側下に配置された2つの出丸はおもしろいところ。

最後は竹林のひよどり坂と武家屋敷通りを歩き滞在時間は約3時間半。
期待より城のオーラは小さかったものの、堅い虎口であっただろう佐倉城が、私の城郭巡りの149城目となりました。

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小城小次郎

ホテル建設時に大きく削られたらしい (2023/01/20 訪問)

西方院山城とともに古市氏が筒井氏に備えて築いたお城。日本を代表するクラシックホテルである奈良ホテルの敷地だがホテル建設時に10m以上も山を削っているらしく、現状からは城跡の明瞭な遺構を探すのは困難だろう。

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小城小次郎

明瞭な二重堀は15世紀のものらしい (2023/01/20 訪問)

かつては神社の裏側の鍵が壊れていた時もあったようだが今はがっちり施錠され、城内に立ち入ってよいのかどうかは判然としない(ので入っていない)。15世紀構築と推測される二重堀を残す貴重なお城なのだが。

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しんちゃん

おまけの諏訪原城。飛べ!諏訪原城!! (2021/02/20 訪問)

諏訪原城の駐車場近くに展示施設があるんですが
そこにある模型が案外良くできているんですね。
馬出しの模型ですね。馬だしメインですよ。
解っていらっしゃる。
香川氏のイラストも素晴らしい。
ナスカの地上絵みたいで、かっこいいですよね。
なんかこのまま空でも飛んでいきそうな感じですよ。
「ムー」の世界みたいですね。
あの咄家の先生のサインもありますよ。

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しんちゃん

馬出しは 武田のものだと 信じたい ・かるたの読み札 (2021/02/20 訪問)

諏訪原城は武田氏によって築かれ、後に徳川の手に渡りました。
その際に改修を受けているはずなのですが
私は縄張りや馬出しは武田のものだと思いたいんですね。
武田流築城術と聞くとテンションが上がりますよね。
別に徳川を否定するわけじゃないんですよ‥
ただ馬場美濃守の縄張りと思いたいだけなんですけどね。
3度くらい訪れているんだけど、広いですねここは。
その割には馬出しの写真を撮り損ねていたりするんですよ。
また涼しくなったら行ってみたいですね。
なんといっても駐車場も入場料もいらないですからね。
近所に住んでいたら毎日散歩に行きますね。

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しんちゃん

勝間田城のおまけ、牧之原市勝田 (2020/02/20 訪問)

勝間田城のおまけ
本丸周辺の写真が足りなかったので、追加で掲載させていただきたいと
思います。
二の曲輪を介して遊歩道で本曲輪にたどり着きますが
途中、東尾根曲輪に先に着くと思います。
その先に串ダンゴのように堀切と土塁状の土盛りが続き
その先にも曲輪があるのですが、それは後の楽しみにとっておいて
先に本曲輪を片付けます。
本曲輪と北尾根曲輪、南曲輪はみな遊歩道で往来が可能で
南曲輪の先も城域に含まれていそうですが
とりあえずそこまでにして串ダンゴを片付けて帰りました。

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しんちゃん

堀切で詰めの城とを遮断。遺構がすばらしい。長い保存を望む。 (2021/02/20 訪問)

勝間田城の城主・勝間田氏は古く平安の末期からその名が
知られ、室町時代に周辺の豪族と共に今川氏に反旗を翻し
善戦するも及ばず衰退していったようです。
その後、戦国の時代にこの城がどのように使われていたかを示す
情報は日本城郭体系にも各サイトにも出ていないのでわかりませんが
今川の勢力が強かったころは敬遠されて使われなかったということでしょうか?
城址は素晴らしく整備されていて、木もきれいに切り倒されて、
見晴らしは素晴らしいですが、城址の保水力は落ちるので土塁が少し心配です。
北側から登城道を通って、出曲輪、三の曲輪、二の曲輪を通って
本曲輪にいたるのですが本曲輪の四方にも曲輪を配置し、なかなかの念の入りようです。
二の曲輪の南側にも堀切が配置してあり、各曲輪は土塁で防御されています。
本丸の東尾根曲輪の先にも尾根上に堀切が五つも連なりその先の
東尾根上にも郭があります。
二の曲輪と三の曲輪あたりには建造物の礎石が残されているようで
堀切で詰めの城のエリアと居館のエリアを仕切っていたのだと
考えます。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「小瀬戸城」。 (2023/07/29 訪問)

埼玉県 飯能市の「小瀬戸城」に行きました。
と、言っても「小瀬戸城」は偶然 見つけましたので、いつもの如く脱線します。

「小瀬戸城」は、誰がいつ頃 築城したのか分りません。
入間川が下に流れてます。

*脱線します。ご注意下さい*
テレビ東京の番組で、タクシーの運転手さんがお勧めのレストランを紹介する番組を見た父。
早速『レストラン 雅』というお店をGoogleで確認すると、裏手に「小瀬戸城」のお名前。
向かうと、レストランはお祭りの為、臨時休業でした。
レストランの裏山が「小瀬戸城」のようで、急坂を上りましたが登城口はありません。
岩下堂観音がお祀りしてありました。
後で「小瀬戸城」を調べると、近くの飯能第2小学校の橫から攻められるようです。

因みに、第2希望だったレストラン『HAMA』は営業中。こちらはTBSの番組で紹介されたらしく、バナナマンの日村さんのポスターが貼ってありました。
でも 番組で訪れたのは、二宮 和也さんと多部 未華子さんのようです。こちらのお店、地元の方々に人気のようで、家族連れや年配の方、ツーリングのお兄さんと、賑やかでした。お店の方々も気さくです。

『HAMA』は大満足でしたが、父は、どうしても『レストラン 雅』が諦められないようでした。

なので、「小瀬戸城」の続編があるかもしれません。

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しんちゃん

日本城郭大系‥ あと2冊くらい揃えておこうかな (2021/02/20 訪問)

私、日本城郭大系 一冊だけ持っているんですよ。
第九巻・愛知・静岡・岐阜 ‥三重は無いのか‥
せっかくなので
「日本城郭大系」によると
匂坂城は遠江の国人領主匂坂氏が居住した城です。
遠江に進出した武田信玄は元亀元年重匂坂城を落とし
臣穴山梅雪を置いて守らせていた。このころの匂坂城は
武田氏の二俣城攻めに際し、掛川と浜松を分断する大きな役目を
果たしていた‥ とのことです。
wikiと違ってコピペできないのでちょっと面倒です。
現状石碑しかありませんが、グーグルで検索するともう一か所出てくるので
そこも訪問してあります。

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初芽

あの犬走りに連れてって🐕 (2023/07/29 訪問)

滞在時間:1時間
和歌山城でヘロヘロになり、休憩を挟んで岸和田城へ!
「いっそこの水堀を泳いで、犬走りまで渡ればクールダウンもできて一石二鳥では?」と思うくらいにとても魅力的でした笑(だめ)
夏だからか風鈴が飾ってあり、夏風を浴びつつ涼しい音を聞きながら八陣の庭を眺められたのは最高でした👍
スタイリッシュでかっこいい〜!

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初芽

🐯もお出迎え!魅力が詰まった雅なお城! (2023/07/29 訪問)

滞在時間:2時間
お城もそうだけど御橋廊下を一目見たかった!
渡った感想は意外と傾斜、あと足裏のツボに効く〜
姫路城と同じく、ぐるぐる回る連立式天守は中も外の景色もまた違って見えて本当楽しい!
その他にも高石垣、雁木、岡口門、緑色片岩石垣…とはしゃいで外で写真をたくさん撮っているうちに軽度の熱中症になってしまい、埋門と追廻門を見られないまま後にしました。
山城じゃなくても油断してはいけないと学んだ城巡りでした。
虎伏像の虎さんもすごく暑そうに見えたなあ🐯💦

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しんちゃん

粟ケ岳 (2021/02/20 訪問)

粟ケ岳は掛川市の山で、山頂まで車で行くことが出来
晴れた日は遠く富士山まで眺めることが可能です。
眼下には茶畑、大井川を見渡すことが出来ます。
式内社・阿波々神社を訪ねて訪問したのですが
思いもよらぬ眺望で写真を残してありました。

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しんちゃん

今川義元の庶兄、玄広恵探が籠った城 (2021/02/27 訪問)

花倉城は今川家の家督争いの際、栴岳承芳(今川義元)と戦い敗れた
庶兄、玄広恵探(今川良真)が籠った城です。
義元の兄が籠ったにしては、いささか小ぶりな城で
堀切や竪堀などの遺構はありますが肝心の曲輪はそれほど
大きくありません。
二の曲輪、本曲輪と見た後は尾根上に続く帯曲輪ぐらいしか確認して
おらず、北の尾根先に残る遺構は確認して無かったと思います。

恵探側についたのは母方の福島氏だけとみられ、最初から
分の悪い争いだったのでしょう。
織田信長や上杉謙信、伊達正宗など有名な武将は皆、親や兄弟と
争い歴史の表舞台に出てきます。
武力を以て己が目的を達成するのが武士の本懐であれば、親族や
主従の間で争いが絶えないのは必然なのかもしれません。

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しんちゃん

朝日山城。藤枝市の岡部氏の城。 (2021/02/27 訪問)

朝日山城は静岡県藤枝市仮宿に築かれた山城で岡部氏の城と伝わります。
東へ約400mあたりのところに岡部氏の居館がありますので
少し詰めの城との距離がありますね。
34°54'14.1"N 138°16'17.4"E(34.903907, 138.271489)に
神社の駐車場があり簡易トイレもあります。
朝日山稲荷神社が城址の二の丸になっているので
堂々と使わせていただきましょう。有難や。
神社への参道が続いているのですぐに二の丸にたどり着きます。
参拝をすませ、背後に回るとそこが本丸(一ノ曲輪)で周囲に
うっすらと土塁が残っています。


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しんちゃん

良く整備された中世城郭。遺構も残る。有り難や。 (2021/12/24 訪問)

飯田城は今川方に属する山内大和守道泰の城で、今川氏への忠節を貫き
榊原康正・大須賀康高らの攻撃を受け凄惨な最期を遂げ、飯田城も
落城したとあります。
城址は良く整備され、散策しやすく遺構も良く残っています。
南西より虎口・大手口を通り帯曲輪・二の丸などの遺構を見ながら
本曲輪に至ります。
各所に土塁が残り本丸北側には物見曲輪もあり天守の雰囲気も漂います。
北西側には二重の堀切があるそうなのですが草が生い茂っていて良く見えません。
飯田城の北側にある崇信寺は古城と呼ばれていて土塁が残っていました。

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しんちゃん

ぴんころ地蔵 (2022/01/04 訪問)

小長井城に行く途中で偶然見つけたお地蔵さんなのですが
看板や容姿含め、なかなか物白い形をしていたので掲載させていただきます。
ディフォルメタイプのお地蔵さんも最近ちょくちょく見かけますが
ここまで寸詰まりで、二頭身タイプのものもちょっと
無いのではないでしょうか。
二頭身といえば私はジャンプ全盛期を経験しているアラフィフなので
奇面組シリーズを思い出してしまいます。
今みたいに言葉狩りや団体さんがうるさい時代でもないので
皆好きなように描いていましたね。
最近グチが多くなっていけませんが、昔のおおらかさが少し
なつかしかったりします。
35°06'22.7"N 138°08'35.4"E(35.106297, 138.143169)この近辺です。

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